半神の蛇

 
去年は春の3大蛾のうち、ついぞイボタガとオオシモフリスズメを見れなかった。
なので、今年は何とか会っておきたいと思った。

 
【エゾヨツメ】

 
【オオシモフリスズメ】

 
【イボタガ】

 
しかし、箕面で灯火回りをするも惨敗。
その後はずっと天気が良く、出動できなかった。月齢も悪くて月夜続きだったのだ。天気が良いのに何で❓と訝(いぶか)る向きもおられるだろうから、一応説明しておく。
蝶採りの場合は晴天が好条件となるが、蛾の灯火採集の場合は反対に曇天や小雨の天候の方が好条件となるのである。
蝶と比べて蛾が気の毒なのは、夜の住人だからだ。今でこそ、夜になっても光が溢れているが、古(いにしえ)の時代はそうではなかった。昔は今よりもずっと闇は深く、人々はその闇を怖れていたのだ。その闇から湧き出る蛾は魑魅魍魎の化身であり、畏怖の対象になったとは考えられまいか。その記憶の遺伝子が現代人にも引き継がれているのではなかろうか…。そんな気がする。
我々現代人は今の時代のモノサシで全てを計ってはいけない。昔の方が今よりも闇が深かったゆえに、数々の幻想的な物語や奇っ怪な伝説、伝承が誕生したとも言えるのだ。そこに人々は想像力を掻き立てられ、ドラマツルギーにも大きな影響を与えた筈だ。
冒頭からワケのわからぬことを言ってしまった。御託はこれくらいにして、話を進めよう。

 
2020年 4月17日。
久々に良さげな天気予報で、曇天且つ気温も高め、翌朝は雨となっていた。灯火採集には好機である。
んなワケで小太郎くんを誘ったら、車で来ると云う。

午後8時前に奈良の富雄駅でピックアップしてもらい、近大農学部方面へ。
しかし、駐輪場の外灯には何もいない。ここの外灯は去年の春までは水銀灯で、色んな虫がバンバン寄って来ていたのだが、夏に入るとLEDライトを残して突然消灯されてしまった。秋になって復活したと思ったら、何にも寄って来なくなっていた。一見して水銀灯っぽいライトなのだが、たぶん水銀灯モドキのLEDなのだろう。早々と諦め、南へ向かう。

しかし、昨年の秋までは水銀灯にバシバシにウスタビガが飛んで来ていた葬儀場もLEDに替わっていた。そして、橋上の水銀灯は消えていた。最悪である。これで確実に水銀灯があるのは、この地域では知る限り1箇所だけとなった。
けど、泣きっ面に蜂。そこも質も量もダメでロクなもんがおらん。オオシモフリの羽が落ちていただけだった。

ならばと、新たな水銀灯を探し求めて信貴山方面を探索する。
なんとか幾つかの水銀灯を見つけたが、なぜか何にも来とらん。天気、気温、湿度共に良い筈なのに何でやのん(╥﹏╥)❓

仕方なしに、オオシモフリの羽が落ちていた水銀灯に戻る。
時刻は既に午後11時近くになっている。しかし遠目に見ても、水銀灯の周りにはロクすっぽ何も飛んでなくて、全く活性が入っていない。時刻的にはゴールデンタイムなんだけどなあ…。
エゾヨツメは日没直後に現れるが、オオシモフリは9時過ぎ頃から飛来が始まり、午前零時前後に個体数が多い。イボタガはオオシモフリより飛来が遅れ、午後10時以降、多くは午後11時を過ぎてから現れるのだ。
だが、近づくも状況は全くもってヨロシクないままだ。ホント、泣きたくなるくらいに何もおらん。

そんな中、小太郎くんから声が飛ぶ。
「屋根の庇に何か大きいのが止まってますよ。」。
見ると、そこには大きなスズメガが止まっていた。
しかし、大きいとはいえどもオオシモフリと比べれば小さいし、遥かに迫力に欠ける。邪悪性も感じられない。オオシモフリくんはバケモン的存在で、ネズミくらいはあるのだ。下手したら、ネズミよかデカイかもしんない。もうオーラが全然違うのだ。またチューチュー鳴いてくれよ、オオシモフリちゃん。

それはそうと、このスズメガって何じゃらホイ(・o・)❓
この時期にいるスズメガっていたっけ❓ 見たことも聞いたこともないぞ。普通スズメガの仲間って、コスズメとかベニスズメ、キイロスズメなど早いものでも5月に入ってから現れると云うイメージしか持ち合わせていない。

取り敢えず、もっと近くで見てみようと下から網で突っついたら、イヤイヤしよる。何ゆえ、そんなところに固執するのかね?キミにはキミの事情があるかもしれないが、許しません❗
更に強引に突っついたら、網の縁にポテッと落ちよった。
で、動かない。

 

 
(ー_ー゛)うーむ、何じゃこりゃ❓
上翅の柄がオシャレっちゃオシャレで、まあまあ渋カッケーかもしんない。たぶん見たことがないスズメガだ。小太郎くんに何ぞや?と訊いてみたが、彼もワカラナイと言う。
もしかしたら、稀少種とか海外から飛来した迷蛾かもしれないと云う考えが頭を掠(かす)める。マホロバキシタバ(註1)に引き続き、又してもイガハヤコンビで新発見とちゃうかーと云うスケベ心がムクムクと湧き上がってくる。

とはいえ、ススメガは蛾を噛り始めた2018年は一応採っていたものの、次第に無視するようになった。普通種は一通り採ったと云うのもあるが、所詮はデフだと解ったので興味を失ったのだ。ススメガの仲間は止まっている姿はシャープで結構カッコいいから、つい採ってしまってたんだけど、展翅するとイマイチ格好良くないのだ。それを思い出して、上がったテンションがソッコー下がる。

と云うワケで、持ち帰るかどうか迷った。殺すのが面倒くさいし、持ち帰ったら展翅しなければならない。それもまた面倒くさいからだ。
だが、まあまあカッコイイし、採らないと後に正確な同定が出来ない。それに、もしも珍品だったら後々に地団駄を踏みかねない。しゃあない。持ち帰ることにした。

12時過ぎまで待ったが、他に飛んできたのはボロボロのアケビコノハだけだった。一瞬でも、すわっエゾヨツメのメスかと思った自分が呪わしいよ。

 
【アケビコノハ】

 
その後、天理、山添村と足を伸ばしたが、悲しいくらいに何もいなかった。そのうち無情の雨が降り出し、ジ・エンド。吉野家で牛丼食って、始発で帰った。
あ〜あ、今年もオオシモフリ、イボタガには会えずじまいで終わりそうだ。

翌日、小太郎くんからLINEが入った。
彼の言によると、あのスズメガ、どうやらハネナガブドウスズメという名前らしい。
ネットでググると画像がいっばい出てきた。なんじゃい、って事は普通種やんけー(ノ´・ω・)ノ ミ ┻━┻。
一瞬、捨てたろかと思ったが、殺めといてそれもしのびない。それに画像検索しても生態写真ばかりで、展翅画像が殆んどない。だから、どんな奴なのか全体像がイマイチ把握しきれない。というワケで、超久し振り、2年振りにスズメガを展翅してみた。

 
【ハネナガブドウスズメ】

 
スマホを買い替えたら、勝手に補正して色がドギつく映りよる。茶褐色で、やや紫がかってはいるが、本当はこんなに赤っぽくは見えない。
なので、前のスマホで撮り直した画像も貼り付けておく。

 


(2020.4.21 奈良県生駒郡平群町)

 
十全とは言えないが、こっちの方がまだ実物に近い。
ところで、コレってオスなのかなあ?メスなのかなあ?
多分ススメガの仲間だから雌雄同型なんだろうが、ワカラン。

お手本がないので適当に展翅したが、こんなもんかなあ…。
蛾は翅の形が個性的なモノが多くて、正解を見い出しづらい。

一応、ネットからパクった裏面写真も貼付しておきます。

 
[裏面]

(出典『Wikipedia』)

 
それにしても、やっぱスズメガは胴が太くて、下翅が小さいや。だから高速で飛べるのだろうが、この胴体と翅とのバランスがどうも好きになれない。オオシモフリは上翅がジャックナイフみたいでカッコイイから許せるが、他はだいたい形がおとなしいのだ。あと許せるスズメガの仲間といえば、オオシモフリと同じく禍々しい出で立ちのメンガタスズメ、クロメンガタスズメと色柄が美しいイブキスズメ、キョウチクトウスズメくらいだ。

それはそうと、下翅がやっぱり地色一色のベタで柄が無いなあ。これは別にスズメガの仲間に限ったことではなくて、蛾の多くがこのパターンである。だから、展翅の時に翅を開いてみて、ガッカリすることが多々ある。
対して蝶は殆んどの種類が上下ともに柄がある。そこが蝶の方が人気のある理由の一つになっているのかもしれない。このハネナガブドウにしたって、上翅は中々にスタイリッシュなのに惜しい。下翅も上翅と同じようなデザインならば、印象が相当変わるだろうに。正直、上翅のデザインに関しては蛾の方がバリエーション豊富で、デザイン性が高いのではないかとさえ思うことがある。でも下翅がねぇ…。
それに蛾は裏の色柄がイマイチなモノも多い(ハネナガブドウは、まだマシな方)。そのへんも残念なところだ。
思うに、これは蛾は蝶のように翅を立てて止まるものが少なく、下翅を見せずに三角形の形で平面的に止まっているものが多いからではなかろうか❓ 見られることが少ないゆえに下翅や裏面は手を抜いてるんじゃないか❓そう疑いたくもなるよ。言っとくけど、あくまでも総体的な話で、例外は多々あるけどね。

普通種とはいえ、一応どんな奴かをザッと頭に入れておくことにした。これも一つの出会いである。知っておいて損はなかろう。

 
【科・属】
科:スズメガ科(Sphingidae)
ホウジャク亜科(Macroglossinae)
属:Acosmeryx Boisduval, 1875

意外にもホウジャク亜科なんだね。全然ホウジャクっぽくないけどさ。
そういえば Barをやってた頃の客の彼女に、ホウジャクかオオスカシバかはワカランが、『アタシ、近所でハチドリを見た❗』と強く言い張る若いバカな女がいたな。顔は可愛いが、頭が悪いクセに強情な女で大嫌いだった。思い出したら、段々腹が立ってきた。日本にハチドリはいないと何度説明しても、納得しなかったのだ。

属名のAcosmeryxは調べてみたが、その語源は手がかりさえ掴めなかった。きっと対象に対して愛がないから、調べる気合が足りないんだろう。

 
【学名】Acosmeryx naga (Moore, 1858)
小種名の naga(ナーガ)とはサンスクリット語(梵語)で蛇の意。
神話上では人間の顔とコブラの首、蛇の尾を持つ半神的な存在である。7つの下界の最下層のパーターラに住まわせるために聖仙カシュバの妻カドルーが産んだとされる(出典 平嶋義宏『蝶の学名‐その語源と解説‐』)。

こんなんやろか❓

 

 
絵心、ゼロである。
何で服着とんねん❓(笑)。

それはそうと、何ゆえ学名は「蛇神さま」なのだ❓
ちょっと理由が思いつかない。

 
【和名及び近似種との違い】
和名は同属の近縁種であるブドウスズメよりも翅が長いことからの命名だろう。
漢字で書くと「翅長葡萄天蛾」、もしくは「翅長葡萄雀蛾」と書くようだ。

ブドウスズメ(Acosmeryx castanea)とよく似るが、本種はより大型で、胸部背面に先端が尖った山型の茶褐色の紋があり、前翅外縁の白線が後角部まで伸びる。

ブドウスズメは2年前に武田尾で一度だけ採っている。今はなき唯一残っていた水銀灯の柱の下部に止まっていた。

 
[ブドウスズメ Acosmeryx castanea]

(2018.8月 兵庫県宝塚市武田尾)

 
確かに上翅外縁にある白線がハネナガブドウよりも明らかに短い。背中の山型紋も形が違う。
初見の印象はハネナガブドウよりも赤っぽいイメージが残っている。ハネナガはグレーに見えたから、似ているにも拘わらず、両者が繋がらなかったのだ。ただし照明の関係もあるし、両種とも一度だけしか見たことがないゆえ、色についてはあまり偉そうなことは言えない。あくまで印象です。この点は鵜呑みなされるな。

それにしても酷い展翅だな(笑)。上翅を上げ過ぎてバンザイさんになっとる。その頃は蛾を採り始めてまだ1年目だったのでバランスが全然わかんなかったのだ。蛾はお手本になる図鑑が蝶と比べて少なく、しかも高価なのだ。加えてネット上の画像も少ないときてる。特に展翅画像は少ない。オマケにその展翅が大概はヒドいから、あんまり参考にならんのだ。
岸田先生には是非とも安価なポケット図鑑を作って戴きたいね。とは言うものの、蛾は蝶と比べて遥かに種類数が多いゆえ、そうおいそれとは簡単にはいかないだろうけどさ。

 
【開張(mm)】 85〜115mm
今回採集した個体は95mm。上翅をもっと下げれば、100mm近くになるかもしれない。なのにそんなに大きいとは感じないのは、横幅が広いわりには表面積が少ないからだろう。
気になったのは、85〜115mmと大きさにレンジがあるところだ。大小の差が3センチもあるじゃないか。これはオスとメスの差も関係してるのかな?と思って、ザッとそれについて調べてみた。
だが、どうやら雌雄同型で、色調や斑紋、翅形、大きさなどに差はないようだ。それゆえ雌雄を区別するには、腹端を精査する必要があるという。そう言われても、ワシにはどっちがどっちだか皆目ワカランけど。

 
【分布】
日本では北海道、本州、四国、九州、対馬、屋久島、トカラ列島、奄美大島、徳之島、沖縄本島。ようは日本全国どこにでもいるというワケだ。完全に普通種だな(-_-;)
海外では台湾、朝鮮半島、中国北部~南部、ロシア、インド、ネパール、インドシナ半島、マレー半島、アフガニスタン、タジキスタンに分布しているようだ。
( ̄皿 ̄)ケッ、アジアでも何処にでもおるやんけ。ちょっとでも珍品だと思った自分が恥ずかしいわい。

