奄美迷走物語 其の1

 
 第1話『沈鬱の名瀬』前編

 
 2021年 3月21日

 

 
空はたっぷりの水分を孕んで、どんよりと曇っている。
一瞬、嫌な予感が走った。それを慌てて打ち消す。何でもそうだが、強い心を持ち続けることが肝要だ。マイナス思考に囚われてはならない。どんどん悪い方向へと行きかねないからだ。メンタルが壊れれば、良い結果など得られるワケがないのだ。
とはいえ、行先の奄美大島の天候を案じざるおえない。予報は1週間ずっと雨か曇りなのだ。蝶採りはひとえに天気にかかっている。結局のところ、天気如何で大幅に成果は左右されるのだ。

うだうだ考えているうちにバスは関空第2ターミナルへと到着した。相変わらず素っ気なくて、ショボいターミナルだ。店とか何もあらへん。

ピーチの午前10:15発の便に搭乗する。

 

 
(・∀・)あれっ❗❓
ピーチの筈なのに機体カラーがパープルピンクじゃないぞ。この機体カラーってバニラエアっぽいくねぇか❓

 

 
厚い雲を突き抜けると、雲の海が広がっていた。
空の青が濃い。

何気に翼の先に目をやると、バニラエアのマークがある。やはりバニラエアの機体だったのだ。提携とかしてんのかな?まあ、どっちだっていいけど。

12時過ぎ、無事に奄美空港に降り立った。

 

 
奄美に飛行機で来るのは初めてだけど、あまりにも早く着いたんで何だか拍子抜けする。
(・∀・)ん❗❓、違うな。そういや奄美に最初に来たのはダイビングインストラクター時代で、飛行機でだったわ。ダイビングの時と虫採りの時との記憶が完全に切り離されてメモリーされてる。

当初の計画ではレンタルバイクを借りて、先ずは「みなとや」へ行って鶏飯(註1)を食べ、それから蒲生崎の蝶の様子を見に行く予定だった。
「みなとや」は鶏飯発祥の店で、ここの鶏飯がイッチャン美味いのである。そして、蒲生崎にはアカボシゴマダラ、フタオチョウ、イワカワシジミ、アマミカラスアゲハがいる。上手くすれば、初日に今回のターゲットである蝶が全て採れてしまう可能性だってあるのだ。美味いもん食って、蝶もシッカリ採るという幸せ一直線の算段なのさ。密かに引きだけは強いまあまあ天才ならば、それも可能だと思ってた。所詮は。◕‿◕。オホホ星人、基本は根拠のない自信に満ちたオメデタい性格なのさ。
しかし生憎のところ、天気は悪い。奄美でも鉛色の雲が低く垂れ込めている。風も強いし、オマケに気温も低くて肌寒いくらいだ。

諦めてバスに乗り、名瀬へと向かう。

 

 
車窓を懐かしい風景が流れてゆく。考えてみれば、バスで名瀬に向かうのは初めてだ。コチラの記憶は間違いない。インストラクター時代は空港に夏美ちゃんが車で迎えに来てくれたのだ。
夏美ちゃん、可愛かったなあ(´ω`)…。もう結婚して子供とかもいるんだろなあ。ホント、光陰矢の如しだ。
あと2回の虫採りの時は鹿児島からの船便での来訪だったゆえ、名瀬港に着いたもんね。だから奄美初バスなのは間違いない。

1時間程で名瀬の街に入った。
予定では郵便局前で降りるつもりだったが、発作的に「鳥しん」で鶏飯を食おうと思った。でもって急遽、バスの運転手に訊いて末広町で降りることにした。そちらで降車した方が近いと読んだのさ。良い感じだ。ちょっとしたキッカケで流れが変わるから、こうゆう些末にみえる事だって大事なのだ。判断がビシッと決まりだしたら、自然とノッてくるものだ。

だが、少し道に迷った。何だかなあ…。ペースが掴めないとゆうか、ズレを感じる。全てが何か今ひとつ上手くいってないって感じなのだ。
歩いていると、やがて見覚えのある風景になった。
この辺に確かレンタルバイク屋があったんだよなあ。と思ったら、案内の看板があった。しかしマジックで上から棒線が引かれている。どうやら廃業したようだ。だからネットで探しても見つからなかったのね。お陰で計画がだいぶ狂ったんだよなあ…。
いつもなら名瀬を拠点にバイクで動くのだが、そのせいで明日には朝仁に移動しなければならない。

 

 
取り敢えず「鳥しん」に到着。
レンタルバイク屋からは、こんなにも近かったのね。一度も「鳥しん」で鶏飯食べようと思ったことがないから、探したことないのだ。昼間は虫採りで山ん中だし、夜は居酒屋「脇田丸」に入り浸ってたからね。

 

 
屋根の薄汚れたニワトリが怖い。
何だか心まで暗くなるわ。

 

 
店内はガラガラだった。
カウンターに座り、迷わず鶏飯(1200円)をたのむ。
ここ「鳥しん」と「みなとや」「ひさ倉」が奄美大島三大鶏飯店である。鶏飯は何処でも食べられるのだが、どのガイドブックでも、だいたいこの3店が真っ先に出てくるのだ。

最初にお通しみたいなのが出てきた。

 

 
得体のしれない見てくれだ。ゴーヤの素揚げが乗っているのも怪しい。
おそるおそる食べてみると、もろみ味噌(金山寺味噌・なめ味噌)っぽいものだった。
甘いが、味はそこそこ旨い。おそらく店では酒のツマミ的なものとして提供しているのだろう。甘いもん好きではないから酒のツマミとしては敬遠させてもらうけどさ。
初めて食べるが、たぶんコレが蘇鉄味噌とか粒味噌(註2)と呼ばれているものではなかろうか。

 

 
先ずは、この鍋に入った鶏の出汁じる(丸鶏スープ)とお櫃に入った御飯が運ばれてくる。ちなみに御飯は、おかわり自由である。

そして、次にコレが運ばれてきた。

 

 
左上から陳皮(柑橘類(タンカン)を乾燥させた果皮)、鶏肉をほぐしたもの、錦糸玉子、ネギ、パパイヤの漬物、甘辛く煮た椎茸。そして真ん中は海苔である。
コレを御飯の上に乗っけるのだが、「みなとや」と比べて何だかショボい。まずもって鶏肉と陳皮の量が少ないし、椎茸も干し椎茸ではなくて、甘辛く煮たヤツだ。椎茸は特に気にくわないなあ。何でもかんでも甘くしておけばいいと云う昨今の風潮には、断固反対する。

 

 
で、その上から鍋の汁をブッかけて食うのだ。

 

 
まあまあかなあ…。
不味くはないのだが、期待したほどの旨さではない。
「みなとや」では、その旨さに毎回唸ってしまうからガッカリだ。全体的に何かが足りないとゆうか、メリハリがないんだよなあ…。もしかしたら、鶏のスープにパンチが足りないからなのかもしれない。スープ自体は旨いんだけど、どうにも淡白すぎるのだ。
まあ、とはいえ好みの問題だけどもね。「みなとや」よりも「鳥しん」の方が旨いと感じる人だっているだろう。

何だかなあ…。のっけから細かく躓いてる気がする。
鶏飯を食って気分を上げて、良い流れを作ろうと思ったのになあ…。

                         つづく

 
追伸
えー、あまり気が進みませんが、連載開始です。そんなワケで途中で放り出して頓挫するかもです。
ちなみに随分前になるけれども、奄美大島での採集記が当ブログにも有ります。『西へ西へ、南へ南へ』と題した紀行文で、謂わば今回はその続編にあたるってワケかな。 興味のあられる方は読まれたし。今にして思えば、この頃の文体の方が自分的には好きかも。

 
(註1)鶏飯
鹿児島県奄美地方で作られる郷土料理。
鶏飯と書いて「けいはん」と読む。同じく鶏飯と表記されることも多い「とりめし」と同字異読であるために混同されやすいが、それらが炊き込み御飯や丼形式なのに対して出汁茶漬けに近い料理である。
現在、奄美大島で出されている本場の鶏飯は、茶碗に盛った白飯に、ほぐした鶏肉、錦糸卵、椎茸、パパイヤ漬けor沢庵、葱、刻み海苔、陳皮、白胡麻などの具材と薬味を乗せて丸鶏を煮て取ったスープ(鶏ガラではない)をかけて食べる。稀に紅生姜を添える例もある。白飯、具材、薬味、スープは別々の器で出され、お好みの配分で盛り付けて食べる。奄美大島には専門店も複数あり、スープの取り方、素材に地鶏を使うか否かなどの各々の特徴があり、スープの味で料理の味が大きく左右される。
居酒屋など店によっては丼や茶碗に盛ってスープを掛けた状態で客に出す例があり、これも鶏飯と呼ぶことが多いが、鶏飯丼と呼び分けて両方を出す店もある。尚、専門店の鶏飯は茶碗2~3杯分の量があり、白飯も食べ放題ではあるが、鶏飯丼は1杯分だけでお代わりはなく、そのため価格も安い。また奄美域外にもこのような類似の料理があるが、奄美大島の専門店が丸鶏でスープを取っているのに対し、域外では切り分けた鶏肉や鶏がらを使ってスープを取るなど、簡略化している場合が多く、風味に差がある。加えて薬味のパパイヤ漬けやタンカンの皮が島外では入手しづらく、これらの有無も風味に大きく影響する。

奄美大島の鶏飯は、元来は笠利町周辺にかつて存在した郷土料理で、当時はヤマシギやシロハラなどの野鳥を使用していた。江戸時代、島津藩の支配下にあった頃に北部で藩の役人をもてなすために鶏肉が用いられるようになったという。一方、19世紀半ばの島の暮らしを記録した『南島雑話』では、主に豚肉料理についてのみ記述され、鶏飯には触れられていない事から、現在の鶏飯は近代以降に成立したものであるともされる。もともと、奄美大島では正月前に黒豚を捌いて塩漬け肉にし、これと野菜を刻んで炊き込みご飯にした「豚飯」があり、これを鶏肉に代えたものという説もある。また、江戸時代の料理書『名飯部類』『料理網目調味抄』には、茹でた鶏肉を細かく裂いて飯に載せてだし汁をかけるという鶏飯の作り方が載せられており、本土から伝わった料理が奄美大島に残った可能性もあるという。

現在のスタイルの鶏飯は、奄美市笠利町赤木名で1945年に創業した旅館みなとやの館主岩城キネが、開業に際して江戸時代にあった鶏肉の炊き込みご飯にアレンジを加えて供するようにしたのが始まりとされる。
1968年4月に皇太子明仁親王、美智子妃殿下(当時)が奄美大島に来島した際に食したが、その美味しさにおかわりをしたという。その様子が伝えられると地元で観光客の人気を博し、奄美大島を代表する郷土料理となった。

 
(註2)蘇鉄味噌と粒味噌
蘇鉄味噌はソテツの実(雌花の種子)を使って作る味噌で、全国各地の味噌の中でもとりわけ個性的な味噌の1つである。主な産地は奄美諸島や沖縄県の粟国島で、奄美の方言では、なり味噌(なりみそ・なりみす)と呼ばれている。ソテツ(奄美方言すてぃち)の実から取ったデンプンと玄米と大豆を原材料にしており、麹の配合比によってソテツの種子を主原料とするものと玄米を主原料とするものとに分かれる。前者は奄美方言で「しるわーしみす(汁沸かし味噌)」と言い、多くはサツマイモも加えて熟成させ、主に調味料として用い、後者は主になめ味噌として食用にする。塩分は調味用の方が高い。
 
【蘇鉄味噌】

(出展『株式会社ヤマア』)

 
蘇鉄味噌づくりで最も特徴的なのは、微生物の働きでソテツの持つ毒素を取り除く「解毒発酵」が行われていることである。発酵でソテツの実の毒を取り除いてから麹菌を付けていくという独特の製法が用いられている。
特有の風味と甘味があり、奄美や沖縄では古くからお茶請けやツマミとして食べられているようだ。
また、蘇鉄味噌を使った料理も豊富で、魚の身をほぐして混ぜ込んだユーミソや豚の耳や内臓と混ぜたワミソなどがある。

道理で島には至るところにソテツが生えてたワケだ。かなりクロマダラソテツシジミに食害されてたけどさ。

 
【クロマダラソテツシジミ 低温期型♀】

(2018年 和歌山県白浜)

 
参考までに言っておくと、滞在中、クロマダラソテツシジミは1つも見なかった。真面目に探したワケではないが、もし発生していたならば、ソテツの周りでアホみたいな数がチラチラ飛び回ってる筈だから気づかないワケがない。それに吸蜜源のセンダングサの花は何処でも咲いていたから、いたならば1つや2つは目に入っていた筈。おそらく端境期だったのだろう。

奄美大島にはこの他にソテツの実を使わないで作る粒味噌もある。

 
【粒味噌】

(出展『株式会社ヤマア』)

 
粒味噌は島味噌とも呼ばれ、粗めに挽いた大豆を使う奄美の伝統的な味噌。塩分が少なめなのが特徴。見た目は名前のとおり粒々で、お茶うけにされたり、豚味噌や魚味噌、ニガウリ味噌などを作る際にも用いられる。

画像を見ても蘇鉄味噌と粒味噌との違いがワカラン。
見た目、ほぼ同じだもん。よって「鳥しん」で出されたものがどっちなのかは特定できない。白胡麻が振ってあるので、おそらく蘇鉄味噌だと思うんだけど…。でも粒味噌は豚味噌や魚味噌に使われるから、それを作るために店には置いてある筈だからなあ…。まあ、どちらにせよ甘いから、本音はどーだっていいんだけどさ。

