黄昏のナルキッソス 第一話

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第1話 流転のナルキッソス

 黄昏どき、交通量の多い細い県道を奈良駅へと向かって歩く。
夕陽が沈んだばかりの生駒山地からトパーズ色の光が漏れている。空はまるでシンジュキノカワガの鮮やかな後翅のような綺麗な橙黄色に染まっている。祝祭と云う言葉が頭に浮かぶ。その色は、シンジュキノカワガとの邂逅を祝っているかのようにも思えてきた。
立ち止まり、空を眺めて息をゆっくりと吐く。何だかホッとする。ここまで長かった…。全身の力がゆるゆると抜け、じんわりと心の襞に歓喜が広がってゆく。まだ成虫は得ていないものの、蛹を7つ、幼虫を4頭得る事が出来たのだ。コレだけいれば、流石に1つくらいは羽化するだろう。余程の凶事でも起きないかぎりは、念願の生きているナルキッソスに会える筈だ。

シンジュキノカワガを探し始めたのは、いつの頃からだったろう❓

 
【シンジュキノカワガ】

(出典『日本産蛾類標準図鑑Ⅱ』)

 
(静止時)

 
(横面)

 
(裏面)

前翅長63〜77mm。雌雄同型の大型美麗種。そのエキゾチックな姿が図鑑の表紙に使われたり、狙って得る事が難しい稀種である事などから、愛好家の間の中でも憧れる人は多い。

前翅は細長く、上部は緑色を帯びた黒色。中央部は白色で細かな黒斑が散りばめられている。そして下部は渋い紫灰色。一方、後翅は中央部が鮮やかな橙黄色。外縁は太い黒帯で縁取られており、その中には光沢のある青色鱗が配されている。

シンジュキノカワガの探索譚を書き始める前に、先ずは種の解説から始めよう。いつもとは逆のパターンだけど、何とかなるっしょ。

 
【分類】
Nolidaeコブガ科 Eligminaeシンジュキノカワガ亜科 Eligma属に分類される蛾。
最初はヒトリガ科のコケガ亜科に入れられていたが、後にヤガ科 キノカワガ亜科に移された。そして現在はコブガ科 シンジュキノカワガ亜科(註1)に分類されている。しかし、Holloway(2003)は、Eligma属はコブガ科ではないとしている。おそらく独立した科を新たに設けるか、もしくはヤガ科に戻すという事なのだろうが、未だ結着はついていないようだ。尚、そういった経緯の影響ゆえからなのか『日本産蛾類標準図鑑Ⅱ』では、亜科を所属不明としている。流転のシンジュキノカワガなのだ。

原記載亜種のタイプ産地は中国で、南部から東北部までが分布域されている。がしかし、本来の生息地は南部で、季節が進むに連れて北側に移動するのではないかと云う見解もある。台湾、朝鮮半島、日本で得られる者も、この原記載亜種に含まれる。
海外では他にフィリピン(ミンダナオ島)、インド、インドネシアのジャワ島とスラウェシ島から別亜種が知られている。

・Eligma narcissus indica Rothschild, 1896(インド亜種)
・Eligma narcissus javanica Rothschild, 1896(ジャワ島亜種)
・Eligma narcissus philippinensis Rothschild, 1896(フィリピン亜種)
・Eligma narcissus celebensis Tams, 1935(スラウェシ島亜種)

前翅または後翅の斑紋に一定の差異があるとされるようだ。とはいえ同種の亜種ではなく、別種の可能性もあるという。


(出典『www.jpmoth.org』)

亜種の画像を探してみたけど、スラウェシ島亜種の画像1点のみしか見つけられなかった。この1点のみで論じるのは問題がありそうだが、一見したところ後翅の青紋がない。また橙黄色の下部の形が違うような気がするし、より前翅の白帯も太いような気もする。別種っぽいが、分類は一筋縄ではいかなさそうな匂いがするね。

亜種はインドを除くと、その産地はかなり孤立的で、本種はアジアに普遍的に広く分布するような種ではないみたいだ。もしかしたら、亜種各々に強い特化傾向があるのかもしれない。その可能性はありそうだ。
尚、Eligma属はアフリカ、マダガスカル、アジア、オーストラリアの亜熱帯に約5種が分布するが、アジアでは本種1種のみによって代表される。