 
【亜種と変異】
🔹Acosmeryx naga naga (Himalayan foothills of Pakistan, India, Nepal and China, Peninsular Malaysia, Thailand, northern Vietnam, eastern and southern China, Taiwan, Korea and Japan)

🔹Acosmeryx naga hissarica Shchetkin, 1956 (southern Tajikistan and Afghanistan)

分布が広いから亜種も多いかと思いきや、そんな事はない。
亜種は原記載のもの以外は、南タジキスタン〜アフガニスタンに分布するものだけのようだ。
日本のものは上記のように原記載亜種に含まれる。
そういうワケだから、国内での地理的変異は知られていない。ただ、色調に若干の個体変異があるという。

 
【成虫出現期】
年一回の発生のようだが、ネットで見ると4〜6月とするものと6~8月とするものがあった。今回4月に採れたんだから、6〜8月というのはオカシイ。いい加減なこと書きやがってと思ったが、もしかしたら、これは北方など寒い地域での出現期なのかなあ…。

  
【成虫の生態】
夜行性で、日中は林縁などで休息している。
夕刻から夜半にかけて各種の花を吸蜜に訪れるが、主な飛来時刻は18:30~19:30頃。
また、灯火に飛来することも多く、飛翔は敏速。

 
【幼虫の食餌植物】 
マタタビ科:サルナシ、シマサルナシ、キーウィフルーツ。ブドウ科:ヤブカラシ、ブドウ、ノブドウ、エビヅルなど。

 
【幼生期】

(出典『いもむしハンドブック』)

 

(出典『Return to Sphingidae of the Eastern Palaearctic species list』)

 
幼虫は毛虫型ではなく、芋虫型。丸々と太っておる。庭木を剪定してて、こんなもんが出てきたら絶叫発狂モノだな。世の女子は気をつけなはれ。
とは言っても、むしろ可愛いらしいわ❤️なんていう女子もいたりするから、女子はようワカラン。
ちなみに左側の尾突起のある方に目がいきがちだが、右側が頭となる。鳥などの天敵の目を逸らせる役目があると言われてそうだが、そんなもんで鳥から逃げおおせるとは思えん。二度目の攻撃でプチュやろ。

越冬態は蛹で、軟らかい土中などに土窩を作って蛹化し,そのまま冬を越す。

ここで、はたと思いつく。もしかして学名の由来は、この蛇にも似た幼虫の形態から来ているのではないか❓と。
しかしながら、スズメガ科の幼虫はみんなこの芋虫型だ。ハネナガブドウスズメだけが特別に蛇っぽいワケではない。
となると、食樹のブドウからかな❓ブドウといえば、長い蔓(つる)がある。ヤブカラシなんかもツル植物で、蛇がノタ打ち回るようにして生えているという印象がある。けど、だったら素直にブドウ的な学名にしても良さそうなものなのにね。
もしかして、ブドウ的なものは既にブドウスズメの学名に使われてたとか❓
けんど確認すると、ブドウとは関係なさそうな学名だ。小種名の「castanea」は、どう見たって「🌰栗」って意味だろう。ブドウスズメって栗の木の葉っぱも食うの❓それって全然系統が違う植物じゃないかと軽くパニックになる。
けど調べた結果、ブドウスズメは栗🌰は食わないようだ。ここで漸く気づく。たぶんコレはその見てくれの色にある。成虫の色が栗みたいな茶色だってことで名付けられたに違いなかろう。
そこで、またまた気づく。何とブドウスズメの方がハネナガブドウよりも記載されたのは後ではないか。ハネナガが1858年なのに対し、ブドウスズメは1903年の記載だ。つまりは50年近く後になってからブドウスズメが発見されたと云うワケだ。完全に和名に騙されたよ。和名の慣わしからすれば、ブドウスズメが基準種だ。となれば、当然記載年もブドウスズメの方が先だと考えるのが妥当だろう。ナゼに❓
やめとこう。普通種のスズメガたちの名前の由来なんて、ホントはどうだっていい。

 
【天敵】
オオカマキリ、チョウセンカマキリ、ハラビロカマキリなどのカマキリ類。ヤブキリ、コロギス等の捕食性キリギリス類のほか、造網性クモ類など。幼虫はスズメバチ類、ジガバチ等のアナバチ類、クチブトカメムシ類、サシガメ類も天敵になる。またハチにも寄生され、ヒメバチ亜科のクロヒメバチ(Amblyjoppa cognatoria)やイヨヒメバチ(Amblyjoppa proteus satanas)に卵を産み付けられることが知られている。

以上、おしまい。
と、ここで終わりにしときゃいいのに、たぶん蝶にもこの「naga」と云う学名を持つ種がいた筈だと思ってしまい、つい探してまっただよ。

(◠‿・)—☆ビンゴ‼️
ありました。

 
【Plastingia naga(de Niceville, 1884)】

 
(裏面)


(出典 4店共『BOLD SYSTEMS』)

 
あらま、コレってタイかラオスで見たわ。裏面が可愛いらしいんだよね。そっか、それが頭の隅に残ってたというワケだ。たぶんインドシナ半島北部では、かなり珍しい種だったと思う。

生態写真も貼り付けておこう。

 

(出典『ButterflyCicle Checklist』以下4点共同じ)

 
裏面の写真は沢山見つかるのだが、なぜか表側の画像があまりない。あっても上のようなものばかりでキレイに開翅しているものが皆無だ。
理由は途中で解った。このセセリチョウ、どうやら下翅だけを横に開き、上翅を立てて止まるのが特徴のようだ。こんな感じでね↙

 

 
でも、こうゆう風に止まっていたと云う記憶が全然ない。
所詮はセセリだと思って採ってるから、印象に残らなかったのだろう。

前述したように裏面画像は沢山あるので、厳選したのを貼り付けておこう。

 
(裏面)

(出典『ButterflyCicle Checklist』)

 
そうそう、コレ。こっちは記憶がある。
特徴的な裏面がスタイリッシュだね。
ちなみに和名はウラギントラセセリというようだ。

英語版のみだが、Wikipediaに解説があった。それによると、英名は「The chequered lancer」or「Silver-spot lancer」とあるから、さしづめ「市松模様の槍騎兵」「銀紋の槍騎兵」といったところか。何れにしろ裏面由来の命名だね。

大きさは「It has a wingspan between 33–38 mm.」とあるから、日本でいうところのイチモンジセセリとかダイミョウセセリくらいの大きさだ。もっと小さいイメージだったけどなあ…。
分布はアッサムからミャンマー、タイ、ラオス、マレーシア、シンガポール、ボルネオ島、インドネシア、フィリピン。
林内や林縁に見られ、主に午前中に活動し、日陰を好む種みたいだ。

「The species’ host plant is the Caryota mitis, also known as the fishtail palm.」
幼虫のホスト、つまり食餌植物は和名でコモタチクジャクヤシやカブダチクジャクヤシと呼ばれているものだ。

 
(卵)

 
(幼虫)

 
(蛹)

(出典『ButterflyCicle Checklist』)
 
 
卵はポップで、とってもオシャレさんだ。
しかし、幼虫と蛹は正直言って気持ち悪い。そもそもセセリチョウの幼虫と蛹は嫌いなのだ。幼虫はのっぺりしてて変に透けてたり、蛹は粉っぽかったりするからだ。バナナセセリの幼虫なんて許せないくらいに醜いもんなあ。

それはさておき、このセセリチョウからも「naga=蛇的」なものが一切感じられない。なのに何で「naga」と命名されたのだ❓

このnagaと云う小種名を持つチョウは、ジャノメチョウ亜科の Lethe属にもいる。

 
【Lethe naga Doherty.1889 ナガクロヒカゲ】

(出典『Wikipedia』)

 
取り敢えず、Wikipediaの英語版にヒットしたが、画像は無く、絵しかない。向かって左側が表、右が裏面になる。絵しかないところからも、たぶん相当な珍品かと思われる。
調べてみたら、木村勇乃助氏の『タイ国の蝶vol.3』でも短い解説文があるのみで標本写真は図示されていなかったから、その可能性は高い。

 

(出典『yutaka.it-n.jp』)

 

(出典『Butterflies of India』)

 
何とか画像も見つけた。
上がオスで下がメスなんだそうである。オスには白帯が無いんだね。雌雄異型とは想像してなかったから、ちょい驚き。
オスは日本のクロヒカゲモドキっぽい。メスは台湾にいるシロオビクロヒカゲとイメージが重なる。

 
【クロヒカゲモドキ】

(2016.6月 大阪府箕面市)

 
この生息地は物凄い数のダニだらけなので、これ以来行っていない。はたして今も健在なのだろうか❓
マジ卍で、ダニだらけだから行かないとは思うけどさ。
補足しておくと、クロヒカゲモドキは多くの地域で減少傾向にあり、絶滅危惧種に指定されている。そう云えば、奈良県の某有名産地でも極めて稀になりつつあるようだ。

 
【シロオビクロヒカゲ】

(2016.7月 台湾南投県仁愛郷)

 
初めて見た時は、クロヒカゲのイケメン版やなと思った。
たしかバナナ・トラップに寄ってきたんだよね。それで幾つか採れた。ヒカゲチョウが寄ってくるのは想定外だったから、軽く驚いた記憶がある。
そういえば、マレーシアでも似たような奴を見たな。たぶん別種だとは思うけど。

Lethe nagaの話に戻ろう。
英語版のWikipediaには、こうとだけ書いてあった。

「Lethe naga, the Naga treebrown, is a species of Satyrinae butterfly found in the Indomalayan realm where it occurs from Assam to Myanmar, Thailand and Laos.It is named for the Naga hills.」

訳すと「英名は Treebrown。ジャノメチョウ亜科に属し、インド・マラヤルムで発見された。分布はアッサム、ミャンマー、タイ、ラオス。学名の由来はナガヒル(ナガ丘陵)から。」といったところか。

えっ❗❓と云うことは、和名のナガクロヒカゲのナガはナガヒルの事だったのか❗
和名が脳内でオートマチックに「長黒日陰」に変換されていたから、目から鱗だ。となると、おそらくウラギントラセセリの学名も同じ由来の可能性が高い。
そっかあ…、学名の「naga」は蛇の意とばかり思っていたが、コヤツらはそっちだったのね、しからば、ハネナガブドウスズメもナガ族やナガヒル、ナガランド(註2)が由来という可能性も出てきたぞ。
昆虫にはナガランドやナガヒル由来のものが、わりかし多いという印象がある。ここで初めて見つかった種は結構有りそうだ。そういえばシボリアゲハが最初に見つかったのはナガヒルだったなあ。幻の蝶オナシカラスアゲハもナガヒルで採集された記録があった筈だ。今でも「ナガヒル」でネット検索すると、最初にズラズラとクワガタムシの名前が出てきたりするしね。クワガタなど甲虫も此処が原産地のものが数多くいるのだろう。
でも冷静に考えると、ハネナガブドウスズメなんて広域分布の低山地性普通種だ。秘境であるナガヒルで最初に見つかったとは考え難い。ゆえにハネナガブドウの学名の由来は、最初の見立てどうりの「蛇」「半神の蛇」「蛇神さま」でいいだろう。だからといって、この蛾に何故にこの学名が付けられたかは結局わからずじまいだけどもね。

ナガクロヒカゲを見て、シロオビクロヒカゲを思い出し、長い間頓挫したままの連載『台湾の蝶』シリーズの事も思い出した。たぶん連載は1年くらいは止まったまんまだ。
たぶん原因は労作だったキアゲハの回で力尽きた事に始まる。その後、そろそろ連載を再開しようと、このシロオビクロヒカゲにターゲットを絞った。しかし、いざ書く段になって、まだ展翅すらしていない事に気づいた。まず先にそれを探す事から始めないといけないかと思うと、急に全てが嫌になって放り出したのだ。で、カトカラの連載を始めちゃったんだよね。そのカトカラの連載(註3)も、結局は途中でウンザリになってレームダック状態、書くのが苦痛で仕方がなかった。それでも何とか先月、第一シーズンを終わらせたけどさ。

よくよく考えてみれば、『台湾の蝶』シリーズは、まだまだ書いていないものだらけなんだよなあ…。展翅画像はちゃんと撮っているものの、ゼフィルスには手をつけていないし、ヒカゲチョウ、ジャノメチョウ、セセリチョウ、シロチョウも殆んどの種が登場を待っていると云う状態だ。書かねばならない種は山ほどあるのだ。2回しか行ってないけど、あと百話くらいは書けるんじゃないかな? 何だか、気が遠くなってきたよ。

 
                        おしまい

 
追伸
こんなどうでもいい事を書いているから大事な原稿が書けないのだ。

台湾は前述したように2回しか行ってないのに、珍品も含めてその時期に採れる蝶の殆んどを採った。結構、自慢だったけど、今となってはそれが重荷になってる。もう、3、4年前の事だから、台湾での記憶も薄れてきてるし、益々書く気が起こらん。1行でも書けば記憶が甦り、暫くは突っ走れそうだけど…。
こんな戯れ言を書いてる時点で調子悪りぃー(_)

 
(註1)マホロバキシタバ

 
2019年に発見された日本では32種目となるカトカラ。
日本以外では台湾のみに生息し、日本のものはその亜種として記載された。学名 Catocala naganoi mahoroba。

 
(註2)ナガ族とナガランド、ナガヒル
チベット・ビルマ語族。インド〜ミャンマー国境に居住し、約100万人がインド・ナガランド州に、もう100万人がミャンマーのパトカイ山脈沿いに住む。その孤立した地理的条件から独特の風習を保ち、衣服をほとんど身にまとわない代わりに、ビーズやタトゥーで身を飾る。ビーズは古くから交易によってインドやベネチアからもたらされたもので、身につけるビーズによって富や社会的地位を示している。
また、かつては首狩りの習慣を持っていた。村の繁栄を祝ったり、勇者の証しとするために首が狩られたという。太平洋戦争(第二次世界大戦)時、この地域からイギリスの勢力を排除しようとしたインパール作戦では日本軍も彼らにずいぶんと苦しめられたそうだ。
補足すると、インパール作戦とは「史上最悪の作戦」とも言われ、無謀で愚かな作戦の代名詞として、しばしば引用される。当初より軍内部でも慎重な意見があったものの、牟田口廉也中将の強硬な主張により作戦は決行された。兵站(物資の補給、負傷者の回収及び手当て等の野戦病院、移動などの後方支援)を無視し、精神論を重視した杜撰な作戦により、多数の死者と負傷者を出して歴史的な敗北を喫した。その死者数は2万4千とも、6万5千、7万2千とも言われ、これをキッカケに日本は敗戦の道をひたに走り出したとも言われている。ようは、無能な司令官、上司、リーダーが指揮すると、全員討ち死になると云う格好の例なのだ。

