2020’青春18切符1daytrip 第四章(2)

 
 第2話 紀州逍遥

 
 2020年 4月10日(中編)

 
道成寺駅で次の電車を待つ。

 

 
特急くろしおがやって来た。
遠くから特急が近づいて来るのって、何だかワクワクする。

 

 
でも引きつけ過ぎて顔が切れてしまった。
さておき、特急くろしおは既に289系が導入されている筈だが、これって287系だよなあ。一挙に全部入れ替わるというワケではないんだね。冷静に考えれば当たり前なんだけどね。

暫くして、反対方向からも特急が来た。

 

 
w(°o°)wあわわっ、今度も287系だけどパンダ仕様じゃないか。
白浜アドベンチャーワールドにはパンダが沢山いるからね。でもコレって全然かわゆくないよね。

 

 
(☉。☉)ゲッ、又しても顔が写ってへーん。
一つ前の画像を拡大したら、正面の顔は確認できるけど、一応借り物の画像を貼り付けておこう。

 

(出典『Wikipedia』)

 
やっぱ全然、可愛くねーや。
ついでだから、最初の顔が切れた別タイプの車両の画像も貼っつけておきまふ。

 

(出典『Wikipedia』)

 
「特急くろしお」については前回に書いたので、気になる人は前回を読みませう。

 

 
駅の歩道橋って何となく好きだ。

 

 
線路が遠くまで見えるし、周りの風景もよく見える。
列車を真正面や真上からも見れるし、到着と出発、人の乗り降りも見える。それが好きなんだろね。

午後1:27の紀伊田辺ゆきの列車に乗る。
さて、次は何処で降りようか❓青春18きっぷなんだから、今日中ならば何処で降りようが自由なのだ。

 

 
視界が広がる。
山々の芽吹きが眩しい。南なだけに照葉樹が多いのだろう。
ここで漸く気づく、この列車って窓が広いぞ。だから視界がバーンと広がったのだ。

 

 
切目駅を過ぎた辺りだったろうか、海が見えた。
ここまで来ると青いね。綺麗だ。
以下、ずっと海〜\(•‿•)/

 

 
水平線が見えた。

 

 
しかも、ずっと目の前が海だ。
贅沢だなあと思う。特急ならアッという間だが、鈍行列車だと各駅に停まるので、落ち着いた気持ちでゆっくりと海を眺められる。何か得した気分だ。世の中、何でもかんでも速くて便利だからいいってワケではないのだ。

 

 
川を越える。
おそらく南部川だろう。

 

 
南部(みなべ)駅は素敵だ。
改札を出る前から海を感じられる。改札の先は海へと続く真っ直ぐな道だ。少し歩けば、すぐ海なのだ。そうゆう駅って無条件に好きだ。心が自然と沸き上がる。
懐かしい…。南部の海はダイビングインストラクター時代に何度も訪れているから思い入れがあるのかな。

 

 
午後2時過ぎに紀伊田辺駅に到着。
駅名を改めて見て違和感を覚える。此処を紀伊田辺と呼ぶ人は関西人でも殆んどいないだろう。皆、単に「田辺」と呼ぶ。
なのに何でわざわざアタマに「紀伊」とつけたのだろう❓
あっ、そっか大阪の東住吉区に「田辺」という地名があったな。そのせいなのかもしれない。
場所は天王寺の南南東にあり、「田辺」の他に「北田辺」「南田辺」「西田辺」「東田辺」という地名があって、東田辺を除いて同じ名称の駅がある。それぞれ路線は違ってて、田辺駅は地下鉄谷町線、北田辺駅は近鉄南大阪線、南田辺駅はJR阪和線、西田辺駅は地下鉄御堂筋線だ。

ここは、その昔「田辺郷」と呼ばれ、庚申街道や下高野街道、難波大道など数多くの歴史街道が交差することから、古来、難波宮の時代から栄えていたそうな。
「田辺」は古くは田部とも書き、飛鳥時代に朝鮮半島から渡来した豪族田辺氏が開発した土地で、隣の平野区も含め付近一帯は渡来系に因む地名が現在も残っている。
杭全神社のある杭全(くまた)地区は杭全荘を開発した坂上(さかのうえ)氏が開発した土地だと言われている。坂上氏は百済(くだら)系の渡来人で、JR東部市場前駅の百済貨物駅や百済大橋などにその名が残っている。補足すると、平安時代には今の生野区から平野区・東住吉区の一帯は百済郡と呼ばれていたようだ。生野区の鶴橋一帯が今もコリアンタウンなのは、それと何らかの関わりが有りそうだにゃ。
また駒川商店街のある駒川は高麗(こま=こうらい)の宛字だとされるし、地下鉄喜連瓜破(きれうりわり)駅の喜連は、高句麗(こうくり)の「高」を略して喜連の字を宛てたとされているみたいだ。
言わずもがなだが、百済、高麗、高句麗は何れも朝鮮の王朝名である。つまりは、古い時代からこの一帯は朝鮮系の渡来人が多く住む土地だったのだろう。

尚、なにわ伝統野菜の一つ「田辺大根」の名称は、此の地に由来する。
余談ついでにもう一つ。ちなみに北田辺は作家の開高健が育った町だ。あの巨匠のもっちゃりとした大阪弁は、田辺の地で培われたのだね。
何で、こんなに詳しいのかというと、何れの場所も自分の育った町から近かったからである。特に東田辺はすぐそこだった。
(・o・)あっ、しまった。いつの間にか脱線してたよ。メンゴメンゴ🙏

改札を出ると、駅構内に↙こんなのがあった。

 

 
田辺といえば南方熊楠だが、あの怪力無双の荒法師 武蔵坊弁慶もそうなの❓
でも弁慶って、田辺と何か関係あったっけ❓
下にある解説を読むと、弁慶の出生地は田辺だという説が最も有力らしい。(・o・;) へぇー、そうなんだ。
あとの人は知らんなあ…。あっ、片山哲は辛うじて知ってる。総理大臣だった人ね。世間一般的にはマイナー総理だけどさ。

インフォメーションで地図を貰い、駅を出る。

 

 
駅舎は残念ながら新しい。
古い駅舎の方が風情があって好きなんだけどなあ。容易に旅情感に浸れるからね。謂うなれば、お浸りロマンチスト増幅装置みたいなものなのだ。

 

 
ふ〜ん、ちゃんと駅前に弁慶さんの銅像まであるのね。
全然、紀州のイメージはないけどなあ。どっちかというと京都や「弁慶の立ち往生」で有名な平泉(岩手県)とかだよね。
いやさっ、でも紀州といえば山岳信仰の地だから、弁慶の出で立ちである山伏とは通ずるところがあるな。

田辺駅で降りて街に出たのには、3つの理由がある。
順番が逆のような気もするが、1つめは物理的な理由からだ。
何も調べてこなかったから目をパチクリしてしまったが、次の普通列車は午後4時50分発。何と3時間近くも間隔があくのである。
「バーカ、そんなの事前に調べとけよ。」と云うツッコミが入りそうだが、断固として受けつけない。それは自分の中での概念だと「旅行」だ。「旅」ではない。そうゆうことを言う人は、一生「旅行」だけしてなさい。旅と旅行とは違うのだ。
旅行は計画ありきのものだが、旅は「予定は未定であって、しばしば変更」流浪のものなのだ。
ことわっておくが、別に「旅行」というスタイルを否定しているワケではない。時と場合によっては、自分もそうゆう形式は使うからね。単にスタンスの違いだ。女の子との旅行は流石に宿は予約するからね。けんど、一人旅だと外国でさえも宿泊の予約は入れない。
とはいえオイラ、デートも綿密に計画を立てることは少なくて、待ち合わせ場所で何処へ行くのかを決めちゃうな人だからなあ…。その後も、その場その場で行き当たりばったりで決めてくからなあ。だから、時に動線が無茶苦茶になる時だってあるもんな。
たぶん、予定調和が嫌いなのだ。計画をこなす事よりも、きっと何が起こるか自分でもわからない、ようはサプライズを期待してる人なのね。
一応、言っとくけど、計画を立てるのが苦手なのではない。立てろと言われれば、完璧に立てられる人でもある。
あれっ(・o・)❓、オラ、何言ってんだろ。そんな偉そうな自慢話なんて、どーでもいいクソみたいな話だわさ。脱線太郎、スマンスマンのプチ反省(◡ ω ◡)なり。