ところで、アジア以外のEligma属って、どんな感じなんだろう❓
ちょっと気になったので、調べてみた。


(出典『ftp.funet.fi』)

シンジュキノカワガとソックリじゃないか❗ で、どこが違うんだ❓
あっ、よく見ると前翅に黄色いラインが入っている。
どうやら、Eligma neumanniと云う種のようだ。なお撮影場所はアフリカのエチオピアとなっている。
こんなにソックリならば、下翅はどうなってんだろ❓ とんでもないド派手なデザインかもしれない。ちょっとワクワクしてきたよ

しかし、何故か標本写真が見つからない。けれども別な種で見つかった。


(出典『African Moths』)

コチラは、より黄色い線が太くて明瞭だね。また長くもあり、先は曲線部にまで達している。
種名は、Eligma hypsoidas。分布はカメルーン、コンゴ共和国、エチオピア、ナイジェリア、ウガンダなどと書いてあった。結構、分布は広いな。

さてさて下翅は如何なものか❓


(出典『African Moths』)

😲おー、美しい。
😲アレレー❗❓、何と外縁上部に白紋があるぞ。想定外のデザインだ。青色鱗もない。とはいえ下翅全面を見てみなければ分からない。隠れた部分に青が入っているかもしれないからね。展翅画像を探そう。


(出典『Naturalist UK』)

メリハリがあってカッコイイ。
けど矢張りシンジュキノカワガみたく青紋がない。そう云う意味では、美しさの優劣はシンジュキノカワガに軍配が上がろう。

ところで、裏はどうなっているのだ❓
しかし海外のサイトを探してみるも、何故だか裏面画像が1つも見つからない。で、やっとこさ見つけたのが、何と日本のサイトであった。アフリカから送られてきた蝶の中に混じっていたそうな。


(出典『昆虫親父日記』)

あっ😲❗、ナルキッソスと全然違うじゃないか。白紋があるし、地色も青ではなくて黒だ。それに放射線状の条がないし、外縁に縁取りもない。ちなみに、Eligma gloriosaと云う種のようだが、違う可能性もあるという。

他にもっと凄いのが居ないか探してみる。


(出典『BOLD SYSTEMS』)

Eligma gloriosa。と云う事は、さっきの裏面画像と同種の表だね。小種名からすると、大型種だろう。より前翅の横幅は広そうだ。でも基本的なデザインは、さっきの”hypsoidas”と殆どが変わらない。探したが、他の種も同じようなデザインのモノばかりだった。特異で、とんでもなくゴージャスな奴を期待してたけど、結局シンジュキノカワガを凌駕するような種は見当たらずであった。シンジュちゃんファンとしては、属中で最も美しいのはシンジュキノカワガだと云うのは誇らしくもあり、また喜ばしい事だが、一方ではちょっぴり残念でもある。いつも心の中では、まだ見ぬ凄い奴を求めているからね。

 
【学名】Eligma narcissus narcissus (Cramer, 1775)

1775年、クラマー(Cramer)により”Bombyx narcissus” として中国から記載された。だが、のちの1820年にフブナー(Hübner)によって新属Eligmaに移された。

属名のEligmaは、ギリシャ語の”eligma”に由来し、巻くとか巻き込むと云う意味である。コレはキノカワガの仲間は静止時に、翅を巻き込むような姿勢をとることからの命名だと推察される。

小種名の”narcissus”について宮田彬氏は、その著者である『日本の昆虫④ シンジュキノカワガ』の中で、「水仙のことであり、おそらく後翅の美しい黄色に由来する命名だろう。」と書かれておられる。スイセンの属名は”Narcissus”だからね。
それも有りだとは思うが、自分は寧ろギリシャ神話に登場するナルキッソスが由来ではないかと思っている。あのナルシストやナルシシズムの語源ともなった美少年のことだね。有名だから知っている人は多いとは思うが、一応ナルキッソスについても解説しておこう。

