あおはる1day trip その弐(前編)

 

『お城とおでんとお菊さん』前編

 
2時50分前に彦根駅に着いた。
長浜・敦賀方面に行くか、それとも醒ヶ井・岐阜方面へ行くかは中に入ってから気分で決めよう。青春18切符なら、どっちへ行こうが自由だ。
あっ、でも考えてみれば、別に彦根で決めなくともいいや。そっち方面に行くならば、乗り換える米原まで行ってからでもまだ変更は可能だ。ひと駅だが都会と違って駅間は長い。それだけあれば考える時間には充分だろう。

 

 
でもこの電光掲示板を見て考えを変えた。
そうだ、姫路へ行こっ\(^o^)/
久し振りに姫路城を見るのだ。そういえば大かがりな改修工事が終えてからの姫路城をまだ見ていない。
おーし、テーマは決まった。本日は城攻めじゃあ~❗彦根城に続き天下の名城 姫路城をも攻め落とすのじゃ❗
ここで、だったら長浜城に行けばいいじゃんと訝る向きもおられよう。だが、悪いがあんなものは城とは言わん❗
なぜならば、現在の天守は30年か40年前に犬山城や伏見城をモデルとして模擬復元されたものなのだ。豊臣秀吉が最初に手にした歴史的由緒ある城ではあるが、でっかい模型には用がないのじゃ❗

それにしても、この新快速というのはスゴいな。始発は米原だろうから、そこから姫路まで乗り換え無しで一発で行けちゃうんだもんな。米原から姫路って相当離れてるぞ。しかも停まる駅はかなり少ないから、特急とかに乗ってるのと変わらん。あの長野や岐阜のクソ遅い、しかも滅多に来ない電車と比べたら、考えられんくらいに素晴らしい存在だ。長野や岐阜の人には申し訳ないけど、都会に生まれ育ったことにつくづく感謝するよ。移動においての時短を都会人の方が圧倒的に享受してるってことだ。ここで田舎と高齢者ドライバーについての話に怒濤の如く入ってゆきそうになるが、やめておこう。長くなるし、それについてはまた別で話す機会もあろう。

それにしても、今度は姫路とは大返しもいいところだ。完全に導線を無視している。しかし予定は未定であって、しばしば変更なのだ。それが旅の醍醐味ってもんだ。スケジュール有りきの旅行とは、そこが決定的に違う。旅と旅行とは似て非なるものなのだ。この話も語り始めたら長くなるので、やめておこう。電車だけに今回は脱線はあきまへん(笑)
しまった、おやじギャグがつい浮かんでしまった。止せばいいのに浮かんだら言ってしまうのがオヤジなのさ。誰にも止められやしない超特急\(^o^)/
あっ、またやっちまった。( ̄∇ ̄*)ゞ失礼しやしたー。

長野みたいにクーラーがたる~い温度ではなく、キンキンに冷えてて快適だったので、車内でいつの間にか爆睡。気がつけば大阪の高槻付近だった。

大阪駅で時間を確認したら、米原から所要時間約1時間15分だった。歩いたら、何日かかんねんである。昔の人は大変だったねー。でも道中は昔の人の方が楽しかったかもなあ…。効率化が進むことが、イコール幸せではない。

尼崎で、一瞬またしても予定を変更しそうになった。乗り換えて、宝塚で有名な玉子サンド食って、それから更に奥の丹波とか篠山まで行ったろかいと思ったのである。だが、何とか踏み堪えた。帰りのことを考えれば、早いし、電車の本数もある東海道線(山陽本線)の方が選択肢は広まる。

明石駅で又しても誘惑に駆られる。
明石で寿司食って、明石焼きでフィナーレなんてのも有りだ。城だって天守閣こそ無いが、明石城跡ってのがある。でもなあ、明石は今年の初夏に行ったし、行くにしても姫路の後だろう。

 

 
4時15分くらいに姫路駅に到着した。彦根から2時間ちょっととは恐れ入る。恐るべし新快速。

ホームを歩いてて、思い出した。

 

 
そういや姫路といえば「えきそば」である。
日本一の立ち食いそば屋と称されることもある名店だ。久し振りに食べたくなってきた。まだお腹は空いてないのに、誘(いざな)われるようにふらふらと券売機の前へ行き、食券を買い、中へと入る。

 

 
中は典型的な立ち食いそば屋である。
狭い店内はサラリーマンとおぼしきオジサンや近所のオバサンっぽい人、若い兄ちゃんでゴッタ返している。残念ながらピチピチの女子高生はいない。

セルフで水を入れ、食券を厨房内のオジサンに渡したら、何と4秒で出てきた。(゜д゜)どんだけ早いねん。驚き、半笑いになる。えきそば、恐るべし。

 

 
きつねと迷ったが、えきそばといえば天ぷらそばである。こういう場合は王道を外してはならない。経験上、変化球的なものを頼むと失敗する確率が高いと知っているのだ。

ここで、姫路名物「えきそば」を知らない人もいると思われるので、軽くレクチャーしておこう。
簡単に言うと、和風だしにかんすい入りの中華麺という、有りそうで無い禁断の組み合わせの立ち食いそばなのだ。

先ずは軽く汁をすする。
間違いない。ちょっと甘めの和風だしである。万人受けする優しい味だ。人気の秘密はその辺にもあるのだろう。
続いて麺をすする。これまた間違いない、紛れもなく中華麺だ。これがミスマッチかと思いきや、違和感をさほど感じない。全然イケてるのである。
七味を軽く振り、お次は天ぷらを少し囓じってから麺をすする。
この天ぷらがいい。豪華なものではないが、だし汁や麺にモノごっつ合うのである。食べ進めるうちに天ぷらの油が汁に溶け、味が僅かづつ変化してゆくのもいい。

旨かったっす。でも麺類って、けっこう腹に溜まる。
昼飯を食べ過ぎたかもしんない。調子乗って、そば湯を飲み過ぎたのも効いてる。

改札を出て、観光案内所へ行く。
地図を貰うためだ。そこで姫路城までの所要時間を尋ねたら、オバサンにもう姫路城は4時に閉まりましたよと言われる。そんなに早かったっけ❓
でも、そんな事に動じるワタシではない。姫路には来たことがあるから知っている。姫路城は城内に入らずとも城の姿はよく見えるのだ。それに元より入るつもりもなかった。中は知ってるし、見学してる時間が勿体ないと思っていたからだ。

駅正面に出ると、大通りの奥に姫路城が見えた。

 

 
スマホの画像だから小さくしか写っていないけど、肉眼だと、もっと近くにハッキリと見える。姫路城はデカイのだ。

大通りを避け、みゆき通り商店街を北に向かって歩く。先程えきそばを食ったばかりだけど、晩飯を食う場所を物色しながら姫路城を目指そうというワケだ。

城は近くに見えたけど、案外遠い。15分程かかって漸く門に辿り着く。

 

 
大手門をくぐり左に曲がると、直ぐ正面に城が見えた。

 

 
彦根城とは違い、スケールがデカイ。幾つかの天守が組合わされたその姿は勇壮だ。
しかし、威圧感はない。白鷺城とも言われるだけあって、白くて優美なのだ。さすがは世界遺産。コレこそがキャッスルと呼びたくなる。ヨーロッパの名だたる城にも全然負けてない。
でも、惜しむらくは改修工事が完全には終わっていないことだ。手前の櫓がまだ工事中のようである。

