鰊そば

 
無性に鰊(にしん)そばが食べたくなった。
きっかけはスーパーで「ソフトにしん」が半額になっていたからである。
一応言っとくと「ソフトにしん」とは、従来からある「身欠きにしん(註1)」と比べて干し時間が短く、柔らかいものの事をそう呼ぶようになったようだ。

しかし、そこのメーカーのソフトにしんって苦くて美味しくなかったという記憶が残っている。なので取り敢えず他の買物を先にしようと、一旦その場を離れた。

買物をしながら、ぼんやりと久し振りに京都は南座の隣にある『松葉(註2)』の鰊そばを食べたいなあと思った。
京都では鰊そばはポピュラーで、中でも『松葉』のものが一番有名なのだ。そういや、あまり好きじゃなかった鰊そばの本当の旨さに初めて気付かされたのは此処だったよね。

 

(出展『ことりっぷ』)

 
でも、値段が高いんだよなあ。¥1300(税込¥1430)もする。
金ねぇし、コロナの緊急事態宣言中だし、京都まで行くのは考えものだ。この際、自分で完璧な鰊そばを作ってみるっぺか。

で、一回りして戻ってきたら、(ㆁωㆁ)ゲッ、オバハンが目の前でワシのソフトにしんをカゴに入れはった。
一瞬、『それ、僕のぉー❗』と言いかけたが、そんなこと言ったら、狂人のオッサンと思われること必至だ。黙って見送る。
……(-_-;)マジかよ。一周回って漸く意を決して買おうとしただけに何だかとてもショックだ。こうなると、どうしても鰊そばが食いたくなる。それが人情ってもんだ。
けど、そんなの世の女子から見れば、子供じみてるって言われんだろなあ…。ちゃんとした大人は、そんな事で意地になったりはしないのだ。けど、どうせ未成熟とオンナどもに言われてきたオトコだもんねー。今さら治りゃしないのだ。
その代わりっちゃなんだけど、性格は変わらなくとも知恵は以前よりかはついている。棚を見ると、30%引きのがあった。賞味期限を確認すると明日になっている。
(ΦωΦ)フフフ…、勝機を見い出したぜ、マドモアゼル。
経験上、となればコヤツも明日には半額になっている筈だ。だいたいソフトにしんなんてもん、世の主婦で扱える人なんて少ないのだ。たとえ翌日に半額になっていたとしても、直ぐに売れるものではないだろう。余裕で明日来ても売れ残っいる可能性が高い。

翌日、夕方にスーパーへ行ったら、へへへ(◠‿・)—☆、あったぜ。

 

 
<( ̄︶ ̄)>オラって、かしこい〜👏
早速、調理にかかる。

①ソフトニシンは骨や血合いがあれば取り除いておく。
で、鍋に入れて緑茶をドボドボ注いでヒタヒタにする。有れば緑茶のティーバッグでもいい。っていうか、その方が経済的だろう。でも、どうせローソンの百均で買った2L百円のお茶なのだ。贅沢に使っても心は傷まないのさ。
尚、緑茶を使うのは茶葉と煮ることで身欠きにしんの臭みが消え、柔らかく煮上がるからだす。

②中火にかけ、沸騰してきたら弱火にして20分程でザルに上げる。冷めたところで、本当は『松葉』みたく半身そのままにしたかったのだが、半分に切る。「泣いて馬謖を斬る」の苦渋の決断だが、どう考えても今ある家の丼には入りきらないと判断したのだ。

③鍋にニシンとめんつゆを入れて中火にかける。煮立ったら落とし蓋をして弱火で20分程煮る。ニシンが柔らかくなり、照りが出たら火から下ろしませう。

④そばを表示時間よりも1分短めに茹でる。
 
 

 
今回はディーンのボーカルが『マツコの知らない世界』で、イラッとくるくらいに褒めていた『小諸七兵衛』。それなりに満を持したつもりだ。
茹で上がったら、冷水で締める。

⑤別の鍋に『ヒガシマルうどんスープの素』を入れて、熱湯をかけ(300ml)、ニシンの茹で汁を適当に加えて味を調整する。

 

 
⑥そこに蕎麦を投入。ひと煮立ちしたら、器に移してニシンと水菜を乗せて完成。

 

 
マジで、(☆▽☆)美味い❗
ニシンも完璧に仕上がってる。全然、苦くなくて、程好い固さだ。味付けも松葉のものと遜色ない。

旨かったので、翌日も食べた。

 

 
ニシンに蕎麦を掛ける松葉流の盛り方にしてみた。
けど、見た目は一本ニシンと比べて、何だかみっともない。
それにあまりに素っ気ないので、『松葉』では別添えである葱を乗っける。

 

 
こっちの方が見た目は、まだしも良いよね。
味は水菜が葱にチェンジしている分、微妙に違うが、やはり美味い。

まあ、それほど手間もかからないし、是非お試しあれ。

 
                        おしまい

 
(註1)身欠きにしん
干物にしたニシンのこと。冷蔵庫がない時代の魚の保存方法の一つで、ニシンの内臓や頭を取り除いて天日干しにしたもの。
干物にすることで身が引き締まり、骨にそって取れやすいとゆうことから「身欠き」と言われるようになったという。
最近では乾燥度が強くて扱いずらい身欠きニシンよりも、短時間で戻すことができて手間もかからない一夜干し程度のソフトニシンの方が主流となっているみたいだ。

 
(註2)『松葉』

(出展『360@旅行ナビ』)

 
正式名称は『総本家にしんそば 松葉』。
鰊そば発祥の店とされ、創業から百五十年を越えている老舗である。
ちなみに隣に写っているのが、顔見世興行で有名な南座。歌舞伎役者も、よく出前を頼んでいるそうな。

 

2020’青春18切符1daytrip 第四章(3)最終回

 

 第3話(最終話) 紀州の春の味

 
 2020年 4月10日(後編)

 
再び「スナック変てこネーミング愛好家」の活動が始まる。
今度は反対側から繁華街へ入ろう。

 

 
『銀ちろ専用二輪車置場』。
店の看板にチャリンコの置き場所を示すだなんて斬新だ。
でも、店本体が見当たらない。謎です。ステルス店舗なのかもしれない。地方に行くと、時空間が時々歪むからね(笑)。

『居酒屋 味心 むそう』。
「むそう」が無双の事なのか、それとも夢想を表しているのかがワカラナイ。いや、両方の意味が込められているからこその平仮名表記なのかも。だったとしたら、そんな掛け合わせをしようなんて考えた店は唯一無二だろうから、無双かもね。

『紅葉』。
「もみじ」もしくは「こうよう」という店名かと思いきや、下に「KREBA」の文字がある。「くれば」だったんだね。
けど、その読み方って無理がないかい❓普通に読めば「くれないば」、もしくは「べにば」だよね。紅に「くれ」という読み方はないのだ。
まあいい。にしても、何でわざわざ秋に限定されるようなネーミングにしたんだろね❓まさか秋限定のオープンなワケでもなかろう。う〜ん、ママさんの名前が「紅葉」でもなければ、解せませぬ。

『SEED』。
種子❓種(たね)は物事の始まりを表すものでもあるからして、理解できなくもない。
いや、まさかのママさんの名前が「タネ」だったりしてね。だとしたら、どんだけオールディーな名前やねん❓
そうじゃなければ、まさかまさかのシードの別の意味でもある「精液」や「精子」だったりしてね。(-_-;)…、だとしたら相当に奥が深い。ハプニングバーとか、とんでもない店だったらいいなあ。

『居酒屋 白百合』
「昭和」を通り越して、もう「大正」の世界だ。
一周回って大正ロマンの香りさえ漂っている。

振り返っても撮る。

 

 
どうやらこの通りは味光路(あじこうじ)というらしい。

 

 
『AGAIN』。
アゲイン。再び。
また来てねという意味か?
他に浮かばないし、段々無理からイチャモンつけるのも面倒くさくなってきたよ。

『LARME』。
ラルムというのはフランス語の「涙」「涙の雫(しずく)」の事でいいのかな。
にしても、そんなマイナス思考のネーミングでいいんすか❓

『スナック すみれ』
何ら奇抜さがない普通のネーミングだ。
でも奇を衒わないところが、かえって新鮮だ。明朗会計に違いなかろう。好感もてます。

『LUSH』。
普通に訳せば、「青々とした」「瑞々しい」だろう。
調べたら他にも意味があって、「大酒呑み」とゆうのが出てきた。たぶん由来はコレだな。
さておき、下の「a new sense bar」とゆうのが引っ掛かる。新しいセンスとは何❓
このネーミングのワケの分からなさにスナック文化の面白みがある。こうしてアレコレ想像するのは楽しい。ネーミングの裏に、その人の人となりが見え隠れするのだ。

『がらくた』。
(☆▽☆)来たー❗、自虐系ネーミング❗
けど、ストレートの平仮名表記である。普通ならば「我楽苦多」などという宛字をブチ込んでくるのがセオリーなんだけどね。その路線にいかないのは、言うほどポンコツではなさそうだ。ただの自虐的な人なのかもしれない。

後ろのビルの看板が横に写っている。気になるからコッチもコメントしておこう。

『Pino』
イタリア語かな❓ならば「松の木」とか「松ぼっくり」という意味になる。可愛さ演出かしら❓
単にお菓子のピノ好きの店主だったりして…。

『Bebe』
普通に考えれば「赤ちゃん」だよね。
ばぶばぶの赤ちゃんプレーの店だったりして…。いかん、いかん。どうしてもエロに走るクセがある。
だとしたら、フランス語の「パートナー」という意味なのかもしれない。豚が2頭向き合ってるしね。
でも、ちょっと待て❗
下には「Boys snack」という文字があるではないか❗❗
とゆうことは、モーホーの集まるスナック❓それもパートナーを探す的な❓しかも赤ちゃんプレーがメイン的な❓
頭がオカしくなってきたところで、目的の店の前に着く。

 

 
ここの向かい側が店となるのだが、惹かれる風情があって、つい写真を撮ってしまったなりよ。
あっ、でも惹かれた理由は風情だけじゃないと直ぐに気づいたよ。

 

 
🎵ホッピー(◠‿・)—☆
久し振りに看板と幟を見たので、テンションが上がる。奴は関東文化圏のもので、関西ではあまり見ないのだ。これは東京に住んでた頃に劇団の先輩に教えてもらったというか、仕込まれた。
えー、ホッピーとは下町のヤサグレ親父たちのフェバリット安酒の事である。
もとい、厳密に云うとホッピーそのものは酒ではない。

 

(出展『Wikipedia』)

 
ホッピー(Hoppy)とは、ホッピービバレッジ(旧・コクカ飲料)が1948年に発売した麦酒様清涼飲料水のこと。平たく言うと、ルートビアみたくビールテイストの炭酸飲料の事ね。でもホッピーといえば、焼酎をこれで割った飲み物を指す場合のことの方が多い。
ホッピーが発売された頃は、まだビールは高価だったそうな。なので、そのビールの代わりにホッピーで焼酎を割って飲む技が編み出された。そして、手軽にビールの満足感を得られる酒として関東圏で急速に広まっていったらしい。そう、ビールモドキなのだ。その辺からして男たちの苦い哀愁が漂うなあ。
ちなみに今でも東京の大衆酒場には必ずと言っていいほど置いてある筈だ。まあ、安く飲める酒の代表選手みたいなもんだすな。飲んでるオヤジたちもイタい人が多かったから、場末感満載なのだ。何だか懐かしい。

又しても脱線してもうた。
いざ、目的の店にゆかん。

 

 
『紀州魚介庵 かんてき』。目的地到着だす。
店はビルの奥まったところにある。

 

 
「かんてき」とは、関西では七輪(しちりん)の事だが、火がカチカチ熾る様から癇癪(かんしゃく)持ちを表す言葉でもある。つまり気が短くて怒り出したら止まらない人で、感情がコントロール出来ないってこと。
たぶん店の名の由来は、この両方で、どちらかとゆうと後者だと推察される。ならば、めんどくさい親父に決まっている。テメェで付けてるくらいなんだから、自他ともに認める性格なのだろう。

口あけだから、客はワシ以外には誰もいない。

 

 
カウンターの真ん中に座る。
店の雰囲気は昔からある居酒屋という感じだ。

 

 
目の前の大将は、よく喋る。
気は如何にも短そうだ。でも本当の癇癪持ちならば、店を長く続けてはこれなかっただろう。ようは気は短いが、気のいいオヤジさんってとこなのだろう。ヤンチャの匂いがしますな。

当然、先ずは何をおいても生ビールから入る。

 

 
付き出しは「イソモン(磯もん)」という地元で穫れる貝。
磯で穫れる貝を総称してそう呼ばれる事が多いが、見たところ1種類だけだから、どうやら地元ではそう呼ばれている貝なのだろう。一瞬、シッタカ(尻高)にも見えたが、似ているけど頂きはシッタカみたく鋭く尖ってないから別な種だね(註1)。

金串で根元を刺し、貝を手でぐるりと回しながら身を取り出す。こうすると、先っちょの肝までキレイにとれる。
味はシッタカとほぼ同じで旨い。肝のホロ苦さがよろしおまんな。所謂サザエの壺焼き系の味だ。それよか柔らかいけど。

 

 
お次は黒ビール。
黒ビールの生を置いてある店は少ないから、飲むことにした。

 

 
久し振りに飲む黒ビールは豊潤で旨い。

 

 
刺身盛合せ。
左は上からモチガツオ、モチガツオ心臓、グレの白子。右はヒトハメ、グレ、ウツボのたたきである。

モチガツオとは紀州の春の味覚の一つ。黒潮に乗って2~5月頃に紀伊半島沖に現れるカツオの中でも午後になると岸近くに寄って来るモノのことをいうそうだ。本来、カツオは遠洋にいるものとばかり思ってたけど、そうゆうカツオもいるんだね。
それを釣り上げて活け締めにして即座に陸揚げしたものは、死後硬直が始まる前のモチモチとした食感が味わえるそうだ。モチモチだからモチガツオと呼ばれてるってワケだね。付け加えておくと、モチガツオと言える状態は短く、水揚げされてから6時間以内なんだってさ。

モチガツオから食べてみる。
\(☆▽☆)/ワオッ❗、確かにモチモチの食感だ。
旨味もあって、(´ω`)うみゃーい。

お次は心臓だ。
艶々してて張りがあり、如何にも鮮度が良さそうだ。
(・o・)あっ、コリコリだ。珍味ですなあ。

続いてグレの白子。
コチラも見るからに鮮度が良い。たぶんグレの白子は初めて食べるんじゃないかな。
うん、臭みは全然ない。期待どおりの味だ。旨い。
とはいえ、鯛やフグの白子の旨さには及ばないけどね。

右側に移ろう。
わかりにくいが、一番上は「ひとはめ」という海藻である。
人をハメちゃうの❓何だか純真な田舎娘をシャブ中にしてソープに売り飛ばす悪いヤクザみたいな名前じゃないか。もしくは妖怪の名前みたい。『悪戯妖怪ひとはめ』。
「雨の日でもないのに道の角を曲がった所に水溜まりをこさえ、人がハマったのを見て、キャッキャッと喜ぶイタズラ系妖怪の事。」とかさ。
スゲー名前だなと言ったら、お女将さんが正式名称は「ヒロメ」だと言って小冊子みたいなのを見せてくれた。

 

 
「それによると、こう書いてあった」と書きかけて、邪魔クサイので画像を拡大する。

 