ナガランド州はインド東部にあり、一般外国人観光客には多くが未開放地域となっている。
面積は1万6579平方キロメートル。ミャンマー北西部に接するナガ山地に位置する。人口約199万。州都はコヒマ。
ナガ人によって独立運動が行われた結果、かつてのアッサム州ナガ山地を中心として、1957年に自治州、62年に州となった。しかし現在も独立運動は続けられており、それが観光客に対する入域規制エリアの多さに繋がっている。
焼畑農業が盛んで、大部分の住民はチベット・ビルマ語系の言語を話す。宗教は仏教徒とイスラム教徒が多い。年平均気温は24~25℃、年降水量は2000ミリメートルを超える。

 
(註3)カトカラの連載
『2018’カトカラ元年』のこと。現在、第一シリーズの第17章を書き終えたところで休載になっている。

 

しあわせ白子雑炊

 
冬に作った食いもんの写真が腐るほどある。 もう季節はずれだが、勿体ないので気が向いた時にちょこちょこ書こうかと思う。

2月の最後の閏日、29日に満を持して『白子雑炊』を作った。 しかし、残念ながらフグの白子ではない。白子と云えば定番の鱈(タラ)白子だ。とはいえ、これとて昔は少なくとも関西では定番ではなかった。初めて存在を知ったのは大学生の頃で、金沢に行った時だった。その脳ミソみたいな見てくれに、かなり引いた記憶がある。 その後、直ぐに関西でも出回るようになった。

そういえば、初めて見る妹に、

『お兄ちゃん、コレ何❓』

と質問されて、こう答えておいた。

 
『🐵猿の脳ミソや。』

 
その時の、妹の驚愕の表情は今でも忘れられない。それは、人って恐怖を感じたら、そんな風に固まるのねと初めて認識した記念碑的な瞬間でもあった。
あっ、ちゃんとネタバラシはしましたよん。
いかん。早くも脱線気味だ。今回はサクサク進めるぞ。

先ずはタラ鍋をつくる。ここで最初に強調しておく。今回はあくまでも『白子雑炊』有りきの鍋だと云うことを。鍋の残り汁で白子雑炊を作りましたーと云うユルいスタンスではなく、旨い白子雑炊を食いたいが為にタラ鍋を作るのである。つまりタラちゃん鍋は主役ではなく脇役であって、前座でしかないということだ。

話は一旦逸れる。
白子雑炊といえば忘れられないのが、大阪ミナミの水掛け不動尊近くにある『南進』と云うフグの老舗名店の白子雑炊だ。ここの白子雑炊が悶絶級にメチャンコ美味いのだ。
今はどうか知らないが、昔は冬のフグの季節にしか開けないと云う驚嘆すべき店なのだ。今回はその『南進』の白子雑炊をイメージして作ってみた。ただしイメージだから、本当の作り方は知らん。

作り方は、こんな感じ。

①ハサミで切れ目を入れた昆布を鍋に入れ、水を注いで一晩放置する。こうすると上品な出汁が出る。

②土鍋を火にかけ、沸騰する前に昆布を取り出す。醤油などの調味料は一切入れない。入れてもいいのは酒くらいだろう。
先ずは白菜とえのき茸を入れる。いい感じに煮えたら、切ったタラと白子、ハモを入れる。ハモはたまたま安くなっていたので買った。ハモからは極上の出汁が出るから入れてみようと思ったのである。プラスになりこそすれ、邪魔にはならないと踏んだ次第。
具はコレのみである。他は白子雑炊の邪魔になると考えたのだ。今回は白子を最大限に活かすためにシンプルにいく所存なのである。

沸騰しないように火加減を調整する。火が強過ぎると、余計なアクが出て汁が濁るし、身が固くなってふっくらと仕上がらないのだ。タラは特にそうだが、それに限らず魚や肉はギリギリで火が通った状態を良しとする。当たり前だが、それが一番旨いからですな。

因みに白子は全部入れない。今回は2パックのうちの1/4だけを入れた。

 

 
さっき言ったばかりだが、火を入れ過ぎないように頃合いをみて、ジャンジャン食ってく。特にタラの身やハモなんぞは、火が入り過ぎると旨かないのだ。世の中、出汁にしてしまっている愚か者が何と多いことか。但し、今回においてはそれも有りなんだけどもね。出汁だけ取って本体を捨てると云う究極の選択も有りなのだ。そんな贅沢で勿体ない事、根性なしのワシには出来んけどね。

③残りの白子の半分を、オラオラオラー(ノ`Д´)ノ彡❗、包丁で原形が無くなるまで細かくブッ叩いておく。
鍋の具をキレイにさらったら、汁を小鍋に移して火にかける。そこに、もう半分の原形をとどめておる白子をブチ込む。で、火が通るちょっと手前で取り出しておく。

④次にブッ叩いた白子の半分量を投与。沸騰してきたら、炊いた米を入れる。サラサラがお好みなら、米を軽く洗ってぬめりを取るという方法もあるが、雑炊はとろみ欲しい派なので、そのままブチ込む。再び沸騰してきたら、原形白子の半分を戻し、蓋をして火を切る。してからに、1、2分ほど放置する。
世の定番であるネギは入れない。昔から思っていたのだが、ネギは個性が強過ぎて、時に主役の具材の風味を台無しにするところがあるのではないかと。何でもかんでもネギ入れときゃあいいと云う風潮が疑問でならない。時には定型を疑えよと思う。

 

 
飯茶碗に盛って、塩を振ってかき混ぜる。そこに白子と貝割れ大根を載せて完成。

💕旨っ❗
米粒が白子のコクを纏って、メチャメチャ美味いがな‼️‼️

だが、コレだけでは終わらない。2本目の矢、第二陣を繰り出す。

再び小鍋に出汁を入れ、④の行程を途中まで繰り返す。唯一違うのは溶き卵を入れるというひと手間が加わるだけである。
勿論、今度もネギは入れない。必要とあらば、小鉢にでも盛って、お好みでトッピングするがよろしかろう。

 

 
溶き卵はコレくらいの感じで火から下ろす。掻き混ぜれば、予熱で調度良いかたさになるからである。
茶碗に盛り、今度も塩のみで味付けする。

(☆▽☆)ぴゃあ〜、超うみゃーい‼️‼️

2杯目は、塩抜きでポン酢のみをかける。
これまた当然の事ながら、バカ旨❗

し❤️あ❤️わ❤️せ❤️

                       おしまい

 
追伸
久し振りの食いもんの話である。正直、食いもんの話を書くのは楽である。1時間もあれば草稿が書ける。他のカテゴリーの文章みたく特に調べる事があまりないからだ。あったとしても少ない。それに小難しいことは何も考えなくて良い。
まあ、最後はおざなりの変な終わり方になったけどさ…。

 
 

青春18切符oneday-trip春 第一章(4)

 
 第4話  昭和タイムスリップ

 
気比神宮を離れ、飲食店が集まった敦賀の歓楽街とも言えるゾーンに潜入する。

此処に、敦賀へやって来た本当の理由がある。と云うか、それがこの旅一番のメイン・イヴェントだ。ギフチョウ(註1)採りなんぞは、そのついでに過ぎない。

エリアに入ると、いきなり目を引く看板があった。

 

 
『働き』❓
店みたいだけど、(+_+)何じゃそりゃ❓である。
いったい何屋やねん❓ 見当もつかんわい。
と思ったら、影になっているものの、ちゃんと居酒屋と書いてある。店の名とメルヘンチックな絵に目がいっちゃって気づかなかったよ。

 

 
でもよく見ると横の看板のサイド面に小さく「韓国家庭料理専門」と書いてある。どうやら韓国居酒屋のようだ。にしても、こんなおバカな店名、フツーつけるかね❓
百歩譲って『働き者』ならまだしも、ナゼに『働き』と、途中でプツッと途切れたみたくなってるのよ❓
「韓国家庭料理専門」と云うのもオカシイ。本来ならば「韓国家庭料理専門店」とするのが妥当で、コチラも尻切れトンボ感がある。この宙ぶらりん的残尿感、どうしてくれよう。何処にも心の行き場がないじゃないか。

壁から何か玉がブラ下がっているのも変。正直、理解不能で気持ち悪い。何本かのビニール傘が乱雑に立て掛けられてるのも違和感を助長している。きっとアタマが👼天使な人がやってるのだろう。でも、こう云う店が案外🎯当たりだったりするんだよな。段々この店、実は知る人ぞ知る店で、メチャクチャ旨いんじゃないかと思えてきた。今日は目的があるから無理だが、次回敦賀に来る機会があれば、是非ともチャレンジしたいところだね。

本来の店探しとは、情報など無く、自分の勘と経験だけでフラリと店に入るべきものだろう。己の嗅覚に頼り、信じる。それが店探しの醍醐味だ。謂わば『孤独のグルメ』の世界だ。それこそが正しい有り様(よう)じゃないか。食べログは便利だけど、カーナビとおんなじで人をアホにする。

それにしても、変な名前だよなあ。何がどうなって、こうなったんだろ?まるっきり経緯が想像できない。
しかし、こんなものはただの序章に過ぎなかった。

 

 
上段の『スナック 5年3組』も変だが、これはよくあるオチャラケ系だから理解できなくもない。昭和の時代は、〜組というのがそれなりに流行ったのだ。ラッツ&スターの「め組の人」とか、おニャン子クラブの「後ろ指さされ組」とかさ。
問題はむしろその下の『甘雨』だ。『甘雨』って何なんだ❓およそ、店の名前らしくない。
それによく見ると、その下に『タンヒ』と云う意味不明のルビが振ってある。
「甘雨」は少しは何となくイメージできそうだが、「タンヒ」という言葉は全くもって聞いたことがないし、何も類推できない。その場でググる。

丹翡(タンヒ)という中国っぽいものしかヒットしてこない。
漫画かゲームか知らんけど『Thunderbolt fantasy 東離劍遊記』というモノの登場人物らしき丹翡(タンヒ)というのしか出てこないのだ。仕方なしに内容を確認してみる。

この『東離劍遊紀』、どうやら台湾では知らない人はいないと云う大ヒット人形劇で、丹翡とはそのヒロインの名前らしい。日本でもメディア展開され、宝塚歌劇団の星組もリメイクしたようだ。何と偶然にも現在、BS日テレで放映してるのも見つけたよ。恥ずかしながら、(^~^;)ゞ全然知らんかったー。

 
【丹翡】

(出典『Thunderbolt fantasy Project』)

 
ついでに甘雨もググると、以下のような解説が出てきた。

【甘雨(かんう)】
程好い時期に降って草木を潤し、育てる雨。慈雨、滋雨(じう)。膏雨(こうう)

あの『日本霊異記』に「水を施し、田を塞ぐ。甘雨時に降り、美(よ)き誉長(とこしへ)に伝ふ」と云う一節があるようだ。もしかして、それ由来❓だとしたら、奥が深い。
あっ、『日本霊異記』とは平安時代の初期に景戒によって書かれた日本最古の説話集『日本国現報善悪霊異記(にほんこくげんほうぜんあくりょういき)』の事ね。あまりに長いタイトルなので、『日本霊異記』や『霊異記』と略して呼ばれることが多い。上・中・下の三巻に分かれ、変則的な漢文で表記されている。
もちろん原文は読んどりまへん。処々、断片的に読んだだけっす。

もしもこの『甘雨 タンヒ』が『霊異記』と『東離劍遊紀』のヒロインを繋げてのネーミングとあらば、相当に博識の方が名付けたのではあるまいか?と震撼しそうになったが、有り得ないよねー。そんな博覧強記な人が同時に『5年3組』とは名付けるワケないもん(++)
とはいえ、確率はゼロではない。知ってて同時併記しているならば、とんでもない人物ということになる。
(ー
ー゛)アレ❓、何言ってんだろ俺。2つの店が同じ経営者とは限らないではないか。玄関が鍵付きの扉だし、店名がセットのように併記されているから、てっきりそうだと思い込んでたよ。何だか頭の中がゴチャゴチャになっとる。
ホールドアップ。お手上げだ。もしも、この謎の店名がどうしても気になるという人は、敦賀まで行って直接店主に訊いとくれ。

と、ここまで書いて、画像を拡大したら\(◎o◎)/どひゃあ〜。

 

 
なんと「タンヒ」ではなく、「タンビ」と語尾が濁っとるやんけー。イチから調べなおしじゃよ。
調べながらも、ふと頭を過る。タンビとは耽美主義の耽美かも❓耽美ならば、その店に耽りハマるという願いが込められていてもオカシクない。でもそれってカタカナにする意味があるのかね❓

結果、どうやら韓国語であることが判明した。
ハングルで『단비』と書いて、タンビと読むようだ。
漢字にすると「甘雨」「慈雨」となり、意味は「恵みの雨」。これで漸く繋がりましたな。

この字は女性の名前にも使われるようだ。と云うことは、店主の名前がタンビさんで、それがそのまま店名になった可能性が高い。
これで完全に謎が解けましたな。解ってしまえば、どうという事はない。でもこの時点では、頭の中に韓国と云う発想が全く無かったのだ。だって韓国人の多い大阪生野区辺りだったら類推できても、ここは福井県の敦賀なのだ。まさか韓国系のネーミングだとは夢にも思わんでしょうよ。

 

 
『居酒屋どんたく』って、博多かよ❗❓
でも一切、博多料理とか九州料理とは書いていない。
もしかして「博多どんたく」とは関係なくて、語源であるオランダ語の「zondag」が訛った「どんたく」を意識したものかもしれない。それだと意味は日曜日とか休日になる。
でもそんな捻った名前を果たして居酒屋がつけるかね❓
┐(´(エ)`)┌たぶん付けないね、せにょ〜る。