先ずは正面左へと回る。

 

 
こっちに城内への入口がある。
思い出した。ここから城を眺めながら近づいてゆくアプローチは素晴らしいの一言に尽きる。早めに来てたら、やっぱ入城してただろう。もし、姫路城に行く機会があったのなら、中にも入ることを強くお薦めする。金を払って入る価値は十二分にある。

姫路城の天守は、江戸時代のままの姿で現在まで残っている12の天守の一つで、その中でも最大の規模を誇っている。世界遺産だけでなく、もちろん国宝である。

今度は右手に回る。

 

 
コチラの方が外から城に近づける。
それにしてもデカイ。高さは石垣が14.85m、大天守が31.5mなので、合計すると約45mにもなる。
見上げる城の、この圧倒的存在感に心を動かされない者などいないだろう。スマホで撮った写真ではそれが全然伝わらなさそうなのがもどかしい。実際はデーン❗と感じで城がダイナミックに迫ってくるのだ。

 

 
傾きかけた陽が、雲に映えて美しい。シルエットの姫路城も悪かない。
気がつけば、辺りには誰もいなくなっていた。暫く静かに城と対峙する。次第に心がゆるりとほどけてゆくのがわかる。わざわざ姫路まで来て良かったよ。

城を出て、広場で煙草を吸う。
そこにレリーフというか説明書きみたいなものがあった。

 

 
揚羽蝶の家紋は我が家系のものでもある。自然と目がいく。
そういや姫路城の城主といえば池田輝政と云うことを失念していたよ。その池田家の家紋がアゲハチョウなのである。姫路城は関ヶ原の戦いの後に城主となった輝政によって今日見られるような大規模な城郭へと拡張されたんだったね。
ところで、小さい頃から揚羽の家紋は平家の流れだと聞かされてきたけど、あれってホントかね?(註1)

その横に、もう一つ説明書きがあった。

 

 
ジャコウアゲハが姫路市の市蝶なんだそうな。
それは知らなかったが、姫路城とジャコウアゲハの話は聞いたことがある。
説明書きを原文そのままに書き移そう。

「姫路城の城主、池田輝政の家紋が揚羽蝶であることや、この蝶の蛹が姫路地方に伝わる幽霊伝説の”お菊”に似ており”お菊虫”と呼ばれていることから麝香揚羽が市の蝶に指定された。」

「”」の使い方に違和感があるが、まあいいだろう。これ以上ゴチャゴチャ言うのは時間の無駄だ。そんな事よりも、この文だけでは説明不充分なので補足しておこう。
ジャコウアゲハが「お菊虫」と言われるのには、もっと深いワケがある。有名な怪談の皿屋敷(さらやしき)が関係しており、ひいては話は東海道四谷怪談にも通ずるのだ。少し長くなりそうだが、出来るだけかいつまんで説明しよう。

怪談 皿屋敷とは、数多くの異聞がある怪談話の総称である。お菊の亡霊が井戸で夜な夜な「いちま~い、にま~い… 」と皿を数えるアレである。で、特に有名なのが、播州姫路が舞台の『播州皿屋敷』と江戸は番町が舞台の『番町皿屋敷』。この二つがよく知られており、映画や歌舞伎、浄瑠璃、文学等々多くの原作になっている。
実際あった話が下敷きとされ、播州もの『播州皿屋敷実録』では戦国時代の出来事だとされるが、史実としてそこまでは遡れないようだ。

異説はあるが、物語の内容は大体こうだ。
『姫路城第九代城主 小寺則職の代(永正16年(1519年)~)、家臣であり城代の要職に就く青山鉄山が主家の乗っ取りを企てていた。これを忠臣 衣笠元信が察知、自分の妾だったお菊という女性を鉄山の家の女中として送り込み、鉄山の謀略を探らせた。そして、元信は鉄山が増位山の花見の席で主家を毒殺しようとしていることを突き止める。元信は花見の席に切り込んで則職を救出、家島に隠れさせる。
乗っ取りに失敗した鉄山は家中に密告者がいたと睨み、家来の町坪弾四郎にその者を探すよう命じた。程なく弾四郎は密告者がお菊であったことを突き止める。以前からお菊に惚れていた弾四郎はこれを好機としてお菊を脅し、妾になれと言い寄る。だが、お菊に拒まれてしまう。それを逆恨みした弾四郎は、お菊が管理を任されていた10枚揃わないと意味のない家宝の毒消しの皿「こもがえの具足皿」のうちの一枚をわざと隠す。そして皿が紛失した責任をお菊になし付ける。お菊は縄で後ろ手に縛られ、松(柳という説も有り)の木に吊るされて激しく折檻される。そして、ついには責め殺されて古井戸に捨てられた。以来、その井戸から夜な夜なお菊が皿を数える声が聞こえたという。
その後、元信らによって鉄山一味は討たれ、姫路城は無事に則職の元に返った。
後に則職はお菊の事を聞き及び、その死を哀れんで姫路城の南西に位置する十二所神社の中に「お菊大明神」として祀ったと言い伝えられている。』

 
【伊藤晴雨「番町皿屋敷」】
(出展『東京銀座ぎゃらりぃ秋華洞』)

 
因みに、この時にお菊が投げ込まれたとされる井戸が「お菊井戸」として現在も姫路城内に存在する。この井戸がいつから存在するのかはハッキリしない。
城外との秘密の連絡経路になっていたため、誰も近づかないように怪談の噂を広めたという説もあるようだが、これも定かではないようだ。過去に本格的な調査をしようとしたこともあったようだが、不気味な空気が流れて中止したという記録があるともいう。
Σ( ̄ロ ̄lll)ゾゾゾッ。

それから約三百年経った寛政7年(1795年)、城下に奇妙な形をした虫が大量発生した。これがまさしく赤い口紅をつけた「お菊さん」が後ろ手に縛られた姿に似ていた。そのことから、お菊さんの祟りだと大騒ぎになった。人々はお菊さんがその身を虫の姿に変えて帰ってきたのだと思ったのである。それ以来、その虫のことを「お菊虫」と呼ぶようになったという。
新たな「お菊伝説」の誕生である。

今では、この虫はジャコウアゲハの蛹ではないかと考えられている。
暁鐘成の『雲錦随筆』では、お菊虫が「まさしく女が後手にくくりつけられたる形態なり」と形容し、その正体は「蛹(よう」であるとし、さらには精緻な挿絵も添えられていたからだ。

 
【ジャコウアゲハの蛹】
(出展『じいさんの日記』)

(出展『あまけろの尼崎ネタ』)

(出展『大阪市とその周辺の蝶』)

 
お菊さんが後ろ手に縛られ、拷問の痛みに体をよじっているようにも見える。色が肌色というのも人間っぽくて、妙に艶かしい。蠱惑的でさえある。縛られて折檻される女性の姿には、倒錯の美がある。エロチックなのだ。何かもう、この蛹が情念の塊みたいに見えてきたよ。

続いて、斜め横から。

 
(出展『昆虫漂流記』)

 
言われてみれば、確かに頭部のオレンジ色の紋が口紅に見えてくる。或いは痛みに堪えかねて、強く唇を噛んで血に染まった様に見えなくもない。

そして、正面からの画。

 
(出展『大阪市とその周辺の蝶』)

