ささやんの唐揚げ

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大国町(註1)に前から気になっている唐揚げ屋がある。
住宅街の一角にひっそりとあるのだが、いつも閉まっていて、どう見ても入口は民家なのだ。で、不連続な開店日が手書きで書いてある。こういう店とゆうのは気になる。嗅覚が動くのである。勘では当たりなんじゃないかと思った。この旨い店を見つけると云う嗅覚には些(いささ)か自信がある。あまり外した事はない。

たまたま前を通ったその日は、民家の入口に貼り紙があった。

『今日は16時に開けます。』

と、その貼り紙には書いてあった。
時計を見ると午後3時半前である。いつ前を通っても、その日は営業日ではなかったのでコレは流れが漸く来たなと思った。時間を潰すために近くにあるスーパー玉出で買い物をすることにした。
その時に買ったのが、前回の天然ムール貝である。

買い物を終えて店に向かうが、縁が無さそうなので開いてるのかどうか、ちょい不安だった。
人と同じで店にも縁というものがある。いつ行ってもナゼか閉まってるとか(最悪の場合、臨時休業なんて事もある)、お目当ての食べたいものは売り切れちゃったとかと云うことは往々にしてあることなのだ。

4時5分過ぎに店に到着したら、ちゃんと開いていた。

 

 
右側のメニューの下を見て戴きたい。
下が普通の民家の玄関しょ。左側も同じサッシだから、閉まっていたら民家感がスゴくあるのが解ってもらえるかと思う。

 

 
既に二人のオッチャンが並んでいた。
どう見ても初めて買いに来たという雰囲気ではない。
たぶん、ここの唐揚げの虜になったオッチャンたちだ。こんな住宅街でもコアなオッチャンファンがいるなら、嗅覚に間違いはないと思った。
とはいえ、ハズしてマズかったら嫌なのでモモ肉の唐揚げを4個だけ買うことにした。

  

 
でも4個で320円。8個だと540円である。
8個の方がコスト的にはお得だ。それに揚げてる時の感じが絶対に旨いという確信になりつつある。
思わず4個追加の8個にしてもらった。
因みに右側のボードが不規則な営業日である。でも、昔に見た時よりも営業日が多い。前に見た時は月の半分程度しか営業していなかったような気がする。

10分ほど待たされたから、揚がった直後に堪らず1個だけ食わしてもらう。
Σ(゜Д゜)ワオッ、1個がデカイ。そして歯を入れるとカリッとした食感の直後に、中から熱々ジューシーな肉汁が噴き出してきた。ワシ好みの片栗粉多めで揚げたカリッふわの唐揚げである。
こんチキショーめ、今すぐ🍺生ビールをゴクゴクいきてぇー(≧∀≦)❗
ぴゅうーε=ε=┏(・_・)┛、途中でビールを買って、ソッコー帰る。

 

 
見よ、この盛りを。無理矢理入れてる感がいいねぇ。
これで540円は、マジ安いよなあ。

 

 
(≧∀≦)きゅー、ビールをグビグビいきながら食うと、ヘラヘラ笑いになるよ。
ここの唐揚げが素晴らしいのは、冷えても旨いところである。仕上げに岩塩を振り掛けてるからかな? 関係ないか…。関係ないな。とにかく揚げたては勿論のこと、冷めてもあまり固くならずで旨いのだ。
唐揚げフリークおじさんとしては、また行くことは決定的だな。書いてて、マジまた食いたくなってきたよ。あっ、でも今日は休みやん(*ToT)

                    おしまい

 
追伸
あとで、一応ネットで検索したら出てこなかった。
何だか嬉しい。偶然とはいえ、自分で見つけた店という実感があるからだ。
昨今は「ぐるなび」を始め、ネット情報が横溢している。それに対して常々疑問感を持っていた。何か、そういうので得た情報って面白くないのである。誰かに踊らされてるような気がしてならない。全く知らない他人の情報をアテにしている自分にどこか忸怩たる思いがある。
「ネットで調べた店に行きましたー。まあまあ旨かったでーす」って、どこか味気ないのである。なぜなら、そこにはスリルもカタルシスもないからである。攻めてないと云うか、安全策の予定調和な気がしてならない。本来、当日の店選びとは自分の経験と勘をフル稼働して選択する知的ゲームなのだ。リスクがあってこそ、カタルシスがあるのである。便利性は全く否定しないが、簡単に手に入る情報はつまらない。そこには見つけるという喜びがないからだ。

昔、ユーラシア大陸をバイクで横断していた時は、毎日が勝負だった。まだスマホなんぞ無い時代だったから、毎回知らない町で食いもん屋を探すのは大変だったし、常にギャンブルだった。店選びを間違えるとガッカリ感が半端ない。特に晩飯どきは真剣勝負だった。その日一日を気持ち良く終えれるかどうかは晩飯の正否にかかっているのである。
最初は失敗続きだった。相棒との意見にも相違が多かった。しかし、時間の経過と共に相棒との意見も一致してきて、次第にハズさなくなった。店探しの謂わば嗅覚みたいなものが鋭くなる。人は必要とあらば進化するのだ。
旨い店と云うのは店構えに何か旨おまっせと云う雰囲気がある。店主の心みたいなものが反映されているような気がするのである。あとは活気を感じるかどうかだ。たとえまだ早い時間で客が少なくとも、活気のある店は何となくわかる。入って暫くしたら、あっという間に満席になることも多い。勿論、既に人が入っていて活気がある店なら間違いない。旨いこと確実だ。但し、ゴッタ返している店は注意が必要。待たされたり、オーダーのトラブルが多かったりして気分良く飯が食えなかったりするのだ。

思い出というのは、食に左右されるところが多分にある。ましてや長い旅だと、自然と食うことが唯一の楽しみになっていったりするのだ。結局は美しい景色よりも、食いもんがその日一日の良し悪しを決めてしまうところはある。
とはいえ、不味い食いもんであっても相方がいれば、過ぎてしまえば楽しい思い出になったりするんだけどもね。

 
(註1)大国町
大阪市浪速区大国町

 

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投稿者:

cho-baka

元役者でダイビングインストラクターであり、バーテンダー。 蝶と美食をこよなく愛する男。

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