 
ようするにワカメの親戚みたいなものだ。
ただし細長くなくて、名前のとおり幅が広い。
ちなみに「ヒロメ」の「メ」は海藻(海布)という意味。これはワカメを漢字で書くと「若布」と書くことからも解る。
「ヒトハメ」の方は後で調べてみたら、人をハメるというヤバい由来は全然なくて、〝一つの葉〞で「一葉布」なんだそうな。

 

(出展『ぼうずコンニャクの市場魚貝図鑑』)

 
(出展『和歌山県ホームページ』)

 
葉部が大きな卵形で切れ込みがなく、メカブを作らないのがワカメとの違いみたい。

味は旨い。
シャキシャキとした食感なのに、部位によっては柔らかくてとろみがあって美味しい。粘質物に含まれる食物繊維「フコイダン」がワカメより多いそうだ。
とはいえ、生のワカメをサッと湯通ししたものと、ほぼ変わらない。黙って出されればワカランだろう。

最近は養殖も試みられており、「紀州ひろめ」というブランド名で販売促進されているという。
しかし近年は温暖化で冬場の海水温が下がらないためか、生育状況が良くなくて、収穫量は年々減少しているという。

ネクスト、その下はグレの刺身。
えー、グレとは関西での呼び名で、関東ではメジナと呼ばれている磯の代表的な魚ですな。
グレにはあまり良い印象を持ってない。磯臭いのだ。特に夏場はゲロ臭い。けど餌が違う冬場は美味であるという話も聞く。
それでも何度か食べた事はあるが、特別旨いという印象はない。
この時の味の感想の方だが、1年近く前の事なのでハッキリとした印象はない。ただ、グレにしては旨かったような記憶が残っている。

最後は「ウツボのタタキ」。
ウツボは見た目が凶暴且つグロテスクで小骨も多いので積極的に食べる地方は少なく、紀伊半島南部の一部と房総半島南部、高知県くらいだろう。
何度か食べた事があるが、タタキとはいうものの、生ではなくて火が結構入っている。レアチャーシューとか、ステーキでいえばミディアムレアみたいな感じに仕上げられたのものが多い。
色は白っぽくて鶏肉に似ていて、身は肉厚で柔らかい。味は淡白ではあるが独特の旨みがある。一方、皮は歯応えがあって弾力が強い。皮下と共にゼラチン質でコラーゲンも豊富そうだ。コチラの部位は、噛むと皮下のゼラチン質から濃厚豊潤な旨みが広がる。この身と皮の2つの異なる風味が合わさった味わいがウツボの最大の魅力かもしれない。
とはいうものの、めちゃくちゃ美味いってワケでもないけどさ。食べる機会があれば、トライしてみてはと云うレベルだ。

 

 
海老団子。
野菜も入っている。呻くほどではないが、旨い。

客は誰も来ない。
4月7日に東京や大阪など7府県に対してコロナウイルスに対する緊急事態宣言がなされていたが、和歌山県は対象外だった。
なのに、この閑古鳥の状態である。こんなとこまで影響力があったんだね。未知の病気だっただけに、当時は皆、相当にビビってたんだろう。あとは下手に調子ブッこいて外出して罹患でもすれば、周囲からの批判に晒され、病人なのに袋叩きに遭いそうな雰囲気があったせいもあるかもしれない。
尚、緊急事態宣言の対象を日本全国の都道府県にまで拡大したのは、もう少しあとの4月16日になる。

そういや、この時期には和歌山市の病院でもクラスターが発生したような気がするなあ。その影響もあったのかも。
結局、この日は他に一組の客しか来なかった。オヤジさん曰く、普段は満杯だそうで、土日などは予約しないと入れないそうだ。心なしか元気がなかったのは、そのせいかもしれない。いつもはもっと威勢がいいんだろね。

その後、和歌山県は知事の仁坂吉伸氏の適切な対応で、2021年の2月現在に至るまで感染は少数で抑えられ続けている。あまり報道されることはないが、その手腕は高く評価されているようだ。
余談だが、この仁坂さん、実を言うと蝶屋である。つまり、趣味は蝶の採集・蒐集・研究なのである。
去年の2020年10月には『ブルネイの蝶 Butterflies of Brunei』(NRC出版)という図鑑も出版されておられる。
定価10,000円+税(送料別)と結構な額の本だが、結構売れていて、在庫わずかだという。
これは蝶の雑誌『季刊 ゆずりは』に連載されていたものが下敷きになっていて、仁坂さんがブルネイ大使を務められていた2003~2006年に採集された標本を整理され、図鑑にしたものである。内容は、標本のカラー図版と各解説、巻末にブルネイの蝶663種のチェックリスト付いている。中には新種の可能性があるものも含まれているようだ。

 

(出展『Amazon』)

 
図鑑そのものは見ていないが、「季刊ゆずりは」の連載は一通り見ている。珍品もそこそこ採られておられるので、正直驚いた。どうせ片手間の何ちゃって蝶屋だと思っていたからである。
さておき、和歌山でも網を振られているのかな❓まあ、この御時世だと、それどころじゃないだろうし、見つかったらボロカス書かれるからなあ…。最近の世の中は、おおらかじゃないから揚げ足をとって、徹底的に叩いてくるからね。嫌な時代だよ。
えー、在庫わずからしいので、購入される予定の人は急ぎNRC出版か南陽堂にホームページにアクセスされたし。

話が逸れた。本道に戻そう。

 

 
お店の自家製カラスミ。
カラスミって魚卵好きには堪らんよね。何であんなに美味いんだろうと、つくづく思う。究極の酒のツマミの一つだろう。
となれば、ここは焼酎だろう。

 

 
勿論のこと、ロックである。

 

 
鹿児島県霧島市の国分酒造の芋焼酎『安田』。
店主曰く、芋麹で造られた全量芋製焼酎で、入手困難ゆえにプレミアが付きつつあるという。
通常の芋焼酎は米を使用して麹を造るのだが、これは麹造りから「芋」を使用しているから全量芋製なのだ。芋麹を用いることによって、より芋の風味が濃厚な仕上がりになるそうだ。
使用しているサツマイモも、通常使われる黄金千貫(こがねせんがん)とは異なり、蔓無源氏という品種で仕込まれている。
この芋は今から百年ほど前に食用として栽培されていたサツマイモで、わずか10本の苗から復活させたという。
尚、「安田」という銘柄の由来は、平成4年より国分酒造の杜氏となった安田宣久氏の名字を冠したものだそうだ。

飲んでみる。
あれっ❓ガツンとくるかと思いきや、優しい。香り豊かでフルーティーなのだ。芋焼酎にしては女性的だ。コレってワイングラスで飲んだ方がいいかもしんない。その方が、より香りを感じられそうだからね。
御託を抜きにして、味は素直に旨い。調子ブッこいてガンガンに飲みそうだ。でも、今日はちゃんと電車に乗って帰らねばならぬ。酒バカにならぬよう、ちっとはセーブしよう。
けどカラスミを少し囓って焼酎を口に含んだら、ブレーキホースが瞬時にブッた切れた。焼酎⇒カラスミ⇒焼酎のエンドレス運動が始まる。
この円環のためには下に敷いてある大根が邪魔だ。マイルドアイテムは要らぬ。酒呑みは口中の濃い塩味と旨味を酒で洗い流すのを旨(むね)としているのだ。大根は大根として別に食うべし。それはそれで旨いのだ。

 

 
こんなの頼んだっけ❓
たぶんカツオの心臓の煮付けだと思うが、食った記憶もない。
まあ味は大体想像つくけどさ。おそらく基本は魚の内臓の味で、ホロ苦かったんだろう。
こうゆう渋い酒のアテは、エンジンがかかりやすい。

 

 
『国分 純芋 醸酎』。
コチラも国分酒造の芋焼酎で、「現代の名工」として国から表彰された安田杜氏が手掛けたものだ。
コレも「安田」と同じく従来の製法を払拭し、麹造りの際に米を使用しないサツマイモ100%の芋焼酎だ。ただし、地元産のさつまいも黄金千貫で芋麹を造り、黄麹で仕込んだものである。蒸留後は無濾過・無調整で1年熟成。加水せずにそのまま蔵出しされたものだそうだ。ゆえなのか、アルコール度数は35度と高い。

飲んでみる。
ふくよかで華やかだ。黄金千貫を贅沢に使い、白麹ではなく黄麹を使用しているからか特徴的な甘みと、まろ味(旨味)も感じられる。こっちも旨いね。甲乙つけ難いが、どちらかというとこっちかなあ。

 

 
蛍烏賊の沖漬けだよね。
これも、あまり頼んだ記憶がない。どうせ焼酎に合うだろうと思ってオーダーしたんだろな。どうみても酒呑みが好きそうなものだもん。

あっという間に時間が過ぎた。
旨い食いもんと旨い酒は時間を忘れさせる。
何で幸せの時間は短く感じるんだろ。解るようで解らない。

すっかり外は夜になっていた。駅の光がまばゆい。
午後8時39分発の和歌山ゆきに飛び乗る。

 

  
23時40分、天王寺に到着。

 

 
23時48分発の大和路線の難波ゆきに乗る。

 

 
ようやくJR難波駅に到着。

 

 
23時56分。期限ギリギリで改札を出た。

 

 
外に出ると、まあるい満月が夜空に掛かっていた。
ここに旅の円は閉じた。
小さく息を吐き、「これにて青春18きっぷの旅、終了。」と呟く。
春のやわらかな夜気は、どこまでも穏やかだった。

                        おしまい

 
追伸
第二章の途中で頓挫していたシリーズだが、何とか再開して10ヶ月後に完結できた。基本的には中途半端なのは嫌いなので、ホッと一安心。ようやく肩の荷が下りたよ。
思えば第一章の福井編が5話、第二章の武田尾・三田編が4話、第三章の山陽道編が2話、第四章の紀州編が3話の計14話も書いている。しかも各話が長い。自分でもよく書いたなと思う。
途中で頓挫したのは、多分この長さゆえだったのではないかと思う。書いてて、進まない終わらないで自分でも途中でウンザリしてきたのだ。そこへきてカトカラシリーズの連載が再開したものだから、そっちに力を注ぐことになったのだろう。
今年度の目標は文章を短くする事かな。でも脱線癖を治さねば無理だね(笑)。
文章を書き慣れない人は長い文章を書くのが苦手だろうが、実を言うと短い文章の方が難しい。慣れれば長い文章は誰でも書けるようになるが、それを削ってコンパクトにする方が遥かに難しいのだ。付け足すよりもソリッドに削る方が、より時間もかかるし、難産なのだ。

例によって、この日の正規運賃を示しておこう。

JR難波⇒道成寺 ¥2310
道成寺⇒紀伊田辺 ¥680
紀伊田辺⇒JR難波 ¥3080

              計 ¥6070

今回のチケットは金券ショップで購入した4回分¥6000(もしかしたら¥5000かも)のものだから、1回分を¥1500とすれば、以下の計算式となる。
¥6070ー¥1500=¥4570
つまり、¥4570もお得だったワケだすな。やっぱ青春18きっぷは、とってもお得なんだね。

そろそろ春も近い。
「かんてき」には、今年も行きたいなあ…。モチガツオと自家製カラスミは、もう1回食べたい。

(註1)シッタカみたく鋭く尖ってないから別な種だね

帰って調べてみたら、正式名称はクボガイのようだ。

 


(出展『ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑』)

 
北海道南部以南の日本各地、朝鮮半島、中国南部にかけて分布する。潮間帯の岩礫地に棲み、藻類を食べる。
「磯もの」や「磯玉」と呼ばれ、シッタカと共に海辺の居酒屋や宿などで茹でたものが出ることがある。身は小さいが、はらわたは磯の風味があり、足は甘みがあって美味。
(『Wikipedia』より抜粋)

参考までにシッタカの画像も貼り付けておきます。

 

(出展『ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑』)

 
正式名称は「バテイラ」というらしい。けどあまり使われてなくて、シッタカの方がポピュラーな名前だす。
それにしても、流石のぼうずコンニャクさんだ。食べられる魚介類は調べりゃ何でも出てくる。ホンマ、重宝しとります。

 

2020’青春18切符1daytrip 第四章(2)

 
 第2話 紀州逍遥

 
 2020年 4月10日(中編)

 
道成寺駅で次の電車を待つ。

 

 
特急くろしおがやって来た。
遠くから特急が近づいて来るのって、何だかワクワクする。

 

 
でも引きつけ過ぎて顔が切れてしまった。
さておき、特急くろしおは既に289系が導入されている筈だが、これって287系だよなあ。一挙に全部入れ替わるというワケではないんだね。冷静に考えれば当たり前なんだけどね。

暫くして、反対方向からも特急が来た。

 

 
w(°o°)wあわわっ、今度も287系だけどパンダ仕様じゃないか。
白浜アドベンチャーワールドにはパンダが沢山いるからね。でもコレって全然かわゆくないよね。

 

 
(☉。☉)ゲッ、又しても顔が写ってへーん。
一つ前の画像を拡大したら、正面の顔は確認できるけど、一応借り物の画像を貼り付けておこう。

 

(出典『Wikipedia』)

 
やっぱ全然、可愛くねーや。
ついでだから、最初の顔が切れた別タイプの車両の画像も貼っつけておきまふ。

 

(出典『Wikipedia』)

 
「特急くろしお」については前回に書いたので、気になる人は前回を読みませう。

 

 
駅の歩道橋って何となく好きだ。

 

 
線路が遠くまで見えるし、周りの風景もよく見える。
列車を真正面や真上からも見れるし、到着と出発、人の乗り降りも見える。それが好きなんだろね。

午後1:27の紀伊田辺ゆきの列車に乗る。
さて、次は何処で降りようか❓青春18きっぷなんだから、今日中ならば何処で降りようが自由なのだ。

 

 
視界が広がる。
山々の芽吹きが眩しい。南なだけに照葉樹が多いのだろう。
ここで漸く気づく、この列車って窓が広いぞ。だから視界がバーンと広がったのだ。

 

 
切目駅を過ぎた辺りだったろうか、海が見えた。
ここまで来ると青いね。綺麗だ。
以下、ずっと海〜\(•‿•)/

 

 
水平線が見えた。

 

 
しかも、ずっと目の前が海だ。
贅沢だなあと思う。特急ならアッという間だが、鈍行列車だと各駅に停まるので、落ち着いた気持ちでゆっくりと海を眺められる。何か得した気分だ。世の中、何でもかんでも速くて便利だからいいってワケではないのだ。

 

 
川を越える。
おそらく南部川だろう。

 

 
南部(みなべ)駅は素敵だ。
改札を出る前から海を感じられる。改札の先は海へと続く真っ直ぐな道だ。少し歩けば、すぐ海なのだ。そうゆう駅って無条件に好きだ。心が自然と沸き上がる。
懐かしい…。南部の海はダイビングインストラクター時代に何度も訪れているから思い入れがあるのかな。

 

 
午後2時過ぎに紀伊田辺駅に到着。
駅名を改めて見て違和感を覚える。此処を紀伊田辺と呼ぶ人は関西人でも殆んどいないだろう。皆、単に「田辺」と呼ぶ。
なのに何でわざわざアタマに「紀伊」とつけたのだろう❓
あっ、そっか大阪の東住吉区に「田辺」という地名があったな。そのせいなのかもしれない。
場所は天王寺の南南東にあり、「田辺」の他に「北田辺」「南田辺」「西田辺」「東田辺」という地名があって、東田辺を除いて同じ名称の駅がある。それぞれ路線は違ってて、田辺駅は地下鉄谷町線、北田辺駅は近鉄南大阪線、南田辺駅はJR阪和線、西田辺駅は地下鉄御堂筋線だ。