『盲目の予言者テイレシアースは、ナルキッソスを占って「己を知らないままでいれば、長生きできるであろう」と予言した。
若さと美しさを兼ね備えていたナルキッソスは、ある時アフロディーテの贈り物を侮辱する。アフロディーテは怒り、ナルキッソスを愛する者が彼を所有できないようにしてしまう。彼は女性からだけでなく男性からも愛されており、彼に恋していた者の一人であるアメイニアスは彼を手に入れられないことに絶望して自殺する。森の妖精エコーも彼に恋をしたが、エコーはゼウスがヘーラーの監視から逃れるのを歌とおしゃべりで助けたためにヘーラーの怒りをかい、自分では口をきけず、他人の言葉を繰り返すことしか出来なくさせられてしまう。エコーはナルキッソスの言葉を繰り返す事しかできなかったので、やがてナルキッソスは「退屈だ」とエコーを捨ててしまう。エコーは悲しみのあまり姿を失い、声の響きだけが残る木霊となった(echoの語源)。これを見たネメシスは、神に対する侮辱を罰する神であるがゆえ、ナルキッソスを自分だけしか愛せないようにしてしまう。
ネメシスはナルキッソスをムーサの山にある泉に呼び寄せる。そして、不吉な予言に近づいているとも知らないナルキッソスが水を飲もうと水面を見ると、そこには美しい少年がいた。もちろんそれはナルキッソス本人だった。ナルキッソスはひと目で恋に落ちた。そしてそのまま水の中の美少年から離れることができなくなり、最期には痩せ細って死んでしまう。また、水面に映った自分に口付けをしようとしてそのまま落ちて水死したという別な話も残っている。ナルキッソスが死んだ後、やがてそこに水仙の花が咲いた。
この伝承からスイセンのことを欧米ではナルキッソスやナルシスと呼び、学名にも”Narcissus”と入れられた。』

つまり最初にナルキッソスが有りきの水仙と云うワケだね。主役はナルキッソスなのだ。それに水仙は真ん中は黄色いけど、外側の花びらは白いから、シンジュキノカワガみたく強い黄色のイメージはない。


(出典『Wikipedia』)

たぶんクラマーも同様の考えで、水仙ではなく、その自らもがうっとりするようなシンジュキノカワガの美しさをナルキッソスになぞらえたのではなかろうか❓
でも黄色と云うキーワードも捨て難いなあ…。或いはクラマーはナルキッソスと水仙、両方の意味を学名に込めたのかもしれない。
ちなみに余談だが、水仙の花言葉は「うぬぼれ、自己愛、神秘」です。

ここまで書いて、ふと気づく。日本の水仙って、ニホンズイセンと呼ばれ、特異な存在なんじゃなかったっけ❓ そういや真っ黄色の水仙ってのも、あったような気もするぞ。

ありました。


(出典『Wikipedia』)

黄色いね。
でもクラマーは、学名に水仙とナルキッソスの両方の意味を込めたのだと信じよう。それでいいではないか。学名には「浪漫」があった方がいい。

 
【和名】
キノカワガは漢字で書くと、おそらく「木の皮蛾」となるだろう。つまり、キノカワガの仲間の前翅の色が樹皮に似ている事からの命名だと思われる。実際、樹皮に止まっていると、木と同化して見つけ難いらしい。
シンジュの方は、真珠のように美しいと云う意味に捉えられがちだが、幼虫の食樹に起因する。餌がニガキ科のシンジュと云う木で、そこからの命名なのだ。欧米では、この木を「Tree of heven.」と呼び、その直訳が和名になったそうな。つまり真珠ではなく、「神樹」なのだ。だから漢字で書くと「神樹木の皮蛾」ってことになる。

余談だが、和名も流転。科の推移等による変遷の歴史がある。
和名が最初に登場したのは1910年。小島銀吉が『日本産苔蛾亜科』と云う論文の中で「シンジュコケガ」と名付けたのが始まりである。しかし、松村松年の『日本通俗昆虫図説(1930年)』では、ヤガ科 キノカワガ亜科に移され、それに伴いシンジュキノカワガと変名された。されど、その後に河田党の『日本昆蟲図鑑(1950年)』に由来する「シンジュガ」と云う名前が1950年代の報文にしばしば用いられるようになる。錯綜しとりまんな。だが、1959年に保育社から出版された『原色昆虫大図鑑』では、松村松年の付けた和名シンジュキノカワガが再び採用された。それ以来、その名が定着するに至ったんだそうな。

