絶海の島の悲しき犀

 
『奄美迷走物語』の最終回で、サイカブトについて書いた。
その文の中で、日本にもう1種いる南大東島に産するヒサマツサイカブト(Oryctes hisamatui)についても少し触れた。
だが、実を言うとアップ直前に何となくヒサマツサイカブトの事が気になったので調べてみた。したら書き進めるうちにズブズブの泥沼にハマッてしまった。ようはサイカブトそっちのけの長大な文章になってしまったのである。本末転倒も甚だしい。いつもながらの事だが、愚かじゃよ。
なので一旦中断して、書きかけのサイカブトの部分を切り離してレイアウトを元に戻して記事をアップした。そして、こうして新たなタイトルを付け、切り離した部分に加筆することにしたのである。

先ずはサイカブトについておさらいしておこう。

【サイカブト(犀兜虫) ♀】

(2021.4.1 奄美大島 朝仁町)

和名の由来は、頭部に動物のサイ(犀)のような短い角があるカブトムシの仲間だからだ。この和名は2000年前後に使われ始めたもので、それ以前はタイワンカブトと呼ばれていた。
学名 Oryctes rhinocerosの小種名”rhinoceros”もサイの事を表している。尚、属名の”Oryctes”は、多分ギリシャ語の”orycho”が語源で「掘る・掘り出す」という意味だろう。これは成虫がヤシなどの内部にトンネルを掘ることからの命名かと思われる。
英名の Coconut Rhinoceros Beetleもサイに因む。ようするに、ココナッツ(椰子)にいるサイみたいな甲虫って事だね。


(出展『小学館の図鑑NEO カブトムシ クワガタムシ』)

鞘翅目 カブトムシ亜科 サイカブト属に分類される甲虫の一種で、外来昆虫とされる。
ヤシの木やサトウキビ、パイナップルを食害する害虫で、その穿坑能力は極めて強く、成虫は茎頂部にトンネルを掘って潜り込んで摂食を行う。そのためヤシなどは成長点を貫通した時点で枯死する。
日本に侵入したのは20世紀初頭とされ、台湾からの物資に紛れ込んで石垣島に上陸し、以降、凄まじいまでの繁殖力で分布を北に拡大し続けている。そして、現在では南西諸島のほぼ全域で定着。九州南部でも見つかっている。
本種の原産地はインドシナ半島周辺とされるが、農作や植栽による人為的な植物の移動に伴い、東南アジアから西はインド・スリランカ、東は中国南部、台湾、果てはハワイにまで分布を拡げており、在来か外来かが判然としない地域も少なくない。

成虫の体長は雌雄共に30〜45mm。
卵はヤシの枯木内の他、畑脇に積み上げられた肥料用の牛糞の中や堆肥、落葉土に産み付けられる。孵化した幼虫は2度の脱皮を経て4ヵ月程で老熟し、それぞれ3〜4週間の前蛹期と蛹期を経て羽化する。成虫の寿命は2〜5ヵ月程だが、成虫、幼虫共に冬季の約2ヵ月を除きほぼ一年中活動している。
本土のカブトムシのように樹液に来ることは殆どなく、基本的には地面を這って生活しているようだ。
♂の大型個体は弓なりの細長い角を頭部に1本持つが、♀も短い角を備えるため、小型個体では雌雄の見分けがつきにくい。但し♀は尾端が毛で覆われていることから、慣れれば判別は比較的容易である。
夜行性で、しばしば街灯に飛来し、路上でひっくり返ってもがいている姿をよく見かけるという。体が分厚いのに足が短いから起き上がれないのだ。
なお、日本にはもう1種この属に含まれるものがいて、南大東島にヒサマツサイカブトが産する。

扠て、ここからが本番である。
『奄美迷走物語』の最終回では、ヒサマツサイカブトについては詳しく書かなかった。理由は冒頭に書いたとおりである。
そういうワケで、気が進まないけど改めて泥沼の話を始める。

【ヒサマツサイカブト 久松犀兜】

(出展『画像あり。(´・ω・`)』)

2002年に新種記載されたもので、サイカブトよりもふた周りくらいデカくて分厚く、胸部背面後方が高くせり上がり、角も長い。
(・∀・)う〜む、カッコイイかもしんない。興味が出てきたので、もっと本格的に調べてみよう。

体長45〜49mm。体色は黒色〜赤褐色で、個体によって変異がある。雌雄共に頭に角を有し、大型の♂では長く発達して後方に強く湾曲する。♀の腹端部には黄褐色の長毛を密生するが、雄は無毛である。

(♂)

(出展『フィールドガイド 日本のクワガタムシ・カブトムシ観察図鑑』)

(♀)


(出展『学研の図鑑 カブトムシ・クワガタムシ』)

この♀は赤褐色型だね。想像してたよりも赤っぽい。戦国武将の兜に、こうゆう色艶のものが有りそうだね。

前胸背板前部は深く陥没し、♂の後縁中央にある山状の弱い突起がサイカブトは2つなのに対し、3つある。
以上の点で充分区別できそうだが、小さい個体だと判然としないのもいるそうだから、一応、他の区別点も列挙しておこう。

▪雄の胸部背面中央の窪みを取り囲んでいる帯状の浅い溝は、サイカブトでは後方で途切れるが、ヒサマツサイカブトでは繋がる。
▪雌は胸部背面の後方中央に長方形の浅い窪みがある。
▪上翅の点刻がサイカブトよりも細かく滑らかで、光沢がある。一方、サイカブトは点刻が粗く、光沢も弱い。

成虫の発生期は、6~11月。
サイカブトは年中いるが、ヒサマツは夏から秋しかいないんだね。
ヤシ科の常緑高木、ダイトウビロウ(ビロウの変種)の林に生息し、灯火に飛来するが、数が少なくて生態については不明な点が多い。

【ビロウ(蒲葵・枇榔)】

(出展『Inaho Farm』)


(出展『宮崎と周辺の植物』)

おそらくサイカブトと同様に幼虫は枯死したビロウの幹の腐植物を餌にしていると推察されている。って事は卵も幼虫も見つかってないの❓
どうやら、しばしば「幻の」とも形容されるくらいに極めて稀な存在で、全部で10頭ちょっとしか採集されていないようだ。レッドデータブックでも沖縄県の絶滅危惧種IA類に指定されており、県内で最も絶滅に瀕した昆虫類の一つとされている。

南大東島には、わざわざハマヤマトシジミを採りに行ったのだが(当時は確実に採れたのは大東諸島だけだった)、面白い島だったし、一瞬採りに行ったろかと思った。けど2019年に種の保存法により採集禁止となっていた。残念なりよ。

【ハマヤマトシジミ♀】


(2013.2.24 南大東島)

ちなみに、6枚目は製糖工場ね。この寂寥感のある独特の風景を見て、とんでもなく遠い所に来たなと実感したっけ。
まるで古き良き昭和の時代にタイムスリップしたみたいで、絶海の島は浪漫ある島だったよ。
もう1回行きたいなあ…。海は綺麗でダイナミックだし、あのメチャメチャ美味いけど3切れ以上食うと、その場で脱糞してしまうという恐るべし魚、インガンダルマも又食べたい。
それに東洋一美しいとも言われる鍾乳洞、星野洞にも結局入れていないもんね。


(出展『ニッポン旅マガジン』)

南大東島はサンゴ礁が隆起してできた島で、ほぼ石灰岩で形成されており、鍾乳洞がおよそ120カ所もあると言われている。
その中でも星野洞は最大級とされ、長さ375m、約1,000坪もの広さがあるのだ。
けれど、入口まで行ったけど入れなかった。入るには事前に予約が必要なのである。

ところで、和名の頭に冠せられる「ヒサマツ」という名の由来は何だろう❓地名のようだが、南大東島にそんな地名あったっけ❓記憶にないぞ。それに地名ならば、普通は「ダイトウサイカブト」と名付けるだろうに。
蝶屋だったら、ヒサマツといえば真っ先に頭に浮かぶのがゼフィルス(シジミチョウのキラキラグループ)界のスター蝶であるヒサマツミドリシジミだ。もしかしてヒサマツサイカブトの名前の由来は、このヒサマツミドリと何か関係があったりして…。

【ヒサマツミドリシジミ 久松緑小灰蝶】

(2014.6.25 京都市杉峠)

ヒサマツミドリシジミの名前の由来は、1933年に鳥取県にある久松山(きゅうしょうざん)で最初に発見されたからだ。命名者が山の名前を読み間違えたのか、ワザと読み換えたのかは諸説あるようで定かではないが、どちらにせよ鳥取県の山と絶海の島に棲むヒサマツサイカブトとに接点があるとはとても思えない。
なので調べてみたら、由来は全然違うサイドからの命名であった。
ヒサマツサイカブトが最初に採集されたのは1957年で、採集したのは愛媛大学の久松定成教授。ようは氏に献名されたというワケだ。人名の可能性がある事をすっかり忘れてたよ。
だから学名の小種名である”hisamatui”も久松氏のことを指す。

でも採れたのは♀2頭だった。すぐに記載されなかったのは、おそらく♂が採れていなかったからだろう。そしてその約40年後の1999年に、佐藤勝氏により初めて♂が採集された。それに拠って新種であることが判明し、2002年に漸く新種記載の運びと相成ったものと思われる。
ただ最近は全く採集されていないという噂もある。2000年前後に南大東島でもサイカブトの侵入が確認された事から、その後、ダイトウサイカブトが生存競争に敗れてしまい、絶滅したのでは❓と憂慮されている。

余談だがネットで『〜大人のための甲虫図鑑〜クワガタムシ・カブトムシの知られざる世界』というクソ長いタイトルのサイトを見つけた。そこのヒサマツサイカブトの欄に、こういう記述があった。
「位置的に、フィリピンやインドネシア、またはミクロネシア方面から海流によってもたらされたものと考えられる。」
たぶん南大東島のみの特産種だから、古い時代にフィリピンやインドネシア、ミクロネシア方面から海流に乗って辿り着き、そこで独自進化したのではないかと云うようなことが仰っしゃりたいのだろう。

あれっ❓このサイトのヒサマツサイカブトの画像って、添付した『フィールドガイド 日本のクワガタムシ・カブトムシ観察図鑑』の画像と同じだね。確認したら、どちらも著者は吉田賢治となっている。ワシは蝶屋だから詳しくは存じ上げないが、それでも名前くらいはお聞きしたことがある。多分、クワガタ界のレジェンドと呼ばれてる人だ。
そんなレジェンドにカブ&クワ素人のワシがおこがましくも言っちゃうけど、この海流に運ばれた説って果たしてホントかね❓一見、説得力がありそうだけど、どうも納得がいかない。そもそも何が漂着して、ヒサマツサイカブトに進化したのだ❓書いてないからワカランぞなもし。画像を使わせてもらっといて申し訳ないけど、そうゆうのは書いとくべきでしょうよ。まあ紙面の関係とかもあるんだろうとは思うけどさ。

で、調べた結果、どうやら考えられるのは Oryctes gnuのようだ。ちなみに、和名はオオサイカブトムシ・グヌサイカブト・オオハビロサイカブトと3つもある。以下、和名は学名そのままのグヌサイカブトで話を進めてゆきます。

(グヌサイカブト)

(出展『小学館の図鑑NEO カブトムシ クワガタムシ』)

55〜72mm。ヒサマツよりも大型だが、外部形態から近縁種とされ、インドシナ半島、マレー半島、インドネシア(ボルネオ島・スマトラ島・ジャワ島・スラウェシ島)、フィリピンに分布する。サイトによっては、スリランカやニューギニアも分布地に含めている。
にしても、ミクロネシアは入ってないぞ。何だか胡散臭いな。
一応ネットで検索したら、ミクロネシア連邦のサイカブト関連記事にはヒットせず、出てくるのはその北に位置する北マリアナ連邦のものばかりだった。どうやらグァム島にサイカブトが侵入してヤシの木を食害しているようだ。2007年辺りに侵入が確認され、その後、急速に被害が拡大しているみたいだ。

一瞬、海流じゃなくて地史と関係あるかも…という考えがよぎった。太古の昔には大陸と沖縄本島は陸続きだった。ゆえに南大東島も陸続きになっていたかもしれないと思ったのだ。その繋がっていた時代に祖先種がやって来て、後に大部分の陸地が海の底に沈み、島に取り残されたものが独自に進化したのではあるまいか…。
けんど、すぐに気づいた。南大東島は海洋島で、一度もどこの陸地とも繋がってはおらんのだ。となると、まさかフィリピンやインドシナ半島から飛んでは来れないだろうから(たぶん体が重過ぎて長距離は飛べない)、やっぱ海流に運ばれて来た可能性が高いという事になる。
だとすれば、グヌサイカブトの分布域の中で、ヒサマツの故郷である可能性が一番高い場所は何処だろう❓
それをさぐる前に、南大東島と各地域との位置関係を確認しておこう。


(出展『風景印のある風景100選』)

絶海の孤島みたいなもんですな。大東諸島は沖縄県だが、沖縄本島から東に約400キロも離れており、間に島らしい島はない。

お次は、一応のミクロネシア連邦。


(出展『ミクロネシア連邦大使館』)

そして、アジアの地図である。


(出展『アジア地図』)

フィリピンの真下のKの形をした島がスラウェシ島で、その左隣の島がボルネオ島である。えーい、面倒くせー。インドネシアとマレー半島、インドシナ半島の位置関係が解る地図を貼付じゃい❗


(出展『旅行のとも、Zen Tach』)

これでジャワ島とスマトラ島の位置も御理解戴けたかと思う。それにしても、えらく大ごとになってきたな。嫌な予感がするよ。ぬかるみの迷路に入り込んだ可能性大だ。

距離だけを考えれば、一番近いのがフィリピンである。次はベトナム(インドシナ半島)だろう。その次が微妙で、ボルネオ島かスラウェシ島、或いはグヌサイカブトが分布するかどうかワカランがミクロネシアかな。以下、目測だけどニューギニア、ジャワ島、スマトラ島の順になるかと思われる。
とはいうものの、距離だけでは場所の特定はできない。海流に運ばれてきたのなら、大東諸島へ繋がる海流でなくてはならないからだ。いくら距離的に近くとも、海流が逆向きなら辿り着けないのである。


(出展『国際深海科学掘削計画』)

アメリカ大陸から流れてきた北赤道海流はフィリピン付近で主に北上する。コレが所謂ところの黒潮という奴だね。と云う事は、グヌサイカブトはフィリピンから流れて来た可能性が十分にある。
一方、フィリピンより下の海流は南下している。となれば、スラウェシ島やジャワ島、スマトラ島に棲むグヌサイカブトは、海に乗り出しだとしても南大東島には辿り着けないだろう。

ではインドシナ半島&マレー半島、ニューギニア、ミクロネシアの可能性はどうだろう❓
しかし、この図には示されていない。他の図を探そう。


(出展『VEHA』)

この図では、ミクロネシアならば北上する海流もあるから、南大東島に辿り着ける可能性はある。でも微妙なところではある。なぜなら、西へと向かう流れなら北上できるが、並行して東へと流れる海流もあるのだ。とは言うものの、グヌサイカブトは、たぶんミクロネシアには居なさそうだもんなあ。
インドシナ半島&マレー半島周辺の海流は南に向かって流れてるね。ニューギニア周辺の海流も北上はしてなさそうだ。
でも、もうちょいインドシナ半島周辺の海流を詳しく知りたいところだ。


(出展『東京情報大学 水圏研究計画』)

この図によると、インドシナ半島を北上する海流もあるね。これならベトナムからの渡航の可能性も有り得るかもしれない。しかし、沖合を南下する流れの方が強そうだ。それに北上できたとしても、海南島を過ぎた辺りで南向きの海流に押し戻されそうである。そして、たとえ一部が沿岸ぞいの流れで北上できたとしても、台湾と中国との間(台湾海峡)を通る潮流に乗ってしまい、次に合流するのは対馬暖流っぽい。これでは南大東島には辿り着けそうにない。

となると、やはり距離的にも海流的にもフィリピンの可能性が一番高そうだ。
ならば、グヌくんの黒潮に乗った壮大なる冒険の旅を検証してみよう。


(出展『日本大百科全書』)

大東諸島の近くには黒潮反流というのが流れているらしい。沖合を南西方向に流れ、その流速は1km内外だそうだ。コレに捕まったら、反対方向の流れだから島には着けないね。余談だが、南大東島は沖縄本島との文化交流はあまりなく、むしろ伊豆諸島の文化が入り込んでいる。うろ憶えだが、開拓前に八丈島辺りから漁師がこの黒潮反流に乗って漂着したと云う記録がある筈だ。後に明治時代に島に入植したのも八丈島の島民だったと思う。入島した時は鬱蒼としたビロウの密林だったらしい。きっとその頃にはヒサマツサイカブトも沢山いたに違いない。その後、開拓により森の大半は失われ、数を急激に減らしたのだろう。

話を本筋に戻そう。
そうなると、黒潮反流の南を流れる亜熱帯反流に乗らなければ島には辿り着けない。運次第のかなり厳しい旅だ。辿り着ける確率はかなり低い。それでも最も可能性があるのはフィリピンだろう。

しかしネットで調べたら、辿り着ける確率はもっと低そうだ。
『比蝶のブログ』には、フィリピンのグヌサイカブトについて以下のように書かれてあった。
「スマトラやボルネオでは比較的多く見られるのだが、ここフィリピンではとんでもなく集まりが悪い。それなりにここでがんばってきたがフィリピンでは珍品なのは間違いない。レイテ・サマールやカタンドゥアネス島などは年数回みる機会があったが、究極に難しいのがパラワン島のOryctes gnu。極稀にしか正体を現さない・・・。年間1頭どころか数年に1頭レベルの激レア産地なのである。」

こんなレアものが偶然に海流に流され、たまたま絶海の島に辿り着く可能性って、果たしてどれくらいあるのだろう❓殆ど奇跡に近いよね。

続いて、他の地域に生息するグヌサイカブトについても検証してみよう。
と思ったが、その前に驚愕の資料を見つけてしまった。
何気に『フィールガイド 日本のクワガタムシ・カブトムシ観察図鑑』をもう一度見たら、見逃していたが解説欄もあった。


(出展『Amazon』)

そこには以下のような事が書かれてあった。

「小型種
体長 45〜55mm
[形態]
♂♀共に黒色で、身体は大きく太い。♂♀共に身体は厚く楕円形で頭部が小さく、上翅には縦筋がある。♂♀共に頭には突起物があり、♂は♀よりもやや大きい程度。♂の前胸中央はやや凹む。」

♂♀共に…連発で変な文章だな。
あれっ❓、他の文献だと体長は45〜49mmじゃなかったっけ❓6mmも大きいじゃないか。なのに小型種とある。ワケわかんねーぞ。それに赤褐色の個体には触れてないね。
「上翅には筋がある。」という記述も気になる。だって、サイカブトもヒサマツサイカブトも筋はあるからだ。コレは何を言わんやとしているのだろう❓まあいい、先に進もう。
いや、ちょっと待て。
「♂♀共に頭には小さな突起角があり、♂は♀よりやや大きい程度。」とな。
(・o・;)えっ、小さな❓♂♀共に小さな突起角❓♀の角は小さいけど、♂の角は小さくないのでは❓

「[生態]1年1化型。
夏に生まれた幼虫は翌年の5〜7月に変態し、羽化した成虫は10日ほど蛹室内にとどまった後、発生する。発生は6月に始まり、7月にピークを迎える。7月中旬〜8月初旬に個体数を最も増す。8月下旬になるとあまり見られなくなる。ミミズの死体や動物の糞にも来る。やや夜行性が高く、夜間の活動が中心。」

先ず驚いたのは、生態に不明な点が多いと聞いていたけど、幼生期まで解ってるの❓それに発生についても詳しく書かれている。でもって、この書き方だとそこそこ採れるような感じじゃないか。10頭ちょっとしか採れてなかったんじゃないの❓
でもレジェンドなんだから、極めて有効な採集方法を編み出してタコ採りしたのかもしれない。
ミミズの死体や動物の糞にも来るってのも驚きだ。最初は、へー、肉食性でもあるんだと思った。けれど近縁のサイカブトには、そうゆう生態は見受けられなかった筈だ。
一応、隣のサイカブトのページを見たら、全く同じ事が書いてあった。それって、やや近縁で肉食性のコカブトの生態と混同してないかい❓
或いは、生態が不明だとか極めて稀だとかの、ワシがヒサマツサイカブトについて調べて知った情報は古いのか❓
それはさておき、「やや夜行性が高く、夜間の活動が中心。」って何だ❓それって表現が矛盾してないか。ややって何だ❓これだと昼間4、夜6の割合で活動してるけど、夜中心に活動してまーすと言ってるようなもんだ。レジェンドは天才だから独特の物言いをするのかもしれんが、だとしたらワシら凡人には理解できましぇーん。

「インドネシア(ニューギニア島を含む)、フィリピン方面からの外来種。サイカブトが棲息していることから、独立繁殖など定着はしないと考えられる。また、タイ地域にほぼ同じものが分布していることからタイからの外来種とも考えられる。」

おいおい、外来種かよ❓ヒサマツサイカブトって、南大東島の固有種じゃなかったんじゃないの❓それにサイカブトが棲息しているから独立繁殖が出来ずに定着はしないって、どうゆう事だ❓元々、島にはヒサマツサイカブトがいて、後からサイカブトが侵入してきた筈だぞ。
「独立繁殖など定着はしない」ってのも意味不明だ。これだと何だかたまに流されて来るけど迷蝶みたいなもんで、繁殖できずに定着はしないって言ってるようにしか聞こえん。完全に外来種扱いじゃないか。
それともサイカブトと交配して特徴が埋没してしまうって事❓まさかの、密かに交配実験を何度も繰り返した上での意見❓

「タイ地域にほぼ同じものが分布しているのでタイからの外来種と考えられる」ってのも、乱暴だなあ。ほぼ同じだからって同種扱いして、挙句には外来種にまで仕立ててしまうなんて荒技すぎるわ。もしかして生態面や発生期についても、ほぼ同じと考えてるタイ産のモノの事を流用して書いているのか❓だとしたら、言ってる事の辻褄は合ってくる。とはいえ、何らそれについての説明がない。もしもタイ産の生態ならば、そう書くべきだ。
それに大きさはヒサマツサイカブトが45〜49mmに対してグヌサイカブトは55〜72mmだから、グヌの方が明らかにデカイ。となると、同種扱いにするのはオカシイ。「ほぼ同じもの」ってグヌの事じゃないの❓もしやグヌじゃなくて、別な種類のサイカブトだったりして…。

にしても、タイから海流に乗ってやって来たというのも信じ難い。ベトナムより遠いじゃないか。
タイの国土は南北に長く、1620kmもある。そして上半分が内陸である。つまり、上半分の内陸部からは来れないと云うことだ。海に面しているのは下半分のバンコクから南、マレー半島北部までだが、そのうち外洋に面しているのはマレーシアと隣接した僅かな部分しかない。そこから南大東島に辿り着くなんて至難のワザだ。内湾部からなら尚更だ。フィリピンからの漂着でさえ奇跡的な事なのに、その確率たるや目眩(めまい)がしそうだ。

でも、海流に運ばれて南大東島に来たのは間違いなさそうだ。何れにせよフィリピンかどっかから、はるばる旅して来たのだろう。そして、その旅はとても長かった筈だ。飢えに耐え抜いたという証左でもある。これも又、奇跡だろう。偶然にヤシの木ごと流されたのかもしれない。木の内部にいる時に、そのまま流されたとかさ。それでも過酷極まりない状況下での旅には変わりあるまい。
グヌサイカブトの冒険の旅に想いを馳せる。波に揉まれ、熱帯の灼熱の太陽に灼かれ、そして時には嵐にも翻弄されただろう。でも、ひょんな事からお魚の友達ができて、励ましてくれたかもしれない。で、お約束のようにサメに襲われて絶体絶命のピンチになるのだ。
何だかドラマチックだなあ。ディズニー映画の題材になりそうじゃないか。

「[産卵・幼虫]
♀は朽木が土化したものに産卵する。幼虫期間は約9〜10ヶ月。」

さっき書いたけど、これだと幼生期も判明している事になる。
けど、累代飼育とかの話は全然聞かない。あっ、採集、飼育、売買はおろか、譲渡でさえも禁止されてる天下の悪法「種の保存法」に指定されてるから無理か…。けれど指定されたのは2019年だ。ならば、それ以前の記録なり噂なりがある筈なのに、とんと聞かない。

一応、ワシが妄想で書いていると思われても困るので、観察図鑑の解説ページの画像も貼り付けておこう。


(出展『フィールドガイド 日本のクワガタムシ・カブトムシ観察図鑑』)

そして、その下に囲い込みがあった。もう面倒だから、これも画像を貼り付けておく。

10頭ちょっとしか採れてないと言われる珍品の採集難易度が、やや容易の★★星2つだとー❓❗
(-_-メ)ナメとんかワレ❗❗
武闘派の血が騒ぎ、一瞬、気色ばむ。
でもやっぱレジェンドはプロ中のプロの筈だから、きっと南大東島でタコ採りしたんだろう。で、標本が出回っていないのは、ヒサマツが絶滅する事を見越して誰にも譲渡も売買もしていないのだろう。後々、値段がハネ上がるからね。だとしたら、流石のレジェンドだ。いや、だからこそレジェンドと呼ばれるのだろう。
あー、でも種の保存法に指定されちゃったから売り飛ばせないか。だったら捕らぬ狸の皮算用だったのね。いやいや待てよ。レジェンドなら、指定される噂を事前にキャッチして高値で売り捌いたに違いない。買った方は法律上それを口外できないし、しないから完全犯罪だ。あっ、施行前だから犯罪にはならないか。

でもなあ…、大きさを45〜55mmと他文献よりも大型サイズの表記にしている事からも、やはりタイ産とか海外産の事を指している可能性が高い。でも本のタイトルには「日本の」と付いてるぞ。
それはさておき、その下の採集方法にも(? _ ?)だわさ。樹液採集が入っとるじゃないか。
サイカブトはサトウキビの維管束や腐果を餌としているが、本土のカブトムシのように樹液に来ることは殆どない筈だぞ。ならヒサマツも同じ生態の可能性が高い。おかしな事だらけだから、もしかしてレジェンド、テキトーに書いてるのか❓採るのと飼育するのはプロでも、学術的な知識にはやや欠けるのかも…。
いや、レジェンドなんだから、んなワケなかろう。そうじゃない事を祈るよ。近縁だからって生態が全く同じだとは言えないからね。ワシの見立てが間違ってて、樹液にも来るのかもしれない。
ピコリーン💡。そうだ、もっと詳しい最新の図鑑を見てみよう。それで事実がすんなり判明するかもしれない。

先ずは、2012年発行の『日本産コガネムシ上科標準図鑑』を見る。多分それが一番手っ取り早く、正確且つ新しい情報だと考えたのだ。


(出展『学研出版サイト』)

図版には冒頭に掲げた赤茶色の♀と同じ個体のみしかなく、♂は図示されていなかった。と云う事は、珍稀種である事を如実に物語っていそうじゃないか。
とはいえ、解説を読んでみないとね。けど、段々ダレてきた。書き写すのが邪魔くさいので写真を撮って貼付しちゃう。

やはり「採集例が少なく、生態など不明な点が多い。」と書いてあるじゃないか。分布も「南大東島だけから知られており、最近の採集記録はない。」とあるし、生態も「未詳」とある。
(ノ`Д´)ノ彡┻━┻どりゃあ〜、何がタイからの外来種じゃい❗

それに2014年に発表された大東生物相研究グループによる『大東諸島の固有生物相を支えるダイトウビロウの保護に関する緊急調査』という論文も見つけた。
その論文には「大型のカブトムシの仲間であるにもかかわらず近年になって記載された南大東島の固有種である(Nagai 2002)。これまでに発見された個体は極めて少なく,その生息状況や生態については全く知られていない。(田川 2003)」と紹介されている。つまり研究者のあいだでは、間違いなく南大東島の固有種として認識されているのである。
この論文には、生態面についても興味深い記述があるので、併せて紹介しておこう。

「今回,南大東島の住民から聞き取り調査を行なった結果,30年以上前に海岸部の山火事で立ち枯れ状態になったダイトウビロウの幹の腐植物の中からヒサマツサイカブトムシと思われる個体を採集したとの情報を60歳代の男性から得られた。また20年ほど前に自宅に植栽されていたダイトウビロウが枯死し,立ち枯れ状態となったダイトウビロウの内部から,ヒサマツサイカブトムシと思われる成虫や幼虫を複数採集したとの情報も得た。これらの個体が,タイワンカブトムシ(サイカブト)であった可能性も考えられるが,同時期に南大東島で採集されたタイワンカブトムシの標本はこれまでに発見されておらず,いずれもかなり大きなカブトムシであったとのことからヒサマツサイカブトムシである可能性が高いものと思われる。このような聞き取り調査の結果からも,本種がダイトウビロウの枯死木で繁殖している可能性は極めて高いものと思われる。」

あくまでも聞き取り調査である事を忘れてはならないが、信憑性はそれなりに高そうだ。

詳細な採集データもあった。
「一方,採集データが保存されていた11個体の成体の採集日は,6月1日,6月8日,6月21日,7月22日,7月23日,8月2日,8月(日付不明),8月(日付不明),9月5日,9月15日,11月15日であった.これらの採集情報からは本種の成虫は,おもに6月上旬から11月中旬にかけて活動しているものと思われる。また,採集地点の詳細が明らかな6個体については,いずれも内幕のダイトウビロウ林周辺で灯火に飛来した個体であった。また,各標本の性別は雄が5個体で雌が6個体であった。」

10頭ちょっとというのはこの事だろね。それにしても♂はかなり珍しいと思ってたけど、結構採れてるんだね。
(・o・;) ん❓ちょっと待てよ。ネットの『読者メーター』で、♂を最初に見つけた佐藤氏の著者『珍虫ハンターの海外旅行記』が紹介されてたけど、その読者感想レビューには♂は1頭しか採れてないとか書いてなかったっけ❓
確認したら、矢張りそうだった。
「あと、ヒサマツサイカブトの♂はこの筆者の佐藤勝さんが発見した1匹しかいないとは知らなかった。」
って事は、その後にオスが4つ採れたっていう事❓それはちょっと怪しくないかい❓何かヒサマツサイカブトの情報って錯綜していて、どれがホントでどれが間違ってるのかワケわかんないぞ。

とにかく、この論文とコガネムシ図鑑の解説とで固有種である事には間違いなかろう。一件落着だ。
けど、確認のために『フィールドガイド 日本のクワガタムシ・カブトムシ観察図鑑』の出版年も見ておこう。