 
段々、形が女性の凹凸のある体に見えてくるから不思議である。
この異形とも言えるフォルムもさることながら、日本ではこういう朱色紋が入るアゲハの蛹はない。庭木のミカンやカラタチ、サンショウなどにつく、当時見慣れたであろう他のアゲハチョウたちの蛹とは見た目が明らかに違う。見慣れない蛹だけに、見た人にはインパクト大だ。そういうところも背景としてお菊さんになぞらえやすかったのだろう。もしこれら全部をひっくるめて、この虫は「お菊さん」みたいだと他人に話せば、刷り込まれて誰もがそう見えてくるだろう。そうなると伝播は早い。そして、その見慣れぬものが大発生したとあらば、伝播は爆発的に広がる。因みに、ジャコウアゲハは蛹化時に食草から離れ、壁などの人工物で蛹になることが多い。だから必然、とっても目立つことを付け加えておこう。そんなのが壁一面にバアーッとくっ付いていたとしたら、もうそれは怨念の世界だよね。

以上のような因縁があった事から、ジャコウアゲハが姫路市の市蝶に指定されたようだ。
市には「ジャコウアゲハが飛び交う姫路連絡協議会」なる組織があり、その中には「ジャコウアゲハ倶楽部」と云う市民活動の会もあり、ジャコウアゲハサミットやスケッチ大会、フォトコンテストなどのイヴェントも開催されているようだ。

ついでだから、より理解を深めてもらうためにジャコウアゲハのことをもう少し詳しく説明しておこう。

 
【Byasa alcinous 麝香揚羽(ジャコウアゲハ)♀】

 
春から夏にかけて現れ、年3~4回発生する。成虫は午前8時頃から午後5時頃まで活動する。
決して珍しくはないが、何処にでもいてそうで意外と何処にでもいない蝶である。
分布は石垣島・沖縄地方から本州北部と広い。沖縄地方では離島間で特化が進み、各亜種に分類される。

(裏面)
(三点とも 2018.4.22 大阪市淀川河川敷)

 
画像は何れも♀である。
メスは明るい褐色なのに対し、オスは黒色でビロードのような光沢がある。
♂の画像は撮っていないので、他からお借りしよう。

 
(出展『しょうちゃんの雑記蝶』)

 
これは赤紋が発達する八重山諸島の亜種(ssp.bradanus)のようだ。

 
(裏面)
(出展『蝶一日』)

 
ジャコウアゲハの名前は、オスが腹端から麝香のような匂いを発することに由来する。成分はフェニルアセトアルデヒドで、香りは「蜂蜜のよう」「甘い」「バラの香り」「ヒヤシンスの香り」「みずみずしい」「草の香り」などと表現される。ジャコウはん、どこまで妖艶要素そろえとんねん(°Д°)

蛹だけでなく、蝶になった成虫の姿もエロチックだ。
頭や体の横側に赤色が配され、毒々しくも妖艶である。赤はお菊さんの怒りを具現化した紅蓮の🔥炎だ。騒動の時に、蛹からこの蝶が一斉に羽化して舞ったのなら、当時の人々は更に驚いて、それこそ黄泉の国から甦った「お菊さん」の化身と思ったやもしれない。その光景はちょっとした幻想夢物語だ。

飛翔はゆるやかで、飛ぶ様は中々に優雅である。そういえば「山女郎」という別名もあったな。女郎とはこれまた妖艶ではないか。女郎に身をやつした「お菊さん」なのだ。どこまでも不幸だねぇ~。
でもそれだけではない。その優雅な飛び方にも理由があって、それが更なる妖艶さを一層際立たせている。
幼虫の餌となる植物はウマノスズクサといい、この草には毒がある。幼虫はその毒を体内に溜め込み、鳥などの天敵から身を守っていると言われている。成虫になってもその毒を体内に持ち続ける事から、やはり鳥に忌避されて襲われない。飛翔がゆるやかなのは、敵に襲われないがゆえの余裕のよっちゃんなのだ。エロティシズムだだ漏れの美しき毒婦には、誰も近づけないのさ。

 
城を振り返る。
目を閉じると、姫路城とその城下を無数の麝香揚羽が飛び交っている光景が浮かんだ。やがて、蝶たちはスローモーションになって、ゆっくりと天に舞い上がっていった。

                    つづく

 
追伸
サクサク終わらせるつもりが、皿屋敷とジャコウアゲハの話になって大脱線してしまった。ゆえに前編と後編に分けざるおえなくなったんだよね。「電車なだけに脱線はあきまへん。」なんぞと云うオヤジギャグをカマしておきながらの大脱線とは世話ないよ(笑)。
タイトルが変なのもそのせい。皿屋敷とジャコウアゲハについて詳しく書く予定は無かったので、最初のタイトルは『お城とおでん』だったのだ。そこに「お菊さん」をつけ加えたってワケ。でも、それなら『お城とお菊さんとおでん』とすべきだよね。それはそうなんだけど、何かそれでは音感がよろしくない。と云うワケで、そのままにしておいた。それに、お城に続いてお菊さんとくれば、頭のいい人ならば、はは~ん、皿屋敷とジャコウアゲハの話だなと気づく。それを防ぐというのもあった。たとえ気づいたとしても順番が変なので、少なくとも攪乱することくらいは出来ると考えたのだ。

余談だが、『東海道四谷怪談』のお岩さんと『皿屋敷』のお菊さんは混同されることが多い。だが、お菊さんは顔半面が爛れていないし、お岩さんは皿を数えない。井戸とも関係がない。なのに、その二つがミックスされて記憶されている方も多いだろう。実際、自分もそうだった。
これは昔、『8時だよ、全員集合』などのドリフ(ドリフターズ)のコントで、志村けんが顔面にお岩さんみたいな瘤を付けて、井戸の側で「いちま~い、にま~い…、一枚たりな~い」とやったからだと言われている。
納得である。子供なんだから、そりゃセットで刷り込まれるわな。

 
(註1)揚羽の家紋は平家の流れだと聞かされてきたけど、あれってホントかね?

ホントです。
ことに平清盛の流れをくむ者が蝶の紋を多用したので、後世に蝶が平家の代表紋になったようだ。しかし、その美しさゆえ他の家も多く用いられている。公家の西洞院、平松、交野の諸氏や戦国時代・江戸時代に祖先を平氏と標榜する家は殆んどが家紋を蝶柄としている。また、清和源氏の流れの中川、池田、逸見、窪田の諸氏、宇多源氏の建部、間宮、喜多村の諸氏、他にも藤原氏を流れとする諸家、平氏の子孫と称した織田氏も木瓜紋と共に蝶紋を使用していた。
たぶん本当は平家とは全然関係ない田舎の豪族の末裔や百姓あがりだとしても、先祖は平家だと名乗るのが流行りだったんだろね。ようするに、平家とその家紋は一種のブランドだったのだろう。

 

あおはる1day trip その壱

   『お城とデジタル蛾』

 
青春18切符が1回分残っている。
昔の彼女とぶらりと何処かへ行く予定だったが、ドタキャンを喰らったのだ。それも酷い形で。昔の男なんてものは女性にとって所詮は過去の遺物で、身分カーストからすれば底辺の存在なのだ。男にとって過去の甘い思い出は大切でも、女にとっては記憶のガラクタにすぎない。男たちは過去に思いを馳せ、女たちは未来を見ているのだ。
男は往々にして歴史好きだけど、女はあまり歴史に興味がないのは、きっとそのせいだろう。