ここは、その昔「田辺郷」と呼ばれ、庚申街道や下高野街道、難波大道など数多くの歴史街道が交差することから、古来、難波宮の時代から栄えていたそうな。
「田辺」は古くは田部とも書き、飛鳥時代に朝鮮半島から渡来した豪族田辺氏が開発した土地で、隣の平野区も含め付近一帯は渡来系に因む地名が現在も残っている。
杭全神社のある杭全(くまた)地区は杭全荘を開発した坂上(さかのうえ)氏が開発した土地だと言われている。坂上氏は百済(くだら)系の渡来人で、JR東部市場前駅の百済貨物駅や百済大橋などにその名が残っている。補足すると、平安時代には今の生野区から平野区・東住吉区の一帯は百済郡と呼ばれていたようだ。生野区の鶴橋一帯が今もコリアンタウンなのは、それと何らかの関わりが有りそうだにゃ。
また駒川商店街のある駒川は高麗(こま=こうらい)の宛字だとされるし、地下鉄喜連瓜破(きれうりわり)駅の喜連は、高句麗(こうくり)の「高」を略して喜連の字を宛てたとされているみたいだ。
言わずもがなだが、百済、高麗、高句麗は何れも朝鮮の王朝名である。つまりは、古い時代からこの一帯は朝鮮系の渡来人が多く住む土地だったのだろう。

尚、なにわ伝統野菜の一つ「田辺大根」の名称は、此の地に由来する。
余談ついでにもう一つ。ちなみに北田辺は作家の開高健が育った町だ。あの巨匠のもっちゃりとした大阪弁は、田辺の地で培われたのだね。
何で、こんなに詳しいのかというと、何れの場所も自分の育った町から近かったからである。特に東田辺はすぐそこだった。
(・o・)あっ、しまった。いつの間にか脱線してたよ。メンゴメンゴ🙏

改札を出ると、駅構内に↙こんなのがあった。

 

 
田辺といえば南方熊楠だが、あの怪力無双の荒法師 武蔵坊弁慶もそうなの❓
でも弁慶って、田辺と何か関係あったっけ❓
下にある解説を読むと、弁慶の出生地は田辺だという説が最も有力らしい。(・o・;) へぇー、そうなんだ。
あとの人は知らんなあ…。あっ、片山哲は辛うじて知ってる。総理大臣だった人ね。世間一般的にはマイナー総理だけどさ。

インフォメーションで地図を貰い、駅を出る。

 

 
駅舎は残念ながら新しい。
古い駅舎の方が風情があって好きなんだけどなあ。容易に旅情感に浸れるからね。謂うなれば、お浸りロマンチスト増幅装置みたいなものなのだ。

 

 
ふ〜ん、ちゃんと駅前に弁慶さんの銅像まであるのね。
全然、紀州のイメージはないけどなあ。どっちかというと京都や「弁慶の立ち往生」で有名な平泉(岩手県)とかだよね。
いやさっ、でも紀州といえば山岳信仰の地だから、弁慶の出で立ちである山伏とは通ずるところがあるな。

田辺駅で降りて街に出たのには、3つの理由がある。
順番が逆のような気もするが、1つめは物理的な理由からだ。
何も調べてこなかったから目をパチクリしてしまったが、次の普通列車は午後4時50分発。何と3時間近くも間隔があくのである。
「バーカ、そんなの事前に調べとけよ。」と云うツッコミが入りそうだが、断固として受けつけない。それは自分の中での概念だと「旅行」だ。「旅」ではない。そうゆうことを言う人は、一生「旅行」だけしてなさい。旅と旅行とは違うのだ。
旅行は計画ありきのものだが、旅は「予定は未定であって、しばしば変更」流浪のものなのだ。
ことわっておくが、別に「旅行」というスタイルを否定しているワケではない。時と場合によっては、自分もそうゆう形式は使うからね。単にスタンスの違いだ。女の子との旅行は流石に宿は予約するからね。けんど、一人旅だと外国でさえも宿泊の予約は入れない。
とはいえオイラ、デートも綿密に計画を立てることは少なくて、待ち合わせ場所で何処へ行くのかを決めちゃうな人だからなあ…。その後も、その場その場で行き当たりばったりで決めてくからなあ。だから、時に動線が無茶苦茶になる時だってあるもんな。
たぶん、予定調和が嫌いなのだ。計画をこなす事よりも、きっと何が起こるか自分でもわからない、ようはサプライズを期待してる人なのね。
一応、言っとくけど、計画を立てるのが苦手なのではない。立てろと言われれば、完璧に立てられる人でもある。
あれっ(・o・)❓、オラ、何言ってんだろ。そんな偉そうな自慢話なんて、どーでもいいクソみたいな話だわさ。脱線太郎、スマンスマンのプチ反省(◡ ω ◡)なり。

兎に角そんな長い間、駅で待ってるワケにはいかない。気が短いから退屈すぎて死んでしまうわ。
ようは、たとえこの先へ進むにしても、時間つぶしをしなければならないとゆうワケだね。直近にして突発的理由だから、これが最たる理由なのだが、やはり順番が間違ってたような気がするね。
他の理由は、田辺に行きたい居酒屋があったことを思い出したからだ。去年(2019年)、青春18きっぷの旅について書かれた雑誌を見てたら、モデルケースの一つに紀州方面があり、田辺の居酒屋が取り上げられていたのだ。地元の珍しい食材に拘った店で、しかもリーズナブルだと紹介されていた。まあ、これとて降車する10分か15分前に思い出した事なんだけどもね。
あとは田辺市内を観光したことがないし、熊楠が生まれ育った街を見てみたいとゆうのもあった。
なんか、グダグダになってきたな。グダグダついでに、グダグダで続けよう。

ただ、それでも当初は田辺には少し立ち寄るだけのつもりだった。予定では1時間くらい居てから、もう少し先に進んで、また夕刻に田辺まで戻って来て居酒屋に行くつもりだった。でも、このまま此処が今回の旅の往路終着駅になりそうだ。こんなにも先に進む普通列車が無いとは全くの予想外だったからね。時間的にみて、次の5時前の電車には乗れない。物理的に乗れないワケではないが、乗れば夕飯どきに戻って来れない公算か極めて高い。下手したら居酒屋は諦めなくてはいけない。そう考えると、この先へは進めないのだ。
もしも道成寺で下車していなければ、13:10発の新宮ゆきってのに乗れたんだろな…。新宮までは無理としても、周参見、白浜、串本、勝浦、那智の何処かまで行って、そこで過ごしてから夕方に田辺に戻って来るというのが正解だったのかもしれない。
まあ道成寺は道成寺で、それなりに面白かったから後悔はしてないけどね。
結論。今さら考えても仕方ない。ここは腰を据えて田辺をじっくりと回り、堪能しようではないか。

 

 
先ずは居酒屋の位置確認からだ。
情報は去年のものだから移転しているかもしんないし、何か、やんごとなき事由で店を閉めている事だって有り得ないとは言えないのだ。それに、このコロナ禍の御時世だ。休業している事だってあるかもしんない。

繁華街へと向かう。

 

 
『すなっく かっぱ』に『たつまき』。
いきなりパンチの効いたネーミングの店が登場だ。
第一章の福井県敦賀編でも熱を入れて書いたが、実をいうとオジサンはスナックの変てこネーミング愛好家なのである(笑)。

「かっぱ」って、当然あの妖怪の河童のことなのだろうが、何で河童なん❓店主がカッパに似ているのだろうか❓或いは、全身緑色だったりして(-_-;)…。
それとも無類のカッパ好きなのだろうか❓だとしたら、余白があるんだからカッパの絵ぐらい入れてもよさそうなものなのになあ…。
また或いは、I君みたいにむっつりスケベのエロガッパなのだろうか❓
もしくは、店主が事あるごとに、

『尻子玉、抜いたろかぁー❗』

と叫んでるエキセントリックな店だったりしてね。
だとしたら、ちょっと行ってみたいぞ。かなり勇気いるけどさ。

『たつまき』ってのもなあ…。
何で付けたのかよくワカランぞなもし。竜巻の勢いにあやかっているのならば、そこは漢字でしょうに。平仮名に何かしたら弱まって「つむじ風」になっちまうじょ。絵も竜巻って感じじゃなくて、巻きが軽いもんなあ。竜巻を起こすくらいのインパクトのある店を目指しているなら、根本から間違ってやしませんか❓、ねぇ❓
もしも名字が「竜巻さん」だったら、即あやまりますけどー。

 

 
『蝶 Butterfly』。
店主はワタクシと同じく蝶を愛し、趣味としている蝶屋さんなのかなあ…。だったら、いいなあ(. ❛ ∇ ❛.)
で、すげー艶っぽい妙齢の美人さんなら最高なんだけどなあ。
二人して周りの客をほっぽらかして、丁々発止の熱い蝶談義を交わすのだ。
そんなの、リー即で惚れてまうでぇー💖
まあ世の中、そんな奇跡なんて有り得ないと思うけど…。
親しみ安いからか、世に、蝶だのバタフライだのパピヨンなどと云う店名の店はゴマンとあるのだ。ゆめゆめ、あらぬ期待を持ってはならない。
それはそうと、尾突がないね。そうゆう店に有りがちなアゲハチョウのシルエットではない。モルフォチョウ❓にしては微妙にフォルムが違う。詮索はよそう。間違いなく大脱線が待っている。

『磊風八 らいふうや』。
磊落の磊に風と八。店の店風というかコンセプトが豪放磊落って事なのかな❓八(や)は「屋」とかけているのかもしれない。だとしたら、中々に洒落っ気があって凝っている。好きかどうかは別だけど。

 

 
左の『乱舞』に、右の真ん中は『YAMA CHAN』やね。
スナックに有りがちな定番的とも言えるネーミングセンスだ。

『乱舞』と書いて、英語で小さく「RAN-BU」と入れるのも定番手法だ。真ん中を棒線で区切ってるところに悦があるね。
さておき、何故にスナックの名前に大胆にも乱舞なんて大仰ネーミングをしてしまうのだ❓コレもまたスナックならではの、あるある風呂敷デカめパターンだ。
けど、店のドアを開けたら、実をいうとサンバの店で、半ケツのネェーちゃんたちが群がって踊りまくりの、ホントに乱舞しているやもしれぬ。(。◕‿◕。)だったらいいなあ。
それって、間違いなく楽しそうだもんなあ(✿^‿^)

『YAMA CHAN』。
このアダ名を横文字化する手法も多い。普通に「山ちゃん」でいいと思うんだけど、変にカッコつけてネーミングしてしまうのがスナックカルチャーなのだ。

たぶん店主は山田さんか山本さんだろう。
山野さんとか山下さん、山村さん、山川さん、山上さん、山口さんに、山崎さん、山中さん、山森さんかもしんないけどさ。あらま、これだけでもかなりポピュラーなのが揃っているじゃないか。それこそ、他にも山と有りそうだ。失礼、思わずクソ駄洒落を言っちまったよ。
改めて山がつく名字っていっぱいあるんだなあ。山で始まるものだけでも凄い数になりそうなんだから、これに山で終わる名字の中山とか大山や、小山内や小宮山など3文字の山入り名字まで含めるとなると、とんでもない数になりそうだ。

調べてみたら、何と山とつく名字は全部で260種類くらいあるんだとさ。
恐るべし❗、マウンテン名字勢力。

 

 
『スナック 可憐』。
怒られそうだけど、中に入って可憐な女性がいる確率は1000%ないだろう。むしろ、それと正反対のオババがいて、ズケズケと何やかやと説教される確率の方が遥かに高い。
スナック愛好家って、もしかしたらこのギャップを愉しんでいるのかもしれない。自分は、あくまでも「スナック変てこ名前愛好家」であって、スナック愛好家ではないから(スナック好きではある)、その辺りのマニア特有の心情まではワカンナイけどさ。

『スナック ウィ』
何じゃそりゃ❗❓である。
途中、後半部が何らかのアクシデントで欠落しているのではないかと思ったけど、その痕跡は全くない。
一瞬、アフリカの得体の知れない言葉、たとえば呪術師の呪いの言葉じゃないかとさえ思った。それくらい尻切れトンボの違和感がある。
ウィは「ウィ マダーム」とかのフランス語だろうか❓それとも英語の「私たち」を意味する「We」なのだろうか❓どっちにしても意味不明だ。
店主の飼っている九官鳥のQちゃんの口グセとか返事が「ウィ」だったら、納得します。名前なんて本来は付けた本人が満足してさえいればいいのだ。(╯_╰)トホホ…、段々そう思えてきたよ。
とはいえ、しかけたオ○コはやめられないのと同じで最後まで続ける。

 

 
『すなっく 於恋路』。
漢字の部分はオレンジと読む。来夢来人(らいむらいと)とかに代表されるスナック文化定番の宛字ジャンルだ。
「於」の意味から検証しよう。
①おいて。おける。時間や場所を表す。 ②ああ。嘆息・感嘆の声。「於乎(ああ)」
恋をする場所ってことを言いたいのかな❓それとも単に嗚呼という感嘆を表しているのだろうか❓もう恋なんてしないとか。
だとしても、そもそも何でオレンジなん❓そこからして大いなる謎だ。恋とオレンジが繫がらない。
きっと全身オレンジのオバハンが、恋路の難しさに嘆息を連発している店なのだろう。
何かもうヤケクソな感じの無理からコメントになってきたな。己の想像力の貧困さに、嗚呼と嘆かざるおえない。

えー、店々の皆様、勝手な想像を並べ立てて、m(_ _)mすいません。
あたしゃ、アタマがオカシイのです。許してつかあさい。

アホな妄想をしているうちに目的の居酒屋の店前に到着。

 

 
『紀州魚介庵 かんてき』。
にしても予想外のポップな看板だ。オシャレですらある。頑固なクソ親父がやってると勝手に想像していたが、若くて可愛いピチピチGALの店だったりしてね。(◍•ᴗ•◍)❤だったらいいなあー。
いんや、そんなワケあるめぇー。どうせアルバイトに若い娘なんかがいて、その娘に描いてもらったというパターンに違いなかろう。

ちなみに看板の上側の店も気になるね。
『やすらぎの館 彩』かあ…。ワタシもやすらぎたい。彩の膝枕してもらってやすらぎたい。

とにかく、とりあえず目的の店はあった。
大阪がコロナで非常事態宣言になってるから、まだ予断は許さないけど、一応は一安心だ。もしダメなら『蝶 Butterfly』か『やすらぎの館 彩』に行くよ。どっちも閉まってたら、カッパをブン殴って帰る。

さて、あとはどう時間つぶしするかだね。
とりあえず南方熊楠関係だろなあ。

 

 
南方熊楠顕彰館。
熊楠が遺した蔵書・資料等を保存・公開し、熊楠に関する研究を推進、情報発信もしてるとこなんだそうだ。
入場料は350円。安いのか高いのかワカランな。いや、妥当かなあ。とにかく折角ここまで歩いて来たんだから入ろう。

 