(┛◉Д◉)┛彡┻━┻どひゃあ〜💦
何と2015年になっとるやないけー。となれば、この図鑑の情報が一番最新って事になっちまうぜよ。
かくなる上は、アジアの他の種類のサイカブトをあたってみるしかない。タイに別種のサイカブトがいたら、そいつがヒサマツサイカブトそのもので、そやつが流されて来たかもしれないのだ。

しかし、今森さんの『世界のカブトムシ』にはグヌサイカブトさえ載っていないし、岡島秀治著、黒沢良彦監修の『世界のカブトムシ1』には、サイカブトとグヌサイカブトしか載っていなかった。

もう頼りは水沼さんの『Giant Beetles コレクションシリーズ テナガコガネ・カブトムシ』くらいしかない。

そこには、サイカブト、グヌの他に「O.heros」というチモール島特産の珍品と「O.centaurus」というニューギニア産のサイカブトしか載っていなかった。ちなみに、サイカブトの仲間の多くはアフリカに分布している。アフリカで生まれ、分化してアジアにも分布を広げたのだろう。

(Oryctes heros ♂)

頭部の角状突起が非常に長いが小型種である。なのでコヤツが南大東島に渡ってヒサマツになったとは思えない。珍品だし、チモール島は遠すぎだろ。

(Oryctes centaurus)

3と5が♂で4が♀である。グヌと大きさ的にも形態的にも似ているが、前胸背の窪みの上部の形、つまり後縁中央にある山状の弱い突起の形が違うようだ。
コレなら可能性はあるかもしれないが、より分布の広いグヌの方が漂着する可能性が断然高いだろう。あっ、もしかしたらレジェンドはコヤツをグヌのニューギニア亜種と考えて、ニューギニアを分布地に含めたのか❓
とにかくアジアには、これ以外の別種のサイカブトはいない。つまり、権威である水沼さんでさえもインドシナ半島にはサイカブトとグヌサイカブトしかいないと言ってるのと同じだ。やはりレジェンド吉田氏の書いてる事はオカシイ。しかし発行年は『世界のカブトムシ1』が1985年、水沼さんの図鑑が1999年だから、何れもレジェンドの観察図鑑よりも古い。となると、その後に新たな分類が提示され、インドシナ半島のグヌは別種になったかもしれないのだ。可能性は低いとは思うけどさ。けど、海外の論文までは追いきれないから真偽のほどは分からない。
他に海外産のカブトムシ関係の図鑑は見つけられなかったし、月刊むしの『世界のカブトムシ』は上巻の南北アメリカ編しか出てない。まだ下巻は発行されてないのだ。もうお手上げである。
(༎ຶ ෴ ༎ຶ)ダァー。誰か、正しい分類を教えてくれよー。

何だか頭がグチャグチャになってきた。もしかしてヒサマツサイカブトはグヌサイカブトから分化したものではなく、O.rhinoceros、普通のサイカブトからの分化だったりして…。

でも『日本産コガネムシ上科図説』には、ハッキリと書いてあった。

生態の欄には、不明(生態が)とあり、最後の方に「東南アジアに分布する O.gnu Mohnike 1874 のグループに属する。」と明瞭に書いてある。
やっぱ、ヒサマツサイカブトと最も近い関係にあるのはグヌサイカブトだったじゃないか。

けど、話はコレで終わらない。
改めて図版の解説を読んでコケる。

雌雄の区別の欄に、何と「外見上の差異はほとんどなく、交尾器による区別が確実。」と書いてあるではないか。
そして驚いた事に図版の1から4は♂で、5と6が♀らしい。
え━━━━\(◎o◎)/━━━━っ❗
全部♀だとばかり思っていたが、♂なのに角が♀みたく短いじゃないか。
謎が謎呼ぶ、新たな謎の登場である。ちなみにこの図鑑の発行年は2006年だから、♂は既に発見されている。つーか、既に記載されてんだから、著者は角の長い♂がいる事は知ってた筈だ。それを図示しないばかりか、触れてもいない。
でも、右下には♂の交尾器まで図示されてるもんなあ…。8が♂交尾器背面で、9は♂交尾器側面とある。ならば、たとえ角が短くともコヤツは♂なのだろう。

ここで漸く思い出す。そういや小型個体は雌雄の判別がつきにくいんだっけ❓いや、小型の個体だとサイカブトと間違えやすいんだったっけ❓何か記憶回路がショートしてきた。冷静になろう。
考えてみれば、レジェンドの観察図鑑には「♂♀共に頭には小さな突起角があり、♂は♀よりやや大きい程度。」と書いてあったな。という事は、レジェンドの見立ては正しかったのか…。だったら、それについてはゴメンなさいだ。

思い出した。♀は腹端部に黄褐色の長毛を密生するが、雄は無毛だった筈だ。ソレで解決だろう。改めて図版の裏面写真を見る。
(-_-;)ビミョー…。♀と比べて毛は少ないのだが、無毛ではないのである。

生態欄にも混乱するような事が書かれていた。
「標本のほとんどは1950〜60年代の採集品であり、再発見が期待される。」とある。
再発見が期待される❓もしかして、この著者達は1999年に発見された角の長い♂の標本を見ていないのだろうか❓となると、新種記載の時にタイプ標本に指定された個体も見てないって事❓何だか矛盾だらけじゃないか。そんなんで図鑑なんて書いていいのか❓おかげで益々の謎だらけじゃないか。
w(°o°)wあっ、もしかして角の長い♂は、佐藤氏が1999年に採集したモノだけだったりして…。じゃあ、佐藤氏が採ったのは本当にヒサマツサイカブトなのか❓それこそグヌサイカブトだったりして…。ここへ来て、また新たなる謎の壁にぶつかった。

けれども、それも含めてヒサマツサイカブトの数々の謎は永遠に解けないかもしれない。
既に述べだが、最近は全く採集されていないようなのだ。2014年に発表された大東生物相研究グループの論文『大東諸島の固有生物相を支えるダイトウビロウの保護に関する緊急調査』でも「過去5年間で数個体の発見例しかなく、生息個体数は極めて少ないものと推察される。」と書かれてあったし、調査の際にヒサマツが採れたとも書いていなかった。
そんな状況にも拘らず、年々農地整備や道路設置などによりビロウ林の減少や分断が進んでおり、生息環境が悪化しているという。ヒサマツが生き延びるには、繁殖場所となるビロウの枯死木が常に供給されるような大きなビロウ林が必要なのだ。
そして、既に触れたが2000年前後に南大東島にもサイカブトが侵入し、ビロウ林に大きな被害を与えている。ならばサイカブトとの種間闘争は避けられないだろう。そして、その闘いはヒサマツにとっては極めて不利だ。サイカブトは年中活動しているが、ヒサマツの発生期は夏から秋と短いし、大きな体の分だけ餌の量もサイカブトよりも必要だろう。またその期間も、より長くなる可能性が高い。繁殖力に大きな差があるのだ。これでは対抗できるワケがない。
さらには、近年は外来種であるオオヒキガエルとミヤコヒキガエルが激増して高密度に生息しており、灯火に飛来した昆虫類をガンガンに捕食しているため、本種への影響も懸念されている。
ヒサマツさん、絶体絶命だ。一応、サイカブトをトラップで駆除しているらしいが、あまり効果はないようだしさ。
えっ(☉。☉)、トラップで駆除❓おいおい、ヒサマツサイカブトムシの小型個体は、研究者でもサイカブトとの識別が困難じゃなかったっけ❓そんなの、島民が駆除する際に判別できんのかよ❓ヒサマツを誤って捕殺する可能性は高いよな。
こりゃ、きっと限りなく絶滅に近い状態だな。いや、既に絶滅している可能性の方が高い。あげなサトウキビ畑だらけの小さな島だ。そもそも棲息可能な場所は極めて狭いのだ。そこで探しても見つからないという事は、自ずとそうゆう公算が高いと言わざるおえないだろう。記載からたった20年くらいで消えてしまうなんて例が果たして過去にあるのだろうか❓あったとしても、前例は極めて稀なんじゃないか❓もし絶滅してたら酷い話だし、日本の恥でしょうよ。環境省、糞喰らえだ。

絶滅ならば、まだ解明されてない生態は永遠の謎として残ることになる。
又この論文では、学術的な意義として「海洋島である南大東島の昆虫相の形成過程やOryctes属の海洋分散と種分化を研究する上で重要な種である。」と評価している。その検証も儘ならないという事になりそうだ。

書けば書くほど、何だか悲しくなってきた。
南大東島は元々はビロウの原始林に覆われた島だったのだから、かつてはヒサマツサイカブトにとって天国のような所だったに違いない。なのに人間が入って来たばかりに、この世から永遠に消えようとしているのだ。
絶海の島の悲しき犀。奇(く)しくも動物のサイと同じような運命を辿っているんだね。なんだか哀れだよ。

あの南大東島の星降る夜空を思い出して見上げる。
せめて祈ろう。此の世からいなくなってしまう生き物なんて有ってはならないのだ。

                  おしまい

 
追伸
環境省には、せめてもの罪滅ぼしに、自ら音頭をとってDNA鑑定をして、種の解明くらいはして欲しいよね。まだ絶滅したとは決まってないけど。

参考文献
◆『学研の図鑑 カブトムシ・クワガタムシ』
◆『小学館の図鑑NEO カブトムシ クワガタムシ』
◆吉田賢治『フィールドガイド 日本のクワガタムシ・カブトムシ観察図鑑』
◆『日本大百科全書』小学館
◆『日本産コガネムシ上科標準図鑑』岡島秀治・荒谷邦男
◆『大東諸島の固有生物相を支えるダイトウビロウの保護に関する緊急調査』大東生物相研究グループ 2014
◆酒井香・藤岡昌介『日本産コガネムシ上科図説』
◆岡島秀治著 黒沢良彦監修『パーフェクトシリーズ22 世界のカブトムシ1』講談社
◆水沼哲郎『Giant Beetles コレクションシリーズ テナガコガネ・カブトムシ』ESI
◆今森光彦『世界のカブトムシ』アリス館

インターネット
◆『Wikipedia』
◆『画像あり。(´・ω・`)』
◆東 和明『南大東島まるごとミュージアムを確立する』
◆『http;//www.pref.okinawa.jp』
◆吉田賢治『〜大人のための甲虫図鑑〜クワガタムシ・カブトムシの知られざる世界』
◆『比蝶のブログ』
◆『国際深海科学掘削計画』
◆『VEHA』
◆『東京情報大学 水圏研究計画』
◆『Inaho Farm』
◆『宮崎と周辺の植物』

 

奄美迷走物語 其の七

 
  第7話『マリア様の島』

 
2021年 3月24日

今日も天気が悪い。
空は雨の予感を孕んでいる。酒がまだ残っていて、体も重い。
けれど少しでも可能性があるならば、尻っぽを振って逃げるワケにはゆかぬ。本日もバイクのレンタル代を払って知名瀬へと向かう。

 

 
朝9時半にポイントに着くが、案の定、何も飛んでいない。
する事もないので、とりあえず煙草に火を点けようとした時だった。突然、頭の中でナレーターの声が流れ始めた。

🎵チャチャッチャッチャーー。
その時、正義の味方イガ厶ワンのイガリンお天気メータの針は、ゼロを指していた❗ぽてちーん

すまぬ。わかりにくいだろうが、超人バロムワン(註1)が変身できなくてピンチに陥った時の気分なのだ。ピンチの際に必ず入るナレーションが『その時、バロムメーターの針はゼロを指していた。』なのだが、それが頭の中でテロップ付きで流れたって感じ。つまり頑張ってフィールドに出たはいいが、二日酔いと厳しい現状を目の当たりにしてパワーメーターの数値は限りなくゼロに近かったのだ。

🎵ヤゴヤゴヤ〜ゴの子守唄〜
🎵聴けば いつでも眠くなるー
🎵ふわぁ~と眠りが忍び寄るー
🎵ねんねんヤーゴよ ヤゴねむり~

しまったなり。二日酔いの腐った脳ミソはワケワカラズ、今度はいつの間にか敵の怪人ヤゴゲルゲ(註2)の唄を歌ってしまってるなりよ。

オデ、オデ、ブッ壊れそう(ㆁωㆁ)
何ら事態が好転する材料がないのである。本日の天気予報は最悪なのだ。あらゆる予報サイトが終日にわたって雨マークを示している。そして、明日も雨の予報だ。出発前の週間予報は比較的良かったのに、こっちへ来てからは信じられないくらいにドンドン悪い方向、悪い方向へと変わり続けてる。女心という女子共通の理解不能な心模様よりも酷い心変わりようじゃないか。女心を知るエキスパート&スーパー晴れ男の看板が泣いてるぜ。

1時間後、センサーが予知していたとおりポツポツ来た。
即座にコレはいかんと判断し、慌ててバイクに跨る。肌の雨センサーが動けと命じているのだ。こうゆう場合、様子見をしようだなんて悠長に構えている奴は、大概がズブ濡れになる。熱帯や亜熱帯では、雨に対する退避の決断が遅いと致命的になりかねないのだ。

慎重かつ大胆な走りで林道を引き返しながらも、冷静に頭を巡らせる。確か知名瀬の町に教会があった筈だ。民家だと気が引けるが、あそこなら問題なく雨宿りできるだろう。

 

 
教会に着き、バイクを降りたと同時にワッと雨が強くなった。急いで離れみたいな建物の下に駆け込む。ギリギリ、セーフ。我ながら迅速かつナイスな判断だった。もしも出発が1分でも遅れていれば、ここに着くまでにズブ濡れになっていただろう。それくらいの土砂降りだ。

30分程で小やみになってきたので、奥の空き地の草むらの様子を見に行くことにする。雨宿りしている間に思い出したのだが、2011年に訪れた時には、この集落の民家の庭でカバマダラが発生していた。位置的にみて、たぶん此処はそのすぐ裏手にあたる筈だと考えたのだ。飛んでいた環境も似ているしさ。

 
【カバマダラ】


(2010年 10月 大阪市福島区)

 
蝶採りを始めたばかりの頃は、カバマダラに対して普通種のイメージを持っていた。図鑑には宮古島以南では普通にいるみたいな事が書いてあったし、初めて採ったのは何と南の島ではなくて、大阪市内の淀川河川敷だったからだ。迷蝶として飛来したものが二次発生したものだろうが、そんなに遠くから飛んで来るという事は、現地には腐るほどいるものとばかり思っていたのだ。実際、その時はかなりの数が発生していた。
だがその後、実際に南西諸島に行ってみると、見るのはスジグロカバマダラばかりで、カバマダラは殆んど見かけなかった。

 
【スジグロカバマダラ】

(出展『日本産蝶類標準図鑑』)

 
結局、南西諸島で会ったのは、いまだに2箇所だけ。西表島で1頭と、此処で発生していた5,6頭だけだ。
翌年の春にインドシナ半島を旅して、日本で迷蝶として捕らえられる種の大半は何処にでもいる普通種なのだという事を改めて理解した。個体数か少なくて森林性の蝶が渡って来る確率は物理的に極めて低いのだ。補足すると、迷蝶はオープンランドに棲むタイプの蝶が圧倒的に多い。ちなみにカバマダラもオープンランドの蝶だ。なのにインドシナ半島でもカバマダラを見た記憶が殆んどない。他に採った明確な記憶があるのは、インドネシア・スラウェシ島の黒化した亜種だけだ。

 

(2013年 2月 Slawesi palu)

 
とはいえ、たまたまインドシナ半島では発生期の狭間だった可能性があるけどね。又はカバちゃんは人家のそばや空き地とかツマラナイ場所にいる事が多いから、そうゆう場所にはあまり行かないゆえに遭遇できなかった可能性もあるかもしれない。

草地の方向に歩いてゆくと、マリアの銅像が建っていた。

 

 
とても穏やかで、慈愛に満ちた美しい顔だ。
クリスチャンでも何でもないのに、思わず胸の前で手を組む。

おねげーですだ。アマミカラスアゲハの♀を採らせておくんなせー
 
草地を確認したが、カバマダラの姿も幼虫の食草であるトウワタも無かった。発生してないか…。また退屈に逆戻りだ。
手持ちぶたさで、教会の前までゆく。
今まで、あまりまじまじと見たことはなかったけれど、改めて前に立つと、何とも言えない風情があって美しいと思った。

 

 
あっ、ザビエルだ。フランシスコ・ザビエルの像があると云うことは、カトリックの教会っていうことかな。
考えてみれば、奄美大島って割りかし教会が多かったような気がする。島内各地で幾つか見た憶えがあるぞ。そういや、北部の笠利町にも一風変わった教会があったな。

 
【カトリック大笠利教会】

(出展『キリストとともに』)

 
なぜこの島には教会が多いのだろう❓
雨はまだ上がらなそうだし、退屈しのぎでググってみることにした。

理由はどうやら島の悲しい歴史と深い関係があるようだ。
江戸時代、薩摩藩の藩政下の奄美は年貢として黒糖の生産を厳格に課せられていた。米の栽培を一切認められず、貨幣の流通も禁止されていた。そのため島民は米などの生活に必要な物資を比率の悪い物々交換で得るしかなかった。
明治維新後、中央政府は黒糖の自由売買を認める。しかし鹿児島県はそれに先んじて県肝煎りの商社を作り、本土の商人に黒糖や大島紬の権限を牛耳らせた。西南戦争で県側が政府に負けると、ようやく島民も黒糖を自由に売買できるようになったものの、その後も県や警察による様々な圧力を受け、人種差別と仕組まれた経済格差に苦しみ続けられる。
当時の島の方言は沖縄のウチナーグチと似た方言で、本土では言葉が通じなかった。それが要因で明治初頭に起きた黒糖自由売買運動に失敗したとされ、その事がキリスト教の宣教師の招聘に繋がってゆく。
地元出身の検事や名瀬の有力者達は、このような奄美の位置付け、状況を変えるには先ずは島民意識を変える必要があると考えた。そこで「万民は平等」という西洋思想、つまりキリスト教の導入、布教を促すことにした。
1891年(明治24年)、鹿児島市ではプロテスタント、ロシア正教などのキリスト教各派が既に布教していたが、奄美からの要請にいち早く応じたのがカトリックだった。そして、その年の暮れにはザビエル教会の神父が島に渡る。教会はハンセン病などの診療所や教会建設などで島の人々に現金収入を得る機会を与えた。そして神父の知識、生活様式なども島の人々の好奇心をくすぐった。当時、島はノロやユタなど土着宗教が中心で、仏教もまだ浸透していなかったため、やがて多くの人々がこの新しい思想が信仰してゆくことになる。
しかし、不幸は終わらない。新しい宗教として島に浸透していったカトリックだが、その一方でローマを頂点とするピラミッド型の組織形態が軍部の警戒を呼ぶことになる。世界規模で拡大する戦乱により激動する時代、変わりゆく文化はやがて村落共同体の内部対立をも引き起こしてゆく。
そして大正時代になり、カナダ宣教会が入り、ミッション系女学校の大島高等女学校の運営を引き受けたことが「奄美大島カトリック迫害事件」の発端となった。
1923年にカトリック信徒の中学生2人が高千穂神社の参拝を拒否して退学となった。鹿児島新聞はこの事件にふれ「現在同島の三分の一はキリスト信者となり、その結果、過激な言動をなすものが増加し来たり」と報道した。とはいえ当時の実際の信者数は全体の5.6%にすぎなかったそうた。
さらに鹿児島新聞は、大島高女が教育勅語を奉読していないとして非難を強めた。
問題は昭和になっても燻り続け、カトリックに対する世間の風当たりは次第に強まってゆく。1933年(昭和9年)には邪教排撃運動が起こり、名瀬町民大会は国体に反するとされた大島高女の即時撤廃を求めることを決議、宣言し、それにより翌年の3月31日限りで廃校とすることが文部省により認可、1934年の臨時議会で廃校が決定される。
「スパイの学校」と非難された女学校がつぶれても、排撃運動は終わらず、宣教師には「南方要害の地、奄美大島にスパイとして送り込まれたのではないか?」という嫌疑がかけられる。地元の新聞は、その軍部などからの情報に乗っかり、スパイ視報道を展開するようになる。やがて全国紙の新聞にも「南の要塞の島で広大な土地を米英の宣教師が買い占めしている」「外国人宣教師はスパイか」「教育勅語に不敬罪か」などの過剰な見出しが紙面に踊るようになる。これは当時の政権への批判を、奄美大島が何処にあるかも知らない大多数の国民の目から逸らさせるためのスケープゴートとして捏造されたものだと言われている。
その年には、やむなくカトリック教会は時勢を鑑み、奄美大島から全ての外国宣教会、宣教師を引き上げさせる。
当時の奄美大島要塞司令部の報告書には「カ教教義は国体・国民精神と相容れず、かつ部落の統一・平和を害する」と書かれてあり、日本陸軍の教唆によるカトリック信徒への迫害が益々激化し、奄美大島は戦前最大のクリスチャン受難の地となってゆく。
1936年には、瀬戸内国防協会は大会を開いて「国土防衛の生命線たる奄美大島におけるスパイ容疑外人、並びに邪教カトリックの徹底的殲滅を期す」と決議。奄美のカトリック信者は改宗を強要され、軍幹部は各集落に出向いて「非国民だ」と恫喝して信徒を集めて監禁し、改宗しないと殺すとまで脅した。
弾圧方法は多岐にわたり「名士の啓発講座」や講演会などの名目で「全ての村民にキリスト教徒であることを止めさせれば、あなたも日本人になれる」などという姑息な方法も用いられた。「あなたも日本人になれる」というフレーズだが、補足説明すると、大正時代の奄美大島に住む小学生の夢は「日本人になりたい」だったという。つまり当時の島民は真の日本人として認められていなかったのだ。これは中央政府による巧妙な島民統治で、キリスト教徒弾圧に積極的に参加すれば「日本人になれる=民族自決権を勝ち取れる」と考えた島民もいたため、そこに目をつけて島民たちを分断させ、一致団結させないという意図があったようだ。
その統治方法は企みどおりとなる。青年団員がカトリック信者の墓を破壊したり、信徒宅に押し入って十字架、ロザリオ、祈祷書を奪い、かわりに天照大神の札を貼ったりという事件が頻発する。また憲兵たちからも迫害され「天皇とキリストのどちらが偉いか」などと詰問されたという。多くの教会が襲撃をうけ、笠利の教会は放火されて焼失した。そして11月には14のカトリック教会が鹿児島県に無償譲渡され、翌1937年には町村に無償で払い下げられた。役場となった聖心教会の十字架は切り倒され、替わりに日の丸国旗が掲げられた。改宗しないカトリック信者宅は、防空演習の標的となって消防団に放水され、家中が水浸しにされた。肺病の少女がいたカトリックの家も一連の防空演習により、少女が寝ていた布団ごと水浸しにされた。このような弾圧は第二次世界大戦が激化し、食糧事情が劣悪化するまで続いたそうだ。

現在、奄美大島にあるカトリック教会は全部で31カ所。
うち4つの教会ではミサは行われておらず、空き家のような状態で、この10年で信者の数は500人以上も減っているという。
それでも迫害時期を生き抜いた信者、その子孫は今も信仰に厚いという。

驚いたのは、暗殺されたアメリカ大統領 ジョン・F・ケネディーの葬儀で使われた祭壇が島内の教会にあるらしい。
調べると名瀬市街にある「カトリック名瀬聖心教会」だった。役場にされ、十字架を切り倒された教会だ。
それにしても、ナゼに名瀬にミスタープレジデントと縁(ゆかり)のある教会があるのだ❓
あっ、しまった。つい「ナゼに名瀬」なんてベタなダジャレを言ってしまったなりよ。

 

(出展『まだ死んでない』)

 
あら、この教会なら見たことあるぞ。と云うか、アカボシゴマダラを拝山に探しに行った帰りに何度も前を通っている。

教会内部とケネディーの祭壇の画像も貼り付けておこう。

 

 
(出展『奄美なひととき』) 

 
その由来も分かった。この祭壇は元々アメリカのワシントン大司教区、司教座聖堂聖マテオ教会にあったもので、本来は取り壊される予定だったそうだ。だが1962年に聖心教会のルカ神父が休暇でアメリカへ帰国した折りに偶々その祭壇に出会った。神父は壊してしまうならば奄美大島へ寄贈して欲しいと願い出て、譲渡の約束を取り付けたようだ。
そして、その翌年の1963年にケネディー大統領の祭壇として使用され、1964年には約束通りに奄美大島へ運ばれてきたそうだ。

ふ〜んと納得したところで、教会の敷地内に黒い車が入って来た。誰かは分からないが、教会の人だったら挨拶しておこうと思って立ち上がる。
やがて車から黒い僧衣を纏った神父さんが出てきた。まさか神父さんが出てくるとは思っていなかったので、ちょっと驚く。
その佇まいは落ち着いていて、そこはかとない厳かな雰囲気が漂っていた。慌てて、その場で頭を下げ、声をあげて雨宿りしている旨を伝える。
神父さんは静かに頷いただけだった。そして教会には入らず、直ぐにまた車内に戻り、何処かへ行ってしまった。
それを見送ると、また静寂が訪れた。何だか不思議な気分に包まれ、その穏やかに頷く表情が暫くのあいだ頭に残った。
今まで何かの宗教と深く関わるという経験とは縁なく生きてきたが、宗教を信じるという敬虔な気持ちの一端に触れたような気がした。長年、宗教を信じることに対して警戒心を抱(いだ)いてきたが、初めて信心深い人たちの気持ちを理解できたような気がしたのだ。絶対的なものを信じることで得られる安心感や喜び、そして神に感謝するという気持ちが心のうちにすんなりと入ってきたのだ。
旅情が心に広がる。次に奄美大島に来る時には、雨ならば教会巡りをしてもいいかもしれない。そして、改めて島の歴史に思いを馳せよう。

午後1時。ようやく雨が上がった。
空をグルッと見渡す。ネットのお天気サイトは相変わらず全て雨予報なのだが、雲の色や流れ方、風の方向と強弱、湿度等々の万物から感じるものを総合して、雨は暫くは降らないと思った。天気予報なんかよりもワシが肌で感じるものの方が、よっぽど正確なのだ。
幸い気温は低くない。これならアマミカラスアゲハも飛びそうだ。それに意外とこうゆう天気の方が♀が採れたりもする。秋に来た時は夕方4時以降によく見掛けたし、本土でも近縁のカラスアゲハやミヤマカラスの♀は夕方に飛ぶイメージがある。午後3時には蝶影は薄くなるから帰ってしまう採集者が多いが、アゲハ類の♀はそれ以降に現れることが多いのだ。あくまでも自分の経験値からの話だけどさ。

アゲハの集まるポイントに戻る。
ここは三度目の正直といこうじゃないか。マリア様にもお祈りした事だし、何とかしてくれるだろう。正直そうとでも思わなければ、やってらんない。今日もブヨにタカられっぱなしで、心はササクレ立っているのだ。

だが、時折アマミカラスの♂は飛んで来るが、♀はいっこうに姿を見せない。

クソがっ❗( ̄皿 ̄)マリアの野郎~
敬虔な気持ちも、結果が出なけりゃ手を返したようにフッ飛ぶわい。どうせ人としての修行が足りない男なのだ。

2時20分。諦めてそろそろ移動しようかと思った時だった。
谷の向こうから漸く♀が舞い降りて来た。
♂とは違い、その飛翔はゆるやかで優雅だし、チラッと鮮やかな赤紋が見えたから間違いない。マリア様の降臨だ。
やる気マックスのエネルギーが全身を駆け巡るが、頭は冷静だ。驚かせないように、ゆっくりと追いかける。今度は昨日みたいな無様な結果は何としてでも避けねばならぬ。心を落ち着かせながら細かいステップで距離を詰める。
そしてミカンの花に吸蜜に来た瞬間には網が下から上にカチ上げられていた。

( ゚д゚)❗
中を見ると、しっかり入っている。赤紋がデカいから紛うことなき♀だね。

 

 
やっぱアマカラの春型の♀は赤紋が凄いね。艶やかだ。夏型よりも遥かに美しいし、オキナワカラスアゲハの春型よりも綺麗だ。

 

(2011年 9月)

 
夏型は紋が赤じゃなくてオレンジ色のモノが多いし、メリハリも無くて全体的に野暮だ。春型と比べてデカくなるのも、もっちゃりでヨロシクない。
但し、夏型でも珠に凄いのもいるけどね。

 

(2011年 9月)

 
裏面も美しい。

 

 
オキナワカラスの前翅裏面の白帯は、ほぼ平行で、ミヤマカラス並みに幅広い。その亜種であるアマミカラスは白帯が更に発達し、赤い弦月紋もが大きくなるのが特徴だ。
ちなみに小太郎くんとカッちゃんが言ってたけど、稀に赤紋が二重紋になるのもいるらしい。だとしたら、ホッポアゲハみたくなるって事か。なら、相当ビューティフルだね。
(・∀・)んっ❓、よく見りゃ、この個体は赤紋の上部の隣にちょっとだけ赤紋が出てて、二重紋になりかけてるぞ。この程度では、とてもじゃないが二重紋とは呼べないけどさ。
一応、参考までにホッポアゲハの♀の裏面画像を貼っつけておきませう。

 

(2016年 7月 台湾・南投県仁愛郷)

 
世界のアゲハチョウの中で、裏面が最も美しいのはどれか❓と問われれば、このホッポアゲハを一番にあげるかもしれない。それくらい艶やかな出で立ちだ。

何はともあれ、狙い通りに♀が採れたからご機嫌だよ。
(^_^)vへへへ、してやったりだ。球際に強い、流石の猿飛のワシやんけ。
∠(`・ω・´)/バッローーーム❗❗

 

(出展『yanakazuのブログ』)

 
バロムポーズでキメてみせる。

でも本当は流石の猿飛のワシの力なんかではなくて、きっとマリア様の思し召しだ。
手を胸の前で合わせ、目を閉じる。
マリア様、ありがとう

2時半。
満ち足りた気持ちで、あかざき公園へと向かう。

昨日と同じく3時に到着。しかし雨こそ降っていないが、天気は悪くて風も強い。これではアカボシゴマダラもフタオチョウも現れそうにない。
ならばとイワカワシジミを探すことにする。あかざき公園はイワカワシジミの幼虫の食樹であるクチナシが多い。そしてイワカワは食樹とその周辺の葉に止まっている事が結構あるので、それを探そうというワケだ。

 

(2014年 9月)

 
しかし探し回るも、1頭たりとも姿を見ない。
クチナシの実に卵や幼虫がいないかと探してみたが、そちらも全く成果なし。

 

(2014年 9月)