-参考文献-
◆Wikipedia

  

閃光のインペラトリックス

 
 
2月の初めに大阪でインセクトフェア(昆虫展示即売会)があった。
この日は余程のものがない限りは何も買うまいと決めていた。キリギリスも、いよいよ崖っぷちなんである。
しかし、そろそろ帰ろうとした時に出谷さん(註1)とこのブースで見慣れない蝶の三角紙標本を見つけてしまった。

 

 
正直、見たこともない蝶だったので、嘘でしょ❓と思った。蝶採りを始めて10年を越えているから、世界の蝶の事は凡そは知っていると云う自負があったゆえ、こんなに目立つ蝶をまさか見逃してるとは思えなかったのだ。
学名は「Cirrochroa imperatrix」とある。
学名から鑑みると、謂わば女王の蝶だ。そんなものを見逃しているなんて信じられなかった。もしかして最近見つかった新種だったりして…。でも、こんなにも凄い奴が新たに発見されていたならば、噂になって然りだ。テーゲーなワシの耳にだって入っていた筈だ。

タテハチョウの仲間であることは見た目で解るが、属名を見てもピンと来ない。Cirrochroaって何だっけ❓見たことのある属名のような気がするが思い出せない。翅形的には日本に同属のものはいないと思われる。強いて言えばヒカゲチョウの仲間、クロヒカゲなんかの翅形にやや近いような気もするが、蛇の目が無いし、本能的には違うだろうとも感じてる。

値段を見ると¥1500の値が付いていた。安い。けど出谷さんとこだと高額の部類に入る。カルナルリモンアゲハがA品で600円。アマンダベニボシイナズマはペアで1500円。あの巨大な怪蝶タンブシシアナオオゴマダラだって1200円くらいだったからね。

 
(アマンダベニボシイナズマ)

(2013.4月 スラウェシ島)

 
(タンブシシアナオオゴマダラ)

 
タンブシシアナは出谷さんとこで買って自分で展翅したものです。スラウェシ島の特産だが、細かいデータが今はちょっとワカンナイ。探すのが邪魔くさいだけなんだけどね。
たぶん、Idea tambusisiana hideoiという原名亜種よりも北部で見つかった亜種で、より黒いのが特徴。

蝶の価格は未展翅で売っているもので1500円を越えていれば、例外はあるにせよ珍品の部類だろう。とゆうことは、たとえ現地に行ったとしても、おいそれとは簡単には採れないクラスのかなり珍しい蝶だろう。それに青好きのオイラには見逃せない代物だ。買うことにした。

一つタガがハズレると、駄目だ。ついカルナとパリスの亜種も買ってしまった。ジャワ島には行ったことないから、採ったことがないのさ。

 

(右がカルナルリモンアゲハで、左がルリモンアゲハ東ジャワ亜種。)

 
青い蝶の学名の下には「Biak」とあるから、たぶんビアク島産の蝶だろう。
ところでビアクってどこだっけ❓インドネシアのどっかの島だとはわかるけど、どの辺りだったかが思い出せない。

調べてみたら、ニューギニアの方だった。

 

(出展『昆虫万華鏡』拡大すると右上にあります。)

 
地図で見た感じだと絶海の孤島とゆうワケではなくて、ニューギニア島からそんなに離れていないように見える。しかし、そう思い込むのは危険かもしれない。縮小地図だからそう見えるだけであって、実際はニューギニア島から何百キロも離れていたりするかも。淡路島とか佐渡ヶ島との距離感とはワケが違うのだ。地図の縮尺が全然違うって事を忘れてはならない。

翌日、先ずは青い蝶の学名の記載者から調べることにする。もしも記載年が近年であれば、間違いなく新種だからである。

だが、学名の後ろには Grose-Smith, 1894 とあった。
これは英国の昆虫学者グローズ・スミスによって1894年に記載されたとゆうことを示している。つまり新種ではござらんとゆう事だ。じゃあ何で今まで存在を知らなかったんだろ❓
単にワシがドアホなだけだったりして…。

三角紙を開き、中を確認してみた。

 

 
あっ、裏は青くないんだね。
さておき、コレはどう見てもヒカゲチョウの仲間ではなさそうだ。でも似たような裏面のチョウをどっかで見た気がするぞ。
えーと、たぶんネッタイヒョウモンとかミナミヒョウモンと言われてる仲間だったんじゃないかな❓でも確信がもてない。

ところで、和名は何だろう❓そこから何の仲間かが特定できるのではないかと考えたのだ。
しかし、ネットで検索しても和名では出てこない。
これはもう塚田さんの『東南アジア島嶼の蝶(註2)』で確認するしかあるまいて。

 

(出展『ばれろん堂』)

 
大阪市立自然史博物館へ行く。
ここの書庫で塚田図鑑が閲覧できるのだ。

 

(画像は第1巻のアゲハチョウ編です。)

 
タテハチョウ科はシリーズ第4巻で上下2巻あるが、たぶん下巻ではなくて上巻に載っている筈だ。下巻の方はフタオチョウやらイナズマチョウなどのスター蝶がズラリと並んでいるから何度も閲覧している。だから、もしそこに件(くだん)の蝶が載っていたならば、絶対に気づいていた筈だ。青好きのオラがスルーするワケがない。

同じものではないが、青い蝶を見つけた。
これの系統の近縁種なのかな❓

 

(出展 塚田悦造『東南アジア島嶼の蝶 第4巻(上)』)

 
一瞬そう思ったが、青の表面積が狭いし、翅形も違う。だいち、裏面が全く違う。

 

(出展『東南アジア島嶼の蝶 第4巻(上)』)

 
この感じの裏は、たぶんハレギチョウの仲間だろう。
ネッタイヒョウモンorミナミヒョウモンの仲間とは分類学的にはそう遠くない関係だとは思われるが、ここまで裏面が違うと、両者は別系統だろう。謎の青い蝶はハレギチョウの類ではなかろう。

解説ページを見ると、名前は、Cethosia lamarcki ラマルキィハレギチョウとあった。やはりハレギチョウの仲間だったのね。

一応、分布図も見てみよう。

 

(出展『東南アジア島嶼の蝶 第4巻(上)』)

 
分布はロンボク島とかの小スンダ列島だから、ビアク島とはかなり離れてる。

パラパラと見て、次に目に止まったのが、Vagrantini(オナガタテハ族)のコレ↙。

 

(出展『東南アジア島嶼の蝶 第4巻(上)』)

 
翅形は全然違うが青いし、それに何よりも裏面の色柄に近いものを感じる。近縁種かもしれない。
そういや、コレって自分で採ったことがある気がするぞ。

 

(2015.4月 マレー半島)

 
やはり有りましたな。
んっ❓、デザインは似てるけど、翅形が全然違う。
これはビロードタテハのマレー半島亜種かな❓(註3)
でもビロードタテハって変異幅が広いから、亜種区分はされていないかもしれない。何かややこしい分類のされ方をしてたという記憶がある。

 
(ビロードタテハ Terinos atlita miletum)

(2011.3月 ラオス)

 
初めてビロードタテハを採ったのはラオスのタボックで、このイメージだったから、マレー半島のものが同種だと分かった時にはビックリした。どうみても見た目は別種だもんね。

邪魔くさいけど、ビロードタテハ(Terinos)属の別な種の画像を探し直そう。
 
 

(2015.5月 マレー半島)

 
あった。
名前はテルパンダービロードタテハ(Terinos terpander)だったっけ❓ その名前でググッたら、自分のアメブロのブログが先頭でヒットしたよ(笑)(註4)。

 

(裏面)

(2016.3月 マレー半島)

 
たぶん上はタイ南部ラノーン辺りで採ったもので、下は更に南部のマレーシアのコタティンギ辺りのものだろう。
でもビロードタテハ類と青い蝶とは属名が違うから、やはり謎の青い者はネッタイヒョウモン(ミナミヒョウモン)の仲間なのかもしれない。

ページをめくると、チャイロタテハ(コウモリタテハ)も一連の並びにあった。和名はコウモリタテハの方が馴染みがあって、チャイロタテハなんぞと云う凡庸な和名よりも余程いいと思うのだが、塚田図鑑に従って以下チャイロタテハと表記します。

 

(出展『東南アジア島嶼の蝶 第4巻(上)』)

 
大型で、形はそれなりにカッコいい。でも東南アジアには♂はわりと何処にでもいて、ソッコーでウザい存在になる。但し、♀の方には滅多と会えない。♂は吸水に多数集まるが、♀は全く来ないのだ。花に吸蜜に来たのしか見たことがない。

 
(♂)

(2016.4月 ラオス)

(♀)

(2016.3月 タイ・チェンマイ)

  
種の解説部分を読んで思う。
今までチャイロタテハ属(Vindula)の近縁種や類縁関係なんて全く意識していなかったから軽く驚いたよ。まさかドクチョウ亜科だったとはね。

日本では西表島に土着しているタイワンキマダラも同じドクチョウ亜科にカテゴライズされ、キマダラタテハ属(Cupha)を形成している。
 
 
(タイワンキマダラ Cupha erymanthis)

(出展『日本産蝶類標準図鑑』)


(2016.4月 ラオス)

 
左翅が羽化不全の個体ですな。
コヤツはコウモリタテハよりもウザい。東南アジアには何処にでもいると云う印象があり、八重山諸島のものと殆んど変わらないように見える。別種も混じっていたかもしれないけど、ほぼフル無視に近い存在だった。とゆうか、むしろ憎悪の対象だった。大概は♂がテリトリー(占有行動)を張っていて、佳い蝶まで追いたててしまうのでホント邪魔なのだ。小汚いし、形も野暮だから「出しゃばりブス蝶」と呪詛を込めて呼んでたなあ…。

日本にはいないが、オナガタテハ属(Vagrans)もドクチョウ亜科に組み込まれている。

 

(出展『東南アジア島嶼の蝶 第4巻(上)』)

 
コヤツらも、そこそこ見るから次第にフル無視になりがちだ。
こちらも細かく見れば、別種も含まれていた可能性があるものの、直ぐに真面目に採らなくなった。

お次は以前日本にもいたウラベニヒョウモン属(Phalanta)。

 

(出展『東南アジア島嶼の蝶 第4巻(上)』)

 
コレも直ぐにどうでもいい存在になった。コイツにしろタイワンキマダラ、コウモリタテハにせよ、皆さん茶色で絶望的に地味なんである。真正のヒョウモンチョウからは、そんなに地味な印象はうけないのにね。より大型でオレンジっぽく見えるからかな❓
蝶採りを始めた頃にはウラベニヒョウモンは日本(八重山諸島)では既に絶滅していて、ちょっとした憧れをもっていた。しかし初めて海外で見た時は、あまりにも小さくて華奢なんでガッカリしたのをよく憶えている。
参考までに言っておくと、ヒョウモン(豹紋)とは名はつくが、見た目が似ている日本にいるウラギンヒョウモンやクモガタヒョウモンなどの真正ヒョウモンとは違う系統だ。

 
(オオウラギンスジヒョウモン♀)

(2015.7月 岐阜県高山市)

 
これは♀だから、あまりオレンジっぽくないね。
スマン、オレンジ色なのは♂の方でした。

 

(2015.7月 平湯温泉)

 
分類単位だと両者は同じドクチョウ亜科(Heliconiinae)には含まれるものの、族が違う。ヒョウモンチョウ類はオナガタテハ族(Vagrantini)ではなく、Argynnini(ヒョウモンチョウ族)に分類されている。見た目は同じに見えても、遠縁なのである。

改めてドクチョウ亜科を並べておく。

■ホソチョウ族
(Tribe Acraeini Boisduval, 1833)

■ドクチョウ族
(Tribe Heliconiini Swainson, 1822)

■ヒョウモンチョウ族
(Tribe Argynnini Swainson, 1833)

■オナガタテハ族
(Tribe Vagrantini Pinratana & Eliot, 1996)

ここ最近は急速にDNA解析による研究が進み、整理がされてきたタテハチョウの一族なのだが、グループによっては見た目が大きく違うので「ヒョウモンチョウって、ドクチョウの仲間なの?」と少なからず違和感を覚えた記憶がある。
ついでに言っておくと、最初に登場したハレギチョウもドクチョウ亜科に含まれ、ホソチョウ族ハレギチョウ(Cethosia)属に分類されている。

でもって、オナガタテハ族がまた幾つかの属に分かれる。
それが前述したビロードタテハ属(Terinos)、チャイロタテハ属(Vindula)、ウラベニヒョウモン属(Phalanta)、キマダラタテハ属(Cupha)、ミナミヒョウモン属(Cirrochroa)やアフリカビロードタテハ属(Lachnoptera)、アフリカヘリグロヒョウモン属(Smerina)、キスジヒョウモン属(Algia)、Algiachroa属に分けられている。
裏面に共通性を感じたのは同族だからなんだね。考えてみれば、日本にいるヒョウモンチョウ類の裏とは全然違うもんね。

となると裏の感じからみて、謎の青い蝶に一番近いのは多分ミナミヒョウモン(ネッタイヒョウモン)属だ。ならば、この属に含まれる種である可能性が高いだろうと推察した。
話は逸れるが、塚田図鑑では、この属の和名はミナミヒョウモン属だが、ネッタイヒョウモン属と表記される事も多い。外国の蝶は、こうゆう風に和名が幾つも存在しているケースがあって誠にややこしい。各々が勝手に和名をつけてるって感じなのだ。先の Vindula属だって、チャイロタテハと云う和名とコウモリタテハと云う2つの和名が存在するからね。
こうゆうのはホント困る。何とか統一するシステムなり、機関を作って欲しいよ。