まあどうあれ、切符は使わなくては勿体ない。
だが、どう活用して何処へ行くかを考えあぐねているうちに期限の9月10日になった。
こうなるともう、大の字。何も考えずに心の赴くままに任せてしまおう。その場その場、その時の気分で行く場所を決めればいい。出たとこ勝負の行き当たりばったりなのが旅というものだ。旅と旅行は違うと思う。普段もそれに近いものがあるけれど、それは殆んどが虫捕りだ。たまには本当にあてどのないワンデイ・トリップも悪かない。

先ずは大阪駅まで行き、そこで東へ行くか西へ行くかを決めよう。でも、この青春18切符で長野県白馬方面と岐阜県飛騨高山方面に行ったから、正直もう東にはウンザリだ。西は赤穂辺りまで行って、久し振りに日本一美味いとも言われる『さくらぐみ』のピザでも食おうか…。
とにかく今日は、腹がハチ切れんばかりにパンパンになるまで各地の美味いもんを食って食って食いまくってやる。

Σ(-∀-;)ハッ、でも痛恨の二度寝(-.-)Zzz・・💤
慌てて用意して何とか9時前に家を出た。
(×_×;)もう何だか先が思いやられるよ。

 

 
しかしJR難波駅に行くも、大和路線で何かあったみたいで、電車が止まっている。スタートから前途多難である。
(=`ェ´=)クソがっ❗、あのアマが全部悪い。

遅れは心配するほどでもなく、5分ほどで動いた。
しかし、乗換駅の新今宮駅でも大和路線のダイヤの乱れのせいで環状線が遅延していた。
(=`ェ´=)クソがっ❗、全部あのアマのせいだ。

ここでも10分程待って何とか電車に乗ることができた。

 

 
はあ~い\(^_^)/
午前11時13分。ナゼか東の彦根駅に到着。
おいおい、東やないケー。もうムチャクチャ言うてた事とちゃうやんかというツッコミが入りそうだが、コレにはそれなりのワケがある。
何でこないな事になったのかと云うと、大阪駅で突然神の啓示の如く彦根城に行こうと思い立ったのである。
実を云うと、何度も電車の車窓から彦根城は見ているものの、近くまでは一度も行ったことがない。今年の信州方面への計4度の行き帰りでも毎回その事が心のどこかで引っ掛かっていた。つまり、その思いが突然噴き出しちやったのだ。
それに鮎を食いたいというのもあった。店の名前は忘れたけど、彦根城下に鮎料理の専門店があることを思い出したのだ。
オイちゃん、無類の鮎好きなのに今年は殆んど食ってないんである。どうしても美味い鮎の塩焼きが食いたーい\(^o^)/
以上、ってなワケなのさ。

先ずは観光案内所に行き、地図とグルメガイドをゲットする。現地でその場で得る情報は大事だ。この先どうするかに大きく関わってくる。優れた男は、アバウトにして緻密なのさ(* ̄∇ ̄)ノ
一応、オバサンにお薦めの店を訊く。しかし、今日は火曜日で夢京橋キャッスルロードのお店は殆んどが休みだと聞かされる。どうやらそこに食べ物屋が集中しているらしい。
嫌な予感がした。そこに鮎の店もあったような気がする。
ガイドブックで確認したら、やはり怖れたとおりに目的の店『あゆの店きむら』はその何たらロードにあり、定休日になっていた。
また、コケた。これもあれも全ては、あのアマのせいじゃ(=`ェ´=)❗そう云う事にしておこう。
クソッ、今度アユおごれや( ̄ヘ ̄メ)

又しても躓くが、まあこれも行き当たりばったりの愉しさだと取ろう。予定は未定であってしばしば変更。何があるかワカラナイ方が旅は面白くなるというものだ。

 

 
駅前に銅像があった。
「桜田門外の変」の井伊直弼❓
でも上下(かみしも)じゃなくて、武将の格好だから違うな。だいち直弼は世間的には悪役にされてるからなあ…。
近づいてみると、井伊直政とあった。
なるほどね。直政といえば徳川四天王の一人である。徳川十六神将、徳川三傑にも数えられ、家康の天下取りを支えた功臣として知られている。しかもたいそう美男だったそうな。けど性格がキツくて嫌な奴だったみたい。皆に好かれてたら、もっと有名になってた筈だもんね。

 

 
10分ほど歩いて中堀に辿り着く。
中々ええ感じのロケーションだ。堀って、何だか落ち着く。
しかし、城よりも先ずはメシだ。早めに食っとかないと、この先、食間のインターバルが短くなる。間がタイトになればなるほど、食べまくるにはキツい。

歩く道すがら、グルメガイドで次の店の候補をいくつかピックアップした。

 

 
『献上伊吹蕎麦 つる亀庵』。
あまり聞いたことがない伊吹そばと云うのが気になった。江戸の町で評判だった蕎麦で、井伊家から将軍家への献上品だったそうな。この店がその蕎麦を復活させた店だというのに惹かれた。古(いにしえ)の歴史あるモノは旅情を掻き立ててくれる必須アイテムなのだ。ロマンチストさんは、そういうの大好物なりよ。
もう一軒気になる店があるから、そちらも見てから決めようと思ったが、店前の「びわ鱒の漬け丼」の幟が目に入った。それが有無を言わさぬ決定打となった。ビワマスは食べた事がないから、かねてから是非食べてみたいと思っていたのだ。
ビワマスとは琵琶湖に棲む鱒のことで、アマゴ(ヤマメ)の海降型亜種である。海降型というのは本来陸封型のアマゴが川を下って栄養たっぷりの海で育ち、サケみたくデッカクなったものだ。東日本のサクラマス、長良川に代表される西日本のサツキマスが有名だが、琵琶湖でも一部のアマゴが琵琶湖に下り、デッカクなる。それが幻とも言われる稀少なビワマスと云うワケなのさ。

 

 
店内は結構お洒落。
蕎麦付きの『びわ鱒漬け丼セット』をオーダーする。
お値段は¥1750(税別)と、ちとお高いが天下のビワマス様だ。この程度の金額は致し方あるまい。
でも後でミニびわ鱒漬け丼¥480ってのを見つけた。それと、もり蕎麦¥750を頼めばよかったかなあと軽く後悔する。

 

 
そば茶と、お茶うけの蕎麦の揚げたのが出てきた。
そば茶は香りが良くて結構好きだ。蕎麦の揚げたのは珠に見掛けるが、どってことない代物だ。しょっぱくもない甘くもないどっちつかずの野郎で、食べると正直な話し軽くイラッとくる。こんなもん、蕎麦崇拝主義者しか有り難がらんわ、ボケッ(=`ェ´=)

 

 
テーブルに三種類もの七味が並んでいた。
どれも見たことがある有名な七味だ。

 

 
へぇー、コヤツらが日本三大七味なのね。
左から東京は浅草寺の「やげん堀」、京都・清水寺の「七味家本舗」、長野・善光寺の「八幡屋磯五郎」。
それぞれどこかで何かにかけた記憶があるけれど、特にどうのという味の記憶はない。七味なんてウドンにかけてしまえば、純粋な味なんぞワカランのだ。
ヒマだし、試しに手のひらに振りかけて味見してみた。