 
どころか実が殆んど無い。古い実さえないから、もしかしたら採集者に根こそぎ持っていかれたのかもしれない。そゆ事、すんなよなあ。イワカワは去年も一昨年も大不作だったと言われてるのに益々減るじゃないか。ホント欲深い虫屋が多いわ。

夜は雨の予報だったし、昨日みたいな怖い思いをするのもイヤだったので、今日は宴会に参加することにした。

 

 
鶏肉のホイル焼と海老のアヒージョ。
ゲストハウスの娘さん(💖美人)が作ってくれた。結構美味しい。

聞くと、今夜はお好み焼パーティーらしい。

 

 
しかし、焼かれているお好み焼に何か違和感がある。
あれれっ❓よく見ると表面に豚肉の存在がない。
娘さんに『豚肉は入れないの❓』と尋ねたら、『入ってるよー。』の答え。『えっ、どこに❓』。『中にー。』
何だと❗、粉モン大好き関西人としては許しまじき行為だ。

( ̄皿 ̄)ダボがっ、ワレお好み焼をナメとんのかっ❗
とは、勿論のこと口が裂けても言わない。美人には弱いのだ。優しくレクチャーする。先ずは豚バラ肉を焼き、その上から生地を乗っける。そうすれば外側がコーティングされるから、ひっくり返す時に崩れにくくなるし、豚の脂が生地に行き渡るのだ。それに、この方法ならば無駄に油を追加しなくて済む。

ひっくり返す段になって、今日来た若者二人(虫屋)のうちの一人に、返し係を任じる。しかし見事に失敗して割れてしまう。
『ψ(`∇´)ψケケケケ…、素人じゃのう』と笑ったら、すかさず『じゃあ、次の時は御手本をみせて下さいね』と返された。
(◎o◎)ゲロリンコ、まさかの逆襲である。マジかよ❓言った手前、失敗したら超カッコ悪いじゃないか。美人さんたちも揃ってきたから、かなりのプレッシャーが掛かるよ。失敗も避けたいところだが、敵前逃亡して美人にイケてないと思われるのは、もっと最悪だ。元来のええカッコしいとしては逃げるワケにはゆかぬ。翻して考えれば、ヒーローになるチャンスでもあるからして、ここでズバッとエエとこ見せたろやないの。
でも本当は、お好み焼を返したことなど長い間ない。たぶん中学生の時以来だろう。普段、家でお好み焼なんて作らないし、店でも最近は自分で焼くシテスムは消えかかっているのだ。
衆目が注目する中、躊躇を捨てて思い切って、えいや❗と一挙に返す。

٩(๑`^´๑)۶どんなもんじゃい❗❗
思ってた以上にキレイに返り、心の中では我ながら上手くいったとホッとしつつも、さもありなんの余裕のヨッちゃんのドヤ顔で若造に目をやる。そうさ、オイラは球際に強い男なのだ。結構プレッシャーがエネルギーになるタイプなのだ。
そして、すかさず言う。
『キミとは違うのだよ、キミとは。キミみたいにビビって躊躇すると失敗するに決まっておるのじゃ。ハートが弱いのだよ。虫捕りでも恋愛でも大胆さは不可欠なのだよ、ψ(`∇´)ψウシャシャシャシャー。』

 

 
自分で言うのも何だが、旨い。やっぱ焼き方は大事だ。
ちなみに若者にはリベンジを促し、彼は次の機会には見事キレイに返した。パチパチパチパチー👏

 

 
後半はチーズを乗せた洋風お好み焼なんぞも登場した。
味は全然覚えてない。どうせ大した事なかったんだろう。やはり、お好み焼は王道の「豚玉」に限る。

 

 
楽しくって、オジサンまたしても痛飲。
まあ、流れも良くなってきてるので、コレでいいのだ。

                         つづく

 
追伸
えー、前回の文章の一部に手を入れ直しました。知名瀬林道と大川ダムとの怖さの質感の違いを伝え忘れてたからね。ものすごくヒマな人は読み直して下され。文章は、たった一言の有る無しで随分と印象が変わることもあるから難しい。

この日に採ったアマミカラスの♀と、比較のための♂とオキナワカラスの♀の画像も貼っつけておきます。

 
【春型♀】 

【春型♂】

【オキナワカラスアゲハ春型♀】

(2013.2.28 沖縄県名護市)

 
(註1)超人バロムワン
東映、よみうりテレビ制作の特撮ヒーロードラマ『超人バロム・1(ワン)』のこと。「超人バロムワン」と表記される事が多いが、正しくは「超人バロム・1」と間に「・」が入る。
1972年(昭和47年)4月2日から同年11月26日まで日本テレビ系にて毎週日曜19:30〜20:00に全35話が放映された。
原作はあの『ゴルゴ13』の、さいとう・たかをの漫画『バロム・1』。しかし設定の一部の流用を除き、タイトルをはじめ、ストーリー、バロム・1のコスチュームデザイン等々は東映側によって大幅に変更されている。

ストーリーをかい摘んで書いておきます。
宇宙で何千年ものあいだ、正義の象徴コプーと悪の象徴である魔人ドルゲは戦い続けていた。

 
【魔人ドルゲ】

(出展『改造墓場A』)

 
やがて地球の侵略を開始したドルゲに対し、コプーはそれを阻止するために地球の少年(小5)白鳥健太郎と木戸猛の2人に正義のエージェントであるバロム・1の力を与える。2人は友情のエネルギーで互いの右腕を交差(バロムクロス)させることによって超人バロム・1に合体変身、悪の化身ドルゲに立ち向かう。
二人の役割は分担され、健太郎の頭脳がバロム・1の知性となり、猛の体力がバロム・1のパワーとなる。変身が完了すると同時に両目とヘルメットのエネルギーチャージランプが矢印の方向に光り出し、身体全体にバロムエネルギーが充填される。但し両目の中で会話する場面が度々挿入され、変身前の自我も残っているため、二人が喧嘩をしたり互いを信頼しない状況に陥った場合には変身は解けてしまい、信頼関係が回復するまで再び変身することはできない。その際、2人の友情エネルギーは手の平サイズのボップの裏のバロムメーターに針で表示され、友情エネルギーが300バロム以下になればバロム・1に変身できない。

 
【ボップ】

(出展『☆月光のあれこれ日記☆』)

 
なおボッブには、ドルゲに反応するレーダーや発信機、サーチライト、バロム・1の乗物であるマッハロッドへの変型、仲間の危険を知らせる機能などがある。また武器としても使え、投げつければ戦闘員のアントマンを一撃で倒すこともできる。

作品は特異性が高く、敵の首領ドルゲの見てくれが邪悪度満載、作戦も邪悪で弱い心を持つ人間を操るものが多く、おどろおどろしい雰囲気を醸し出している。ドルゲによって送り込まれる魔人たちも怪奇性が強調されたグロテスクなものが多い。特に後半以降はエスカレートし、人間の身体の一部をモチーフにしたウデゲルゲやクチビルゲ、クビゲルゲ、ヒャクメルゲなどのインパクト有りまくりの魔人が次々と登場し、より怪奇性の強い展開となった。子供心にも、コレってマジィんじゃないの❓というくらいにキワドイ見ためのものが多い。

 

(出展『やさしい嘘からはじめよう』)

 
上段左上からクチビルゲ、ヒャクメルゲ。中段がツメゲルゲ、クビゲルゲ。下段はノウゲルゲ。
もう、ここまでくるとホラーだよなあ(笑)

 

(出展『SAWANP☆西荻サブカル酒場』)

 
上段左からヒャクメルゲ、タコゲルゲ、キノコルゲ。下段はカミゲルゲ、クビゲルゲ、ウデゲルゲ、ノウゲルゲ。

ムッチャクチャである。今だったら、こんなの絶対にクレームの嵐だろう。身体障害者に対する配慮が足りないとかね。
けれども何でもかんでも差別に繋げて、声高に非難する昨今の風潮って気持ち悪いし、何だか怖いよ。色んな表現があって玉石混交の作品があるからこそ、世の中オモシロいのに、それを許さない社会って懐があまりに狭すぎる。だから、毒気を抜かれた最近のテレビはツマラナイのだ。

 
(註2)ヤゴゲルゲ
「超人バロム・1」に登場したドルゲ魔人の一人。人じゃないから一人じゃなくて一体か…。そんなことはどうでもよろし。

 

(出展『とうふプードル』)


(出展『つやつやみお』)

 
1972年8月6日放送の第19話「魔人ヤゴゲルゲが子守唄で呪う」に登場する。
で、「ヤゴゲルゲの子守唄」とは、そのヤゴ魔人がお化け屋敷に入った子供達を誘拐する際に歌ったものである。それにより子供達は操られて連れ去られてしまう。また、この子守唄の破壊力は凄まじく、我がんところの戦闘員のアントマンの脳細胞を破壊し、バロム1の手足を痺れさせたり、意識を失わせる程の威力を有していた。
が、何よりも威力を発揮したのはお茶の間の子供たちに対してであった。その低く響き渡る不気味な唄に衝撃を受けたという子供達は多く、トラウマになったお子ちゃまが続出したといわれる。かくいうワタクシも、その一人である。重低音で覚えやすいメロディーなので、妙に頭にコビり付くんである。
それゆえか、ダウンタウンもネタにした事があり、探偵ナイトスクープでもヤゴゲルゲの子守唄を歌われてトラウマを植え付けられた妹が、兄に復讐したいという依頼の回もあった。
隠れた名作とも言える特撮ソングだった為、2007年に発売された放送35周年記念「超人バロム・1」音楽集にも、当初は収録予定だった。しかしマスターテープが行方不明で、結局収録される事はなかった。巷では、これはヤゴゲルゲの子守唄の呪いではないかと囁かれている。

それはさておき、何ゆえトンボとかヤンマではなくてヤゴなのだ❓トンボに比べて弱いだろうに…。
あっ、そうか。魔人たちの名前の語尾には必ず「〜ルゲ」が付く。そして大多数にはクチビルゲ、ウデゲルゲ、クビゲルゲ、ノウゲルゲ、ツメゲルゲと、ルゲの前に濁点が入るのだ。「ヤンマルゲ」では濁らないから示しがつかんのだろう。
あれっ❓でもトンボルゲならOKだぞ…。よしワカッタ。トンボルゲだとマヌケな感じがするから✖なのだ。ヤゴゲルゲの方が遥かに語呂がいい。そうゆう事にしておこう。

一応、You Tubeの『ヤゴゲルゲの唄』を貼っつけておきます。下の空白欄をタップするとサイトに飛びます。

 
ヤゴゲルゲの唄

奄美迷走物語 其の五

 
 第5話『(´ε` )何だかなあ…』

 
 2021年 3月23日

 

 
デイゴの花が咲きかけている。
知名瀬トンネルに向かう道の途中で鮮やかな赤が目に入ったので、思わずバイクを停めたのだ。

花が咲くと、こんな感じだ。

 

(出典『FUNPO』)


(出典『okinawaclip.com』)


(出典『てぃだにすま宮古島』)

 
デイゴの花には青空がよく似合う。
ダイビングインストラクター時代に過ごしたサイパンでも咲いてたなあ…。夏になると島の沿岸がオレンジ色に染まるのだ。
戦前、ミクロネシアの島々は日本に統治されていたため、多くの日本人たちが移り住んでいた。そんな故郷を離れた人たちが日本を懐かしみ、この木を南洋桜と呼んでいたと聞いたことがある。

どうせ天気が悪いから蝶は飛びそうにないので、その場で検索ちゃん。

 


(出典『サイパンの花 SEASHORE BLOG』)

 
(・o・;)あれっ❓、何か違うぞ。
てっきりデイゴだと思っていたサイパンの赤い花は、どうやら火炎樹(フレームツリー)という全く違う種類の木のようだ。
でもフレームツリーで検索すると、火炎樹、火焔木、鳳凰木、南洋桜とか色々出てきてワケわからんくなる(註1)。ラチあかんわい。帰ってから再度検索ちゃんだね。気が向いたらの話だけど。

取り敢えず昨日のミカン畑へと向かう。
途中、網を持った爺さんたちがいたので停まって話をする。現地での情報収集は大事だ。聞いといて損はないだろう。

お二人はイワカワシジミ狙いで来たらしい。しかし全く姿を見ずとの事。ついでに去年ここで発生していたシロウラナミシジミの事を訊いたら、すぐ横を指さされた。見ると、川向うに幼虫の食草であるシュクシャが山ほど生えていた。去年の秋に来た時には、その辺で乱舞していたらしい。でも今回は全く見掛けないと言う。

 
【シロウラナミシジミ Jamides alecto】

(2009.11 石垣島)


(出典『日本産蝶類標準図鑑』)

 
シロウラナミさんは奄美大島には本来はいない蝶だから、さらに南の島から渡ってきた迷蝶扱いとなる。地球温暖化で、そのまま土着しててもおかしくないんじゃないかと思ってたが、寒さに負けて冬を越せなかったのかもなあ。ターゲットであるアカボシゴマダラやフタオチョウ採りの合間にでもチョチョイと摘んでやろうと思っていたが、アテがハズレた恰好だ。
楽勝と思ってたシロウラナミ如きも採れんのか…(´-﹏-`;)
(´ε` )何だかなあ…。

奥に進むと、もう一人網を持った人がいた。
話を聞くと、蝶も採るけどメインは鳥の写真撮影らしい。蛾もやると言うからアマミキシタバの事を尋ねたら、蛾は蛾でも昼蛾がメインらしくって、モンシロモドキなる蛾をわざわざ見せてくれた。良い人だ。

 
【モンシロモドキ】

(出典『Picuki』)

 
見せて貰っといて申し訳ないが、少しは蝶っぽいもんかと思ったら、どう見ても蛾風情だ。ようは何ら有益な情報は得られなかったというワケだ。(-_-;)何だかなあ…。

ポイントに到着するが、相変わらず空はどんよりだ。昨日ほどではないが気温も低い。予想どおり蝶は何も飛んでいない。

モンシロモドキらしきもん(註2)が飛んで来たので、一応採った。どうせコイツら、曇ってても飛ぶんだろなあ。いまだ蛾には偏見ありなのだ。

 

 
蛾にしてはスタイリッシュな気がしないでもない。
さておき、さっき見せてもらったヤツとは少し違うような気がするぞ。
そういやモンシロモドキにも幾つか種類があると言ってはったなあ。でもどうだっていいや。所詮は蛾なのだ。しかも、こうゆう腹が黄色くて白地に黒い点々がある奴って本能的に気持ち悪いんだよなあ。白と黒に黄色が加わると、とたんに自分にとっては最悪の色の組合せになる。だからユウマダラエダシャク系の蛾を見ると背中がブルッときて、殺意が芽生えるのだ。

 
【ユウマダラエダシャク】

(出典『新・ぼちぼち植物などを』)

 
天気は相変わらずだが、気温が少し上がり始めたのでアゲハ類が飛び始めた。しかし昨日みたいにジャンジャン飛んで来るというワケではなくて散発だ。

 
【アマミカラスアゲハ♂】

 
それに♂はチョボチョボ飛んで来るが、狙いの♀は全然飛んで来ない。プーさん曰く、アマカラは赤い網に寄ってくるというが、フル無視だしさ。よくよく考えてみれば、昔、秋に来た時にも赤網だったけど、寄ってきたという記憶は全然ないもんな。ハッキリと効果があったのはツマベニチョウだけだ。

 
【ツマベニチョウ♂】

 
今回、興味を示すのはモンキアゲハだけだ。かえってそれがウザい。おまんらなんぞ、要らんのだ。
段々、💢イライラしてきた。この場所に来てから、ずっと小バエと云うか目まとい(註3)的なモノどもにタカられっぱなしでストレスが溜まりまくりなのだ。

午後2時。何気に振り返ったら♀が目の前をコチラに向かって飛んで来た。
心が瞬時に沸き立つ。しかし網の柄を目一杯に伸ばしていたから、そのままでは近過ぎて振れない。
けどワシのバッティング技術をナメんなよ💢(-_-メ)❗咄嗟に後ろ足を引いて、野球の内角打ちみたく腕を縮めて左下から右上に振り抜く。
 
∑(=゚ω゚=;)ガビーン❗やってもたー
それでもやっぱ近過ぎて、懐に入られて空振り。しかもスウェーしながら振ったからバランスを崩して後ろ向きに尻餅をついた。
何とも不様な恰好である。それを嘲笑うかのように彼女はゆったりと羽ばたきながら優雅に上へと舞い上がり、やがて梢の向こうへと消えて行った。
そして、それっきり二度と♀は姿を現さなかった。
今思えば一旦スルーして、振り向きざまに後方から網を振るべきであった。柄の長さに合わせて間隔を空けてから落ち着いて振れば何て事なかったのだ。間合いは自分で作るべきものなのだ。それが蝶採りの極意なのだが、まだまだ修行が足らんよ。
ここ数年は蛾のカトカラ採りが中心で、ろくに蝶採りをしとらんからこうなるのだ✿§∞◆〆▲□●♯∌ゴニョゴニョ。我ながら言いワケがましい。自己嫌悪で益々落ち込む。身も心も絶不調だよ。

2時半に諦めて移動。あかざき公園へと向かう。
狙いはアカボシゴマダラとフタオチョウだ。今回のターゲットの蝶に敢えて優先順位をつけるとしたら、1位がイワカワシジミの♀、2位アカボシゴマダラの春型、3位フタオチョウの春型、4位がアマミカラスアゲハの♀という順になる。
奄美大島のイワカワの春型♀は白い紋が発達する特異な型で美しい。2位のアカボシの春型は他の時期のものよりも白くて、翅形も違うから欲しい。3位のフタオは元来がフタオチョウ類大好き男だし、春型は見たことがないからだ。とはいえ、夏型と見た目はあまり変わらないらしいから3位なのだ。アマミカラスアゲハの♀は単に美しいから欲しい。特に春型の♀は美しいからね。これらの採集難易度は自分の中では横一列ってところだろうか。此処ではフタオを除き、それぞれ秋には採っているから基本的な生態は知っているからね。正直、何とでもなると思ってる。強いて言うならば、アカボシの♀だろうか。2011年は♀を採るのにかなり苦労したのだ。滅多に姿を見せないし、採れても鳥のせいで翅が一部損傷していて完品がどうしても採れなかったのだ。ある意味、振り回されたと言ってもいいような状況だったのだ。

 

(出典『SEPT』)

 
一番高台に登る。
アカボシゴマダラは午後3時くらいになると、山頂や尾根で雄同士が縄張り争いをするのだ。奄美大島でのフタオチョウとの遭遇は未体験だが、おそらく同じように縄張り争いをするものと思われる。ようは、それらをイテこましてやろうという算段なのだ。

周囲の木に🍌バナナトラップもかける。アカボシもフタオも成虫の餌は樹液や熟して発酵が始まったフルーツだから、
(☉。☉)おっ❗、こんなとこに甘々の御馳走があるやんけー。(^o^)vラッキ〜
ってな具合で寄ってきたところをテゴメにしてやるつもりなのだ。
ψ(`∇´)ψケケケケケ、悪いオジサンの謀略にハマり、毒牙にかかって何処までも落ちてゆけばいいのだ。
この二段構えの布陣で今度こそ結果を出して、そのまま連勝街道の波に乗ろうじゃないか、🎵フォンテーヌ。

しっかし、3時半になっても飛んで来ん。来る気配すらない。
やっぱ晴れんと飛んで来んかあ…。バナナトラップには蝿一匹来ないし、明日も明後日も天気予報は悪いし、何か絶望的な様相だ。
それに、さっきから矢鱈と手と顔が痒い。
見ると、手の甲がヤバいくらいにパンパンに腫れあがってる。

 

 
顔も痒くて、触るとボコボコだ。きっとケンカでタコ殴りされたみたいになってんだろなあ…。男前が台無しだよ。
たぶん目マトイだと思っていた奴らはブヨだったに違いない。この激しい痒みと腫れあがり、岐阜県にタカネキマダラセセリ(註4)に会いに行った時にボコボコに刺された時と同じ症状だ。

 
【タカネキマダラセセリ】

(出典『Wikipedia』)

 
掻きまくって耳の縁が血だらけになって、揚句にはカサブタでボロボロ。で、当時の彼女に『何それ❓かさぶたデビルイヤーやんか。』と笑われたのだった。だから翌年は万全を期して虫除けクリームを塗りたくって参戦した。おかげで被害はゼロだったんだけど、代わりに現地で会った爺さんに蚊柱ならぬブヨ柱がモウモウと立ってた。そっちに集中攻撃とあいなったワケだね。遠目に見て、アレには笑ったもんな。自分もきっとあんな状態になってんだろなあと思うと、二重にオカシかったよ。

午後4時前。
急に自分のいる場所だけ雲が切れ始めて青空が覗いたと思ったら、サァーと陽が射した。我ながらに、そのスーパー晴れ男振りに驚く。天気予報、関係あらへん人なのだ。とにかく良い兆しだ。今度こそ波に乗れるんじゃないかと期待がボワッと膨らむ。

そして、その5分後くらいだった。
高さ約3メートル、青空をバックに大型の白い蝶が正面から猛スピードで飛んで来た。

(°o°)フタオチョウだ❗しかもメス❗❗

だが、茫然と見送るしかなかった。
突然のことで、何が飛んで来たのか直ぐにはワカランかった。で、フタオだと認識した時には既に頭上を通過しようとしていた。振ったところで間に合わない。そして一直線に背後の東屋を越えて行った。幻のような光景だった。一拍おいて現実に立ち戻り、慌てて反転して追いかけて東屋の向こう側に出るも、しかしその姿は忽然と消えていた…。

(´д`)マジかよ❓

そういや知名瀬で会った爺さんの一人が、このポイントはフタオが飛んで来ても止まらずに通過すると言ってたなあ…。
まあいい。それなら空中でシバけばいいだけの事だ。ワシの鬼神の如き網さばきをナメんなよ(-_-メ)

しかし暫くするとまた曇り始め、二度と飛んでは来なかった。
退屈しのぎでキオビエダシャクでも採ろうかと思うが、突然どこからともなく現れて、止まらずに直ぐにどっかへ飛んで行ってしまう。オマケに飛ぶ位置が高くて、殆んど網が届かない。
キオビエダシャクさえも採れんのかと思うと、何だか情けなくなってきた。(;_;)ベソかきそうだよ。
(´ε` ) 何だかなあ…。

                         つづく

追伸
何だかなあ…の連発である。
でもホント、その時は何度もそんな気持ちになっていたのである。負の連鎖に抗うも、ことごとく返り討ち。どうしようもなかったのだ。

以下、解説編だけど、本文よりも解説の方が圧倒的に長いって、それってどうよ❓
(╯_╰)何だかなあ…。

 
(註1)火炎樹、火焔木、鳳凰木、南洋桜とか出てきて…
調べてみたが、正直ワケわからん。ワカランけどワカランなりに整理して解説しよう。

先ずはデイゴから。
学名 Erythrina variegata。マメ科マメ亜科の落葉高木で、漢字だと梯梧と書くそうだ。
インドからマレー半島が原産。日本では沖縄県が北限とされているが、奄美大島の隣の加計呂麻島の諸鈍海岸には約80本の並木道があるなど、あちらこちらで大木が見られる。これは交易船の航海の目印とするため等で沖縄から植栽されたものだといわれている。
春から初夏にかけて花を咲かせるが、毎年満開となるという保証はなく、年毎の差が大きいそうだ。
近年は、台湾方面から飛来・帰化したとされるコバチの一種デイゴヒメコバチ(Quadrastichus erythrinae)による被害が相次いでおり、問題になっている。このハチはデイゴの葉や幹に産卵して虫こぶを作り、木を弱らせて枯らす場合もあるため、沖縄県では対策を急いでいるらしい。

どうやらフレームツリーと呼ばれている木は2〜3種類あるようで、サイパンのものは火炎樹ではなくて、日本では鳳凰木と呼ばれているモノのようだ。

ホウオウボク(鳳凰木)
学名 Delonix regia。マメ科ジャケツイバラ亜科の落葉高木で、原産はマダガスカル島。樹高は10〜15m。樹形は樹冠が傘状に広がり、葉は細かい羽状複葉。直径10cmほどの5弁で蝶形の緋紅色の花を咲かせる。
熱帯地方では街路樹や公園樹として植えられ、日本でも沖縄県などで導入、植栽されている。しかし、これまたホウオウボククチバという蛾の幼虫による葉の食害が問題となっている。

【ホウオウボククチバ Pericyma cruegeri】

(出典『幻日の雑記帳』)

ヤガ科 シタバ亜科に属するそうだが、汚い蛾だねぇ。
もしワシが被害にあってる街の人だったら、🔥ゴオーッ。確実に憎悪の炎を燃やすね。

ネットを見ていると、ブログなんかは素人が書いているから鳳凰木と火炎樹、フレームツリー等々とかゴッチャになっていて、何が何だかワケわからんくなってる。明らかに間違っている記述も多く、どうみても錯綜状態なのだ。
絶対正しいとは言い切れないが、ここはまだしも信頼できるウィキペディアに頼って書き進めていこう。

次に火炎樹だが、検索すると真っ先に出てくるのがカエンボク(火焔木)だった。

 
【カエンボク】

(出典『Wikipedia』)


(出典『夏の柿の実』)


(出典『かぎけん花図鑑』)

学名 Spathodea campanulata。
ノウゼンカズラ科に分類される花木。別名アフリカンチューリップ。ジャカランダ、ホウオウボクとあわせ世界三大花木と称される。
西アフリカ原産の常緑高木で、樹高は12〜25mほどになる。一年を通じて釣鐘形の赤みがかったオレンジ色の花を咲かせる。大きく派手な花を枝先に多数咲かせ続けるので、世界中の熱帯域で街路樹や庭園木、観賞目的の花木として広く移入されている。

確かにノウゼンカズラと似ていて、葉の形からマメ科じゃないことがよく分かる。

【ノウゼンカズラ】


(出典『あきた森づくり活動サポートセンター』)

花は夏に咲く。目にすると、いつも妖艶だなあと思う。何だか心がざわつく花なのだ。

再びカエンボクの話に戻る。
本種の有するパイオニア性や多産性、強靭な生命力といった特徴は、いずれも侵略的外来種とされる植物に共通するもので、実際アメリカやオーストラリアなど太平洋各地で野生化している。ICUNでは本種を世界の侵略的外来種ワースト100の1種に選定しており、ハワイなど多数の固有種からなる植物相を有する太平洋の島嶼部の生態系への侵入を懸念している。
日本では植物園の温室等の他、沖縄県や小笠原諸島で庭木等として植栽されているが、野生化の報告は2008年現在までない。耐霜性がないところから、沖縄や小笠原以外の地域での日本国内での野生化の可能性は薄いが、沖縄や特に固有種の多い小笠原で野生化する可能性については注意を要すると考えられ、外来生物法の要注意外来生物リストに掲載されている。

このサイトで、和名の錯綜に対する1つの解答を見つけた。以下に抜粋する。

「カエンボク」という和名は、オーストラリア産のオオバヤドリギ科植物ヌイチア・フロリブンダ(Nuytsia floribunda 英名 Christmas tree,flame tree)や同じくオーストラリア産でアオイ科(旧アオギリ科)のゴウシュウアオギリ(学名 Brachychiton acerifolius 英名 Illawarra flame tree)に対して用いられた例もある。また、同じ三大花木の1種であるホウオウボクを「カエンジュ(火焔樹)」と称することがあり、本種(カエンボク)と取り違われることが度々ある。ちなみに中国語で火焰樹というと本種のことを指す。

だいぶスッキリした。でも、また新手が出てきたなあ。

 
【Nuytsia floribunda】

(出典『オーストラリアン ワイルドライフ』)

真正双子葉類ビャクダン目に属すオオバヤドリギ科に分類される。西オーストラリアに見られる半寄生植物で、根から近くの植物の養分を吸い取って成長し、10mほどの大木になる。
この科は殆んどが半寄生の低木からなり、他の樹木の枝に着生する所謂ヤドリギ類に含まれるのだが、根に寄生するものは特異で、この1種のみのようだ。
南半球の夏の間、クリスマスの頃に鮮やかで明るい黄色やオレンジ色の花が咲かせることから、クリスマスツリー、西オーストラリアのクリスマスツリーなどと呼ばれている。
和名を探したが、オーストラリアン・クリスマスツリーとしか出てこず、とくにはないようだ。

 
【ゴウシュウアオギリ】

(出典『Wikipedia』)


(出典『園芸手帳』)

アオギリ科 ブラキキトン属。オーストラリア東部原産の高さ10~30メートルになる半常緑高木。ベル形の真っ赤な花を咲かせる。和名の「アオギリ」は濃緑色の樹皮に由来する。

最後に南洋桜について調べて終わろう。

 
【ナンヨウザクラ】

(出典『Health Benefits times』)


(出典『Wikipedia』)

ナンヨウザクラ(南洋桜、Muntingia calabura)は熱帯アメリカ(カリブ海沿岸からペルー)原産の常緑高木。クロンキスト体系ではシナノキ科であったが、APG植物分類体系ではナンヨウザクラ科とされる。世界の熱帯各地で観賞用や食用に栽培されている。
花は5弁で白い。果実は円い液果で赤く熟し、香りと甘味があって食べられる。和名は見かけがサクラに似るためで、英語でもジャマイカンチェリーなどと呼ばれるが、サクラとの類縁関係はない。また、同じように熱帯アメリカ原産で広く栽培されるテイキンザクラもしばしば同じく「南洋桜」と呼ばれるが、これはトウダイグサ科でやはりサクラとの類縁関係はない。

おいおい、また新たなもんが出てきたよー。すんなり終わらせてくれないよなー。

 
【テイキンザクラ】

(出典『Wikipedia』)


(出典『花と観葉植物』)

テイキンザクラ(提琴桜 Jatropha integerrima)は西インド諸島(中米)原産の常緑低木。トウダイグサ科ヤトロファ(ナンヨウアブラギリ)属に分類される。花は5弁で見かけはサクラに似ており、桃色または鮮紅色。
提琴とはバイオリンのことで、葉の形がバイオリンを連想させることに因む。しばしば南洋桜とも呼ばれる。

ネットで見てると、ナンヨウザクラとテイキンザクラもゴッチャになっている。で、日本ではテイキンザクラを南洋桜と呼んでいるケースの方が多いようだ。

やっと終わったと思ったら、このサイトで又しても次なる刺客が現れた。
あとデイゴに似た海紅豆(アメリカデイゴ)も南洋桜と呼ばれるようなのだ。(-_-メ)しゃらくせぇ。

 
【アメリカデイゴ】


(出典『生きもの好きの語る自然誌』)


(出典『庭木図鑑 植木ペディア』)

