ゼフィルスなんて、どうでもいい

  
ゆえあってカトカラの連載がひと月ほど書けないので(註1)、キアゲハの回で力尽きていた『台湾の蝶』の連載を再開させる気になった。
再開するに辺り、何をテーマにするかを考えた。
あまり地味過ぎるのも何だし、ここは一発、勢いづけに派手な奴から始めよう。そう考えた。で、今まで一度も取り上げてこなかったゼフィルス(ミドリシジミ類)にしようかなと思った。綺麗だし、とても人気のあるグループだから、再開の第1回目には相応しい。謂わば、再開に花を添えるような存在だと思ったからだ。
因みに、ゼフィルス(Zephyrus)とは「西風」もしくは「西風の妖精」という意味である。

だが、画像を探してるうちに、ワケわかんなくなってきた。整理してなくてグッチャグッチャに並んでるのだ。
これって、何だっけ❓

 

 
エサキミドリシジミ(Chrysozephyrus esakii)❓
でも、よくよく見れば、どうやらただのミドリシジミ(Neozephyrus japonicus)のようだ。
念の為に展翅した日付から野外写真を探すと、間違いなくミドリシジミであることが判明した。

 
(2018.5.27 京都市)

 
スマン。情けないが、ミドリシジミの類って、いまだに同定に自信がないのだ。
正直、ハヤシミドリシジミとヒロオビミドリシジミ、エゾミドリシジミ、ジョウザンミドリシジミの♂を並べられて、『ハイ、どれがどれでしょう❓』と尋ねられたら、すぐにテキパキとは答えられないと思う。ジッと見て考えてからでないと、正しい答えは導き出せないだろう。
♂はまだ何とかなる。♀なんか正しく答えられるかどうか、まるで自信がない。
ゼフィルス好きの人からみれば、ダッせー、アホちゃうかと言われそうだが、蝶屋にしてはゼフ(こう略称するのが通例)なんてどうでもいいと思っているのである。

蝶好きの間の中で最も人気のあるグループといえば、ギフチョウとこのゼフが双璧ではないかと思う。

 
【ギフチョウ】

 
シーズンになると、皆さんゼフの仲間を嬉々として採りに行くし、冬場は卵探しに余念がない。完品の標本を得る為に卵から飼育するのだ。蝶の中で最も飼育されているのがゼフィルスではないかと思う。それくらい人気があるのである。
でも、自分は正直、熱量が低い。宝石のように美しいし、可憐だとは思う。だから嫌いじゃない。寧ろ好きだ。けれど日本産ゼフィルス全種を採ってからは、急速に興味を失った。
正直、採っててあまり楽しくないのである。
ゼフィルスの成虫採りといえば、それぞれの♂が縄張り行動(占有活動)をする時間帯に行って採ると云うのが基本である。これが嫌いだ。だいたいが木の高い所で飛び回るから長竿が必要になってくる。最低でも7mくらいはないと勝負にならない。中には10m以上を持つ猛者もいる。自分のような非力なものは、これを振り回すのがしんどい。シャープに振れないのも苛つく。一閃💥電光石火の如く振り抜きたい性質(たち)なのだ。また、たとえ振り回せたところで、しなるからそれを計算して網を振らなければならない。これが難しい。
それに目線は上になる。下から見ると人の目は距離感が狂うようだ。そのままの視覚で網を振ると、大概は手前を振ってしまうのだ。中には蝶が枝先に止まっているのに、とんでもない手前を振っている輩もいる。つまり、これまた修正、計算しなくてはならないのである。
そして、最も嫌いなのが上をずっと見てるから首が痛くなることだ。自分のような細くて美しい流麗な首を持つものには(笑)、これが誠にもって辛い。

あっ、もっと嫌いなことがあるわ。
ゼフィルスはテリトリーを張る時間帯があって、主にその時間帯に採集するという事を既に述べた。じゃあ、それ以外の時間はどうやって採るのかというと、「叩き出し」と言われる手法が使われる。これはどんな方法なのかというと、網で木の枝先を叩きまくって、驚いて飛び立たせるという戦術だ。やがて蝶はどこかに止まるから、位置を確認して採るのである。
しかし、これが儘ならない。飛び立った蝶が思い通りの場所に止まってくれるとは限らないのである。更に上、網の届かない所に行ってしまう場合も多いし、見失ってしまうケースも多々ある。それに叩けば幾らでも飛ぶというものではない。叩いた回数に対して、蝶が飛ぶ回数は圧倒的に少ない。ダメな時は、どんだけ叩いても全く飛ばないなんてことはよくあるのだ。
夏のクソ暑い、しかも一番湿気の多い時期に上を向き、首の痛みと腕の痛みに耐えてひたすら叩くのである。その頑張りに与えられる対価は極めて低い。殆んど罰ゲームの域である。
これを自分は「労働」と呼んでいる。囚人の無益な労働だ。そこにはクリエイティブなものは無い。自分の好きな採集スタイルではないのだ。

でもなあ…、今年は結局一度もゼフ採りに行かなかったんだよなあ。そうなると何だか淋しい。
あの美しい輝きは何にも変えがたいのだ。『森の宝石』と言われるだけのことはある。
来年は「労働」を厭(いと)わず、会いに行こう。

  
                    おしまい

 
追伸
この文章は7月に書き始めて、途中で投げ出したものである。こんなこと書くと、ゼフィリストに無茶苦茶罵られるのではないかと思ったのである。もとより好んでワザワザ揉め事を起こしたくはない。
しかし、折角書いたのに破棄するのも勿体ないと考え直した。と云うワケで加筆して完成させたのが、この文章である。
ゼフィリストの皆さん、怒らないでネ。

 
(註1)ゆえあってカトカラの連載がひと月ほど書けないので

カトカラのニュー、マホロバキシタバを発見しちゃったので、「月刊むし」に発表されるまでは書けなくなった。連載の次作はカバフキシタバだったのだが、マホロバの発見にカバフが深く関わっていたのである。カバフの事を書くとならば、どうしても場所に触れなければならない。そうなると勘のいい人ならば、マホロバの産地を特定できる可能性が出てくる。まさかそんな事はあるまいとは思ったが、それを見つけて先に記載される可能性が無いとはいえない、との事で、関係者の間で箝口令が敷かれていたのだ。
因みに、月刊むしの10月号は無事に発行され、記載も完了した。一方、カバフの回の方も書き終えることができた。拙ブログに『2018′ カトカラ元年』と題して書いた連載の第5話とその続篇に、その辺のことは書いてあるから御興味のある方は読まれたし。