『居酒屋だるまや』ってのもなあ…。
あえて何にも言わないけどさ。

まあ、それらはまだしも『スナック オンリー遊💕』ってどうよ❓
この英語に漢字を宛がうネーミングって『来夢来人(ライム・ライト)』とかに代表される完全にダサダサ系昭和センスだ。
そう云えば、実家に同じ店名の喫茶店があったな。小柳ルミ子の歌にも、そんな曲名があったような気がする。
(・o・)ん❗❓、そっちが原典か❓全国のルミ子ファンが、こぞって我が店に名付けたとか❓(笑)

目的の場所が開店するまでには少し時間があるので、時間潰しに辺りを徘徊することにした。

 

 
右から『スナック 童夢』『アクアマリン』『Story(ストーリー)』。

「童夢」といえば思い出されるのは、レーシングカー会社「童夢」。そして、もう一つは漫画家 大友克洋の代表作の一つであり、第4回日本SF大賞を受賞した「童夢」だ。小説以外の作品での同賞初受賞と云うスゴい作品である。ワテも初めて読んだ時は衝撃を受けた。当時は映画化不可能と思ったが、今のCG技術なら可能なんじゃないか?誰ぞ、映画化してくれんかのう(•ө•)

どちらかの熱烈なファンなのだろうか…。にしても、パクリ感満載だ。
因みに、漫画は昭和の終わり頃の作品だ。レーシング会社の活動は今に至るが、ステッカーなどが流行ったのは昭和の時代である。昔は車にこのステッカーを貼った走り屋の兄ちゃんが沢山いたね。懐かしいわ。

「アクアマリン」って、何だかダイビングショップの店名みたい。アクアマリンは、ラテン語で海水って意味だからね。でも、きっと宝石のアクアマリンを意識してのネーミングだろね。どうあれ、宝石を店名にするのは昭和的だよな。

『Story』。
ストーリー=物語である。あまりに陳腐過ぎるネーミングゆえ、コメントのしようがない。
「この店で、アナタのストーリーを作って下さいね。」とでもいうのだろうか❓

「ニュー東京ビル」というネーミングも、如何にも昭和くさいや。

 

 
『ラウンジ アクセス』。
何処へアクセスすると云うのだ❓
ラウンジなのに、看板のテキトー過ぎるクオリティに笑ってしまう。雑だよなあ。

 

 
『スナック 薔蘭』。
イージーに薔薇と蘭を引っ付けたんだろなあ…。
薔薇と蘭をこよなく愛する店主なのかな❓にしても、好きなもん同士を合体したとするなら安易だよな😚

ところでコレ、何と読むんだ❓普通に読めば「バラン」だよね。それって怪獣の名前っほくね❓もしくは寿司折りとか弁当の仕切りの、あの緑色でギザギザのヤツ。

(. ❛ ᴗ ❛.)何か段々面白くなってきたぞ。
この調子だと、まだまだ変なネーミングの店がありそうだ。

 

 
わーい\(・∀・)/、大量確保じゃよ。
🎵右上からいってみよっ。

あーた、『お嬢』って…(^~^;)
これまた大胆に自身のことを表現しましたなあ。

その下の『16区 in Pairs』もツッコミどころ満載である。
敦賀なのにパリ16区を名乗るとは、時空を超越されてるのね。解った。たぶん店内とパリ16区は特殊なトンネルで繋がっているのだろう。

お次は真ん中の列。
\(☆▽☆)/おー、『Cat’s Eye(キャッツ・アイ)』とな。スナックネーミングの王道じゃよ、王道❗
(ΦωΦ)ニャーゴーの猫目のことじゃないよ。キャッツ・アイといえば、レオタード姿のセクシー美人三姉妹の怪盗でしょうよ。泥棒猫なのだ。アンタの心を盗みますってかー。
ちょっと怖いけど、🤩入ってみてーなー。
きっとセクシーな美人三姉妹が迎えてくれるに違いない。若いかどうかの保証はないけどもね。

その下の『凛』と『一花』もツッコミたくはあるが、もうアタマが別な観点でしか見れなくなっているから、よそう。冷静にみると、この程度ならマトモの範疇だ。

それでは最後の左列に移ろう。
上から『すず』『1one million』『祐綾亜(ユリア)』『心愛』。
どれも微妙だなあ…。

『すず』はナゼに漢字にしないのだ❓鈴なのか、錫なのかがワカラン。名前だから広瀬すずのすずでいいのか❓まさか広瀬すずの熱烈なファンのマスターがやってるとか❓
あっ、ゴメン。よく見ると右上に鈴の絵の上に「鈴」と書いてあるわ。早くも注意力が散漫になっとりまんな。

『1 one million』。
一見すると、フツーにダサいだけの名前だ。でも、よくよく考えてみると、何か変だ。one millionは100万のことだが、店名に100万は変っしょ❓ 普通はone millionとあらば、100万$ナイトとか、100万$の男だとか、ドルと後ろに何かをつけるもんっしょ❓だいち100万$は1億700万円〜800万円だが、100万は、あくまで百万だぞ。金額のスケールが圧倒的に小さくねえか❓
だいち、最初に「1」のみがバーンときて、下にone millionってなってるのは何ゆえ❓
「1」を強調しているって事は、本当はナンバーワンを意識したと云うことなの❓
もう、\(◎o◎)/ワッケわかりませーん。

『祐綾亜(ユリア)』…ね。
ユリアといえば、真っ先に思い浮かぶのが漫画「北斗の拳」のヒロインの名前だ。それに憧れて名付けたのかな? にしても、宛字がよく見りゃ変くないかい❓「綾」を普通は「リ」とは読まんしょ❓ 音読みするにしても、「りん」もしくは「りょう」でしょうよ。重箱の隅をつつく小姑みたいでヤだけどさ。

最後の『心愛』はルビが振ってないけど、たぶん「ココア」って読ませるんだろなあ…。
あっ、又しても注意力散漫。後ろの色柄に紛れて気づかなかったけど、これもちゃんと「ここあ」とルビが振ってあるわ。

ユリアもそうだけど、英語だけでなく、カタカナや平仮名までも無理から漢字にするのも昭和の時代が発祥ではないだろうか?ツッパリが好んで使ってた「夜露死苦(ヨロシク)」とかさ。今から思うと相当ダサいけど、それがカッコイイと思われていた時代もあったのだ。
いや、違うな。オラは当時からダサいと思ってたもん。訂正しよう。それをカッコイイと思う人が一部いた時代が嘗(かつ)てあったのだ。若者よ、驚愕したまえ。昭和はダサいのだ。しかし、昭和の時代はおおらかであったかい。

 

 
『はな・び』❓
壁の看板のデザインから花火のことだと理解できるが、にしてもナゼに間に「・」が入るのだ❓あえて「・」で区切る意味がワカラン。
それより何より、1Fがスナックで2Fが「メン’S」というメンズオンリーのゲイバーで、3Fがうどん屋という凄い組み合わせのビルかと思いきや、どうやら3つ並べて1店舗のようなのだ。脳内が物事を処理できずに、❓❓❓の嵐になる。「うどん屋 はな・び」なら、まだギリで理解できなくもないが、ナゼにうどん屋がメンズという男性専科的なものと合体するのだ❓まさかまさかの女人禁制のうどん屋だったりしたら、スゲーんだけどな。

ここで、ようやく理解する。メン’Sのメンは、おそらく麺のことなのだ。だったら麺’Sでよいではないか。何ゆえカタカナにする必要性があるのだ❓(ノ`Д´)ノ彡┻━┻えーい、ややこしいわい‼️
だいたい、この看板にはうどん屋的雰囲気が全然ないじゃないか。どうしてこうなっちゃうのかなあ…。

 

 
『jyutan snack 女騎士館』。
スゲー斬新。アマゾネスかよ❗❓
甲冑を着た屈強なお姉ちゃんたちに、jyutan(絨毯)に跪(ひざまづ)かされ、甚振(いたぶ)られるとかスペシャルプレイがあるのかな❓
Mっ気はないけど、中を覗いてみたい好奇心に駆られるよ。

 

 
『バニーガール』。
(^3^♪いいねー、🐰バニーちゃん。オジサン、とっても好きです😍💞❗
にしても、店名に『バニーガール』って付けてしまえるメンタリティーってスゴイな。簡単そうで中々付けれるものではない。バニーガールが店内にいなけりゃ、詐欺だもんね。けど、こんな地方都市のスナックに、バニーガールがホントにいるのかなあ…❓今や都市部でもバニーガールは絶滅危惧種で、探すのは大変だぞ。だいたい、あんな格好してくれる女子とかって、今どきいるのかね❓

バニーガールで思い出した。そういえば大学時代にクラブ対抗の体育祭があって、ウチの部はワシの権限で一回生に仮装をさせた。で、一人の女の子にバニーガールの衣装を強制的に着させたんだよなあ…。今なら完全にパワハラ&セクハラのWハラスメントだと糾弾されても致し方なかろう。
で、その娘のスタイルがこれまた抜群であった。おっぱいデカいし、足がとっても綺麗でウエストもキュッと締まっていて尻(ケツ)プリ。いわゆるボーン、キュッ、ボーンのスラーッなのだ。顔はウーパールーパーだったけどさ(笑)
彼女を見た他のクラブのアホどもが言ってたなあ…。

『五十嵐さん、アレは反則ですわ。あんなん見させられたら、走れませんやん。ワシら、ジャージですし。』

言った奴の股間を見たら、ホンマにテント張っとった。
アレは笑ったなあ…。
ところで、今どきの若い男子って、果たしてバニーガールの存在を知ってるのかね❓知らないとしたら、嘆かわしいことだ。即、ググリなさい。で、おっ勃てなはれ。
あっ、涼宮ハルヒちゃん(註2)がバニーガールの姿をしてたから、若者も意外と知ってるかもな。

ちょっと待てよ。よくよく考えてみれば、バニーガールといえばクラブとかラウンジ的なもので、高級感がそれなりにある。スナックでバニーガールって、少し違和感がある。ちょっと安っぽくねえか?嫌な予感がするよ。
もし店に入って、オバちゃんのバニーガールだらけだったりしたら、引くなあ。絶対に全員が小太り以上の体格だろうから、肉が網タイツに食い込んでボンレスハムみたくなっとるに違いない。そう考えると、入るの怖いなあー。

 

 
『ロングパット』。
ゴルフ好きの人なんでしょうな。
好きなモノの名前をつけたがるのは解る。でも、いいのかそれで❓ゴルフに興味のない者は絶対入らんぞ。
まあ、「ワシの店じゃ。ワシの好きにして何が悪い❓」と言われてしまえば、返す言葉もないんだけどね。
それはさておき、店名の上の黒白のバーコードと云うか簾(すだれ)状のものはいったい何なのだ❓
もしかして、テントをビニールテープでとめてる❓

スナックやラウンジの他にも、名前が変なの目白押しだよ〜ん。

 

 
🥶ア➖➖➖➖ギ❗
控えめに叫んでみる。
そんな事をしても、大いなる疑問が解決するワケもない。脳味噌レベルがフツーな人間には全く意味不明の単語だ。
沖縄言葉かとも思ったが、調べても沖縄言葉にそんな言葉は見当らなかった。ゆえに今もって謎のままである。

 

 
『敦賀 コンパ』。
一見したところ居酒屋っぽいが、何屋か書いていない。コチラも謎過ぎる店名だ。
ここで敦賀の若者たちが夜な夜なハレンチなコンパをしているのやもしれぬ。だったら、ワシも行くぅー(☆▽☆)❗
気になるのでググる。ホントにそんな店ならば、絶対行くぞ。

すると、色んな事が分かってきた。ワタスの見立ては完全にハズレで、居酒屋ではなくてダイニング・バーのようだ。元祖敦賀焼きソバとステーキが有名なんだってさ。特に焼きソバは、全国のコアな焼きそばファンにも知られているらしい。

ちなみに「コンパ」というのは昭和30~40年代に流行した飲食店の業態で、「パブ」「スナック」「バー」「スタンド」などと同列のジャンルらしい。そっかあ…。この言葉って一度廃れてから別な意味あいとして復活したってワケやね。
オジサンも、マジ(ToT)コンパしたいよー。

 

 
『ちょっと変わった焼肉居酒屋!! うしなべ 梅ちゃん』。
端で興奮してるマッチョな牛がポージングしておる。結構変わった名前だと思うけど、『居酒屋アーギ』と『敦賀コンパ』の前では、インパクトに欠けると言わざるおえない。

名前は特別変わってるワケではないけれど、怪しい中華料理屋も見つけた。

 

 
全面山吹色と云うアヴァンギャルドな見てくれだ。
しかし名前の『唐子(からこ)』は、どこか旨そうな雰囲気を醸し出している。でも入るとしたら、ゼロ百の賭けだろなあ…。
因みに唐子は女の人の名前ではない。中国風の髪形や服装をした子供や頭の左右にわずかに髪を残して他を剃るその髪型、または「唐子人形」の略である。つまり、それなりに考えられたと覚しき店名なのだ。そう云う人がやっている店ならば、それなりに期待が持てようと云うワケやね。

 

 
こっちは紅色だ。

 

 
右側の漢字だらけの本格的なメニューを見ると、かなりヤル中華屋なのではと思った(ピッチアウトすると、画像拡大できます)。
しかし、店名が『中國料理 敦賀』。コレがやや引っ掛かる。○○飯店とあれば、中国人がやってそうだから更に期待値が上がるが、この店名だと日本人の経営っぽい。相対的に世界どこでも中国人が作る中華の方が旨いのだ。
それに右横に電光掲示板があるのも気になる。安っぽくて、センス台無しなのだ。
ここも、入るにしても賭け率は決して低くはないだろう。しかし、次回敦賀に来訪した折にはトライしてみる価値はあるだろう。

この2軒、しかも斜め前同士にあって、目と鼻の先にある。極めて近いのだ。普通は中華街でもなけりゃ、こんな近くに中華料理屋が近接する事など稀だろう。そこに両中華料理屋の長きにわたる確執と血みどろの歴史があったりしてね(笑)。

 