アメリカデイゴ(亜米利加梯梧 学名 Erythrina crista-galli)は南アメリカ原産のマメ科の落葉低木。和名はカイコウズ(海紅豆)だが、あまり使われておらず、アメリカデイゴと呼ばれることの方が多い。
沖縄県外では奄美群島のほか小笠原諸島にも自生しており、鹿児島県の県木であり、アルゼンチン、ウルグアイの国花でもある。

待てよ。花の蕾は知名瀬近くで見たデイゴと似てねぇか❓
奄美にも自生していて、鹿児島県の県木とあらば、その可能性はあるだろう。
でも、花期は6~9月頃とあるから、違うのかなあ…。まあ、どっちだっていいけど。もう疲れてて、うんざりなのだ。これくらいで勘弁してくれ。

 
(註2)モンシロモドキらしきもん
帰ってから調べてみるとモンシロモドキではなくて、キハラモンシロモドキという別な種類だった。

キハラモンシロモドキ Nyctemera cenis(Cremer,1777)

(2021.3.23 奄美大島 知名瀬林道)

触角は♂が櫛歯状、♀はそうならないから、この個体は♀だね。


(出典『日本産蛾類標準図鑑』)

【開張】 38〜45mm。
モンシロモドキに似るが、前・後翅の中室に黒紋を欠くこと、腹部は橙黄色と黒の縞模様を呈することで区別できる。
【分布】 屋久島,種子島,トカラ列島,奄美大島,沖縄本島,石垣島,西表島。国外では東南アジアからインドにかけて広く分布する。
【生態】 6,7,8月に得られている。
【幼虫の食餌植物】未知
【亜種】亜種区分はされていない。

あれっ❓、岸田先生の『日本産蛾類標準図鑑』には発生期は3月とは書いてなくて、完全に夏じゃないか。どゆ事❓
ネットで調べたら、沖縄本島ではあるが3月の生態写真があった。そのサイトによると、南方からの偶産蛾ではなくて昔からの土着種で、絶滅危惧種なんだそうな。しかも未知となっていた食草もヌマダイコン(キク科)であることが判明しているようだ。蛾は蝶と比べてまだまだ生態が未知なものが多く、書き変えられる事も多いんだろね。

一応、モンシロモドキのことも解説しておく。

モンシロモドキ Nyctemera adversata (Schallel,1788)

(出典『蝶の図鑑』)


(出典『日本産蛾類標準図鑑』)

【開張】 約48mm
【分布】 本州,四国,九州,対馬,屋久島,トカラ列島,奄美大島,徳之島,沖永良部島,与論島,久米島,宮古島,石垣島,西表島
【出現期】 3~10月
八重山諸島では一年中。
【幼虫の食餌植物】 キク科ヒメジョオン,タケダグサ,サワオグルマ,コウゾリナ,スイゼンジナ,ベニバナボロギク
【生態】昼行性のヒトリガで花によく集まる。ヒラヒラと飛ぶ姿がモンシロチョウのように見えることからモンシロモドキの名前がある。触角は雌雄共に櫛歯状だが、♀では櫛が短い。

モンシロモドキには他にも幾つか種類がいるようだ。

ツマキモンシロモドキ Nyctemera lacticinia (Cremer,1977)
【開張】 40mm内外
【分布】 種子島,屋久島,沖縄本島,大東諸島,宮古島,石垣島,西表島。国外では東南アジアからインドまて広く分布する。日本での記録は土着ではなく、南方からの偶産蛾だと考えられている。
【生態】 5,6,10月に得られている。
【幼虫の食餌植物】 ヨブスマソウ(キク科)

 
ネッタイモンシロモドキ Nyctemera coleta (Stoll,1781)
【開張】 49mm内外
胸・腹部は白色で末端は橙黄色。
【分布】 屋久島,石垣島,西表島で、それぞれ1頭ずつが採集されているだけである。国外ではインドから東南アジア、オーストラリアにかけて分布する。
【幼虫の食餌植物】未知

 
デバリモンシロモドキ Nyctemera carissma (Swinhoe,1908)

(出典『日本産蛾類標準図鑑』)

開張45mm内外。
西表島で1963年の3月に得られた1♂のみが唯一の記録。
国外では台湾、中国、インドシナ半島に分布する。

 
オキナワモンシロモドキ Pitasila okinawensis (Inoue,1982)

(出典『日本産蛾類標準図鑑』)

【開張】 43〜48mm
腹部が白色なので、他のモンシロモドキ区別できる。
【分布】 喜界島,徳之島,沖縄本島,宮古島,石垣島,西表島,波照間島,大東諸島,尖閣諸島。国外からは知られていない。
【生態】 2〜10月に得られている。
【幼虫の食餌植物】 モンパノキ(ムラサキ科)

 
(註3)目まとい、メマトイ

(出典『くまもと自転車紀行』)

誠にもって忌々(いまいま)しい存在だが、特定の昆虫を指すのではなく、人の眼の周りにまとわりつく昆虫の総称とされ、小型のハエを指す場合が多い。代表的な種に春先に山地でシツこく眼にまとわりつくクロメマトイやショウジョウバエ科のマダラメマトイがある。ちなみに画像はクロメマトイで、コイツにタカられるケースが圧倒的に多い。この前も生駒山地でタカられまくってチョウ採りどころではなくなり、ひたすら網に入れてはグシャグシャに網を丸めて潰し続けてた。たぶん300匹くらいはジェノサイド、大量虐殺してやったわい。
眼に飛来するのは涙を舐めるためだと言われ、マダラメマトイは犬や猫、人の眼に寄生するセンチュウ(線虫)の一種である東洋眼虫の媒介者でもある。西日本、特に九州では被害例が多いという。
又あるサイトよれば、コヤツらには虫除けスプレーやハッカ油が効かないらしい。小賢しい限りである。ちなみに吸血はしない。それだけが唯一の救いだが、許せない存在であることには変わりない。思い出してもイラつくわい。

 
(註4)タカネキマダラセセリ


(2014.7.12 岐阜県高山市)

学名 Carterocephalus palaemon (Pallas,1771)
日本では長野県・岐阜県・富山県下の北アルプス(飛騨山脈亜種 ssp.satakei)と山梨県・長野県・静岡県下の南アルプス(赤石山脈亜種 ssp.akaishianus)のみに分布する高山蝶。
標高2000m以上の草原に局地的に棲息する稀少種ゆえに飛騨山脈亜種は長野県で、赤石山脈亜種は全県で採集禁止になっている。
国外ではヨーロッパから東アジア北部と北米大陸北部に広く分布している。ちなみに本文中に貼付した画像はヨーロッパ産のもの。理由は単に写真が綺麗だったからである。
6月下旬から8月にかけて見られ、緑の葉上にチョコンと止まる姿はとても愛らしい。ゆえに個人的にはクモマツマキチョウと並ぶ妖精の化身だと思ってる。
幼虫の食草はイネ科のイワノガリヤスで、成虫になるのに足かけ三年をようする。そんなワケなのか、個体数が多い年と、裏年と呼ばれる数が少ない年とが交互に訪れると言われている。また何年かに一度、極めて個体数が少ない裏裏年というのもあるそうだ。最初に探しに行った時は、この裏裏年で、見事なまでの惨敗を喫した。
なお、タカネキマダラセセリについてはアメブロの方の「蝶に魅せられた旅人」に書いている。捕虫網の円光『奥飛騨慕情』と題した連載モノです。よろしければ、そちらの方も読んでくだされ。

  
ー参考文献ー
◆『Wikipedia』
◆岸田泰則『日本産蛾類標準図鑑』
◆白水隆『日本産蝶類標準図鑑』

 

奄美迷走物語 其の1

 
 第1話『沈鬱の名瀬』前編

 
 2021年 3月21日

 

 
空はたっぷりの水分を孕んで、どんよりと曇っている。
一瞬、嫌な予感が走った。それを慌てて打ち消す。何でもそうだが、強い心を持ち続けることが肝要だ。マイナス思考に囚われてはならない。どんどん悪い方向へと行きかねないからだ。メンタルが壊れれば、良い結果など得られるワケがないのだ。
とはいえ、行先の奄美大島の天候を案じざるおえない。予報は1週間ずっと雨か曇りなのだ。蝶採りはひとえに天気にかかっている。結局のところ、天気如何で大幅に成果は左右されるのだ。

うだうだ考えているうちにバスは関空第2ターミナルへと到着した。相変わらず素っ気なくて、ショボいターミナルだ。店とか何もあらへん。

ピーチの午前10:15発の便に搭乗する。

 

 
(・∀・)あれっ❗❓
ピーチの筈なのに機体カラーがパープルピンクじゃないぞ。この機体カラーってバニラエアっぽいくねぇか❓

 

 
厚い雲を突き抜けると、雲の海が広がっていた。
空の青が濃い。

何気に翼の先に目をやると、バニラエアのマークがある。やはりバニラエアの機体だったのだ。提携とかしてんのかな?まあ、どっちだっていいけど。

12時過ぎ、無事に奄美空港に降り立った。

 

 
奄美に飛行機で来るのは初めてだけど、あまりにも早く着いたんで何だか拍子抜けする。
(・∀・)ん❗❓、違うな。そういや奄美に最初に来たのはダイビングインストラクター時代で、飛行機でだったわ。ダイビングの時と虫採りの時との記憶が完全に切り離されてメモリーされてる。

当初の計画ではレンタルバイクを借りて、先ずは「みなとや」へ行って鶏飯(註1)を食べ、それから蒲生崎の蝶の様子を見に行く予定だった。
「みなとや」は鶏飯発祥の店で、ここの鶏飯がイッチャン美味いのである。そして、蒲生崎にはアカボシゴマダラ、フタオチョウ、イワカワシジミ、アマミカラスアゲハがいる。上手くすれば、初日に今回のターゲットである蝶が全て採れてしまう可能性だってあるのだ。美味いもん食って、蝶もシッカリ採るという幸せ一直線の算段なのさ。密かに引きだけは強いまあまあ天才ならば、それも可能だと思ってた。所詮は。◕‿◕。オホホ星人、基本は根拠のない自信に満ちたオメデタい性格なのさ。
しかし生憎のところ、天気は悪い。奄美でも鉛色の雲が低く垂れ込めている。風も強いし、オマケに気温も低くて肌寒いくらいだ。

諦めてバスに乗り、名瀬へと向かう。

 

 
車窓を懐かしい風景が流れてゆく。考えてみれば、バスで名瀬に向かうのは初めてだ。コチラの記憶は間違いない。インストラクター時代は空港に夏美ちゃんが車で迎えに来てくれたのだ。
夏美ちゃん、可愛かったなあ(´ω`)…。もう結婚して子供とかもいるんだろなあ。ホント、光陰矢の如しだ。
あと2回の虫採りの時は鹿児島からの船便での来訪だったゆえ、名瀬港に着いたもんね。だから奄美初バスなのは間違いない。

1時間程で名瀬の街に入った。
予定では郵便局前で降りるつもりだったが、発作的に「鳥しん」で鶏飯を食おうと思った。でもって急遽、バスの運転手に訊いて末広町で降りることにした。そちらで降車した方が近いと読んだのさ。良い感じだ。ちょっとしたキッカケで流れが変わるから、こうゆう些末にみえる事だって大事なのだ。判断がビシッと決まりだしたら、自然とノッてくるものだ。

だが、少し道に迷った。何だかなあ…。ペースが掴めないとゆうか、ズレを感じる。全てが何か今ひとつ上手くいってないって感じなのだ。
歩いていると、やがて見覚えのある風景になった。
この辺に確かレンタルバイク屋があったんだよなあ。と思ったら、案内の看板があった。しかしマジックで上から棒線が引かれている。どうやら廃業したようだ。だからネットで探しても見つからなかったのね。お陰で計画がだいぶ狂ったんだよなあ…。
いつもなら名瀬を拠点にバイクで動くのだが、そのせいで明日には朝仁に移動しなければならない。

 

 
取り敢えず「鳥しん」に到着。
レンタルバイク屋からは、こんなにも近かったのね。一度も「鳥しん」で鶏飯食べようと思ったことがないから、探したことないのだ。昼間は虫採りで山ん中だし、夜は居酒屋「脇田丸」に入り浸ってたからね。

 

 
屋根の薄汚れたニワトリが怖い。
何だか心まで暗くなるわ。

 

 
店内はガラガラだった。
カウンターに座り、迷わず鶏飯(1200円)をたのむ。
ここ「鳥しん」と「みなとや」「ひさ倉」が奄美大島三大鶏飯店である。鶏飯は何処でも食べられるのだが、どのガイドブックでも、だいたいこの3店が真っ先に出てくるのだ。

最初にお通しみたいなのが出てきた。

 

 
得体のしれない見てくれだ。ゴーヤの素揚げが乗っているのも怪しい。
おそるおそる食べてみると、もろみ味噌(金山寺味噌・なめ味噌)っぽいものだった。
甘いが、味はそこそこ旨い。おそらく店では酒のツマミ的なものとして提供しているのだろう。甘いもん好きではないから酒のツマミとしては敬遠させてもらうけどさ。
初めて食べるが、たぶんコレが蘇鉄味噌とか粒味噌(註2)と呼ばれているものではなかろうか。

 

 
先ずは、この鍋に入った鶏の出汁じる(丸鶏スープ)とお櫃に入った御飯が運ばれてくる。ちなみに御飯は、おかわり自由である。

そして、次にコレが運ばれてきた。

 

 
左上から陳皮(柑橘類(タンカン)を乾燥させた果皮)、鶏肉をほぐしたもの、錦糸玉子、ネギ、パパイヤの漬物、甘辛く煮た椎茸。そして真ん中は海苔である。
コレを御飯の上に乗っけるのだが、「みなとや」と比べて何だかショボい。まずもって鶏肉と陳皮の量が少ないし、椎茸も干し椎茸ではなくて、甘辛く煮たヤツだ。椎茸は特に気にくわないなあ。何でもかんでも甘くしておけばいいと云う昨今の風潮には、断固反対する。

 

 
で、その上から鍋の汁をブッかけて食うのだ。

 

 
まあまあかなあ…。
不味くはないのだが、期待したほどの旨さではない。
「みなとや」では、その旨さに毎回唸ってしまうからガッカリだ。全体的に何かが足りないとゆうか、メリハリがないんだよなあ…。もしかしたら、鶏のスープにパンチが足りないからなのかもしれない。スープ自体は旨いんだけど、どうにも淡白すぎるのだ。
まあ、とはいえ好みの問題だけどもね。「みなとや」よりも「鳥しん」の方が旨いと感じる人だっているだろう。

何だかなあ…。のっけから細かく躓いてる気がする。
鶏飯を食って気分を上げて、良い流れを作ろうと思ったのになあ…。

                         つづく

 
追伸
えー、あまり気が進みませんが、連載開始です。そんなワケで途中で放り出して頓挫するかもです。
ちなみに随分前になるけれども、奄美大島での採集記が当ブログにも有ります。『西へ西へ、南へ南へ』と題した紀行文で、謂わば今回はその続編にあたるってワケかな。 興味のあられる方は読まれたし。今にして思えば、この頃の文体の方が自分的には好きかも。

 
(註1)鶏飯
鹿児島県奄美地方で作られる郷土料理。
鶏飯と書いて「けいはん」と読む。同じく鶏飯と表記されることも多い「とりめし」と同字異読であるために混同されやすいが、それらが炊き込み御飯や丼形式なのに対して出汁茶漬けに近い料理である。
現在、奄美大島で出されている本場の鶏飯は、茶碗に盛った白飯に、ほぐした鶏肉、錦糸卵、椎茸、パパイヤ漬けor沢庵、葱、刻み海苔、陳皮、白胡麻などの具材と薬味を乗せて丸鶏を煮て取ったスープ(鶏ガラではない)をかけて食べる。稀に紅生姜を添える例もある。白飯、具材、薬味、スープは別々の器で出され、お好みの配分で盛り付けて食べる。奄美大島には専門店も複数あり、スープの取り方、素材に地鶏を使うか否かなどの各々の特徴があり、スープの味で料理の味が大きく左右される。
居酒屋など店によっては丼や茶碗に盛ってスープを掛けた状態で客に出す例があり、これも鶏飯と呼ぶことが多いが、鶏飯丼と呼び分けて両方を出す店もある。尚、専門店の鶏飯は茶碗2~3杯分の量があり、白飯も食べ放題ではあるが、鶏飯丼は1杯分だけでお代わりはなく、そのため価格も安い。また奄美域外にもこのような類似の料理があるが、奄美大島の専門店が丸鶏でスープを取っているのに対し、域外では切り分けた鶏肉や鶏がらを使ってスープを取るなど、簡略化している場合が多く、風味に差がある。加えて薬味のパパイヤ漬けやタンカンの皮が島外では入手しづらく、これらの有無も風味に大きく影響する。

奄美大島の鶏飯は、元来は笠利町周辺にかつて存在した郷土料理で、当時はヤマシギやシロハラなどの野鳥を使用していた。江戸時代、島津藩の支配下にあった頃に北部で藩の役人をもてなすために鶏肉が用いられるようになったという。一方、19世紀半ばの島の暮らしを記録した『南島雑話』では、主に豚肉料理についてのみ記述され、鶏飯には触れられていない事から、現在の鶏飯は近代以降に成立したものであるともされる。もともと、奄美大島では正月前に黒豚を捌いて塩漬け肉にし、これと野菜を刻んで炊き込みご飯にした「豚飯」があり、これを鶏肉に代えたものという説もある。また、江戸時代の料理書『名飯部類』『料理網目調味抄』には、茹でた鶏肉を細かく裂いて飯に載せてだし汁をかけるという鶏飯の作り方が載せられており、本土から伝わった料理が奄美大島に残った可能性もあるという。

現在のスタイルの鶏飯は、奄美市笠利町赤木名で1945年に創業した旅館みなとやの館主岩城キネが、開業に際して江戸時代にあった鶏肉の炊き込みご飯にアレンジを加えて供するようにしたのが始まりとされる。
1968年4月に皇太子明仁親王、美智子妃殿下(当時)が奄美大島に来島した際に食したが、その美味しさにおかわりをしたという。その様子が伝えられると地元で観光客の人気を博し、奄美大島を代表する郷土料理となった。

 
(註2)蘇鉄味噌と粒味噌
蘇鉄味噌はソテツの実(雌花の種子)を使って作る味噌で、全国各地の味噌の中でもとりわけ個性的な味噌の1つである。主な産地は奄美諸島や沖縄県の粟国島で、奄美の方言では、なり味噌(なりみそ・なりみす)と呼ばれている。ソテツ(奄美方言すてぃち)の実から取ったデンプンと玄米と大豆を原材料にしており、麹の配合比によってソテツの種子を主原料とするものと玄米を主原料とするものとに分かれる。前者は奄美方言で「しるわーしみす(汁沸かし味噌)」と言い、多くはサツマイモも加えて熟成させ、主に調味料として用い、後者は主になめ味噌として食用にする。塩分は調味用の方が高い。
 
【蘇鉄味噌】

(出展『株式会社ヤマア』)

 
蘇鉄味噌づくりで最も特徴的なのは、微生物の働きでソテツの持つ毒素を取り除く「解毒発酵」が行われていることである。発酵でソテツの実の毒を取り除いてから麹菌を付けていくという独特の製法が用いられている。
特有の風味と甘味があり、奄美や沖縄では古くからお茶請けやツマミとして食べられているようだ。
また、蘇鉄味噌を使った料理も豊富で、魚の身をほぐして混ぜ込んだユーミソや豚の耳や内臓と混ぜたワミソなどがある。

道理で島には至るところにソテツが生えてたワケだ。かなりクロマダラソテツシジミに食害されてたけどさ。

 
【クロマダラソテツシジミ 低温期型♀】

(2018年 和歌山県白浜)

 
参考までに言っておくと、滞在中、クロマダラソテツシジミは1つも見なかった。真面目に探したワケではないが、もし発生していたならば、ソテツの周りでアホみたいな数がチラチラ飛び回ってる筈だから気づかないワケがない。それに吸蜜源のセンダングサの花は何処でも咲いていたから、いたならば1つや2つは目に入っていた筈。おそらく端境期だったのだろう。

奄美大島にはこの他にソテツの実を使わないで作る粒味噌もある。

 
【粒味噌】

(出展『株式会社ヤマア』)

 
粒味噌は島味噌とも呼ばれ、粗めに挽いた大豆を使う奄美の伝統的な味噌。塩分が少なめなのが特徴。見た目は名前のとおり粒々で、お茶うけにされたり、豚味噌や魚味噌、ニガウリ味噌などを作る際にも用いられる。

画像を見ても蘇鉄味噌と粒味噌との違いがワカラン。
見た目、ほぼ同じだもん。よって「鳥しん」で出されたものがどっちなのかは特定できない。白胡麻が振ってあるので、おそらく蘇鉄味噌だと思うんだけど…。でも粒味噌は豚味噌や魚味噌に使われるから、それを作るために店には置いてある筈だからなあ…。まあ、どちらにせよ甘いから、本音はどーだっていいんだけどさ。

-参考文献-
◆Wikipedia

  

2020’青春18切符1daytrip 第四章(3)最終回

 

 第3話(最終話) 紀州の春の味

 
 2020年 4月10日(後編)

 
再び「スナック変てこネーミング愛好家」の活動が始まる。
今度は反対側から繁華街へ入ろう。

 

 
『銀ちろ専用二輪車置場』。
店の看板にチャリンコの置き場所を示すだなんて斬新だ。
でも、店本体が見当たらない。謎です。ステルス店舗なのかもしれない。地方に行くと、時空間が時々歪むからね(笑)。

『居酒屋 味心 むそう』。
「むそう」が無双の事なのか、それとも夢想を表しているのかがワカラナイ。いや、両方の意味が込められているからこその平仮名表記なのかも。だったとしたら、そんな掛け合わせをしようなんて考えた店は唯一無二だろうから、無双かもね。

『紅葉』。
「もみじ」もしくは「こうよう」という店名かと思いきや、下に「KREBA」の文字がある。「くれば」だったんだね。
けど、その読み方って無理がないかい❓普通に読めば「くれないば」、もしくは「べにば」だよね。紅に「くれ」という読み方はないのだ。
まあいい。にしても、何でわざわざ秋に限定されるようなネーミングにしたんだろね❓まさか秋限定のオープンなワケでもなかろう。う〜ん、ママさんの名前が「紅葉」でもなければ、解せませぬ。

『SEED』。
種子❓種(たね)は物事の始まりを表すものでもあるからして、理解できなくもない。
いや、まさかのママさんの名前が「タネ」だったりしてね。だとしたら、どんだけオールディーな名前やねん❓
そうじゃなければ、まさかまさかのシードの別の意味でもある「精液」や「精子」だったりしてね。(-_-;)…、だとしたら相当に奥が深い。ハプニングバーとか、とんでもない店だったらいいなあ。

『居酒屋 白百合』
「昭和」を通り越して、もう「大正」の世界だ。
一周回って大正ロマンの香りさえ漂っている。

振り返っても撮る。

 

 
どうやらこの通りは味光路(あじこうじ)というらしい。

 

 
『AGAIN』。
アゲイン。再び。
また来てねという意味か?
他に浮かばないし、段々無理からイチャモンつけるのも面倒くさくなってきたよ。

『LARME』。
ラルムというのはフランス語の「涙」「涙の雫(しずく)」の事でいいのかな。
にしても、そんなマイナス思考のネーミングでいいんすか❓

『スナック すみれ』
何ら奇抜さがない普通のネーミングだ。
でも奇を衒わないところが、かえって新鮮だ。明朗会計に違いなかろう。好感もてます。

『LUSH』。
普通に訳せば、「青々とした」「瑞々しい」だろう。
調べたら他にも意味があって、「大酒呑み」とゆうのが出てきた。たぶん由来はコレだな。
さておき、下の「a new sense bar」とゆうのが引っ掛かる。新しいセンスとは何❓
このネーミングのワケの分からなさにスナック文化の面白みがある。こうしてアレコレ想像するのは楽しい。ネーミングの裏に、その人の人となりが見え隠れするのだ。

『がらくた』。
(☆▽☆)来たー❗、自虐系ネーミング❗
けど、ストレートの平仮名表記である。普通ならば「我楽苦多」などという宛字をブチ込んでくるのがセオリーなんだけどね。その路線にいかないのは、言うほどポンコツではなさそうだ。ただの自虐的な人なのかもしれない。

後ろのビルの看板が横に写っている。気になるからコッチもコメントしておこう。

『Pino』
イタリア語かな❓ならば「松の木」とか「松ぼっくり」という意味になる。可愛さ演出かしら❓
単にお菓子のピノ好きの店主だったりして…。

『Bebe』
普通に考えれば「赤ちゃん」だよね。
ばぶばぶの赤ちゃんプレーの店だったりして…。いかん、いかん。どうしてもエロに走るクセがある。
だとしたら、フランス語の「パートナー」という意味なのかもしれない。豚が2頭向き合ってるしね。
でも、ちょっと待て❗
下には「Boys snack」という文字があるではないか❗❗
とゆうことは、モーホーの集まるスナック❓それもパートナーを探す的な❓しかも赤ちゃんプレーがメイン的な❓
頭がオカしくなってきたところで、目的の店の前に着く。

 

 
ここの向かい側が店となるのだが、惹かれる風情があって、つい写真を撮ってしまったなりよ。
あっ、でも惹かれた理由は風情だけじゃないと直ぐに気づいたよ。

 

 
🎵ホッピー(◠‿・)—☆
久し振りに看板と幟を見たので、テンションが上がる。奴は関東文化圏のもので、関西ではあまり見ないのだ。これは東京に住んでた頃に劇団の先輩に教えてもらったというか、仕込まれた。
えー、ホッピーとは下町のヤサグレ親父たちのフェバリット安酒の事である。
もとい、厳密に云うとホッピーそのものは酒ではない。

 

(出展『Wikipedia』)

 
ホッピー(Hoppy)とは、ホッピービバレッジ(旧・コクカ飲料)が1948年に発売した麦酒様清涼飲料水のこと。平たく言うと、ルートビアみたくビールテイストの炭酸飲料の事ね。でもホッピーといえば、焼酎をこれで割った飲み物を指す場合のことの方が多い。
ホッピーが発売された頃は、まだビールは高価だったそうな。なので、そのビールの代わりにホッピーで焼酎を割って飲む技が編み出された。そして、手軽にビールの満足感を得られる酒として関東圏で急速に広まっていったらしい。そう、ビールモドキなのだ。その辺からして男たちの苦い哀愁が漂うなあ。
ちなみに今でも東京の大衆酒場には必ずと言っていいほど置いてある筈だ。まあ、安く飲める酒の代表選手みたいなもんだすな。飲んでるオヤジたちもイタい人が多かったから、場末感満載なのだ。何だか懐かしい。

又しても脱線してもうた。
いざ、目的の店にゆかん。

 

 
『紀州魚介庵 かんてき』。目的地到着だす。
店はビルの奥まったところにある。

 

 
「かんてき」とは、関西では七輪(しちりん)の事だが、火がカチカチ熾る様から癇癪(かんしゃく)持ちを表す言葉でもある。つまり気が短くて怒り出したら止まらない人で、感情がコントロール出来ないってこと。
たぶん店の名の由来は、この両方で、どちらかとゆうと後者だと推察される。ならば、めんどくさい親父に決まっている。テメェで付けてるくらいなんだから、自他ともに認める性格なのだろう。

口あけだから、客はワシ以外には誰もいない。

 

 
カウンターの真ん中に座る。
店の雰囲気は昔からある居酒屋という感じだ。

 

 
目の前の大将は、よく喋る。
気は如何にも短そうだ。でも本当の癇癪持ちならば、店を長く続けてはこれなかっただろう。ようは気は短いが、気のいいオヤジさんってとこなのだろう。ヤンチャの匂いがしますな。

当然、先ずは何をおいても生ビールから入る。

 

 
付き出しは「イソモン(磯もん)」という地元で穫れる貝。
磯で穫れる貝を総称してそう呼ばれる事が多いが、見たところ1種類だけだから、どうやら地元ではそう呼ばれている貝なのだろう。一瞬、シッタカ(尻高)にも見えたが、似ているけど頂きはシッタカみたく鋭く尖ってないから別な種だね(註1)。

金串で根元を刺し、貝を手でぐるりと回しながら身を取り出す。こうすると、先っちょの肝までキレイにとれる。
味はシッタカとほぼ同じで旨い。肝のホロ苦さがよろしおまんな。所謂サザエの壺焼き系の味だ。それよか柔らかいけど。

 

 
お次は黒ビール。
黒ビールの生を置いてある店は少ないから、飲むことにした。

 

 
久し振りに飲む黒ビールは豊潤で旨い。

 

 
刺身盛合せ。
左は上からモチガツオ、モチガツオ心臓、グレの白子。右はヒトハメ、グレ、ウツボのたたきである。

モチガツオとは紀州の春の味覚の一つ。黒潮に乗って2~5月頃に紀伊半島沖に現れるカツオの中でも午後になると岸近くに寄って来るモノのことをいうそうだ。本来、カツオは遠洋にいるものとばかり思ってたけど、そうゆうカツオもいるんだね。
それを釣り上げて活け締めにして即座に陸揚げしたものは、死後硬直が始まる前のモチモチとした食感が味わえるそうだ。モチモチだからモチガツオと呼ばれてるってワケだね。付け加えておくと、モチガツオと言える状態は短く、水揚げされてから6時間以内なんだってさ。

モチガツオから食べてみる。
\(☆▽☆)/ワオッ❗、確かにモチモチの食感だ。
旨味もあって、(´ω`)うみゃーい。

お次は心臓だ。
艶々してて張りがあり、如何にも鮮度が良さそうだ。
(・o・)あっ、コリコリだ。珍味ですなあ。

続いてグレの白子。
コチラも見るからに鮮度が良い。たぶんグレの白子は初めて食べるんじゃないかな。
うん、臭みは全然ない。期待どおりの味だ。旨い。
とはいえ、鯛やフグの白子の旨さには及ばないけどね。

右側に移ろう。
わかりにくいが、一番上は「ひとはめ」という海藻である。
人をハメちゃうの❓何だか純真な田舎娘をシャブ中にしてソープに売り飛ばす悪いヤクザみたいな名前じゃないか。もしくは妖怪の名前みたい。『悪戯妖怪ひとはめ』。
「雨の日でもないのに道の角を曲がった所に水溜まりをこさえ、人がハマったのを見て、キャッキャッと喜ぶイタズラ系妖怪の事。」とかさ。
スゲー名前だなと言ったら、お女将さんが正式名称は「ヒロメ」だと言って小冊子みたいなのを見せてくれた。