(・。・;あっ、それぞれ全然違うや。
その違いに驚くが、相手がいないので心の中でキャッキャッする。
やげん堀は黒胡麻が効いていて香ばしい。七味家本舗は京都だから山椒の味が強い。善光寺のものは解説通りに一番辛い。しかも唐辛子の辛さがいつまでも舌に残る。そっかあ…。こりゃ料理により適した七味があって然りだね。勉強なりましたわ。

一人で妙にテンションが上がり始めたところで、御膳が運ばれてきた。

 

 
奥から琵琶湖三大珍味。右手に蕎麦、左手にびわ鱒漬け丼。これに味噌汁とそば湯がつく。

 

 
左から滋賀名物の赤コンニャク、モロコの佃煮、川海老と豆の佃煮である。
赤コンニャクは歯応えがあると言われるが、言うほどではない。モロコは焼いて食うと珍味だが、佃煮にしてしまえば、上品とはいえ所詮は佃煮だ。川海老と豆の佃煮は滋賀ではよく見かけるが、食べた事が殆んどない。
感想としては思った以上に良い組み合わせだが、膝を叩いて唸るほどのものではない。「あっ、こういう味なんだ。好きな人はきっと好きなんだろなー。」とは思う、そんなようなもんだす。

 

 
さて、蕎麦だ。
取り敢えず、ごく一部にちょい塩を振ってそのまま食べてみる。
うむ、香りはそこそこ良い。

お次に塩➕山葵でいってみる。
(-_-)…。山葵がクソだ。コレは本ワサビを擦ったものではなく、ホースラディッシュとかを混ぜ合わせた紛いものだろう。ワサビ本来の香りも味もしない人工的な味がする。(#`皿´)偽物めがっ❗、世の中の大半のワサビは信用ならんわい。

そして、ワサビ抜きでつけ汁につけてすする。
あっ、(^o^)美味い。コシがあって喉越しもいい。決して強くはないが、香りも鼻からいい具合に抜ける。
伊吹蕎麦って、期待してた以上に美味いぞ。長野の上田で行列に並んでまで食った蕎麦よりも百倍は美味いわい。
蕎麦って、ウドンよりもクオリティーの落差が激しいんだよなあ。そのわりには割高だったりするから腹が立つことが多い。何か蕎麦は通っぽい世界でカッコつけてる感じだしさ。時々、鼻につく。
どうあれ、美味い。嗚呼、レギュラーサイズのもり蕎麦とミニびわ鱒漬け丼にすれは良かったかなあ…。

そして、いよいよ琵琶鱒漬け丼である。

 

 
見た目はサーモンみたいに鮮やかなオレンジ色ではない。どちらかと云うと、くすんだようなピンク色だ。
感じ的にはサーモンというよりも鮭的。もっといえば、時鮭(時知らず)の刺身に近い。

期待をもって頬張る。
( ☆∀☆)うみゃい。味は脂は乗っているのだが、サーモンみたくシツコクない。脂の抜けがいいのだ。味的には時鮭に近い気がする。
でも御飯の量とのバランスが悪い。御飯の量に対してヅケの量が少ないのだ。やはり蕎麦➕ミニ漬け丼が正解だったかも。日々、勉強である。

味噌汁飲んで蕎麦湯も飲んだら、腹パンパンになった。この先、バカみたいに食べまくる自信が早くも崩れ落ちそうじゃよ。

 

 
赤松かなあ❓大木が奥まで続いている。
思わず、カバフキシタバはいないかと幹を凝視する。
虫屋の悲しい性だ。何だって虫とリンクさせて考えてしまう。

看板を見ると、いろは松と呼ばれているみたいだ。これは、かつてはいろはの文字数と同じ47本の松が並んでいたからだそうだ。土佐から持ってこられた松で、根が地上に出ないから人馬の往来の妨げにならないとということで植えられたという。確かに根がゴツゴツしていない。

 

 
佐和口多聞櫓。
青空と白壁のコントラストが目に眩しい。

表御門跡・馬屋の横で木のベンチに座ろうとしたら、その上で何かがピョンと跳んだ。で、ズズズイと動いた。目の錯覚かなと思い、暫く凝視する。
(・。・;何だこりゃ❗❓小さいがデジタルでカラフルな場違いなものじゃが、見たことあるような気もする。

 

 
更に一拍おいてから、ようやく思い至った。
コレって、ビロードハマキじゃね❓
だとしたら、蝶採りを始めた頃の2009年とかそれくらいの頃に生駒の枚岡で見た時以来の二度目の遭遇だ。
それにしても、インバクトのある蛾だなあ。伊藤若仲のデジタルな画を具現化させたようなデザインだ。こんなもんを世に落とせし神のデザインセンスには感服せざるおえんよ。

ベンチの上から毒瓶を被せる。
コレまた虫屋の性。目的が虫採りじゃなくとも虫捕り道具一式は持ってたりするのだ。コレは虫捕りという一種のビョーキだ。このビョーキに罹患すると、救いようのないバカになるのである。少なくとも世間一般的に見れば、およそ理解されない病理じゃろう。

 

 
んっ❓、どっちが頭なのじゃ❓
一瞬ワカンなくなるが、オレンジじゃない方が頭だ。思うに、コッチが頭だと鳥が勘違いして啄んだ隙に逃げるのじゃろう。
それにしても。一般ピーポーからすれば蛾とは思えないような謎の形だ。自分でも本当に蛾なのか自信が無くなってきて、確認のために裏返してみる。

 

 
やっぱ蛾だな。下翅がどんなんだろ?と思っていたが、おそらく蛾にしては綺麗なんじゃなかろうか❓

金800円也を支払って、城の核心部へと向かう坂道を登る。

 

 
やがて城郭が現れる。
石垣が、ええ感じだ。

 

 
登りきると、天秤櫓に続く橋が見えた。

 

 
美しい。見事なバランスだ。

 

 
橋の下から木組みをのぞむ。
機能美が芸術的なデザインを産む一つの証左だろう。

ぐるりと回り込み、橋の手前まで来た。
横に看板があり、ここでしか見られない植物の事が書かれてあった。

 

 
「オオトックリイチゴ」というんだとさ。
何だ、イチゴかよ(‘ε’*)
バラ科 キイチゴ属の一種で、彦根城以外では知られていない固有種のようだ。こんな狭いとこにスゴいやんと思ったが、自生の「ナワシロイチゴ」と中国・朝鮮半島原種の「トックリイチゴ」が自然交配したものらしい。なあ~んだ、雑種かよ(# ̄З ̄)

 

 
確かにイチゴの葉だわさ。
コレだけを食うチョウとかガの幼虫っていないのかなあ❓いたら、相当の稀種になるよね。
あっ(;・∀・)、また虫屋の性が何でも虫とくっつけて考えとるわい。

 

 
天秤櫓。

 

 
橋の真ん中で城下を見下ろす。
ちょっとだけ殿様気分~🎵

 

 
門をくぐる。
扉に歴史を感じる。築城は1604年に始まり、1622年に完成したそうな。四百年も前だ。そりゃ、歴史も感じる。扉は四百年前のモノじゃないとは思うけどさ。
あ~、この分厚い門扉に手裏剣投げてぇー。

 

 
道はジグザグに、各所で鋭角的に曲がって登ってゆく。
クソ暑い。汗がバカみたいに滴り落ち始める。気温はもう35℃を越えてるやもしれぬ。スーパー晴れ男も考えものじゃよ。

 