兎に角そんな長い間、駅で待ってるワケにはいかない。気が短いから退屈すぎて死んでしまうわ。
ようは、たとえこの先へ進むにしても、時間つぶしをしなければならないとゆうワケだね。直近にして突発的理由だから、これが最たる理由なのだが、やはり順番が間違ってたような気がするね。
他の理由は、田辺に行きたい居酒屋があったことを思い出したからだ。去年(2019年)、青春18きっぷの旅について書かれた雑誌を見てたら、モデルケースの一つに紀州方面があり、田辺の居酒屋が取り上げられていたのだ。地元の珍しい食材に拘った店で、しかもリーズナブルだと紹介されていた。まあ、これとて降車する10分か15分前に思い出した事なんだけどもね。
あとは田辺市内を観光したことがないし、熊楠が生まれ育った街を見てみたいとゆうのもあった。
なんか、グダグダになってきたな。グダグダついでに、グダグダで続けよう。

ただ、それでも当初は田辺には少し立ち寄るだけのつもりだった。予定では1時間くらい居てから、もう少し先に進んで、また夕刻に田辺まで戻って来て居酒屋に行くつもりだった。でも、このまま此処が今回の旅の往路終着駅になりそうだ。こんなにも先に進む普通列車が無いとは全くの予想外だったからね。時間的にみて、次の5時前の電車には乗れない。物理的に乗れないワケではないが、乗れば夕飯どきに戻って来れない公算か極めて高い。下手したら居酒屋は諦めなくてはいけない。そう考えると、この先へは進めないのだ。
もしも道成寺で下車していなければ、13:10発の新宮ゆきってのに乗れたんだろな…。新宮までは無理としても、周参見、白浜、串本、勝浦、那智の何処かまで行って、そこで過ごしてから夕方に田辺に戻って来るというのが正解だったのかもしれない。
まあ道成寺は道成寺で、それなりに面白かったから後悔はしてないけどね。
結論。今さら考えても仕方ない。ここは腰を据えて田辺をじっくりと回り、堪能しようではないか。

 

 
先ずは居酒屋の位置確認からだ。
情報は去年のものだから移転しているかもしんないし、何か、やんごとなき事由で店を閉めている事だって有り得ないとは言えないのだ。それに、このコロナ禍の御時世だ。休業している事だってあるかもしんない。

繁華街へと向かう。

 

 
『すなっく かっぱ』に『たつまき』。
いきなりパンチの効いたネーミングの店が登場だ。
第一章の福井県敦賀編でも熱を入れて書いたが、実をいうとオジサンはスナックの変てこネーミング愛好家なのである(笑)。

「かっぱ」って、当然あの妖怪の河童のことなのだろうが、何で河童なん❓店主がカッパに似ているのだろうか❓或いは、全身緑色だったりして(-_-;)…。
それとも無類のカッパ好きなのだろうか❓だとしたら、余白があるんだからカッパの絵ぐらい入れてもよさそうなものなのになあ…。
また或いは、I君みたいにむっつりスケベのエロガッパなのだろうか❓
もしくは、店主が事あるごとに、

『尻子玉、抜いたろかぁー❗』

と叫んでるエキセントリックな店だったりしてね。
だとしたら、ちょっと行ってみたいぞ。かなり勇気いるけどさ。

『たつまき』ってのもなあ…。
何で付けたのかよくワカランぞなもし。竜巻の勢いにあやかっているのならば、そこは漢字でしょうに。平仮名に何かしたら弱まって「つむじ風」になっちまうじょ。絵も竜巻って感じじゃなくて、巻きが軽いもんなあ。竜巻を起こすくらいのインパクトのある店を目指しているなら、根本から間違ってやしませんか❓、ねぇ❓
もしも名字が「竜巻さん」だったら、即あやまりますけどー。

 

 
『蝶 Butterfly』。
店主はワタクシと同じく蝶を愛し、趣味としている蝶屋さんなのかなあ…。だったら、いいなあ(. ❛ ∇ ❛.)
で、すげー艶っぽい妙齢の美人さんなら最高なんだけどなあ。
二人して周りの客をほっぽらかして、丁々発止の熱い蝶談義を交わすのだ。
そんなの、リー即で惚れてまうでぇー💖
まあ世の中、そんな奇跡なんて有り得ないと思うけど…。
親しみ安いからか、世に、蝶だのバタフライだのパピヨンなどと云う店名の店はゴマンとあるのだ。ゆめゆめ、あらぬ期待を持ってはならない。
それはそうと、尾突がないね。そうゆう店に有りがちなアゲハチョウのシルエットではない。モルフォチョウ❓にしては微妙にフォルムが違う。詮索はよそう。間違いなく大脱線が待っている。

『磊風八 らいふうや』。
磊落の磊に風と八。店の店風というかコンセプトが豪放磊落って事なのかな❓八(や)は「屋」とかけているのかもしれない。だとしたら、中々に洒落っ気があって凝っている。好きかどうかは別だけど。

 

 
左の『乱舞』に、右の真ん中は『YAMA CHAN』やね。
スナックに有りがちな定番的とも言えるネーミングセンスだ。

『乱舞』と書いて、英語で小さく「RAN-BU」と入れるのも定番手法だ。真ん中を棒線で区切ってるところに悦があるね。
さておき、何故にスナックの名前に大胆にも乱舞なんて大仰ネーミングをしてしまうのだ❓コレもまたスナックならではの、あるある風呂敷デカめパターンだ。
けど、店のドアを開けたら、実をいうとサンバの店で、半ケツのネェーちゃんたちが群がって踊りまくりの、ホントに乱舞しているやもしれぬ。(。◕‿◕。)だったらいいなあ。
それって、間違いなく楽しそうだもんなあ(✿^‿^)

『YAMA CHAN』。
このアダ名を横文字化する手法も多い。普通に「山ちゃん」でいいと思うんだけど、変にカッコつけてネーミングしてしまうのがスナックカルチャーなのだ。

たぶん店主は山田さんか山本さんだろう。
山野さんとか山下さん、山村さん、山川さん、山上さん、山口さんに、山崎さん、山中さん、山森さんかもしんないけどさ。あらま、これだけでもかなりポピュラーなのが揃っているじゃないか。それこそ、他にも山と有りそうだ。失礼、思わずクソ駄洒落を言っちまったよ。
改めて山がつく名字っていっぱいあるんだなあ。山で始まるものだけでも凄い数になりそうなんだから、これに山で終わる名字の中山とか大山や、小山内や小宮山など3文字の山入り名字まで含めるとなると、とんでもない数になりそうだ。

調べてみたら、何と山とつく名字は全部で260種類くらいあるんだとさ。
恐るべし❗、マウンテン名字勢力。

 

