青春18切符oneday-trip春 第一章(5)

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 第5話 みんな一人ぼっち


思いのほか変な名前の店探しに没頭してしまった。
店の開店時間である午後5時を少しだけ過ぎてから入店するつもりが、時刻はもう5時半になろうとしている。
暮れ始めた町をやや早足で歩く。店の場所は午前中に駅の観光案内所で教えてもらっていたし、この町に入った時に早々と確認済みだ。

 

ここを訪れるのは、たぶん20年くらい振りである。

『千束そば』と書いて、ちぐさそばと読む。
おかげで店の名前が頭の中で長い間ずっと定まらなかった。みんなは「ちぐさそば」と呼んでいたような気がするが、看板の字は「千草そば」では無かった筈だと云う記憶がある。だから店名が脳内で「千何とかかんとかそば」で宙に浮いたままだった。名前に自信が無くて、オマケにいつも車で行っていたから敦賀とだけしかわからず、その店が敦賀のどの辺りに位置するかも分からなかったのだ。敦賀といっても広い。駅を経由したこともないし、住宅街みたいなところにあったゆえ、駅から近いのか離れているのかさえもまるで見当がつかなかった。お手上げである。
ここで一言つけ加えておくと、昔はスマホなんぞ普及していなかったから、今みたくお手軽に検索なんて出来なかった時代だったことを御理解戴きたい。
そう云うワケで行きたくとも行けず、いつしか記憶の隅へと追いやられていった。

今朝、敦賀駅に降り立った時に、その店の記憶が突然甦った。 そこの天とじ丼が死ぬほど美味かったことを思い出したのだ。 その時点で、今回の旅の目的の第一義がギフチョウ採集ではなくなった。



もうかれこれ20年くらい前の事だろうか。ダイビングのインストラクターになろうと思い、スキューバ・ライセンスを取ったダイビングショップに勝手に押しかけた。当時、お師匠さんは越前で講習を行っており、わざわざそこまで相談に行ったのだ。
その師匠、オーナーのオヤジは女好きでオチャメで、ちょっと近寄り難くて怖いけど、海をこよなく愛するとても魅力的な人だった。そして、人を見抜く力と言霊を持っていた。それが怖さや威厳に繋がり、また崇められてもいたのだろう。
まあ、ワテの性格だからすんなりと懐に入ったけどね。ごく近しいスタッフだけが呼んでいた「おやっさん」と云う呼び名を直ぐに使いだしても叱られなかったしさ。可愛がられていたのだ。それを周りのスタッフは、よく思っていなかったみたいだけどね。まあ、そんなの知るかだけどさ。
とり巻きなんてもんは、たとえ賢くはあっても、だいたいは嫉妬深くてクソなのだ。ルールや常識に縛られているツマンない奴ばかりだ。とはいえ、憎んでるという程ではないし、大多数はそうなので上手く付き合うけどね。人それぞれだし、そういうもんだと思ってれば、ストレスはそんなにない。

おやっさんは言葉に含蓄があり、やたらと人望もあったから、新興宗教の教祖みたいな人でもあった。言ってしまえば、人蕩し(ひとたらし)なのだ。今思えば、自分にとってのお手本だった。優れたインストラクターたる者、初めて会った人でも性格や特性をソッコーで見抜くかなくてはならないのだ。そして、群れを動かすリーダーとは、かくあるべきだという指針を示してくれた。人の上に立つ者は統率力だけでなく、オチャメでなくてはならない。発想力豊かで常識に囚われず、おバカでムチャクチャなところがあるのが理想だ。
でも、そんなおやっさんも何年か前に死んじゃったけどね…。



結局、スタッフが多過ぎて面倒をみてはくれず、その後サイパンに行くことになるのだが、それでも準スタッフみたいな扱いで4、5回は越前に帯同させてもらった。その帰りに、この「千束そば」に必ず寄っていたのである。

入口へと向かう。

 

懐かしいと言いたいところだが、こんな入口だったっけ❓
来店はいつも夜だったので、記憶と重ならない。

店内を見回す。記憶があるような無いような微妙な感覚にとまどう。

壁には有名人のサイン色紙が幾つも貼り付けてある。
わかるところでは、料理の鉄人 道場六三郎、落語家の桂 南光、黒焦げシンガー松崎しげる、映画監督の山田洋次、五大路子(演歌歌手)と大和田伸也(俳優)、タレントの渡辺文雄、女優の岡江久美子あたりだろうか。(この時はまさか岡江さんが、その後に新型コロナウィルスで亡くなるとは思ってもみなかった。だから、ちょっとショックだった。陰ながら、岡江さんの御冥福をお祈りします。)