 
この造りは、ようするに戦(いくさ)の時の為だね。角の部分で敵兵が歩留まり、ごった返したところで、上の櫓から矢だの鉄砲の弾だのが雨あられと降り注ぐという寸法だ。攻める側からすれば、堪ったもんじゃありやせん。城というものは、そもそもが要塞だから、攻め手側の観点で天守閣を目指すと結構面白い。

漸く天守と御対面。
ひこにゃんもいる。

 

 
といっても、看板だけど。

 

 
モノホンのひこにゃん、そこいらに居ねえかなあ。
いたら、後ろから羽交い締めにするか、脇腹に一発蹴りを入れてやんのになあ。これ、マジで(笑)。

 

 
雲一つない青い空をバックに、たおやかに建っている。荒々しさは無く、むしろ優美でさえある。
天守は小さいが、変化のある破風が重なりあって美しい。さすが国宝じゃな。
これで国宝天守4つめだ。姫路城、松本城、犬山城は過去に行っているから、残りはあと松江城だけだな。

窓(花頭窓)が特徴的で、寺に見られるような粋な形だ。でも周囲を巡る廊下とか欄干が無いなあ。殿様ごっこが出来ねぇでねぇか。

中に入る。

 

 
物凄い急な階段だ。見た目は殆んど垂直。壁だ。
番をしている爺さんに訊いたら、62度もあると言う。

『こんなのお子ちゃまや爺さん、婆さんとか大丈夫なんですか❓登りはまだしも降りられますのん❓』

『時々、立往生しやはる人もおますな。そういう時は後ろ向きにか、座って一段、一段降りてもらいます。』

なるほどね。後ろ向きはまだしも座って降りるという発想は無かったわ。

 

 
意外と中の廊下は幅広い。

  

 
梁の木組みが面白い。
ぐにゃぐにゃ曲がってる木もある。

上から回廊に落ちる光が美しい。
日溜まりが耀いている。

 

 
窓から屋根をのぞむ。

 

 
詳しくはないが、屋根も個性的な気がする。

 

 
最上階まで昇ってきた。

 

 
琵琶湖が見えた。
この国も湖もワシのものじゃあ~Ψ( ̄∇ ̄)Ψ
暫し、殿様気分を満喫じゃよ。

降りて、西の丸に回る。

 

 
フォルムがいい。
裏から見た方が好きかもしんない。

そのまま西の丸、三重櫓、続櫓を経由して玄宮園へと廻るつもりだったが、通行止めになっていた。仕方なく来た道を戻り、玄宮園へ。

 

 
百日紅(さるすべり)には夏空がよく似合う。

 

 
玄宮園入口。

 

 
手前右側に見えるのは稲穂である。
最近になって復元されたようだ。五穀豊穣の祈願とかなのかな?

 

 
いわゆる池泉回遊式庭園というやつだね。

 

 
ここが一番のビューポイントかな。
木はカエデだから、秋深くには一層美しい姿になるだろう。

 
ここも美しい。

 

 
背後に天守閣が見える。
お月見にも良さそうなロケーションだ。

 

 
隣の楽々園。復元の途中のようだ。
ここも秋には美しいだろう。

彦根城って、中々ええやんか。結構、楽しめたよ。
それはさておき、今何時だろう?
確認したら、もう1時半である。1時には電車に乗ってる予定だったのに、あらあら知らぬ間に時間が経ってたのね。
さてさて、次は何処へ行きますか…。
長浜で久し振りに旨い親子丼を食ってもいいし、敦賀の気比の松原なんてのもある。もっと足を伸ばして若狭方面ってのも有りだ。小京都とも言われる小浜も捨てがたい。鯖街道の起点でサバを食うのだ。或いは福井まで行ってソースカツ丼とか越前蕎麦なんてのも悪かない。あっ、蕎麦は昼に食ったからもういいか。

候補をあれこれ考えながら駅へと続く道を歩く。
まあいい。行き先は、駅に着いてからその場の気分で決めよう。

 
                    つづく

 
追伸
写真を並べてサクッと終わらせるつもりが、ついつい文章を書いてしまい、長くなってしまった。
次回からは、もちっとサクサクいこう。

冒頭に青春18切符の画像を持って来るつもりだったのだが、なぜだか切符が見つからない。使い終わってるとはいえ、捨てた記憶は無いんだけどなあ…。
たぶん、神隠しだな。

 
 

なら瑠璃絵

 
先日、奈良公園へ「しあわせ回廊 なら瑠璃絵」を観に行ってきた。流行りの光のイルミネーションで、何回めかの開催みたいだけど、初めて来る。

午後6時前。日が沈み、夜の帳が降りた。
東大寺南大門を越えて、春日野へ。

光のアーケードを抜け、入口へ向かう。

 

 

 
入って正面。
青い世界が広がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
同じような画像だらけで申し訳ない。
どれも同じようなもんだからこそ、選べなかった。
で、面倒くさくなって全部載っけた。

 

 

 

 
恋人たち。
ワシならキスの一つもするところだ。
影絵のワシらを思う存分撮りなはれである。

人がいるということは、中にも入れるようだ。
但し有料で、ディナー付き観覧チケットを持っている人だけかもしれない。チラッと見たポスターには一万円ちょっとの数字があった。

 

 

 

 
光の回廊を通る。
通りは人だらけだったので、アーケード内の写真は撮らなかった。
とはいえ、思った程の人混みではなかった。苦痛度は、そんなに高くない。本当に人だらけだったのは、開場直後の正面入口だけだったかな。

 

 

 
イルミネーションが点滅するので、たまにピントが合わない。でも、それはそれで悪くない。

 

 

 
🐬イルカさんがいると云うことは、海を表しているんだね。

 

 

 
左手には白梅が咲いていた。
梅の花は、桜みたいに華やかではないが、凜とした美しさがあって好きだ。

  

 

 
「なばなの里」には及ばないが、思った以上に広くてキレイだった。青色好きだしね。
無料ゾーンでも充分楽しめたし、来年も来てもいいかな。
でも寒い。奈良と京都は盆地だからクソ寒いのだ。底冷えといった感じで、体の芯まで冷やっこくなる。
出掛ける人は、あったかい格好をしてゆきましょう。

そういえば二月堂の「お水取り」も、そろそろだ。
関西では、お水取りが終われば、春がやって来ると言われている。

春も近い。

 
                 おしまい

ススキと夕陽とキミへの想い

 
薄(すすき)は、見ていて飽きない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
穂が陽光を浴びて輝くのも美しいし、風に揺れる姿には心が和む。

でも、最近はあまり見掛けなくなった。
そういえば大阪市の公園管理局の人に聞いたことがある。葉を不用意に触ると子供が手を切るからという苦情がくるので、大阪の公園にはススキを植えないそうである。アホである。親もアホだが、それを簡単に受け入れる公園管理局もアホだ。最近はテレビにしろ何にしろ、こういう事ばかりだ。クレーマーはごく一部のおかしな人間なのに、それが人々の総意のようになってしまう。世の中、どんどんつまらなくなるよね。

 
新井孝雄さん程じゃないけど、空を見るのは好きだ。
中でも夕陽を見るのが好きで、日課にしていると言ってもいいくらいである。だから勝手に夕陽評論家を自負していたりなんかもする。人には黙ってるけどさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
刻々と移り変わりゆく風景は、ずっと眺めていられる。そして、一つとして同じ夕陽はない。全てが一期一会なのだ。時に凄まじいまでの美しい夕陽に出会うことがある。そんな時は、スペクタルと言ってもいいくらいにドラマチックな展開になるのだ。毎日、西の空に目を向けるのに飽きることなど無いだろう。