 
『スナック 可憐』。
怒られそうだけど、中に入って可憐な女性がいる確率は1000%ないだろう。むしろ、それと正反対のオババがいて、ズケズケと何やかやと説教される確率の方が遥かに高い。
スナック愛好家って、もしかしたらこのギャップを愉しんでいるのかもしれない。自分は、あくまでも「スナック変てこ名前愛好家」であって、スナック愛好家ではないから(スナック好きではある)、その辺りのマニア特有の心情まではワカンナイけどさ。

『スナック ウィ』
何じゃそりゃ❗❓である。
途中、後半部が何らかのアクシデントで欠落しているのではないかと思ったけど、その痕跡は全くない。
一瞬、アフリカの得体の知れない言葉、たとえば呪術師の呪いの言葉じゃないかとさえ思った。それくらい尻切れトンボの違和感がある。
ウィは「ウィ マダーム」とかのフランス語だろうか❓それとも英語の「私たち」を意味する「We」なのだろうか❓どっちにしても意味不明だ。
店主の飼っている九官鳥のQちゃんの口グセとか返事が「ウィ」だったら、納得します。名前なんて本来は付けた本人が満足してさえいればいいのだ。(╯_╰)トホホ…、段々そう思えてきたよ。
とはいえ、しかけたオ○コはやめられないのと同じで最後まで続ける。

 

 
『すなっく 於恋路』。
漢字の部分はオレンジと読む。来夢来人(らいむらいと)とかに代表されるスナック文化定番の宛字ジャンルだ。
「於」の意味から検証しよう。
①おいて。おける。時間や場所を表す。 ②ああ。嘆息・感嘆の声。「於乎(ああ)」
恋をする場所ってことを言いたいのかな❓それとも単に嗚呼という感嘆を表しているのだろうか❓もう恋なんてしないとか。
だとしても、そもそも何でオレンジなん❓そこからして大いなる謎だ。恋とオレンジが繫がらない。
きっと全身オレンジのオバハンが、恋路の難しさに嘆息を連発している店なのだろう。
何かもうヤケクソな感じの無理からコメントになってきたな。己の想像力の貧困さに、嗚呼と嘆かざるおえない。

えー、店々の皆様、勝手な想像を並べ立てて、m(_ _)mすいません。
あたしゃ、アタマがオカシイのです。許してつかあさい。

アホな妄想をしているうちに目的の居酒屋の店前に到着。

 

 
『紀州魚介庵 かんてき』。
にしても予想外のポップな看板だ。オシャレですらある。頑固なクソ親父がやってると勝手に想像していたが、若くて可愛いピチピチGALの店だったりしてね。(◍•ᴗ•◍)❤だったらいいなあー。
いんや、そんなワケあるめぇー。どうせアルバイトに若い娘なんかがいて、その娘に描いてもらったというパターンに違いなかろう。

ちなみに看板の上側の店も気になるね。
『やすらぎの館 彩』かあ…。ワタシもやすらぎたい。彩の膝枕してもらってやすらぎたい。

とにかく、とりあえず目的の店はあった。
大阪がコロナで非常事態宣言になってるから、まだ予断は許さないけど、一応は一安心だ。もしダメなら『蝶 Butterfly』か『やすらぎの館 彩』に行くよ。どっちも閉まってたら、カッパをブン殴って帰る。

さて、あとはどう時間つぶしするかだね。
とりあえず南方熊楠関係だろなあ。

 

 
南方熊楠顕彰館。
熊楠が遺した蔵書・資料等を保存・公開し、熊楠に関する研究を推進、情報発信もしてるとこなんだそうだ。
入場料は350円。安いのか高いのかワカランな。いや、妥当かなあ。とにかく折角ここまで歩いて来たんだから入ろう。

 

 
熊楠を知らない人もいると思うので、解説しておきます。

南方熊楠(みなかた くまぐす 1867~1941)
日本の博物学者、生物学者、民俗学者。
生物学者としては粘菌の研究で知られているが、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究もしており、さらには高等植物や昆虫、小動物の採集も行っていた。そうした生態調査に基づくエコロジー(ecology)的な見地を早くから日本に導入したことでも知られ、博物学、民俗学の分野における近代日本の先駆者的存在である。
和歌山城下に生まれ、大学予備門(現東京大学)退学後に渡米、さらにイギリスに渡って大英博物館で研究を進めた。『ネイチャー』誌に寄稿した多くの論文が掲載されており、その数51本は、現在に至るまで単著としては歴代最高記録であるという。
帰国後は田辺に定住。多くの論文を著し、生涯を在野で過ごした。
フランス語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語、英語、スペイン語に長けていた他、漢文の読解力も高く、古今東西の文献を渉猟した。熊楠の学問大系は博物学、民俗学、人類学、植物学、生態学など様々な分野に及んでおり、一つの分野に関連性があるもの全てを知ろうとするものであった。その厖大な知識の網を下敷きとした研究は、曼荼羅にもなぞらえられている。謂わば「知の巨人」である。親交のあった民俗学の父とも呼ばれる柳田國男は、彼を評して「日本人の可能性の極限」とまで称していたという。
また熊楠の言動や性格が奇抜で人並み外れたものであっために奇行も多く、後世に数々の逸話も残している。

隣は南方熊楠邸だ。

 

 
って云うか、南方熊楠顕彰館が邸の隣に建設されたというのが正しい。つまり最初に邸ありきなのだ。

 

 
質素な建物には桜よりもミツバツツジの方がよく似合う。
ふと熊楠に似合う花は何だろうと考える。でも何にも浮かばないし、女性ならまだしも男性を花に見立てるのには無理がある事に気づいて、苦笑いする。

さて、次は何処へ行こうか❓
そういや居酒屋が載っていた雑誌には老舗の蒲鉾屋もあったことを思い出し、スマホでググる。便利な時代になったもんだ。行き当たりばったり度が下がるけどさ…。否、これもまた一つの行き当たりばったりか。

たぶんコレであろうと思われる店に向かって歩く。

 

 
連翹(レンギョウ)だろうか、道すがら黄色い花が咲いていた。
いやゴメン、エニシダ(金雀枝)だわさ。とにかく春だなあって感じだね。
ふと思う。そういや頓挫していた町田町蔵(町田康)が熊楠を演じた映画(註1)って、どうなったのだろう。完成したのかな❓
町田康は芥川賞だけでなく川端康成文学賞、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞、萩原朔太郎賞も受賞しており、今や小説家・詩人として有名だが、その昔は町田町蔵と名乗る伝説のパンクロッカーだったんだよね。INUというパンクバンドのボーカリストで『メシ喰うな!』という曲が多くのミュージシャンに影響を与えた。筋肉少女帯の大槻ケンヂもカヴァーしてた筈だ。
また役者としても評価されていて、石井聰亙監督のカルト映画『爆裂都市 BURST CITY』にも出演していた。たぶんサイドカーの横に乗ってた狂暴でイカれた奴だったと思うけど、間違ってたらゴメンよ。
何で町田町蔵の事にそんなに詳しいのかというと、大学時代の演劇部の後輩が町蔵の妹だったからである。
妹曰く、小さい頃から変人で、家の中でテントを張って生活してたらしい。そういや遠足に行く時は体操服じゃなくて、全身本格的な登山の恰好だったとも言ってたなあ。

蒲鉾屋に着いた。

 