 

 
「それによると、こう書いてあった」と書きかけて、邪魔クサイので画像を拡大する。

 

 
ようするにワカメの親戚みたいなものだ。
ただし細長くなくて、名前のとおり幅が広い。
ちなみに「ヒロメ」の「メ」は海藻(海布)という意味。これはワカメを漢字で書くと「若布」と書くことからも解る。
「ヒトハメ」の方は後で調べてみたら、人をハメるというヤバい由来は全然なくて、〝一つの葉〞で「一葉布」なんだそうな。

 

(出展『ぼうずコンニャクの市場魚貝図鑑』)

 
(出展『和歌山県ホームページ』)

 
葉部が大きな卵形で切れ込みがなく、メカブを作らないのがワカメとの違いみたい。

味は旨い。
シャキシャキとした食感なのに、部位によっては柔らかくてとろみがあって美味しい。粘質物に含まれる食物繊維「フコイダン」がワカメより多いそうだ。
とはいえ、生のワカメをサッと湯通ししたものと、ほぼ変わらない。黙って出されればワカランだろう。

最近は養殖も試みられており、「紀州ひろめ」というブランド名で販売促進されているという。
しかし近年は温暖化で冬場の海水温が下がらないためか、生育状況が良くなくて、収穫量は年々減少しているという。

ネクスト、その下はグレの刺身。
えー、グレとは関西での呼び名で、関東ではメジナと呼ばれている磯の代表的な魚ですな。
グレにはあまり良い印象を持ってない。磯臭いのだ。特に夏場はゲロ臭い。けど餌が違う冬場は美味であるという話も聞く。
それでも何度か食べた事はあるが、特別旨いという印象はない。
この時の味の感想の方だが、1年近く前の事なのでハッキリとした印象はない。ただ、グレにしては旨かったような記憶が残っている。

最後は「ウツボのタタキ」。
ウツボは見た目が凶暴且つグロテスクで小骨も多いので積極的に食べる地方は少なく、紀伊半島南部の一部と房総半島南部、高知県くらいだろう。
何度か食べた事があるが、タタキとはいうものの、生ではなくて火が結構入っている。レアチャーシューとか、ステーキでいえばミディアムレアみたいな感じに仕上げられたのものが多い。
色は白っぽくて鶏肉に似ていて、身は肉厚で柔らかい。味は淡白ではあるが独特の旨みがある。一方、皮は歯応えがあって弾力が強い。皮下と共にゼラチン質でコラーゲンも豊富そうだ。コチラの部位は、噛むと皮下のゼラチン質から濃厚豊潤な旨みが広がる。この身と皮の2つの異なる風味が合わさった味わいがウツボの最大の魅力かもしれない。
とはいうものの、めちゃくちゃ美味いってワケでもないけどさ。食べる機会があれば、トライしてみてはと云うレベルだ。

 

 
海老団子。
野菜も入っている。呻くほどではないが、旨い。

客は誰も来ない。
4月7日に東京や大阪など7府県に対してコロナウイルスに対する緊急事態宣言がなされていたが、和歌山県は対象外だった。
なのに、この閑古鳥の状態である。こんなとこまで影響力があったんだね。未知の病気だっただけに、当時は皆、相当にビビってたんだろう。あとは下手に調子ブッこいて外出して罹患でもすれば、周囲からの批判に晒され、病人なのに袋叩きに遭いそうな雰囲気があったせいもあるかもしれない。
尚、緊急事態宣言の対象を日本全国の都道府県にまで拡大したのは、もう少しあとの4月16日になる。

そういや、この時期には和歌山市の病院でもクラスターが発生したような気がするなあ。その影響もあったのかも。
結局、この日は他に一組の客しか来なかった。オヤジさん曰く、普段は満杯だそうで、土日などは予約しないと入れないそうだ。心なしか元気がなかったのは、そのせいかもしれない。いつもはもっと威勢がいいんだろね。

その後、和歌山県は知事の仁坂吉伸氏の適切な対応で、2021年の2月現在に至るまで感染は少数で抑えられ続けている。あまり報道されることはないが、その手腕は高く評価されているようだ。
余談だが、この仁坂さん、実を言うと蝶屋である。つまり、趣味は蝶の採集・蒐集・研究なのである。
去年の2020年10月には『ブルネイの蝶 Butterflies of Brunei』(NRC出版)という図鑑も出版されておられる。
定価10,000円+税(送料別)と結構な額の本だが、結構売れていて、在庫わずかだという。
これは蝶の雑誌『季刊 ゆずりは』に連載されていたものが下敷きになっていて、仁坂さんがブルネイ大使を務められていた2003~2006年に採集された標本を整理され、図鑑にしたものである。内容は、標本のカラー図版と各解説、巻末にブルネイの蝶663種のチェックリスト付いている。中には新種の可能性があるものも含まれているようだ。

 

(出展『Amazon』)

 
図鑑そのものは見ていないが、「季刊ゆずりは」の連載は一通り見ている。珍品もそこそこ採られておられるので、正直驚いた。どうせ片手間の何ちゃって蝶屋だと思っていたからである。
さておき、和歌山でも網を振られているのかな❓まあ、この御時世だと、それどころじゃないだろうし、見つかったらボロカス書かれるからなあ…。最近の世の中は、おおらかじゃないから揚げ足をとって、徹底的に叩いてくるからね。嫌な時代だよ。
えー、在庫わずからしいので、購入される予定の人は急ぎNRC出版か南陽堂にホームページにアクセスされたし。

話が逸れた。本道に戻そう。

 

 
お店の自家製カラスミ。
カラスミって魚卵好きには堪らんよね。何であんなに美味いんだろうと、つくづく思う。究極の酒のツマミの一つだろう。
となれば、ここは焼酎だろう。

 

 
勿論のこと、ロックである。

 

 
鹿児島県霧島市の国分酒造の芋焼酎『安田』。
店主曰く、芋麹で造られた全量芋製焼酎で、入手困難ゆえにプレミアが付きつつあるという。
通常の芋焼酎は米を使用して麹を造るのだが、これは麹造りから「芋」を使用しているから全量芋製なのだ。芋麹を用いることによって、より芋の風味が濃厚な仕上がりになるそうだ。
使用しているサツマイモも、通常使われる黄金千貫(こがねせんがん)とは異なり、蔓無源氏という品種で仕込まれている。
この芋は今から百年ほど前に食用として栽培されていたサツマイモで、わずか10本の苗から復活させたという。
尚、「安田」という銘柄の由来は、平成4年より国分酒造の杜氏となった安田宣久氏の名字を冠したものだそうだ。

飲んでみる。
あれっ❓ガツンとくるかと思いきや、優しい。香り豊かでフルーティーなのだ。芋焼酎にしては女性的だ。コレってワイングラスで飲んだ方がいいかもしんない。その方が、より香りを感じられそうだからね。
御託を抜きにして、味は素直に旨い。調子ブッこいてガンガンに飲みそうだ。でも、今日はちゃんと電車に乗って帰らねばならぬ。酒バカにならぬよう、ちっとはセーブしよう。
けどカラスミを少し囓って焼酎を口に含んだら、ブレーキホースが瞬時にブッた切れた。焼酎⇒カラスミ⇒焼酎のエンドレス運動が始まる。
この円環のためには下に敷いてある大根が邪魔だ。マイルドアイテムは要らぬ。酒呑みは口中の濃い塩味と旨味を酒で洗い流すのを旨(むね)としているのだ。大根は大根として別に食うべし。それはそれで旨いのだ。

 

 
こんなの頼んだっけ❓
たぶんカツオの心臓の煮付けだと思うが、食った記憶もない。
まあ味は大体想像つくけどさ。おそらく基本は魚の内臓の味で、ホロ苦かったんだろう。
こうゆう渋い酒のアテは、エンジンがかかりやすい。

 

 
『国分 純芋 醸酎』。
コチラも国分酒造の芋焼酎で、「現代の名工」として国から表彰された安田杜氏が手掛けたものだ。
コレも「安田」と同じく従来の製法を払拭し、麹造りの際に米を使用しないサツマイモ100%の芋焼酎だ。ただし、地元産のさつまいも黄金千貫で芋麹を造り、黄麹で仕込んだものである。蒸留後は無濾過・無調整で1年熟成。加水せずにそのまま蔵出しされたものだそうだ。ゆえなのか、アルコール度数は35度と高い。

飲んでみる。
ふくよかで華やかだ。黄金千貫を贅沢に使い、白麹ではなく黄麹を使用しているからか特徴的な甘みと、まろ味(旨味)も感じられる。こっちも旨いね。甲乙つけ難いが、どちらかというとこっちかなあ。

 

 
蛍烏賊の沖漬けだよね。
これも、あまり頼んだ記憶がない。どうせ焼酎に合うだろうと思ってオーダーしたんだろな。どうみても酒呑みが好きそうなものだもん。

あっという間に時間が過ぎた。
旨い食いもんと旨い酒は時間を忘れさせる。
何で幸せの時間は短く感じるんだろ。解るようで解らない。

すっかり外は夜になっていた。駅の光がまばゆい。
午後8時39分発の和歌山ゆきに飛び乗る。

 

  
23時40分、天王寺に到着。

 

 
23時48分発の大和路線の難波ゆきに乗る。

 

 
ようやくJR難波駅に到着。

 

 
23時56分。期限ギリギリで改札を出た。

 

 
外に出ると、まあるい満月が夜空に掛かっていた。
ここに旅の円は閉じた。
小さく息を吐き、「これにて青春18きっぷの旅、終了。」と呟く。
春のやわらかな夜気は、どこまでも穏やかだった。

                        おしまい

 
追伸
第二章の途中で頓挫していたシリーズだが、何とか再開して10ヶ月後に完結できた。基本的には中途半端なのは嫌いなので、ホッと一安心。ようやく肩の荷が下りたよ。
思えば第一章の福井編が5話、第二章の武田尾・三田編が4話、第三章の山陽道編が2話、第四章の紀州編が3話の計14話も書いている。しかも各話が長い。自分でもよく書いたなと思う。
途中で頓挫したのは、多分この長さゆえだったのではないかと思う。書いてて、進まない終わらないで自分でも途中でウンザリしてきたのだ。そこへきてカトカラシリーズの連載が再開したものだから、そっちに力を注ぐことになったのだろう。
今年度の目標は文章を短くする事かな。でも脱線癖を治さねば無理だね(笑)。
文章を書き慣れない人は長い文章を書くのが苦手だろうが、実を言うと短い文章の方が難しい。慣れれば長い文章は誰でも書けるようになるが、それを削ってコンパクトにする方が遥かに難しいのだ。付け足すよりもソリッドに削る方が、より時間もかかるし、難産なのだ。

例によって、この日の正規運賃を示しておこう。

JR難波⇒道成寺 ¥2310
道成寺⇒紀伊田辺 ¥680
紀伊田辺⇒JR難波 ¥3080

              計 ¥6070

今回のチケットは金券ショップで購入した4回分¥6000(もしかしたら¥5000かも)のものだから、1回分を¥1500とすれば、以下の計算式となる。
¥6070ー¥1500=¥4570
つまり、¥4570もお得だったワケだすな。やっぱ青春18きっぷは、とってもお得なんだね。

そろそろ春も近い。
「かんてき」には、今年も行きたいなあ…。モチガツオと自家製カラスミは、もう1回食べたい。

(註1)シッタカみたく鋭く尖ってないから別な種だね

帰って調べてみたら、正式名称はクボガイのようだ。

 


(出展『ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑』)

 
北海道南部以南の日本各地、朝鮮半島、中国南部にかけて分布する。潮間帯の岩礫地に棲み、藻類を食べる。
「磯もの」や「磯玉」と呼ばれ、シッタカと共に海辺の居酒屋や宿などで茹でたものが出ることがある。身は小さいが、はらわたは磯の風味があり、足は甘みがあって美味。
(『Wikipedia』より抜粋)

参考までにシッタカの画像も貼り付けておきます。

 

(出展『ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑』)

 
正式名称は「バテイラ」というらしい。けどあまり使われてなくて、シッタカの方がポピュラーな名前だす。
それにしても、流石のぼうずコンニャクさんだ。食べられる魚介類は調べりゃ何でも出てくる。ホンマ、重宝しとります。

 

2020’青春18切符1daytrip 第四章(2)

 
 第2話 紀州逍遥

 
 2020年 4月10日(中編)

 
道成寺駅で次の電車を待つ。

 

 
特急くろしおがやって来た。
遠くから特急が近づいて来るのって、何だかワクワクする。

 

 
でも引きつけ過ぎて顔が切れてしまった。
さておき、特急くろしおは既に289系が導入されている筈だが、これって287系だよなあ。一挙に全部入れ替わるというワケではないんだね。冷静に考えれば当たり前なんだけどね。

暫くして、反対方向からも特急が来た。

 

 
w(°o°)wあわわっ、今度も287系だけどパンダ仕様じゃないか。
白浜アドベンチャーワールドにはパンダが沢山いるからね。でもコレって全然かわゆくないよね。

 

 
(☉。☉)ゲッ、又しても顔が写ってへーん。
一つ前の画像を拡大したら、正面の顔は確認できるけど、一応借り物の画像を貼り付けておこう。

 

(出典『Wikipedia』)

 
やっぱ全然、可愛くねーや。
ついでだから、最初の顔が切れた別タイプの車両の画像も貼っつけておきまふ。

 

(出典『Wikipedia』)

 
「特急くろしお」については前回に書いたので、気になる人は前回を読みませう。

 

 
駅の歩道橋って何となく好きだ。

 

 
線路が遠くまで見えるし、周りの風景もよく見える。
列車を真正面や真上からも見れるし、到着と出発、人の乗り降りも見える。それが好きなんだろね。

午後1:27の紀伊田辺ゆきの列車に乗る。
さて、次は何処で降りようか❓青春18きっぷなんだから、今日中ならば何処で降りようが自由なのだ。

 

 
視界が広がる。
山々の芽吹きが眩しい。南なだけに照葉樹が多いのだろう。
ここで漸く気づく、この列車って窓が広いぞ。だから視界がバーンと広がったのだ。

 

 
切目駅を過ぎた辺りだったろうか、海が見えた。
ここまで来ると青いね。綺麗だ。
以下、ずっと海〜\(•‿•)/

 

 
水平線が見えた。

 

 
しかも、ずっと目の前が海だ。
贅沢だなあと思う。特急ならアッという間だが、鈍行列車だと各駅に停まるので、落ち着いた気持ちでゆっくりと海を眺められる。何か得した気分だ。世の中、何でもかんでも速くて便利だからいいってワケではないのだ。

 

 
川を越える。
おそらく南部川だろう。

 

 
南部(みなべ)駅は素敵だ。
改札を出る前から海を感じられる。改札の先は海へと続く真っ直ぐな道だ。少し歩けば、すぐ海なのだ。そうゆう駅って無条件に好きだ。心が自然と沸き上がる。
懐かしい…。南部の海はダイビングインストラクター時代に何度も訪れているから思い入れがあるのかな。

 

 
午後2時過ぎに紀伊田辺駅に到着。
駅名を改めて見て違和感を覚える。此処を紀伊田辺と呼ぶ人は関西人でも殆んどいないだろう。皆、単に「田辺」と呼ぶ。
なのに何でわざわざアタマに「紀伊」とつけたのだろう❓
あっ、そっか大阪の東住吉区に「田辺」という地名があったな。そのせいなのかもしれない。
場所は天王寺の南南東にあり、「田辺」の他に「北田辺」「南田辺」「西田辺」「東田辺」という地名があって、東田辺を除いて同じ名称の駅がある。それぞれ路線は違ってて、田辺駅は地下鉄谷町線、北田辺駅は近鉄南大阪線、南田辺駅はJR阪和線、西田辺駅は地下鉄御堂筋線だ。

ここは、その昔「田辺郷」と呼ばれ、庚申街道や下高野街道、難波大道など数多くの歴史街道が交差することから、古来、難波宮の時代から栄えていたそうな。
「田辺」は古くは田部とも書き、飛鳥時代に朝鮮半島から渡来した豪族田辺氏が開発した土地で、隣の平野区も含め付近一帯は渡来系に因む地名が現在も残っている。
杭全神社のある杭全(くまた)地区は杭全荘を開発した坂上(さかのうえ)氏が開発した土地だと言われている。坂上氏は百済(くだら)系の渡来人で、JR東部市場前駅の百済貨物駅や百済大橋などにその名が残っている。補足すると、平安時代には今の生野区から平野区・東住吉区の一帯は百済郡と呼ばれていたようだ。生野区の鶴橋一帯が今もコリアンタウンなのは、それと何らかの関わりが有りそうだにゃ。
また駒川商店街のある駒川は高麗(こま=こうらい)の宛字だとされるし、地下鉄喜連瓜破(きれうりわり)駅の喜連は、高句麗(こうくり)の「高」を略して喜連の字を宛てたとされているみたいだ。
言わずもがなだが、百済、高麗、高句麗は何れも朝鮮の王朝名である。つまりは、古い時代からこの一帯は朝鮮系の渡来人が多く住む土地だったのだろう。

尚、なにわ伝統野菜の一つ「田辺大根」の名称は、此の地に由来する。
余談ついでにもう一つ。ちなみに北田辺は作家の開高健が育った町だ。あの巨匠のもっちゃりとした大阪弁は、田辺の地で培われたのだね。
何で、こんなに詳しいのかというと、何れの場所も自分の育った町から近かったからである。特に東田辺はすぐそこだった。
(・o・)あっ、しまった。いつの間にか脱線してたよ。メンゴメンゴ🙏

改札を出ると、駅構内に↙こんなのがあった。

 

 
田辺といえば南方熊楠だが、あの怪力無双の荒法師 武蔵坊弁慶もそうなの❓
でも弁慶って、田辺と何か関係あったっけ❓
下にある解説を読むと、弁慶の出生地は田辺だという説が最も有力らしい。(・o・;) へぇー、そうなんだ。
あとの人は知らんなあ…。あっ、片山哲は辛うじて知ってる。総理大臣だった人ね。世間一般的にはマイナー総理だけどさ。

インフォメーションで地図を貰い、駅を出る。

 

 
駅舎は残念ながら新しい。
古い駅舎の方が風情があって好きなんだけどなあ。容易に旅情感に浸れるからね。謂うなれば、お浸りロマンチスト増幅装置みたいなものなのだ。

 

 
ふ〜ん、ちゃんと駅前に弁慶さんの銅像まであるのね。
全然、紀州のイメージはないけどなあ。どっちかというと京都や「弁慶の立ち往生」で有名な平泉(岩手県)とかだよね。
いやさっ、でも紀州といえば山岳信仰の地だから、弁慶の出で立ちである山伏とは通ずるところがあるな。

田辺駅で降りて街に出たのには、3つの理由がある。
順番が逆のような気もするが、1つめは物理的な理由からだ。
何も調べてこなかったから目をパチクリしてしまったが、次の普通列車は午後4時50分発。何と3時間近くも間隔があくのである。
「バーカ、そんなの事前に調べとけよ。」と云うツッコミが入りそうだが、断固として受けつけない。それは自分の中での概念だと「旅行」だ。「旅」ではない。そうゆうことを言う人は、一生「旅行」だけしてなさい。旅と旅行とは違うのだ。
旅行は計画ありきのものだが、旅は「予定は未定であって、しばしば変更」流浪のものなのだ。
ことわっておくが、別に「旅行」というスタイルを否定しているワケではない。時と場合によっては、自分もそうゆう形式は使うからね。単にスタンスの違いだ。女の子との旅行は流石に宿は予約するからね。けんど、一人旅だと外国でさえも宿泊の予約は入れない。
とはいえオイラ、デートも綿密に計画を立てることは少なくて、待ち合わせ場所で何処へ行くのかを決めちゃうな人だからなあ…。その後も、その場その場で行き当たりばったりで決めてくからなあ。だから、時に動線が無茶苦茶になる時だってあるもんな。
たぶん、予定調和が嫌いなのだ。計画をこなす事よりも、きっと何が起こるか自分でもわからない、ようはサプライズを期待してる人なのね。
一応、言っとくけど、計画を立てるのが苦手なのではない。立てろと言われれば、完璧に立てられる人でもある。
あれっ(・o・)❓、オラ、何言ってんだろ。そんな偉そうな自慢話なんて、どーでもいいクソみたいな話だわさ。脱線太郎、スマンスマンのプチ反省(◡ ω ◡)なり。

兎に角そんな長い間、駅で待ってるワケにはいかない。気が短いから退屈すぎて死んでしまうわ。
ようは、たとえこの先へ進むにしても、時間つぶしをしなければならないとゆうワケだね。直近にして突発的理由だから、これが最たる理由なのだが、やはり順番が間違ってたような気がするね。
他の理由は、田辺に行きたい居酒屋があったことを思い出したからだ。去年(2019年)、青春18きっぷの旅について書かれた雑誌を見てたら、モデルケースの一つに紀州方面があり、田辺の居酒屋が取り上げられていたのだ。地元の珍しい食材に拘った店で、しかもリーズナブルだと紹介されていた。まあ、これとて降車する10分か15分前に思い出した事なんだけどもね。
あとは田辺市内を観光したことがないし、熊楠が生まれ育った街を見てみたいとゆうのもあった。
なんか、グダグダになってきたな。グダグダついでに、グダグダで続けよう。

ただ、それでも当初は田辺には少し立ち寄るだけのつもりだった。予定では1時間くらい居てから、もう少し先に進んで、また夕刻に田辺まで戻って来て居酒屋に行くつもりだった。でも、このまま此処が今回の旅の往路終着駅になりそうだ。こんなにも先に進む普通列車が無いとは全くの予想外だったからね。時間的にみて、次の5時前の電車には乗れない。物理的に乗れないワケではないが、乗れば夕飯どきに戻って来れない公算か極めて高い。下手したら居酒屋は諦めなくてはいけない。そう考えると、この先へは進めないのだ。
もしも道成寺で下車していなければ、13:10発の新宮ゆきってのに乗れたんだろな…。新宮までは無理としても、周参見、白浜、串本、勝浦、那智の何処かまで行って、そこで過ごしてから夕方に田辺に戻って来るというのが正解だったのかもしれない。
まあ道成寺は道成寺で、それなりに面白かったから後悔はしてないけどね。
結論。今さら考えても仕方ない。ここは腰を据えて田辺をじっくりと回り、堪能しようではないか。

 

 
先ずは居酒屋の位置確認からだ。
情報は去年のものだから移転しているかもしんないし、何か、やんごとなき事由で店を閉めている事だって有り得ないとは言えないのだ。それに、このコロナ禍の御時世だ。休業している事だってあるかもしんない。

繁華街へと向かう。

 

 
『すなっく かっぱ』に『たつまき』。
いきなりパンチの効いたネーミングの店が登場だ。
第一章の福井県敦賀編でも熱を入れて書いたが、実をいうとオジサンはスナックの変てこネーミング愛好家なのである(笑)。

「かっぱ」って、当然あの妖怪の河童のことなのだろうが、何で河童なん❓店主がカッパに似ているのだろうか❓或いは、全身緑色だったりして(-_-;)…。
それとも無類のカッパ好きなのだろうか❓だとしたら、余白があるんだからカッパの絵ぐらい入れてもよさそうなものなのになあ…。
また或いは、I君みたいにむっつりスケベのエロガッパなのだろうか❓
もしくは、店主が事あるごとに、

『尻子玉、抜いたろかぁー❗』

と叫んでるエキセントリックな店だったりしてね。
だとしたら、ちょっと行ってみたいぞ。かなり勇気いるけどさ。

『たつまき』ってのもなあ…。
何で付けたのかよくワカランぞなもし。竜巻の勢いにあやかっているのならば、そこは漢字でしょうに。平仮名に何かしたら弱まって「つむじ風」になっちまうじょ。絵も竜巻って感じじゃなくて、巻きが軽いもんなあ。竜巻を起こすくらいのインパクトのある店を目指しているなら、根本から間違ってやしませんか❓、ねぇ❓
もしも名字が「竜巻さん」だったら、即あやまりますけどー。

 

 
『蝶 Butterfly』。
店主はワタクシと同じく蝶を愛し、趣味としている蝶屋さんなのかなあ…。だったら、いいなあ(. ❛ ∇ ❛.)
で、すげー艶っぽい妙齢の美人さんなら最高なんだけどなあ。
二人して周りの客をほっぽらかして、丁々発止の熱い蝶談義を交わすのだ。
そんなの、リー即で惚れてまうでぇー💖
まあ世の中、そんな奇跡なんて有り得ないと思うけど…。
親しみ安いからか、世に、蝶だのバタフライだのパピヨンなどと云う店名の店はゴマンとあるのだ。ゆめゆめ、あらぬ期待を持ってはならない。
それはそうと、尾突がないね。そうゆう店に有りがちなアゲハチョウのシルエットではない。モルフォチョウ❓にしては微妙にフォルムが違う。詮索はよそう。間違いなく大脱線が待っている。

『磊風八 らいふうや』。
磊落の磊に風と八。店の店風というかコンセプトが豪放磊落って事なのかな❓八(や)は「屋」とかけているのかもしれない。だとしたら、中々に洒落っ気があって凝っている。好きかどうかは別だけど。

 

 
左の『乱舞』に、右の真ん中は『YAMA CHAN』やね。
スナックに有りがちな定番的とも言えるネーミングセンスだ。

『乱舞』と書いて、英語で小さく「RAN-BU」と入れるのも定番手法だ。真ん中を棒線で区切ってるところに悦があるね。
さておき、何故にスナックの名前に大胆にも乱舞なんて大仰ネーミングをしてしまうのだ❓コレもまたスナックならではの、あるある風呂敷デカめパターンだ。
けど、店のドアを開けたら、実をいうとサンバの店で、半ケツのネェーちゃんたちが群がって踊りまくりの、ホントに乱舞しているやもしれぬ。(。◕‿◕。)だったらいいなあ。
それって、間違いなく楽しそうだもんなあ(✿^‿^)

『YAMA CHAN』。
このアダ名を横文字化する手法も多い。普通に「山ちゃん」でいいと思うんだけど、変にカッコつけてネーミングしてしまうのがスナックカルチャーなのだ。

たぶん店主は山田さんか山本さんだろう。
山野さんとか山下さん、山村さん、山川さん、山上さん、山口さんに、山崎さん、山中さん、山森さんかもしんないけどさ。あらま、これだけでもかなりポピュラーなのが揃っているじゃないか。それこそ、他にも山と有りそうだ。失礼、思わずクソ駄洒落を言っちまったよ。
改めて山がつく名字っていっぱいあるんだなあ。山で始まるものだけでも凄い数になりそうなんだから、これに山で終わる名字の中山とか大山や、小山内や小宮山など3文字の山入り名字まで含めるとなると、とんでもない数になりそうだ。

調べてみたら、何と山とつく名字は全部で260種類くらいあるんだとさ。
恐るべし❗、マウンテン名字勢力。

 

 
『スナック 可憐』。
怒られそうだけど、中に入って可憐な女性がいる確率は1000%ないだろう。むしろ、それと正反対のオババがいて、ズケズケと何やかやと説教される確率の方が遥かに高い。
スナック愛好家って、もしかしたらこのギャップを愉しんでいるのかもしれない。自分は、あくまでも「スナック変てこ名前愛好家」であって、スナック愛好家ではないから(スナック好きではある)、その辺りのマニア特有の心情まではワカンナイけどさ。

『スナック ウィ』
何じゃそりゃ❗❓である。
途中、後半部が何らかのアクシデントで欠落しているのではないかと思ったけど、その痕跡は全くない。
一瞬、アフリカの得体の知れない言葉、たとえば呪術師の呪いの言葉じゃないかとさえ思った。それくらい尻切れトンボの違和感がある。
ウィは「ウィ マダーム」とかのフランス語だろうか❓それとも英語の「私たち」を意味する「We」なのだろうか❓どっちにしても意味不明だ。
店主の飼っている九官鳥のQちゃんの口グセとか返事が「ウィ」だったら、納得します。名前なんて本来は付けた本人が満足してさえいればいいのだ。(╯_╰)トホホ…、段々そう思えてきたよ。
とはいえ、しかけたオ○コはやめられないのと同じで最後まで続ける。

 

 
『すなっく 於恋路』。
漢字の部分はオレンジと読む。来夢来人(らいむらいと)とかに代表されるスナック文化定番の宛字ジャンルだ。
「於」の意味から検証しよう。
①おいて。おける。時間や場所を表す。 ②ああ。嘆息・感嘆の声。「於乎(ああ)」
恋をする場所ってことを言いたいのかな❓それとも単に嗚呼という感嘆を表しているのだろうか❓もう恋なんてしないとか。
だとしても、そもそも何でオレンジなん❓そこからして大いなる謎だ。恋とオレンジが繫がらない。
きっと全身オレンジのオバハンが、恋路の難しさに嘆息を連発している店なのだろう。
何かもうヤケクソな感じの無理からコメントになってきたな。己の想像力の貧困さに、嗚呼と嘆かざるおえない。

えー、店々の皆様、勝手な想像を並べ立てて、m(_ _)mすいません。
あたしゃ、アタマがオカシイのです。許してつかあさい。

アホな妄想をしているうちに目的の居酒屋の店前に到着。

 

 
『紀州魚介庵 かんてき』。
にしても予想外のポップな看板だ。オシャレですらある。頑固なクソ親父がやってると勝手に想像していたが、若くて可愛いピチピチGALの店だったりしてね。(◍•ᴗ•◍)❤だったらいいなあー。
いんや、そんなワケあるめぇー。どうせアルバイトに若い娘なんかがいて、その娘に描いてもらったというパターンに違いなかろう。

ちなみに看板の上側の店も気になるね。
『やすらぎの館 彩』かあ…。ワタシもやすらぎたい。彩の膝枕してもらってやすらぎたい。

とにかく、とりあえず目的の店はあった。
大阪がコロナで非常事態宣言になってるから、まだ予断は許さないけど、一応は一安心だ。もしダメなら『蝶 Butterfly』か『やすらぎの館 彩』に行くよ。どっちも閉まってたら、カッパをブン殴って帰る。

さて、あとはどう時間つぶしするかだね。
とりあえず南方熊楠関係だろなあ。

 

 
南方熊楠顕彰館。
熊楠が遺した蔵書・資料等を保存・公開し、熊楠に関する研究を推進、情報発信もしてるとこなんだそうだ。
入場料は350円。安いのか高いのかワカランな。いや、妥当かなあ。とにかく折角ここまで歩いて来たんだから入ろう。

 

