節分に思う

 
昨日は節分だった。
スーパーに行くと、恵方巻きを求める人でごった返していた。(-。-;)うんざりだ。
海苔業界とスーパー&コンビニ連合が結託した陰謀なんぞに騙されてたまるかである。
で、おじさんはそんな新参者には目もくれずに鰯を食うことにした。

 

 
本来なら焼くべきなのだが、煮付けにした。
だって鰯を焼いたら臭いんだもーん(# ̄З ̄)
わざと甘辛い味付けにした。味は勿論完璧だす。
(^o^)v旨いで~す。

昔は立春が正月だった。つまり節分は旧正月の前日の大晦日にあたる。古来から節分は、一年の終わりに厄災や邪気を追い払い、良い新年を迎えるための準備をする日だったわけだね。
厄災や邪気というのは、疫病や飢饉、家内に悪いことをもたらすものだが、これらを連れてくるのが『鬼』とされてきた。まあ災いの象徴みたいなもんだね。
そこでこの鬼が家内に入らないようにという意味で使われたのが『鰯』なのだ。
鰯は焼くと煙が生臭い。その匂いを鬼が嫌がり、近寄ってこないというワケだね。

また、玄関口に柊(ひいらぎ)と鰯の頭を飾る慣習も同じような意味が籠められている。柊の葉には鋭いトゲがあり、コレが鬼を撃退するというワケだ。『おどれ、目ぇ、突いたろかー』なのである。一種の魔除けなんだね。

 
(出典『京都九条山の観察日記』)

 
とはいえ、節分に鰯を飾ったり、食べたりする習慣は西日本(主に関西)のものだ。
関東辺りでは『はあ(;・ω・)❓』なのである。
でも最近は、この魔除けもすっかり見かけなくなったなあ…。今どきの人は、そんな風習を知らないから無気味がられるだけなんだろね。だいち臭いしさ。
こうして日本の古い習わしがどんどん消えてゆくのは嘆かわしいことじゃよ。

そんな事を言いつつも、ヘタレはやっぱり恵方巻きを食べたくなった。オイラ、本来が寿司好きの海苔巻き好きなんである。
夜遅くにスーパーにダッシュで駆け込む。
しかあ~し、既にほぼ売り切れていた。残ったものはどれも奇をてらった変化球の巻物ばかり。肉を巻いた海苔巻きなんぞ、そんな邪道なもん、誰が食うかいボケナスがあー(ノ`皿´)ノ~┻━┻なのである。

で、帰ってコレをふんずと投げる。

 

 
豆まきなのじゃあ~。
うりゃ、うりゃ、うりゃあ~Σ( ̄皿 ̄;;
鬼畜米英、魑魅魍魎撃滅。鬼畜米英、魑魅魍魎退散❗
Σ(´□`;)ハア、ハアー。Σ(´□`;)ハア、ハアー。
大人げない…。

 

 
もちろん大豆なんて投げない。落花生だ。殻つきのピーナッツだね。コレなら後で普通に食べられる。
そういえば小さい頃は、この豆まきがあまり好きじゃなかった。年の数だけ豆を食うのが面倒くさかったし、何より大豆が嫌いだった。たぶん今でも好きじゃない。

もちろん豆をまくのも鬼を追い払うためだね。これは鰯と違って誰でも知っているだろう。
知ってはいても、豆まきって今でも家庭内でちゃんと行われているのかなあ…。

                 おしまい