 
「たな梅」。
如何にも老舗と云う店構えだ。
古い木造建築って、ホントいいよね。自然と心が和む。

しかし、中に入ってビックリ。
結構なお値段なのだ。どれも贈答用って感じの高級蒲鉾店でござんした。1、2枚をオヤツがわりに食おうと思ったのだが、そんな気安い値段のものはない。町の蒲鉾屋ってのは、だいたいが店先で揚げてたりするものだが、そうゆう庶民的な気安さは微塵もない。
一瞬、見栄を張って買ったろかと思ったけど、止めておくことにした。遠く離れた土地だ。この期に及んでチンケなプライドは要らんだろう。それにそもそも熱烈な練り物好きでもない。嫌いじゃないけど、小躍りするほど好きなものでもないのだ。だいたい、こうゆう練り物製品ってさあ、高級な魚を使ったからといって仰天する程に旨くなるかといえば、そうでもないんだよね。もちろん上品で旨いんだけど、じゃこ天とか安物の魚を使ったものでも旨いっちゃ旨いもんな。つまり値段の差ほどには、味に無茶苦茶に差があるワケではないんだよなあ。
「明らかに全然違う❗」と、ネスカフェ・ゴールドブレンドの人みたく「違いのワカる男」には叱られても仕方ないけどさ。でも、そこまで練り物愛があるワケではないのです。

時間がまだあるから、天神崎まで行こうかなと思った。
駅からでも歩いて30分くらいで行けると書いてあったからね。今からだと、ちょうど夕日が沈む時間になるかもしれないしね。
天神崎も懐かしい場所だ。ダイビングインストラクター時代に何度か潜ったことがある。風光明媚なロケーションで、日本初のナショナルトラスト運動(註2)が行われた場所としても知られている。熊楠の精神が市民に息づいていたとも言えるね。
そういや南部側からダイビングショップに1回だけ連れて行ってもらったけど、何回も細い道を曲がったんだよね。結構、辿り着くのは大変なのだ。でも一年後、一切の迷いなく辿り着いたから、アシスタントのI君が驚嘆してたんだよな。おっ、そうだ。もう一つI君を驚かせた事があったな。水中に潜ったら、その日はヒオウギガイ(緋扇貝)がわりといたんだけど、何かピピッときたのがあったので、拾ってお客さんの前で開けたら、共生だったのかな❓中に小さなカニがいたんだよね。手品みたいだったので、お客さんもI君も目を丸くしてたっけ。ガイドとしては、プロフェッショナルだよね。
あっ、また自慢話をしてしまったなりよ。でも当時は、そうゆう能力が結構あったんだよね。だから周りを驚かすことが結構あった。あの能力、どこいっちゃたのかなあ❓
懐かしいし、行ってみたい気持ちはあったけど、でも中途半端な時間ではある。行って帰ってきたら、居酒屋の開店時間に間に合わないかもしれない。大阪に帰る時間を考えるならば、8時半くらいの電車に乗らなければ今日中には帰ってこれないのだ。無粋だが、夕日よりも居酒屋に出来るだけ長くいたいというのが本音だ。あるこほる中毒者は一刻も早く酒を呑みたいもんねー。

となると、別な方法で時間つぶしせねばならない。

 

 
鬪雞神社(とうけいじんじゃ)。
「鬪鶏神社」「闘鶏神社」とも表記される由緒正しき神社だ。
旧称は田辺宮、新熊野、新熊野雞合大権現。通称は権現さん。

境内に入る。

 

 
創建は允恭天皇8年(419年)。允恭天皇が熊野権現(現在の熊野本宮大社)を勧請(分霊)し、田辺宮と称したのに始まる。
なるほど、屋根の形に見覚えがあるなと思ったのは、そうゆう事なのね。

白河法皇の時代には新たに熊野三所権現を勧請し、平安時代末期の熊野別当・湛快のときに更に天照皇大神以下十一神を勧請して新熊野権現と称して湛快の子の湛増が田辺別当となった。弁慶は湛増の子と伝えられ、その子孫を名乗る大福院から寄進された弁慶の産湯の釜が今も残っている。
なるほど、弁慶の出生地とされているのは、そうゆう事だったのね。

 

 
ゆえに此処にも弁慶の銅像がある。
尚、熊楠はこの神社の娘と結婚している。郷土の有名人二人が闘鶏神社で繋がってるんだね。

本殿に詣でる。

 

 
国生みの女神である伊邪那美命が祀られてるんだね。

 

 
狛犬も神社の歴史の古さを思わせる年季の入りようだ。

田辺は熊野街道の大辺路・中辺路(熊野古道)の分岐点であることから皇族や貴族の熊野詣の際は当社に参籠し、心願成就を祈願した。熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の全ての祭神を祀る熊野の別宮的な存在であり、鬪雞神社に参詣して三山を遥拝して山中の熊野まで行かずに引き返す人々もいたという。
そういや学生時代に彼女と旅行した時に熊野三山の三社とも行ったんだよな。勝浦、那智、瀞峡、湯の峰温泉と巡ったんだった。
とても綺麗で、賢くて性格の良い女性だった。あの頃が一番幸せだったかもしんない。

『平家物語』などによれば、治承・寿永の乱(源平合戦)の時、湛増は社地の鶏を紅白2色に分けて闘わせ、白の鶏が勝ったことから源氏に味方することを決め、熊野水軍を率いて壇ノ浦へ出陣したという。
このことから「闘鶏権現」や「新熊野雞合大権現」と呼ばれるようになったが、明治の神仏分離の際に「鬪雞神社」を正式な社名とした。
2016年には世界遺産委員会継続会議において、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に追加登録された。
そっか、世界遺産なのか。
余談だが、プロ野球の独立リーグ(BASEBALL FIRST LEAGUE=関西独立リーグ)に2017年より加盟した和歌山ファイティングバーズは、この神社がその名の由来となっている。

神社で、だいぶと時間つぶしができた。
時間が止まったような町並みを眺めながら、ぼおーっとする。学生時代の彼女に想いを馳せる。懐かしさと後悔とで心の中が溢れ出しそうになる。でも今さらアレコレ考えたところでどうにもならない。苦しいだけだ。
立ち上がり、トパーズ色の街を駅に向かって歩き出した。

                        つづく

 
追伸
次回、いよいよシリーズ完結編です。
いよいよって云うか、漸くだけど。

  
(註1)熊楠の映画
山本政志監督『熊楠・KUMAGUSU』。
主演 渡辺哲、町田町蔵。出演 泉谷しげる・室井滋ほか。1991年6月に撮影開始、10月完成予定であったが資金難で中断。2007年10月、弁慶映画祭においてパイロット版が上映された。とゆうことは未完成で終わったみたいだね。
ちなみに、町田の演技は破天荒な熊楠を彷彿とさせるものがあり、高い評価を得ているようだ。

 
(註2)ナショナルトラスト運動
自然環境を経済を優先した開発による破壊から守るため、市民活動によって保護すべき地域を設定して買い上げたり、または自治体に買い上げを求め、次世代に伝えていくために管理・保全してゆく活動。
イギリスのボランティア団体「ナショナル・トラスト」によって行われた活動を原型として世界各地に広がった。

 

2020’青春18切符1daytrip 第四章(1)

 
 第1話 紀州ストーカー女

 
 2020年 4月10日

午前8:19。JR難波駅発 柏原ゆきの大和路線に乗り込む。

 

 
青春18切符の旅、4日目。
期日ギリギリの、最後の1daytripが始まった。

 

 

 
天王寺駅で降り、阪和線に乗り換える。
今日は気分で南を目指すことにした。前回で、近畿地方ではギフチョウの適期はもう終わりだと実感したからね。

8:32発 日根野ゆきの快速電車に乗り込む。

 