 
解るような解らんような、ツッコミを入れたくなるような入れたくないような微妙な店名が並んでいる。とりあえずスルーしとこっと。

 

 
右から、『スナック やよい』『No.2』『ナイトスポット 沖縄』『スナック ゆず』『Happy voice(ハッピーボイス)』。

『やよい』と『ゆず』は、まあいいとしよう。
まず気になるのは『NO.2』。
なぜにNO.1ではなく、ナンバー・ツーなのだ…。もしかして2号店❓
だとしても、ナンバー・ワンの次の店にナンバー2って普通つけるかね❓それじゃ、あまりにも何も考えとらんって事になるじゃないか。

しかし、探しても『NO.1』と云う店は見つからなかった。ならば、最初から『NO.2』と名付けたと云うワケか。
俺はナンバー2が好きなのさ、そこに男の美学があるとか何とか面倒くさいタイプの店主なのかもしれない。個人的には、そう云うのって嫌いじゃないけどね。

『ナイトスポット 沖縄』って…(笑)
一瞬、風俗かと思ったよ。それと同時に、ここが何処だかを忘れそうになったわ。何で、敦賀で沖縄やねん…。それ程までに敦賀市民は沖縄を求めておるのか❓

『Happy Voice』。
店内に明るい声が響くのを願ってのネーミングだろうか?
ゴメン。陳腐過ぎて、それ以上はコメントのしようがないな。

 

 
(゜o゜;キタ➖➖➖➖➖➖ッ‼️
『隠れ家 来人 Light』。
英語に漢字を宛がうと云えばお約束の「来夢来人」そのものではないが、王道路線だ。

 

 
右奥の酒瓶の並べ方からして、どうやらスナックではなくてBarのようだ。
ところで、自ら隠れ家って言ったら、隠れ家にならんのでねえの❓ 揚げ足とってるようで、申し訳ないけど。

 

 
(☆▽☆)おー、ここにも『オンリー遊💕』があるじゃないか❗流行ってるのかな…。

『すなっく まどんな』。
これは英語を漢字ではなく、平仮名にしたパターンだ。こうすると、のほほん感が出やすい。そこが狙い目だろう。この手法も昭和に流行った気がする。でも、こう云う風に両方とも平仮名にすると、間抜け感が出ちゃうぞ。

他にもツッコミどころ満載の店が並んでいるが、ここは『すなっく まどんな』に止どめておく。

それにしても、スナックの名前って陳腐なものか、ブッ飛んだもんしかないのかよ❓ センスの砂漠だな。

 

 
『上・昇・気・流』に『花馬車』ですか…。
もうツッコむのも面倒くさい。

 

 
少々ツッコむのにも辟易してきたが、これは粒揃いなので避けて通れんだろう。

『ナイトキャビン シーマン』。
ようは夜の船室の海の男だがね。店主はヨットとかクルーザーの船乗りかしら❓
漁船だったら、むしろカッケーんだけどなあ。

『韓国居酒屋 ゆめ』。
凄いカラーリングだな。韓国料理屋なのに何故か歌舞伎調なところが笑える。それにしても、韓国系の店が多いね。敦賀は崇神天皇の時代に朝鮮半島から「都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)」がやって来て、それが名前の由来になったと云う歴史がある。だから、古来より朝鮮半島から渡来する人が多いのかもしれない。

ふと思ったんたけど、何で人は色んなものに矢鱈と「夢」「ゆめ」なんて云うコッ恥(パズ)かしいネーミングをしたがるのだろう❓
これは別に昭和の時代だけでなく、今の時代にも連綿と続いている。日本人って「夢」って言葉が相当好きなんだろなあ。

『ジュンハ』。
それって、韓国人の名前かな❓たしかパク ジュンハっていう韓国人男性アーティストがいたよね。
う〜ん、又しても韓国だすな。敦賀のイメージが変わったよ。

この中で一番目を惹く看板は『歌謡酒場 七色』ですな。
おそらく「七色の声」とかがモチーフになってんだろなあ…。
ところで歌謡酒場って、どんな形体の店なのだ❓
想像したけど、ソレって結局のところスナックの事だよね。

七色の字がレインボーカラーになってるネ。虹色ではなく、ここはレインボーと呼ぶのが昭和の流儀だ。それが昭和の掟でもある。

ここまで色んな店の名前を見てきて、改めて思う。
例えば蝶ちょの名前にも救いようのないダサい名前のものが多々ある。世の中、ようはネーミングセンスの無い人の方が圧倒的に多いんだろね。考えてみれば、皆んなが皆んなセンスが良いワケじゃないもんね。
ところで、世の中にネーミングを請け負う会社ってあるのかな❓
そこに頼めば良いのにと思った次第なんだけど、ダメだな。たとえあったとしても、スナックや居酒屋の店主たちが利用するとは思えないもん。名前を付けれると云うのは、店主の特権なんだもんね。その特権をむざむざ人に与えることなど有り得ない。

 

 
(☆▽☆)出た➖➖➖➖➖➖➖っ❗
遂に出ましたお約束の『来夢来人(ライムライト)』‼️

この名前のスナックと喫茶店が、いったい日本全国にどれだけあるのだろう❓減ってはいるだろうが、確実に全都道府県に1個はあるに違いない。

因みに下の寿司屋は奥まったところにあり、隠れ家的な感じで旨そうだなと思ったら、偶然あとで知る人ぞ知る名店だとわかった。敦賀って、行きたい店が目白押しじゃないか。

 

 
そして、ここにも『来夢来人』❗
増殖しているのか❓、ライムライト‼️

このビル、他の店も強力ラインナップだすな。
『なんちゃってBAR(バ)ナナ』、『みんなの🍊みかん』とズッコケ系シュールなのが目を惹く。

『なんちゃって…』は、やはりナナさんという人がやってるのだろうか❓男性か女性かは微妙なところだな。ななオジサンだったらヤだな。

『みんなの🍊ミカン』って、どういう発想からのネーミングなんだろう❓
アタシのノーマルな脳ミソでは、まるで見当がつかない。必死で考えたら、物凄いゲスでエロ的想像しか浮かばなかった。

イエロー
大胆にも店名のみである。潔いとも言えるが、スナックとかラウンジとか何も書かれていないから飛び込み客には相当勇気がいるだろう。扉を開けたら、全身真っ黄色で、グラサンかけたバナナ男が立っているやもしれぬ。
(-_-;)うーむ。『なんちゃってBARナナ』の姉妹店かもしれぬな。

『韓流居酒屋 味彩』。
この味彩という店名の食堂やレストラン等の飲食店は、おそらく日本全国に5万とあるに違いない。

 

 
『サテンドール』に目がいって、すわっ!これこそ風俗店かと思いきや、スナックであった。
Dollには、人形と云う意味の他にも少し頭の弱い女性という意味もあるようだ。そこにサテンが加わると、売春婦の隠語となる。だから風俗店にはこの名前が多いのだ。
喫茶店名にもこの名が多いのは、サテンと茶店を掛けているからだとも言われている。正直、脱力エピソードだ。

でも冷静に考えれば、JAZZの巨匠 デューク・エリントンの有名なスタンダード・ナンバーの曲名からだと思われる。
因みに、その歌詞に登場する女性は娼婦ではなく、沢山の男たちに言い寄り捲くられている小悪魔的な女性で、なかなか口説き落とせない「高嶺の花」的存在として表現されている。

その下は渋い字体で『武蔵野』とある。
何かエロい字体だ。たぶん大岡昇平の小説『武蔵野夫人』と同じ題名の熟女モノのポルノ映画かエロビデオ(DVD)があって、こんな字体だったような気がする。それらと『エマニュエル夫人』とか『チャタレイ夫人の恋人』とか夫人系官能小説的なものが、頭の中でゴッチャになっているのだろう。
それはさておき、何で北陸なのに関東平野の武蔵野なのだ❓

一番上の『スナック Enchante』の「Enchante(アンシャンテ)」は、多分フランス語の挨拶だろう。「はじめまして」と云う意味だ。
だが、最初に店名を見た時は英語の「Enchant」に見えた。こちらは「魅了する、酔わせる、ウットリさせる、化かす」とかそんな感じの意味あいだからだ。それって怖いけど、エスプリが効いてて洒落てるなと感心した。けれど、スナック界にはそんな洒脱なネーミングなど滅多に有りはしないのである。
スナックの名前といえば、だいたいはダサ系で、だいたいこんなとこなのである👇

 

 
レジャーセンターかあ…。今の時代には、逆にインパクトあるわ。
どうあれ、この寂れた感、スゴイな。昭和の残骸だ。
向かって右上から『韓国居酒屋 麦畑』『スナック ゆめ』『snack Ka-Rin』左上は『スナック ゆみ』『すなっく 春』。

真ん中で『スナック ゆめ』『すなっく 春』『snack Ka-Rin』が合体しているのが意味不明だ。昭和とは、ワケワカンナイことしてる人だらけの時代なのである。

それにしても、あまりにも昭和的安易なネーミングの数々だ。この地帯は時間軸が歪んでて、昭和の時代と通底しているのかもしれない。
そういえば、この街に入ってから殆んど人の姿を見ていない。閑散としているのだ。まるで、間違って昭和の時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥る。

 

 
『一本松』かあ…。
何がどうなれば、この名前を付けようと云う発想になるのだろう?これも全然、ワカラン。これら首を傾げるような名前をつけた人たちって、きっと愛すべき人たちなんだろな。話してみたら、オモロイおばちゃんとかオッチャンなんだと思う。
それはそうと、このビル、廃墟寸前って感じだな。昭和的なものは消えつつある運命なのだろう。

 

 
『Blue Lotus ブルーロータス』。
直訳すれば、ロータスは「蓮」もしくは「睡蓮」と云う意味になる。ようは青い蓮、もしくは青い睡蓮だね。好きなネーミングだ。
但し、語源はギリシア神話の「ロトス」と言われ、その果実を食べると楽しくて忘我の境地に陥り、故郷に帰ることも忘れるとされている。もしコレを知っていて名付けたのなら、その名付け親は学のある人だと云うことになる。だったら、お見事でやんす。

或いは、印象派の巨匠クロード・モネの絵『青い睡蓮』から名付けたとも考えられるな。どちらにせよ、相当に学のあるお方と察する。
でも世の中には青い蓮なんて存在しないんだよね。
だから、逆にいいのか…。その方がミステリアスだもんね。幻の青い睡蓮というのは、人を忘我の境地にさせるに充分な魔力があるに違いないからね。
補足すると、モネの時代に青い睡蓮は無く、どうしてモネがそんな色の睡蓮を描いたかと云うと、色覚異常だったという説が有力視されているようだ。白内障だったっけかなあ。

キレイに纏まったので御機嫌気分だったが、一応ホントに青い睡蓮が無いのか調べてみた。したら、(@_@)ゲロゲロー、有るやんか‼️

 

(出典『PAKUTASO』)

 

(出典『メモリアルフラワーショップ』)

 
青い蓮の花もあった。

 


(出典『みんなの趣味の園芸』)

 
どちらも美しいが、蓮の花の方が、よりゴージャスである。
これはいつか自分の眼で生で見てみたいな。

『スナック ミロ』。
まさか健康ドリンクの「ミロ」のワケないだろう。たぶんミロのヴィーナスとかのミロだろう。ミロじたいは女神を意味する言葉ではなく、古代ギリシア時代のミロス島を指す。健康飲料のミロもたぶん語源は同じかと思われる。とはいえ、おそらくは美神とか女神って意味あいを込めてのネーミングだろうね。

待てよ。ミロという有名なスペイン画家もいたな。
って云うか、シュールレアリスムの巨匠だよね。そうなると、このミロは画家のミロ由来で、この2店舗は姉妹店の可能性が出てくるな。ブルーロータスがモネ由来ならば、絵画繋がりと云うのは充分有り得る。

はたと思ったんだけど、店の名前って、皆さんどういう意識でネーミングしているのだろう❓
店の名前は大事だ。下手すれば、店が流行るか流行らないかの重要なファクターを担っているからだ。
でもカッコイイとかお洒落だとか良い名前をつけたからといって流行るかというと、決してそんなワケではないから難しい。店の雰囲気や場所、その他もろもろの要因も関係するからだ。名前と店そのものにギャップが有り過ぎるとダメだし、変に凝り過ぎてるのもダメなのだ。名前には、それぞれの身の丈と云うものがあるのである。
ようは、その店に合っているか合ってないかなんだけど、たぶんそれは客が決める事なのかもしれない。

一番下は看板が破壊されている。その後ろには、ひしゃげたビニール傘が転がっている。建物にも、そこはかとない荒廃感が漂っており、どんどん寂れた感が色濃くなっていってるような気がする。

その隣は外壁に看板があり、ラーメン屋のようだ。

 

 
しかし覗いて見ると、ラーメン屋は黒い看板を残して廃墟と化していた。
昭和の死だ。
今や平成を通り越して、令和の時代。日本の各地で、ありとあらゆる昭和的なものが、今のこの瞬間にも音も無く静かに朽ちていっているのだろう。目に見えるものも見えないものも、刻(とき)の流れが全てを風化させるのだ。

 
変テコな名前を探してたら、いつの間にか結構な時間が経ってしまっていた。
さあ、そろそろ目的の場所へ行こう。唖黙ったような夕暮れの街を早足で引き返した。
 

                        つづく

 
追伸
随分と敦賀の各店舗の名前をスナックを中心にディスりまくったけど、ごめんなさい。怒らんといてください。
決して悪意をもって書いたものではなくて、昭和の時代へのオマージュとして御理解戴きたい。

自分がスナックに行っていた時代は主に高校生の頃だった。バイト先の先輩によく連れて行って貰ったのだ。大人の世界に初めて足を踏み入れたって感じで、その時のワクワク感は今でもよく憶えている。あの時、確実に大人の階段を一段昇ったのだ。
大学生になるとディスコに行く機会が圧倒的に増えたが、それでも周りにスナック好きもいたので、たまには行っていた。元来、好きな環境なのだろう。今思うと、ディスコよりもスナックの方が本当は好きだったような気がする。若者が古いものを否定したがるのは一種の病気で、麻疹(はしか)みたいな一過性のものなのだろう。単純な好き嫌いではないのだ。
正直なところ、最近またスナックに行きたいと云う気持ちになってきている。一周回って再ブームの兆し有りなのだ。それが深層心理にあるから、無意識だが今回スナック街をうろうろしたのではないだろうか。
来年、敦賀に行ったら、何処かのスナックに入ろうと思う。
皆さん、それまでコロナウイルスに耐えて生き残ってもらいたいと切に願います。どうか踏ん張って下さい。