 

安倍総理の色紙もあり、写真もあった。森喜朗前首相もいる。
何か微かだが、この色紙と額縁写真は記憶があるぞ。
(それはそうと最近のアベちゃんは政治家として酷いな。コロナ対策の迷走ぶりと未来を示せない姿勢は政治家としてクソだわさ。それにコレを書いている5月5日の時点で、まだアベノマスクは届いとらんぞ❗大阪のド真ん中でさえもそんなんだから、地方の状況は想像に難くない。森友問題といい、桜を見る会の件といい、限りなく黒に近いグレーだし、最低だな。でも野党にも全く期待が出来ないから、どうしようもない。日本がどんどんダメになっていってる気がしてならないよ。)

しかし、色紙には覚えがあるものの、店内の造りが違うような気がする。たしか広間があった筈だ。そこでスタッフ皆でワイワイと飯食ってたのだ。
アレって2階だったのかなと思い、店のオバサンに訊いてみる。
しかしオバサン曰く、2階は無いと言う。
w(°o°)wえーっ、もしかしてこの店じゃないのー❗❓
パニックになりそうになる。
その時、奥の閉められた板戸に目がいった。もしやと思い、再び訊ねてみる。

『あの閉まってる奥って、座敷じゃなかったですかね❓』
『そうですよ。今は普段は使ってないけどね。』

その瞬間にシナプスが繋がり、鮮やかに記憶が甦ってきた。そうだ、そうだ。2階ではなく1階の座敷で、大きなテーブルがデーンとあったのだ。改めて見ると、上り框(あがりかまち)の感じにも見覚えがある。たぶん、この店で間違いなさそうだ。
安堵の心が広がる。これで何とか、あの究極とも言える天とじ丼にありつけそうだ。

心が落ち着いたところで、メニューを見てみる。
この店は蕎麦で有名なのだが、実をいうと蕎麦は一度も食ったことがない。その頃はまだ若かりし頃だったので、蕎麦の良さが理解できてなかったのだ。おいら、うどん文化で育ってきた人間だしさ。
そんなワケで、いつも天とじ丼にするか、カツ丼にするか迷ってたんだよね。この店のカツ丼もムチャクチャ旨いのだ

だが、丼のページを見て、\(◎o◎)/ゲロゲロー❗

😱天とじ丼が無いっ❗❗


まさか、まさかの展開である。慌ててオバサンに訊ねる。

『昔、天とじ丼ってありませんでした❓』
続けてカクカクシカジカと事情を必死こいて話す。
するとオバサンは、ちょっと懐かしそうな口調で答える。
『それね、だいぶ前にメニューから外したんよ。』

(@_@)マジかよ、それ❗❓
でもここで引いてはならじと、(ノ`Д´)ノ必死になって如何に天とじ丼が美味かったかを力説して、特別に何とか作ってもらえまいかと半泣きで懇願する。
もうウルウルの目でオバサンを見つめちゃったもんね。
その甲斐あってか、何とか料理長に出来るかどうかを訊いてもらえる事になった。

答えはOK(◠‿・)—☆👍 やったね。
((o(´∀`)o))ワクワクしてくる。これでやっと念願の天とじ丼に会える。あの懐かしくて魅力的な姿に会えるのだ。このワクワクだが、ソワソワした感じ、何だか昔の彼女に会うみたいだ。



運ばれてきた❗
蓋付きでやって来たぞ。丼から僅かに海老の尻尾が顔を覗かせている。期待値がビンビンにハネ上がる。
💞ドキドキしながら蓋を開けてみる。

 

(☉。☉)れれれっ❓
記憶では玉子と海老だけのシンプルなものだったが、色々乗っかっている。おそらく天丼を卵でとじただけのものだ。再び、本当にこの店なのかという疑念が頭をもたげてくる。

でも、旨そうではある。

ここで四の五と言っても始まらない。取り敢えず食ってみよう。
そっからまた考えればいい。といっても、お手上げだとは思うけど…。

(・o・)あっ、美味い❗
玉子のとじ方が柔らかくて絶妙だ。老舗蕎麦屋ならではの少し甘めのつゆの味も相俟って、かなり美味い。
惜しむらくは玉子の量が少ない。記憶では、もっと丼全面にたっぷりと玉子がバアーッって広がっていた。それに海老以外の獅子唐とかの具材が邪魔だ。
にしても、美味いには美味いんだよなあ…。味も記憶と近い。
今度また来る時は、ダメ元で玉子増量、海老以外のものは排除で海老3本にしてもらえるよう頼もう。