 

 
日根野駅で、9:51発の御坊ゆき普通列車に乗り換える。
もう1時間半も電車に乗ってるのに、まだ和歌山に着かない。和歌山って、そんなに遠かったっけ❓

 

 
和歌山駅を過ぎると紀勢本線(きのくに線)に入る。
一瞬、和歌山駅で降りることも考えたが、電車は御坊まで行くんだから、そこまでは行ってみようと思った。どうせ和歌山駅から南は列車の本数がグンと減るに決まってる。行ける時に行けるところまで行っておこう。

ここから先は18切符では未知の領域だ。白浜や那智方面に行くのに特急くろしおに乗ったことは何度かあるけれど、じっくりと鈍行列車に乗って旅したことはない。特急乗車は彼女たちとの旅行だったから、イチャついてて外の景色なんてロクに見てるワケないのだ。誰と行ったか、つい数えてしまう。
たぶん3人だ。それなりに、心がキュッとなる。人生は後悔の連続だ。

和歌山駅を過ぎて暫くすると、海が見えた。

 

 
2日前にも神戸方面で見たけど、何度見ても海はいい。ずっと見てても飽きない。本来は海の人だけど、虫捕りするようになって、今やすっかり山の人だ。良かったのかなあ…。

 

 
海南市とか初島辺りだったろうか。トンネルを抜けたら、突然目の前に煙突だらけの工場群が現れた。
予測外だったので写真を撮ろうとした時には既に離れていて、奥に小さくしか写っていないけど、けっこう規模は大きそうだ。存在を知らなかったけど、さぞや夜は綺麗だろう。

気になってその場でググッたら、やっぱり凄かった。

 


(出典『工場夜景ガイド』)

 
工場の夜景を見るのは好きだ。
何か近未来的と云うか、SFの世界に通ずるスタイリッシュさがある。謂わば『ブレードランナー』とか『メトロポリス』の世界だ。

 

 
箕島駅を過ぎる。
箕島といえば高校野球の名門である箕島高校のことが真っ先に思い出される。星稜高校との延長18回に及ぶ3時間50分のナイターでの熱戦は高校野球史上最高の試合とも言われている。
箕島は首の皮一枚の二死の状況から二度もホームランで追いつき、最後にはサヨナラ勝ちするのだが、劇的な展開だらけだった。奇跡の2本のホームラン以外にも、勝利目前で星稜の一塁手が人工芝の縁に足が引っ掛かって転倒、凡フライを落球するだとか、逆に星稜は箕島のサヨナラのチャンスに三塁手の隠し玉でピンチを脱したなんて事もあったな。
そういや、この試合に勝利した箕島は、その勢いを駆って勝ち進んで優勝。公立高校として初めて春夏連覇をしたんだよね。それ以来、公立高校で春夏連覇したチームはない筈だ。
記憶が、どんどん甦ってくる。箕島のピッチャーはアンダースローの石井毅、捕手は強打で鳴らす嶋田宗彦のバッテリーだったね。卒業後、二人とも社会人野球に進み、その後プロに進み、それぞれ西武ライオンズと阪神タイガースに入団したんだっけな。対する星稜も、好投手の堅田と音がいたっけ。音も中日ドラゴンズに入ったんだな。主力としてそこそこ働いてたんじゃないかな。堅田はプロには行かなかったけれど、後に審判員となって甲子園に帰ってきた。
監督は箕島が尾藤監督で、星稜は山下監督。どちらも高校野球史の名将に讃えられている。山下監督は結局、一度も優勝できなかったけどね。
あっ、思い出したよ。バックネット裏の関係者席がガラガラだったので座って観てたら、注意されたんだよね。

『君ら、ここは関係者席やから、座ったらアカンでぇ。』

振り向いたら尾藤監督だった。もう監督を勇退して、解説者か何かで来ていたのかもしれない。優しい声が今も耳に残っている。

帰ってから、「ワシら、ビトー監督に注意されてんでー。背が思ってた以上にチッこかったわ。でも優しかったでぇー。」とか何とか周りに自慢したなあ…。
その尾藤監督も既に鬼籍に入っておられる。箕島の街に向かって、🙏合唱。

 

 
湯浅駅で、特急待ちの一時停止になった。
湯浅といえば、醤油発祥の地だ。昔の古い町並みも残っている。
だが、湯浅を車で通ったことは何度もあるけれど、観光に訪れた事はない。いっそ降りてやろうか。

 

 
車内で御坊から先の駅を確認する。
南部、田辺、白浜、周参見、串本、古座、太地、紀伊勝浦、那智と、この先も有名な観光地が続く。和歌山って、観光資産が沢山あるのだと改めて気づかされる。
そういや少し先には白い奇岩群で知られる白崎もある。スキューバダイビングの仕事で何度か訪れたが、その奇観に少なからず驚いたっけ。

でも、降りなかった。湯浅までなら、まだギリギリ日帰りでデートとかに来られる範囲内だ。この先、訪れるチャンスもあるだろう。

 

 
紀伊内原駅。
御坊の一つ前の駅で、又しても危うく降車しそうになる。
駅舎に味があって、何か引き寄せられるものがあったのだ。
でも御坊まであと一駅だったので、グッと踏み堪えた。ここで降りても何にもないだろうし、次の電車がすぐに来るとは思えない。一方、御坊駅まで行けば選択肢は複数ある。そのまま次の列車に乗り継ぐのは勿論の事、紀州鉄道に乗り換えることだって出来るし、降りて昼飯を食うと云う手だってあるのだ。

 

 
午前11時。
御坊駅で下車すると、既に乗り継ぎの電車が待っていた。

 

 
御坊も観光に来たことがないから迷うところだが、特に有名な観光地は無かった筈だ。そのまま11:03発の紀伊田辺ゆきに乗り継ぐことにした。

 

 
今までずっと同じタイプの車両だったが、やっと違うデザインの列車になった。

 

 
見ると、表示はワンマンとなっている。
いよいよ、ローカル感が出てきましたなあ。

 

 
だが乗ったはいいが、次の道成寺駅で発作的に降りてしまった。

 

 
駅は無人駅だった。
寂しくはあるが、それはそれで悪かない。
古びた平仮名のブリキみたいな柱用駅名標には似つかわしい。

 

 
道成寺といえば、紀州一の古拙であり、安珍・清姫伝説の寺として有名だ。
能や浄瑠璃、歌舞伎の演目として名高い『道成寺』『日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)』『娘道成寺』の舞台となった場所なのだ。
僧の安珍に思いを寄せていた清姫が、裏切られて激怒のあまり大蛇に変化(へんげ)して追い掛け、道成寺で鐘に隠れた安珍を鐘ごと焼き殺すという物語だ。
けど、それだけ有名な寺にも拘らず、一度も訪れた事がない。その事に気づいて急遽、えいや❗と飛び降りたのだった。

 

 
まだ4月の前半なのに、もう藤の花が咲いてるんだね。
南だから、より季節が進んでいるんだろうね。

 

 
参道に入ってすぐ、「ニューふくすけ」なる店があった。

 

 
入口の素っ気ないダサさに、一瞬ひるむ。

 

 
しかし、こんな寂れた所では選択肢はそうない。短い参道の先は土産物屋ばかりに見える。
腹がとにかく減ってるし、ハズレもまた一興だと思って入ることにした。

入った横手に漫画本が沢山並んでた。こうゆう大衆的な感じの店って嫌いじゃない。本宮ひろ志の読んだことない漫画(註2)を持って席に座る。
ふらっと地元の店に入るこうゆうシチュエーションって、自分的には寧ろ旅情感があって好きなんだよね。旅の流れに素直に身を任せるのは、どこか心地良い。

