上村松園・松篁・淳之 三代展 前期


初冬の光が、車窓の外で降り注いでいた。
奈良へ向かう電車は人も疎らで、どこかしら寂しげである。
もっとも、風景は見る人の心の有り様によってどうとでも見える。きっと自分の心の奥底に寂寥としたものが巣食っているのだろう。

急に思いついて、独りで『上村松園・松篁・淳之 三代展』を見に奈良の松伯美術館に行こうと思った。
展示は前、後期に分かれ、今回はその前期「四季に詠う」にあたる。

 
近鉄奈良線 学園前駅で下車。
改札を出て、見慣れぬ風景に少しまごつく。

よくよく考えてみれば、学園前駅で降りるのは人生初かもしれない。
結構大きな駅だから、一度くらいは有りそうなものなのに、眼前には全く見覚えのない風景が広がっている。
電車でこの駅を何百回となく行き交いしていると云うのに、そういう事もあるもんなんだね。多分、人と同じで、駅にも人それぞれに縁の有る無しというものがあるのだろう。

北に向かって歩き始める。
美術館へ向かうバスもあるが、歩くことにした。
社会から落ち零れた人間だ。時間はたっぷりある。
それに、知らない土地の知らない風景をゆっくり眺めながら歩くのも悪かない。初めて目にする風景は、いつも人を新鮮な心持ちにさせてくれるのだ。きっとバスに乗ってしまえば5分とかからないだろう。でもあっという間に風景は擦過してしまい、網膜には何も残らない。

20分ほど歩いて左に折れると、池があった。

渡り鳥だろうか、冬枯れの木の向かうで水鳥たちが群れている。
都会の真ん中に住んでいると季節の推移を見逃しがちだが、確実に冬はその季節を前に押し進めているのである。

ぼんやりと鳥たちを眺める。
いくつもの、とりとめのない漠たる想いが去来する。結局のところ、考えたところで物事は為(な)るようにしか為らないんだと独りごちる。

池に架かる橋を渡った先に、美術館はあった。

一旦前を通り過ぎ、少し庭を散策することにした。

周囲は落ち着いた佇まいだ。
春ならば、枝垂れ桜が美しいだろう。

冬の初めの冷たい空気の中、山茶花(さざんか)がたおやかに咲いている。
ふと、もし好きな花は?と尋ねられたら、白梅か山茶花と答えるだろうと思った。
寒さをたずさえ、凛として咲く花が好きなのだ。

入館料を払い、内部に入る。
順路に従って左の小部屋(特別展示室)に入ると、松園の作品があった。

(出典『中井悠美子 「四季の絵文日記」』)

湯上がりの楊貴妃を描いた大きな作品だ。
火照った肌が艶かしいが、決して妖艶ではない。
仄かに匂い立つエロティシズムが、むしろ高貴な印象を与えている。
そして、ふくよかだ。やわらかな豊潤さも湛えている。
それらを醸し出す美人画の名手の筆は、どこまでも繊細だ。

第1展示室へ入った同時に、正面の二枚の大きな絵が目に飛び込んできた。

(出典『日本橋高島屋』)

 
(出典『銀座秋華堂』)

左右同じ大きさの、鹿をモチーフにした作品が対のようにして並んでいる。
人は誰もいない。清謐な時間がゆっくりと流れている。
すうーっと絵の世界へ入ってゆく。

鹿の絵は後回しにして、そばの作品を順に見ていく。

(出典『なら旅ネット』)

上村松篁の『芥子』。
芥子と書いて「けし」と読む。
ケシは麻薬である阿片の原料だが、その花は美しい。

この作品は松篁の代表作の一つで、自分も写真か何かで見たことがあり、以前から知っていた。
しかし、こんな大きな作品だとは思いもよらなかった。ドアくらいの大きさは優にある。
見回すと、全般的に他の作品も大きなものが多い。
そのせいなのか、心が伸びやかになってゆく。

松篁の作品は、どれもが精緻だ。
近づいて見ても美しい。美が細部に宿っている。
心がゆるりとほどけてゆく。

最後に二対の鹿の絵を見る。
2つとも三代目の淳之の作品だ。

しかし、遠目に見た時よりも心の震えは少ない。
絵に、最初に見た時のような美しさが感じられない。

第1展示室を抜け、第2展示室へ。
ここにも誰も人がいなかった。
静かだ。先日の『北斎展』とは大違いである。
でも、これが美術館の本来あるべき姿であってほしい。
静かな環境で、穏やかな心を持って絵と対峙しないと、集中して絵を見ることはできない。

(出典『東京アートビート』)

上村松篁『月夜』。
これも大きな作品だ。

もう、ただただ美しい…。
自然と幽玄なる世界に引き込まれてゆく。
想念が夜の玉蜀黍(とうもろこし)畑へと飛び、物語が紡ぎ出される。

松園『雪』、松篁『鴛鴦(おしどり)』『鳥影起春風』、淳之『秋映』『鵲(かささぎ)』etc…。
他にも美しい絵が並び、それぞれの物語宇宙に浸る。贅沢な時間だ。

第3展示室は、2階にあった。
第1展示室の上の吹き抜け2階をぐるりと囲った形で廊下があり、そこが第3展示室となっている。
絵はその四方の壁に展示されていた。

壁が低い分、ここは標準的な額縁サイズの絵が多い。
並んでいるのは、主に淳之の作品だ。そして、その殆んどに鳥が描かれている。
淳之は無類の鳥好きで、多種多様な鳥を飼っているという。