 
【生態】
1909年、三宅恒方氏によって熊本市で採集されたのが国内最古の記録とされる。
土着種ではなく、中国南部から成虫が東進する低気圧や前線の南側に発生する南西風などを利用して飛来する偶産蛾とされる(註2)。
旅する蛾だ。それにしても随分と遠くから飛んで来るんだね。距離にすれば、千キロくらいはあるだろう。
近年は毎年のように飛来し、到着地にシンジュがあれば繁殖して、そこから次世代の成虫が拡散するものと推測されている。新天地を求めて、なおも旅を続けるのだね。流転の蛾、さすらいのナルキッソスなのだ。
沖縄を除く西日本での記録が多く、特に九州北部での発生例が多いが、北海道や東北地方でも発生したことがあり、ときに爆発的大発生する。
主に6月〜10月に見られるが、8月〜9月の目撃例が圧倒的に多く、年2〜3回発生するものと考えられている。それ故、低気圧と前線との関係が示唆される。たぶん季節をとわずには渡来はできないのだ。
例外として3月の記録が2箇所3例、福岡県大牟田市と長崎県の対馬にある。だが、基本的には日本では九州のような暖かい地方でも越冬は難しく、晩秋に蛹化した個体は大部分が羽化できずに繭の中で死滅する。この点から土着種ではないとする研究者が多い。討ち死にじゃね。謂わば、魚の死滅回遊魚みたいなもんだ。分布を拡げるために、死を賭して果敢に攻めているのだ。いつの日か突然変異で越冬できる個体が現れ、日本に定着する日を夢見て特攻する姿は素敵だ。自分も、そうありたいものだ。

孵化直後の幼虫は白色。2齢以降から黄色と黒色の虎縞模様が次第に明瞭になっていく。

(終齢幼虫)

阪神タイガースカラーの派手な出で立ちは、如何にも毒が有りそうに見えるが、意外にも毒は持っていないらしい。但しスズメ(雀)が幼虫を咥えた後に直ぐに捨ててしまうことが数回観察されている。シンジュは中国では臭椿と書き、独特の臭気がある。当然それを食す幼虫も同じ臭気を内部に具えている可能性は高い。つまり毒はないものの、不味いのではなかろうか❓ 幼虫の派手な色彩は明らかに警戒色だと思われ、この幼虫を不味いと学習した鳥は以後二度と食べないと云うことは充分有り得るだろう。派手な色は生存戦略なのである。そう考えれば、あの目立つ色彩の説明もつく。どんなものにも、そこに理由と意味があると考えるのは人間のエゴかもしれないけどね。
尚、幼虫に触れると直ぐに落下する。この習性も又、身を守るための手段の一つだと考えられるだろう。

5齢で終齢幼虫になり、多くはシンジュの樹皮を齧って材料にし、樹幹上に繭を作って中で蛹化する。ゆえに幹と同化して見つけづらい。
天敵への威嚇と思われるが、蛹が鳴くことが知られている。厳密的には鳴くのでなく、繭に震動を与えると、蛹がその尾端を繭の内壁に激しくこすり合わせて楽器のマラカスに似たカシャカシャカシャともガチャガチャガチャとも聞こえる音を発する。もう少し詳しく言えば、蛹の腹部第10節背面にヤスリ状の構造があり、それと繭の後方内側の隆起条を激しく擦り合わせることによって発音しているらしい。繭を作るのは蛾本人だから、謂わば楽器を自ら作成できる生物と言えよう。楽器を作成できる生物って、人間以外に他に例が思い浮かばない。しかも人間よりも遥か前から楽器を発明していたと云うことになるではないか❓そう考えれば、驚愕だよね。
余談だが、近縁のナンキンキノカワガも同じく鳴く。ナルキッソスよりも発音回数が多く、より連続的な音色である。しかも長きにわたり発音し続けるみたいだ。但し、シンジュキノカワガの方が繭の隆起条が太くて数も多い。もしかしたら、音はナルキッソスの方が大きいのかもしれない(註3)。

成虫の飛翔は、ややぎこちないもののかなり速く、空中で鳥の攻撃を上手くかわして飛び去ったと云う観察例もある(阿部 1982)。
指で触ったり、つつくと落下して擬死、つまり死んだ振りをする。腹を折り曲げ、暫く微動だにしないのだ。また近づくとパッと翅を広げて派手な下翅を突然見せることもある。どちらも鳥などの天敵から身を守るためのものだろう。
1つめの行動は謂わば目眩ましの術だ。そのまま地面に落ちて敵の目の前から忽然と消えてしまえるし、地面に落ちて動かなければ、周囲の風景に溶け込んで発見されにくい。また獲物を狙う捕食者は、動くものに反応して攻撃を加えようとする性質があると言われているが、相手がピクリとも動かなくなると攻撃しなくなる事がよくあるそうだ。その理由は、敵を襲って食べようとする気を失くすからではないかと考えられているそうな。死んだ振りって、思ってた以上に効果があるんだね。けど熊に襲われた場合は、死んだ振りしても効果ないらしいけどー。
2つめの行動は、相手を驚かせたり、怯ませる算段なのだろう。それで相手を退散させたり、或いは驚いている隙に逃げる事だってできると云うワケだ。
シンジュちゃん、アンタって蛹は鳴くし、脅しや死んだ振りまで出来るだなんて、盛り沢山の能力者じゃね。