メニューを開く。
 
 

 
思ってた以上にメニューが多い。そこが地元ならではかもね。
何でも作りますが、地元ニーズなのだ。
一瞬まごつくが、こうゆう時は素直であるべきだ。店員さんを呼ぶ。で、オバちゃんにお薦めを訊いた。
したら、チャンポンだと言わはるので、それに素直に従うことにした。この期に及んで自己主張なんていらないのだ。ここは柔軟に人の意見を聞くのがハッピーになるコツだ。経験上、それが正しいことの方が多いと知っているのだ。歳を喰うのも悪いことばかりじゃない。経験は正しい道筋を教えてくれる。

 

 
運ばれてきたのを見て、二重に引く。
器から溢れんばかりだ。その半端ない量に驚き、ちゃんぽんといえば長崎チャンポン的なものを想像してたから、餡かけ系茶色のピジュアルにも驚く。もう、想像してたものとは全然違う代物なのだ。衝動的にオバちゃんを呼び戻しそうになったよ。

具材はキャベツ、キクラゲ、人参、タケノコ、青ネギ、もやし、豚肉ってところだろうか。これで660円なんだから値段にも仰天だ。もし食べて死ぬほどマズかったら4重に驚きだなと半笑いで割り箸を割る。

 

 
箸で下から持ち上げるように混ぜたら、重っ❗ 麺がなかなか出てこない。
餡は粘り重め。であるからにして熱々だ。そして麺は細め。熱々の餡と絡み合っておる。チャンポンの概念を根本から破壊されたよ。食いきれんのかよ、コレ❓

食ってみると普通に旨い。誰が食っても旨いと云う安心、安全レベルの味だ。或る意味では、こうゆうのが個々人の究極の美味だったりもするのではないかと思う。旨い旨くないかは記憶とも連動する。地元でガキの頃に食ってたものって、大人になっても旨いと感じるからね。幼少期に過ごした町の、今は亡き肉屋のジャガイモとウィンナーのフライは有名で特別なものではなかったが、生涯において記憶の中で生き続けてゆくのだろう。ガキの頃、ホント好きだったもんなあ…。個人的には極めて特別なものだったのだ。

過去の思い出に日和っている場合ではない。この、人を怯ませるような大盛りは謂わば挑戦状みたいなものだ。だったら逃げるワケにはいかない。プライドが許さぬ。他人にとってはどうでもいいような小さな領域での、己のプライドを賭けた戦いが始まった。

(-_-;)……。
でも、食っても食っても減らない感がある。マジに手強い。
だが、ここで白旗をあげるワケにはいかない。根が真面目なゆえ、残すのは店の人にも悪いと思っちゃうんだよね。トランザム❗根性モードに、ギアONだよ。

 

 
麺を食いきったところで、ようやくフィナーレが見えてきた。
あとは人格崩壊の逆流噴射しないことに気をつけつつ、勝利に向けて確実に躙(にじ)り寄っていこう。

 

 
(´ω`)ふぅ〜、何とか食いきった。
でも、もう腹パンパンである。汁はスマン、(ㆁωㆁ)飲めましぇーん❗

店を出て、道成寺へと向かう。

 

 
横に何か七不思議的な立て札があった。
七不思議とゆうからに、あと6つこうゆうのがあるって事ね。

 

 
中々に立派な山門だ。
両側には、ちゃんと仁王様(金剛力士像)がおる。阿吽像だ。

 

 
口が開いてるから、阿形(あぎょう)様みたいだね。

 

 
コチラは口を閉じておられるので、吽形(うんぎょう)様だ。
えー、「阿吽の呼吸」の阿吽とは、こっからきてます。

ここにも立て札があった。

 

 
ふ〜ん。解ったような解らないような心持ちで境内に入る。

 

 
正面に本堂がある。
立て札のとおり山門と一直線に配置されている。
まあ、どこの寺でもそうだけど。

 

 
左手に、花の盛りは過ぎたが立派な桜があった。
近づいてゆくと、一陣の風が吹いて桜吹雪になった。風の悪戯に頬をゆるめ、佇んで空を仰ぐ。青空を背景に淡いピンクが舞い上がってゆく。
桜の樹ってのは、散るさまも美しい。改めて、こんなにも日本人に愛されてる理由がよく解る。今の日本人に、どこまであるかはわからないが、日本の文化の根底には美意識が強くある。美を見極める能力と、そこに「ものの哀れ」を感じ、自らの美意識と重ね合わせてきたのが日本人なのだ。今の政治家とか見てると、とうにそうゆう美意識は失われているのだと思わざるおえないけど。桜が散るが如く潔さが、まるでない。

 

 
一方、本堂横の枝垂れ桜は、とうに散ってしまっている。

 

 
そして、早くも八重桜が咲いていた。

 

 
本堂の奥には、千手観音が安置されている。

 

 
改めて伝説について説明しよう。
安珍・清姫伝説とは「道成寺縁起」とも呼ばれる天台宗道成寺にまつわる平安時代の伝承にして仏教説話。若き僧安珍と清姫の悲恋と情念を主題としており、能、歌舞伎、人形浄瑠璃(文楽)を筆頭に映画、小説、絵本など様々なジャンルの題材にされてきた話である。

安珍清姫の伝説の原型は、説話として古くは平安時代の『大日本国法華験記(法華験記)』『今昔物語集』に登場する。

時は醍醐天皇の御代、延長6年(928年)の夏の頃の事である。
奥州白河より熊野に参詣に来た若い僧がいた。この僧は名を安珍といい、大変な美形であった。旅の道すがら、紀伊国牟婁郡(現在の和歌山県田辺市中辺路:熊野街道沿い)真砂の庄司清次の家に宿を借りた。清司の娘、清姫は安珍を見て一目惚れ、女だてらに夜這いをかけて迫る。安珍は参拝中の身としてはそのように迫られても困る、帰りにはきっと立ち寄るからと騙して、参拝後に立ち寄ることなくさっさと逃げてしまう。
信じて待ちわびていた娘は、騙されたことを知って怒り、裸足で追跡、道成寺までの道中で追いつく。安珍は再会を喜ぶどころか別人だと嘘に嘘を重ねる。更には熊野権現に助けを求め、清姫を金縛りにした隙に逃げ出す。ここに至り清姫の怒りは天を衝き、遂には大蛇となりて安珍のあとを追う。
安珍は日高川を渡り、渡し守に「追っ手を渡さないでくれ」と頼んで道成寺に逃げ込む。しかし蛇と化した清姫は、火を吹きながら自力で川を渡って来る。慌てた安珍は梵鐘を下ろしてもらい、その中に隠れる。しかし清姫は鐘に巻き付き、やがて最後には業火で鐘ごと焼き殺してしまう。そして蛇の姿のままで川に入水自殺する。
その後、畜生道に落ちて蛇に転生した二人は、道成寺の住持のもとに現れて供養を頼む。住持の唱える法華経の功徳により二人は成仏し、天人の姿で住持の夢に現れた。実はこの二人はそれぞれ熊野権現と観世音菩薩の化身であったのである、と法華経の有り難さを讃えて終わる。
つまり、この話は法華経の力の喧伝を目的として作られたものと考えられている。ちなみに安珍・清姫伝説の内容については伝承によって相違があり、多くのバリエーションが存在し、その後日譚もある。