レジでお金を払う時に、持ち帰り用の無料の天カスが目に入った。



それで、この店が間違いなく記憶の店と同じ店だと確信した。その天カスの事はハッキリと憶えていたのである。最初は喜んで持ち帰ってたけど、段々持ち帰らなくなったのだ。旨い天カスだけど、そうしょっちゅう持って帰っても家の者だって喜ばんのだ。

支払いは1100円に消費税が加算されて1210円だった。
これくらいなら、たとえ海老と玉子が増量になっても2千円以内に収まりそうだ。ならば、次回は絶対にそうしよう。

記憶の天とじ丼とはちょっと違ったけど、かなり満ち足りた気分で店を出る。
だいぶ日が長くなった。まだ外は夕暮れは続いていた。



スナックなど店の看板も変なのが多かったが、幼稚園まで個性的なんだね。

寂れた昭和ノスタルジーの町を抜け、駅前まで戻ってきた。
と同時に日が沈んだ。電車の時間にはまだ間があるので、喫茶店の前にある無料喫煙所で煙草を吸うことにする。

煙草の煙が宙で一瞬躊躇したようにたゆたい、風に流されてゆく。少し感傷的になっているのかもしれない。何もかもが流転するのだと思った。
すると突然、喫茶店の外部スピーカーから馴染みのあるイントロが流れてきた。

ボズ・スキャッグスの名曲『ウィアー・オール・アローン(註1)』だ(下の赤い再生ボタンを押すと曲が流れます)。

 

 

曲を聞きながら、ぼんやりと夕暮れの街を眺める。



音楽と夕景が一つに溶け合う。
この曲は『シルク・ディグリーズ』と云うアルバムに収録されていた曲だ(YouTubeの画面がジャケットカバーです)。

不意に友達の姉ちゃんのことを思い出した。メチャメチャ綺麗な大学生の姉ちゃんで、ボズ・スキャッグスが好きだった。その姉ちゃんに『ボズを聴くなら、これが入門作よ。』と言われて、このアルバムを借りたんだっけ…。 中学生から見れば大人のお姉さんって感じで、会うたびに💕ドキドキした。

そう云えば、すぐあとに当時話題だった新作アルバム『ミドル・マン』も貸してくれたな。

 
(出典『Amazon』)

セクシーでお洒落なジャケットデザインが印象的で、よく憶えている。名曲揃いで、ボズのアルバムでは一番好きだ。
このジャケットデザインとお姉さんの存在がリンクして、何だか心の中がぞわぞわした。
そういえば、彼女が横を通ると、いつも物凄く良い匂いがしたんだよ。女の人の華やかな匂いを初めて意識したのは、或いはこの時が初めてだったかもしれない。

音楽と匂いは有無を言わさぬ力があって、人を瞬時に記憶の海へと連れ出す。時にそれは暴力的で痛みさえ伴うことがあるが、懐かしさに満たされるその感情は悪かない。

色んな人の顔が浮かぶ。おやっさんの顔も浮かんだ。
We’re All Alone。でも結局、人は皆、一人ぼっちなのだ。

駅のフォームに上がる。



かなり大規模そうな工事をやっているなと思ったら、北陸新幹線の駅を作っているようだ。いや高架橋か。どちらにせよ敦賀まで延伸されるって事なのね。そんな計画があっただなんて全然知らなかったよ。日々、世の中は変化しているのだ。

午後6時48分発の姫路行きの新快速に乗る。
改めて思うけど、敦賀から姫路まで一本でいくなんて凄いな。つい忘れがちだが、東海道線って他の線と比べて突出して便利だ。特に新快速は長い距離を走るだけでなく、急行並みに速い。オマケに本数も多い。コレは東京から神奈川方面までもそうだし、静岡方面から名古屋方面でも同じだ。如何に東海道が日本の大動脈なのかがひしひしと解るよ。きっと田舎もんは都会に出てきて、ビックリするんだろな。

大阪駅で下車。環状線に乗り換え、更に今宮駅で難波行きに乗り換える。

 

あと少しで長い1dayトリップもお終いだ。
春だとはいえ、ひんやりとした夜気が肌寒い。

 

午後9時45分。難波駅に到着した。
何だかんだと濃い一日だった

 

