青春18切符oneday-trip春 第一章(1)

 
第1話 ノスタルジック・トレイン

 
一回くらいはギフチョウ(註1)を採りに行こうと、金券ショップで青春18切符を探した。
しかし、コロナウィルス騒動の影響か何処も5回分や4回分のチケットばかりだった。それくらいチケットが動いていないのだろう。
6軒目にダメ元で1回分のものはないかと尋ねてみたら、4回分のものを2回分の料金で売ってもいいと持ちかけられた。売れてないから、店としては少しでも金を回収しようと云う苦渋の判断をしたってワケだ。正直、たとえお得でも4回分も要らないと思った。けれど、ふと思い直した。昔の彼女にタダでいいから行こうと誘えばいいじゃないか。最近、無理な頼み事をした事だし、少しは恩返しできるかもしれない。そう考えて買うことにした。値段は5千円くらいだった。

 
2020年 4月3日

早朝、午前5時48分。JR難波駅を出発。
新今宮で環状線に乗り換え、大阪駅へ。
満開の桜が、白み始めた朝の光に仄かに浮かび上がっている。

6時18分発の米原ゆき新快速に乗り換える。
生駒山から朝日が登ってきた。そういえば、こんな時間に女性を生駒方面に車で送ったことがあったな。あの時と同じような日の出だ。
先物取引の会社に勤めていて、とても足が綺麗な女性だった。顔は加藤登紀子だったけど…。

沿線は至る所で桜が満開になっていた。
この時期、満開の桜を見ると必ず「桜の樹の下には屍体が埋まっている。」という梶井基次郎の短編小説の一節を思い出す。
あんなに美しいのは死体を養分としているに違いない。それが人を不安にさせると云うお話だ。
たしかに桜の美しさには、どこか狂気じみた匂いを感じる。狂ったように咲く様は時に凄惨であり、凶々(まがまが)しさと通底しているような気がする。満開の桜には人を惑わせ、狂わせるものがあるのかもしれない。
そういえば満開の桜の下、好きになってはいけない人に告白したことがあったな…。

米原で、敦賀ゆきに乗り換える。
電車は、やがて長浜駅に近づいてゆく。長浜には何度か女性とデートに来たことがある。長浜城に行ったこと、黒壁スクエアでガラス食器作りを体験したこと、有名な親子丼を食ったことが思い返される。その彼女たちも、今では結婚したり、子供を産んでいたりしているのだろう。心に軽い後悔と痛みが走る。

木ノ本駅。ここには古戦場として有名な賤ヶ岳の麓に宿があり、当時の彼女と泊まったことがある。五右衛門風呂で有名な宿で、観音開きのドアのクラシック・カーで送迎してくれたっけ…。新米が美味かったから、たぶん秋だったのだろう。そうだ、宿の前には秋の稲穂がどこまでも続いていて、緩やかな風に揺れていた。

8時40分に敦賀に到着。
しかし、やっちまった。ろくに時刻表を見ずに来たものだから、スタック。福井方面への乗り継ぎ電車まで、あと1時間もある。ギフチョウが飛び始めるのは9時くらいだから、致命的なミスである。1時間以上は出遅れることになる。
まあ悔いたところで、どうにかなるワケでもない。それに、どうしてもギフチョウを採りたいという気分でもない。福井県のギフチョウは何回も採っているのだ。杣山型も特に採りたいとは思っていない。

時間つぶしに駅の外に出る。青春18切符の良いところは、乗り降りが自由な事だ。ただ、ぼおーっと駅で待つのは退屈なだけでなく、間抜けな感じがして耐えられないところがあるから助かる。

先ずは観光案内所に寄って地図を貰い、色々と訊く。
帰りにまた敦賀で降車せねばならない。重要なミッションがあるからだ。

 

 
有名な気比神宮以外にも赤レンガ倉庫とかもあって、結構見所がある。

駅前に大魔神みたいな銅像が建っていた。

 

 
すわっ!大魔神かと心踊ったが、顔があんなに憤怒の形相ではない。だいち片手を上げていて、何だかフランクだ。

 

(出典『紀行歴史遊学』)

 
退屈だし、調べてみることにする。

この銅像は、都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)という朝鮮の人らしい。日本書記には、崇神天皇の時代に角の生えた人物が船で此の地を訪れたと書かれており、その彼が渡来した場所ということで、角鹿(つのが)となり、やがて敦賀(つるが)となったという由来説があるそうだ。

少し歩いてみたが、まだ店は殆んど閉まっていたので、駅の待合室に引き返す。
テレビでは、朝からコロナ関係のニュースで溢れている。この時期に、こんな事してていいのかとも思うが、来てしまったものは仕方がない。今さら帰ったところで、何がどうなると云うワケではないだろう。

午前9時53分。
福井ゆき普通電車に乗る。

南今庄を過ぎ長いトンネルに入った。
突然、想念が過去へと向かって走り出す。
学生の頃、当時の彼女が福井県鯖江に帰省する時に、このトンネル(註2)が怖いとよく言ってた。トンネルを抜けるまでは、毎回とても不安で堪らなくなり、祈るような気持ちになるとも言ってた。実際、過去には大きな事故もあったとも言ってた。
その時の彼女の姿が紗が掛かったように朧気に浮かび、その声や口振りが聞こえたような気がした。

真冬に彼女の実家に行くときに初めてこのトンネルを通ったが、確かに彼女の言う通りだった。人を不安にするに充分な長さだった。10分くらいはトンネルの中を走り続けていた。
そしてトンネルを抜けると、目の前がパッと開け、光を照り返す眩ゆい雪景色が広がった。その時、違う国へと来たんだと実感したんだっけ…。
その後、何度かこのトンネルを通っているが、やはり落ち着かない気持ちに襲われた。トンネルも又、人を不安にさせる。

 

 
午前10時過ぎ、目的地の今庄駅に着いた。
さあ、ノスタルジーとはおさらばして、気持ちを切り替えよう。虫捕りにノスタルジーは必要ない。

                         つづく

 

(註1)ギフチョウ

 
春にのみ現れるアゲハチョウの仲間。
「春の女神」とも呼ばれ、蝶愛好家の間では人気が高い。

 
(註2)このトンネル

北陸トンネルの事。福井県の敦賀市と南条郡南越前町に跨がる複線鉄道トンネル。北陸本線の敦賀〜南今庄駅間に位置し、木ノ芽峠の直下にある。総延長は13,870mもあり、1962年6月10日に開通した。
1972年(昭和47年)に山陽新幹線の六甲トンネルが完成するまでは日本最長のトンネルであった。なお、狭軌の陸上鉄道トンネルとしては2020年時点の今でも日本最長である。

1972年11月6日、北陸トンネルを通過中の急行「きたぐに」の食堂車で火災が発生し、30名の死者、729人もの負傷者を出した。この事故をきっかけに長大トンネル区間を想定した列車の空調、電源設備の安全性改善が進んだと言われている。
また、この事故の前の1969年12月にも北陸トンネルを通過中の寝台特急「日本海」の電源車から出火する事故があったが、運転士の判断で列車をトンネルから脱出させて消火したため死者は出なかった。(Wikipediaの記事からの編集)