 
【幼虫の食餌植物】
シンジュ Ailanthus altissima


(出典 以上3点共『庭木図鑑 植木ウィキペディア』)

ニガキ科の落葉高木。一見ウルシ(ウルシ科)に似ているので、ニワウルシと云う別名もある。だが両者は科が全く違う別モノの植物で、近縁関係にはない。そうゆうワケだから、触ってもカブれるという心配はない。カブれないから庭にも植えられるゆえにニワウルシと名付けられたのだろう。
葉は大型の羽状複葉を互生する。雌雄異株で、夏に緑白色の小花を多数円錐状につける。果実は秋に熟し、披針形で中央に種子がある。
原産地は中国。日本には明治初期に移入され、庭木や街路樹として、また絹糸を取るため養蚕に利用されるシンジュサン(神樹蚕)の幼虫が食樹として好むことから各地に盛んに植えられた。

(シンジュサン)


(2018年6月 奈良市 近畿大学農学部構内)

成長の早い植物で、樹高は10~30mにもなる。環境が悪くてもよく生育するので、前述したように庭木や街路樹、公園樹として盛んに植えられた。しかし、現在ではそれらが全国各地で野生化し、種子の飛散によって分布を急速に拡大しており、問題化している。

他に日本土着種のニガキ(ニガキ科)でも飼育ができ、シンジュと変わらず良好に育つという。自然状態でニガキで発生した記録はないようだが、食樹として利用している可能性は充分に考えられるだろう。

(ニガキ)

(出典『庭木図鑑 植木ウィキペディア』)

ニガキ科ニガキ属の落葉高木の1種で、苦木と書く。雌雄異株。東アジアの温帯から熱帯に分布する。葉の縁が鋸歯状になるのが特徴で、その点からシンジュとは容易に区別できる。
全ての部位に強い苦味がある木で、それが名前の由来ともなった。
ニガキが苦いのならば、シンジュもそれなりに苦くて不味そうだ。そのエキスの詰まったシンジュキノカワガの幼虫が、鳥に忌避される可能性は充分にあるよね。
それはさておき、待てよ。もし元々あるニガキを摂食するのならば、シンジュキノカワガは偶産種ではなく、元々いた土着種の可能性だってあるのではないか❓ と云う考えが一瞬よぎった。でも冷静に考えれば、それは有り得ない。なぜなら、たとえニガキを食樹として育った蛹であろうとも、結局は晩秋にはシンジュで育った蛹と同じ運命を辿るのだ。つまり、寒さに耐えきれずに殆どが死滅してしまうのである。と云うことは、やっぱり土着種ではなく、迷蛾の偶産種だやね。

また、中国ではカンラン科のカンラン(ラン科のカンランとは別物)も食樹としているようだ。ちなみにカンラン科の分類体系はニガキ科とミカン科の間に位置し、比較的近縁関係にあるそうな。

なお、『日本産蛾類標準図鑑Ⅱ』のシンジュキノカワガの解説欄には「宿主植物のニワウルシの移入に伴って日本に二次的に侵入したと推察される。」と書いてあるが、宮田彬氏は著書の中でコレを以下のような理由から否定している。
「シンジュは苗木としてではなく、種子として日本に入って来たことが判っている(註4)。したがってシンジュの苗木と一緒に本種が侵入したという説をとることはできない。仮にシンジュキノカワガが現在日本に土着しているとしても、シンジュとシンジュキノカワガは別々に入って来たものである。」と。
それに「移入によって二次的に侵入した」とするならば、その表現だとニュアンス的に現在は土着種であると云う見解を示してはいまいか❓けれども、現実的には晩秋には死滅してしまうのだ。移入した年には死んでしまっているのである。まあ、木の移入によって運ばれた年もあったかもしれないけどね。だとしても、現在はシンジュなんて邪魔者扱いされているから移入なんて皆無だろう。それでも毎年のように何処かで発生していると云うことは、矢張り風に乗って飛んで来ると云う可能性の方が圧倒的に高いと考えるのが妥当だね。まっ、見解は色々あって然りだ。だからこそ、この業界は面白い。ワシみたいな素人でも謎解きに参戦できるからさ。
 