 
熊楠を知らない人もいると思うので、解説しておきます。

南方熊楠(みなかた くまぐす 1867~1941)
日本の博物学者、生物学者、民俗学者。
生物学者としては粘菌の研究で知られているが、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究もしており、さらには高等植物や昆虫、小動物の採集も行っていた。そうした生態調査に基づくエコロジー(ecology)的な見地を早くから日本に導入したことでも知られ、博物学、民俗学の分野における近代日本の先駆者的存在である。
和歌山城下に生まれ、大学予備門(現東京大学)退学後に渡米、さらにイギリスに渡って大英博物館で研究を進めた。『ネイチャー』誌に寄稿した多くの論文が掲載されており、その数51本は、現在に至るまで単著としては歴代最高記録であるという。
帰国後は田辺に定住。多くの論文を著し、生涯を在野で過ごした。
フランス語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語、英語、スペイン語に長けていた他、漢文の読解力も高く、古今東西の文献を渉猟した。熊楠の学問大系は博物学、民俗学、人類学、植物学、生態学など様々な分野に及んでおり、一つの分野に関連性があるもの全てを知ろうとするものであった。その厖大な知識の網を下敷きとした研究は、曼荼羅にもなぞらえられている。謂わば「知の巨人」である。親交のあった民俗学の父とも呼ばれる柳田國男は、彼を評して「日本人の可能性の極限」とまで称していたという。
また熊楠の言動や性格が奇抜で人並み外れたものであっために奇行も多く、後世に数々の逸話も残している。

隣は南方熊楠邸だ。

 

 
って云うか、南方熊楠顕彰館が邸の隣に建設されたというのが正しい。つまり最初に邸ありきなのだ。

 

 
質素な建物には桜よりもミツバツツジの方がよく似合う。
ふと熊楠に似合う花は何だろうと考える。でも何にも浮かばないし、女性ならまだしも男性を花に見立てるのには無理がある事に気づいて、苦笑いする。

さて、次は何処へ行こうか❓
そういや居酒屋が載っていた雑誌には老舗の蒲鉾屋もあったことを思い出し、スマホでググる。便利な時代になったもんだ。行き当たりばったり度が下がるけどさ…。否、これもまた一つの行き当たりばったりか。

たぶんコレであろうと思われる店に向かって歩く。

 

 
連翹(レンギョウ)だろうか、道すがら黄色い花が咲いていた。
いやゴメン、エニシダ(金雀枝)だわさ。とにかく春だなあって感じだね。
ふと思う。そういや頓挫していた町田町蔵(町田康)が熊楠を演じた映画(註1)って、どうなったのだろう。完成したのかな❓
町田康は芥川賞だけでなく川端康成文学賞、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞、萩原朔太郎賞も受賞しており、今や小説家・詩人として有名だが、その昔は町田町蔵と名乗る伝説のパンクロッカーだったんだよね。INUというパンクバンドのボーカリストで『メシ喰うな!』という曲が多くのミュージシャンに影響を与えた。筋肉少女帯の大槻ケンヂもカヴァーしてた筈だ。
また役者としても評価されていて、石井聰亙監督のカルト映画『爆裂都市 BURST CITY』にも出演していた。たぶんサイドカーの横に乗ってた狂暴でイカれた奴だったと思うけど、間違ってたらゴメンよ。
何で町田町蔵の事にそんなに詳しいのかというと、大学時代の演劇部の後輩が町蔵の妹だったからである。
妹曰く、小さい頃から変人で、家の中でテントを張って生活してたらしい。そういや遠足に行く時は体操服じゃなくて、全身本格的な登山の恰好だったとも言ってたなあ。

蒲鉾屋に着いた。

 

 
「たな梅」。
如何にも老舗と云う店構えだ。
古い木造建築って、ホントいいよね。自然と心が和む。

しかし、中に入ってビックリ。
結構なお値段なのだ。どれも贈答用って感じの高級蒲鉾店でござんした。1、2枚をオヤツがわりに食おうと思ったのだが、そんな気安い値段のものはない。町の蒲鉾屋ってのは、だいたいが店先で揚げてたりするものだが、そうゆう庶民的な気安さは微塵もない。
一瞬、見栄を張って買ったろかと思ったけど、止めておくことにした。遠く離れた土地だ。この期に及んでチンケなプライドは要らんだろう。それにそもそも熱烈な練り物好きでもない。嫌いじゃないけど、小躍りするほど好きなものでもないのだ。だいたい、こうゆう練り物製品ってさあ、高級な魚を使ったからといって仰天する程に旨くなるかといえば、そうでもないんだよね。もちろん上品で旨いんだけど、じゃこ天とか安物の魚を使ったものでも旨いっちゃ旨いもんな。つまり値段の差ほどには、味に無茶苦茶に差があるワケではないんだよなあ。
「明らかに全然違う❗」と、ネスカフェ・ゴールドブレンドの人みたく「違いのワカる男」には叱られても仕方ないけどさ。でも、そこまで練り物愛があるワケではないのです。

時間がまだあるから、天神崎まで行こうかなと思った。
駅からでも歩いて30分くらいで行けると書いてあったからね。今からだと、ちょうど夕日が沈む時間になるかもしれないしね。
天神崎も懐かしい場所だ。ダイビングインストラクター時代に何度か潜ったことがある。風光明媚なロケーションで、日本初のナショナルトラスト運動(註2)が行われた場所としても知られている。熊楠の精神が市民に息づいていたとも言えるね。
そういや南部側からダイビングショップに1回だけ連れて行ってもらったけど、何回も細い道を曲がったんだよね。結構、辿り着くのは大変なのだ。でも一年後、一切の迷いなく辿り着いたから、アシスタントのI君が驚嘆してたんだよな。おっ、そうだ。もう一つI君を驚かせた事があったな。水中に潜ったら、その日はヒオウギガイ(緋扇貝)がわりといたんだけど、何かピピッときたのがあったので、拾ってお客さんの前で開けたら、共生だったのかな❓中に小さなカニがいたんだよね。手品みたいだったので、お客さんもI君も目を丸くしてたっけ。ガイドとしては、プロフェッショナルだよね。
あっ、また自慢話をしてしまったなりよ。でも当時は、そうゆう能力が結構あったんだよね。だから周りを驚かすことが結構あった。あの能力、どこいっちゃたのかなあ❓
懐かしいし、行ってみたい気持ちはあったけど、でも中途半端な時間ではある。行って帰ってきたら、居酒屋の開店時間に間に合わないかもしれない。大阪に帰る時間を考えるならば、8時半くらいの電車に乗らなければ今日中には帰ってこれないのだ。無粋だが、夕日よりも居酒屋に出来るだけ長くいたいというのが本音だ。あるこほる中毒者は一刻も早く酒を呑みたいもんねー。

となると、別な方法で時間つぶしせねばならない。

 

 
鬪雞神社(とうけいじんじゃ)。
「鬪鶏神社」「闘鶏神社」とも表記される由緒正しき神社だ。
旧称は田辺宮、新熊野、新熊野雞合大権現。通称は権現さん。

境内に入る。

 

 
創建は允恭天皇8年(419年)。允恭天皇が熊野権現(現在の熊野本宮大社)を勧請(分霊)し、田辺宮と称したのに始まる。
なるほど、屋根の形に見覚えがあるなと思ったのは、そうゆう事なのね。

白河法皇の時代には新たに熊野三所権現を勧請し、平安時代末期の熊野別当・湛快のときに更に天照皇大神以下十一神を勧請して新熊野権現と称して湛快の子の湛増が田辺別当となった。弁慶は湛増の子と伝えられ、その子孫を名乗る大福院から寄進された弁慶の産湯の釜が今も残っている。
なるほど、弁慶の出生地とされているのは、そうゆう事だったのね。

 

 
ゆえに此処にも弁慶の銅像がある。
尚、熊楠はこの神社の娘と結婚している。郷土の有名人二人が闘鶏神社で繋がってるんだね。

本殿に詣でる。

 

 
国生みの女神である伊邪那美命が祀られてるんだね。

 

 
狛犬も神社の歴史の古さを思わせる年季の入りようだ。

田辺は熊野街道の大辺路・中辺路(熊野古道)の分岐点であることから皇族や貴族の熊野詣の際は当社に参籠し、心願成就を祈願した。熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の全ての祭神を祀る熊野の別宮的な存在であり、鬪雞神社に参詣して三山を遥拝して山中の熊野まで行かずに引き返す人々もいたという。
そういや学生時代に彼女と旅行した時に熊野三山の三社とも行ったんだよな。勝浦、那智、瀞峡、湯の峰温泉と巡ったんだった。
とても綺麗で、賢くて性格の良い女性だった。あの頃が一番幸せだったかもしんない。

『平家物語』などによれば、治承・寿永の乱(源平合戦)の時、湛増は社地の鶏を紅白2色に分けて闘わせ、白の鶏が勝ったことから源氏に味方することを決め、熊野水軍を率いて壇ノ浦へ出陣したという。
このことから「闘鶏権現」や「新熊野雞合大権現」と呼ばれるようになったが、明治の神仏分離の際に「鬪雞神社」を正式な社名とした。
2016年には世界遺産委員会継続会議において、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に追加登録された。
そっか、世界遺産なのか。
余談だが、プロ野球の独立リーグ(BASEBALL FIRST LEAGUE=関西独立リーグ)に2017年より加盟した和歌山ファイティングバーズは、この神社がその名の由来となっている。

神社で、だいぶと時間つぶしができた。
時間が止まったような町並みを眺めながら、ぼおーっとする。学生時代の彼女に想いを馳せる。懐かしさと後悔とで心の中が溢れ出しそうになる。でも今さらアレコレ考えたところでどうにもならない。苦しいだけだ。
立ち上がり、トパーズ色の街を駅に向かって歩き出した。

                        つづく

 
追伸
次回、いよいよシリーズ完結編です。
いよいよって云うか、漸くだけど。

  
(註1)熊楠の映画
山本政志監督『熊楠・KUMAGUSU』。
主演 渡辺哲、町田町蔵。出演 泉谷しげる・室井滋ほか。1991年6月に撮影開始、10月完成予定であったが資金難で中断。2007年10月、弁慶映画祭においてパイロット版が上映された。とゆうことは未完成で終わったみたいだね。
ちなみに、町田の演技は破天荒な熊楠を彷彿とさせるものがあり、高い評価を得ているようだ。

 
(註2)ナショナルトラスト運動
自然環境を経済を優先した開発による破壊から守るため、市民活動によって保護すべき地域を設定して買い上げたり、または自治体に買い上げを求め、次世代に伝えていくために管理・保全してゆく活動。
イギリスのボランティア団体「ナショナル・トラスト」によって行われた活動を原型として世界各地に広がった。

 

2020’青春18切符1daytrip 第四章(1)

 
 第1話 紀州ストーカー女

 
 2020年 4月10日

午前8:19。JR難波駅発 柏原ゆきの大和路線に乗り込む。

 

 
青春18切符の旅、4日目。
期日ギリギリの、最後の1daytripが始まった。

 

 

 
天王寺駅で降り、阪和線に乗り換える。
今日は気分で南を目指すことにした。前回で、近畿地方ではギフチョウの適期はもう終わりだと実感したからね。

8:32発 日根野ゆきの快速電車に乗り込む。

 

 

 
日根野駅で、9:51発の御坊ゆき普通列車に乗り換える。
もう1時間半も電車に乗ってるのに、まだ和歌山に着かない。和歌山って、そんなに遠かったっけ❓

 

 
和歌山駅を過ぎると紀勢本線(きのくに線)に入る。
一瞬、和歌山駅で降りることも考えたが、電車は御坊まで行くんだから、そこまでは行ってみようと思った。どうせ和歌山駅から南は列車の本数がグンと減るに決まってる。行ける時に行けるところまで行っておこう。

ここから先は18切符では未知の領域だ。白浜や那智方面に行くのに特急くろしおに乗ったことは何度かあるけれど、じっくりと鈍行列車に乗って旅したことはない。特急乗車は彼女たちとの旅行だったから、イチャついてて外の景色なんてロクに見てるワケないのだ。誰と行ったか、つい数えてしまう。
たぶん3人だ。それなりに、心がキュッとなる。人生は後悔の連続だ。

和歌山駅を過ぎて暫くすると、海が見えた。

 

 
2日前にも神戸方面で見たけど、何度見ても海はいい。ずっと見てても飽きない。本来は海の人だけど、虫捕りするようになって、今やすっかり山の人だ。良かったのかなあ…。

 

 
海南市とか初島辺りだったろうか。トンネルを抜けたら、突然目の前に煙突だらけの工場群が現れた。
予測外だったので写真を撮ろうとした時には既に離れていて、奥に小さくしか写っていないけど、けっこう規模は大きそうだ。存在を知らなかったけど、さぞや夜は綺麗だろう。

気になってその場でググッたら、やっぱり凄かった。

 


(出典『工場夜景ガイド』)

 
工場の夜景を見るのは好きだ。
何か近未来的と云うか、SFの世界に通ずるスタイリッシュさがある。謂わば『ブレードランナー』とか『メトロポリス』の世界だ。

 

 
箕島駅を過ぎる。
箕島といえば高校野球の名門である箕島高校のことが真っ先に思い出される。星稜高校との延長18回に及ぶ3時間50分のナイターでの熱戦は高校野球史上最高の試合とも言われている。
箕島は首の皮一枚の二死の状況から二度もホームランで追いつき、最後にはサヨナラ勝ちするのだが、劇的な展開だらけだった。奇跡の2本のホームラン以外にも、勝利目前で星稜の一塁手が人工芝の縁に足が引っ掛かって転倒、凡フライを落球するだとか、逆に星稜は箕島のサヨナラのチャンスに三塁手の隠し玉でピンチを脱したなんて事もあったな。
そういや、この試合に勝利した箕島は、その勢いを駆って勝ち進んで優勝。公立高校として初めて春夏連覇をしたんだよね。それ以来、公立高校で春夏連覇したチームはない筈だ。
記憶が、どんどん甦ってくる。箕島のピッチャーはアンダースローの石井毅、捕手は強打で鳴らす嶋田宗彦のバッテリーだったね。卒業後、二人とも社会人野球に進み、その後プロに進み、それぞれ西武ライオンズと阪神タイガースに入団したんだっけな。対する星稜も、好投手の堅田と音がいたっけ。音も中日ドラゴンズに入ったんだな。主力としてそこそこ働いてたんじゃないかな。堅田はプロには行かなかったけれど、後に審判員となって甲子園に帰ってきた。
監督は箕島が尾藤監督で、星稜は山下監督。どちらも高校野球史の名将に讃えられている。山下監督は結局、一度も優勝できなかったけどね。
あっ、思い出したよ。バックネット裏の関係者席がガラガラだったので座って観てたら、注意されたんだよね。

『君ら、ここは関係者席やから、座ったらアカンでぇ。』

振り向いたら尾藤監督だった。もう監督を勇退して、解説者か何かで来ていたのかもしれない。優しい声が今も耳に残っている。

帰ってから、「ワシら、ビトー監督に注意されてんでー。背が思ってた以上にチッこかったわ。でも優しかったでぇー。」とか何とか周りに自慢したなあ…。
その尾藤監督も既に鬼籍に入っておられる。箕島の街に向かって、🙏合唱。

 

 
湯浅駅で、特急待ちの一時停止になった。
湯浅といえば、醤油発祥の地だ。昔の古い町並みも残っている。
だが、湯浅を車で通ったことは何度もあるけれど、観光に訪れた事はない。いっそ降りてやろうか。

 

 
車内で御坊から先の駅を確認する。
南部、田辺、白浜、周参見、串本、古座、太地、紀伊勝浦、那智と、この先も有名な観光地が続く。和歌山って、観光資産が沢山あるのだと改めて気づかされる。
そういや少し先には白い奇岩群で知られる白崎もある。スキューバダイビングの仕事で何度か訪れたが、その奇観に少なからず驚いたっけ。

でも、降りなかった。湯浅までなら、まだギリギリ日帰りでデートとかに来られる範囲内だ。この先、訪れるチャンスもあるだろう。

 