 
(Cirrochroa tyche ティケミナミヒョウモン♂)

(出展『東南アジア島嶼の蝶』)

 
コレは結構見た記憶がある。

 

(2016.4月 ラオス)

 
一応、画像が残っていた。
いや、待てよ。こっちかもしれない。

 
(Cirrochroa thule ツーレミナミヒョウモン♂)

 
いやいや待てよ。やはりティケミナミヒョウモンみたいだ。図示した画像がページの先頭にあったから、てっきり基亜種かと思いきや、なんと”aurica”と云うマレー半島南部のアウル島にいる亜種みたいだ。そんな島には行ってないから、違うね。

基亜種はコチラ↙。

 
(ティケミナミヒョウモン原記載亜種♂)

 
本音は、何だっていいんだけどさ。
正直に吐露すると、コイツら地味だから興味が全くもって湧かないのである。

 
(Cirrochroa eremita エレミタミナミヒョウモン♀)

 
上記2種の裏面は、謎の青い蝶の裏面と近い。
なれば青い蝶は間違いなく、このグループだろう。

 
(Cirrochroa emalea エマレアミナミヒョウモン♀)

 
(Cirrochroa menones メノネスミナミヒョウモン♂)

(出展『東南アジア島嶼の蝶』第4巻(上))

 
コレは採った記憶があるな。

 

(2016.3月 ラオス)

 
やはり採ってるね。
いや、翅の外帯の太さが違うぞ。だいちメノネスの分布はフィリピンだ。
とゆう事は、エマレアの♂か Cirrochroa malaya だろう。

 
(Cirrochroa emalea エマレアミナミヒョウモン♂)

 
(Cirrochroa malaya マラヤミナミヒョウモン♂)

(出展『東南アジア島嶼の蝶』)

 
コイツら皆んな似てるから、現地だと種名がよくワカンナイんだよねー。興味があんましないから真面目に採ってなくて、何となく違うと感じたものだけは採ってた。

そういやもう1種、似てるけどもっとカッコイイのも採った筈だよな。

 
(Cirrochroa orissa)


(2015.4月 マレーシア)

 
名前も思い出した。オリッサミナミヒョウモンだ。ツマグロネッタイヒョウモンなんていう別な和名もあったと思う。
これはあまり見たことがなくて、かなり敏感だったから出会いの瞬間も憶えている。それに他のミナミヒョウモンやウラベニヒョウモン、タイワンキマダラなんかとは一線を画すところがあって、同じ茶色でも美しくて品があるから印象深い。
但し、珍しいかどうかは地域や季節にもよるだろうからワカンナイ。

 
(Cirrochroa semiramis セミラミスミナミヒョウモン♂)

(同♀)

(出展 以上『東南アジア島嶼の蝶 第4巻(上)』)

 
中でもコレの裏面が謎の青い蝶に一番似通っている。しかも外側に青い部分もある。かなりゴールに近づいてる気がするぞ。
期待を込めて次のページをめくる。
(。ŏ﹏ŏ)むにゅう〜。
しかーし、塚田図鑑には載ってにゃーい\(◎o◎)/
頭の中が(?_?)❓❓❓マークで埋め尽くされる。ナゼに載っておらんのだよー༼;´༎ຶ ۝ ༎ຶ༽❓
落ち着こう。冷静になって考えてみれば、載ってないからこそ、この青い蝶の存在を知らなかったのかもしれない。
取り敢えず、ここは図鑑のミナミヒョウモン属のページの解説を読もう。ヒントがあるかもしれない。

「和名の通り南方に生息圏をもつヒョウモンチョウ亜科(註5)の一員。北インドから中国南部、インドシナ半島、スンダランドを経て、フィリピン、セレベス(スラウェシ)、ニューギニアまで広く分布する仲間である。全18種からなる。中略。本属はビアック島の imperatrix を除いて地色は赤褐色の前後翅裏面中央部に明瞭な白又は淡褐色の帯を持ち(niasicaを除く)…」

とあった。出てきたね。コレで一挙に疑問が氷解した。
すっかり忘れていたが『東南アジア島嶼の蝶』が対象としているのは東洋区の南部〜南東部とウォーレシア(註6)に生息する蝶であって、オーストラリア区の蝶は含まれていないのである。だからヨコヅナフタオやオオルリアゲハ、トリバネアゲハは載ってないんだったわさ。

 

 
ようは、この塗り潰された地域である。すなわちマレー半島、スマトラ島、ボルネオ島、ジャワ島、バリ島、小スンダ列島、スラウェシ島、北マルク(モルッカ)諸島、スラ諸島、フィリピン諸島である。尚、南マルクのアンボン島やブル島は含まれていない。だからブルキシタアゲハやマデンシスフタオ、パンダルスムラサキという大物も載っていないのである。
但し、亜種が域外にいる場合は掲載されているケースはある。

参考までに書いておくと、ミナミヒョウモン属を塚田さんは3つの種群に分けておられる。

1.Clagia種群
(clagia、tyche、emalea、orissa、chione、aoris、nicobarica、niasica)

2.Thais種群
(thais、satellita、surya、malaya)

3.Regina種群
(regina、semiramis、imperatrix)

さて…、謎の青い蝶が何者かは解ったが、種の詳しい解説はなされていないから直ぐに行き詰まる。ネットで検索しても、日本語の解説が殆んどないのである。頼みの『ぷてろんワールド』にも図示されていない。とゆうことは、やはりかなりの珍品なのかもしれない。

ここで💡ピコン❗
妙案が浮かんだ。この博物館の書庫には手代木さんの『世界のタテハチョウ図鑑』もあった筈だ。

探したら、思った通りあった。

 

 
で、中を見たらビンゴ👍❗あった。

 

(出展 手代木求『世界のタテハチョウ図鑑』)

 
スゲー色だな。冒頭の画像よりもバッキバキにビューティフルだ。でも明らかにフラッシュを焚いて撮った写真だな。こうゆうのって過度に美しく写るから、どうかと思うよ。このままの見た目を信じる人だっているだろうに。だとすれば、問題ありでしょうに。

和名はルリネッタイヒョウモンとある。
だが、手代木さんは自分的和名をつける方なので、この和名がどこまで一般的なのかはワカラナイ。但し、ミナミヒョウモンよりもネッタイヒョウモンの方が和名としては優れているとは思う。ミナミ(南)の範囲が何処から何処までを指すかはイメージしづらい。幅が広すぎるのだ。一方、ネッタイは熱帯なんだから、もっと範囲が明確に限定される。実際、このグループの分布は赤道付近の熱帯から亜熱帯だからね。
それに「ミナミヒョウモン」で検索すると、トップにはコレが出てくる。

 

(出展『世界のウミウシ』)

 
海の生物であるウミウシくんだ。ウミウシは美しいものが多くて変異もあるから人気が結構ある。自分がダイビングインストラクターになった頃からブームか始まったのだが、直ぐに一般向けのウミウシ図鑑も発売されたくらいだから、世間的にはコチラの方が断然ポピュラーな存在なのだ。
ウミウシと混同されるのもややこしいし、個人的には和名はネッタイヒョウモンに一票を投じたい。

短い解説があったので、書き移しておく。

【成虫】
翅表全体が青藍色の金属光沢に輝き、ネッタイヒョウモンの中では特異な色彩である。

【卵】【幼虫】【蛹】【食草】
未解明。

【分布】
インドネシアのビア島 Biakのみに分布する。

『東南アジア島嶼の蝶』の時代と変わらず、現在もビアク島だけに棲む固有種なんだね。
それはさておき、蝶の和名だけでなく、島の和名までが表記がバラバラなんだね。塚田図鑑ではビアック島となってるし、この図鑑ではビア島だ。でも英語の綴りで検索すると、出てくるのは圧倒的にビアク島が多い。おそらくビアク島が最も一般的な呼称なのだろう。

この図鑑では、スラウェシ島特産の”C.semiramis”も凄い派手な色に写っている。

 

(出展『世界のタテハチョウ図鑑』)

 
そして和名はルリヘリネッタイヒョウモンとなっている。
やはり、こちらも手代木さんの独自命名のようだ。Cirrochroaと云う属名もミナミヒョウモン属ではなく、ツマグロネッタイヒョウモン属になっている。つまりは手代木さんは、C.orissa(オリッサミナミヒョウモン)を属の基準和名としたワケか。そこはネッタイヒョウモン属でいいと思うけどね。
参考までに言っておくと『ぷてろんワールド』では「オオアカネルリツヤタテハ」というまた別な和名が付けられている。コチラの方が見た目をよく表しているような気はする。しかし惜しむらくは、この名前ではタテハチョウ科の中の何グループなのかがワカラン。なので、☓な和名だろう。
それにしても、異なる和名がセミラミスミナミヒョウモン、ルリヘリネッタイヒョウモン、オオアカネルリツヤタテハと3つもあると云うのは、誠にもってややこしい。しかも全部後半まで違う。和名だけではカテゴリーまでもが違う蝶に思えてしまう。
まあ、和名が特徴をよく表していなかったり、ダサいネーミングも多いから、付け直したいという気持ちも解らないでもないけどね。
でもなあ…、例えばアンビカコムラサキ Mimathyma ambica なんぞは、他にキララコムラキとか、カグヤコムラサキ、ニジイロコムラサキ、シロコムラサキ、イチモンジコムラサキと計6つもの和名がある。学名が頭にインプットされていなければ、何でんのんそれ❓のワケワケメじゃよ。和名が幾つも存在してると何かと困るのだ。
個人的には学名そのままのアンビカコムラサキでいいと思うけどね。基本的に和名なんぞ海外では通じないのだ。学名そのままの和名で憶えておいた方が現地で困らない。和名だと現地で会った同好者やガイドには何のチョウだか通じないからね。キララやカグヤでは通じないけど、アンビカだと通じるのだ。その点、塚田さんの表記法は理にかなっている。でも、その表記法だと、どんな蝶なんだか全くイメージできないマイナスもあるんだけどもね。海外の蝶の初心者からすれば、文句の一つも言いたくもなるだろう。

 
(アンビカコムラサキ Mimathyma ambica♂)

(2011.4月 ラオス・バンビエン)

 
しつこく和名表記の相違の話を続ける。他にもティケミナミヒョウモンは『世界のタテハチョウ図鑑』では、チョイロネッタイヒョウモンと云う冴えない和名が付けられている。ちなみに冒頭部分に登場するラマルキィハレギチョウには、ルリハレギチョウと云う和名が付与されている。
あと参考までに記すと『ぷてろんワールド』だと、エマレアミナミヒョウモンはフチグロミナミヒョウモンに、ツーレミナミヒョウモンはオオミナミヒョウモンとなっている、
だが、もうこの際、個別の和名の良し悪しの是非は捨て置く。最早どれが最も優れた和名だとかを論じる気にもなれないのだ。この和名の乱立状態、マジで業界の誰か偉いさんとかが何とかしなさいよと思う。

『東南アジア島嶼の蝶』には載っていないが、Regina種群の基準種である「Cirrochroa regina」の画像もあった。

 

(出展『世界のタテハチョウ図鑑』)

 
和名は「ミイロネッタイヒョウモン」となっている。
一応言っとくけど、コチラは『ぷてろんワールド』では「アカネルリツヤタテハ」なる和名が付けられている。是非は論じないと言ったそばから言っちゃうけど、レジーナかレッジーナネッタイヒョウモンでいいと思うけどなあ…。アマンダとか女性の名前っぽい名前は、何だか素敵だもんね。蝶は基本的に女性だと思ってるからね。

種の解説もしておこう。
スラウェシ島の”semiramis”の代置種とされ、更にメリハリのある斑紋が特徴。分布はニューギニア島とその周辺の島々(オビ、バチャン、ハルマヘラ)。
ちなみに『世界のタテハチョウ図鑑』では、imperatrixだけでなく、semiramisも幼生期が未解明となっていたが、この種だけは解明が進んでいる模様だ。

【幼生期】
五十嵐・福田(2000)を参考に記載する。

【卵】
未確認。

【幼虫】
黒色で気門下線に白色斑紋を配する。黒色の長い棘状突起を有する。

【蛹】
タイワンキマダラに似ているが、地色が白色である。胸部〜腹部背面に長大な突起を生じ、先端は黒色で基部は橙色である。

【食草】
イイギリ科のFlancourtia ryparosa、ベニノキ科のHydoncarpus wightianaの記録がある。

この事から青い女帝インペラトリックスも、ハリギリ科、もしくはベニノキ科の植物を食餌植物としている可能性が高いものと思われる。
ちなみに「五十嵐・福田(2000)」とあるから、おそらくコレは五十嵐邁&福田晴夫氏共著の『アジア産蝶類生活史図鑑』からの引用であろう。

『世界のタテハチョウ図鑑』には、Cirrochroa属の幼生期の形態画は載っていなかったが、同族の別属が図示されている。概ね見た目は近いものと推測されるのでネジ込んでおく。

 
(ビロードタテハ幼生期)

 
(ヒメチャイロタテハ幼生期)

 
(タイワンキマダラ幼生期)

 
(ウラベニヒョウモン幼生期)


(出展 以上、何れも『世界のタテハチョウ図鑑』)

 
いつ見ても、手代木さんの細密画は美しいと思う。
写真なんかよりも、よっぽどいい。
細密画は載っていないが、図鑑には一応”Cirrochroa属”の幼生期について言及されてはいる。