 
熊楠を知らない人もいると思うので、解説しておきます。

南方熊楠(みなかた くまぐす 1867~1941)
日本の博物学者、生物学者、民俗学者。
生物学者としては粘菌の研究で知られているが、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究もしており、さらには高等植物や昆虫、小動物の採集も行っていた。そうした生態調査に基づくエコロジー(ecology)的な見地を早くから日本に導入したことでも知られ、博物学、民俗学の分野における近代日本の先駆者的存在である。
和歌山城下に生まれ、大学予備門(現東京大学)退学後に渡米、さらにイギリスに渡って大英博物館で研究を進めた。『ネイチャー』誌に寄稿した多くの論文が掲載されており、その数51本は、現在に至るまで単著としては歴代最高記録であるという。
帰国後は田辺に定住。多くの論文を著し、生涯を在野で過ごした。
フランス語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語、英語、スペイン語に長けていた他、漢文の読解力も高く、古今東西の文献を渉猟した。熊楠の学問大系は博物学、民俗学、人類学、植物学、生態学など様々な分野に及んでおり、一つの分野に関連性があるもの全てを知ろうとするものであった。その厖大な知識の網を下敷きとした研究は、曼荼羅にもなぞらえられている。謂わば「知の巨人」である。親交のあった民俗学の父とも呼ばれる柳田國男は、彼を評して「日本人の可能性の極限」とまで称していたという。
また熊楠の言動や性格が奇抜で人並み外れたものであっために奇行も多く、後世に数々の逸話も残している。

隣は南方熊楠邸だ。

 

 
って云うか、南方熊楠顕彰館が邸の隣に建設されたというのが正しい。つまり最初に邸ありきなのだ。

 

 
質素な建物には桜よりもミツバツツジの方がよく似合う。
ふと熊楠に似合う花は何だろうと考える。でも何にも浮かばないし、女性ならまだしも男性を花に見立てるのには無理がある事に気づいて、苦笑いする。

さて、次は何処へ行こうか❓
そういや居酒屋が載っていた雑誌には老舗の蒲鉾屋もあったことを思い出し、スマホでググる。便利な時代になったもんだ。行き当たりばったり度が下がるけどさ…。否、これもまた一つの行き当たりばったりか。

たぶんコレであろうと思われる店に向かって歩く。

 

 
連翹(レンギョウ)だろうか、道すがら黄色い花が咲いていた。
いやゴメン、エニシダ(金雀枝)だわさ。とにかく春だなあって感じだね。
ふと思う。そういや頓挫していた町田町蔵(町田康)が熊楠を演じた映画(註1)って、どうなったのだろう。完成したのかな❓
町田康は芥川賞だけでなく川端康成文学賞、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞、萩原朔太郎賞も受賞しており、今や小説家・詩人として有名だが、その昔は町田町蔵と名乗る伝説のパンクロッカーだったんだよね。INUというパンクバンドのボーカリストで『メシ喰うな!』という曲が多くのミュージシャンに影響を与えた。筋肉少女帯の大槻ケンヂもカヴァーしてた筈だ。
また役者としても評価されていて、石井聰亙監督のカルト映画『爆裂都市 BURST CITY』にも出演していた。たぶんサイドカーの横に乗ってた狂暴でイカれた奴だったと思うけど、間違ってたらゴメンよ。
何で町田町蔵の事にそんなに詳しいのかというと、大学時代の演劇部の後輩が町蔵の妹だったからである。
妹曰く、小さい頃から変人で、家の中でテントを張って生活してたらしい。そういや遠足に行く時は体操服じゃなくて、全身本格的な登山の恰好だったとも言ってたなあ。

蒲鉾屋に着いた。

 

 
「たな梅」。
如何にも老舗と云う店構えだ。
古い木造建築って、ホントいいよね。自然と心が和む。

しかし、中に入ってビックリ。
結構なお値段なのだ。どれも贈答用って感じの高級蒲鉾店でござんした。1、2枚をオヤツがわりに食おうと思ったのだが、そんな気安い値段のものはない。町の蒲鉾屋ってのは、だいたいが店先で揚げてたりするものだが、そうゆう庶民的な気安さは微塵もない。
一瞬、見栄を張って買ったろかと思ったけど、止めておくことにした。遠く離れた土地だ。この期に及んでチンケなプライドは要らんだろう。それにそもそも熱烈な練り物好きでもない。嫌いじゃないけど、小躍りするほど好きなものでもないのだ。だいたい、こうゆう練り物製品ってさあ、高級な魚を使ったからといって仰天する程に旨くなるかといえば、そうでもないんだよね。もちろん上品で旨いんだけど、じゃこ天とか安物の魚を使ったものでも旨いっちゃ旨いもんな。つまり値段の差ほどには、味に無茶苦茶に差があるワケではないんだよなあ。
「明らかに全然違う❗」と、ネスカフェ・ゴールドブレンドの人みたく「違いのワカる男」には叱られても仕方ないけどさ。でも、そこまで練り物愛があるワケではないのです。

時間がまだあるから、天神崎まで行こうかなと思った。
駅からでも歩いて30分くらいで行けると書いてあったからね。今からだと、ちょうど夕日が沈む時間になるかもしれないしね。
天神崎も懐かしい場所だ。ダイビングインストラクター時代に何度か潜ったことがある。風光明媚なロケーションで、日本初のナショナルトラスト運動(註2)が行われた場所としても知られている。熊楠の精神が市民に息づいていたとも言えるね。
そういや南部側からダイビングショップに1回だけ連れて行ってもらったけど、何回も細い道を曲がったんだよね。結構、辿り着くのは大変なのだ。でも一年後、一切の迷いなく辿り着いたから、アシスタントのI君が驚嘆してたんだよな。おっ、そうだ。もう一つI君を驚かせた事があったな。水中に潜ったら、その日はヒオウギガイ(緋扇貝)がわりといたんだけど、何かピピッときたのがあったので、拾ってお客さんの前で開けたら、共生だったのかな❓中に小さなカニがいたんだよね。手品みたいだったので、お客さんもI君も目を丸くしてたっけ。ガイドとしては、プロフェッショナルだよね。
あっ、また自慢話をしてしまったなりよ。でも当時は、そうゆう能力が結構あったんだよね。だから周りを驚かすことが結構あった。あの能力、どこいっちゃたのかなあ❓
懐かしいし、行ってみたい気持ちはあったけど、でも中途半端な時間ではある。行って帰ってきたら、居酒屋の開店時間に間に合わないかもしれない。大阪に帰る時間を考えるならば、8時半くらいの電車に乗らなければ今日中には帰ってこれないのだ。無粋だが、夕日よりも居酒屋に出来るだけ長くいたいというのが本音だ。あるこほる中毒者は一刻も早く酒を呑みたいもんねー。

となると、別な方法で時間つぶしせねばならない。

 

 
鬪雞神社(とうけいじんじゃ)。
「鬪鶏神社」「闘鶏神社」とも表記される由緒正しき神社だ。
旧称は田辺宮、新熊野、新熊野雞合大権現。通称は権現さん。

境内に入る。

 

 
創建は允恭天皇8年(419年)。允恭天皇が熊野権現(現在の熊野本宮大社)を勧請(分霊)し、田辺宮と称したのに始まる。
なるほど、屋根の形に見覚えがあるなと思ったのは、そうゆう事なのね。

白河法皇の時代には新たに熊野三所権現を勧請し、平安時代末期の熊野別当・湛快のときに更に天照皇大神以下十一神を勧請して新熊野権現と称して湛快の子の湛増が田辺別当となった。弁慶は湛増の子と伝えられ、その子孫を名乗る大福院から寄進された弁慶の産湯の釜が今も残っている。
なるほど、弁慶の出生地とされているのは、そうゆう事だったのね。

 

 
ゆえに此処にも弁慶の銅像がある。
尚、熊楠はこの神社の娘と結婚している。郷土の有名人二人が闘鶏神社で繋がってるんだね。

本殿に詣でる。

 

 
国生みの女神である伊邪那美命が祀られてるんだね。

 

 
狛犬も神社の歴史の古さを思わせる年季の入りようだ。

田辺は熊野街道の大辺路・中辺路(熊野古道)の分岐点であることから皇族や貴族の熊野詣の際は当社に参籠し、心願成就を祈願した。熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の全ての祭神を祀る熊野の別宮的な存在であり、鬪雞神社に参詣して三山を遥拝して山中の熊野まで行かずに引き返す人々もいたという。
そういや学生時代に彼女と旅行した時に熊野三山の三社とも行ったんだよな。勝浦、那智、瀞峡、湯の峰温泉と巡ったんだった。
とても綺麗で、賢くて性格の良い女性だった。あの頃が一番幸せだったかもしんない。

『平家物語』などによれば、治承・寿永の乱(源平合戦)の時、湛増は社地の鶏を紅白2色に分けて闘わせ、白の鶏が勝ったことから源氏に味方することを決め、熊野水軍を率いて壇ノ浦へ出陣したという。
このことから「闘鶏権現」や「新熊野雞合大権現」と呼ばれるようになったが、明治の神仏分離の際に「鬪雞神社」を正式な社名とした。
2016年には世界遺産委員会継続会議において、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に追加登録された。
そっか、世界遺産なのか。
余談だが、プロ野球の独立リーグ(BASEBALL FIRST LEAGUE=関西独立リーグ)に2017年より加盟した和歌山ファイティングバーズは、この神社がその名の由来となっている。

神社で、だいぶと時間つぶしができた。
時間が止まったような町並みを眺めながら、ぼおーっとする。学生時代の彼女に想いを馳せる。懐かしさと後悔とで心の中が溢れ出しそうになる。でも今さらアレコレ考えたところでどうにもならない。苦しいだけだ。
立ち上がり、トパーズ色の街を駅に向かって歩き出した。

                        つづく

 
追伸
次回、いよいよシリーズ完結編です。
いよいよって云うか、漸くだけど。

  
(註1)熊楠の映画
山本政志監督『熊楠・KUMAGUSU』。
主演 渡辺哲、町田町蔵。出演 泉谷しげる・室井滋ほか。1991年6月に撮影開始、10月完成予定であったが資金難で中断。2007年10月、弁慶映画祭においてパイロット版が上映された。とゆうことは未完成で終わったみたいだね。
ちなみに、町田の演技は破天荒な熊楠を彷彿とさせるものがあり、高い評価を得ているようだ。

 
(註2)ナショナルトラスト運動
自然環境を経済を優先した開発による破壊から守るため、市民活動によって保護すべき地域を設定して買い上げたり、または自治体に買い上げを求め、次世代に伝えていくために管理・保全してゆく活動。
イギリスのボランティア団体「ナショナル・トラスト」によって行われた活動を原型として世界各地に広がった。

 

2020’青春18切符1daytrip 第四章(1)

 
 第1話 紀州ストーカー女

 
 2020年 4月10日

午前8:19。JR難波駅発 柏原ゆきの大和路線に乗り込む。

 

 
青春18切符の旅、4日目。
期日ギリギリの、最後の1daytripが始まった。

 

 

 
天王寺駅で降り、阪和線に乗り換える。
今日は気分で南を目指すことにした。前回で、近畿地方ではギフチョウの適期はもう終わりだと実感したからね。

8:32発 日根野ゆきの快速電車に乗り込む。

 

 

 
日根野駅で、9:51発の御坊ゆき普通列車に乗り換える。
もう1時間半も電車に乗ってるのに、まだ和歌山に着かない。和歌山って、そんなに遠かったっけ❓

 

 
和歌山駅を過ぎると紀勢本線(きのくに線)に入る。
一瞬、和歌山駅で降りることも考えたが、電車は御坊まで行くんだから、そこまでは行ってみようと思った。どうせ和歌山駅から南は列車の本数がグンと減るに決まってる。行ける時に行けるところまで行っておこう。

ここから先は18切符では未知の領域だ。白浜や那智方面に行くのに特急くろしおに乗ったことは何度かあるけれど、じっくりと鈍行列車に乗って旅したことはない。特急乗車は彼女たちとの旅行だったから、イチャついてて外の景色なんてロクに見てるワケないのだ。誰と行ったか、つい数えてしまう。
たぶん3人だ。それなりに、心がキュッとなる。人生は後悔の連続だ。

和歌山駅を過ぎて暫くすると、海が見えた。

 

 
2日前にも神戸方面で見たけど、何度見ても海はいい。ずっと見てても飽きない。本来は海の人だけど、虫捕りするようになって、今やすっかり山の人だ。良かったのかなあ…。

 

 
海南市とか初島辺りだったろうか。トンネルを抜けたら、突然目の前に煙突だらけの工場群が現れた。
予測外だったので写真を撮ろうとした時には既に離れていて、奥に小さくしか写っていないけど、けっこう規模は大きそうだ。存在を知らなかったけど、さぞや夜は綺麗だろう。

気になってその場でググッたら、やっぱり凄かった。

 


(出典『工場夜景ガイド』)

 
工場の夜景を見るのは好きだ。
何か近未来的と云うか、SFの世界に通ずるスタイリッシュさがある。謂わば『ブレードランナー』とか『メトロポリス』の世界だ。

 

 
箕島駅を過ぎる。
箕島といえば高校野球の名門である箕島高校のことが真っ先に思い出される。星稜高校との延長18回に及ぶ3時間50分のナイターでの熱戦は高校野球史上最高の試合とも言われている。
箕島は首の皮一枚の二死の状況から二度もホームランで追いつき、最後にはサヨナラ勝ちするのだが、劇的な展開だらけだった。奇跡の2本のホームラン以外にも、勝利目前で星稜の一塁手が人工芝の縁に足が引っ掛かって転倒、凡フライを落球するだとか、逆に星稜は箕島のサヨナラのチャンスに三塁手の隠し玉でピンチを脱したなんて事もあったな。
そういや、この試合に勝利した箕島は、その勢いを駆って勝ち進んで優勝。公立高校として初めて春夏連覇をしたんだよね。それ以来、公立高校で春夏連覇したチームはない筈だ。
記憶が、どんどん甦ってくる。箕島のピッチャーはアンダースローの石井毅、捕手は強打で鳴らす嶋田宗彦のバッテリーだったね。卒業後、二人とも社会人野球に進み、その後プロに進み、それぞれ西武ライオンズと阪神タイガースに入団したんだっけな。対する星稜も、好投手の堅田と音がいたっけ。音も中日ドラゴンズに入ったんだな。主力としてそこそこ働いてたんじゃないかな。堅田はプロには行かなかったけれど、後に審判員となって甲子園に帰ってきた。
監督は箕島が尾藤監督で、星稜は山下監督。どちらも高校野球史の名将に讃えられている。山下監督は結局、一度も優勝できなかったけどね。
あっ、思い出したよ。バックネット裏の関係者席がガラガラだったので座って観てたら、注意されたんだよね。

『君ら、ここは関係者席やから、座ったらアカンでぇ。』

振り向いたら尾藤監督だった。もう監督を勇退して、解説者か何かで来ていたのかもしれない。優しい声が今も耳に残っている。

帰ってから、「ワシら、ビトー監督に注意されてんでー。背が思ってた以上にチッこかったわ。でも優しかったでぇー。」とか何とか周りに自慢したなあ…。
その尾藤監督も既に鬼籍に入っておられる。箕島の街に向かって、🙏合唱。

 

 
湯浅駅で、特急待ちの一時停止になった。
湯浅といえば、醤油発祥の地だ。昔の古い町並みも残っている。
だが、湯浅を車で通ったことは何度もあるけれど、観光に訪れた事はない。いっそ降りてやろうか。

 

 
車内で御坊から先の駅を確認する。
南部、田辺、白浜、周参見、串本、古座、太地、紀伊勝浦、那智と、この先も有名な観光地が続く。和歌山って、観光資産が沢山あるのだと改めて気づかされる。
そういや少し先には白い奇岩群で知られる白崎もある。スキューバダイビングの仕事で何度か訪れたが、その奇観に少なからず驚いたっけ。

でも、降りなかった。湯浅までなら、まだギリギリ日帰りでデートとかに来られる範囲内だ。この先、訪れるチャンスもあるだろう。

 

 
紀伊内原駅。
御坊の一つ前の駅で、又しても危うく降車しそうになる。
駅舎に味があって、何か引き寄せられるものがあったのだ。
でも御坊まであと一駅だったので、グッと踏み堪えた。ここで降りても何にもないだろうし、次の電車がすぐに来るとは思えない。一方、御坊駅まで行けば選択肢は複数ある。そのまま次の列車に乗り継ぐのは勿論の事、紀州鉄道に乗り換えることだって出来るし、降りて昼飯を食うと云う手だってあるのだ。

 

 
午前11時。
御坊駅で下車すると、既に乗り継ぎの電車が待っていた。

 

 
御坊も観光に来たことがないから迷うところだが、特に有名な観光地は無かった筈だ。そのまま11:03発の紀伊田辺ゆきに乗り継ぐことにした。

 

 
今までずっと同じタイプの車両だったが、やっと違うデザインの列車になった。

 

 
見ると、表示はワンマンとなっている。
いよいよ、ローカル感が出てきましたなあ。

 

 
だが乗ったはいいが、次の道成寺駅で発作的に降りてしまった。

 

 
駅は無人駅だった。
寂しくはあるが、それはそれで悪かない。
古びた平仮名のブリキみたいな柱用駅名標には似つかわしい。

 

 
道成寺といえば、紀州一の古拙であり、安珍・清姫伝説の寺として有名だ。
能や浄瑠璃、歌舞伎の演目として名高い『道成寺』『日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)』『娘道成寺』の舞台となった場所なのだ。
僧の安珍に思いを寄せていた清姫が、裏切られて激怒のあまり大蛇に変化(へんげ)して追い掛け、道成寺で鐘に隠れた安珍を鐘ごと焼き殺すという物語だ。
けど、それだけ有名な寺にも拘らず、一度も訪れた事がない。その事に気づいて急遽、えいや❗と飛び降りたのだった。

 

 
まだ4月の前半なのに、もう藤の花が咲いてるんだね。
南だから、より季節が進んでいるんだろうね。

 

 
参道に入ってすぐ、「ニューふくすけ」なる店があった。

 

 
入口の素っ気ないダサさに、一瞬ひるむ。

 

 
しかし、こんな寂れた所では選択肢はそうない。短い参道の先は土産物屋ばかりに見える。
腹がとにかく減ってるし、ハズレもまた一興だと思って入ることにした。

入った横手に漫画本が沢山並んでた。こうゆう大衆的な感じの店って嫌いじゃない。本宮ひろ志の読んだことない漫画(註2)を持って席に座る。
ふらっと地元の店に入るこうゆうシチュエーションって、自分的には寧ろ旅情感があって好きなんだよね。旅の流れに素直に身を任せるのは、どこか心地良い。

メニューを開く。
 
 

 
思ってた以上にメニューが多い。そこが地元ならではかもね。
何でも作りますが、地元ニーズなのだ。
一瞬まごつくが、こうゆう時は素直であるべきだ。店員さんを呼ぶ。で、オバちゃんにお薦めを訊いた。
したら、チャンポンだと言わはるので、それに素直に従うことにした。この期に及んで自己主張なんていらないのだ。ここは柔軟に人の意見を聞くのがハッピーになるコツだ。経験上、それが正しいことの方が多いと知っているのだ。歳を喰うのも悪いことばかりじゃない。経験は正しい道筋を教えてくれる。

 

 
運ばれてきたのを見て、二重に引く。
器から溢れんばかりだ。その半端ない量に驚き、ちゃんぽんといえば長崎チャンポン的なものを想像してたから、餡かけ系茶色のピジュアルにも驚く。もう、想像してたものとは全然違う代物なのだ。衝動的にオバちゃんを呼び戻しそうになったよ。

具材はキャベツ、キクラゲ、人参、タケノコ、青ネギ、もやし、豚肉ってところだろうか。これで660円なんだから値段にも仰天だ。もし食べて死ぬほどマズかったら4重に驚きだなと半笑いで割り箸を割る。

 

 
箸で下から持ち上げるように混ぜたら、重っ❗ 麺がなかなか出てこない。
餡は粘り重め。であるからにして熱々だ。そして麺は細め。熱々の餡と絡み合っておる。チャンポンの概念を根本から破壊されたよ。食いきれんのかよ、コレ❓

食ってみると普通に旨い。誰が食っても旨いと云う安心、安全レベルの味だ。或る意味では、こうゆうのが個々人の究極の美味だったりもするのではないかと思う。旨い旨くないかは記憶とも連動する。地元でガキの頃に食ってたものって、大人になっても旨いと感じるからね。幼少期に過ごした町の、今は亡き肉屋のジャガイモとウィンナーのフライは有名で特別なものではなかったが、生涯において記憶の中で生き続けてゆくのだろう。ガキの頃、ホント好きだったもんなあ…。個人的には極めて特別なものだったのだ。

過去の思い出に日和っている場合ではない。この、人を怯ませるような大盛りは謂わば挑戦状みたいなものだ。だったら逃げるワケにはいかない。プライドが許さぬ。他人にとってはどうでもいいような小さな領域での、己のプライドを賭けた戦いが始まった。

(-_-;)……。
でも、食っても食っても減らない感がある。マジに手強い。
だが、ここで白旗をあげるワケにはいかない。根が真面目なゆえ、残すのは店の人にも悪いと思っちゃうんだよね。トランザム❗根性モードに、ギアONだよ。

 

 
麺を食いきったところで、ようやくフィナーレが見えてきた。
あとは人格崩壊の逆流噴射しないことに気をつけつつ、勝利に向けて確実に躙(にじ)り寄っていこう。

 

 
(´ω`)ふぅ〜、何とか食いきった。
でも、もう腹パンパンである。汁はスマン、(ㆁωㆁ)飲めましぇーん❗

店を出て、道成寺へと向かう。

 

 
横に何か七不思議的な立て札があった。
七不思議とゆうからに、あと6つこうゆうのがあるって事ね。

 

 
中々に立派な山門だ。
両側には、ちゃんと仁王様(金剛力士像)がおる。阿吽像だ。

 

 
口が開いてるから、阿形(あぎょう)様みたいだね。

 

 
コチラは口を閉じておられるので、吽形(うんぎょう)様だ。
えー、「阿吽の呼吸」の阿吽とは、こっからきてます。

ここにも立て札があった。

 

 
ふ〜ん。解ったような解らないような心持ちで境内に入る。

 

 
正面に本堂がある。
立て札のとおり山門と一直線に配置されている。
まあ、どこの寺でもそうだけど。

 

 
左手に、花の盛りは過ぎたが立派な桜があった。
近づいてゆくと、一陣の風が吹いて桜吹雪になった。風の悪戯に頬をゆるめ、佇んで空を仰ぐ。青空を背景に淡いピンクが舞い上がってゆく。
桜の樹ってのは、散るさまも美しい。改めて、こんなにも日本人に愛されてる理由がよく解る。今の日本人に、どこまであるかはわからないが、日本の文化の根底には美意識が強くある。美を見極める能力と、そこに「ものの哀れ」を感じ、自らの美意識と重ね合わせてきたのが日本人なのだ。今の政治家とか見てると、とうにそうゆう美意識は失われているのだと思わざるおえないけど。桜が散るが如く潔さが、まるでない。

 

 
一方、本堂横の枝垂れ桜は、とうに散ってしまっている。

 

 
そして、早くも八重桜が咲いていた。

 

 
本堂の奥には、千手観音が安置されている。

 

 
改めて伝説について説明しよう。
安珍・清姫伝説とは「道成寺縁起」とも呼ばれる天台宗道成寺にまつわる平安時代の伝承にして仏教説話。若き僧安珍と清姫の悲恋と情念を主題としており、能、歌舞伎、人形浄瑠璃(文楽)を筆頭に映画、小説、絵本など様々なジャンルの題材にされてきた話である。

安珍清姫の伝説の原型は、説話として古くは平安時代の『大日本国法華験記(法華験記)』『今昔物語集』に登場する。

時は醍醐天皇の御代、延長6年(928年)の夏の頃の事である。
奥州白河より熊野に参詣に来た若い僧がいた。この僧は名を安珍といい、大変な美形であった。旅の道すがら、紀伊国牟婁郡(現在の和歌山県田辺市中辺路:熊野街道沿い)真砂の庄司清次の家に宿を借りた。清司の娘、清姫は安珍を見て一目惚れ、女だてらに夜這いをかけて迫る。安珍は参拝中の身としてはそのように迫られても困る、帰りにはきっと立ち寄るからと騙して、参拝後に立ち寄ることなくさっさと逃げてしまう。
信じて待ちわびていた娘は、騙されたことを知って怒り、裸足で追跡、道成寺までの道中で追いつく。安珍は再会を喜ぶどころか別人だと嘘に嘘を重ねる。更には熊野権現に助けを求め、清姫を金縛りにした隙に逃げ出す。ここに至り清姫の怒りは天を衝き、遂には大蛇となりて安珍のあとを追う。
安珍は日高川を渡り、渡し守に「追っ手を渡さないでくれ」と頼んで道成寺に逃げ込む。しかし蛇と化した清姫は、火を吹きながら自力で川を渡って来る。慌てた安珍は梵鐘を下ろしてもらい、その中に隠れる。しかし清姫は鐘に巻き付き、やがて最後には業火で鐘ごと焼き殺してしまう。そして蛇の姿のままで川に入水自殺する。
その後、畜生道に落ちて蛇に転生した二人は、道成寺の住持のもとに現れて供養を頼む。住持の唱える法華経の功徳により二人は成仏し、天人の姿で住持の夢に現れた。実はこの二人はそれぞれ熊野権現と観世音菩薩の化身であったのである、と法華経の有り難さを讃えて終わる。
つまり、この話は法華経の力の喧伝を目的として作られたものと考えられている。ちなみに安珍・清姫伝説の内容については伝承によって相違があり、多くのバリエーションが存在し、その後日譚もある。

安珍と共に鐘を焼かれた道成寺であるが、四百年ほど経った正平14年(1359年)の春、鐘を再興することにした。二度目の鐘が完成した後、女人禁制で鐘供養をしたところ、女人禁制の場であるにも拘らず、一人の美しい白拍子(註3)が現れる。

 
(葛飾北斎の描いた白拍子)

(出典『Wikipedia』)

 
白拍子は優雅に舞い歌う。そして周りがそれにうっとりとしている隙をみて梵鐘の下へと飛び込む。すると鐘は音を立てて落ちた。慌てた僧たちが祈祷すると、やがて鐘は徐々に持ち上がり、そして中から現れたのは蛇体に変化(へんげ)した姿であった。白拍子は清姫の怨霊だったのである。蛇は男に捨てられた怒りに火を吹き暴れ、鐘供養を妨害しようとする。清姫の怨霊を恐れた僧たちが一心不乱に祈念したところ、その祈りに大蛇は堪えきれず、やがて川に飛び込んで消える。
そして、ようやく鐘は鐘楼に上がるのだが、清姫の怨念のためか、新しくできたこの鐘は音が良くない上に、付近に災害や疫病が続いたために山の中へと打ち捨てられた。
この後日譚をモチーフに作られたのが、能の『道成寺(どうじょうじ)』である。さらにこれを元にして歌舞伎の『娘道成寺』や浄瑠璃(文楽)の『日高川入相花王』、琉球組踊の『執心鐘入』などが作られた。
そういや、三島由紀夫の『近代能楽集』の中にも、この話を下敷きにした「道成寺」と題した短編があったな。
また上田秋成の『雨月物語』の中に『道成寺』を礎にしたと思(おぼ)しき『蛇性の婬』と言う話が載っている。

後日譚は、まだある。
さらに二百年ほど後の天正年間。豊臣秀吉による根来(ねごろ)攻め(紀州征伐)が行われた際、秀吉の家臣仙石秀久が山中でこの鐘を見つけ、合戦の合図にこの鐘の音を用いた。そして、そのまま京都へと鐘を持ち帰り、清姫の怨念を解くために顕本法華宗の総本山である妙満寺に納めたという。鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にも「道成寺鐘」と題し、かつて道成寺にあった件(くだん)の鐘が、石燕の時代には妙満寺に納められていることが述べられている。

 

 
二代目の鐘楼跡とゆうことは、今は三代目の鐘なのかな❓と思って探してみた。だが現在、この寺には鐘楼は無いようである。

 

 
とゆうことは、二代目以降、現在に至るまで何百年も鐘は無かったとゆうことか…。
後日調べたら、訪れて寺に鐘が無いことにガッカリする人が多いという。その気持ちも解らないでもない。自分も少しガッカリしたからね。でも、新たな鐘がまた清姫の怨霊を呼び寄せるかもしれないと考えれば、新調はできないよね。この現代社会においては、そんなの迷信すぎないと思うのは簡単だ。けれども、ここは故事を信じ、歴史って色々あって面白いと思う方が愉しい。古(いにしえ)に心を飛ばして、あれこれ想いを泳がすのも悪かない。

 

 
三重の塔の右横に写っているのは、安珍塚だ。
ここで安珍が焼かれたという。
にしても、何やらスゴいことになっている。木が蛇の如くノタ打ち回ってるようにも見えるし、清姫の怨念が昇華した姿にも思える。
見切れてるけど真ん中に安珍塚と彫られた石碑が建っていて、その傍には三代目らしき榁の木の生木がある。
けど、この画像じゃな。しゃあない。画像を探してこよう。

 

(出典『Wikipedia』)

 
立ち枯れた木は、榁(むろ)の木(註4)だそうである。あまり耳馴れない木だ。
初代の榁の木は約600年間生きた後に枯れ、二代目は約400年間生きて枯れたという。榁の木は枯れると「蛇榁」とも呼ばれるようで、ここに安珍と鐘が埋められていると伝えられているのも解る気がするよ。

 

 
あらら、安珍塚の下に鐘が埋まってるんじゃなくて、ホントは此処だったのね。にしても、どこまでが伝説でどこまでが史実なの❓
何だか頭の中がグチャグチャになってきたよ。

その隣には、姥桜の事と文楽の『日高川入相花王』について書かれてあった。

 

 
これを見て、ふと小学生の頃に講堂で文楽を見させられたのを思い出したよ。
アレ、驚いたよなー。めちゃんこ怖かったし。

 

 
コレが、突然コレですもん。

 

(出典『遊民悠民』)

 
小学生の度肝を抜くには十分だろう。

 

(出典『関西文化.com』)

 

(出典『bokete』)

 
インパクト、半端ないよね。

 
(護摩堂)

 
他の建物も謂れがありそうだ。
だが、もうチャンポン並みにお腹いっばいだ。深堀りするとロクな事がなさそうだ。触れずにおこう。

 
(稲荷神社)

 
足元に目をやる。
瓦を埋め込んだ敷石が美しい。

 

 
山門まで戻ってきた。

 

 
寺を辞する。

 