 
紀伊内原駅。
御坊の一つ前の駅で、又しても危うく降車しそうになる。
駅舎に味があって、何か引き寄せられるものがあったのだ。
でも御坊まであと一駅だったので、グッと踏み堪えた。ここで降りても何にもないだろうし、次の電車がすぐに来るとは思えない。一方、御坊駅まで行けば選択肢は複数ある。そのまま次の列車に乗り継ぐのは勿論の事、紀州鉄道に乗り換えることだって出来るし、降りて昼飯を食うと云う手だってあるのだ。

 

 
午前11時。
御坊駅で下車すると、既に乗り継ぎの電車が待っていた。

 

 
御坊も観光に来たことがないから迷うところだが、特に有名な観光地は無かった筈だ。そのまま11:03発の紀伊田辺ゆきに乗り継ぐことにした。

 

 
今までずっと同じタイプの車両だったが、やっと違うデザインの列車になった。

 

 
見ると、表示はワンマンとなっている。
いよいよ、ローカル感が出てきましたなあ。

 

 
だが乗ったはいいが、次の道成寺駅で発作的に降りてしまった。

 

 
駅は無人駅だった。
寂しくはあるが、それはそれで悪かない。
古びた平仮名のブリキみたいな柱用駅名標には似つかわしい。

 

 
道成寺といえば、紀州一の古拙であり、安珍・清姫伝説の寺として有名だ。
能や浄瑠璃、歌舞伎の演目として名高い『道成寺』『日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)』『娘道成寺』の舞台となった場所なのだ。
僧の安珍に思いを寄せていた清姫が、裏切られて激怒のあまり大蛇に変化(へんげ)して追い掛け、道成寺で鐘に隠れた安珍を鐘ごと焼き殺すという物語だ。
けど、それだけ有名な寺にも拘らず、一度も訪れた事がない。その事に気づいて急遽、えいや❗と飛び降りたのだった。

 

 
まだ4月の前半なのに、もう藤の花が咲いてるんだね。
南だから、より季節が進んでいるんだろうね。

 

 
参道に入ってすぐ、「ニューふくすけ」なる店があった。

 

 
入口の素っ気ないダサさに、一瞬ひるむ。

 

 
しかし、こんな寂れた所では選択肢はそうない。短い参道の先は土産物屋ばかりに見える。
腹がとにかく減ってるし、ハズレもまた一興だと思って入ることにした。

入った横手に漫画本が沢山並んでた。こうゆう大衆的な感じの店って嫌いじゃない。本宮ひろ志の読んだことない漫画(註2)を持って席に座る。
ふらっと地元の店に入るこうゆうシチュエーションって、自分的には寧ろ旅情感があって好きなんだよね。旅の流れに素直に身を任せるのは、どこか心地良い。

メニューを開く。
 
 

 
思ってた以上にメニューが多い。そこが地元ならではかもね。
何でも作りますが、地元ニーズなのだ。
一瞬まごつくが、こうゆう時は素直であるべきだ。店員さんを呼ぶ。で、オバちゃんにお薦めを訊いた。
したら、チャンポンだと言わはるので、それに素直に従うことにした。この期に及んで自己主張なんていらないのだ。ここは柔軟に人の意見を聞くのがハッピーになるコツだ。経験上、それが正しいことの方が多いと知っているのだ。歳を喰うのも悪いことばかりじゃない。経験は正しい道筋を教えてくれる。

 

 
運ばれてきたのを見て、二重に引く。
器から溢れんばかりだ。その半端ない量に驚き、ちゃんぽんといえば長崎チャンポン的なものを想像してたから、餡かけ系茶色のピジュアルにも驚く。もう、想像してたものとは全然違う代物なのだ。衝動的にオバちゃんを呼び戻しそうになったよ。

具材はキャベツ、キクラゲ、人参、タケノコ、青ネギ、もやし、豚肉ってところだろうか。これで660円なんだから値段にも仰天だ。もし食べて死ぬほどマズかったら4重に驚きだなと半笑いで割り箸を割る。

 

 
箸で下から持ち上げるように混ぜたら、重っ❗ 麺がなかなか出てこない。
餡は粘り重め。であるからにして熱々だ。そして麺は細め。熱々の餡と絡み合っておる。チャンポンの概念を根本から破壊されたよ。食いきれんのかよ、コレ❓

食ってみると普通に旨い。誰が食っても旨いと云う安心、安全レベルの味だ。或る意味では、こうゆうのが個々人の究極の美味だったりもするのではないかと思う。旨い旨くないかは記憶とも連動する。地元でガキの頃に食ってたものって、大人になっても旨いと感じるからね。幼少期に過ごした町の、今は亡き肉屋のジャガイモとウィンナーのフライは有名で特別なものではなかったが、生涯において記憶の中で生き続けてゆくのだろう。ガキの頃、ホント好きだったもんなあ…。個人的には極めて特別なものだったのだ。

過去の思い出に日和っている場合ではない。この、人を怯ませるような大盛りは謂わば挑戦状みたいなものだ。だったら逃げるワケにはいかない。プライドが許さぬ。他人にとってはどうでもいいような小さな領域での、己のプライドを賭けた戦いが始まった。

(-_-;)……。
でも、食っても食っても減らない感がある。マジに手強い。
だが、ここで白旗をあげるワケにはいかない。根が真面目なゆえ、残すのは店の人にも悪いと思っちゃうんだよね。トランザム❗根性モードに、ギアONだよ。

 

 
麺を食いきったところで、ようやくフィナーレが見えてきた。
あとは人格崩壊の逆流噴射しないことに気をつけつつ、勝利に向けて確実に躙(にじ)り寄っていこう。

 

 
(´ω`)ふぅ〜、何とか食いきった。
でも、もう腹パンパンである。汁はスマン、(ㆁωㆁ)飲めましぇーん❗

店を出て、道成寺へと向かう。

 

 
横に何か七不思議的な立て札があった。
七不思議とゆうからに、あと6つこうゆうのがあるって事ね。

 

 
中々に立派な山門だ。
両側には、ちゃんと仁王様(金剛力士像)がおる。阿吽像だ。

 

 
口が開いてるから、阿形(あぎょう)様みたいだね。

 

 
コチラは口を閉じておられるので、吽形(うんぎょう)様だ。
えー、「阿吽の呼吸」の阿吽とは、こっからきてます。

ここにも立て札があった。

 

 
ふ〜ん。解ったような解らないような心持ちで境内に入る。

 

 
正面に本堂がある。
立て札のとおり山門と一直線に配置されている。
まあ、どこの寺でもそうだけど。

 

 
左手に、花の盛りは過ぎたが立派な桜があった。
近づいてゆくと、一陣の風が吹いて桜吹雪になった。風の悪戯に頬をゆるめ、佇んで空を仰ぐ。青空を背景に淡いピンクが舞い上がってゆく。
桜の樹ってのは、散るさまも美しい。改めて、こんなにも日本人に愛されてる理由がよく解る。今の日本人に、どこまであるかはわからないが、日本の文化の根底には美意識が強くある。美を見極める能力と、そこに「ものの哀れ」を感じ、自らの美意識と重ね合わせてきたのが日本人なのだ。今の政治家とか見てると、とうにそうゆう美意識は失われているのだと思わざるおえないけど。桜が散るが如く潔さが、まるでない。

 

 
一方、本堂横の枝垂れ桜は、とうに散ってしまっている。

 

 
そして、早くも八重桜が咲いていた。

 

 
本堂の奥には、千手観音が安置されている。

 

 
改めて伝説について説明しよう。
安珍・清姫伝説とは「道成寺縁起」とも呼ばれる天台宗道成寺にまつわる平安時代の伝承にして仏教説話。若き僧安珍と清姫の悲恋と情念を主題としており、能、歌舞伎、人形浄瑠璃(文楽)を筆頭に映画、小説、絵本など様々なジャンルの題材にされてきた話である。

安珍清姫の伝説の原型は、説話として古くは平安時代の『大日本国法華験記(法華験記)』『今昔物語集』に登場する。

時は醍醐天皇の御代、延長6年(928年)の夏の頃の事である。
奥州白河より熊野に参詣に来た若い僧がいた。この僧は名を安珍といい、大変な美形であった。旅の道すがら、紀伊国牟婁郡(現在の和歌山県田辺市中辺路:熊野街道沿い)真砂の庄司清次の家に宿を借りた。清司の娘、清姫は安珍を見て一目惚れ、女だてらに夜這いをかけて迫る。安珍は参拝中の身としてはそのように迫られても困る、帰りにはきっと立ち寄るからと騙して、参拝後に立ち寄ることなくさっさと逃げてしまう。
信じて待ちわびていた娘は、騙されたことを知って怒り、裸足で追跡、道成寺までの道中で追いつく。安珍は再会を喜ぶどころか別人だと嘘に嘘を重ねる。更には熊野権現に助けを求め、清姫を金縛りにした隙に逃げ出す。ここに至り清姫の怒りは天を衝き、遂には大蛇となりて安珍のあとを追う。
安珍は日高川を渡り、渡し守に「追っ手を渡さないでくれ」と頼んで道成寺に逃げ込む。しかし蛇と化した清姫は、火を吹きながら自力で川を渡って来る。慌てた安珍は梵鐘を下ろしてもらい、その中に隠れる。しかし清姫は鐘に巻き付き、やがて最後には業火で鐘ごと焼き殺してしまう。そして蛇の姿のままで川に入水自殺する。
その後、畜生道に落ちて蛇に転生した二人は、道成寺の住持のもとに現れて供養を頼む。住持の唱える法華経の功徳により二人は成仏し、天人の姿で住持の夢に現れた。実はこの二人はそれぞれ熊野権現と観世音菩薩の化身であったのである、と法華経の有り難さを讃えて終わる。
つまり、この話は法華経の力の喧伝を目的として作られたものと考えられている。ちなみに安珍・清姫伝説の内容については伝承によって相違があり、多くのバリエーションが存在し、その後日譚もある。

安珍と共に鐘を焼かれた道成寺であるが、四百年ほど経った正平14年(1359年)の春、鐘を再興することにした。二度目の鐘が完成した後、女人禁制で鐘供養をしたところ、女人禁制の場であるにも拘らず、一人の美しい白拍子(註3)が現れる。

 
(葛飾北斎の描いた白拍子)

(出典『Wikipedia』)

 
白拍子は優雅に舞い歌う。そして周りがそれにうっとりとしている隙をみて梵鐘の下へと飛び込む。すると鐘は音を立てて落ちた。慌てた僧たちが祈祷すると、やがて鐘は徐々に持ち上がり、そして中から現れたのは蛇体に変化(へんげ)した姿であった。白拍子は清姫の怨霊だったのである。蛇は男に捨てられた怒りに火を吹き暴れ、鐘供養を妨害しようとする。清姫の怨霊を恐れた僧たちが一心不乱に祈念したところ、その祈りに大蛇は堪えきれず、やがて川に飛び込んで消える。
そして、ようやく鐘は鐘楼に上がるのだが、清姫の怨念のためか、新しくできたこの鐘は音が良くない上に、付近に災害や疫病が続いたために山の中へと打ち捨てられた。
この後日譚をモチーフに作られたのが、能の『道成寺(どうじょうじ)』である。さらにこれを元にして歌舞伎の『娘道成寺』や浄瑠璃(文楽)の『日高川入相花王』、琉球組踊の『執心鐘入』などが作られた。
そういや、三島由紀夫の『近代能楽集』の中にも、この話を下敷きにした「道成寺」と題した短編があったな。
また上田秋成の『雨月物語』の中に『道成寺』を礎にしたと思(おぼ)しき『蛇性の婬』と言う話が載っている。

後日譚は、まだある。
さらに二百年ほど後の天正年間。豊臣秀吉による根来(ねごろ)攻め(紀州征伐)が行われた際、秀吉の家臣仙石秀久が山中でこの鐘を見つけ、合戦の合図にこの鐘の音を用いた。そして、そのまま京都へと鐘を持ち帰り、清姫の怨念を解くために顕本法華宗の総本山である妙満寺に納めたという。鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にも「道成寺鐘」と題し、かつて道成寺にあった件(くだん)の鐘が、石燕の時代には妙満寺に納められていることが述べられている。

 

 
二代目の鐘楼跡とゆうことは、今は三代目の鐘なのかな❓と思って探してみた。だが現在、この寺には鐘楼は無いようである。

 

 
とゆうことは、二代目以降、現在に至るまで何百年も鐘は無かったとゆうことか…。
後日調べたら、訪れて寺に鐘が無いことにガッカリする人が多いという。その気持ちも解らないでもない。自分も少しガッカリしたからね。でも、新たな鐘がまた清姫の怨霊を呼び寄せるかもしれないと考えれば、新調はできないよね。この現代社会においては、そんなの迷信すぎないと思うのは簡単だ。けれども、ここは故事を信じ、歴史って色々あって面白いと思う方が愉しい。古(いにしえ)に心を飛ばして、あれこれ想いを泳がすのも悪かない。

 

 
三重の塔の右横に写っているのは、安珍塚だ。
ここで安珍が焼かれたという。
にしても、何やらスゴいことになっている。木が蛇の如くノタ打ち回ってるようにも見えるし、清姫の怨念が昇華した姿にも思える。
見切れてるけど真ん中に安珍塚と彫られた石碑が建っていて、その傍には三代目らしき榁の木の生木がある。
けど、この画像じゃな。しゃあない。画像を探してこよう。

 

(出典『Wikipedia』)

 
立ち枯れた木は、榁(むろ)の木(註4)だそうである。あまり耳馴れない木だ。
初代の榁の木は約600年間生きた後に枯れ、二代目は約400年間生きて枯れたという。榁の木は枯れると「蛇榁」とも呼ばれるようで、ここに安珍と鐘が埋められていると伝えられているのも解る気がするよ。

 

 
あらら、安珍塚の下に鐘が埋まってるんじゃなくて、ホントは此処だったのね。にしても、どこまでが伝説でどこまでが史実なの❓
何だか頭の中がグチャグチャになってきたよ。

その隣には、姥桜の事と文楽の『日高川入相花王』について書かれてあった。

 

 
これを見て、ふと小学生の頃に講堂で文楽を見させられたのを思い出したよ。
アレ、驚いたよなー。めちゃんこ怖かったし。

 

 
コレが、突然コレですもん。

 

(出典『遊民悠民』)

 
小学生の度肝を抜くには十分だろう。

 

(出典『関西文化.com』)

 

(出典『bokete』)

 
インパクト、半端ないよね。

 
(護摩堂)

 
他の建物も謂れがありそうだ。
だが、もうチャンポン並みにお腹いっばいだ。深堀りするとロクな事がなさそうだ。触れずにおこう。

 
(稲荷神社)

 
足元に目をやる。
瓦を埋め込んだ敷石が美しい。

 

 
山門まで戻ってきた。

 

 
寺を辞する。

 

 
階段の先に参道が真っ直ぐに続いている。
こうゆう風景は好きである。旅情だ。心が何処までも伸びやかに翔ける。家々の趣きは違うだろうが、何百年前と基本的にはあまり景色は変わってないような気もする。少なくとも構図は同じだろう。

 

 
参道で清見オレンジと白干しの梅干しを買った。
どちらも紀州の名物だから、つい買ってしまった。
後日食ったら、両方とも🎯当たりだったけどもね。

駅まで戻ってきた。

 

 
駅舎に入って驚く。

 

 
行きは気づかなかったが、駅舎の上部には、こんなもんが掛かってたんだね。シュールだ。上から4番目なんて、謎の物体だ。清姫ちゃんの歪な心を具現化したものなのか❓全般的に可愛いんだか不気味なんだかよくワカンナイ(註5)。