この展示室で、それまで感じていた事が明瞭になった。
松園、松篁と比べて、淳之の作品は完成度において一段落ちるのではないかと思う。
遠目に見れば気づかないが、近くで見ると線が二人と比較して稚拙なのだ。そのせいか立体感にも欠ける。鹿の絵の印象が変わったのは、多分そのせいだろう。
それに鳥の姿が、松篁と比べて薄っぺらい。画面の構成は甲乙つけ難いが、松篁の鳥の方が眼に力があり、遥かに生き生きとしている。その姿は生命力に溢れていて、生き物の持つ固有の美しさが切り取られた瞬間を見るようだ。
とはいえ、所詮は素人の見立てだ。あっているかどうかは分からない。でも、絵はその人が感じた儘でいいのではないだろうか。

もう一度、第2展示室を通り、第1展示室まで帰ってきた。
ひっそりとした空間に独り佇む至福。
こんなにゆったりとした気分で絵を見るのは、パリ・オランジュリー美術館にあるモネの「睡蓮の部屋」以来かもしれない。

美術館の帰りの空。

快晴も好きだけど、やっぱり雲もある青空の方がいいなと思う。
眺めてても飽きない。

  於 2016.12.9

                   おわり

 
追伸
後期の「生命の詩」は1月5日~2月4日まで。
もう始まってますね。御興味のある方は、お早めに。
自分も行く予定ですが、出来るだけ暖かい日を選んで出掛けてようかと思っております。
それと、言わずもがなだとは思いますが、一言添えておきます。絵の画像を一応添付しましたが、実物はその百万倍くらい美しかったです。

おっ、そうだ。耳寄り情報です。
近鉄の主要駅で割引チケットが売っています。

おっ、ついでに思い出した。
行きしな、駅に着いて遠目に見て変な看板があって、思わず二度見した。

(画像は帰りしなに、わざわざ近づいて撮ったもの)

『何で、こんなとこに鳥の飼育を教えてくれる場所があるのだ?この辺にブランド鶏なんてあったっけ?』と思ったのだ。
それが焼き鳥屋だと気づいたのは、一拍措いてから。
一人でケラケラ笑いました。

今思えば、この日はトリ数珠繋ぎの「トリの日」でしたね。

それはそうと、なぜ昆虫は絵画のモチーフにはあまりならないのだろう。
蝶なんかは、まだ題材として使われる方だが、それでもクローズアップされて使われることは少ない。大概は花に群れ集まる姿や乱舞する様だ。
多分、思うに足がアカンのやと思う。それが普通の人から見れば気持ちが悪いのではないかな?
人は、足がワサワサ沢山あるのと、蛇みたいに全く無いものには、本能的に嫌悪感を覚えるように出来ているのかもしれない。

えー、まだまだ追伸は続きます。
続きますが、これでおしまいです。

今回は、さすがにおフザケ無しで真面目に書きました。だから、絵文字も一切無いのだ。一応、そういう文章も書けるのだ、(=`ェ´=)エッヘン。
あっ、最後に絵文字を使ってもーたやないの。

OSAKA光のルネサンス2017

 
別に毎年楽しみにしているワケでもないが、なぜかこのイルミネーションを見る機会に例年恵まれる。
本日(25日)は、たまたま堂島のジュンク堂に行く用事があって帰りに寄った。聞けば、今日が最終日だそうである。

夕闇迫る御堂筋側から入ってゆく。

年々、入口の規模がショボクなってるような気がするのは、ワタクシの気のせいざましょか。

抜けたら、結構オシャレで魅力的な屋台が並んでいた。ローストビーフとか、マジ惹かれる。
でも、グッと堪える。家の冷蔵庫には、そろそろ食べないといけない食材が沢山あるのだ。

さらに進むとこんなんがあった。

「光の交流プログラム」というもので、台湾の台南市民が今回の為に描いたという廟に飾る雪洞(ぼんぼり)みたいなものだ。思うに、たぶん死者を送るものなんだろね。
しかし、貰ったパンフレットを見ると、「台湾の元宵節を祝うもの」と書いてあった。( ̄∇ ̄*)ゞあら、死を悼むもんじゃなくてハッピー系だったのネ。

中々に幻想的で美しい。
しかし、これだけ人だらけだと風情もへったくれもあったもんじゃない。

難波橋の向こうにも別会場があるみたいだが、あまりそちらに向かう人はいない。
多分ツマランのだろう。引き返す事にした。そもそも大寒波が迫っておるのじゃ、とっと帰らないと寒さ嫌いの自分なんぞは凍え死ぬかもしれん。

戻り始めたら、黒山の人だかりの先が光に溢れておる。

中之島公会堂の壁面をキャンバスにしたプロジェクション・マッピングってやつだね。
近づいてみよう。

あっ、目の前まで来たら終わっちやったよ。
このまま帰るのも何だか癪だ。警備員を探して、次の上映時間を尋ねてみよう。

太っちょの警備員曰く、5時40分との事。おっ、6分後だ。それくらいだったら、気の短いオイラでも待てる。

その警備員がこっそり教えてくれた。
真ん中からやや右寄りが一番見やすいらしい。
ありがとう。太っちょの警備員さん。

結構楽しめた。
プロジェクション・マッピングを見るのは久し振りだけど、随分と進化してるんだね。

でも、肉眼で見るより写メの方が綺麗だったりするんだよなあ…。多分、肉眼の方が優れているから、逆にアラも見えちゃうんじゃないかと思う。

帰途、公会堂の裏側にまわったら、煌々とした月が昇っていた。