【卵】
基本的な本族の形態で、色彩は白〜黄色。

【幼虫】
棘状突起の配列は本族内だが、著しく長くて疎らの小突起が分枝する。色彩は背面が褐色〜黒色で下腹面は白色。

いやはや、それにしても凄く奇っ怪なデザインだすなあ。特に蛹なんかは凄い事になってる。もう怪獣とか怪人だわさ(笑)。
タテハチョウ科の幼生期はデザインの宝庫だよな。凡そ考えもつかないような個性的な形態をしているものが多い。邪悪さもあるから結構楽しめる。一人で、『😱キショ❗』とか言って盛り上がれるのだ。

また、ネッタイヒョウモン族の系統図と族全体の解説もあったので、載せておこう。

【分類学的知見】
幼生期が未知な属が多いために検証は不十分であるが、Simonsen et al.(2006)による構成はほぼ次のようである。

 

 
【成虫】
色彩斑紋は多様で、必ずしも豹紋型の斑紋ではない。

【幼虫】
幼生期形態は共通し、ヒョウモンチョウ族よりも長い棘状突起を生じる種が多い。

【蛹】
原色の鮮やかな色彩だったり種々の長い突起を有していたり、この族内の特色がある。

【食草】
スミレ科、イイギリ科(ヤナギ科)、トケイソウ科などで、いずれも新エングラー植物分類体系のスミレ目に属し、ドクチョウ亜科内の食草である。

【分布】
東南アジア〜オセアニア、アフリカに分布する。

う〜ん、でも矢張りこの種群が、どんな幼虫と蛹なのか知りたい。インペラトリックスは無理だとしても、せめて『アジア産蝶類生活史図鑑』に載っているという近縁種”regina(ルリヘリネッタイヒョウモン)”だけでも見ておきたい。図鑑を探そう。

 

(出展『アジア産蝶類生活史図鑑』)

 
\(◎o◎)/ゲロリンコ❗この図鑑では「ヘリグロタテハ」と云う又新たな和名が付けられている。(。ŏ﹏ŏ)ったくよー。
「ヘリグロ」とはまたイージーな…。正直、わざわざ新たに付ける程のものではござらん。マジでダサいと思う。
ちなみに、同属の中では裏面が一番美しいのは、このレジーナだと思う。ネットでフラッシュが焚かれている画像はメチャメチャ綺麗だかんね。

 
(終齢幼虫)

 
真っ黒で邪悪どすなあ。トゲトゲが長いとゆうのも邪悪度に拍車が掛かっとりまんな。

 

(出展『アジア産蝶類生活史図鑑』蛹は頭が下に写っているが、そのままにしておく。おそらく自然状態では、こうなのだろう。)

 
オナガタテハ族の中では、タイワンキマダラの幼生期に最も似ている気がする。
それにしても凄いデザインの蛹だ。そして美しい。貴婦人を思わせるような上品さと高貴さを兼ね具(そな)えている。インペラトリックスの蛹はコレを超えるものであってほしいね。

一応、解説文を転載しておく。
「パプアニューギニアにおいて本種は平地、低山地の樹林に生息し、周年発生をくりかえす普通種である。♂は樹林の日当たりのよい空地を敏速に飛ぶ。♀の飛翔は♂にくらべてはるかに緩慢、樹林内の日だまりを食餌植物を求めて飛ぶ。そして0.5〜2mくらいの低い食餌植物を見つけて産卵する。産卵場所の決定に迷いが多く容易に決まらず、葉の上を歩き回る。そして、若い葉の裏面に翅を閉じてとまり、1卵を産みつける。また花や実にも産卵する。興味深いのはクモの巣に産むことが珍しくないことで、これは近縁の Cupha erymanthis タイワンキマダラなどでも観察されている習性である。幼虫は1齢から終齢まで食餌植物あるいは枝が相接するほかの植物の葉の裏面に静止する。刺激に対して敏感で、すぐに歩き始める。歩行は速い。若い柔らかい葉だけを食い、硬い古葉は受け容れない。」

分布図も貼り付けておこう。

 

(出展『アジア産蝶類生活史図鑑』)

 
ビアク島にもいるのかなあ…。
いたら一石二鳥なんだけどな。あっ、でもパプア全土にいるんだからイリアンジャヤにも当然いそうだ。たぶん何処かで会えるだろう。

図鑑には、同属の「Cirrochroa tyche ティケミナミヒョウモン」の画像もあった。

 

 
コチラにも「ウスイロタテハ」という別な和名が付けられている。申し訳ないが、これまたダサいと言わざるおえない。まあ、そもそも成虫の見た目がパッとしないから、それも仕方のない事なのかもしれないけどさ。

 
(卵と若齢幼虫)

 
(幼虫)

 
より邪悪な見てくれである。もしフィールドで出会ったなら、間違いなく飛び退くだろう。毛虫はマジで苦手なのだ。

 
(蛹)

(出展『アジア産蝶類生活史図鑑』)

 
コチラの蛹も個性的なデザインだ。
まるでウミウシみたい。実際、こうゆうデザインの奴もいたような気がする。
どうやら、この”Cirrochroa属”は蛹が白いのが特徴みたいだね。だとしたら女王インペラトリックスも白い可能性が高い。なれば相当美しいものじゃろう。白地に青の斑紋だったら、悶絶必至だ。是非とも見てみたいやね。

長々と書いたが納得したので、漸く展翅する気になった。
引っ張るつもりはなかったけど、展翅するのが億劫とゆうのもあって、こうゆう順番の展開になった。スマン、スマン。

改めて見るが、裏も美しい。

 

 
軟化展翅するのは久し振り。
針を根元に刺して、筋肉を破壊してボンドを薄めたのを染み込ませてから翅を開く。

 

 
\(◎o◎)/ワオッ❗
ビカビカの青やんか❗❗
これは陽光の下で見てみたくなるね。外に出て検証しよう。

 

 
光が当たっていないと、青黒い紺色というか藍色だ。
曇りだったが、徐々に光が射してきた。晴れ男が望めば晴れるのである(笑)。

 

 
光が当たってる部分が輝き始めた。
どうやら構造色のようだ。光の角度によって色が違って見えるのだろう。

 

 
完全に晴れたら、とてつもない色になった。モルフォチョウの輝きと遜色ないピッカリ✨ブルーに仰け反る。
『世界のタテハチョウ図鑑』の標本画像を批判したけど、フラッシュを焚いてはいるのだろうが近いものがある。

構造色ならば、反対からの方が輝きは強いのでないかと考えて、上下を返してみる。

 

 
凄い色だね。海よりも青いコバルトブルーにゾクゾクくる。
これは展翅が楽しみじゃよ(☆▽☆)
さあ、気合を入れてキメるぜ。

ガビー∑( ̄皿 ̄;;)ーン❗❗❗❗❗😱😱😱😱
しかし、( ≧Д≦)やっちまっただよー。
頭が真っ直ぐならないのでコチャコチャやってたらば、ダアーッ༼;´༎ຶ ۝ ༎ຶ༽、あろうことか知らぬうちに触角が折れてもうてたー。
しかも折れた部分は行方不明。
(╥﹏╥)痛恨の極みである。海よりも深い溜息をつく。

覆水、盆に帰らず。やっちまったものはどうしようもない。クソッ、メタクソにしたろか(-_-;)…。心はささくれだってヤケ糞になりそうになる。だが、グッと堪え、キレずに完璧を期して展翅する。

 
(Cirrochroa imperatrix ♂)


(jan.20 Biak)

 
ネットで出てくる展翅標本の中では、文句なく一番美しいと言い切れる出来なのに…( ;∀;)うるうる。
みんな、💀死ねばいいのだ。心はウルトラダークの、フォースの暗黒面に真っ逆さまじゃよ。

スマホが勝手に補正して撮りよるので凄く青く写っているが、実際に部屋で肉眼で見ると、こんな感じが近い。

 

 
でも再現性は低い。納得いかないので、前のスマホで撮りなおすことにした。

 

 
コレが一番実物に近い。
普通の写真を撮った時はそうでもないのだが、標本写真を撮ると何故だかオート補正が強くなるんだよなあ。だから最近はあとで彩度を抑え気味に補正し直すことも多い。

٩(๑`^´๑)۶えーい、オラもフラッシュ焚いてやれ❗

 

 
ドえりゃあ〜色に写りよったよ(笑)。

下記のサイトの画像を見ると雌雄同型で、♀は♂よりも遥かに大型のようだ。
何故かリンクを貼り付けられないので、興味のある人はコピペして検索してね。

https://insectnet.proboards.com/thread/3495/cirrochroa-imperatrix

また、画像だと♀は外縁近くの帯が淡くて水色に見える。
他の♀画像が見れてないので、雌雄の違いが本当にそうなのかはワカンナイけどさ。

心がまだ折れてるので書く気があまりしないけど、一応、種の解説をしとくか…。
 
【学名】Cirrochroa imperatrix Grose-Smith, 1894

平嶋義宏氏の『蝶の学名‐その語源と由来』に拠ると、属名の「Cirrochroa(キロクロア)」はギリシャ語の女性名詞で、kirrhos(黄色の)+chroa(皮膚・色)の合成語。ただし、正しい綴りは「cirrhroa」であるべき云々とあった。
小種名の「imperatrix(イムペラトリックス)」はラテン語由来で、意味は「女帝」。綴りでググると「皇后」「后」という訳も出てくる。
毎回、学名にイチャモンをつけがちだけど、この小種名に関しては不満はない。相応しいと思う。この属の中では圧倒的に美しいんだから当然だ。
ちなみにインペラトリックスの方は英語読みだと思われる。タイトルに英語読みの方を採用したのは、そっちの方が音の響きが良いと思ったからです。

この蝶について日本語で言及されているものは極めて少ない。他に見つけられたのは、森中定治氏の『Cirrochroa imperatrix GROSE−SMITH(Nymphalidae)との出会い』と題したものくらいしかヒットしなかった。1980年12月にビアク島に実際に採集に行かれた時のことを書いたもので、そこには生態についての記述もあるので一部抜粋しよう。

「裏面はやはりグループ特有の模様・色調をもつものの表面は紺一色、メタリックな輝きをもつ美しい色調の変わり種である。このグループはDOHERTYの時代から特異な色彩をもつものとして知られ、PAUL SMARTの百科にも、D’ABRERAの図鑑にも示されている。中略。小道を挾んで片側はやや急な斜面の草原であり、もう片側はブッシュとなっていた。午前7:30〜8:30分頃、ここを”C.imperatrix”が飛翔した。一方通行である。斜面の上方から、一頭、また一頭、ビュンビュンともう片側のブッシュへ突っ込む。地上スレスレの50cm〜1m位の高さである。この飛翔は9時頃には全く見られなくなった。もう一度、このチョウを見た。昼下がり、どこからか飛んできて、民家付近の樹木の葉に止まった。地上2〜3mである。採集しようと、そっと近づいたが、あっという間に力強く一直線に飛び去ってしまった。Biakでの採集全日程を通して、このチョウを見たのは、後にもに先にもこのニ度だけであった。」

ネッタイ(ミナミ)ヒョウモンの類に、そんなに速い飛翔イメージはないから少し驚いた。でも、そっちの方がむしろ望むところではある。チョウやトンボ、甲虫でも憧れの入っているものは簡単には採れない方がいい。手強い方がファイトが湧くし、物語にロマン性が生まれる。それに何よりドラマチックな展開になった方が、採った時のエクスタシーも大きいのだ。

タイトルに「閃光」とつけたキッカケは『InsectNet Forum』というサイトだった。そこのコメント欄を見てたら、突然、バァーンと「blue flashs」という文字が目に飛び込んできたのである。

「 I caught one on Biak in 2009, it is a fascinating lep who launchs blue flashs when flying. Very impressive.
And really hard to find on Biak, we were 5 collectors collecting all day long during one week and we found only 2 of them. 」

和訳すると、以下のようになる。
「私は2009年にビアクで1頭を捕えた。飛んでいる時に青い閃光を放つ魅力的な鱗翅類で、とても印象的なものだった。
そして、ビアクで見つけるのは本当に困難だった。我々5人は1週間にわたり一日中採集していたが、そのうちの2人しか見つけることが出来なかった。」

このサイトの記述からも、森中さんの文章と同じく遭遇のチャンスは極めて少ないことが伺える。オマケに飛翔も速いとなれば、採りに行くとしたらワクワク度と不安が入り混じった状態からの旅が始まるだろう。女帝に強い想いを馳せるだろうから、島に行くまでのプロセスから既に物語が始まっていそうだ。そうゆうプロローグって好きだ。浪漫があるではないか。
ビアク島は地図上ではニューギニア島西部のイリアンジャヤからは、そう離れてはいない。だからイリアンジャヤでトリバネアゲハどもをしこたまシバき倒した後で、ついでに寄って採れるんじゃないかと思ったりもする。上手くすれば、reginaも手ごめに出来るんじゃないかとまで思う。イメージは、毎度の凱旋将軍なのさ。
ニューギニアには、死ぬまでに一度は行きたいね。

                        おしまい

 
追伸
『THE Insect Collector’s Forum』と云う別なサイトのコメント欄でも下のような記述を見つけた。

「 If you are interested in knowing more about it, this is the biotope where I have found it in Biak (a Papuan island in the North of W. Papua). It was a very hot and humid day in a rather dense forest. It was very tiring to hunt, and after one month in Papua, I was very tired. But I have seen some blue “flashes” inside a bush (I guess Morpho are doing the same kind of flashes) and it was him. Delias dohertyi also flies there. 」

必要なところだけを意訳する。
「その日はとても​​蒸し暑い日だった。そこはかなり鬱蒼とした森の中で、私はそのブッシュ内で幾つかの青い閃光を見た。それは、私にはモルフォと同じような輝きに見えた。それが彼だった。そこには、Delias dohertyi(ドヘルティシロチョウ)も飛んでいた。」