プラットフォームにも変なもんがあった。
コレって、ヤバくなくね❓

 

 
掲示板らしいが、何も貼ってなくて不気味な青いシミがある。一瞬、清姫の怨霊が現代に甦って、その怨念を転写させたのではあるまいかと思ってギョッとしたよ。

そして、向かい側のプラットフォームには、別な不気味な絵もあった。

 

 
こっちはこっちで怖ぇ(Ⅲ  ̄(エ) ̄ )…。
特に2枚目の追っかけられてるのはヤバいよね。着物の上が蛇だけでも恐ろしいのに火を噴きながらで来られるなんてシチュエーションは絶対に泣くな(TOT)
清姫、どう見てもイカれポンチのストーカーじゃないか。だいたい、男がチラッとサービストークしただけで蛇になってまで追いかけ回すかね❓
流れでつい、我がの過去を振り返る。女性に追いかけ回された事は何度かあるけれど、幸い怨霊とか蛇にまでなられた事はない。キワキワの寸前ってのはあったけどね(笑)。
( ゚д゚)ハッ❗いや、笑い事じゃないぞ。見た目こそ蛇には化身していないが、心は修羅になってたと思(おぼ)しき例はある。一歩間違えれば、刺されてた可能性だってあったのだ。
彼女から、おかしなメールがあった。内容までは憶えてないけど、とにかく尋常でないメールがあって、仕事中にも拘らず慌てて彼女の部屋へ行った。
合鍵でドアを開けたら、暗い部屋に彼女が佇んでいた。顔が能面のように無表情で、本能的にこりゃヤバいと思って抱きしめた。彼女を宥め、同時に動きを封じるためである。
彼女の体には手応えが無かった。心が空っぽなのだ。
恐怖を感じた。そして彼女が潮来(いたこ)の孫娘であることを思い出した。今が空っぽの状態ならば、いつ何どき別人格が憑依するとも限らない。悪鬼に豹変して、もしかしたら刺されるかもしれないとマジで思った。
様々な考えが高速で頭の中を駆け巡る。明らかに異常な状態にパニックになりそうだった。だが、パニックは何としてでも避けねばならない。そうなれば、窮地から脱け出すは出来ないだろう。
抱き締めながら、冷静に包丁のある場所を反芻する。
確か台所の抽斗(ひきだし)にあった筈だ。問題はどうやってそれを排除するかだ。しかし、どうすればいい❓
その時だった。

『大丈夫。刺さないから。』

ギクリとした。
心が読まれていることに戦慄した。何が起こっているのだ❓
と同時に安堵も少しあった。刺されないのか❓待てよ、それは刺すという事も考えてたって事なのか❓再び頭の中がパニックになりそうになる。その言葉をどこまで信じていいのかはワカラナイ。安心させといてブスリといかれるかもしれない。メチャメチャ、彼女は頭がいいのだ。罠かもしれない。

出来るだけ平静を装って言った。

『何言ってんだよー。おまえさんが俺を刺す理由なんてないじゃないかあ。もー、心配させんなよー。』

そう言って、強く抱き締めた。
彼女の体に少し生気が戻った。その期を逃さず、体を起こしてニッコリ笑いながら頭を撫でてやった。
彼女の顔に表情が戻り、少し笑みが溢れた。
この時ほど、昔に役者をやってて良かったと思ったことはないよ。我ながら名演技だ。

体を解くと、彼女は急に『おしっこ、行きたくなった。』と言ってトイレに向かって歩き出した。
一瞬、そのスキに逃げ出そうかとも思った。しかし、それでは折角おさまりかけてる事態を再び悪化させかねない。しかも、もっと酷い状態に。
いや、或いはあの笑顔の裏には何かが隠されていたのかもしれない。事態は全然もって収拾してない可能性だってあるのだ。ならば、帰り際に背中からブスリといかれかねない。
トイレのドアが閉まったと同時に、音を立てずに素早く台所へ行く。自ら運命を切り拓かねば、危機は脱せられないと判断した。電光石火で抽斗を開けて包丁を取り出し、布巾に巻いて流しの下に放り込んだ。これで、たとえ彼女が刺したくとも直ぐには刺せない。探す間の時間が稼げる。もし彼女がエスパーならば、それも読まれて無駄だけどね。いや、抽斗よか数秒は稼げる。その数秒が運命を分かつかもしれない。100メータを12秒フラットで走れた男だ。ロケットダッシュすれば、何とかなる筈だ。

彼女がトイレから出てきた。まさかトイレに包丁を隠してたとかないよね❓緊張感が増す。

彼女の顔は普段に戻っていた。
それを見て、機を逃してはならぬと『俺、仕事に戻るわ。人、待たしてるし。』と言った。
そっから後の記憶はない。おそらく全集中で背中に神経を巡らせて部屋を出たのだろう。

他にも裏で悪鬼になってた女性はいるかもしれない。
そう考えると、紙一重の事だって無いとは言えない。
つくづく、安珍みたく焼き殺されなくて良かったよ。今のところだけど…。

                      つづく

  
追伸
驚いたのは、Wikipediaでググッたら、駅のプラットフォームの絵が違う絵だったことだ。

 

(出典『Wikipedia』)

 
一年に一回とか、絵を掛け替えてるのかな❓
にしても、どちらも色褪せてて相当に古いもののように見える。謎だ。

 
(註釈1)特急くろしお
主として新大阪駅(一部京都駅発)〜新宮駅間を走る特急列車。
停車駅は、新大阪、天王寺、日根野、和歌山、海南、御坊、紀伊田辺、白浜、周参見、串本、古座、太地、紀伊勝浦、新宮。
一部の列車が西九条駅、和泉府中、和泉砂川、箕島、藤並、湯浅、南部の各駅にも停まるようだ。

 
(289系)

(出典『Wikipedia』以下、同)

 
6代目になるのかな?…、現在はこの289系が走っているようだが、自分の中での「特急くろしお」のイメージはコレかな。

 
(485系)

 
2代目である。
ちなみに初代はこんなん。

 

 
2代目は初代のカラーリングを継承しているんだね。
以下、3代目から5代目までを並べておく。

 
(381系)

 
(283系)

 
上は、いわゆるオーシャンアローと呼ばれていた車両だ。
下は、たぶん貫通型だね。

 
(287系)

 
下は🐼パンダ仕様だ。白浜アドベンチャーワールドにはパンダがいるからね。しかも沢山。マジでイッパイおる。しかも客は多くないから、ゆっくり見られる。上野なんかに行くならば、金使ってでも白浜に行く方をお薦めする。
ちなみにパンダの本当の眼はタレ目ではない。真ん中は完全にクマ目でしゅ。この電車みたく、笑ってねーからな。

 
(註2)本宮ひろ志の読んだことない漫画
『まだ、生きてる…』のこと。


(出典『manga‐diary.com』)

 
バカにされながらも38年間コツコツと家族のために働いて来て定年を迎えた60歳のサラリーマン岡田憲三が家に帰ると、家族が消えていた。妻は全財産を持ち逃げし、息子や娘とも音信不通となる。この仕打ちに生きることに未練も希望も失くした岡田は、自らの人生の幕を閉じようと故郷の山奥で首吊り自殺を図る。だが、木が折れて命拾いする。そこからオッサンの山中でのサバイバル生活が始まり、オッサンの生き方が180度変わってゆき、人生も変わってゆくというお話。
本宮ひろ志らしく、途中からどんどん破天荒な展開になってゆく。本宮ひろ志の作品って、話のスケールがデカくてロマン溢れるものが多い。だから惹かれる。でも風呂敷をデカくし過ぎて尻すぼみになる事も多いんだけどね。この作品は最後まで尻すぼみにはならないから、隠れた名作とも言われているようだ。

 
(註3)白拍子
平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一種。及びそれを演ずる芸人、遊女。

 
(註4)榁(むろ)の木
ネズ、ネズミサシ(杜松、学名: Juniperus rigida)の古名のこと。
ヒノキ科ビャクシン属に属する針葉樹で、他にムロ、モロノキの別名かある。

 


(出典『庭木図鑑 植木ペディア』)

 
杉とか桧みたいだね。

英名は、temple juniper、needle juniper。
訳すと『寺のジュニパー』『針の如きジュニパー』。
ところで「juniper」って何だっけ❓聞いたことがあるぞ。たしかジュニパーベリーって言葉があったよな。
(☉。☉)!あっ、蒸留酒のジンだよ。あのジントニックとかジンライムのジン。その独特の香りづけにジュニパーベリーが使われてた筈だ。杜松(ねず)の実とも書いてあった。ならば、間違いなかろう。
確認したら、✌️ビンゴだった。ヨーロッパのものは、セイヨウネズノミとあった。

余談だが、和名はネズの硬い針のような葉をネズミ除けに使っていたことから。「ネズミを刺す」という意で「ネズミサシ」となり、それが縮まったことに由来する。
も一つ余談だが、樹齢600年とか400年といってるわりには小さな木だなと思ってたけど、この榁の木ってのは元々が低中木で、バカみたくはデカくならないそうである。

 
(註5)駅舎の安珍と清姫伝説の絵
最初は地元の小学生とか中学生が描いたのだろうと思ったが、よくよく見るとプロっぽい。調べてみたら、島嵜清史氏という宮崎県を拠点に活動しているアーティストの作品でした。

 

スマの刺身に悶絶するの巻

 
少し前の話である。
スーパーKOHYOに行ったら、見慣れない魚の刺身が数点並んでいた。KOHYOはイオングループなだけに、あまり変わった魚は並んでいないので、最初はスルーしかけた。中トロ鮪だと思ったのである。しかしマグロとは僅かに質感が違うような気がした。
何じゃらほい❓と表示を見たら、「スマ」と書いてある。
(・o・)スマ❓何だったっけ❓
聞いたことがあると脳は反応しているのだが、直ぐにシナプスが繋がらなかった。たぶんコーヨーなんぞにそんなモンがあるワケないという固定観念が思考を邪魔していたのだろう。
程なく記憶が知識のゴミ山の中の1点にフォーカスした。
スマって、あの「幻の魚」とも言われているスマの事か❓
スマの刺身はメチャメチャ美味いという噂は随分前から耳には届いてはいた。しかし「幻の魚」と称されるだけに、中々お目にかかる機会がなかった。それが、まさかこんなところで出会えるとは予想だにしていなかったのだ。

 

 
養殖とあるが、この際もう関係ないだろう。とにかく、どんな味かを知りたい。
それに養殖に成功していたと云うのも、だとしても抜群に旨いと何処ぞに書かれてあったのも脳内にインプット済みだ。そこに一切の迷いはない。

安くなんねぇかなあと思ってたら、直ぐに目の前で半額シールが貼られた。ダブル(◠‿・)—☆ラッキーである。

パッケージの蓋を開けて、ニタつく。
このビジュアル、見るからに旨そうだ。艶(つや)っぽくて、エロティシズムが、しとどに溢れ出している。おたく、ビチャビチャですやん。官能的で、もう見てるだけでも昇天しそうだ。久し振りにエレクトする魚に巡り会ったよ。

織部に盛るか信楽焼に盛るかで悩んだが、土物(つちもの)では失礼だ。ここは高貴さを湛えた有田焼のベッドに横たえるとしよう。ケケケケケψ(`∇´)ψ、じゅる。オジサン、唾を呑み込む。

 

 
見た感じ、マグロとカツオの合の子みたいだ。
質感はトロカツオに近いが、色は赤黒くなくて中トロに近いものがある。🎵フォンティーヌ、なんと艶(なま)めかしいピンクざましょ。
オジサン、もう我慢できない。バルトリン氏腺液、ダダ漏れ気分じゃよ。やおら、箸で乱暴に引っ掴み、たまり醤油にドブンとつける。冒涜だ。綺麗なピンクが黒い醤油まみれになる。穢してやった感にリビドーが屹立する。劣情と背徳感とが錯綜する忘我の喜びに溢れつつ、口に放り込む。

(☆▽☆)♥️あふ〜ん。
体をクネクネさせて、身悶えする。
そして、中空に向けて渾身のパンチ👊💥を繰り出す。
うっめぇ━━━━(≧▽≦)━━━━❗❗

想像を超えて身質は柔らかく、キメが細かくて繊細だ。そして噛むと直ぐに口の中で蕩(とろ)け、旨みがドバドバと口じゅうに溢れ出して蹂躙してくる。甘い❗ そして最後に微かな酸味が鼻腔を心地良く抜けてゆく。
(´ω`)メチャメチャ美味いやんけー❗❗

見た目どうりに食感はトロカツオに近いが、より柔らかい。そしてカツオみたくクセのあるワイルドさはない。どちらかと云うと、やや中トロ寄り。しかも極上クラスのモノの味だが、にしては筋張ったところはなく、身質の繊維が細かくて、しっとりとしている。味は微妙にどちらとも違うのだ。謂わば、両者のエエとこ取りなのである。
オジサン、一発で👼昇天。天に召されましたよ。
以後、愛欲に塗(まみ)れたかのように貪り食う。

世の食いもん好きの皆様、スーパーでも居酒屋でもいい、もしも見掛けたら、少々高くとも何が何でもトライですぞ。

一応、種の解説もしておく。
例によって、ぼうずコンニャクさんの力を主にお借りして編集しやす。

 

(出典『ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑』)

 
パッと見は、ほぼカツオちゃんである。
スマにしろキツネガツオ、ソウダガツオにしろ、カツオ系の魚は全員が美味なんだね。中でも断トツだろう。

スズキ系スズキ目サバ亜目サバ科スマ属に分類される大型魚。大きなものは体長1m前後、体重10kgに達するが、日本で見かけるものは50cm〜60cm程度のものが多い。体型はカツオなどと同様の紡錘形で鱗は眼の後部・胸鰭周辺・側線周辺にしかない。
名前の由来は、カツオの縦縞に対して「横縞鰹」の意味で「しまがつお」と名付けられたものが「スマガツオ」に変化したものとされる。
なお、漢字は「須満」「須万」「縞鰹」が宛がわれている。

ぼうずコンニャクさんの味の評価も5つ星だ。

魚貝の物知り度 ★★★★ 知っていたら達人級
味の評価度 ★★★★★ 究極の美味

脂の乗りが良く、漁獲場所や季節によってはマグロを凌ぐのではと囁かれているほどなんだそうな。
身はカツオに似た赤身で、秋に入って水温が低下すると脂肪を蓄えて白みを増し、鮮やかなピンク色の身になる。

 
【地方名】
ワタナベ(千葉県)、スマガツオ(東京都)、キュウテン(八丈島)、ホシガツオ(高知県)、ヤイト・ヤイトガツオ(西日本各地)、ヤイトマス(和歌山県)、ヤイトバラ(近畿地方)、オボソ(愛媛県愛南町)などがある。
「ヤイト」の異称は、胸鰭下方の腹部に複数ある黒斑を灸の痕に見立てたのが由来。

 
【分布】
インド洋・太平洋の温帯〜熱帯にかけた海域に広く分布する。
日本では千葉県外房、相模湾〜屋久島の太平洋沿岸、北海道日本海側せたな町、兵庫県浜坂など日本海側〜九州南岸の日本海・東シナ海沿岸、及び琉球列島沿岸、小笠原諸島に分布する。
国外では朝鮮半島南岸、済州島、インド・太平洋の温帯・熱帯域に生息する。