このシリーズ、ソリッドに全体で4、5回で終えるつもりが、第一章だけで4話も費やしてしまった。
でも、次回もまだ第一章なのである。我ながら、何の構想もなく気分で書き出してるなあ…。この先を書くのが辛いよ。

 
(註1)ギフチョウ


(2020.4.3 福井県南条郡南越前町今庄)

 
「春の女神」とも呼ばれ、年一回春先にのみ現れる蝶の一種。
因みに、上がオスで下がメスです。

 
(註2)涼宮ハルヒ
原作 谷川流のノベライズ&アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』のヒロイン。


(出典『Tsundra.com』)


(出典『テラフォーマー』)

 
アニメは放火されて多数の死傷者が出た京都のアニメ会社で作られたものだ。合掌。

 

青春18切符oneday-trip春 第一章(3)

第3話 我もまた旅人なり

 
福井の鯖江に向かうか、敦賀に戻るか迷った。

 
しかし、鯖江に行ってしまえばノスタルジーに呑まれてしまうだろう。下手したら昔の記憶を辿って学生時代の彼女の実家を探して徘徊しかねない。でもそれを見つけたところで、どうするというのだ❓
まさか呼び鈴を鳴らして『娘さんはお元気でしょうか?』と訊くわけにもいくまい。そんなの完全にイカれポンチのサイコ野郎だ。それに滞在時間はそうも取れないだろう。

敦賀まで戻って来るのにも時間的不安がある。電車の本数は少ないだろうから、街なかで迷いでもすればドツボにハマること必至。駅で何時間も待つ破目になりかねない。当然、あとの予定はグチャグチャになる。
それはマズい。今日の一番の目的は他にあるのだ。そこを忘れてはならない。
後ろ髪を引かれるところはあるが、敦賀に戻ることにした。

午後3時47分の電車に乗る。
再びあの長い長いトンネルを抜け、4時過ぎに敦賀駅に着いた。

前々回に書き忘れたが、此処は去年に昔の彼女と短い時間だが訪れている。
小鯛の笹漬けで有名な「丸海」で、真鯛の昆布〆を買って食ったんだけど、アレはマジで死ぬほど美味かった。

 

 
丸海の小鯛の笹漬けは基本的には連子鯛(レンコダイ)を使っているのだが、季節限定で真鯛でも作られている。そして、これは昆布〆にしてあるのだ。
でも値段が高いんだよなあ。千円以上は優にしたと思う。まあ、お金は元カノが払ったから、偉そうなことは言えないんだけどもね。

 
商店街に向かって歩き始めると、こんなんがあった。

 

 
『銀河鉄道999(スリーナイン)』のメーテルと星野鉄郎やんか。

 

 
そして、『宇宙戦艦ヤマト』の古代進と森雪。

この2つの銅像は漫画家 松本零士の代表作だ。若い人でも名前くらいは知っているだろう。
2作品とも勿論アニメで見ているが、特に強い思い入れがあるワケではない。なのに両方とも主人公の名前がスラスラと出てきた事に我ながら驚く。昭和の記憶は鮮明なのだ。

他にも関連する銅像が続々と出てきた。
それで漸く貰った地図を真面目に見た。

 

 
ちゃんと各銅像の位置まで記されているじゃないか。
地図が細か過ぎて目に入らんかったわ。

順不同だが、他のモノも並べておこう。

 

 
このジジイは、たぶんヤマトの乗組員で軍医さんだ。
ジジイ、酒ばっか呑んでるんだよね。たしかメチルアルコールと何かを混ぜて、そのカクテルに「ヤマト」とか名付けて喜んでた記憶がある。完全に重度のアル中じゃないか。今の時代だったら、コンプライアンス的に間違いなく問題視されていただろう。改めて昭和って、おおらかで良い時代だったよな。それが今や、ホントつまんない時代になった。人の揚げ足ばかりチマチマ取って何が楽しいのだ❓不倫なんて他人がとやかく言う問題ではなかろう。何だか陰湿で暗い時代になったよね。クレイマーが正義をかざして闊歩する時代に幸せなどありはしない。最近の世の中、何だか相互監視がキツイわ。勝手に皆で社会主義やってる変な国になっちまってねえか❓

 

 
雪とアルフォン。

 

 
(☆▽☆)おー、スリーナインの車掌さんじゃないか❗
怪しく見えるが、本当は真面目でいい奴なのさ。
 

 
スッカ、スッカやんけ(ノ`Д´)ノ彡┻━┻
機関車を、ものすごーく簡単に意匠化しちまってる。
そもそも機関車には重厚さがないといけんやろが❓
期待してただけに、ベリー残念。

 

 
このポーズ、何か粋(イキ)ってて腹立つわー。
鉄郎って、チビでアホだから嫌い。💢イラッとくる。

 

 
メーテルに優しくされてるのも気に入らん。

 

 
メーテルは美人さんだよなあ。理知的でミステリアスなところが良い。松本零士作品に登場する女性はワシ好みの美人が多い。昔からクール・ビューティーは好きなのだ。

他にも沢山の銅像があるみたいなのだが、もう画像はない。
なぜなら、現在北側の商店街は道路の拡張工事中で、撤去されておったのだ。
ところで、何でもう一つの代表作『キャプテン・ハーロック』の銅像は無いのじゃ❓

それはさておき、敦賀は松本零士の生誕地だとか、この土地と何か深い関係があるのかと思いきや、そんなことは駅の観光案内所にあるパンフ等には一言も書いてなかったぞ。もしも生誕地だったら、もっと前面的に押し出している筈だもんね。
ではナゼに敦賀にこんなもんがあるのじゃ❓

気になるのでググると、敦賀商工会議所のホームページに、その由来が書いてあった。

『かつては東京とパリを結ぶ「欧亜国際連絡列車」が敦賀港駅を経由して走り、敦賀は「日本でも有数の鉄道と港の町」でした。1999年に敦賀港開港100周年を記念して、市のイメージである「科学都市」「港」「駅」と敦賀市の将来像を重ね合わせて、「宇宙戦艦ヤマト」のブロンズ像12体、「銀河鉄道999」のブロンズ像18体の計28体のモニュメントを敦賀駅から気比神宮までのシンボルロードに設置しました。』

なるほどね。ヤマトもスリーナインも旅の物語でもある。
にしても、理由としては弱くねえか? 他にも外に向かって開かれていた港はあるだろうに。
こんな微妙な理由で、よく松本零士先生も承諾したよな。

さらに足を伸ばして「氣比神宮(気比神宮・けひじんぐう)」へと向かう。
かなり有名な神社だが、敦賀には何度か来ているのにも拘らず、一度も訪れたことがない。
午前中に敦賀駅で次の電車待ちしていた時に、これは若しかして良い機会ではないかと密かに思っていた。人にせよ、土地にせよ、出会いにはタイミングというものがあると思う。

そう云うワケだから、電車の中で事前に Wikipedia で大まかな事を学習しておいた。

一部編集、抜粋しておこう。

『敦賀は天然の良港を有すると共に、北陸道諸国から畿内への入口であり、対外的にも朝鮮半島や中国東北部への玄関口にあたる要衝である。神宮はそのような立地であることから、「北陸道総鎮守」と称されて朝廷から特に重視された神社であった。
創建は飛鳥時代で「古事記」「日本書紀」には早い時期から神宮についての記事が見られる。特に仲哀天皇・神功皇后・応神天皇との関連が深く、古代史において重要な役割を担っていた。また、中世には越前国の一之宮に位置づけられており、福井県から遠くは新潟県にまで及ぶ諸所に多くの社領を有していた。』

 

 
狛犬の背後の紅枝垂れ桜が美しい。

 

 
この大鳥居は日本三大木造大鳥居の一つで、国の重要文化財にも指定されているようだ。
因みに他の2つの大鳥居は、広島の「厳島神社」と奈良の「春日大社」に有るんだそうな。それって両方とも世界遺産じゃね❓ 格式高けっ❗凄いぞ、GoGoー❗気比神宮。
その2つとも行ったことあるから、コレで日本三大木造大鳥居をタナボタ的にいつの間にか制覇じゃい❗

 

 
見事なまでの朱塗りの鳥居だ。
色が通常目にする鳥居のような明るい朱色ではない。見たことのない暗めの渋い朱色なのだ。それがどこか厳かさを醸し出している。正直、普通の朱塗りよか(☆▽☆)渋カッケー。

 

 
中に進むと、もう一つ鳥居があり、その向こうに本殿がある。

 

 
本殿は静かだった。
境内には誰もいない。時間が死んだように止まっている。
その静寂を破って柏手(かしわで)を打つ。空気が震え、音が奇妙なほど強調されて辺りに響く。
目を閉じ、心を無にする。何も願わない。最近はそうする事が多い。どうせ願い事なんぞしても、叶えてはくれまいと思うからだが、何だか心が落ち着くので気に入っている。
無心で、手を合わせる。再び静寂に包まれる。

東側の出口から出ると、驚いたことに目の前の風景は拡がらなかった。まさかの、それで社域は殆んど終わりだったのだ。ズッコケるくらいに簡単に見渡せる。社林も有るには有るものの、想像していたよりも遥かに狭い。勝手に広大な境内を想像してたから拍子抜けする。格式ある神社にしてはショボくねえか❓
けんど、そこで Wikipediaに書いてあった記述を思い出した。
社殿の殆んどは第二次世界大戦中の空襲で焼失したため、現在の主要社殿は戦後の再建だとか書いてあったわ。空襲を免れたのは大鳥居など一部だけだったらしい。
ならばと起源を調べたら、現存するこの鳥居が造営されたのは、何と西暦1645年なんだそうな。マジか❓、計算すると385年間も此処に建ってるって事じゃないか。それって、理屈抜きにスゲーや。

そう云えば、ウィキには松尾芭蕉とも縁(ゆかり)があり、「奥の細道」の旅で此処を訪れたとも書いてあったな…。

何気に振り返ると、実際に境内の端に芭蕉の銅像が建っていた。偶然でも何でもないのだろうが、タイミング良すぎて驚く。

そのせいなのか、何故だか写真を撮り忘れたので、他から画像をお借りしよう。

 

(出典『芭蕉が見た風景‐奥の細道を歩く‐』)

 
この下の台座には、俳句も刻まれていた。

「月清し 遊行のもてる 砂の上」

芭蕉翁が此処を参詣した際に詠んだ句だ。
前述したように「奥の細道」での旅の折りで、江戸時代の1689年(元禄2年)の事だったようだ。
w(°o°)wゲゲッ❗、って事はワシが見た鳥居と同じ鳥居を芭蕉様も見たってワケか。それって、スゴクね❓ 時空を飛び超えたような不思議な感覚を覚える。芭蕉翁との距離がグッと狭まり、同じ時間軸にいるような気がした。

句を意訳すると「月が清らかな光を放っている。歴代の遊行上人が持ち運んだと聞く神前の白砂の上に、その月の光が美しく射している。」といったところだろうか。

この句に関しては、少々の補足説明が必要だろう。
前提に芭蕉が、この地での月見を殊の外楽しみにしていたと云う事がある。
『奥の細道』を紐解こう。

満月の前夜、この日は美しい月が昇っていた。
宿の主人に「明日の十五夜もこんな素晴らしい名月が見られるでしょうか?」と尋ねると、主人は「北陸の天気は変わりやすいから、明日の夜が晴れるか曇るかは分からないよ。」と答え、酒を勧められた。
そして、氣比神宮の古事を聞かされる。
「その昔、二世遊行上人が神宮付近の葦を刈り、土砂を運んで水溜りや泥濘を埋め、参詣者が楽に歩けるようにと参道を改修されました。そのおかげで今は参詣に行き来するのに全く困ることが無くなったのです。それ以来、その古事を伝える伝統行事が続いていて、今でも歴代の上人が神前に白砂をお運びになっております。これを、この地では「遊行の砂持ち」と呼んでおりまする。」と。

その後、宿の主人に奨められて氣比神宮に夜の参拝に出かけた。芭蕉翁はその時のことを、こう書いている。
「境内は神々しい雰囲気に満ちていて、松の木々の間からは月の光が洩れている。神前の白砂には月光が射しており、一面に霜を敷いたように見えた。」
季節は秋で、この句の季語は「月」。ようは中秋の名月だったってワケだ。

境内には他にも句碑があって、画像の芭蕉像左奥の歌碑に5つの句が刻まれている。その一つが、この話の後日談みたいになっている。

翌日、翁は日本三大松原(註1)の一つである気比の松原に出掛ける。しかし、やはり宿の主人の言ったように天気は崩れた。勿論、月の姿は隠れて見えない。その時の句がコレである。

「名月や 北国日和 定なき」

訳すと「今宵は中秋の名月を期待していたが、変わりやすい北陸の天気に、生憎(あいにく)なことに雨になってしまったよ。」といったところか。

この句碑の残りの4句の一つは、「月清し…」である。
あとの3句も記しておく。

「國々の 八景更に 氣比の月」
「ふるき名の 角鹿や恋し 秋の月」
「月いつこ 鐘は沈る うみのそこ」

何れも月を詠んだ句だ。
真面目に「奥の細道」は読んでないけれど、芭蕉は月に特別な想いを抱(いだ)いていたのかもしれない。

翁は敦賀で、他にも句を詠んでいる。

「小萩ちれ ますほの小貝 小盃」
「衣着て 小貝拾わん いろの月」
「寂しさや 須磨にかちたる 浜の秋」
「波の間や 小貝にまじる 萩の塵」
「中山や 越路も月は また命」
「月のみか 雨に相撲も なかりけり」