また、他のコメント欄には晴れの日の熱帯の強い陽光の中ではモルフォのように光るみたいな事も書いてあったし、「私が人生で飛んでいる蝶を見た中では、最も素晴らしいものの一つである。」とも書いてあった。
こうなると、益々フィールドで飛ぶ姿を見たくなるってもんじゃないか。ドヘルティーにも会ってみたいし、誰か一緒に行ってくんねぇかなあ❓

タイトルは「青い閃光」にしようかとも思ったが、躊躇した。自らの眼で生きてる実物を見たこともないくせに、おこがましいと云うか厚顔無恥というか、そこまであざとくはなれない。流石に己の良心が許さなかったのだ。だから自分で捕らまえない限りは、タイトルとしては使えないと思った。おバカでも、それくらいの矜持はある。
で、閃光だけ使うことにした。展翅するために翅を開いた時のインパクトは、閃光と云う言葉に相応しいと思ったからだ。
 
(註1)出谷さん
バリ島在住の標本商、出谷裕見氏の事。
標本商として世界的に有名な方であり、デタニツマベニチョウやセタンフタオなどを発見した伝説の人でもある。
いつもは息子さんしか来日しないが、この日は珍しく御本人もいらっしゃった。

 
(註2)『東南アジア島嶼の蝶』
1980年から刊行が始まった塚田悦造氏による全5巻からなる図鑑。日本が世界に誇るべき図鑑であり、東南アジアの蝶関連の図鑑では最も信頼できうるものでもある。
内訳は、第1巻がアゲハチョウ編。第2巻はシロチョウ・マダラチョウ編。第3巻はジャノメチョウ・ワモンチョウ・テングチョウ編。第4巻はタテハチョウ科で、上・下巻に分かれている。
しかし発刊は1991年で止まっており、シジミチョウとセセリチョウの巻は発行されておらず、未完結となっている。
理由は知らないが、おそらくシジミもセセリも種類数が膨大である事と、種の同定が困難なグループだからではないかと推察する。どちらのグループも似たようなものだらけだからね。あと、セセリは人気がないから発売しても売れそうにないとゆうのも理由としてはあっただろう。

 
(註3)ビロードタテハのマレー半島亜種かな❓
木村勇之助氏の図鑑、『タイ国の蝶 vol.3』で確認したら、黄色い紋がない全体的に紫色のビロードタテハは、どうやら別種 Terinos clarissa になっているようだ。
塚田図鑑の記述はうろ覚えだから、亜種区分云々は単なるワシの思い違いだったのかもしれないし、後に別種に分けられたのかもしれない。
でも南部には黄色い紋が淡い紫色になっているビロードタテハ(T.atlita)もいるからなあ…。しかも黄色いものとは亜種区分はされていない。手許に塚田図鑑が無いから確認出来ないし、木村図鑑は全体的に色の発色が悪くて画像も小さいから、細かい部分がよくワカンナイんだよなあ…。
おまけに、一方の Terinos clarissaも色彩や斑紋の変異幅が大きいんだよなあ…。
すまぬが、詳細を知りたい方は、御自分で真偽の程を確認して下され。

 
(註4)自分のアメブロのブログ
このワードプレスのブログの前にはアメブロでブログを書いていた。その中の東南アジア蝶紀行のシリーズに『熱帯の憂鬱、ときどき微笑』と題した一連の文章がある。そのマレーシア編の41話等にテルパンダービロードタテハが登場するようだ。
「ようだ」と書いたのは、自分でも書いたことを、すっかり忘れていたからだ。6年前の旅だが、スマホがブッ壊れたり、移動で苦労したりと結構大変な旅だったように思う。
まあ、ダンフォルディーフタオやキャステルナウイホソカバタテハ、シコラックスハゲタカアゲハの♀など結構佳い蝶が採れたから楽しかったけどもね。

 
【ダンフォルディーフタオ♂】

 
【キャステルナウイホソカバタテハ♂】

 
【シコラックスハゲタカアゲハ♀】

 
これらを久し振りに見て思った。4年ほど海外にも行ってないし、最近は今回みたいな形体の文章が多いけど、自分は本当は紀行文、それも長い旅の紀行文を書きたい人なんだなと思う。

 
(註5)ヒョウモンチョウ亜科
『東南アジア島嶼の蝶』は、1980年代に発行された古い図鑑なので、当時はヒョウモンチョウ亜科に分類されていたのだろう。

 
(註6)ウォーレシア
深い海峡によって東南アジアともオーストラリア大陸の大陸棚とも隔てられたインドネシアの島嶼の一群を指す言葉。
ワラセア(Wallacea)とも呼ばれ、生物地理学的な区分では東洋区とオーストラリア区との境界部分にあたる。
スンダランド(マレー半島,スマトラ,ボルネオ,ジャワ島,バリ島)の東側であり、オーストラリアやニューギニアを含むニア・オセアニアの北側、西側に位置する。

 

『出展『Wikipedia』』

 
赤い部分がウォーレシアである。 青線は生物境界線の一つウェーバー線。
ウォーレシアの名前の由来は、19世紀に活躍したイギリス人の生物学者であり、探検家でもあったアルフレッド・ラッセル・ウォレスの名から。
ウォレスはダーウィンとも親交があり、ダーウィンの進化論に大きな刺激を与えた。同時代にダーウィンはガラパゴスで、ウォレスはウォーレシアで生物進化の自然選択説に行き着いた。

 

(出展『進化の歴史 科学の』)

 
簡潔に言ってしまうと、ウォレスはスラウェシ島から東と西とでは全く生物相が違う事に気づいた。それが自然選択説(進化論)に辿り着くキッカケとなった。ウェーバー線は、後にウェーバ氏ーによって新たに引かれた生物境界線である。
この2つの線は、どちらの境界線が正しいとか間違っているとかと云うワケではなくて、この両線の間には東洋区、オーストラリア区両方の生物がいて、独自に特異な進化をしたというのが現状だろう。線ではなく、帯とするのが妥当じゃないかな。

 
ー参考文献ー

◼塚田悦造『東南アジア島嶼の蝶』第4巻(上) プラパック

◼手代木求『世界のタテハチョウ図鑑』北海道大学出版会

◼木村勇之助『THE BUTTERFLIES OF THAILAND タイ国の蝶 vol.3』木曜社

◼森中定治『Cirrochroa imperatrix GROSE−SMITH(Nymphalidae)との出会い』やどりが 1989年 136号

◼平嶋義宏『蝶の学名−その語源と解説』九州大学出版会

◼五十嵐邁・福田晴夫『アジア産蝶類生活史図鑑』東海大学出版会

 
(インターネット)
◼『InsectNet Forum』

◼『THE Insect Collector’s Forum』

◼『ぷてろんワールド』

◼蝶に魅せられた旅人
東南アジア蝶紀行『熱帯の憂鬱、ときどき微笑』

◼『Wikipedia』

 

紅テントの胎内宇宙

 
2月16日、NHK BSプレミアム「アナザーストーリーズ〜運命の分岐点〜」で、『越境する紅テント~唐十郎の大冒険~』と題して唐十郎と紅テントのことが取り上げられていた。

 


(出展『ステージナタリー』)

 
唐十郎を知らない人もいると思われるので、解説しておく。
1940年東京生まれ。劇作家、作家、演出家、俳優、横浜国立大学教授。
21歳で舞踏家 土方巽の門下生となり、その後、劇団「状況劇場」を旗揚げ、現在は劇団「唐組」を主宰。全国各地で紅テントでの公演を続けている。

 

(出展 NHKBSP『アナザーストリーズ』)

 
「少女仮面」で岸田国士戯曲賞、「海星・河童」で泉鏡花文学賞、「佐川君からの手紙」で芥川賞、「泥人魚」で紀伊國屋演劇賞、読売文学賞、鶴屋南北戯曲賞を受賞した。
主な著書に「ベンガルの虎」「夜叉綺想」「蛇姫様」「秘密の花園」などがある。
そして、その作品は今も数々の名優や蜷川幸雄などの名演出家たちによって上演され、刺激を与え続けている。

でも大鶴義丹のトーちゃんで、『北の国から 2002遺言』のトド撃ち名人の豪快なオヤジ役を演じた人といった方が解りやすいだろう。純(吉岡秀隆)が好きになる結(内田有紀)の旦那(岸谷五朗)の父親っていう設定だったかな。
しかし演劇界では唐十郎といえば、寺山修司(註1)の天井桟敷と共にアングラと呼ばれた前衛演劇の代表的存在であり、世間を騒がす武闘派というイメージがある。
唐十郎の喧嘩武勇伝については枚挙に暇がない。1968年、金粉ショーなどで紅テントの公演は話題を呼ぶが、公序良俗に反するとして新宿の地元商店連合会などから排斥運動が起こる。やがて新宿・花園神社での上演も出来なくなり、無許可で新宿西口中央公園にゲリラ的に紅テントを建て、問題作の「腰巻お仙 振袖火事の巻」を上演。公演中に機動隊300名にテントの周りを囲まれる。そして公演終了後には乱闘。逮捕、連行されている。
1969年、劇団「天井桟敷」の寺山修司は状況劇場のテント興業の初日に、冗談のつもりで祝儀の花輪を葬式用の花輪にした(これは寺山の天井桟敷の旗揚げ公演の際に中古の花輪を送られた事への意趣返しだった)。一週間後、唐は劇団員を引き連れて天井桟敷を襲撃。大立ち回りを演じ、乱闘事件を起こしたかどで唐と寺山を含む双方の劇団員が暴力行為の現行犯で逮捕される。
また、作家 野坂昭如とも新宿ゴールデン街の飲み屋で大喧嘩し、包丁を俎板に突き立てたこともある。
赤塚不二夫の著書によれば、酒場で喧嘩があると聞くと乱入し、大立ち回りをして見得を切ることもしばしばだったという。
小林薫が状況劇場を退団したいという話を聞いた唐は、小林のことを高く買っていたが為、退団を考え直すよう説得するために包丁持参で小林の住んでいたアパートへと向かう。しかし危機を察知した小林は既に逃亡しており、説得はできずに結局は小林の退団をなし崩しに認めてしまったという逸話がある。

また、この劇団からは前述した小林薫以外にも燦びやかな才能が開花している。
役者では、小林の他に根津甚八、佐野史郎、不破万作、六平直政、渡辺いっけい、麿赤児(大森南朋のお父さん)、大久保鷹、李礼仙、菅田俊らを輩出している。また石橋蓮司と緑魔子の『劇団第七病棟』には「ビニールの城」などの新作戯曲を提供し続けている。
芸術家では、横尾忠則、金子國義、赤瀬川原平、クマさんことゲージュッカの篠原勝之などが美術を担当し、ポスターを描いている。

 
(横尾忠則による紅テントのポスター)

(出展『FASHIONSNAP.COM』)

 
また音楽を小室等が担当していた。他に人形作家として知られる四谷シモンも役者として状況劇場に参加していた。

番組を見ていると当時の事が甦ってきた。
唐さんの紅テント芝居は何度か見ている。「状況劇場」の時代と「唐組」の時代を合わせて3回や4回観ている筈だ。
でも公演タイトルが全然思い出せない。

取り敢えずググる。
したら、唐十郎のウィキペディアに作品欄があった。そこから時代的に考えられうるものを並べてみる。

『ジャガーの眼』(1985年)
『少女都市からの呼び声』(1985年)
『ねじの回転』(1986年)
『さすらいのジェニー』(1988年)
『電子城-背中だけの騎士-』(1989年)
『セルロイドの乳首』(1990年)
『透明人間』(1990年)
『電子城II』(1991年)
『ビンローの封印』(1992年)
『桃太郎の母』(1993年)
『動物園が消える日』(1993年)

何となくタイトルに記憶があるのは『ジャガーの眼』『少女都市からの呼び声』『さすらいのジェニー』『電子城』『セルロイドの乳首』『ビンローの封印』だ。しかし候補が6つもある。そんなには観ていないから、このうちのどれか3つか4つとゆう事になる。

最初に観たのは『ジャガーの眼』の可能性が高い。
場所は生國魂神社(註2)だろうか❓

 

(出展『オークフリー』)

 
でもチラシには「生國魂神社」とは書いてなくて、「大阪・南港フェリーターミナル前広場」とある。南港になんて芝居を観に行った記憶は全くない。もしも、そんな特異なとこに行ってたら、絶対に憶えている筈だ。となると、別な芝居であろう。
それに1985年といえば、まだ当時の彼女とクリスマス頃までは付き合っていた筈だ。そんな幸せな時代にアングラなんて観に行くワケがない。振られて心がズタズタになっていないと、アングラ芝居なんて観に行くワケがないのだ。たぶん観たのは別れた翌年の1986年だろう。

でもウィキペディアには、1986年は『ねじの回転』とある。そんな題名は全く憶えにない。どう考えても最初に観たものではないだろう。そもそも、そんな題名には全然そそられない。どう考えても観に行ったとは思えない。
じゃあ、いったい何なのだ❓記憶の波の中で溺れそうだ。

ネットで探しまくって、漸く分かった。

 

(出展『ヤフオク!』)

 
このチラシで記憶がパチンとスイッチが入ったように甦った。
初めて観たのは『少女仮面』の再演だ。まさかの、考えもしなかった再演とはね。劇団ってのは、よく再演するとゆうのを完全に忘れてたよ。ウィキペディアには、そんな細かい事まで書いてるワケないやね。もっと早く気づくべきだったよ。
気づいたところで、見つけられたかどうかはワカンナイけど。