 
【生態】
肉食性で、魚・甲殻類・頭足類などを捕食する。
カツオほどの大群は作らずに単独か小さな群れで回遊し、南西諸島・小笠原諸島沿岸では通年釣れるが本州太平洋岸では8〜10月に釣期が限られる。相模湾・駿河湾ではソウダガツオ類の群れの中から稀に釣れる程度で、まとまって漁獲されないことから、沿岸の表層をカツオ・ソウダガツオ類・ハガツオなど他のカツオ類に混じって回遊していると考えられている。
産卵期は日本沿岸では夏だが、南方ほど長くなり、北赤道海流沿いでは冬期を除く8か月にわたって産卵が行われる。特定の産卵場は持たず、水面に浮く性質の卵を産む。餌が乏しい外洋域では、約1日で孵化した稚魚は一緒に生まれた兄弟を共食いするという。
寿命は約6年。成長が早く、満1歳で1kgに育ち、満2歳で成熟する。カツオの仲間としては好沿岸性で、島嶼部では磯際まで回遊する。

 
【漁獲法】
カツオ・マグロ・シイラなどを狙った釣り、延縄で漁獲されるほか、巻網、定置網などの沿岸漁業でも混獲される。
フィリピン、マレーシア、パキスタン、インドなどでは重要な漁獲対象となっており、1990年代には年間10万トン前後が水揚げされている。
個体数が少なくて本種単独では大群を作らないため、専門に狙う漁はないが、カツオ・ソウダガツオ類に混じって釣れることが多く、それらと同様に活イワシの泳がせ釣り、一本釣り、ルアー釣りで釣れるほか、島嶼部では磯・防波堤からのカゴ釣り、泳がせ釣りでヒラマサの外道として釣れる場合もある。

 
【旬】
旬は一般的に初秋から春にかけてが旬と言われている。しかし『ぼうずコンニャク市場魚介類図鑑』では冬から夏としている。また夏の産卵後以外あまり味が落ちないとしている。なお、大きい方が美味とされる。

 
【市場での評価】
市場での評価は高く、高級魚として名高い。
季節にもよるが、2キロを超えるものは1キロあたり1500円、時に2000円を超す高値になることもあるようだ。高級魚として名高いノドグロ(アカムツ)の市場価格が1キロあたり1000円後半から2000円台みたいだから、その価格に迫る高級魚だということになる。
関東にはあまり入荷がなく、知名度がまだ低いせいか、やや安いという。

 
【料理法】
熱を通してもあまり縮まない。アラからは良い出汁が出る。
選び方は触って張りのあるもの。硬いもの。
料理法は、刺身、たたき(土佐造り)、なめろう、竜田揚げ、角煮、焼き魚、潮汁、みそ汁、煮つけ、なまり節、炊き込み御飯、粕漬けなど多岐にわたる。
台湾では刺身、スープ、鉄板焼などに利用されている。食用以外にマグロやカジキなどの釣り餌として使われることもある。

尚、ぼうずコンニャクさんは刺身と焼き霜造りを特に絶賛しておられる。

(スマの刺身)
身はしっとりと柔らかく、口に含むと脂が溶け出して、甘い。酸味は少なく、魚らしいうま味がとても豊か。絶品としかいいようがない。

(スマの焼霜造りスマの焼霜造り)
口に入れるととろっとして舌の上に微かな酸味とうま味が強く感じられる。ほどよい食感も楽しめて美味。ここではしょうがとにんにくを添えたが、わさびでもいい。

 
【流通】
高知・室戸岬、鳥取・益田、鹿児島県、長崎県、三重県、和歌山県などで時折水揚げされるが、数が非常に少なく、足の早い魚のために都市部にまで出回ることは殆んどない。

釣りでは、黒潮の通り道の伊豆諸島及び小笠原諸島近海、和歌山県、高知県、鹿児島沖、日本海側の玄界灘や響灘周辺の海域、奄美諸島、琉球諸島などで狙えるそうだ。但し、スマ釣り専門の船はないみたい。カツオやソウダガツオ、ヒラマサ釣りの外道で釣られることが多い。

そんな幻クラスの魚スマだが、近年では愛媛県や和歌山県などで養殖も行われ始めており、味が良くて身質がマグロに近いことから、その代替品として期待されている。
とはいえ、まだ全国に出荷できるほどの水揚げ量ではないようだ。しかし養殖技術も上がってゆくだろうから、そのうち安定して流通し始めるだろう。って云うか、そう願いたいね。

                        おしまい

 

やらかし節分太巻き

  
2月2日だけど、節分である。
節分といえば2月3日というイメージがあるが、実を云うと固定されているワケではない。決まっているのは立春の前日であるということだけである。つまり、今年は立春の日がズレるのだ。
何でズレるかと云うと、えーと何だったっけ❓頭では解っているのだが、人にスッと説明できるほど脳内では整理が出来てない。

えー、地球が太陽を1周すると、ちょうど1年になりまんな。で、1年はは365日だよね。しかし厳密的には、365.2422日なのよね。つまり、それでは毎年0.2422日ずつ多くなってしまう。その誤差を修正するためにあるのが、4年に一度の閏年(うるうどし)ってワケだすな。2月29日の1日を増やすことで誤差をリセットするのだ。
しかし、それでも問題が生じる。閏年は1日(24時間)増えるワケだが、今度は4年で約45分、400年で3日ほど増やしすぎてしまう。そのため、閏年を400年で3回減らさねばならない。100で割れる年は閏年にせず、400で割れる年は閏年のままとするんだとさ。この結果、2000年のような400で割り切れる年の前後の世紀は、節分などの日付がズレやすいんだとさ。
自分でも理解が怪しくなってきたが、そうゆうことだ。何となく大体のことは解って戴けたかと思う。
ちなみに、節分の日が2月2日になるのは何と明治30(1897)年以来の124年振りのことらしい。殆んどの人が鬼籍にはいっとるがな。
じゃあ、次に2月2日になるのはいつなのだ❓確実に死んでるなあと思いつつ、調べたら何と2025年であった。たった4年後ではないか。法則がワケわかんねえよ。

どこのスーパーも恵方巻き売場は、人でごった返していた。ソレって完全に三密やん。ゲンナリだし、夜遅くになれば値引きもしてるだろう。そう思って用事を済まして戻ってきたら、えーっ\(◎o◎)/❗❓、全部売り切れとるやないのー。なんと、どのスーパーも恵方巻売場は空っぽと化していたのだ。
(-_-;)クソー、どいつもこいつも、まんまとスーパーとコンビニと海苔業界の陰謀に踊らされやがって。

(-_-メ)ケッ、ならば自分で作ればよいではないか。だいち、そっちの方が安上がりだ。

 

 
先ずは玉子焼を作った。
それを2センチ幅くらいに縦に細長く切る。
キュウリも縦に切り、8等分にする。

御飯が炊けたら、タマノイの「すしのこ」をかけて混ぜる。

 

 
手抜きだが、それでいいのである。たかだか恵方巻にそこまで気合いを入れるつもりはないのだよ、せにょーる。
だからこそ、わざわざ刺身を買わなかった。なぜなら、冷蔵庫にコレがあったからである。

 

 
アトランティックサーモンの切れ端、¥158である。
見たところ鮮度が良さそうなので刺身の切れ端っぽいし、加熱用とも書いてないから買ったのさ。
それを捌いて、煮切った酒と味醂、醤油、ネギを混ぜた。まあ、言ってみればヅケだね。補足しとくと、皮の部分はカリカリに焼いて加えてある。骨以外は全部使うぜ、貧乏性。

焼き海苔をガス火で両面炙る。
巻き簀に海苔の裏面(ザラザラの方)を上にして縦に置く。その上に上下2センチ程の隙間をあけて、酢飯を万遍なく乗せる。
真ん中より下に、玉子焼、サーモンの漬け、キュウリ、貝割れ大根の順に並べる。
あとは、躊躇せずに手前から奥へと一挙に巻き、ギュッギュッと力を込めて形を整えてやれば完成。

 

 
久し振りに巻き寿司なんか巻いたけど、まあまあ上手くいった気がする。
そのまま、やおらガブリとかぶりつこうとして、手が止まった。恵方巻はその年々の方角が決められており、その方角に向かって黙って食うのが習わしだ。でも今年の方角がワカラン。
そこで急速にバカバカしくなってきた。誰が方角を決めとんねん❓こんな風習なんて最近のことだろ。始まってから50年も経ってないぞ。それに食ってる間は喋ってはならないなんて誰が言い出したのだ❓そこに明確な謂れとか理由が本当にあるのかね❓どうせ海苔業界とコンビニ・スーパー業界の結託による売らんがための風習強化戦略じゃろうて。
(ノ`Д´)ノ彡┻━┻しゃらくせー、やめじゃ❗❗

普通に切って食うことにした。そもそもカブりつきで食う太巻き寿司を美味いと思った事など無い。食いにくいだけだ。

包丁を1回1回、その都度濡らして切ってゆく。
こうすると酢飯が引っ付きにくいのだ。無理して切ると、グチャグチャになっちゃうからね。

 

 
しかし、やらかした。巻きが甘かったから崩れそうだし、サーモンの量も少なかったからバランスも悪い。
恵方巻なんぞ何するものぞというエンディングで〆ようと思ったのに…。何だかねー。締まりの悪い事よ。

翌日の昼、残りの材料を鉢盛りにした。

 

 
但し、酢飯には白ゴマを加え、少しポン酢を振り入れてリニューアルした。
コレを炙って切った焼き海苔を別皿に用意し、その都度上に乗せて巻いて食った。
正直、恵方巻なんかよりも海苔がパリッパリッで旨い。
だからといって、勝利宣言する気にはなれないけどね。ざまーみさらせ感があんましないのだ。
(+_+)何か調子悪りぃなあ。2月は鬼門なのだ。

                        おしまい

 
追伸
今日の晩も食った。

 

 
旨いけど、流石に飽きた。

 

青春18切符1daytrip春 第三章(2)

 
 第ニ話 沈黙の街

 
 2020年 4月8日 後編

午後2時前にはギフチョウが全く飛ばなくなったので、離脱する事にした。

またバスには乗らず、えっちらおっちら1時間ほど歩いて西脇市駅まで戻ってきた。
はてさて、次は何処へ行こうか❓青春18切符なんだから、JRの急行・特急列車以外ならば今日中は乗り降り自由だ。風まかせなのだ。
「風まかせ」かあ…。何て素敵な言葉ざましょ。

路線図を見る。

 

 
(☉。☉)あっ、加古川に戻らずにそのまま北へ行けば丹波や福知山まで行けるじゃないか❗ 加古川線は福知山線と繋がってるんだね。全然、知らなかったよ。という事は前回は相野駅で引き返したけど、その先にも行けるということだ。そう、リベンジできるのだ。
しかし帰りは三田・宝塚経由で大阪へ帰るワケだから、その部分はリピートになる。それは飽き性のオラにとっては苦痛だ。
やはり加古川駅まで戻ろう。そっからどうするかは、またその時になって考えよう。何たって「風まかせ」なのだから。

加古川で、まだ一度も食べたことのない名物の「かつめし」でも食おうかとも思ったが、大阪方面の列車がタイミングよくやって来たので、つい乗ってしまった。

 

 
で、明石駅で降りた。
明石なんて何度も来てるから物珍しくもないのだが、食いもんの魅力には勝てなかった。明石といえば魚の棚という🐙タコの歩くことで有名な商店街があり、美味いもんだらけなのだ。明石の蛸や鯛は全国ブランドだし、穴子だって有名だ。そして、明石焼きもある。寿司だって当然の如く美味い。

 

 
時刻は午後3:51。
中途半端な時間だ。ランチはとっくに終わってるし、夜の営業まではまだ早くても1時間ちょっと、多くの店が開くのは2時間後だろう。
それはそうと、駅のホームの屋根の天井なんて普段は全く気にしてなかったけど、結構面白い構造になってんのね。

 

 
外に出て、取り敢えず魚の棚方面へと歩き出す。
一瞬、🐙たこフェリーに乗って淡路島まで行ったろかいと云う考えが頭をよぎったが、この時間ではどう考えてもヤンチャ過ぎる行動なので引っ込めた。オラも大人になったもんだ。ハチャメチャ度は、だいぶと減ってる。

 

 
驚くべき事に、いつもは多くの人で賑わう商店街はガランとしていた。何事かと思ったが、ひと呼吸おいてから漸く事態が呑みこめた。
昨日、2020年4月7日に安倍総理が東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県に対してコロナウイルスの緊急事態宣言をしたのだった。

\(°o°)/ゲッ❗、いつも行列になってる老舗の明石焼き屋『たこ磯』の前にも誰もおらん❗❗そんな光景は見た事ないから、現在の状況が如何に異常なのかがよく解る。得体の知れないウィルスへの人々の怖れは、予想以上に大きい。これは中国発祥というのも怖さに拍車をかけているのかもしれない。何てったって段ボールでニセ肉団子を作って売るような事が横行する国なのだ。何をやっててもオカシかない。

 

  
看板が明石焼ではなく玉子焼となっているが、明石周辺から東播磨、及び神戸市西部辺りまでは元来そう呼ばれている。他の地域では、普通の玉子焼きとの混同を避けるために明石焼と呼ぶようになったのだが、そっちの名前の方がいつしか全国的にポピュラーとなっていったようだ。だから、きっと明石市民は怒ってるよね。謂わば偽モンが大手を振って偉そうにしているようなものだもんね。ゆえに昔からある老舗は、皆「玉子焼」と云う看板のままだ。プライドがあるのだろう。でもさあ…、仕方ないよね。「玉子焼」だと、殆んどの人に一々説明しなきゃならないもんね。

明石で明石焼きを食ったのは、いつの事だろう❓
もうかれこれ20年くらいは食ってない気がする。並ぶのは大嫌いだし、明石なら他に旨いもんはいくらでもあるのだ。また明石じゃなくとも、旨い明石焼き屋を食わす店はいくらでもあるのだ。
それに昼網といって、その日の朝に獲れた新鮮な魚介類が昼間には商店街に並ぶのだ。申し訳ないが、勿体なくて明石焼きなんぞ食ってるヒマはない。
しかし今は事情が違う。寿司屋も居酒屋も閉まっておるのだ。そして、並ばずに「たこ磯」に入れるとゆうのも稀有な状況である。もう今しかないとゆうタイミングなのだ。

 

 
入ったら、客はひと組だけでガラガラだった。

 

 
と思ったら、直ぐに帰ってオラの貸切り状態になった。
変な感じだ。人気店が何ぞやらかして閑古鳥なったと知らずにやって来た客みたい気分だ。

メニューには定番の蛸入り15個(700円)の他に穴子入り(880円)や両方入ったミックス(1050円)がある。
ミックスも捨て難いが、蛸入りのノーマルをたのむ。明石焼き如き、もとい、おやつ的なものに千円以上払うのは抵抗感がある。700円でも高いくらいだ。その金で定食が食える。それも明石なら、かなりコスパが高いもんが食える。だから明石焼きは普段は選択肢に入ってこないのだ。

客が他に居ないから、あまり待たずに運ばれてきた。

 

 
奥にある徳利みたいな器に出汁が入っている。

 

 
左の器に出汁を移す。薬味はネギのみだ。
えー、お約束で本体の乗っている板が傾いとります。理由は何となく知ってるが、自信がないので、あとで調べよう。

 