残りあと3回、さあ次は何処へ行こうか。

                         つづく
 

追伸
青春18切符の正規料金は5枚綴で12050円。これを5で割ると1回あたり2410円と云う計算になる。
一方、今回チケットショップで購入した青春18切符は4520円。しかも4回分のものを2回分の料金にしてもらった。2回分を探していたのだが4回分のものしかなかったから、仕方なく立ち去ろうとしたら、2回分の金額でいいと言われたのだ。売れなければ丸損になるゆえの苦渋の提案だったのだろう。新型コロナウイルスの影響で全然チケットが売れていなかったものと思われる。
これを4で割ると、1回あたり1130円となる。2で割ったとしても2260円。2回分でも正規運賃よりも安い。皮肉にも新型コロナウィルスのお陰で普通では考えられないような破格の金額となったってワケだ。

参考までに本日の正規運賃を並べておこう。

JR難波〜敦賀 片道 ¥2650
敦賀〜今庄 片道 ¥330

これをそれぞれ往復したので✕2とすると、以下の計算となる。
¥5300+¥660=合計¥5960。1回分のチケット料金は1130円だから、計算すると、5960円ー1130円=4830円。何と4830円も得したワケやね。どころかチケットの購入額は¥4520だから、この1回だけで料金的にはペイしたことになる。

今回は書くのに時間がかかって、前回と間があいた。思い入れのある回だけに、色々と考えて書きあぐねていたのである。だから、食いもんとか他の文章を書いたりしていたのだ。

次回から第二章に入ります。また要らんこと始めたよ(TдT)
この調子だと、シリーズの完結は遠い。そもそも投げ出さずに完結できるのかよ?とも思う。

 

(註1)ウィアー オール アローン We’re All Alone
ボズ・スキャッグスの1976年に発売されたスタジオアルバム『シルク・ディグリーズ』の収録曲で、後にシングルカットされた。 当初は「リド・シャッフル」のB面曲という扱いであったが、多くのアーティストによってカバーされ、後述するリタ・クーリッジのカバーのヒットによって再評価されることとなり、現在では代表曲のひとつに数えられている。
日本では、日産・サニーRZ-1の新発売当初のCMソングとしてリタ・クーリッジのカバー版が使用された。また、スキャッグスによる本家バージョンも日産・ローレルのCMで使われたから聞き覚えのある方も多いだろう。

また日本ではアンジェラ・アキがカバーし、日本語の歌詞が付けられているが「みんな一人ぼっち」を意味する内容となっている。 ボズ・スキャッグスの原曲には当初『二人だけ』という日本語の題名がつけられていた。その後、リタ・クーリッジがカバーした際の日本語題は「みんな一人ぼっち」となった。現在では原曲・カバーともに日本語題をつけず、原題そのままに「ウィアー・オール・アローン」と表記されている。
これらの解釈は現在でも割れており、たとえばNHK Eテレの「アンジェラ・アキのSONG BOOK」で取り上げられた際は、We’re All Alone は「二人きり」と「しょせん一人ぼっち」という意味の両方の解釈が可能とされている。

また本記事の英語版によれば、リタ・クーリッジのカバー版はオリジナルが “Close your eyes Amie and you can be with me” となっている行を “Close your eyes and dream and you can be with me” と歌っているため、「会う事を夢見る」に曲の意味を替えたのであれば「みんな一人ぼっち」と訳せるかもしれないという。 なお、2007年の『シルク・ディグリーズ』復刻盤に寄せたライナーノーツでスキャッグス本人は「この曲のタイトルを個人的な話と普遍的なテーマを両立させるものとしたが、両者の意味が同時に成立するような歌詞にするのに苦労した」と語っており、上記のような複数の解釈が可能なように最初から歌詞が設定されていたことが明らかとなった。しかしながら同時に歌詞づくりが非常に難航し、レコーディングが始まっても完成せず、書き足しながら録音したことを明かしたうえで、「この曲の意味は自分の中でも完全にはわかっていない」と語っている(以上、Wikipediaより抜粋再編集)。

尚、アルバム『シルク・ディグリーズ』はAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)の歴史がここから始まったとも言われる金字塔的作品であり、ボズ・スキャッグスの名を一躍世界的なものにした7作目。全米アルバム・チャートで2位を記録。グラミー賞を受賞した「ロウダウン」(全米3位)も収録されている。
 
また、このアルバムに参加したスタジオミュージシャンのデヴィッドペイチ、デヴィッド・ハンゲイト、ジェフ・ポーカロ達が後にTOTOを結成することになる。
 
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