客演に「第三エロチカ」の座長である川村毅の名前がある。確かに老婆の役で出ていたね。無茶苦茶、顔がデカかったから憶えているのだ。

『🎵時はゆくゆく〜 乙女は婆に〜 それでも時が〜 ゆく〜ならば〜 』

ポロッと挿入歌のメロディーまで口元から溢れ出たから、絶対に間違いなかろう。
そういえば、初めて生で見た唐十郎はペテン師みたいだなと思ったんだよね。エネルギッシュで胡散臭かった。でも、その背中には物語が流れていた。

 

(出展 NHKBSP『アナザーストリーズ』)

 
しかし、このチラシには東京公演(新宿・花園神社)の事しか書かれていない。じゃあ、どこで観たのだ❓ 再びネットサーフィンが始まった。

で、だいぶと苦労した揚げ句、漸く関西公演についての記述を見つけた。
どうやら場所は生國魂神社ではなく、また大阪でもなくて、京都だったようだ。「今宮神社御霊」とある。そんなとこ行ったっけ❓ 別な芝居か❓ じゃあ初めて観たのは何処で何だったのだ❓と脳ミソが一瞬パニックになりかけた。(´-﹏-`;)エーッ❗❓、ワシの記憶装置って、そこまでポンコツなの〜❓
だが、徐々に記憶が戻ってきた。
そうだ、結構遅い時間に芝居がハネたので、帰るのはまあまあ終電ギリだったのだ。今宮神社は紫野の船岡山近くにあり、最寄りの駅は無くて、基本はバスで行くしかないのた。うん、確かに京都に観に行ったわ。

戯曲『少女仮面』は、唐が鈴木忠志が主宰する早稲田小劇場に書き下し、1969年10月に初演。翌70年に岸田戯曲賞を受賞。71年には唐自身の演出で状況劇場でも上演された。謂わば代表作だ。調べた中では、この公演が「状況劇場」としては最後の公演だったようだ。最後の公演だからこそ代表作をもってきたのだろう。そして、最後の公演だからこそ、わざわざ自分も京都まで足を伸ばしたんだと思う。

物語のストーリーは全然憶えていない。憶えていたところで、解りやすい明確な起承転結など無かっただろう。だが、そこに意味はない。テント芝居は頭で理解するものではなく、感じるものだからである。
演劇に限らず、芸術やアートはとかく「わかるorわからない」で捉えられがちだが、テント内の空間には「わかる・わからない」を超越したものがある。照明が落ち、闇が訪れる。暗闇に心がざわめく。この、ほんの僅かな一刻(ひととき)に、何とも言えない心持ちにさせられるのだ。不安とも期待とも違う形容し難いザラザラとした気持ちだ。
そして闇の奥から音楽が流れ出し、灯りがついた次の瞬間には異空間に放り込まれる。一気に空間は怪しく猥雑な世界に蹂躙され、観客はその胎内宇宙に閉じ込められて、ワケもわからず否が応でも五感を激しく揺さぶられるのだ。

番組では、過去のインタビューも挿入されていて、そこで唐さんは『芝居は、観客を現実原則の外に連れ出すための麻薬。』だと語っている。確かに映画なんかよりも芝居の方が、そうゆう要素が強い。映画館では、空間が異次元化することはない。現実と虚構に、ちゃんとした線引きがされている。おそらく、そこにはリアルな役者の肉体が在るからだろう。ゆえに現実と虚構が混じり合うのだ。

観ていて、正直言って皆下手クソだなと思った。マシンガンのように早口でまくし立てられる役者たちのセリフは滑舌が悪くて、何言ってるか解らない。でも、それでいいのである。言ってしまえば、おどろおどろしい見世物小屋なのだ。言葉と肉体が躍動する異次元世界に、ただただ身を任せればいい。
思うに、演劇の原点である河原乞食の時代は、このような世界だったのではなかったか。きっと歌舞伎なんかも元々はこうゆうものだったのだろう。そういや番組では紅テントが、故・中村勘三郎に多大な影響を与え、それが「平成中村座(註3)」の旗揚げに繋がった事も取り上げられてたな。
勘三郎さんは紅テントの芝居に触発され、それが歌舞伎の原点だと考えた。そして、念願の歌舞伎本来の客席と舞台との距離が近く、演者と客が一体化できるような空間を作り上げたのである。

 

(出展『Wikipedia』)

 
勘三郎さんが亡くなったのは57歳だ。そのあまりにも早い死はショックだった。今でも残念でならない。もしまだ生きていたら、歌舞伎界の枠をはみ出して活躍していたに違いない。

何度も流されるメリー・ポプキン「悲しき天使Those were the days my friend」がとても素敵だった。
切ない旋律は美しくて同時に力強く、ロマンと旅情に溢れている。たぶんジプシー音楽だ。流浪の民の香りがする。紅テントも全国を旅していたワケだから、謂わばジプシーみたいなものだ。日本だけでなく戒厳令下のソウル(韓国)、独立したばかりで混乱していたバングラデシュ、レバノン・シリアのパレスチナ難民キャンプなどでも公演が行われている。紅テントは忽然と現れ、忽然と姿を消すのだ。心を揺さぶられる。たぶん放浪の旅には、自分は終生憧れ続けるだろう。

 
メリー・ホプキン『悲しき天使』

(タップすると曲が流れます。)

 
唐さんは、このレコードをかけっ放しにして、カレンダーの裏に『少女仮面』を二日間で一気に書き切ったという。

そして、この曲が流れる中でのエンディングだった。しかも屋台崩し。最後には突然、舞台後ろのテントの奥が開き、外の風景と繋がるのだ。
一瞬だが、母の胎内から外界に出た嬰児(みどりご)の如く、世界が真新しく見えたのを憶えている。

2回目に観た紅テントの芝居は何だろうか❓
頭の中にある紅テントの風景は、大阪だと前述した生國魂神社と精華小学校だ。

 

(出展『Het大阪建築』)

 
精華小学校はミナミのド真ん中、高島屋からも近い戎橋商店街沿いに入口があった歴史ある小学校で、レトロな雰囲気がとても好きだった。今は取り壊されてエディオンになっちゃったけどね。歴史的建造物が電気屋になるだなんて悲し過ぎるよ。
日本は古い建物にもっと敬意を払うべきだし、遺す努力をすべきだ。でも平気で簡単にブッ壊しよる。そうやって日本全国の風景が平準化されてゆくのだろう。それってクソみたいな事で、唾棄すべき愚かなことだと思う。

色んな検索ワードで試して、何とか1989年に生國魂神社で『ジャガーの眼』が再演されているのを見つける事ができた。
たぶん紅テントを生國魂神社で観たという記憶は、この時のものだろう。これで『ジャガーの眼』というタイトルが頭に残っていたという理由にも解決がつく。

 

(出展『amazon』)

 
ならば精華小学校の紅テントの記憶は何なんだろう❓
校庭に紅テントが張られていたという記憶は絶対に在るのだ。写真だと、白いワゴンがある辺りにテントが張られていた筈だ。これは幻の記憶ではないと断言できる。
或いは当日券で観ようと思ったが、入れなかったとか…。そういや、その時は一人ではなかったような気がする。だとすれば、或いはユーラシア大陸をバイクで横断した時の相棒と、後にその嫁となるシノブちゃん辺りと吉本新喜劇を観た帰りにでも冷やかしで様子見に寄ったのかもしれない。
段々『ジャガーの眼』も本当に観たのかどうかの自信が無くなってきた。この頃には既に東京に住んで三年目になっていたからね。
もう、こうゆう曖昧模糊とした記憶の霧の中を彷徨うのはよそう。そんな事、今となってはどっちだっていい事じゃないか。

次に観た唐組の芝居は、ちゃんと憶えている。
1991年、京都の円山公園で観た『電子城Ⅱ』だ。

 

(出展『路地裏 誠志堂』)

 
この白黒のチラシは、よく憶えている。
だって写真で見ても、下に並ぶ三人の役者陣の個性が強烈なんだもん。化け物屋敷かよと思った。ちなみに左から麿赤児、大久保鷹、唐十郎の並びである。

「乞食城より第十一指令!!
城門前で別れた者たちを集めよ!
そして少女アセトアルデヒドを捕えよ!」

こうゆう惹句的なのは結構好きだなあ。ワクワクする。
オラも一度はこんな風な感じの文面で指令を受けたいものだ。

↓下のは店販用ポスターみたいだ。大抵の劇団がチケットの販促のために居酒屋など飲食店にポスターを貼ってもらうのだ。これは、だいたいにおいて新人劇団員のお仕事なんだよね。人見知りの劇団員にとっては、もう地獄なのだ。人見知りしないワシでも結構辛いもんがあったからね。

 

(出展『オークフリー』)

 
この芝居は大学の後輩の古川と美紀ちゃんと行った。あともう一人か二人いたなあ❓菊池かなあ。あと福助さんもいたような気がする。
芝居は基本的には一人でを観に行くことにしている。だから自分から誘うことはないだろうから、きっと古川あたりに誘われて行ったんだと思う。

早く着いたので、紅テントの裏をウロついてたら、黒いスーツに黒い帽子姿の麿赤児が一人で佇んでいたのをよく憶えてる。何てったってモノ凄いオーラが出てたからね。忘れようにも忘れようがない。けど、本当は最初は麿赤児だってワカンなかったんだよね。何気にわりと至近距離まで近づいてしまってから気づいた。そういや、古川が『麿さんと知り合いかと思いましたわ。そんな近づき方でしたからね。』とか言ってたな。

この公演は初期の状況劇場の看板俳優である麿さんと大久保鷹が客演で出ていた。大久保鷹は劇団から忽然と姿を消して、長い間行方不明だった事から、キャッチフレーズは『生きていたのか、大久保鷹❗』だったんじゃないかな。

勿論、内容なんて憶えていない。
憶えているのは唐さんと麿赤児と大久保鷹だけだ。この三人がとても楽しそうに演じていた。めちゃくちゃフザけてたけどさ。
大久保鷹が、歩くとキュッキュッ、キュッキュッと鳴る幼児用のサンダルを爪先履きして出てきたのには笑ったな。麿赤児は突然、黒いスーツを脱ぎ始めたと思ったら、中はピンクのレオタードだった。そして痙攣するようにカクカク踊りだしたのだ。何だか度肝抜かれたよ。麿さんは舞踏家でもあるから(註4)解らないでもないけど、何でレオタードやねん❓もう次の瞬間にはオカシクって笑い転げていたよ。
その二人と再び同じ舞台に立った唐さんは、とても嬉しそうだった。この時の唐さんが一番生き生きとしていたように思う。

レオタードで思い出した。
この数日後には、大学の後輩たちが作った劇団の団員たちと仮装ソフトボール大会をしたんだよね。
何でそんな事になったのかとゆうと、オラがこの時期に偶々東京から大阪に帰ってきていて、後輩たちが『○○○さん、今回は何したいですか❓』と訊いてくるので、単なる思いつきで「仮装ソフトボール大会。」と答えたにすぎない。
勿論というか、多分というか『オマエら、やるからには手ぇ抜くなや。徹底的に気合い入れたれや、ワレー。』などと声にドスを効かせて言ったに違いない。
自分でゆうのも何だが、20代から30代まではやる事が破天荒のムッチャクチャだったのだ。だから大阪に帰って来ると毎回、嵐が巻き起こると言われていた。この他にも「焼肉焼いても家焼くな事件」とかハチャメチャなエピソードが結構あるのだ。
話が逸れまくっているが続ける。
この仮装ソフトボール大会には笑った。長髪に70年代風のパンタロン裾幅広ジーンズの奴がレフトで、ずうーっとギターをかき鳴らして歌ってたり(打球が飛んで来る度に足元のグローブをはめてたのも笑った)、長いドレス姿で踊ってる奴がセカンドゴロを捕ろうとして裾を踏んづけて大コケして派手にゴロゴロ転がったりとか、麻薬ジャンキーの丸サングラス盲目男がボンゴを叩きながら、時々腕を捲ってゴムで縛り、セロテープで貼り付けたスポイトを取っては注射を打って陶然となってるふりをしていた。スポイトには御丁寧にも1つずつ「覚醒剤」「ヘロイン」「LSD」「阿片」とかマジックで書いてあったのだが、ネタ切れで最後のスポイトには平仮名で「まやく」と書いてあったなあ。アレ、妙に可笑しかったよなあ。
自作の缶コーラの被りものをしてた奴もいたなあ…。そいつ、運動神経抜群だったからバッティングも良かったんだけど、被りモンを針金でガチガチに作ったもんだからバットを持っても肘が全く動かせなかった。だから変なバッティングフォームになってて、全部空振りの全打席三振。彼は本来は強打者なだけに、とても悲しそうな顔をしてたんだよね。申し訳ないけど、アレにも笑ったよ。そういや、振り逃げで走ったけどドテッとファースト前でコケてもいたな。他にはソフトボールのユニフォーム姿なんだけど超巨乳女だとかアラブ人の格好した奴とかもいたな。
そして、着物姿で刀を持ってピッチャーをしてた古川は、試合中盤、オラが打席に立ったら、突然「ワシを斬ってくだせぇー。」とかヌカし出しやがるから、刀を奪い取ってバッサー❗と思いきし斬ってやったら、アレェ〜とか言って悶え始めた。で、カクカクしながら脱皮するように服を脱ぎ始めた。何をしとんねん❓と思ったら、中は何とピンクのレオタードであった。そしてレオタード姿で麿赤児ばりに更に激しくカクカク踊りだした。😄爆笑である。
そんな姿の我々を体育会系の学生たちが、ずうーっと無表情で遠巻きに見てたんだよねー。
あっ、スマン。完全に脱線だね。話を本筋に戻そう。