 
昔、誰かが言ってた。

『夕陽を見ている人に話しかけてはならない。
なぜなら、その人は夕陽の向こうにいる人と話しているから。』と。

 
                  おしまい

 
追伸
奈良県河合町にある馬見丘陵公園シリーズの第3弾にして、最終回です。

 

10月のよく晴れた日曜は…

 
10月のよく晴れた日曜の公園は、しあわせそのものだと思う。

 

 

 

 

 

 

 
空は高く、青い。
雲は白く、綿菓子みたい。
そして、その下で戯れる人々は、皆とても楽しそうだ。
友だち同士もいる。恋人たちもいる。もちろん家族連れもいる。その誰しもが、空気の澄んだ秋の晴天の一日を笑顔で過ごしている。

 

 
大学生たちがシャボン玉を吹いて写真を撮っていたので、自分も撮らせてもらった。

 

 
シャボン玉の背後にお母さんと小さな女の子が写っている。小さな女の子が一生懸命に歩いているのを、お母さんが心配そうに追いかけていた。その姿がとっても微笑ましかった。

 
冒頭の言葉は、20代の頃に読んだ村上春樹の小説に同じような言葉が書かれていて、それがモチーフになっている。
その一節を読んで以来、10月の天気の良い休日になると、この言葉を探して公園へ行く。
きっと多分、この先も10月のよく晴れた休日の公園を求めて、そんな場所へと出かけていくだろう。
家族を持たない者は、その幸せそうな姿を遠くから見て、少しばかりのおこぼれを貰って帰るのがささやかな慰めなのだ。

                 おしまい

 
追伸
場所は前回に引き続き奈良県河合町にある馬見丘陵公園です。

 

続々・難民、天王寺界隈を徘徊す。

動物園のあとは新世界へ。
姉さんがあまり来た事がないとおっしゃるので、御案内申し上げることにした。
いざ、ディープ大阪へ。

それにしても、新世界も随分と変わったものだ。
けっこう観光客も多いし、禍々(まがまが)しい雰囲気はかなり薄まっている。時代の流れを感じるよ。

そういえば、昔は天王寺側に動物園の入口ゲートは無く、新世界側にしか無かったんだよね。
あの時代の地下鉄動物園前駅から動物園入口までのアプローチは、子供心にもスリルがあった。今では考えられないくらいに治安が悪かったのだ。
靴を片っぽ履いてない爺さんとか、シャブ中らしき挙動不審のオッサンや兇眼のヤンキー兄ちゃん等々の一癖もふた癖もある人々が自由に闊歩されていたのだ…。あの肌がピリピリするくらいの緊張感は忘れ難い。

思い出したよ。中学生時代には新世界に行く時の標語があったワ。

『ちよっと待て。その一言が命取り』

これは、新世界を歩いている時に背後から声をかけられたら、後ろを振り返らずに全速力で走れという意味だ。声をかけられたら、だいたいは因縁つけられてシバかれるか、カツアゲにあうと云うのがお決まりの基本コース。
もうロクな事がないんである。待ってる猶予など無い。それこそ命取りなのだ。

新世界の奥の飛田新地や釜ケ崎(あいりん地区)とかは、もっとディープである。飛田新地はタイムスリップしたような遊廓地帯。釜ケ崎なんかは、それはそれは恐ろしくて背中の毛が逆立つところでしたなあ。
そういえば東京の友達(カメラマン)を案内した事があったけど、そいつはインドのカルカッタ(コルカタ)のスラム街なみやなと呟いてたっけ。世界の色んな危険地帯を旅してきた男が言うんだから、その緊迫度は言わずもがなである(最近はそうでもないらしいけど)。

でも、街には猥雑感と独特の温もりみたいなものもあって、決して新世界は嫌いじゃなかった。
一番大阪らしい街と言えば、新世界なのだ。でもって、日本もアジアなのだと実感できる数少ない場所でもある。何てたって、作家・群ようこの『アジアふむふむ紀行』の最終回は新世界なのだ。

昔ほどではないが、昭和の町の香りがまだまだ残っている。
射的場もあるし(最近復活した)、レトロな喫茶店や将棋・囲碁場もある。朝からやってる立ち呑み屋も昭和の猥雑そのままだ。

それらを姉さんにザッと御案内申し上げ、懐かしのスマートボール場に潜入する。

昔は祭りの夜店なんかによくあったよね。
店内は予想以上に盛況で、辛うじて2席を確保。

ルールは玉を穴に入れる単純なものだが、これがやり始めると真剣になる。
だが、姉さんにレクチャーするも、教えた本人があえなく撃沈。姉さんもソッコー撃沈。
何か腹立つし、これでは店に入った意味がない。全然、姉さんを楽しませられてないじゃないか。
で、姉さんにもうワンゲームさせて、フォローに専念する。

姉さん、スゴい❗
じゃんじゃん穴に入って、上からジャラジャラと白玉が出てきよった。興奮するね。こんだけ出まくりなのは初めてじゃないか❓
思わずプレーを中断させて、二人して玉の数を数える。参謀は冷静沈着なのだ。
いつも、そこそこ玉が貯まっていても景品に交換する事なく、調子ブッこいて結局は玉を全部浪費してスッカラカンになるのだ。毎回、結局は店の思う壺なのである。

おーっ( ☆∀☆)、玉は丁度100個あるじゃないか❗
こんな機会、初めてだ。姉さんに半ば強引にブツに交換する事を薦める。ギャンブルは引き際が肝腎。満足して帰って戴くには、これが最良の方法なのだ。

そして、姉さんが選んだのがコレ。

(出典『楽天』)

姉さんに画像を送って貰っていたのだが、時間が経ってて、LINEの画像が取り出せなくった。で、仕方なく楽天からパクらせてもらった。

限定デカぼんち揚げである。けっこう大きな箱だから、他人の戦利品であっても何だか嬉しい。
しかし、楽天のページを見て気づいた。勝手に箱の中には超巨大なぼんち揚げが1個でーんと入ってるとばかり思っていた。だが、どうやらそうではなくて、普通サイズのぼんち揚げが沢山入ってるだけみたい。なんか、夢がないのぉー。

(画像は別な日のもの)

夕暮れが始まった中、通天閣の足もとにある♨銭湯へと向かう。通の風呂好きは、ベタなスパワールドなんかには行かないのだ。

『新世界ラジウム温泉』。
こんなとこに銭湯がある事を知る人は少ない。ナビゲーターの面目躍如である。ここの銭湯は、露天風呂から通天閣がのぞめるのだ。体に紋々が入っているお方が複数いらっしやったが、最高だぜ。