 
階段の先に参道が真っ直ぐに続いている。
こうゆう風景は好きである。旅情だ。心が何処までも伸びやかに翔ける。家々の趣きは違うだろうが、何百年前と基本的にはあまり景色は変わってないような気もする。少なくとも構図は同じだろう。

 

 
参道で清見オレンジと白干しの梅干しを買った。
どちらも紀州の名物だから、つい買ってしまった。
後日食ったら、両方とも🎯当たりだったけどもね。

駅まで戻ってきた。

 

 
駅舎に入って驚く。

 

 
行きは気づかなかったが、駅舎の上部には、こんなもんが掛かってたんだね。シュールだ。上から4番目なんて、謎の物体だ。清姫ちゃんの歪な心を具現化したものなのか❓全般的に可愛いんだか不気味なんだかよくワカンナイ(註5)。

プラットフォームにも変なもんがあった。
コレって、ヤバくなくね❓

 

 
掲示板らしいが、何も貼ってなくて不気味な青いシミがある。一瞬、清姫の怨霊が現代に甦って、その怨念を転写させたのではあるまいかと思ってギョッとしたよ。

そして、向かい側のプラットフォームには、別な不気味な絵もあった。

 

 
こっちはこっちで怖ぇ(Ⅲ  ̄(エ) ̄ )…。
特に2枚目の追っかけられてるのはヤバいよね。着物の上が蛇だけでも恐ろしいのに火を噴きながらで来られるなんてシチュエーションは絶対に泣くな(TOT)
清姫、どう見てもイカれポンチのストーカーじゃないか。だいたい、男がチラッとサービストークしただけで蛇になってまで追いかけ回すかね❓
流れでつい、我がの過去を振り返る。女性に追いかけ回された事は何度かあるけれど、幸い怨霊とか蛇にまでなられた事はない。キワキワの寸前ってのはあったけどね(笑)。
( ゚д゚)ハッ❗いや、笑い事じゃないぞ。見た目こそ蛇には化身していないが、心は修羅になってたと思(おぼ)しき例はある。一歩間違えれば、刺されてた可能性だってあったのだ。
彼女から、おかしなメールがあった。内容までは憶えてないけど、とにかく尋常でないメールがあって、仕事中にも拘らず慌てて彼女の部屋へ行った。
合鍵でドアを開けたら、暗い部屋に彼女が佇んでいた。顔が能面のように無表情で、本能的にこりゃヤバいと思って抱きしめた。彼女を宥め、同時に動きを封じるためである。
彼女の体には手応えが無かった。心が空っぽなのだ。
恐怖を感じた。そして彼女が潮来(いたこ)の孫娘であることを思い出した。今が空っぽの状態ならば、いつ何どき別人格が憑依するとも限らない。悪鬼に豹変して、もしかしたら刺されるかもしれないとマジで思った。
様々な考えが高速で頭の中を駆け巡る。明らかに異常な状態にパニックになりそうだった。だが、パニックは何としてでも避けねばならない。そうなれば、窮地から脱け出すは出来ないだろう。
抱き締めながら、冷静に包丁のある場所を反芻する。
確か台所の抽斗(ひきだし)にあった筈だ。問題はどうやってそれを排除するかだ。しかし、どうすればいい❓
その時だった。

『大丈夫。刺さないから。』

ギクリとした。
心が読まれていることに戦慄した。何が起こっているのだ❓
と同時に安堵も少しあった。刺されないのか❓待てよ、それは刺すという事も考えてたって事なのか❓再び頭の中がパニックになりそうになる。その言葉をどこまで信じていいのかはワカラナイ。安心させといてブスリといかれるかもしれない。メチャメチャ、彼女は頭がいいのだ。罠かもしれない。

出来るだけ平静を装って言った。

『何言ってんだよー。おまえさんが俺を刺す理由なんてないじゃないかあ。もー、心配させんなよー。』

そう言って、強く抱き締めた。
彼女の体に少し生気が戻った。その期を逃さず、体を起こしてニッコリ笑いながら頭を撫でてやった。
彼女の顔に表情が戻り、少し笑みが溢れた。
この時ほど、昔に役者をやってて良かったと思ったことはないよ。我ながら名演技だ。

体を解くと、彼女は急に『おしっこ、行きたくなった。』と言ってトイレに向かって歩き出した。
一瞬、そのスキに逃げ出そうかとも思った。しかし、それでは折角おさまりかけてる事態を再び悪化させかねない。しかも、もっと酷い状態に。
いや、或いはあの笑顔の裏には何かが隠されていたのかもしれない。事態は全然もって収拾してない可能性だってあるのだ。ならば、帰り際に背中からブスリといかれかねない。
トイレのドアが閉まったと同時に、音を立てずに素早く台所へ行く。自ら運命を切り拓かねば、危機は脱せられないと判断した。電光石火で抽斗を開けて包丁を取り出し、布巾に巻いて流しの下に放り込んだ。これで、たとえ彼女が刺したくとも直ぐには刺せない。探す間の時間が稼げる。もし彼女がエスパーならば、それも読まれて無駄だけどね。いや、抽斗よか数秒は稼げる。その数秒が運命を分かつかもしれない。100メータを12秒フラットで走れた男だ。ロケットダッシュすれば、何とかなる筈だ。

彼女がトイレから出てきた。まさかトイレに包丁を隠してたとかないよね❓緊張感が増す。

彼女の顔は普段に戻っていた。
それを見て、機を逃してはならぬと『俺、仕事に戻るわ。人、待たしてるし。』と言った。
そっから後の記憶はない。おそらく全集中で背中に神経を巡らせて部屋を出たのだろう。

他にも裏で悪鬼になってた女性はいるかもしれない。
そう考えると、紙一重の事だって無いとは言えない。
つくづく、安珍みたく焼き殺されなくて良かったよ。今のところだけど…。

                      つづく

  
追伸
驚いたのは、Wikipediaでググッたら、駅のプラットフォームの絵が違う絵だったことだ。

 

(出典『Wikipedia』)

 
一年に一回とか、絵を掛け替えてるのかな❓
にしても、どちらも色褪せてて相当に古いもののように見える。謎だ。

 
(註釈1)特急くろしお
主として新大阪駅(一部京都駅発)〜新宮駅間を走る特急列車。
停車駅は、新大阪、天王寺、日根野、和歌山、海南、御坊、紀伊田辺、白浜、周参見、串本、古座、太地、紀伊勝浦、新宮。
一部の列車が西九条駅、和泉府中、和泉砂川、箕島、藤並、湯浅、南部の各駅にも停まるようだ。

 
(289系)

(出典『Wikipedia』以下、同)

 
6代目になるのかな?…、現在はこの289系が走っているようだが、自分の中での「特急くろしお」のイメージはコレかな。

 
(485系)

 
2代目である。
ちなみに初代はこんなん。

 

 
2代目は初代のカラーリングを継承しているんだね。
以下、3代目から5代目までを並べておく。

 
(381系)

 
(283系)

 
上は、いわゆるオーシャンアローと呼ばれていた車両だ。
下は、たぶん貫通型だね。

 
(287系)

 
下は🐼パンダ仕様だ。白浜アドベンチャーワールドにはパンダがいるからね。しかも沢山。マジでイッパイおる。しかも客は多くないから、ゆっくり見られる。上野なんかに行くならば、金使ってでも白浜に行く方をお薦めする。
ちなみにパンダの本当の眼はタレ目ではない。真ん中は完全にクマ目でしゅ。この電車みたく、笑ってねーからな。

 
(註2)本宮ひろ志の読んだことない漫画
『まだ、生きてる…』のこと。


(出典『manga‐diary.com』)

 
バカにされながらも38年間コツコツと家族のために働いて来て定年を迎えた60歳のサラリーマン岡田憲三が家に帰ると、家族が消えていた。妻は全財産を持ち逃げし、息子や娘とも音信不通となる。この仕打ちに生きることに未練も希望も失くした岡田は、自らの人生の幕を閉じようと故郷の山奥で首吊り自殺を図る。だが、木が折れて命拾いする。そこからオッサンの山中でのサバイバル生活が始まり、オッサンの生き方が180度変わってゆき、人生も変わってゆくというお話。
本宮ひろ志らしく、途中からどんどん破天荒な展開になってゆく。本宮ひろ志の作品って、話のスケールがデカくてロマン溢れるものが多い。だから惹かれる。でも風呂敷をデカくし過ぎて尻すぼみになる事も多いんだけどね。この作品は最後まで尻すぼみにはならないから、隠れた名作とも言われているようだ。

 
(註3)白拍子
平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一種。及びそれを演ずる芸人、遊女。

 
(註4)榁(むろ)の木
ネズ、ネズミサシ(杜松、学名: Juniperus rigida)の古名のこと。
ヒノキ科ビャクシン属に属する針葉樹で、他にムロ、モロノキの別名かある。

 


(出典『庭木図鑑 植木ペディア』)

 
杉とか桧みたいだね。

英名は、temple juniper、needle juniper。
訳すと『寺のジュニパー』『針の如きジュニパー』。
ところで「juniper」って何だっけ❓聞いたことがあるぞ。たしかジュニパーベリーって言葉があったよな。
(☉。☉)!あっ、蒸留酒のジンだよ。あのジントニックとかジンライムのジン。その独特の香りづけにジュニパーベリーが使われてた筈だ。杜松(ねず)の実とも書いてあった。ならば、間違いなかろう。
確認したら、✌️ビンゴだった。ヨーロッパのものは、セイヨウネズノミとあった。

余談だが、和名はネズの硬い針のような葉をネズミ除けに使っていたことから。「ネズミを刺す」という意で「ネズミサシ」となり、それが縮まったことに由来する。
も一つ余談だが、樹齢600年とか400年といってるわりには小さな木だなと思ってたけど、この榁の木ってのは元々が低中木で、バカみたくはデカくならないそうである。

 
(註5)駅舎の安珍と清姫伝説の絵
最初は地元の小学生とか中学生が描いたのだろうと思ったが、よくよく見るとプロっぽい。調べてみたら、島嵜清史氏という宮崎県を拠点に活動しているアーティストの作品でした。

 

青春18切符1daytrip春 第三章(2)

 
 第ニ話 沈黙の街

 
 2020年 4月8日 後編

午後2時前にはギフチョウが全く飛ばなくなったので、離脱する事にした。

またバスには乗らず、えっちらおっちら1時間ほど歩いて西脇市駅まで戻ってきた。
はてさて、次は何処へ行こうか❓青春18切符なんだから、JRの急行・特急列車以外ならば今日中は乗り降り自由だ。風まかせなのだ。
「風まかせ」かあ…。何て素敵な言葉ざましょ。

路線図を見る。

 

 
(☉。☉)あっ、加古川に戻らずにそのまま北へ行けば丹波や福知山まで行けるじゃないか❗ 加古川線は福知山線と繋がってるんだね。全然、知らなかったよ。という事は前回は相野駅で引き返したけど、その先にも行けるということだ。そう、リベンジできるのだ。
しかし帰りは三田・宝塚経由で大阪へ帰るワケだから、その部分はリピートになる。それは飽き性のオラにとっては苦痛だ。
やはり加古川駅まで戻ろう。そっからどうするかは、またその時になって考えよう。何たって「風まかせ」なのだから。

加古川で、まだ一度も食べたことのない名物の「かつめし」でも食おうかとも思ったが、大阪方面の列車がタイミングよくやって来たので、つい乗ってしまった。

 

 
で、明石駅で降りた。
明石なんて何度も来てるから物珍しくもないのだが、食いもんの魅力には勝てなかった。明石といえば魚の棚という🐙タコの歩くことで有名な商店街があり、美味いもんだらけなのだ。明石の蛸や鯛は全国ブランドだし、穴子だって有名だ。そして、明石焼きもある。寿司だって当然の如く美味い。

 

 
時刻は午後3:51。
中途半端な時間だ。ランチはとっくに終わってるし、夜の営業まではまだ早くても1時間ちょっと、多くの店が開くのは2時間後だろう。
それはそうと、駅のホームの屋根の天井なんて普段は全く気にしてなかったけど、結構面白い構造になってんのね。

 

 
外に出て、取り敢えず魚の棚方面へと歩き出す。
一瞬、🐙たこフェリーに乗って淡路島まで行ったろかいと云う考えが頭をよぎったが、この時間ではどう考えてもヤンチャ過ぎる行動なので引っ込めた。オラも大人になったもんだ。ハチャメチャ度は、だいぶと減ってる。

 

 
驚くべき事に、いつもは多くの人で賑わう商店街はガランとしていた。何事かと思ったが、ひと呼吸おいてから漸く事態が呑みこめた。
昨日、2020年4月7日に安倍総理が東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県に対してコロナウイルスの緊急事態宣言をしたのだった。

\(°o°)/ゲッ❗、いつも行列になってる老舗の明石焼き屋『たこ磯』の前にも誰もおらん❗❗そんな光景は見た事ないから、現在の状況が如何に異常なのかがよく解る。得体の知れないウィルスへの人々の怖れは、予想以上に大きい。これは中国発祥というのも怖さに拍車をかけているのかもしれない。何てったって段ボールでニセ肉団子を作って売るような事が横行する国なのだ。何をやっててもオカシかない。

 

  
看板が明石焼ではなく玉子焼となっているが、明石周辺から東播磨、及び神戸市西部辺りまでは元来そう呼ばれている。他の地域では、普通の玉子焼きとの混同を避けるために明石焼と呼ぶようになったのだが、そっちの名前の方がいつしか全国的にポピュラーとなっていったようだ。だから、きっと明石市民は怒ってるよね。謂わば偽モンが大手を振って偉そうにしているようなものだもんね。ゆえに昔からある老舗は、皆「玉子焼」と云う看板のままだ。プライドがあるのだろう。でもさあ…、仕方ないよね。「玉子焼」だと、殆んどの人に一々説明しなきゃならないもんね。

明石で明石焼きを食ったのは、いつの事だろう❓
もうかれこれ20年くらいは食ってない気がする。並ぶのは大嫌いだし、明石なら他に旨いもんはいくらでもあるのだ。また明石じゃなくとも、旨い明石焼き屋を食わす店はいくらでもあるのだ。
それに昼網といって、その日の朝に獲れた新鮮な魚介類が昼間には商店街に並ぶのだ。申し訳ないが、勿体なくて明石焼きなんぞ食ってるヒマはない。
しかし今は事情が違う。寿司屋も居酒屋も閉まっておるのだ。そして、並ばずに「たこ磯」に入れるとゆうのも稀有な状況である。もう今しかないとゆうタイミングなのだ。

 

 
入ったら、客はひと組だけでガラガラだった。

 

 
と思ったら、直ぐに帰ってオラの貸切り状態になった。
変な感じだ。人気店が何ぞやらかして閑古鳥なったと知らずにやって来た客みたい気分だ。

メニューには定番の蛸入り15個(700円)の他に穴子入り(880円)や両方入ったミックス(1050円)がある。
ミックスも捨て難いが、蛸入りのノーマルをたのむ。明石焼き如き、もとい、おやつ的なものに千円以上払うのは抵抗感がある。700円でも高いくらいだ。その金で定食が食える。それも明石なら、かなりコスパが高いもんが食える。だから明石焼きは普段は選択肢に入ってこないのだ。

客が他に居ないから、あまり待たずに運ばれてきた。

 

 
奥にある徳利みたいな器に出汁が入っている。

 

 
左の器に出汁を移す。薬味はネギのみだ。
えー、お約束で本体の乗っている板が傾いとります。理由は何となく知ってるが、自信がないので、あとで調べよう。

 

 
運ばれてきた時点で、明石焼きを知らない人でもタコ焼きとは別次元のものだとお解り戴けたかと思う。
とはいえ、説明が必要であろう。

一応言っとくけど、本体そのものもタコ焼きとは一線を画しておる。見た目が似ていて、中にタコも入っているが、タコ焼きとは完全に別物である。そもそも形も丸ではなく半円形だ。中身も違うが、それは後で説明する。
歴史も古く、江戸時代の終わり頃には既にあったようだから、むしろコチラが元祖だろう。タコ焼きが発明されたのは、1933年(昭和8年)〜1935年頃だと言われてるからね。ラジオ焼きを改良し、従来のこんにゃくの代わりに醤油味の牛肉を入れて肉焼きとして販売。その後、タコと卵を入れる明石焼にヒント得て、牛肉ではなくタコを入れるようになった云う説が有力のようだ。つまりラジオ焼きと明石焼きを両親に派生したのがタコ焼きであろう。謂わば明石焼きはタコ焼きのルーツでもあるワケだ。
御託はこれくらいにして食おう。

先ずは何もつけずに食う。
タコ焼きと違って柔らかい。味は小麦粉の入った玉子焼きだ。
次に出汁につけて食う。

 

 
明石焼きといえば、この味だね。やっぱ出汁あっての明石焼きだよね。安定、安心の味だ。

目の前にソースもあったので、つけて食う。
ちょっと味がタコ焼きに近づく。これはこれで有りだろう。
そういや思い出したよ。地元の人はソースつけて出汁にくぐらせて食うんだったわ。違和感はあるが、試してみよう。

あっ、コレも有りだな。
以後、出汁のみ→ソース→出汁ソースのローテーションを組んで食っていく。
\(•‿•)/ごちそうさんでしたー。

さっきの明石焼きについての説明だと不充分な気がするので、補足説明しておこう。

大阪のたこ焼きと異なる点は、以下のとおりである。

①卵をたっぷりと使うため色が黄色い。また、短時間で焼き上げられ、表面をカリカリに焦がすことはない。
また、基本的にタコ焼きみたいに生地に生姜や天かす、干し海老は入らないし、青海苔を上から掛けられることもない。

②小麦粉以外に浮粉や沈粉(じんこ)を使うので、生地がふわふわで柔らかい。

③焼器が銅製で、熱伝導率が良い。また窪みはたこ焼き用よりも浅く、球形にはならなくて、半円形に仕上がる。
裏返す際に銅製の焼器を傷つけないよう、金属製の道具を用いずに菜箸を使う。

④まな板状の木製板に盛り付けられ、添えて出される出汁に浸して食べる。

店舗によって材料がやや異なり、小麦粉を全く配合しない店舗もあるため、店舗ごとに味や柔らかさが変わるという。
焼く際に焼き器にひく油に胡麻油を用いる店舗がある。店によっては、タコ以外に同じく明石名産の穴子を入れているところもある。
出汁は熱い玉子焼を冷ますのが本来の目的だったが、現在は温めた出汁を提供する店が多い。温かい出汁を用いるようになったのは比較的新しく、1963年頃に神戸元町の店が始めたのが最初であるという。だし汁に薬味として三つ葉を浮かべるのも上記の店から広まったスタイルである。

まな板状の上げ板は手前が低く奥が高くなっている。これは皿の洗浄の際に同方向に重ねると水切りが良くなるためや、奥の柔らかい玉子焼が取りやすいためなどの諸説ある。補足すると、玉子焼が柔らかくて崩れやすく、又たこ焼きとは違い千枚通しを使わないゆえに焼き器から取り出しにくいため、焼き器の上に板をかぶせ焼板ごと裏返して乗せる。板に持ち手がついたために今のような形になったとも言われている。
Wikipediaを参考に書いてみたが、自分で書いてても分かりづらいよね。スマン、ワカラン人は2回読んどくれ。

魚の棚を少し歩くことにした。
したら、客が少ないせいか、各店舗の売り込みが半端なく激しい。しつこくて強引なのだ。明石人って、こうゆう人種だったっけ❓
にしても、気迫スゴ過ぎてウザい。その気迫と強引さは、気の弱い客には効力を発揮するだろうが、ワシみたいな気の強い人間には寧ろ逆効果だ。どんだけ安くなっても、死んでもオマエからは買うたるかい、ボケ(-_-メ)となる。

そういえば、この時は八百屋で百合根を買ったんだよね。たしか4個で35円という信じられないくらい破格の値段だった。百合根って、自分の中ではどうでもいい存在の野菜なんで、普段買うことは全くと言っていいほどないけど、思わず買っちゃったよ。

 

 
夕暮れ前、明石駅まで戻ってきた。
さて、次は何処へ行こうか。

  

 
元町駅で下車する。
時刻は午後5時。一日の終わりの始まりだ。

 

 
南京町。いわゆる中華街にやって来た。
目的は『老祥記』の豚マンである。ここの小振りの豚マンが死ぬほど旨いんである。千個くらい食える(ウソ)。
あっ、参考までに言っとくと、関東で言うところの「肉まん」は関西では「豚まん」と呼ばれている。
東京に住んでいる時に、東京生まれの彼女が半笑いで、
「豚まん❓肉まんでしょ❓それ何〜、受けるぅ〜。」と言われた時には半ギレになったね。

じゃかわしわー、おんどれ。豚の肉、使こうとるから豚まんやないけー❗コッチの方が正確に言うとんのじゃあ〜、ボケー❗❗

そう言うたら彼女、半ベソで固まったとったわ。横浜中華街のワシの四方3メートルの空気が凍りついたがな。
まあ、すかさず肩を優しく抱いて『冗談。冗談に決まっとるやないけー。』とフォローしといたけどね。服の上からオッバイ揉んで『ゆるせよー。』とも言った。
ワシのエロ話なんぞ、どうでもよろし。先を急ごう。

 

 
街は黙りこくっている。人っ子、一人いない。
中華街も普段は人でごった返しているのに全く人影がなく、死んだように静かだ。一瞬、時間が逆行して早朝にでもタイムスリップしたんじゃないかという錯覚に陥る。魚の棚商店街の静けさにも驚いたが、中華街ならば少しは人もいるだろうと思ってたから衝撃的だ。コロナの人に与えている恐怖、恐るべしである。
となると、もしや『老祥記』も閉まっているのではと不安になり、足早に歩く。

 

 
\(◎o◎)/ゲゲッ、閉まっとるぅー❗❗

 

 
何とコロナウイルスのせいで、営業時間が縮小変更になっとるやないけー。此処で豚まんを買いたいがために降車したのに、まさかの展開である。あちゃー、どうする❓どうする❓

 

 
南京町で一番の老舗『民生』は、やっていた。
しかも並んでる人はゼロ。この店もいつも長蛇の列で、こんな状態を見るのは初めてだ。
ここの「イカの天ぷら」がメチャメチャ美味いことを教えてくれたのは、小悪魔を通り越した大悪魔のRちゃんだった。そして、彼女が1番美味しい店を知ってる娘でもあった。彼女が連れてく店はどこも旨くて、唯一無二の個性的な店ばかりだった。

 

 
昔は、こんな看板なんて無なかったけど、コレって逆に名物として浸透した証なのかもしんないね。
これを見て、生唾が出た。外側はカリッ、中は柔らかいという絶妙の火入れで、イカの甘みがスゴイんだよなあ。何せイカは最も美味で甘いとされるアオリイカだかんね。

でも、やめておくことにした。一人で食べるには量が多いし、値段も高いのだ。大で2900円。小でも1800円もする。ビールをグビグビいって食ったら、悶絶級に美味いことを思い出したが、グッと踏み堪えた。
此処は誰かと来て、喜びを分かち合うべき店だろう。飽き性だからイカばっかだと辛いものがある。
少しでもガッカリするような要素があるならば、行かない方が賢明だ。またの機会に取っておこう。

あらら、アテが外れて難民化しつつあるやないの。
次に頭に浮かんだのは、絶品の海老ワンタンの入っている香港汁そばだが、何年か前に忽然と消えちゃったんだよねぇ。

取り敢えず、進路を駅へと戻そう。
歩いていると、行列が出来てる店が目に入った。

 

 
写真を撮ってる間に二人も並ばれた。

 

 
コロッケで有名な『森谷商店』じゃないか。いつの間にか改装してキレイになってるのね。だから気づかなかったのか。
前回も相野駅の『肉のマルセ』でコロッケ等の揚げ物を買ったから連続ではあるが、何か無性に腹減ってきたから列に並ぶことにした。前に二人並ばれたのも癪に触ったところもあるのは否めないけど。我ながら、一々負けず嫌いで反応するのは器の小さい証だと思う。

 

 
コロッケとミンチカツを買った。もちろん麦系あるこほる飲料の確保も怠らない。

 

 
これはコロッケ(90円)だね。
旨い。安くて旨いから行列が出来るんだね。でもオカンのコロッケを越えるものはないのだ。

 

 
そして、コチラはメンチカツ(130円)だ。
スゲー旨い。小さい頃はハンバーグの出来損ないみたいで、あまり自分の中では評価は高くなかったが、今は大好きだ。ハンバーグよりも好きかもしれない。それはそうと、ホントはミンチカツが正しいのにメンチカツってのは厳密主義者には耐えられんだろな。世の中からその名称をモーレツに駆逐したいに違いない。でもメンチカツはずっとメンチカツのままでいてもらいたい。もしも全国名称統一運動が勃興したとしたら、わしはレジスタントとして最後まで徹底抗戦する所存だ。ミンチカツなんて平板過ぎてツマランじゃないか。

 

 
午後5:45、元町駅まで戻ってきた。
次は何処へ行こうか❓考えが纏まらないうちに改札内に入り、来た電車に乗った。

午後6時半。

 

 
黄昏の淡い光の中で、ぼおーっと滲んだように爛漫の桜が咲いている。この時間帯に見る桜も美しい。

天の邪鬼な性格だから、もう一度加古川駅まで戻って「かつめし」を食うたろかと云う考えもよぎった。しかし、正直そこまでして食べたいものではない。加古川市の郷土料理「かつめし」って、洋皿に盛ったご飯の上にビフカツ(または豚カツ)をのせてドミグラス風のタレをかけ、茹でたキャベツを添えただけのものなのだ。つまり、メチャメチャ特別なものではなく、容易に味の想像がつく。新しい食べたことがない食いもんは、アバンギャルドな方がそそられる。良くも悪くも想像がつかないものの方が面白い。
そうゆうワケだから大阪方面ゆきの電車に乗った。けど何か他にアテがあったワケではない。このまま京都や滋賀辺りまで行ったろかいとも考えたが、コロナのせいで店が閉まってる可能性が高い。南京町でアレだったからね。とゆうことは、よく行く天満や福島の店も閉まっているかもしれない。それにさっきコロッケとメンチカツを食ったばかりで、腹も空いてない。それで急遽、桜ノ宮駅で夜桜を見ようと思い立ったのだ。桜ノ宮から中之島・淀屋橋方面を流れる大川は両側に桜が植えられており、桜の名所だからね。

 

 
ごった返してるとゆうことはないが、それなりに人はいた。
考えてみれば、ここの桜をわざわざ見に来たことはないような気がする。夜桜なら、尚更だろう。
桜っていいな。年々そうゆう思いが募ってきてる。

 

 
7時過ぎ。駅まで戻る。

 

 
駅構内は昔と随分変わっている。
昔は壁にズラリとピンクの木のベンチが並んでいたのだ。
「桜ノ宮」だからピンク色なのだが、昔はラブホテルも沢山あったから、中高生の頃は妙にドキドキしたものだ。カップルが降車したら、お前ら今から行くんやろと思ったし、乗ってきたカップルはお前らヤッテきただろと思ったものだ。中高生は、頭の中がエロでパンパンなのだ。

 

 
7時45分。
難波駅まで帰ってきた。
結局、天満にも福島にも行かずに真っ直ぐ帰ったのだ。店が開いてるかどうかもワカランし、腹もあまり減ってなかった。それに緊急事態宣言が発令されてるのに行くのは憚れたからだ。となると、無理して行く理由がない。

改札を出て、家に向かって歩きかけたところで、ふとミナミはどうなっているのだろう❓と思った。大阪人はアホだから、明石や神戸と違ってアホな若者と馬鹿オヤジで溢れているのではないかと思ったのだ。

 

 
しかし予想に反して、あの道頓堀の引っ掛け橋(戎橋)も心斎橋も殆んど人がいないゴーストタウンと化していた。
驚きを隠せない。こんなミナミ、一度だって見たことがない。
無敵の大阪人の動きをも止めてしまうコロナ、恐るべしである。世の中、エラい事になっているのだと実感した。

見上げると、夜空には煌々とした月があっ在った。不思議な感覚に襲われ、時空が歪んだ世界に取り残されたかのようだった。
 
                         つづく

 
追伸
道頓堀の画像は実を云うと、後日の4月20日に撮ったものである。8日は衝撃的過ぎて写真を撮るのを忘れたのだ。
でも、8日も状況的には同じだったから、まあこうして後で事実を書けば問題ないと判断して使わせて戴いた。自民党の嘘つき政治家とは違うのだ。
それはさておき、驚いたのは2週間近く後でも状況は同じだったと云う事だ。みんな通達を守って不要不急の外出は控えてたのね。

これを書いているのは、翌年の2021年 2月2日なのだが、再び緊急事態宣言下に置かれている。しかし、ミナミの街はゴーストタウンにはなっていない。

 

 
コロナ以前よりも人混みは少ないが、去年の4月に比べると遥かに増えているのは明白だ。
みんなコロナに対して慣れてきたんだろね。コロナ疲れもあるんだろう。ずっと家に籠るワケにもいかないのだ。アタマがオカシクなっては元も子もない。マスクなしで大声で喋ってるノータリンでもなければ問題はなかろう。
しかし去年の状態が2週間続いていれば、もっと早期にグッと感染者数は減った筈だ。個人的な意見としては、外出制限が弛ければ弛いほど収束、終息?が収まるのは遅くなると考えてる。だから緊急事態宣言を一ヶ月延ばすくらいなら、いっそ2週間に限定して強権発動で徹底的に外出を規制した方がいいのではないかと思う。その方が経済活動の再開も早まるだろう。
政府のやる事は何かにつけてタルい。有事の時に決断力がないリーダーってクソだ。

閑話休題。

この日、明石で買った百合根は鯛の子と一緒に玉子とじにした。

 

 
百合根は茶碗蒸しに入ってるのを食べるくらいで、あまり馴染みがない。正直、茶碗蒸しの構成員としては邪魔なものだ。一刻も早く退去してもらいたいと云うのが本音だった。見てくれは玉ねぎなのに、食感は全然違うジャガイモっぽいのが許せない。あの違和感と騙されたような気分には、軽くイラッ💢とくる。
しかし、今回で開眼した。茶碗蒸しに入ってるのは量が少ないから違和感を残したままでフェイドアウトしてゆくが、大量に食うと趣を異する。次第に違和感が薄れ、百合根本来の味が解ってくるのだ。脳が百合根とシッカリと認識さえすれば、脳に混乱は起きない。言ってしまえばデンプン質で、ジャガイモに近いものなのだ。ジャガイモは好きだから、そうとわかれば受け容れるのは早い。

 