 
さてさて解説はこれくらいにして、本編に戻ろう。

 
シンジュキノカワガを探し始めたのは、いつの頃からだっただろう❓
調べてみると、何と2017年だった。見つけるのに六年も費やしているではないか。長かった…と感じたのも頷けるよね。

 
2017年 10月18日

最初に訪れたのは、忘れもしない兵庫県伊丹市の昆陽池公園だった。キッカケは、2010年に発表された『伊丹市昆陽池町で発生したシンジュキノカワガ』と云う報文だった。
この公園には伊丹昆虫館があり、そのコンクリート壁に繭を作る幼虫を発見した事を機に大量の幼虫を得て、多数の成虫を羽化させた旨が書いてあったからだ。しかも、3年連続で同地で発生していたらしい。ならば会える可能性は、そこそこ高いのではないかと考えたのだ。

書いてて、少しずつ記憶が甦ってきた。
確か、先ずは伊丹空港(大阪空港)に行き、シルビアシジミの様子を見てから移動したんだった。

(シルビアシジミ)

しかも、大阪の難波からママチャリで行ったんだよね。難波から伊丹空港までも相当遠かったけど、伊丹から昆陽池も遠かったなあ…。

昆虫館横の道路沿いで、街路樹として植栽されているシンジュの木々を簡単に見つけることができた。ラッキーなことに公園で先にシンジュと書かれた札が付いている木をいち早く発見できた。それで楽に木の判別ができたのだ。

ザッと見たところ、幼虫の姿はない。食害された形跡はよくワカラナイ。既に葉がだいぶ落ちかけているから、どうとも言えないのだ。

次に幹に繭が付いていないかを丹念に見ていく。
が、繭らしきものは見当たらない。木はまだまだある。気を取り直して他の木も順に見ていく。

でも結局、成虫は元より幼虫も繭も見つけられずじまいだった。初戦敗退である。けれども、さしてショックは無かった。この時点ではまだ、そのうち採れるだろうとタカを括っていたからだ。あの頃はまだまだ「まあまあ天才」で、引きの強さだけは相変わらずだったからね。それがまさかの、その後も毎年のように惨敗を喫し続けるとは思いもよらなかった。

そうだ。仕方がないので、暫しお怒りのカマキリと戯れて帰ったのも思い出したよ。

 
2018年 10月29日

翌年は先ず、この前々日に大阪中心部の堺筋沿い北浜界隈に行った。シンジュの街路樹があると知ったからである。先ずは近場から攻めていこうと云うワケだ。

しかし大木であったであろう木々は、ことごとく切り倒されていた。そして、その切り株から蘖(ひこばえ)が多数出ていた。生命力が強い植物だなと云う印象を強く持った憶えがある。
木が切られた理由は聞き得ないが、おそらくデカくなり過ぎたのではなかろうか❓知らんけどー。

その翌々日に兵庫県西宮市の甲山に行った。
元ネタは2017年に発表された『兵庫県西宮市でシンジュキノカワガの幼虫を採集、羽化の観察』と云う報文だった。去年の話だから、今年も発生しているのではないかと期待したのだ。

報文に写真が載っていた発生木を見つけたが、どうやら此処では未発生のようだった。この辺が、ナルキッソスの採集を難しくさせている。謂わば死滅回遊蛾みたいなモノなので、土着種のように其処に行けば、毎年のように確実に会えると云うワケにはいかないのだ。

今回もネームプレートがあって助かった。

植物の同定は難しい。見た目がよく似た植物は山とあるのだ。
例えばシンジュだと、ウルシ(ヤマウルシ)の他にも同じウルシ科に属するハゼ(ハゼノキ)やヤマハゼ、ヌルデ、ミカン科のカラスザンショウともよく似ている。あとタラノキ(ウコギ科)なんかも似ているかな。

(ヤマウルシ)

(出典『YAMAHACK』)

(ハゼ)

