ススキと夕陽とキミへの想い

 
薄(すすき)は、見ていて飽きない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
穂が陽光を浴びて輝くのも美しいし、風に揺れる姿には心が和む。

でも、最近はあまり見掛けなくなった。
そういえば大阪市の公園管理局の人に聞いたことがある。葉を不用意に触ると子供が手を切るからという苦情がくるので、大阪の公園にはススキを植えないそうである。アホである。親もアホだが、それを簡単に受け入れる公園管理局もアホだ。最近はテレビにしろ何にしろ、こういう事ばかりだ。クレーマーはごく一部のおかしな人間なのに、それが人々の総意のようになってしまう。世の中、どんどんつまらなくなるよね。

 
新井孝雄さん程じゃないけど、空を見るのは好きだ。
中でも夕陽を見るのが好きで、日課にしていると言ってもいいくらいである。だから勝手に夕陽評論家を自負していたりなんかもする。人には黙ってるけどさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
刻々と移り変わりゆく風景は、ずっと眺めていられる。そして、一つとして同じ夕陽はない。全てが一期一会なのだ。時に凄まじいまでの美しい夕陽に出会うことがある。そんな時は、スペクタルと言ってもいいくらいにドラマチックな展開になるのだ。毎日、西の空に目を向けるのに飽きることなど無いだろう。

 
昔、誰かが言ってた。

『夕陽を見ている人に話しかけてはならない。
なぜなら、その人は夕陽の向こうにいる人と話しているから。』と。

 
                  おしまい

 
追伸
奈良県河合町にある馬見丘陵公園シリーズの第3弾にして、最終回です。

 

10月のよく晴れた日曜は…

 
10月のよく晴れた日曜の公園は、しあわせそのものだと思う。

 

 

 

 

 

 

 
空は高く、青い。
雲は白く、綿菓子みたい。
そして、その下で戯れる人々は、皆とても楽しそうだ。
友だち同士もいる。恋人たちもいる。もちろん家族連れもいる。その誰しもが、空気の澄んだ秋の晴天の一日を笑顔で過ごしている。

 

 
大学生たちがシャボン玉を吹いて写真を撮っていたので、自分も撮らせてもらった。

 

 
シャボン玉の背後にお母さんと小さな女の子が写っている。小さな女の子が一生懸命に歩いているのを、お母さんが心配そうに追いかけていた。その姿がとっても微笑ましかった。

 
冒頭の言葉は、20代の頃に読んだ村上春樹の小説に同じような言葉が書かれていて、それがモチーフになっている。
その一節を読んで以来、10月の天気の良い休日になると、この言葉を探して公園へ行く。
きっと多分、この先も10月のよく晴れた休日の公園を求めて、そんな場所へと出かけていくだろう。
家族を持たない者は、その幸せそうな姿を遠くから見て、少しばかりのおこぼれを貰って帰るのがささやかな慰めなのだ。

                 おしまい

 
追伸
場所は前回に引き続き奈良県河合町にある馬見丘陵公園です。