結構な数を詠んでるんだね。

つけ加えておくと、前回ギフチョウに会いに訪れた今庄の山中にある燧ケ城跡でも、芭蕉は句を詠んでいる。

「義仲の 寝覚めの山か 月悲し」

この城跡は南北朝時代の古戦場で、そこで木曽義仲に思いを馳せて詠んだ句なんだそうだ。芭蕉が立ったであろう、あの山城に自分も立ったかと思うと、今さらながらに感慨深いものがある。
そっか…、急峻な山だったのは、攻められ難(にく)いところに築城したからなのかもしれない。

ふと思う。そう云えば奥の細道の旅は次の大垣で終わる。
ようは敦賀への来訪は旅の終わり近くだったワケだ。翁が月に拘った気持ちが分からないでもないような気がしてきた。長い旅の終焉が近づくと、人は複雑な気持ちになるものだ。そして、愛惜しむように良き日々を過ごしたいと思う。

 
来た道を引き返す。

 

 
鳥居の向こうに夕陽が沈んでゆく。

 
       旅のそら
       古き社(やしろ)に
       春の夕

 
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。
我もまた漂泊の想い、いまだ止まずである。

そろそろ、目的の場所を探さねばならない。

 
                        つづく

 
追伸
下手な駄句でクローズしてまって、すいやせん(´д`)ゞ
才能が無い奴だと笑って、何卒そこは目をつぶって戴きたい。

この日の話は、まだ続く。
当初の構想を超えて思いの外に長くなってきているので、この際タイトルも手直しした。相変わらずの出たとこ勝負で書いている人なのだ。毎度の事ながら、最初の構想が雑すぎるんだろね。

 
(註1)日本三大松原
気比の松原に、三保の松原(静岡県清水)と虹の松原(佐賀県唐津)を加えて日本三大松原と称される。気比の松原をハズして、天橋立の松原とする向きもあるようだ。まあ、どっちだっていいけど。だって三保の松原も虹の松原も、そして気比の松原も一度だって見た事がないのだ(天橋立の松原は行ったことがある)。美しい松原のイメージが希薄なんだから、比べようがないのである。

 

青春18切符oneday-trip春 第一章(2)

第2話 Spring fairy‐春の妖精‐

 

 
春の女神に会うために4時間半かけ、はるばる大阪からここまでやって来た。

 

 
逸る心で山へと向かう。

 

 
苔むした階段を上がり、登山口に取り付く。
麓ではカタクリの花が保護されているが、女神の姿はない。

 

 
やがて傾斜がキツくなる。去年のことを段々思い出してくる。ナメてたけど、この山は急登続きでキツい事をすっかり忘れてたよ。しかも、尾根まで上がらないとギフチョウはいない。

 

 
ようやく尾根まで登ってきたが、如何にもギフチョウが好きそうな環境なのにナゼか姿が見えない。しかも、もう10時半過ぎだ。彼女たちが活発に飛び回っている時間帯なのに何で❓
早くもヘロヘロになりながら、そう云えば去年もそうだったなと思う。歳を喰うと忘却の人になりがちだ。

暫く歩いたところで、ようやく飛び回る女神が視界をかすめた。
心が沸き立つ。全身がゾワゾワする。この見つけて最初の一振りまでがギフチョウ採りの醍醐味にしてクライマックスだ。
背景に溶け込み、断続的に姿が消えるが、動きを予測して後を追う。
細かくステップを踏みながら、距離を詰めてゆく。
射程内に入った。
最初の一振りで空振りするのは縁起が悪い。コンセントレーションを高める。
しかし、左に飛んだかと思いきや、急に右に進路を変えよった。😨ヤバイと思いつつも、素早く反応して咄嗟に網を左から右へと💥一閃する。

ジャストミートで振り抜いた手応えがあった。
逃亡を防ぐためにすかさず網先を捻り、中を確認する。
網の中で蝶が暴れている。
(ノ`Д´)ノよっしゃ❗GET。
まあまあ天才の、ここぞと云う時の集中力をナメんなよである。
だが、生きたまま取り出すと、翅がやや擦れている。今年は発生が早く、1週間程前から発生していると聞いてはいたが、やはり遅かったか…。

リリースしてやったら、飛んで行かずに地面にふらふらと止まった。ギフチョウ本人も何が起きたかワケ解らず、ショックを受けているのだろう。何だか申し訳ない気持ちになった。ゴメンね。
折角だから写真を撮ることにした。

 

 
これは近い距離だから姿が容易に視認できるけれど、1Мも離れれば、枯葉と同化して姿がかき消える。派手な翅のように見えるが、保護色になっているんだよね。生き物って、よく出来てるよな。

オスだね。
と云うことは、この鮮度だとメスはまだまだ綺麗なものもいそうだ。

写真を撮っていると、立て続けにギフチョウが飛んで来た。
ここは鞍部になっており、どうやら集まって来やすい場所のようだ。

短時間に5頭GETして、鮮度の良い1頭と少し斑紋が変なものをキープして、あとはリリースする。

そうこうしていると、下から4人連れの登山者が上がってきた。
毎度の事ながら、訝り目線が飛んでくる。まあ、大の大人が大きな網を持って立っているんだから、当たり前といえば当たり前のリアクションである。4人のうち一人は男性で「ギフチョウですか?」と声を掛けてきた。「そうです。」と答えていたら、丁度ギフチョウが飛んで来た。
ここで、オバサンたちの前でカッコつけたろと思ったのがイケなかった。派手に思い切り網を振ったら、

 
💥べキッ❗

 
(-_-;)やっちまったな…。
強く振り過ぎて、柄の2段目が折れた。
鮮やかに決めてやろうと云う虚栄心にバチが当たったに違いない。
(눈‸눈)カッコ悪りぃ〜。

既に採っているものをオバサンたちに見せて、何とか体裁を保つ。オバサンたちも喜んでいたから、それでいいじゃないかと自分を慰める。

取り敢えず補修しておこうと、いつもザックに入れっぱなしになっているビニールテープを探すが、無い…。
😥マジかよ❓である。たぶん去年のシーズンが終わって、ザックを洗濯した時に取り出したものと思われる。で、今回は開幕戦ゆえにパッキングする時に入れ忘れたのだろう。又しても、(-_-;)やっちまったな…である。
仕方がないので、殺している1段目に巻いていたビニールテープを剥がす。先程、2段目が折れたと書いたが、正確には3段目が折れたのである。1段目が細いから折れ易いので1段目を殺して2段目と合体させていたのだ。と云うワケで1〜3段目までを合体させる。
しかし試し振りをしたら、連結部の固定が弱くてフニャフニャだ。仕方なく、人差し指と親指を網枠に掛けて残りの指で柄を掴んで振ることにした。ようするに網を伸ばさずに、網の根元を掴んでそのまま左手一本でスウィング、勝負するしかないってワケだ。

早速飛んで来た奴を、すかさず片手一本で居合斬り。
どーじゃ、ワレー( `Д´)ノ、”弘法、筆を選ばず”じゃ❗まあまあ天才をナメなよである❗❗

暫くいたが、やはり鮮度が悪いものが多い。もっと上へ行くことにした。
しかし、どんどん道は急になってゆく。斜度がキツくてロープが張られている箇所も何ヶ所か出てきた。余程さっきの場所に戻ろうかとも思ったが、去年来ているから上にもっと良いポイントがあると知っているだけに戻れない。だいち性格上、今さら引き返すのも癪にさわる。

時々、飛んで来るギフチョウを拾い採りしながら、喘ぎながら登ってゆく。

視界が開けた。

 

 
白山だろうか、遠くに雪を冠した山塊が望見できる。

 

 
眼下には今庄の宿場町が見える。随分と登って来たな。

左側に目を転じると、日野山らしき山容も見える。
その先は武生、鯖江、福井の街だ。一瞬、ノスタルジーが溢れ出しそうになるが、それを振り払うかのように踵を返した。

道は先程でもないが、相変わらず急登が続く。
途中、待望のメスが採れた。

 

 
ギフチョウはオスよりもメスの方が美しい。
特に裏面は、より色鮮やかだ。

 

 
午後12時過ぎ。やっとこさポイントに着く。
予想通りギフチョウは沢山いた。次々と飛んで来る。
しかし、鮮度は特に良くなりはしない。ギフチョウは麓と山頂を往復する蝶だから、当たり前っちゃ当たり前なんだけどね。

段々飽きてきて、惰性でぞんざいに網を振ったら、枠に当たったようで、ふらふら飛んで行って枯枝に止まった。
半ヤラセみたいなものだが、コレ幸いにと写真を撮る。

 

 
それにしても、去年はいたキアゲハを今日は1頭も見ない。
ここではキアゲハの方が珍しい。

 

 

 
(裏面)

 

(2019.4.6)

 
こうして見ると、キアゲハの美しさはギフチョウにも負けてないと思う。少なくともスタイルは負けていない。
でも悲しい哉、普通種。あまり評価されることはない。

午後1時過ぎ、完全に飽きたので下山を開始する。
登りもキツかったが、下りの方がしんどかった。こんなキツイとこ登ってきたのねと、より斜度を実感した。此処は足に自信のない老人は訪れるべきではないだろう。

 

 
途中、辛夷(コブシ)の花が咲いているのに癒やされる。
登りの時に気づかなかったわけではないが、その時はじっくり見てる余裕がなかった。白木蓮も好きだが、たおやかに野で咲く辛夷の方が好きだ。

駅まで下りてきたが、へとへと。体力落ちてる。
福井に行くにせよ敦賀に戻るにせよ、電車の時間まで1時間程あったので、馴染みの蕎麦屋にでも行くかと思った。ここ今庄の蕎麦は「今庄そば」として、つとに有名だ。おろし蕎麦が旨い。しかし、あまり腹が減ってないので、やめにした。

一応、馴染みの蕎麦屋を紹介しておく。

 
【ふる里】

 
何とはない、飾らない店だ。

 

 
店内には、来店したのだろう、名優 宇野重吉の写真が飾ってある。息子は、これまた名優の寺尾聰だね。

 

 
右の、おろし蕎麦を強く推す。
素朴だが、真っ当に旨い。越前そばと云えば、やはりおろし蕎麦に限る。因みに自分は、大根を皮ごと擦ってもらう。その方が辛みが増し、エッジが立つのだ。
婆さんが一人でやってるから、いつ無くなるかワカランので、早めに行かれることをオススメする。

 
宿場町をゆるゆると歩く。

 

 

 

 

 

 
古(いにしえ)の宿場町は風情があるだけでなく、レトロだ。
昭和の匂いが色濃く残っている。

 

 
ここでも桜は花盛りだ。
早朝や夜に見る桜はどこか妖艶だが、昼間に見る桜は、ただただ美しい。

 

 
喉か渇いたので、古い造り酒屋でビールを買って横の長椅子でビールを飲む。
(≧▽≦)プハーッ。歩いたあとのビールは殊の外に旨い。

 

 
平日のせいか、宿場町の人通りは少ない。
時が止まったかのように森閑としてる。
やわらかい光が辺りの景色に陰影をもたらしている。
春だなと、しみじみ思う。

                         つづく

 
一応、この時のギフチョウを展翅したものを並べておきます。

先ずはオス。

 
【ギフチョウ♂】

(2020.4.3 福井県南条郡南越前町今庄)

 
正直言って、ギフチョウの展翅は大嫌いだ。
触角が元々湾曲しているし、先端がびよ〜んと伸びるので整形が難しいのだ。だから真っ直ぐにしづらいし、左右の長さを揃えるのも大変。オマケに長さを合わせる為に無理に先端を伸ばすと、すぐプチッと千切れよる。クソ忌々しいかぎりである。
あとは下翅の赤紋が縮れているので、それを伸ばしてやらないといけない。コレが面倒くさい。でも、やらないと美しさが半減してしまう。

 

 
矮小個体だ。北陸のギフチョウは関西なんかと比べて小さい。そして黒っぽいものが多い。好み的にはデカくて黄色いギフチョウが好きかな。

 

 
ギフチョウの展翅が嫌いな理由を、もう一つ思い出した。
毎年、上下の翅のバランスが分からなくなるのである。二番目は上翅を上げ過ぎだし、一番下のモノなどは寸詰まりになっとる。でも昔の展翅写真なんかは、だいたい寸詰まりだった。触角も真っ直ぐにはされてない。蝶の展翅にもトレンドがあるようである。
自分的には一番最初、冒頭に貼付した画像のようなバランスが好きかな。そのうちまた変わる可能性はあるけど。

 

 
これは越前にしては黄色みが強い個体。

 

 
コレも矮小型だが、尾状突起が短い。

 

 
一方、コチラは尾状突起が長くて細い。しかも左上翅の斑紋に異常がある。ここの黒帯が分断されるのを「H型」と言うらしい。黄色いところがアルファベットのHに見えるからだとさ。

 

 
コヤツは地面に止まった時に変な奴だぞと思って採った。
この辺りのギフチョウとしては黄色い領域が多い。そして赤紋もオレンジ色だ。
良い型なのに、左側の触角がプチッと切れた。こう云う事が起こるから忌々しいのである。

お次はメス。

 
【ギフチョウ♀】

 
メスはオスよりも相対的に大きく、翅が全体的に丸みを帯びる。そして、頭の下の毛が赤っぽい。

 

 
綺麗な個体だなと思ったら、赤紋が上に伸びる「赤上がり」と呼ばれる型だった。
越前ではかなりの数のギフチョウを採っているが、赤上がりは初めて見た。この辺にもいるのね。

それにしても、知らぬうちに結構な数を採ってしまってるね。
殆んどリリースしたから、まさかこんなに採っているとは思わなかった。たぶん網に入れたのは40頭は下らないと思う。だからヘトヘトにもなったのね。

 

青春18切符oneday-trip春 第一章(1)

 
第1話 ノスタルジック・トレイン

 
一回くらいはギフチョウ(註1)を採りに行こうと、金券ショップで青春18切符を探した。
しかし、コロナウィルス騒動の影響か何処も5回分や4回分のチケットばかりだった。それくらいチケットが動いていないのだろう。
6軒目にダメ元で1回分のものはないかと尋ねてみたら、4回分のものを2回分の料金で売ってもいいと持ちかけられた。売れてないから、店としては少しでも金を回収しようと云う苦渋の判断をしたってワケだ。正直、たとえお得でも4回分も要らないと思った。けれど、ふと思い直した。昔の彼女にタダでいいから行こうと誘えばいいじゃないか。最近、無理な頼み事をした事だし、少しは恩返しできるかもしれない。そう考えて買うことにした。値段は5千円くらいだった。