安珍と共に鐘を焼かれた道成寺であるが、四百年ほど経った正平14年(1359年)の春、鐘を再興することにした。二度目の鐘が完成した後、女人禁制で鐘供養をしたところ、女人禁制の場であるにも拘らず、一人の美しい白拍子(註3)が現れる。

 
(葛飾北斎の描いた白拍子)

(出典『Wikipedia』)

 
白拍子は優雅に舞い歌う。そして周りがそれにうっとりとしている隙をみて梵鐘の下へと飛び込む。すると鐘は音を立てて落ちた。慌てた僧たちが祈祷すると、やがて鐘は徐々に持ち上がり、そして中から現れたのは蛇体に変化(へんげ)した姿であった。白拍子は清姫の怨霊だったのである。蛇は男に捨てられた怒りに火を吹き暴れ、鐘供養を妨害しようとする。清姫の怨霊を恐れた僧たちが一心不乱に祈念したところ、その祈りに大蛇は堪えきれず、やがて川に飛び込んで消える。
そして、ようやく鐘は鐘楼に上がるのだが、清姫の怨念のためか、新しくできたこの鐘は音が良くない上に、付近に災害や疫病が続いたために山の中へと打ち捨てられた。
この後日譚をモチーフに作られたのが、能の『道成寺(どうじょうじ)』である。さらにこれを元にして歌舞伎の『娘道成寺』や浄瑠璃(文楽)の『日高川入相花王』、琉球組踊の『執心鐘入』などが作られた。
そういや、三島由紀夫の『近代能楽集』の中にも、この話を下敷きにした「道成寺」と題した短編があったな。
また上田秋成の『雨月物語』の中に『道成寺』を礎にしたと思(おぼ)しき『蛇性の婬』と言う話が載っている。

後日譚は、まだある。
さらに二百年ほど後の天正年間。豊臣秀吉による根来(ねごろ)攻め(紀州征伐)が行われた際、秀吉の家臣仙石秀久が山中でこの鐘を見つけ、合戦の合図にこの鐘の音を用いた。そして、そのまま京都へと鐘を持ち帰り、清姫の怨念を解くために顕本法華宗の総本山である妙満寺に納めたという。鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にも「道成寺鐘」と題し、かつて道成寺にあった件(くだん)の鐘が、石燕の時代には妙満寺に納められていることが述べられている。

 

 
二代目の鐘楼跡とゆうことは、今は三代目の鐘なのかな❓と思って探してみた。だが現在、この寺には鐘楼は無いようである。

 

 
とゆうことは、二代目以降、現在に至るまで何百年も鐘は無かったとゆうことか…。
後日調べたら、訪れて寺に鐘が無いことにガッカリする人が多いという。その気持ちも解らないでもない。自分も少しガッカリしたからね。でも、新たな鐘がまた清姫の怨霊を呼び寄せるかもしれないと考えれば、新調はできないよね。この現代社会においては、そんなの迷信すぎないと思うのは簡単だ。けれども、ここは故事を信じ、歴史って色々あって面白いと思う方が愉しい。古(いにしえ)に心を飛ばして、あれこれ想いを泳がすのも悪かない。

 

 
三重の塔の右横に写っているのは、安珍塚だ。
ここで安珍が焼かれたという。
にしても、何やらスゴいことになっている。木が蛇の如くノタ打ち回ってるようにも見えるし、清姫の怨念が昇華した姿にも思える。
見切れてるけど真ん中に安珍塚と彫られた石碑が建っていて、その傍には三代目らしき榁の木の生木がある。
けど、この画像じゃな。しゃあない。画像を探してこよう。

 

(出典『Wikipedia』)

 
立ち枯れた木は、榁(むろ)の木(註4)だそうである。あまり耳馴れない木だ。
初代の榁の木は約600年間生きた後に枯れ、二代目は約400年間生きて枯れたという。榁の木は枯れると「蛇榁」とも呼ばれるようで、ここに安珍と鐘が埋められていると伝えられているのも解る気がするよ。

 

 
あらら、安珍塚の下に鐘が埋まってるんじゃなくて、ホントは此処だったのね。にしても、どこまでが伝説でどこまでが史実なの❓
何だか頭の中がグチャグチャになってきたよ。

その隣には、姥桜の事と文楽の『日高川入相花王』について書かれてあった。

 

 
これを見て、ふと小学生の頃に講堂で文楽を見させられたのを思い出したよ。
アレ、驚いたよなー。めちゃんこ怖かったし。

 

 
コレが、突然コレですもん。

 

(出典『遊民悠民』)

 
小学生の度肝を抜くには十分だろう。

 

(出典『関西文化.com』)

 

(出典『bokete』)

 
インパクト、半端ないよね。

 
(護摩堂)

 
他の建物も謂れがありそうだ。
だが、もうチャンポン並みにお腹いっばいだ。深堀りするとロクな事がなさそうだ。触れずにおこう。

 
(稲荷神社)

 
足元に目をやる。
瓦を埋め込んだ敷石が美しい。

 

 
山門まで戻ってきた。

 

 
寺を辞する。

 

 
階段の先に参道が真っ直ぐに続いている。
こうゆう風景は好きである。旅情だ。心が何処までも伸びやかに翔ける。家々の趣きは違うだろうが、何百年前と基本的にはあまり景色は変わってないような気もする。少なくとも構図は同じだろう。

 

 
参道で清見オレンジと白干しの梅干しを買った。
どちらも紀州の名物だから、つい買ってしまった。
後日食ったら、両方とも🎯当たりだったけどもね。

駅まで戻ってきた。

 

 
駅舎に入って驚く。

 

 
行きは気づかなかったが、駅舎の上部には、こんなもんが掛かってたんだね。シュールだ。上から4番目なんて、謎の物体だ。清姫ちゃんの歪な心を具現化したものなのか❓全般的に可愛いんだか不気味なんだかよくワカンナイ(註5)。

プラットフォームにも変なもんがあった。
コレって、ヤバくなくね❓

 

 
掲示板らしいが、何も貼ってなくて不気味な青いシミがある。一瞬、清姫の怨霊が現代に甦って、その怨念を転写させたのではあるまいかと思ってギョッとしたよ。

そして、向かい側のプラットフォームには、別な不気味な絵もあった。

 

 
こっちはこっちで怖ぇ(Ⅲ  ̄(エ) ̄ )…。
特に2枚目の追っかけられてるのはヤバいよね。着物の上が蛇だけでも恐ろしいのに火を噴きながらで来られるなんてシチュエーションは絶対に泣くな(TOT)
清姫、どう見てもイカれポンチのストーカーじゃないか。だいたい、男がチラッとサービストークしただけで蛇になってまで追いかけ回すかね❓
流れでつい、我がの過去を振り返る。女性に追いかけ回された事は何度かあるけれど、幸い怨霊とか蛇にまでなられた事はない。キワキワの寸前ってのはあったけどね(笑)。
( ゚д゚)ハッ❗いや、笑い事じゃないぞ。見た目こそ蛇には化身していないが、心は修羅になってたと思(おぼ)しき例はある。一歩間違えれば、刺されてた可能性だってあったのだ。
彼女から、おかしなメールがあった。内容までは憶えてないけど、とにかく尋常でないメールがあって、仕事中にも拘らず慌てて彼女の部屋へ行った。
合鍵でドアを開けたら、暗い部屋に彼女が佇んでいた。顔が能面のように無表情で、本能的にこりゃヤバいと思って抱きしめた。彼女を宥め、同時に動きを封じるためである。
彼女の体には手応えが無かった。心が空っぽなのだ。
恐怖を感じた。そして彼女が潮来(いたこ)の孫娘であることを思い出した。今が空っぽの状態ならば、いつ何どき別人格が憑依するとも限らない。悪鬼に豹変して、もしかしたら刺されるかもしれないとマジで思った。
様々な考えが高速で頭の中を駆け巡る。明らかに異常な状態にパニックになりそうだった。だが、パニックは何としてでも避けねばならない。そうなれば、窮地から脱け出すは出来ないだろう。
抱き締めながら、冷静に包丁のある場所を反芻する。
確か台所の抽斗(ひきだし)にあった筈だ。問題はどうやってそれを排除するかだ。しかし、どうすればいい❓
その時だった。