唐さんの芝居を最後に観たのは、1992年の『ビンローの封印』だった。

 

(出展『日本の古本屋』)

 
唐さんの小説担当の徳間書店の編集者の人に連れて行ってもらったのだ。
たぶん場所は新宿・花園神社で、公演初日だったんじゃないかと思う。なぜなら芝居がハネたあとに招待客だけが残って車座に座り、唐さんが客一人一人に酒をついで回る儀式にもいたからである。おそらく初日に招待客を呼び、挨拶するのが習わしだったんだと思う。
周りには俳優とか作家とかの有名人が何人もいたけど、今や誰だったかは思い出せない。唯一、覚えているのは斜め後ろに映画監督の林海象がいたことくらいだ。待てよ、作家の島田雅彦もいたような気がするな。
ちなみに番組では、大江健三郎、大島渚、篠山紀信、吉本隆明、澁澤龍彦、柄谷行人、村松友視などの作家や映画監督、役者、芸術家、評論家など錚々たる人たちが引き寄せられるように集まったと紹介している。

唐さんは自分の前にも来て、一升瓶で紙コップに日本酒を注いでくれた。そして、鋭い眼光でコチラをジロリと見た。流石、武闘派で鳴らした御仁だ。オーラも凄かった。何か粗相でもしたかと、ちょっとビビったっけ。
そして、オラの目をグッと見て言った。

『おまえ、いい面構えしとるなあ。役者か❓』

気圧されて、
『はあ、川村さんとこ、第三エロチカにいました。』
と答えた。でも、こっちも負けまいとキッと唐さんの目を見て言ったけどね。
そしたら唐さんが、
『うちに来ーい❗』
と言ったんだよね。
その言葉は、番組で流された『北の国から』の映像の、純に言って海に向かって仁王立ちした時のセリフと全く同じだった。声も口調も寸分違(たが)わない。

 


(出展 NHKBSP『アナザーストリーズ』)

 
その声が、十数年振りに耳の奥でリフレインする。

でも、たぶん突然の事で『はあ…。けどそんなこと急に言われましても…』とか何とか、しどろもどろで誤魔化したような返答をしたと思う。劇団を辞めて、あまり経ってなかったから色々と行く末に迷っていた時期で、芝居を続けるか否かの岐路に立たされていた時でもあったのだ。それに元状況劇場に在席していた知り合いに、劇団の共同生活の過酷さを聞いていたというのもあったのかもしれない。家族みたいなもので、プライベートがなく、バイトも出来ないとか言ってたのだ。どこまで本当かはワカンナイけどね。

最後に唐さんは、
『その気になったら、いつでも来いや。』
と言って隣の人に酒をつぎ、話しだした。それで、ちょっとホッとしたのを憶えている。

唐さんに褒められたのは、正直嬉しかった。
今思うと、もしその懐に飛び込んでいたなら、どうなってたんだろう❓また違った人生を歩んでいたに違いない。

テントの外に出ると、もわっとした生暖かい空気に包まれた。
夏は既に終わっていたが、まだまだ残暑の厳しい年だった。
そして夜空の下の新宿の街は鮮やかなネオンに彩られていた。
新宿には、それ以来行ってない。

                        おしまい

 
追伸
番組を見て初めて知ったのだが、唐さんは2012年に自宅前で転倒して頭部を強打して緊急入院、脳挫傷と診断されたという。そして手術は成功したのだが、後遺症は残ったようだ。それから9年、今は80歳を越えておられる筈だ。番組を見た感じでは、演出を劇団員の古株に託し、第一線からは引いているようだが、稽古場には時々顔を出しているみたいだ。
元気な姿で、また舞台に立って欲しいと思う。そう、切に願う。

 
(註1)寺山修司
[1935年〜1983年」
歌人,劇作家,演出家,詩人。早稲田大学国文科中退。高校の頃から詩才が注目され,大学進学後には短歌50首『チェホフ祭』 で『短歌研究』新人賞を受賞。「私」性を排したロマンとしての短歌で戦後短歌史に新しい1ページを開いた。1960年に処女長編戯曲『血は立ったまま眠っている』を発表。 67年には横尾忠則らと実験演劇室「天井桟敷」を結成。見世物の復権を唱え,徹底した前衛性と市街の劇場化などで国内外にセンセーションを巻き起した。代表作に『毛皮のマリー』『奴婢訓』などがある。また『田園に死す』などの映画や,エッセイ,評論でも鋭い感性と独自の視点をみせた。(『ブリタニカ国際大百科事典』より抜粋)

  
(註2)生國魂神社
大阪市天王寺区生玉町にある歴史ある神社で、大阪の代表的な古社の一つである。
かつては現在の大坂城の地に鎮座し、中世にはその社地に近接して大坂本願寺も建立されて繁栄したが、石山合戦後の豊臣秀吉による大坂城築城の際に現在の地に移されている。
この生國魂神社が祭神とする生島神・足島神は、国土の神霊とされる。両神は平安時代に宮中でも常時奉斎されたほか、新天皇の即位儀礼の一つである難波での八十島祭の際にも主神に祀られた重要な神々で、生國魂神社自体もそれら宮中祭祀と深い関わりを持つとされる。また、同様に大坂城地から移されたという久太郎町の坐摩神社と共に、難波宮との関わりも推測されている。その後、中世・近世を通じても崇敬を受け、戦前の近代社格制度においては最高位の官幣大社に位置づけられたという。
新字体は「生国魂神社」。
正式名称は「いくくにたまじんじゃ」だが、周辺に住む人々の間では「いくたまじんじゃ」「いくたまさん」と呼ばれている。生玉町にあるし、生玉神社と表記されることも多いから、オラもずっと「いくたま神社」「いくたまさん」と呼んできたし、「生國魂神社」と書いて「いくたま神社」と読むのだとばかり思っていた。だから、ちょっと青天の霹靂だ。
でも、これから先も「いくたま神社」と呼び続けるけどね。「いくくにたまじんじゃ」だなんて、歯が浮いて噛みそうだもん。絶対、それ無理。

 
(註3)平成中村座
歌舞伎役者の第十八代中村勘三郎(初演時は五代目中村勘九郎)と自由劇場の演出家 串田和美らが中心となって、浅草・隅田公園内に江戸時代の芝居小屋を模した仮設劇場を設営。「平成中村座」と名付けて2000年11月に歌舞伎『隅田川続俤 法界坊』を上演したのが始まりである。

 

(出展『Wikipedia』)


(出展『歌舞伎美人』)


(出展『チルチル☆Chimei☆』)

 
翌年以降も、会場はその時々によっては異なるものの、ほぼ毎年「平成中村座」を冠した公演が行われてきた。だが、座主の勘三郎が2012年12月に他界した為、2013年は公演が行われなかった。その後、勘三郎の遺志を継いだ長男の六代目中村勘九郎が座主を引き継ぎ、2014年に実弟のニ代目中村七之助、ニ代目中村獅童と共にアメリカ合衆国・ニューヨークで平成中村座復活公演を行った。
初演から2004年のニューヨーク公演までは仮設の芝居小屋での上演を特色としていたが、2006年の名古屋平成中村座公演以降は、既存の施設を利用しての公演も行われている。

 
(註4)麿さんは舞踏家でもあるから
状況劇場を退団後、1972年に舞踏集団・大駱駝艦を旗揚げ、主宰する。海外公演も積極的に行い、舞踏を「BUTOH」として世界に広めた。

 

寒鯖で〆鯖を作る

 
2月初めの事である。
スーパー玉出で丸々と肥った鯖が売っていた。寒サバという奴であろう。三重県産とあるし、どこかの湾内でたっぷりと脂肪を蓄えたものに違いない。
でも鮮度は微妙だ。抜群に良くはないが、鯖寿司が出来る範囲内には入っていそう。でも鯖はアタるとヤバいんだよなあ。一度、鯖寿司で酷い食中毒になった事があるからね。しかも百貨店の物産展で売ってた高級鯖ずしでだ。上からも下からもリバースしっぱなし。3分に1回はトイレに駆け込むという状態で、3日間で頬はゲッソリ、廃人のようになった。その時以来、京王百貨店には行っていない。ゼッテー、京王百貨店で買い物しないと心に固く決めたのだ。

念のために店員を呼び、鯖寿司が出来るか否かを尋ねる。
「大丈夫です」と答えるので、3枚におろしてもらった。

①先ずは身の両面に、たっぷりと砂糖をまぶす。してからに斜めに傾けて1時間程おく。
塩ではなく、なぜに砂糖❓と訝る向きもあろうが、あの「分とく山」の野崎さんも砂糖で〆るを推奨されておるのだ。味が格段に良くなるらしい。
言い忘れたが、傾けるのは臭みの元となる液を折角外に出したのに再び体に付着しないためだ。

②1時間経ったら砂糖を水で洗い流し、表面の水気を拭き、今度は塩で〆る。コレも傾けて1時間ね。

③塩を水で洗い流して表面の水気を拭いて、次は米酢に漬ける。時間は、お好みの〆具合と鯖の大きさによるが、15分から1時間の間ってところだが、浅締めにしたいので裏表15分ずつの計30分浸した。

④酢から上げて水気を拭いたら、薄皮を剥く。酢に漬けてからだと簡単に剥けるのだ。中骨もこの時点で抜く。生の状態で抜くよりも酢で締めた後の方が身がボロボロになりにくい気がするのだ。あくまでも、そんな気がするというレベルだけど。

食べ切れそうにないので、半身は昆布で巻いてからラップして冷凍庫にブチ込む。コレでアニサキスも死滅じゃよ。
アニサキスが怖ければ、もう半身も冷凍庫に72時間ブチ込むべしだが、アニサキスが怖くて生ずし(〆さば)が食えるかってんだ、٩(๑òωó๑)۶バーローめがっ❗

包丁で真ん中に切れ目を入れるべきだが、邪魔くさいので、そのまま削ぎ切りにしていく。
でもって皿に盛り、生姜と辛子を添えて完成。

 

 
先ずは、何もつけずにそのまま食う。
(≧▽≦)うんめっ❗脂がスゲーのってる。

お次は醤油をつけて。
これまた🤩うみゃーい❗
日本酒をキュッといくと、もう堪んない。身悶えする。

デカい鯖なので半身丸々は食べ切れない。残りは醤油と生姜を混ぜて一晩おくことにした。

 

 
ネギと白ごまを加えて混ぜて食べてみた。
酒のツマミにはバッチシやんけの、やんけーやんけーやんけーやんけー、そやんけ、ワレー。ワレーワレーワレー、そやんけワレー。河内のオッサンはシャウトする。
でも、はたと白飯と一緒だと、もっと美味いんじゃないかと思った。

 

 
やっぱ、旨いねぇ〜(´ω`)
正解だったよ。

数日後、冷凍してあった昆布〆ヴァージョンも食べることにした。

 

 
水分が少し抜けた感じだ。

 

 
白くなっているから、前回よりも酢が回ってる感じである。
食べてみよう。

(・∀・)なるほどね。
やはり酢が回ってるが、昆布の旨味がしっかり身に馴染んでいる。コレはコレで旨いね。どっちが美味いかと訊かれれば、浅締めだと答えるけどさ。

しかし、これは味見にすぎない。本チャンは鯖寿司なのだ。
その為に、最初に酢締めにした時の酢に軽く火を入れて冷まし、砂糖と昆布を入れた寿司酢を作り、前日からスタンバらしてある。
米を炊き、その寿司酢を混ぜて酢飯を作る。

 

 
酢飯には、ふんだんに白ごまを混ぜ合わせてある。
味は勿論のこと旨い✌️

腹一杯食ったけど半分残ったので、翌日は焼き鯖寿司にすることにした。
金串を刺して、ガス火で直火で皮目を焼く。で、今度も酢飯の上に盛り、辛子を横に添える。

 

 
焼き鯖にすると、趣きがグッと変わる。
より脂がグッと前面に押し出しきて、コレもまた旨いね。やはり寒サバだけあって脂のノリがスゴいわ。

来年もまた作ろっと。

                        おしまい

 

闇夜の絢爛

 
2020年 7月26日

ライトトラップを設置して30分くらい経った頃だったろうか。
突然、小太郎くんが椅子から立ち上がり、小走りに駆け出した。

何❓何〜❓もしかしてアズミ❓
えっ❗❓、えっ❗❓、えっ❗❓、もう飛んできたのー❓

この日はアズミキシタバ(註1)狙いで長野県を訪れていた。

 

 
慌てて自分も後を追っかける。
アズミキシタバが灯りに飛んで来るのは夜半前後と聞いていたけど、イレギュラーも有り得ると思ったのだった。

小太郎くんがライトトラップの裏へと回った。そして、深く濃い闇の手前でしゃがみこんだ。どうやらターゲットを追い込んだようだ。
ねっ、ねっ、アズミなのー❓もしかしてアズミキシタバが採れたのー(゜o゜;❓
しかし、返答がない。もー、何か言ってくれよー(・o・;)

三拍くらいおいて漸く小太郎くんは立ち上がり、振り向いて言った。

コレ、密かに狙ってたんすよー❗

見ると、手にケバいくらいの派手派手な蛾を持っている。
驚愕が走る。一瞬、その強烈な姿に仰け反りそうになった。
黄色、赤、黒。闇夜に浮かび上がる鮮やかな色のコントラストは衝撃的だった。しかも、デカい。
(⑉⊙ȏ⊙)図鑑で見たことあるぞー、ソレ。