風呂から上がると、すっかり日が暮れていた。
新しくリニューアルされた通天閣のイルミネーションが素敵だ。

取り敢えず、コンビニでビールを買う。

(σ≧▽≦)σぷしゅー、いやはや風呂あがりのビールの美味いこと、美味いこと(^o^)v

さあ、美味い寿司でも食おう。
さらば、天王寺界隈。
酒ばかボニー&クライドは、勇躍、恵美須町をミナミへ向かって歩き始めた。

                 おしまい

追伸
ようやくブログも99回まで来た。
連載100回を目指して頑張るじょー。

続・難民、天王寺界隈を徘徊す。

 
飯を食い終わったはいいが、この先の予定はまだ未定だ。

だが、長年色んなとこを一人で歩き回ってきたし、女の子とデートもいっぱいしてきたのだ。おじさん、年の功の引き出しくらいは何ぼでも持っているのだ。

で、超久し振りに天王寺動物園へ。
姉さんの同意も簡単に得た。女性は基本的に動物好きなのだ。

11月の気持ちよく晴れた日曜だ。流石に列に並ぶ家族連れも多い。
でもそれは幸せそのものの光景でもある。子供たちにとっては、この並ぶと云う行為もワクワク感を盛り上げる重要な要素になってくれるだろう。思い出には、多少の障壁も必要なのだ。

動物園は好きだ。
学生時代は、よく授業をサボって一人で冬の動物園に訪れたものだ。
何故か夏の動物園より冬の動物園の方が好きだった。
寒風の下、健気に生きている動物たちの姿がどこか心を穏やかにさせたのだろう。それに、人が少ない動物園は何となくうらぶれた風情があるってのも好きだった。

入口から坂道を下ると、コアラ館だった。
しかし、コアラどこー❓
ようやくユーカリの木にしがみつく1頭を発見。
1頭だけかよ❓しかも、寝とるー(T-T)
それにしても、この立派な施設にコアラが1頭だけって…さみし過ぎるぞ。昔は、もっとコアラっていなかったっけ❓
ここで微かな記憶が甦る。そういえば天王寺動物園がコアラの飼育をやめると云うニュースを聞いたことがあるような気がする。なんでもエサ代がかかるらしい。そんなにユーカリって高いのん❓それにコアラは繁殖させるのが難しいらしい。
コアラ、そのうちいなくなっちゃうんだ…。
一人ぼっちというのも何だか気の毒だよね。仕方ないか…。

コアラといえば思い出した。
そういえばオースラリアのアドレードに芝居の公演に行った時だった。たまたま休演日があって、先輩女優の人たちに連れられて動物園に行った事がある。
その時にコアラを抱かせて貰ったんだっ❗
まず思ったのは、爪、痛っ❗だった。コアラって思ってた以上に爪か鋭どいんでやんすよ。
そりゃ、木にしがみつかなきゃなんないんだから当たり前っちゃ、当たり前なんだけどね。

でっ、抱いたら、コアラの毛ふわっふわっ(о´∀`о)
でも中の体本体はガリッガリッで物凄くビックリした覚えがある。ユーカリって、やっぱ栄養があんま無いんだ。コアラって、だいたい食ってるか寝てるらしいんだけど納得だよ。沢山食わなきゃ栄養が足んないし、カロリー消費を抑える為に寝てばっかなんだろな。生存競争の中で、辛うじて生き残ってるって感じだ。
あと、ほとんど動かないから、ぬいぐるみ感が半端ない。何だか生き物感が希薄なのだ。
コアラ的人生も辛いもんがあるね。

アシカ臭え。ペンギン臭え。フラミンゴ臭え。
わおっ(;゜∀゜)!
虎、間近で見るとめっちゃデカイやん❗❗

この上の三行がFacebookに書いた短い一文。
これだけで1話分を稼ぐつもりだったし、成立しない事もないと思うのだが、そういうワケにもいかない。取り敢えず、この一文は気に入ってるし、この三行を生かせないかなと思ったら、えらく長くなった。
長くなったついでに、あとを続けよう。

ゴリラ。
昔は『糞を投げるので、気をつけてください』と云う看板があった事を不意に思い出す。
マジで💩ウンコを投げてるのも見た事がある。ゴリラもストレス溜まってたんだろね。森の人なのに、森なんか何処にも無いのだ。

白クマ。
壁に向かって首をフリフリしながら進み、壁の前まで来たら後ろ向きに首フリフリで後ずさり。
これを延々と繰り返しておられた。

『🎵壁が~あったら進めない。バックもでけるで、ヨットコイ、ヨットコイ後ずさり。』

最初はアテレコでセリフを入れたりして笑ってたんだけど、これって、もうストレス溜まり過ぎのノイローゼなんじゃないの❓と心配になってきたよ。
因みに、あとで知ったんだけど、この白クマさんは「イッちゃん」という名前があって人気もんらしい。ファンがつくった写真集まであるという。
『アイドルはノイローゼの白クマ』。このタイトルで映画とか撮れないかね?

そういえば、よく地球温暖化のCMで、北極の氷が溶けかけてて白クマの生存が危ぶまれてると宣伝してるけど、アレって疑問だよなあ…。
夏場になると必ず、氷をもらって大ハシャギの白クマさんのニュースがTVで流れるよね。あれ見て思うんだよ。「白クマ、真夏の日本でも全然生きてるやん!」と。北極の白クマも南下すれば生きてけるんちゃうん❓ヒグマとの血で血を洗う抗争が勃発するかもしんないけどさ。もしくは仲良くなってハイブリット化、パンパカパーン( ^-^)ノ∠※。.:*:・’°☆、新たなる種の誕生❗
等々問題が無いとは言えないけど、白クマを都合よくプロパガンダに使ってんじゃないのー?とも思う。
まあ、自然保護問題とかあまり首をツッ込まないようにしよっと。結局、人間が地球の癌なんだから。

マレー熊。
昔から見てて、何だかイラッとくる。
落ち着きないし、ブサいくだからだ。
あー、そういえば昔、コイツさあ自分の💩ウンコを食ってたぞーΣ( ̄ロ ̄lll)

キーウィ。
夜行性の飛べない鳥。フルーツのキーウィは、このキーウィが語源です。
昔は『キーウィは、いま眠ってます』と札が掛かってて、ついぞその姿は見られなかった。だから、キーウィには特別な思い入れみたいなものがある。
それが今は赤外線仕様になってて、ちゃんと見られる世の中になった。でも全てが赤っぽく見えるから、何だかなあ…と思う。こんなんじゃ、まだ札が掛かってた方がいい。その方が、まだしも想像力を掻き立ててくれる気がするんだけどね。そんな展示動物があってもいいじゃないか…。

(>_<)アシカ臭え。ペンギン臭え、フラミンゴ臭え。
ついでに見なかったけど、カワウソも臭え。
魚を食う動物は、みんな生臭いのだよ、アミーゴ。
因みに、いなくなってたけどタヌキが魚も食わないのに激臭いです。ケダモノ臭が半端ないのだ。

トラ。

わおっ(゜〇゜;)❗
トラ、間近で見るとめっちゃデカイやん❗❗
多分、って事はシベリアトラだな。トラはベンガルトラとかマレートラとか幾つかの亜種に分かれるが、シベリアトラが一番デカイ。一部の生き物は寒い所や分布の端っこで巨大化する傾向があるのだ。

それにしても、美しい。
もし、「動物の中で最も美しいと思う動物は何ですか?」と尋ねられたら、迷うことなくトラと即答するだろう。
同時に最も好きな動物でもある。
美しくて強い。そして群れないというのは憧れだよね。

よく晴れた日曜の動物園は素敵だ。
そこには、家族の幸せの総意みたいなものが溢れている。

                   つづく
 
追伸
徘徊はまだ続きます。

そういえば若い頃に『キーウィのはなし』と云う短編小説を書いたことがあったっけ…。
誰かに渡した筈だけど、あれって何処いっちやったんだろね。