『大丈夫。刺さないから。』

ギクリとした。
心が読まれていることに戦慄した。何が起こっているのだ❓
と同時に安堵も少しあった。刺されないのか❓待てよ、それは刺すという事も考えてたって事なのか❓再び頭の中がパニックになりそうになる。その言葉をどこまで信じていいのかはワカラナイ。安心させといてブスリといかれるかもしれない。メチャメチャ、彼女は頭がいいのだ。罠かもしれない。

出来るだけ平静を装って言った。

『何言ってんだよー。おまえさんが俺を刺す理由なんてないじゃないかあ。もー、心配させんなよー。』

そう言って、強く抱き締めた。
彼女の体に少し生気が戻った。その期を逃さず、体を起こしてニッコリ笑いながら頭を撫でてやった。
彼女の顔に表情が戻り、少し笑みが溢れた。
この時ほど、昔に役者をやってて良かったと思ったことはないよ。我ながら名演技だ。

体を解くと、彼女は急に『おしっこ、行きたくなった。』と言ってトイレに向かって歩き出した。
一瞬、そのスキに逃げ出そうかとも思った。しかし、それでは折角おさまりかけてる事態を再び悪化させかねない。しかも、もっと酷い状態に。
いや、或いはあの笑顔の裏には何かが隠されていたのかもしれない。事態は全然もって収拾してない可能性だってあるのだ。ならば、帰り際に背中からブスリといかれかねない。
トイレのドアが閉まったと同時に、音を立てずに素早く台所へ行く。自ら運命を切り拓かねば、危機は脱せられないと判断した。電光石火で抽斗を開けて包丁を取り出し、布巾に巻いて流しの下に放り込んだ。これで、たとえ彼女が刺したくとも直ぐには刺せない。探す間の時間が稼げる。もし彼女がエスパーならば、それも読まれて無駄だけどね。いや、抽斗よか数秒は稼げる。その数秒が運命を分かつかもしれない。100メータを12秒フラットで走れた男だ。ロケットダッシュすれば、何とかなる筈だ。

彼女がトイレから出てきた。まさかトイレに包丁を隠してたとかないよね❓緊張感が増す。

彼女の顔は普段に戻っていた。
それを見て、機を逃してはならぬと『俺、仕事に戻るわ。人、待たしてるし。』と言った。
そっから後の記憶はない。おそらく全集中で背中に神経を巡らせて部屋を出たのだろう。

他にも裏で悪鬼になってた女性はいるかもしれない。
そう考えると、紙一重の事だって無いとは言えない。
つくづく、安珍みたく焼き殺されなくて良かったよ。今のところだけど…。

                      つづく

  
追伸
驚いたのは、Wikipediaでググッたら、駅のプラットフォームの絵が違う絵だったことだ。

 

(出典『Wikipedia』)

 
一年に一回とか、絵を掛け替えてるのかな❓
にしても、どちらも色褪せてて相当に古いもののように見える。謎だ。

 
(註釈1)特急くろしお
主として新大阪駅(一部京都駅発)〜新宮駅間を走る特急列車。
停車駅は、新大阪、天王寺、日根野、和歌山、海南、御坊、紀伊田辺、白浜、周参見、串本、古座、太地、紀伊勝浦、新宮。
一部の列車が西九条駅、和泉府中、和泉砂川、箕島、藤並、湯浅、南部の各駅にも停まるようだ。

 
(289系)

(出典『Wikipedia』以下、同)

 
6代目になるのかな?…、現在はこの289系が走っているようだが、自分の中での「特急くろしお」のイメージはコレかな。

 
(485系)

 
2代目である。
ちなみに初代はこんなん。

 

 
2代目は初代のカラーリングを継承しているんだね。
以下、3代目から5代目までを並べておく。

 
(381系)

 
(283系)

 
上は、いわゆるオーシャンアローと呼ばれていた車両だ。
下は、たぶん貫通型だね。

 
(287系)

 
下は🐼パンダ仕様だ。白浜アドベンチャーワールドにはパンダがいるからね。しかも沢山。マジでイッパイおる。しかも客は多くないから、ゆっくり見られる。上野なんかに行くならば、金使ってでも白浜に行く方をお薦めする。
ちなみにパンダの本当の眼はタレ目ではない。真ん中は完全にクマ目でしゅ。この電車みたく、笑ってねーからな。

 
(註2)本宮ひろ志の読んだことない漫画
『まだ、生きてる…』のこと。


(出典『manga‐diary.com』)

 
バカにされながらも38年間コツコツと家族のために働いて来て定年を迎えた60歳のサラリーマン岡田憲三が家に帰ると、家族が消えていた。妻は全財産を持ち逃げし、息子や娘とも音信不通となる。この仕打ちに生きることに未練も希望も失くした岡田は、自らの人生の幕を閉じようと故郷の山奥で首吊り自殺を図る。だが、木が折れて命拾いする。そこからオッサンの山中でのサバイバル生活が始まり、オッサンの生き方が180度変わってゆき、人生も変わってゆくというお話。
本宮ひろ志らしく、途中からどんどん破天荒な展開になってゆく。本宮ひろ志の作品って、話のスケールがデカくてロマン溢れるものが多い。だから惹かれる。でも風呂敷をデカくし過ぎて尻すぼみになる事も多いんだけどね。この作品は最後まで尻すぼみにはならないから、隠れた名作とも言われているようだ。

 
(註3)白拍子
平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一種。及びそれを演ずる芸人、遊女。

 
(註4)榁(むろ)の木
ネズ、ネズミサシ(杜松、学名: Juniperus rigida)の古名のこと。
ヒノキ科ビャクシン属に属する針葉樹で、他にムロ、モロノキの別名かある。

 


(出典『庭木図鑑 植木ペディア』)

 
杉とか桧みたいだね。

英名は、temple juniper、needle juniper。
訳すと『寺のジュニパー』『針の如きジュニパー』。
ところで「juniper」って何だっけ❓聞いたことがあるぞ。たしかジュニパーベリーって言葉があったよな。
(☉。☉)!あっ、蒸留酒のジンだよ。あのジントニックとかジンライムのジン。その独特の香りづけにジュニパーベリーが使われてた筈だ。杜松(ねず)の実とも書いてあった。ならば、間違いなかろう。
確認したら、✌️ビンゴだった。ヨーロッパのものは、セイヨウネズノミとあった。

余談だが、和名はネズの硬い針のような葉をネズミ除けに使っていたことから。「ネズミを刺す」という意で「ネズミサシ」となり、それが縮まったことに由来する。
も一つ余談だが、樹齢600年とか400年といってるわりには小さな木だなと思ってたけど、この榁の木ってのは元々が低中木で、バカみたくはデカくならないそうである。

 
(註5)駅舎の安珍と清姫伝説の絵
最初は地元の小学生とか中学生が描いたのだろうと思ったが、よくよく見るとプロっぽい。調べてみたら、島嵜清史氏という宮崎県を拠点に活動しているアーティストの作品でした。