(出典『植物図鑑 エバーグリーン』)

(カラスザンショウ)

(出典『森づくりの技術』)

だから、しっかり葉や木肌をインプットして木を憶えたつもりでも、1年も経てば何が何だか分からなくなるって事は多々ある。結果、同定間違いをしやすい。一流の虫屋は、その点が優れている。植物を見分ける能力が高ければ高い程、目的の昆虫を見つけられる確率は高まるからね。自分は、その点まだまだだ。

そういえばこの日は、あまりに退屈なのでホタルガなんぞの写真を撮ってしまったんだよなあ。

にしても、見慣れたホタルガとは、ちょっと違うような気がして写真を撮ったんだと思う。♀だったからなのかなあ❓コレが♀なのかどうかもワカランけどー。

あと、此処はワシ・タカ類の渡りが観察できる有名ポイントだと初めて知ったんだよね。9月中旬から10月半ばまで、サシバやハチクマ、ハヤブサなんぞが見られると聞いた。今年は渡りがいつもの年よりも早くて、もう終盤に差し掛かってるとか言ってはったな。先週はバンバン飛んでゆくのが見れたとも言ってた。
何だかんだとバードウォッチャーの人達に色々と教えて貰い、結構楽しかった記憶がある。だけど猛禽類たちを幾つか見れはしたけれど、どえりゃー高い所を舞っていたから、実感は全然湧かなかったんだけどもね。

 
2018年 10月8日

この日は、奈良県河合町の馬見丘陵公園に行った。
この原稿を書いてて気づいたのだが、何と関連記事の欄に、この日のことを『ダリアとシンジュキノカワガ』と題して既に書いているではないか。んな事、すっかり忘れてたよ。相変わらずの、鶏脳味噌ソッコー忘却男である。
なので、それを下敷きにして書き直してみよう。とはいえ、できれば原文の『ダリアとシンジュキノカワガ』の方もあとで読んでね。

 
10月の、よく晴れた日曜は幸せそのものだと思う。

青空の下、大人も子供も、誰しもが楽しそうだ。
秋の爽やかな空気の中、あちらこちらで歓声が上がる。

原文では、コレでもかと阿呆ほどダリアの写真が出てくる。
退屈だったのだ。夜に備えて下見のために昼間っから来たのだが、アテが外れた。ついでに何か採れないかと思ったのだが、この季節には虫なんて殆んどおらんのだ。で、仕方なく時間つぶしにダリアの写真を撮り始めた。でも、果たしてコレらが同じ種なのか❓と疑いたくなるような様々な形と色の花に溢れていた。それで撮影をやめられなくなったのだった。ダリア、恐るべしである。

ススキが、とても美しかったんだよなあ。
すっくと立ち、斜光に縁取られて輝く姿は今も忘れられない。

夕日も美しかった。
完璧な10月の一日だ。もしもワシも誰かといれば、きっと幸せな時間を過ごせただろう。

おっと、何しに来たのかを書くのをウッカリ忘れるところだったよ。
えー、蛾のパイセンである植村から此所で2年前にシンジュキノカワガを採ったと聞いたからだ。しかも2頭も。トイレの灯りに飛んできたらしい。そういや、もう1頭は空中で採ったとか言ってたな。兎に角それでノコノコと出てきたワケだ。
昼間から来ていたのは幼虫の食樹であるシンジュがあるとも聞いていたからだ。この蛾は食樹のそばで見つかる事も多いみたいなので、何とかなんでねーのと思ったのさ。気分は早々と昼間には決着をつけて、凱旋気分でサッサと帰るつもりだった。
でも、流石エエかげんな性格のパイセン植田である。公園中を探してもシンジュなんて1本もありゃしない。大方、別な植物をシンジュだと思い込んでいたのだろう。公園事務所の植物担当の爺さんに訊ねても、「知らんなあ、そんな木は。たぶん園内には無いで。」と言われたよ。

結局、夜の公園を夢遊病者の如く徘徊したけれど、ナルキッソスの姿は影も形も無く、あえなく惨敗。どころか、灯りには新月なのに他の蛾さえも殆んど何〜んも飛んで来なかった。

暗い夜道をトボトボと駅に向かって歩く。
その間、ずっとダリアの花々が脳裏に浮かんでは消えていった。

                  つづく
 

追伸
猶、過去に本ブログにて『三日月の女神、紫壇の魁偉』と題してシンジュサンについて書いた文章もあります。興味がある方は、宜しければソチラもあわせて読んでくだされ。