 
最後は百合根丼にしたけど、美味いじゃないか。
ワタクシ、苦節ウン十年、完全に百合根ファンになりました。

すっかり忘れてた。えーと、今回の正規運賃を並べておきます。

JR難波➡西脇市 ¥1980
西脇市➡JR明石 ¥990
JR明石➡JR元町 ¥600
JR元町➡桜ノ宮 ¥560
桜ノ宮➡JR難波 ¥370

                  計 ¥4500

前回、青春18切符の値段を4回分で¥5000と書いたが、もしかしたら¥6000だったかもしれない。
何れにせよ、¥1250か¥1500だから、3千円以上は安く上がったってこってす。

次回、最終章です。

 

青春18切符1daytrip 春 第二章(4)

 
  第四話 流浪のプチトリッパー 後編

 

  2020年 4月6日

丹波にも福知山にも行かず、戻って三田駅で降りた。
そして、例年通りの王道コースを踏襲することにした。ご機嫌になる事が確実な選択を知ってて、むざむざそれをスルーするなんてバカバカしいと思ったのだ。どうせこの時間に田舎町の丹波に行ったところで、情報ゼロゆえ路頭に迷うのがオチだ。それでも行こうなんてのは真正M男である。オイラ、基本的にマゾっ気はないからね。マゾ的思考になる時は窮地に陥った時だけだ。状況を愉しむしか精神の平衡を保てないから、そうしてるだけにすぎない。

 

 
先ずは銭湯へ行く。極楽気分になる為のステップその1だ。
三田駅から10分ほど歩いたところに三田市唯一の銭湯『しんち湯』がある。数年前に廃業のピンチがあったそうだが、お客さん達の強い要望で何とか存続になったと聞いている。

梅の暖簾が粋だね。
ここの銭湯、昭和レトロな雰囲気があって好きなのだ。周囲の町並みの雰囲気も、そこはかとなく鄙びた感じが漂っていて落ち着く。

 

 
この小ぢんまりとしたところもいい。

 

 
湯船は中央にある瓢箪型のみしかないけれど、レトロで昭和ロマンの香りがある。こうゆう形の湯船はあまり見たことがないから相当に古そうだ。昭和でも比較的古い時代のものだろう。
それに比して、蛇口は白と赤のゴルフボールでボップだ(画像を拡大されたし)。そして壁面上部はキッチュ。普通の銭湯画ではなく、トタン板に何やらシュールな生物どもが貼り付けられておる。おそらく深海生物、いや太古の昔の原始生物だろう。悠久の世界観ですな。空間で小さな宇宙が展開している。

客はワシ一人の貸し切り状態だ。気兼ねなく湯船で大の字になって浮かぶ。
重力から開放され、四肢がゆるゆるとほどけてゆく。
スッゲー開放感。やっぱ銭湯って最高だよ(≧▽≦)❗

銭湯では、たっぶり1時間過ごした。スーパーリラックスで夕暮れ間近の外へ出る。目に見える風景全てが優しく見える。

少し駅の方向へと戻り、お目当ての居酒屋へゆく。
極楽気分になる為のステップその2だ。

 

 
大通りを少し入ったところにある『うまいもん酒房 和来(わらい)』。
四、五年前だろうか、三田でギフチョウを採って「しんち湯」に入った後、酒でも呑もうと思ってうろついてて偶然見つけた店だ。それ以来、毎年この時期にだけ訪れてる。中々良い店で、近所にあったら絶対に通うのだが、三田なんてギフチョウを採りに来るくらいしか用がないから、どうしてもそうならざるおえない。だが、完全に年中行事にはなってる。もはやギフチョウと銭湯とこの店がセットになっていて、優先順位に優劣なく、均衡を保っている。

時刻は、まだ5時40分。どうやら自分が最初の客らしい。
一番最初の客は嫌いじゃない。

「僕は店を開けたばかりのバーが好きなんだ。店の中の空気がまだキレイで、何もかもがピカピカに光ってて、客を待ってるバーテンが髪が乱れていないか、蝶ネクタイが曲がってないかを確かめてる。酒の瓶がキレイに並び、グラスが美しく光って、バーテンがその晩の最初の一杯を振って、綺麗なマットの上に置き、折りたたんだ小さなナプキンをそえる。
それをゆっくりと味わう。静かなバーでの最初の静かな一杯、こんな素敵なものはないと思ってる。」

ハードボイルド小説の金字塔、レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ(註1)』の一節を思い出した。大学生の頃に暗記したのだが、今でもこうして諳(そら)んじることができる。ただし、語彙の一部は自分なりの言葉に微妙に変換されてるけどね。
この小説には、他にも粋な言葉が数多(あまた)散りばめられており、このセリフのすぐ後にも名文句がある。
「アルコールは恋に似てるね。初めてのキスには魔力がある。二度目にはずっとしていたくなる。だが三度目にはもう感激がない。あとは服を脱がせるだけだ。」
話が逸れた。戻そう。

ここは勿論バーじゃない。居酒屋だ。けれど開店直後の店の空気はまだキレイであり、独特の清新さがあることには変わりはない。

カウンターに座ると、目の前に「ワンピース」のフィギュアが並んでいる。

 

 
数は年々確実に増えているようだ。現在進行中の「ワノ国編」の登場人物もいるしね。ワンピースのストーリーは同じパターンの繰り返しで、どのエピソードも結局のところ少年ジャンプ的ヒエラルキーだから飽きているのだが、アニメの方だけはまだ継続して見ている。どうせルフィーは、もう1回くらい四皇の一人であるカイドウにボゴボコにされるだろうけど、最終的には勝つに決まってるからね。

先ずは「5種造り盛り」¥1000から頼む。

 

 
何だこりゃ❓
画像を見ても全然メンツが思い出せない。マズイな。

あっ、でも探したらメニューの写真を撮ってあったわ。

 

 
酒のアテの欄がソソるねぇ〜(´▽`)
如何にも左党が好みそうなアイテムが並んでいる。店主も酒好きなのが如実に現れているラインナップだ。そういや初めて来た時は、通が喜ぶ「鯖のへしこ」なんかもあったな。アレはもう無尽蔵に何ぼでも酒が呑めるのだ。あっ、そうだ。酒といえば、この日に飲んだ酒の事も書いておこう。
(・o・)ありゃ、でも酒関係の写真を一枚も撮ってない。まあいい。どうせビールから始まって芋焼酎のロックへと移行したのであろう。こうゆうアテの美味い店ならば、大体のパターンは決まっておるのだ。せいぜいどこかで日本酒を挟むくらいしかバリエーションは無い。チェーンの居酒屋では、ビール飲んでから酎ハイレモンとハイボールを延々飲んでるけどもね。旨い料理には敬意を表して酒を選ぶが、どうでもいいような食いもんの時には、ただ酔えればいいって感じのチョイスになるのだ。

このメニューの刺身の項から類推すれば、左のサーモンみたい奴は桜マスだろう。
桜マスは渓流魚のヤマメの降海型で、鮭みたく海に下り、デカくなって川に戻って来た奴だ。尚、桜マスの名前の由来は桜の咲く頃に川を遡上するからという説とオスがメスの産卵期が近づくと体が桜色になるから(婚姻色)という説がある。
西日本では五月(サツキ)マスと呼ばれ、こちらは亜種であるアマゴの降海型である。また、海ではなく琵琶湖に下るアマゴもいて、ビワマスと呼ばれている。これら全部をひっくるめてもサケ科の中では漁獲量が最も少なく、珍重もされている高級魚だ。日本では古来から食べられており、「鱒(マス)」といえばこの魚の事を指していた。

サツキマスとビワマスは何度か食べた事があるけど、サクラマスって食った事あったっけかなあ❓多分、あったとは思うけど。

画像を再度見て、舌の記憶が甦ってきた。味の印象はサツキマスやビワマスとほぼ同じだったと思う。どちらも美味です。身は柔らかく、甘みと旨みが強いのが特徴だ。それでいてサーモンみたく味はしつこくなく、舌にベタベタと残らない。キレが良く、どこか上品さがあるのだ。

その奥の赤いのはマグロはマグロなんだけど、その脳天。脳天といっても脳味噌ではなくて、頭の頂部の両脇にある身で一匹の鮪から2本しか取れない希少部位である。上から見れば、漢字の「八」に見えることから、別名「八の身」とも言われてるそうだ。
マグロ(本マグロ)の頭は全体的に脂が乗っており、味はトロに近いのだが、脳天はどうじゃろう❓
あっ、味はトロだが、トロよりも弾力がある。よく動かすところなのか筋肉質で、トロの甘みの中に赤身のコクも混じってて、めちゃんこ美味い。

真ん中は生のホタルイカ、右手前の白身はイサキだろう。となると、その奥は消去法でシマアジとゆう事になる。
画像からするとイサキの質が高そうだ。けど、あまり記憶にない。逆に不味かったら記憶に残るだろうから、目を見張るほどではないが、そこそこには旨かったのだろう。

お次は「春野菜天ぷら盛合せ」¥550をチョイス。

 

 
一番左端の黒緑色なのがワカラン。大葉?ワサビ菜?
その横はウルイだね。その隣もワカランが、若ゴボウかなあ?
で、タケノコ、コゴミときて、右下はフキノトウかな。
多分、塩で食ってるな。天つゆを否定はしないが、甘ったるいので殆んど使うことがない。それに何食っても天つゆ味になりがちで味を壊しかねない。繊細な春野菜ならば、尚更だ。塩のみで食ってる確率は、100%だろう。
塩は藻塩かなあ…、自信ないけど。とにかく普通の塩ではないだろう。
不満は特にないが、ここに山菜の女王コシアブラがあればなと思う。山菜で一番美味いのはコシアブラだからね。

 

 
これは「なめろう ¥400」だな。
基本はアジ、サンマ、イワシなど青魚の刺身に味噌、生姜、ネギ、大葉、ミョウガ等を加えて細かく包丁で叩いて混ぜ合わせたものだ。
元々は房総の郷土料理で「皿まで舐めるくらいに旨い」というのが由来だったかな。
日本酒や焼酎のロックを飲みながらチビチビ食うのだが、酒バカエンドレスになるアテだ。由来に恥じないくらいに旨かったという記憶がある。

(・o・)んっ❗❓改めて画像を見て思った。
なめろうといえば、真鯵が基本だが、コレってマアジか❓
サンマは季節的に有り得ないから除外だし、イワシならばもっと銀ピカだから容易に区別できる。だからマアジだとばかり思っていたが、よく見るとマアジにしては色が白っぽくて、身に透明感がある。
もしかしたら、コレってシマアジで作った「なめろう」かもしれない。いや、刺身の項にアジは無かった筈だから、間違いなくシマアジだろう。道理で旨かったワケだ。シマアジの「なめろう」なんて贅沢だよなあ(´∀`)

 

 
だし巻き玉子。
左側は大根おろしだが、鬼おろしだから粗い。
個人的にはボソボソしているから粗い大根おろしはあまり好きではない。とはいえ、おろし方よりも辛みのエッジが如何に立っているかの方が遥かに重要だ。辛くない大根おろしは大根おろしではない。あの、世にはびこる水っぽくて味も素っ気もない大根おろしを憎悪してやまない。

店主曰く、関東と関西では巻き方が違うらしい。玉子焼き用の道具も東西では違うから何となくは知ってたけど、どっち側から巻くかまでは知らなかった。

調べてみよう。
色が濃くて甘い関東風の厚焼き玉子は焦げ目をつけて、一回で厚く卵を巻くという作り方が主流。一回で卵を巻きやすいように東(あずま)型や角型と呼ばれる正方形で幅のある大きな卵焼き器を使って、奥から手前へ折りたたむように巻いて作られる。一方、だしを多く使いフルフルの柔らかい食感が特徴の関西風だし巻き卵は、手前側から少しずつ何層にもなるように巻いて作られる。巻きやすいように西(にし)型や角長型と呼ばれる細長く長方形の卵焼き器を使うのが一般的である。
ちなみに自分は無意識に手前から奥へと巻いている。たぶんオカンの玉子焼きの作り方を小さい頃から見ていたせいである。

関西風のだし巻き玉子って、しみじみ旨いよなあ(´ω`)
酒のアテだけでなく、オカズにもなる。だから関西では「だし巻き玉子定食」とゆうのがあって、わりかしポピュラーな存在なのだ。
このあいだ「秘密のケンミンSHOW」か何かでやってたけど、関東には「だし巻き玉子定食」とゆうのが存在しないらしい。オバハンがキレ気味に「玉子焼が御飯に合うワケないよー。」と言ってたが、こっちが(  ̄皿 ̄)キレるわい❗
関東の人には申しワケないが、あんなクソ甘い玉子焼きだったら御飯に合うワケないやろ、お菓子かボケー(-_-メ)❗❗である。
そういや築地にテリー伊藤の実家の老舗玉子焼屋があって、そこで厚焼き玉子を食ったことがあるけど、💢😈ブチキレたね。
関東の人は関西に来たら、是非ホンマもんのだし巻き玉子を食べてみて戴きたい。錦市場には「三木鶏卵」とか「田中鶏卵」というだし巻き玉子専門店があるから気軽に買えますよ。
中でも「三木鶏卵」がお薦め。ここのは冷めても美味しい。いや、むしろ冷めてるヤツの方が美味い。しっとりとしていて、噛むとジュワッと出汁が口の中で広がるのだ。

店はいつ来ても多くの客で賑わっていたが、この日はずっと静かだった。
7時過ぎになって漸く新しい客がやって来たくらいだ。しかも一組だけ。やはりコロナの影響は凄まじい。
お陰で店の大将と色々話せたけどね。ここの大将は結構面白い人なのだ。曰く、実際大変な状況になってるらしい。家賃や光熱費、人件費などは黙っていても出ていくし、食材だって大半が廃棄になってしまうそうだ。自分も飲食やっていただけに、よく解る。

 

 
どうやら「サラミポテトサラダ ¥350」みたいだね。
ポテサラって大好きなんだけど、外では中々自分好みのポテサラには会えないんだよね。
多分ここのは合格の範囲内だったと思うけど、細かい味までは憶えてない。とはいえ、自分も珠にサラミ入りのポテサラを作るから味の想像はつく。あまりポピュラーではないけれど、実をいうとコレが旨いんだよね。だから旨かったのは間違いないかと思われる。

そういえば、店の大将が言ってたけど、作ろうと思えばもっと旨い究極のポテサラが作れるらしい。ただし、大変手間がかかるから3日前には電話してほしいと言ってたなあ…。
普段は予約とかしない人だけど、次回はマジで電話してそのポテサラを作っておいてもらおっかなあ。
でも来年も店が有るかどうかはワカラナイ。今は先が全く見えないという御時世なのだ。
たとえそうじゃなくとも、一人だけなのに予約するのは恥ずかしい。それに一人だと食べられる品数に限りがあるんだよね。ワタシャ、出来れば沢山の種類をちょっとずつ食べたい人なのだ。
なれば、元カノでも誘おっかなあ…。でも、こないだドタキャン喰らったからなあ…。かといって、こうゆう良い店には心を許した人でないと誘えない。それに食いもんの好みが合わない人だと、楽しいどころか寧ろマイナスになりかねない。相談もなく、勝手に自分の食べたいものだけを頼むような人間とか抹殺したくなるもんな。
まあ、場所も場所だし、誘っても断られるのがオチかもしんないけどさ。チッ、それはそれで癪じゃないか。

 

 
ほろ酔い気分で午後8時半に店を出た。
春のやわらかな風が頬を撫でる。

午後8:43の高槻行き普通電車に乗る。

 

 
午後9時前、又しても武田尾駅に降り立った。
山の中だけあって夜気が冷たい。夜桜も心なしか寒そうだ。
それにしても夜に見る桜はどこか妖艶だ。そして死の匂いがする。
ましてや今宵は朧月(おぼろづき)だ。余計にそう見える。

 

 
だが、蛾の採集には最悪のコンディションである。虫は月夜の夜にはあまり灯火に飛来しないのである。天気予報では夜から曇ると言ってたのになあ…。
この周辺には春の三大蛾(註2)が確実に生息しているから、どれか一つくらいは飛んで来ると期待してたけど、芳しくない傾向だ。

割と虫が集まる灯火までやって来た。

 

 
しかし、見事なまでに何あ〜んもおらん。春の三大蛾どころか、クソ蛾さえおらん始末。
寒いし退屈だし、早々と午後10時くらいには諦め、電車に乗って大阪駅まで戻ってきた。

 

 
これで、青春18切符もあと2回分だ。さて、次は何処へ行こう。

                         つづく

 
追伸

JR難波駅⇒武田尾駅¥770
武田尾駅⇒相野駅¥330
相野駅⇒三田駅¥240
三田駅⇒武田尾駅¥200
武田尾駅⇒JR難波駅¥770
             計¥2310

 

 
青春18切符なんだから、もっと遠くへ行こうかなと思ったが、切符の期日が迫っていたので使うことにした。宝の持ち腐れが一番最悪だからである。
まあ、上のように正規の電車運賃は、買った青春18切符の1回分(4回分で5千円だから1回分¥1250)よりかは高いので、損はしてないからね。

家に帰ってから、前編で登場した相野駅近くの「肉のマルセ」で買ったコロッケとかメンチカツとかの残りを食った。

 

 
冷えても、そこそこ旨い。

この文章を書いている時点では、まだ『和来』は店の営業を続けているようだ。4月にまた大将の顔を拝めればいいなと切に願う。

 
(註1)『長いお別れ』
原題は『The Long Goodbye)』。
1953年に刊行されたアメリカの作家レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説。私立探偵フィリップ・マーロウを主人公とするシリーズの第6作にあたる。
『大いなる眠り』や『さらば愛しき女よ』と並ぶ、チャンドラーの長編小説の代表作の一つである。感傷的でクールな独特の乾いた文体と登場人物たちの台詞回し、作品の世界観に魅了されるファンは多い。チャンドラーの小説は、その殆んどが一人称によって語られる形式だが、本作によりハードボイルド小説というジャンルの文体が確立されたと言っても過言ではあるまい。謂わばハードボイルド小説の礎的作品である(始祖は『マルタの鷹』で知られるダシール・ハメット)。そして、今やこの形式が模倣を超えて定番化したと言える。まあ、謂わばハードボイルド小説のお手本みたいになっている。

1995年出版のアメリカ探偵作家協会によるベスト100では13位にランクされている。日本ではハヤカワミステリーベスト100など多くのランキングで、チャンドラー作品の中では1位に選ばれ、雑誌「ミステリマガジン」が2006年に行なった「オールタイム・ベスト」でも堂々の第1位を獲得しており、傑作とする人が多い。

ハヤカワ・ミステリ文庫の清水俊二訳では「ギムレットにはまだ早すぎるね」や「さよならを言うのはわずかのあいだ死ぬことだ」、「警官にさよならを言う方法はまだ発明されていない」「君はいったい何を求めてる。薔薇色の霧の中に飛んでいる金色の蝶々か」など多くの粋なセリフで知られる。
尚、村上春樹もこの作品を2007年にタイトルを『ロング・グッバイ』と変えて翻訳している(早川書房)。
村上春樹は最も影響を受けた小説として『カラマーゾフの兄弟』『グレート・ギャツビー(華麗なるギャッビー)』、そして本作を挙げており、評論家は初期の代表作『羊をめぐる冒険』は本作の影響が色濃い事を指摘している。
春樹さんの小説は好きだけど、この翻訳はハッキリ言って嫌い。台詞が粋じゃなくなってて心が動かされない。何か会話に色気がないんだよなあ。どこか村上春樹の小説の登場人物と似ていて、虚無的な感じなのだ。気障な軽口じゃなくなってる
から全然ハードボイルドっぽくないのである。テリー・レノックスとマーロウとの会話が好きなのに、あれじゃ、あんまりだ。

1973年にロバート・アルトマン監督により、原題と同じ『The Long Goodbye』のタイトルで映画化もされている(日本では『ロング・グッドバイ』のタイトルで公開)。
時代設定を現代(1970年代)に変えており、公開当時はマーロウが全然カッコ良くないので、チャンドラーファンからは酷評されたらしい。だが、その後再評価され、カルト映画の1つとして名を連ねている。
確かにファンとして観れば不満のある映画ではあるが、それを取っ払って純粋な映画として観れば面白い。中でも飼っている猫とのシーンが印象に残っている。

 
(註2)春の三大蛾
エゾヨツメ、イボタガ、オオシモフリスズメの大型蛾3種の事を指す。何れも個性的な姿で、蛾マニアの間では人気が高い。

 
【エゾヨツメ】

(2018.4 武田尾)

 
ヤママユガの中では、唯一春先に現れる。
闇の中で照らされる青い紋は美しく、ハッとさせられる。

 
【イホタガ】

(2018.4 武田尾)

 
国外に酷似した近縁種が数種いるようだが、数ある蝶と蛾の中でも類するものが無く、唯一無二とも言える個性的なデザインだ。極めてスタイリッシュだと思う。

 
【オオシモフリスズメ】

(2018.4 武田尾)

 
日本最大のスズメガ。怪異な姿で、しかも鳴きよるから怖い。
おぞましくて邪悪の権化みたいな見た目だが、慣れれば鈍臭くて可愛い。もふもふだしね。

エゾヨツメは日没直後に灯火に飛来し、イボタガとオオシモフリスズメは深夜にやって来る。だからエゾヨツメは別として、本気で採りたいなら10時に帰るようではダメなのだ。採れるもんも採れん。けど、たとえ粘っていたとしてもダメだったと思う。この日は、やって来る気配みたいなものが全くなかったからね。結局、去年は1つも会えなかったし、今年は何とか会いたいね。
これら三種に関しては拙ブログに何編か詳しく書いているから、御興味のある方は探してみて下され。

 

青春18切符1daytrip 春 第二章(3)

 
去年、第二章の2話目まで書いて頓挫、長らく放置していた青春18切符 春シリーズを再開します。

 
  第三話 流浪のプチトリッパー 前編

 
 2020年 4月6日

 

 
武田尾駅の周辺の桜は、今が盛りと咲き誇っている。朝も満開だったが、この陽気で更に開花が進んだのだろう。華やかさは増している。
よく晴れた春うららかな一日だったし、ギフチョウ(註1)にもそれなりに会えた。それによく歩いた。充実した疲れが全身を薄布のように覆っている。
思い出したように時折そよぐ風に花びらが舞うのを和やかな心で見送る。でも世の中はコロナ騒ぎで大変な事になってるんだなと思うと、妙な気分だった。

時計に目をやると、まだ午後3時前だった。
晩飯の時間まではかなりある。汗を流しに行くにしても時間潰しが必要だろう。さて、どうしたものか…。まあいい、流浪の民だ。流されるまま、気の向くままでいい。
取り敢えずは、2:57の篠山口行の列車に乗る。丹波方面をうろつくのも悪かない。

道場を過ぎ、三田駅を過ぎる。ここから先は福知山線になるのかな❓いや尼崎からか…。
毎年、道場はクロツバメシジミ、三田はギフチョウに会いに来てるから武田尾から三田までは馴染み深いが、そっから先は殆んど未知の世界だ。城崎温泉に行く際に何度か通ってはいるものの、特急ゆえに途中下車はしていないし、オネーチャンと一緒なんだから外の風景なんかロクすっぽ見てないのだ。この地方は、ほぼほぼ未知だと言っても差し支えないだろう。

車窓から外をぼんやりと眺める。
列車の両側には田畑が広がっている。しかし作物は殆んど無く、枯れた野が延々と続く。「夢は枯野を駆けめぐる。」と呟く。
このまま福知山辺りまで行って、デンして帰ってこようか❓取り敢えず流れる風景さえ見ていれば退屈することはない。時間は確実に流れてゆくのだ。電車に乗ってると時間が早く流れるような気がするのは、自分だけだろうか…。
ふと思う。電車で移動するのと歩くのとでは、物理的にスピードに雲泥の差がある。だとすれば自(おの)ずと時間の流れ方は変わるのではないか❓いや、時間は時間だ。スピードが速かろうが遅かろうが同じだ。
でも江戸時代の人と現代の人とでは、時間の流れの感じ方は違っていたのではないだろうか❓少なくとも昔はもっとゆるやかに時間が流れていたのではあるまいか❓
そんな事を考えてると、列車のスピードが突然弱まり、車内アナウンスが入った。

 『次は、あいの〜、あいの〜。』

「あいの」という地名は聞いたことがある。「あいの」って、もしかして「相野」かな❓
3、4年前だったろうか、大阪昆虫同好会の夏合宿の帰りに、兄貴こと河辺さんに肉屋に寄るからつきあえと言われて少し遠回りした事があった。兄貴曰く、そこのハンバーグが死ぬほど旨いらしい。その肉屋があったのが相野駅のすぐそばだった筈だ。

列車は駅のホームへとゆっくりと入ってゆく。すかさず駅名表示を見る。
やはり「相野」だ。でも、ホントにそれであってんのか❓
(ノ`Д´)ノ彡┻━┻えーい、ままよ。降りちまえー。

 

(出典『改札画像.net』)

 
これでもし記憶違いだったら、とんだ笑いもんだが、所詮は特に行くあてのない流浪の旅なのだ。それもまた縁だ。ここで運命的な女性との出会いが無いとは言い切れないのだ。そして二人は💋ぶっちゅう〜。
まあ、そんな事は万に一つもないだろうけどさ。

スマホでググると、確かに駅近くに肉屋があった。
しかも、そこそこ有名みたいだ。店の名前でピンとはこなかったけど、そんな名前だったような気もしてきた。おそらくそこで間違いなかろう。そして、肉屋だけにコロッケやメンチカツとかもあった筈だ。それならオヤツ代わりにもなる。ハンバーグは高かった覚えがあるし、そんな生肉なんぞを持って歩く気にはなれないけど、コロッケなら1つだけ食って、あとは持って帰る事だって出来る。

5分ほどで着いた。

 

 
『肉のマルセ』。
こんな店だったかなあ。見憶えがあるような、無いような…。
まあいい。この際、たとえ別な店であっても構わん。もうコロッケさえ食えれば、それでいいや。
しかし、店内を覗いて此処で間違いないと確信した。完全に見憶えのある風景だったからだ。そいでもって、コロッケとかも売ってるぞなもし。
だが店内には入らず、スマホで近隣の酒屋とスーパーマーケットを探す。揚げ物があるとなったら、ここは当然ビールでしょうよ。
ガビー\(◎o◎)/ーン❗
しかーし、行ったらスーパーは潰れてやがった。
(--;)マジかよ❓である。
もうスマホなんぞに頼るかボケッ(ノ ̄皿 ̄)ノ❗ スーパーの斜め前の和菓子屋でビールの売ってる場所を尋ねる。すると婆さんが雑貨屋を教えてくれた。そこに売ってるらしい。雑貨屋にビール❓それってド田舎パターンだ。屋久島を思い出したよ。半信半疑で店に入ったら、奥にちゃんと売ってた。
ケッ(-
-メ)、スマホの情報なんぞを鵜呑みしたからだ。人に聞く方が早い。但し、選ぶ人を間違えれば最悪だけどね。
 
🎵コーロッケ、🎵ビール、🎵コーロッケ、🎵ビール
肉屋にマッハで戻り、コロッケを買う。

 

 
ミートコロッケじゃよ。
でもビール(発泡酒)を買った時点で、タガがハズレていた。

 

 
他のもんまで買っちまったよ。
マジックでちゃんと何なのかを書いてくれてるところが親切だ。
左上から時計回りに牛カツ、カレーコロッケ、そして下段はメンチカツである。ちょっと買い過ぎのような気もするが、すぐに腐るもんでもなし、余ったら家に持って帰ればいいのだ。

 

 
揚がるまでにビール(発泡酒)片手に突っ立っていたものだから、店員さんに笑われた。ワシも笑って軽口で返す。したら、店の端のテーブルを使って食べてもいいよと言われた。何かと得なセーカクー✌️😄

チラシを横にどけて陣地を確保して、先ずはやっぱりミートコロッケから。

 

 
(≧▽≦)うみゃーい🎉
すかさず発泡酒をグビグビいく。
(≧▽≦)うみゃーい🎊

続いて牛カツ。
(人´∀`)。゚+うみゃーい🥰
やっぱ関西人は牛好き文化なのだ。豚カツも勿論美味いけど、牛カツには敵わない。関西では串カツといえば牛カツだかんね。

お次はカレーコロッケ。
感動する程ではないが、旨いっぺよ(◠‿・)—☆

そして、最後はメンチカツ。
うま、うま、うまっ、✨💕激うま〜(☆▽☆)
他のも旨かったが、コヤツが断トツに美味い。玉ねぎと肉汁の甘みが渾然一体となってジュパ〜と襲ってくる。

午後4時半。
駅まで戻ってきた。
扠てと、どうしたものか…❓相野駅周辺に他に寄るような所はない。となると、このまま前に進むか戻るかだが、思案のしどころだ。
(ー_ー゛)う〜ん、上手い具合にだいぶ時間が潰せた事だし、時刻を考えれば、ここはやっぱワシ的王道コースかなあ。

                         つづく

 
追伸
間が9ヶ月も開いての連載再開である。別に誰も続きを待ってなかったとは思うけど、中途半端なのはどうにも心苦しい。心の片隅のどこかで頓挫したことが、ずっと気にはなっていたのだ。
とはいえ、再開したはいいが当時の事をどこまで憶えているかは心許なかった。オジンになると、忘却スピードは加速度的に早まるのだ。
けど書き始めたら、意外と憶えてた。記憶とゆうものは1つ思い出せば、数珠繋ぎに甦ってくるものだと改めてわかったよ。

えーと、頓挫した理由も書いとこう。

①カトカラ(蛾のグループの1つ)の方の連載再開の時期が迫っていたので、そっちの下書きを優先したから。
アサマキシタバの話は長くなりそうだったので、早めに2019年の分だけでも下書きをしておこうと思ったのだ。そして、そのままソチラの連載に掛かりきりになってしまったのである。

 
【アサマキシタバ Catocala streckeri】

(2020.5 東大阪市枚岡)

 
②飽きたから。
文字通りである。この連載も長くなっていた。第一章だけでも5話も要した。オマケに各話が長い。愚かなことに、いつも簡単にサラッと書けるだろうと考えてシリーズものを始めるのだが、書くうちにアレもコレもと付け加え、また脱線もしてしまうので長くなってしまう。で、結局途中で書くのがウンザリになって放り出したくなるのだ。カトカラの連載再開は、放り投げる格好の理由にもなったワケだ。

本文が一部斜めの字体になってて読みにくい箇所がありますが、どうしても治らないので、そのまましておきました。すいません。

 
(註1)ギフチョウ

 
春先にだけ現れ、「春の女神」とも呼ばれるアゲハチョウの1種。