 
運ばれてきた時点で、明石焼きを知らない人でもタコ焼きとは別次元のものだとお解り戴けたかと思う。
とはいえ、説明が必要であろう。

一応言っとくけど、本体そのものもタコ焼きとは一線を画しておる。見た目が似ていて、中にタコも入っているが、タコ焼きとは完全に別物である。そもそも形も丸ではなく半円形だ。中身も違うが、それは後で説明する。
歴史も古く、江戸時代の終わり頃には既にあったようだから、むしろコチラが元祖だろう。タコ焼きが発明されたのは、1933年(昭和8年)〜1935年頃だと言われてるからね。ラジオ焼きを改良し、従来のこんにゃくの代わりに醤油味の牛肉を入れて肉焼きとして販売。その後、タコと卵を入れる明石焼にヒント得て、牛肉ではなくタコを入れるようになった云う説が有力のようだ。つまりラジオ焼きと明石焼きを両親に派生したのがタコ焼きであろう。謂わば明石焼きはタコ焼きのルーツでもあるワケだ。
御託はこれくらいにして食おう。

先ずは何もつけずに食う。
タコ焼きと違って柔らかい。味は小麦粉の入った玉子焼きだ。
次に出汁につけて食う。

 

 
明石焼きといえば、この味だね。やっぱ出汁あっての明石焼きだよね。安定、安心の味だ。

目の前にソースもあったので、つけて食う。
ちょっと味がタコ焼きに近づく。これはこれで有りだろう。
そういや思い出したよ。地元の人はソースつけて出汁にくぐらせて食うんだったわ。違和感はあるが、試してみよう。

あっ、コレも有りだな。
以後、出汁のみ→ソース→出汁ソースのローテーションを組んで食っていく。
\(•‿•)/ごちそうさんでしたー。

さっきの明石焼きについての説明だと不充分な気がするので、補足説明しておこう。

大阪のたこ焼きと異なる点は、以下のとおりである。

①卵をたっぷりと使うため色が黄色い。また、短時間で焼き上げられ、表面をカリカリに焦がすことはない。
また、基本的にタコ焼きみたいに生地に生姜や天かす、干し海老は入らないし、青海苔を上から掛けられることもない。

②小麦粉以外に浮粉や沈粉(じんこ)を使うので、生地がふわふわで柔らかい。

③焼器が銅製で、熱伝導率が良い。また窪みはたこ焼き用よりも浅く、球形にはならなくて、半円形に仕上がる。
裏返す際に銅製の焼器を傷つけないよう、金属製の道具を用いずに菜箸を使う。

④まな板状の木製板に盛り付けられ、添えて出される出汁に浸して食べる。

店舗によって材料がやや異なり、小麦粉を全く配合しない店舗もあるため、店舗ごとに味や柔らかさが変わるという。
焼く際に焼き器にひく油に胡麻油を用いる店舗がある。店によっては、タコ以外に同じく明石名産の穴子を入れているところもある。
出汁は熱い玉子焼を冷ますのが本来の目的だったが、現在は温めた出汁を提供する店が多い。温かい出汁を用いるようになったのは比較的新しく、1963年頃に神戸元町の店が始めたのが最初であるという。だし汁に薬味として三つ葉を浮かべるのも上記の店から広まったスタイルである。

まな板状の上げ板は手前が低く奥が高くなっている。これは皿の洗浄の際に同方向に重ねると水切りが良くなるためや、奥の柔らかい玉子焼が取りやすいためなどの諸説ある。補足すると、玉子焼が柔らかくて崩れやすく、又たこ焼きとは違い千枚通しを使わないゆえに焼き器から取り出しにくいため、焼き器の上に板をかぶせ焼板ごと裏返して乗せる。板に持ち手がついたために今のような形になったとも言われている。
Wikipediaを参考に書いてみたが、自分で書いてても分かりづらいよね。スマン、ワカラン人は2回読んどくれ。

魚の棚を少し歩くことにした。
したら、客が少ないせいか、各店舗の売り込みが半端なく激しい。しつこくて強引なのだ。明石人って、こうゆう人種だったっけ❓
にしても、気迫スゴ過ぎてウザい。その気迫と強引さは、気の弱い客には効力を発揮するだろうが、ワシみたいな気の強い人間には寧ろ逆効果だ。どんだけ安くなっても、死んでもオマエからは買うたるかい、ボケ(-_-メ)となる。

そういえば、この時は八百屋で百合根を買ったんだよね。たしか4個で35円という信じられないくらい破格の値段だった。百合根って、自分の中ではどうでもいい存在の野菜なんで、普段買うことは全くと言っていいほどないけど、思わず買っちゃったよ。

 

 
夕暮れ前、明石駅まで戻ってきた。
さて、次は何処へ行こうか。

  

 
元町駅で下車する。
時刻は午後5時。一日の終わりの始まりだ。

 

 
南京町。いわゆる中華街にやって来た。
目的は『老祥記』の豚マンである。ここの小振りの豚マンが死ぬほど旨いんである。千個くらい食える(ウソ)。
あっ、参考までに言っとくと、関東で言うところの「肉まん」は関西では「豚まん」と呼ばれている。
東京に住んでいる時に、東京生まれの彼女が半笑いで、
「豚まん❓肉まんでしょ❓それ何〜、受けるぅ〜。」と言われた時には半ギレになったね。

じゃかわしわー、おんどれ。豚の肉、使こうとるから豚まんやないけー❗コッチの方が正確に言うとんのじゃあ〜、ボケー❗❗

そう言うたら彼女、半ベソで固まったとったわ。横浜中華街のワシの四方3メートルの空気が凍りついたがな。
まあ、すかさず肩を優しく抱いて『冗談。冗談に決まっとるやないけー。』とフォローしといたけどね。服の上からオッバイ揉んで『ゆるせよー。』とも言った。
ワシのエロ話なんぞ、どうでもよろし。先を急ごう。

 

 
街は黙りこくっている。人っ子、一人いない。
中華街も普段は人でごった返しているのに全く人影がなく、死んだように静かだ。一瞬、時間が逆行して早朝にでもタイムスリップしたんじゃないかという錯覚に陥る。魚の棚商店街の静けさにも驚いたが、中華街ならば少しは人もいるだろうと思ってたから衝撃的だ。コロナの人に与えている恐怖、恐るべしである。
となると、もしや『老祥記』も閉まっているのではと不安になり、足早に歩く。

 

 
\(◎o◎)/ゲゲッ、閉まっとるぅー❗❗

 

 
何とコロナウイルスのせいで、営業時間が縮小変更になっとるやないけー。此処で豚まんを買いたいがために降車したのに、まさかの展開である。あちゃー、どうする❓どうする❓

 

 
南京町で一番の老舗『民生』は、やっていた。
しかも並んでる人はゼロ。この店もいつも長蛇の列で、こんな状態を見るのは初めてだ。
ここの「イカの天ぷら」がメチャメチャ美味いことを教えてくれたのは、小悪魔を通り越した大悪魔のRちゃんだった。そして、彼女が1番美味しい店を知ってる娘でもあった。彼女が連れてく店はどこも旨くて、唯一無二の個性的な店ばかりだった。

 

 
昔は、こんな看板なんて無なかったけど、コレって逆に名物として浸透した証なのかもしんないね。
これを見て、生唾が出た。外側はカリッ、中は柔らかいという絶妙の火入れで、イカの甘みがスゴイんだよなあ。何せイカは最も美味で甘いとされるアオリイカだかんね。

でも、やめておくことにした。一人で食べるには量が多いし、値段も高いのだ。大で2900円。小でも1800円もする。ビールをグビグビいって食ったら、悶絶級に美味いことを思い出したが、グッと踏み堪えた。
此処は誰かと来て、喜びを分かち合うべき店だろう。飽き性だからイカばっかだと辛いものがある。
少しでもガッカリするような要素があるならば、行かない方が賢明だ。またの機会に取っておこう。

あらら、アテが外れて難民化しつつあるやないの。
次に頭に浮かんだのは、絶品の海老ワンタンの入っている香港汁そばだが、何年か前に忽然と消えちゃったんだよねぇ。

取り敢えず、進路を駅へと戻そう。
歩いていると、行列が出来てる店が目に入った。

 

 
写真を撮ってる間に二人も並ばれた。

 

 
コロッケで有名な『森谷商店』じゃないか。いつの間にか改装してキレイになってるのね。だから気づかなかったのか。
前回も相野駅の『肉のマルセ』でコロッケ等の揚げ物を買ったから連続ではあるが、何か無性に腹減ってきたから列に並ぶことにした。前に二人並ばれたのも癪に触ったところもあるのは否めないけど。我ながら、一々負けず嫌いで反応するのは器の小さい証だと思う。

 

 
コロッケとミンチカツを買った。もちろん麦系あるこほる飲料の確保も怠らない。

 

 
これはコロッケ(90円)だね。
旨い。安くて旨いから行列が出来るんだね。でもオカンのコロッケを越えるものはないのだ。

 

 
そして、コチラはメンチカツ(130円)だ。
スゲー旨い。小さい頃はハンバーグの出来損ないみたいで、あまり自分の中では評価は高くなかったが、今は大好きだ。ハンバーグよりも好きかもしれない。それはそうと、ホントはミンチカツが正しいのにメンチカツってのは厳密主義者には耐えられんだろな。世の中からその名称をモーレツに駆逐したいに違いない。でもメンチカツはずっとメンチカツのままでいてもらいたい。もしも全国名称統一運動が勃興したとしたら、わしはレジスタントとして最後まで徹底抗戦する所存だ。ミンチカツなんて平板過ぎてツマランじゃないか。

 

 
午後5:45、元町駅まで戻ってきた。
次は何処へ行こうか❓考えが纏まらないうちに改札内に入り、来た電車に乗った。

午後6時半。

 

 
黄昏の淡い光の中で、ぼおーっと滲んだように爛漫の桜が咲いている。この時間帯に見る桜も美しい。

天の邪鬼な性格だから、もう一度加古川駅まで戻って「かつめし」を食うたろかと云う考えもよぎった。しかし、正直そこまでして食べたいものではない。加古川市の郷土料理「かつめし」って、洋皿に盛ったご飯の上にビフカツ(または豚カツ)をのせてドミグラス風のタレをかけ、茹でたキャベツを添えただけのものなのだ。つまり、メチャメチャ特別なものではなく、容易に味の想像がつく。新しい食べたことがない食いもんは、アバンギャルドな方がそそられる。良くも悪くも想像がつかないものの方が面白い。
そうゆうワケだから大阪方面ゆきの電車に乗った。けど何か他にアテがあったワケではない。このまま京都や滋賀辺りまで行ったろかいとも考えたが、コロナのせいで店が閉まってる可能性が高い。南京町でアレだったからね。とゆうことは、よく行く天満や福島の店も閉まっているかもしれない。それにさっきコロッケとメンチカツを食ったばかりで、腹も空いてない。それで急遽、桜ノ宮駅で夜桜を見ようと思い立ったのだ。桜ノ宮から中之島・淀屋橋方面を流れる大川は両側に桜が植えられており、桜の名所だからね。

 

 
ごった返してるとゆうことはないが、それなりに人はいた。
考えてみれば、ここの桜をわざわざ見に来たことはないような気がする。夜桜なら、尚更だろう。
桜っていいな。年々そうゆう思いが募ってきてる。

 

 
7時過ぎ。駅まで戻る。

 

 
駅構内は昔と随分変わっている。
昔は壁にズラリとピンクの木のベンチが並んでいたのだ。
「桜ノ宮」だからピンク色なのだが、昔はラブホテルも沢山あったから、中高生の頃は妙にドキドキしたものだ。カップルが降車したら、お前ら今から行くんやろと思ったし、乗ってきたカップルはお前らヤッテきただろと思ったものだ。中高生は、頭の中がエロでパンパンなのだ。

 

 
7時45分。
難波駅まで帰ってきた。
結局、天満にも福島にも行かずに真っ直ぐ帰ったのだ。店が開いてるかどうかもワカランし、腹もあまり減ってなかった。それに緊急事態宣言が発令されてるのに行くのは憚れたからだ。となると、無理して行く理由がない。

改札を出て、家に向かって歩きかけたところで、ふとミナミはどうなっているのだろう❓と思った。大阪人はアホだから、明石や神戸と違ってアホな若者と馬鹿オヤジで溢れているのではないかと思ったのだ。

 

 
しかし予想に反して、あの道頓堀の引っ掛け橋(戎橋)も心斎橋も殆んど人がいないゴーストタウンと化していた。
驚きを隠せない。こんなミナミ、一度だって見たことがない。
無敵の大阪人の動きをも止めてしまうコロナ、恐るべしである。世の中、エラい事になっているのだと実感した。

見上げると、夜空には煌々とした月があっ在った。不思議な感覚に襲われ、時空が歪んだ世界に取り残されたかのようだった。
 
                         つづく

 
追伸
道頓堀の画像は実を云うと、後日の4月20日に撮ったものである。8日は衝撃的過ぎて写真を撮るのを忘れたのだ。
でも、8日も状況的には同じだったから、まあこうして後で事実を書けば問題ないと判断して使わせて戴いた。自民党の嘘つき政治家とは違うのだ。
それはさておき、驚いたのは2週間近く後でも状況は同じだったと云う事だ。みんな通達を守って不要不急の外出は控えてたのね。

これを書いているのは、翌年の2021年 2月2日なのだが、再び緊急事態宣言下に置かれている。しかし、ミナミの街はゴーストタウンにはなっていない。

 

 
コロナ以前よりも人混みは少ないが、去年の4月に比べると遥かに増えているのは明白だ。
みんなコロナに対して慣れてきたんだろね。コロナ疲れもあるんだろう。ずっと家に籠るワケにもいかないのだ。アタマがオカシクなっては元も子もない。マスクなしで大声で喋ってるノータリンでもなければ問題はなかろう。
しかし去年の状態が2週間続いていれば、もっと早期にグッと感染者数は減った筈だ。個人的な意見としては、外出制限が弛ければ弛いほど収束、終息?が収まるのは遅くなると考えてる。だから緊急事態宣言を一ヶ月延ばすくらいなら、いっそ2週間に限定して強権発動で徹底的に外出を規制した方がいいのではないかと思う。その方が経済活動の再開も早まるだろう。
政府のやる事は何かにつけてタルい。有事の時に決断力がないリーダーってクソだ。

閑話休題。

この日、明石で買った百合根は鯛の子と一緒に玉子とじにした。

 

 
百合根は茶碗蒸しに入ってるのを食べるくらいで、あまり馴染みがない。正直、茶碗蒸しの構成員としては邪魔なものだ。一刻も早く退去してもらいたいと云うのが本音だった。見てくれは玉ねぎなのに、食感は全然違うジャガイモっぽいのが許せない。あの違和感と騙されたような気分には、軽くイラッ💢とくる。
しかし、今回で開眼した。茶碗蒸しに入ってるのは量が少ないから違和感を残したままでフェイドアウトしてゆくが、大量に食うと趣を異する。次第に違和感が薄れ、百合根本来の味が解ってくるのだ。脳が百合根とシッカリと認識さえすれば、脳に混乱は起きない。言ってしまえばデンプン質で、ジャガイモに近いものなのだ。ジャガイモは好きだから、そうとわかれば受け容れるのは早い。

 

 
最後は百合根丼にしたけど、美味いじゃないか。
ワタクシ、苦節ウン十年、完全に百合根ファンになりました。

すっかり忘れてた。えーと、今回の正規運賃を並べておきます。

JR難波➡西脇市 ¥1980
西脇市➡JR明石 ¥990
JR明石➡JR元町 ¥600
JR元町➡桜ノ宮 ¥560
桜ノ宮➡JR難波 ¥370

                  計 ¥4500

前回、青春18切符の値段を4回分で¥5000と書いたが、もしかしたら¥6000だったかもしれない。
何れにせよ、¥1250か¥1500だから、3千円以上は安く上がったってこってす。

次回、最終章です。