 
(註1)シンジュキノカワガ亜科
インターネット上に於いて、蛾類に関して一番影響力のある『みんなで作る日本産蛾類図鑑』では、「シンジュガ亜科」となっている。そのせいかネットでは、シンジュガ亜科が使われているケースも幾つか見うけられる。自分も最初は「シンジュキノカワガ亜科」と表記していたのに、それを見て変だなあと思いつつも「シンジュガ亜科」と書き直した。でも蛾類学会の会長岸田泰則先生が、Facebookのゴマフオオホソバの記事のくだりでハッキリとシンジュキノカワガ亜科と明記されておられた(最近ヒトリガ科コケガ亜科からコブガ科シンジュキノカワガ亜科に移されたらしい)。先生がシンジュキノカワガ亜科って書いてんだから、それで間違いなかろう。
『みんなで作る日本産蛾類図鑑』は、蛾類の基本情報を最も得やすいサイトだ。そこには膨大な数の種の情報があるから、自分も重宝している。どんなマイナーな蛾を検索しても、このサイトが一番最初に出てくるからね。だが正直なところ、その情報を鵜呑みにはしないようにしている。このような誤記が他にも結構あるからだ。過去にも何度か騙されかけたからね。ゆえに引用される方は、気をつけた方がいいと思う。

 
(註2)低気圧や前線などを利用して飛来する
例えばイネの害虫ウンカは、主に梅雨期に中国南部から1,000km以上を飛行して、九州をはじめ西日本各地へと多数飛来すると考えられているそうな。ウンカは体長4mmと小さく、自力では秒速1m程度の移動しかできない。なのに1,000km以上の長距離移動を可能にしているのは、梅雨時に東シナ海上で発達する南西風(下層ジェット)らしい。この風は秒速10m以上の速度で吹くので、これに運ばれたウンカはおよそ1日から1日半程度で中国から九州に到着するようだ。また蛾のハスモンヨトウも、台風や低気圧、前線の南側に発生する南西風や気流に乗って中国や台湾、韓国から日本国内に移動することが知られており、梅雨期に南西風が強まれば、飛来数が増えるという。
ナルキッソスも、この南西風や低気圧の東進に伴う風に乗ってやって来るのだろう。
さておき、チョウは移動して来ないのだろうか❓
Mimathyma schrenckii(シロモンコムラサキ)とかチョウセンコムラサキ、オオヤマミドリヒョウモンなんぞが飛んで来たら楽しいのになあ…。

 
(註3)音はナルキッソスの方が大きいのかもしれない
ネットで、ナンキンキノカワガが音を奏でる動画は見た。それで、ナルキッソスとは微妙に音色や発音時間の長さが違うとわかった。だが音の大きさまでは比較できない。なので、あくまでも想像です。

 
(註4)種子として日本に入って来たことが判っている
1875年に田中芳男と津田仙がオーストリアで植栽されていたものの種子を持ち帰り、東京は丸の内、江戸河畔、青山女学院に植えたという。また一説によると、津田がインドより種子を移入したともいわれる。津田は1879年頃に、この木を養蚕の飼料にもなると言って薦めたので、当時盛んに各地で植えられたようだ。
尚、ヨーロッパには日本よりも早く移入されている。だから名前の由来が「Tree of heven(神樹=シンジュ)」から来ているのだね。

 
 
ー参考文献ー

・宮田彬『日本の昆虫④ シンジュキノカワガ』文一総合出版
・岸田泰則『日本産蛾類標準図鑑Ⅱ』学研
・安達誠文『伊丹市昆陽池町で発生したシンジュキノカワガ』きべりはむし32号 2010
・石田佳史『兵庫県西宮市でシンジュキノカワガの幼虫を採集、羽化の観察』きべりはむし39号 2017

(インターネット)
・『Wikipedia』
・『庭木図鑑 植木ウィキペディア』
・『みんなで作る日本産蛾類図鑑』
・『www.jpmoth.org』
・『ウンカの海外からの飛来を高精度に予測するシステムを開発』農研機構 プレスリリース
・『昆虫親父日記』

 

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投稿者:

cho-baka

元役者でダイビングインストラクターであり、バーテンダー。 蝶と美食をこよなく愛する男。

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