 
2020年 4月3日

早朝、午前5時48分。JR難波駅を出発。
新今宮で環状線に乗り換え、大阪駅へ。
満開の桜が、白み始めた朝の光に仄かに浮かび上がっている。

6時18分発の米原ゆき新快速に乗り換える。
生駒山から朝日が登ってきた。そういえば、こんな時間に女性を生駒方面に車で送ったことがあったな。あの時と同じような日の出だ。
先物取引の会社に勤めていて、とても足が綺麗な女性だった。顔は加藤登紀子だったけど…。

沿線は至る所で桜が満開になっていた。
この時期、満開の桜を見ると必ず「桜の樹の下には屍体が埋まっている。」という梶井基次郎の短編小説の一節を思い出す。
あんなに美しいのは死体を養分としているに違いない。それが人を不安にさせると云うお話だ。
たしかに桜の美しさには、どこか狂気じみた匂いを感じる。狂ったように咲く様は時に凄惨であり、凶々(まがまが)しさと通底しているような気がする。満開の桜には人を惑わせ、狂わせるものがあるのかもしれない。
そういえば満開の桜の下、好きになってはいけない人に告白したことがあったな…。

米原で、敦賀ゆきに乗り換える。
電車は、やがて長浜駅に近づいてゆく。長浜には何度か女性とデートに来たことがある。長浜城に行ったこと、黒壁スクエアでガラス食器作りを体験したこと、有名な親子丼を食ったことが思い返される。その彼女たちも、今では結婚したり、子供を産んでいたりしているのだろう。心に軽い後悔と痛みが走る。

木ノ本駅。ここには古戦場として有名な賤ヶ岳の麓に宿があり、当時の彼女と泊まったことがある。五右衛門風呂で有名な宿で、観音開きのドアのクラシック・カーで送迎してくれたっけ…。新米が美味かったから、たぶん秋だったのだろう。そうだ、宿の前には秋の稲穂がどこまでも続いていて、緩やかな風に揺れていた。

8時40分に敦賀に到着。
しかし、やっちまった。ろくに時刻表を見ずに来たものだから、スタック。福井方面への乗り継ぎ電車まで、あと1時間もある。ギフチョウが飛び始めるのは9時くらいだから、致命的なミスである。1時間以上は出遅れることになる。
まあ悔いたところで、どうにかなるワケでもない。それに、どうしてもギフチョウを採りたいという気分でもない。福井県のギフチョウは何回も採っているのだ。杣山型も特に採りたいとは思っていない。

時間つぶしに駅の外に出る。青春18切符の良いところは、乗り降りが自由な事だ。ただ、ぼおーっと駅で待つのは退屈なだけでなく、間抜けな感じがして耐えられないところがあるから助かる。

先ずは観光案内所に寄って地図を貰い、色々と訊く。
帰りにまた敦賀で降車せねばならない。重要なミッションがあるからだ。

 

 
有名な気比神宮以外にも赤レンガ倉庫とかもあって、結構見所がある。

駅前に大魔神みたいな銅像が建っていた。

 

 
すわっ!大魔神かと心踊ったが、顔があんなに憤怒の形相ではない。だいち片手を上げていて、何だかフランクだ。

 

(出典『紀行歴史遊学』)

 
退屈だし、調べてみることにする。

この銅像は、都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)という朝鮮の人らしい。日本書記には、崇神天皇の時代に角の生えた人物が船で此の地を訪れたと書かれており、その彼が渡来した場所ということで、角鹿(つのが)となり、やがて敦賀(つるが)となったという由来説があるそうだ。

少し歩いてみたが、まだ店は殆んど閉まっていたので、駅の待合室に引き返す。
テレビでは、朝からコロナ関係のニュースで溢れている。この時期に、こんな事してていいのかとも思うが、来てしまったものは仕方がない。今さら帰ったところで、何がどうなると云うワケではないだろう。

午前9時53分。
福井ゆき普通電車に乗る。

南今庄を過ぎ長いトンネルに入った。
突然、想念が過去へと向かって走り出す。
学生の頃、当時の彼女が福井県鯖江に帰省する時に、このトンネル(註2)が怖いとよく言ってた。トンネルを抜けるまでは、毎回とても不安で堪らなくなり、祈るような気持ちになるとも言ってた。実際、過去には大きな事故もあったとも言ってた。
その時の彼女の姿が紗が掛かったように朧気に浮かび、その声や口振りが聞こえたような気がした。

真冬に彼女の実家に行くときに初めてこのトンネルを通ったが、確かに彼女の言う通りだった。人を不安にするに充分な長さだった。10分くらいはトンネルの中を走り続けていた。
そしてトンネルを抜けると、目の前がパッと開け、光を照り返す眩ゆい雪景色が広がった。その時、違う国へと来たんだと実感したんだっけ…。
その後、何度かこのトンネルを通っているが、やはり落ち着かない気持ちに襲われた。トンネルも又、人を不安にさせる。

 

 
午前10時過ぎ、目的地の今庄駅に着いた。
さあ、ノスタルジーとはおさらばして、気持ちを切り替えよう。虫捕りにノスタルジーは必要ない。

                         つづく

 

(註1)ギフチョウ

 
春にのみ現れるアゲハチョウの仲間。
「春の女神」とも呼ばれ、蝶愛好家の間では人気が高い。

 
(註2)このトンネル

北陸トンネルの事。福井県の敦賀市と南条郡南越前町に跨がる複線鉄道トンネル。北陸本線の敦賀〜南今庄駅間に位置し、木ノ芽峠の直下にある。総延長は13,870mもあり、1962年6月10日に開通した。
1972年(昭和47年)に山陽新幹線の六甲トンネルが完成するまでは日本最長のトンネルであった。なお、狭軌の陸上鉄道トンネルとしては2020年時点の今でも日本最長である。

1972年11月6日、北陸トンネルを通過中の急行「きたぐに」の食堂車で火災が発生し、30名の死者、729人もの負傷者を出した。この事故をきっかけに長大トンネル区間を想定した列車の空調、電源設備の安全性改善が進んだと言われている。
また、この事故の前の1969年12月にも北陸トンネルを通過中の寝台特急「日本海」の電源車から出火する事故があったが、運転士の判断で列車をトンネルから脱出させて消火したため死者は出なかった。(Wikipediaの記事からの編集)

 

深夜にキンキの刺身

 
箕面公園に春の三大蛾(註1)を探しに行ったおり、偶然カッちゃんに会った。
で、車で送ってもらう事になったのだが、あの男のオネエ言葉が伝染(うつ)ってワケわかんない変なノリになってまっただすよ。
そのせいなのか、ナゼか超怖がりやの二人が心霊スポットでもある妙見山の山頂に行くことになってしまった。もう或る意味ムチャクチャで、それはそれで面白かったのだが、二人の名誉を傷つけることになりかねないので今回は内容を割愛させて戴く。

で、結局大阪まで戻ってきたら、丑三つ刻の午前2時半になってまっただ。別れた後、ついその足で24時間営業のスーパーに寄ってみた。したら、高級魚キンキの刺身だけが唯一ポツンと売れ残っていた。
その売れ残り方が何だか不自然だった。そのスペースには刺身だけでなく切身とかも含めて他に一切の魚が無かったのだ。違和感を抱きつつ視線をもう一度キンキの刺身パックを戻したら、あれ⁉️と思った。位置がさっきと少し変わっているような気がしたのだ。目の錯覚か?…。まさかキンキの刺身が自らの意志で動くことなどあるまいて…(-_-;)

ここから「深夜に禁忌の刺身」と云う、深夜に絶対に食べてはいけない世にもオゾましい刺身の奇妙奇天烈な話が始まると思ったアナタ。

 
(ㆁωㆁ)ウソでぇーす❗

  
(≧▽≦)ハハハ、タイトルだけ見て今回は『深夜に禁忌の刺身』と云うホラーとか怪奇モノの話だと想像した人はゴメンナサイなのだ。但し、動いたと云うのだけが嘘で、他は一切ウソを吐(つ)いてはいない。時間も売れ残っている様も本当の事だった。

スマン、スマン。ここからマジメに本編を書きます。

そのキンキの刺身、しかも値段は340円と激安価格に値下げされていた。何故にキミのような器量良しが売れ残るのだ❓
たぶん一般ピーポーの大半は、この魚の美味さを知らないのであろう。高級魚で値段が高いと云うのもあろうが、思うに世の中、保守的な人が多いんだろね。そういえば、或る居酒屋の店主も言ってたなあ。耳馴れない名前の魚は、皆さんあまり注文しないって。どんな魚なのか尋ねる人さえ殆んどいないそうだ。
きっと、たのんで失敗するのがイヤなんだろね。
キミたちには好奇心とかチャレンジ精神と云うものが無いのかね❓ツマンナイ奴らだ。
とは言っても、無知で好奇心もチャレンジ精神もない人ばかりな御陰で、こうして旨い魚が安く手に入るのだから文句は言えまい。お願いだから、アンタたちゃ一生チマチマとそうしてなさい。

早速、皿に盛り付ける。

キンメダイと同じく、赤くて目が大きい。そして眼が澄んでいて、性格良さそうだ。キンメとキンキは魚業界では1、2位を争う正直者の良い奴に違いない。もし魚に生まれ変わったとしたら、キンキくんとキンメくんとは仲良くなりたいね。楽しいフイッシュ・ライフを送れそうだ。

因みに、世の中にはキンキとキンメダイを混同している人や同類と思ってる人が結構多いらしい。だが、2つは分類学的には仲間ではない。両者ともども深海魚ではあるが、キンキはカサゴ目カサゴ亜目フサカサゴ科(あるいはメバル科)に属するが、キンメダイはキンメダイ目キンメダイ科に属する。科レベルならまだしも「目(もく)」まで違うとあらば、相当縁戚関係は遠い。完全なる他人の空似だ。

 

 
先ずは塩とレモンとで食す。
噛んでるうちに奥から甘みと旨みが溢れ出してくる。

お次は醤油で。
コレはコレで醤油の旨みが加わって旨い。

しかしながら、魚体が小さいので期待を上回るものではなかった。キンキはデカイ方が断然旨いのである。

おっと、大事なことを書き忘れておった。
キンキと呼んでるけど、正式名称はキチジ(喜知次、吉次、黄血魚)です。
コレは漁獲高の多い北海道でキンキの名で広く流通しているからだろう。それが全国に伝播したと云うワケやね。謂わば、ノドグロと同じパターンだ。ノドグロも正式名称はアカムツなんだけど、漁獲高のある島根県とか北陸ではノドグロと呼ぶから、ソチラの方が有名になった。

キンキでちょっと驚いのは、その分布。駿河湾以北からオホーツク海、ベーリング海に見られ、日本海側には分布しないんだそうな。これは意外だった。ナゼに日本海にはいないんだろね❓ 蝶や蛾の話じゃないから、理由は掘り下げないけどさ。一般ピーポーにアホと思われるのは構わないが、虫屋にアホと思われるのは許せないのだ。

主に深海200~500mに生息し、そこで海老類を中心にエサを食ってはるそうだ。魚体が赤いのは、この海老に含まれるアスタキサンチンという色素によるものである。天然の真鯛が赤いのも海老を食ってるからだと言われちょります。海老を食ってる魚介類は美味いのだ。納得だよ。

旬は秋から冬とされるが、夏場に食っても遜色はさほど感じない。つまりは通年に渡って美味なる魚だと言えよう。

捨てるのも勿体ないので、頭は火を入れることにした。
煮付けにするか、酒蒸しにするか迷ったが、煮付けを選択。

 

 
甘ったるくはしたくなかったので、砂糖は入れずに出汁と酒のみで上品に仕上げて、木の芽を飾って完成。

w(°o°)wハッ❗
一口食って、今更ながらに思い出す。
キンキは刺し身よか、火を入れた方が圧倒的に美味い❗❗
脂は乗っているのだが、マグロの脂のようにベタベタといつまでも口に残らなくて、スッと消える。しつこくないのだ。謂わば、キレのいい上品な脂なのだ。刺し身なんぞで喜んでた己の愚かさに臍(ほぞ)を噛む。
返す返すもキンしゃぶ、すなわちキンキしゃぶしゃぶにすべきであった。深夜にて、脳ミソが回っていなかったとはいえ、断腸の思いだ。

ふと思う。
それにしても、深夜にこんな事でブツブツ言ってるワシって、何なんだ❓どうみても変人だな…。何だか自分でも笑えてきたよ。
たぶん、変な人カッちゃんのせいだ。
そうゆうことにしておこう。

                        おしまい

 
追伸
とはいえ、カッちゃんのお陰で、安くキンメが食えたのだ。変態さんに感謝なのだ。

この文章は、ちょっと前にバアーッと一気に書いたもので、記事をアップするのを忘れてた。日付を確認すると、4月4日になっていた。
世間のコロナ騒動振りに、何となくお蔵入りにしようかと思ったが、せっかく書いたことだしアップすることにした。

 
(註1)春の三大蛾
オオシモフリスズメ、エゾヨツメ、イボタガのこと。
拙ブログに『2017年 春の三大蛾祭』と『2018年 春の三大蛾祭』と題したシリーズ連載文があります。宜しければソチラも読んで下され。そっちはホンマのホラー仕立てになっておりまする。特に2017年版の方ね。

 
【オオシモフリスズメ】

(2018.4月 兵庫県宝塚市武田尾)

 
もう形からして禍々しい。オマケにデカイわ、脚に鋭い棘と云う凶器を持ち合わせている。尻を持ち上げる威嚇姿もオドロオドロしい。しかも鳴きよる。でも、慣れたらあまりにも邪悪を具現化しているのに鈍臭いので、段々可愛くなってくる。

 
【エゾヨツメ】

(2018.4月 大阪府箕面市)

 
春の蛾のマドンナだろう。
フォルムも優美だが、何といっても深淵のブルーアイズが美しい。

 
【イボタガ】

(2018.4月 兵庫県宝塚市武田尾)

 
その唯一無二の洒落たデザインには感服する。自然の造形物の中で、これほど洗練されたものはそうはないだろう。