名前は、たぶんアレだ。
『それって、もしかしてジョウザンヒトリ❓』
こともなげに小太郎くんが返答する。
『(・∀・)そうですよー。此処だと採れるんじゃないかと思ってたんですよねー。』
 
やっぱ、そうだったのね。ジョウザンヒトリはワシも会ってみたかった蛾の一つだ。俄然、奮い立つ。
思ってた以上にデカいんで驚いたけど、それ以上に驚いたのはその美しさだ。正直、図鑑で初めて見た時は毒々しくって背中がオゾった。華美が過ぎて邪悪な毒婦といった趣きに畏怖さえ感じたのを憶えている。だけど実物は絢爛ゴージャス。毒々しさを美しさが凌駕している。
百聞は一見に如かずだね。どんな生き物だって実物が一番美しい。そこには輝くような生命のオーラがある。素直にジョウザンヒトリって、こんなにも美しいんだと思った。

しかし、その時の画像はない。
写真を撮らせてもらおうかとも思ったが、負けず嫌いなんで自分で採って、自分で撮ったるわいと思ったのだ。
とはいえ小太郎くんのライトトラップなんだから、結局のところは採らせて戴くというのが正しいんだけどもね。

午後10時過ぎ。
闇の中で極彩色が明滅した。
(☆▽☆)来たっ❗❗

慌てて追いかけるがライトに飛んで来たと思ったら、スルーして地面に落ちた。で、暴れ倒している。わちゃわちゃしてるターゲットに、わちゃわちゃで駆け寄り、何とか手で抑えこんだ。

 

 
暴れ倒したせいで翅が少し擦れてしまったが、キレイだ。
小太郎くんの採ったのよりも鮮度は良い。
よく見ると、前翅の紋は黄色じゃなくて、クリーム色なんだね。地色も黒じゃなくて焦げ茶色だ。一方、後翅の紋は焦げ茶色ではなくて黒だ。そして、胴体はドギツいまでの鮮紅色である。概念を飛び越えて、豪奢に美しい。

自分は元々蝶屋で蛾は忌み嫌っていたから、こうやって蛾を手で触るだなんて、2年前なら考えられないことだ。蛾を見たら恐ろしくて飛び退いていたくらいだから、隔世の感ありだ。人生、何が起こるかわからない。そういや、あんまし好きじゃなかった女の子にいつの間にかズブズブに惚れてたって事もあったよな。

午後11時半に、もう1頭飛んで来た。

 

 
今度のは擦れていて、やや小振りだ。
時期的には少し遅いのかもしれない。アズミキシタバも♂の鮮度は落ちているものが多かったから、2021年はもう1週間早めに来た方が良さそうだ。
とは言いつつも、小太郎くんが連れてってくんないとどうしようもないんだけどね。

                         つづく

 
「つづく」としたし、次回を種の解説編として2回に分けて書くつもりだったが、後編の繋ぎの前書きを書くのが邪魔くさくなってきた。このまま続けよう。

だいぶ経った秋の終わりに漸く展翅した。

  

 
いやはや、裏もドギツいね。
あれっ(・o・)❓、採った時には全然気づかなかったけど、コヤツ、何か腹先から突起物が出ているぞ。
蛾に、こんなもんがある奴がいるとは知らなんだ。何かハサミムシの尻みたいだ。或いはナウシカに出てくるトンボとヘビトンボの合の子みたいな蟲とかさ。これって、ちょっと邪悪感ありだな。
野外写真で確認すると、1頭目の2枚目の写真にもハッキリとヤットコみたいなのが写っている。
オスかなあ❓メスなのかなあ❓
何のために、こんなもんがあるのかな❓このハサミでメスを無理矢理おさえつけ、オラオラで手ごめにする強姦蛾だったりしてね(笑)

 

 
展翅すると、ものスゲー毳(けば)い。
絢爛というよりかは、毒々しさが勝っている。ハサミムシみたいな突起物もあるし、やはり邪悪やね。それに美しいのは美しいけれど、下手したら道化の衣装みたく見えてきた。

一応、触角は真っ直ぐ系にしてみたが、何か違和感がある。あんまし蛾っぽく見えないのだ。やはり蛾は邪悪な感じでないといけんような気がする。まあ蝶屋の勝手な思い込みだけど…。
余程やり直して湾曲系の怒髪天にしてやろうかとも思った。
しかし、手のひらに乗せた横面画像では触角が真っ直ぐになっているし、採った直後の写真でも真っ直ぐっぽい。ならば、このままにしておくか…。

もう1頭の方も確認してみる。

 

 
(☉。☉)!あらま、コチラには尻に突起物がござらん。
とゆうことはだな、オスとメスとでは尻の形が違うって事だね。ちょっと驚きさんだ。じゃあ、どっちがオスでどっちがメスなんざましょ。やはり、こっちが♀で強姦される方なのかな❓

 

 
でも、こちらの方が小さいし、翅の形も全体的にシャープだから♂かなあ❓蝶や蛾の雌雄は相対的にオスよりもメスがデカい。そして翅形はオスがシャープでメスが丸みを帯びるというのが定番だからね。じゃあ、強姦どうのこうのという話は無しか…。
(´-﹏-`;)むぅ……。ならば、こうならどうだ。
メスはフェロモンでオスを誘い出し、近づいて来たところを尻のハサミでワッシと掴み、身悶えするオスを無理矢理に逆に手ごめにするとゆうのはどうだ❓男を巧みに誘い出しては屠る毒婦じゃよ。カマキリ夫人ならぬ、ペリカリア夫人だ。
Σ( ̄□ ̄lll)ハッ❗、なに言ってんだ❓、オラ。頭イカれてるぞ。何をアホみたいなことを妄想しておるのだ。想像力がクズだ。

(・o・ ) おっ、それとこっちは後翅の黒い斑紋が繋がってて、帯状になっとるね。コレも雌雄に関係あるのかな?まあ、それはないと思うけど。
ゴチャゴチャ言っても始まらない。取り敢えずは、どっちがオスでどっちが♀なのかを調べよう。

(@_@)ゲッ❗、調べたら、どうやらハサミムシみたいなのがオスみたいだ。又しても驚きだ。予想を裏切られたよ。
 
♀は、やや触角を湾曲させてみた。
でもなあ…、思ってた程にはカッコよくないんだよなあ。カトカラ(註2)みたく、ビシッと決まらない。
思うに、蛾において触角が短い種は真っ直ぐさせるよりも湾曲させた方が格好いいんではないだろうか❓
前脚も前に出した方が邪悪度は増すかもしれない。もし来年また採れたら、今度は思いっきし邪悪仕様にしてやろう。

一応、並べて撮ってみよう。

 

 
やはり明らかにメスよりもオスの方がデカイ。
普通、鱗翅類の多くの種はメスの方がデカいし、全体的に丸っぽいから違和感ありありだ。でも、たまたまこの♀が小さいだけなのかもしれないから何とも言えないけど…。

手を抜いていると言われるのも癪だから、カトカラの連載と同じく種の解説もシッカリしておこう。

 
【分類】
科:ヒトリガ科(Arctiidae) ヒトリガ亜科(Arctiinae)
属:Pericallia Hübner, 1820

 
【和名】
ジョウザンヒトリのジョウザンは北海道の温泉地として有名な定山渓の事を指しているものと思われる。おそらく最初に定山渓で発見されたから命名されたのだろう。
ヒトリはヒトリガの仲間の略称だね。

 
【学名】
Pericallia matronula (Linnaeus, 1758)

属名の”Pericallia”の語源は調べたが分からなかった。
因みに植物のシネラリア(キク科)の属名に”Pericallis”という近いものが使われている。

小種名の”matronula”は「未亡人」を意味するそうな。
これは良いネーミングセンスだと思う。ソソるね。想像力を掻き立てられる。
それにしても、えらくド派手な未亡人だなあ(笑)。
とんでもない毒婦で、金持ちの旦那を毒殺して遺産ガッポリ。派手に遊びまくってる未亡人を想像してしまったなりよ。若い男を次々と歯牙にかけてゆくのら〜。
ところで、ジョウザンヒトリって毒あんのかな❓こんだけド派手ならば、当然ながら警戒色である可能性が高い。如何にもアタシャ、毒ありますよアピールでしょうよ。
とはいえ、幼虫の食餌植物を確認しないと何とも言えない。もし餌に毒が有れば、間違いなく幼虫も成虫も有毒だからだ。
これは後で、別項でじっくりと検証しよう。

 
【亜種】
原記載(名義タイプ)亜種を含めて、現在のところ3亜種に分類されている。

◆ssp. matronula(名義タイプ亜種)


(出展『世界の美麗ヒトリガ』)

 
前脚を出してる方がカッコイイかも。あと、ハサミの部分はちゃんと整形した方がカッコイイんだね。そこまで考えて展翅すべきたったよ。今さらなおす気はないけどさ。

 

(出展『Photo Gallery Wildlife Pictures』)

 
名義タイプ(原記載)亜種はヨーロッパに産する。但し分布が限られる稀種で、絶滅の危機に瀕しているようだ。

極東のモノとは、どう違うのだろう❓
検索してみたら、前翅が焦げ茶色の極東のものと比べて色が薄く、カーキ色というか黄土色、オリーブグリーンのものが多いような気がする。けど、それが固有の特徴なのかは分かりませぬ。あくまでも印象で言ってます。

 
◆ssp.sachalinensis Draude,1931 (サハリン亜種)


(出展『世界の美麗ヒトリガ』)

 
コチラは♀だね。後翅の黒帯は繋がってないから、雌雄の判別とは関係ないようだ。
さておき、他に見た限りは繋がってるのはいないから、コレって珍しい型なのかもしれない。

ちなみにヨーロッパでは珍品だけど、極東では普通種なんだそうな。

 
◆ssp.helena Dubatolov & Kishida, 2004 (日本亜種)


(出展『世界の美麗ヒトリガ』)

 
日本産は以前はサハリン亜種に含まれていたが、♂交尾器の差違により近年になって分離された。但し、外見上からは区別が殆んどつかないらしい。

尚、岸田先生の『世界の美麗ヒトリガ』には、異常型が載っている。

 

(出展『世界の美麗ヒトリガ』)

 
白骨温泉で採集されたものだが、こんなもんワシだったら直ぐにはジョウザンヒトリとは気づかんだろね。見てもスルーしてるかもしんない。

 
【シノニム(同物異名)】
シノニムとして無効になった学名がいくつかある。

・Phalaena matronula
・Pleretes matronula agassizi

 
【開張(mm)】
ネットの『みんなで作る日本産蛾類図鑑』には、73-79mmとなっている。
一方『日本産蛾類標準図鑑』には、♂70mm内外 ♀80mm内外となっていた。
(・o・;) あれっ、やっぱり基本的には♀の方がデカいじゃないか。じゃあ、ワシの採った♀は矮小型❓
でも、よくよく見ると、ワシの採った♀も胴体は小さくとも開張(前翅の横幅)は上の♂とあまり変わらないのである。そうゆう意味では間違ってはいない。
以前から常々思ってたけど、この鱗翅類の大きさを表す開張とか前翅長ってのは、時に正確な大きさを表せていないケースがある。例えば前翅が横に幅広いが、後翅は小さいスズメガの仲間などは表面積は意外とないのだ。

 
(オオシモフリスズメ♂)

(2018.4月 兵庫県宝塚市)

 
そうはいえども、表面積なんか簡単には測れないから致し方ないんだけどもね。
されどテクノロジーの発展が目覚ましい現代ならば、近い将来にはスマホをかざせば、面積を瞬時に教えてくれるようになるかもね。そのうち図鑑でも表面積で大きさを表す時代がやって来るかもしれない。

話が逸れた。ジョウザンヒトリの大きさに戻ろう。
とゆうことは、本来の大きさの♀は、この♂よかデカいって事なのか…。♂70mm内外 ♀80mm内外というならば、この♂よりも1センチもデカいワケだね。だったら、相当にデカいとゆうことになる。それって、スゲーな。ワクワクするぞ。
確認のためにコヤツらを計測することにしたっぺよ。

(◎o◎)ありゃま❗上の♂は84mmもある。って事は♂の平均が70mm前後とすれば、スーパーなデカ♂って事じゃないか。
下の♀も測ってみる。
(--;)……79mm。何だよ、それって♀の平均的な大きさじゃないか。ようは別に矮小個体でも何でもないってことか…。得したような気もするが、何だか損した気分だ。デカ♂が採れたんだと思うと嬉しいが、♀の馬鹿デカさへの期待は見事に萎んだワケだからガッカリなのだ。チェッ(--メ)

 
【分布】
ヨーロッパ(フランス東部のアルプス地方と東ヨーロッパの中央部及び南部)から極東までのユーラシア大陸北部。
日本では、北海道,国後島,本州(東北地方・中部地方)に分布している。但し、記録は滋賀県辺りまであるようだ。滋賀県も冬は雪深いし、寒冷な気候に適応した種なのだろう。

余談だが、滋賀県で採集されたものは、かなり変わったフォームをしている。

 

(出展『九重自然史研究所便り』)

 
前翅前縁の4個の黄斑が小さく、前翅下縁先端近くにあるはずの黄斑が消失している。また、後翅の斑紋も縮小している。
2011年7月11日に比良山系の滋賀県朽木小入峠で採集されたオスで、得られているのはこの1頭のみ。
この場所から一番近い記録は福井県だが、岐阜県や長野県の生息地と繋がる県東部から南部の県境の比較的標高の高い地域から得られたもののようだ。つまりは隣県とはいえ、滋賀県で得られた場所からは遠く離れており、産地は連ならない。伊吹山系で見つかれば、また少し話も違ってくるけどね。
とにかく、今のところ滋賀県の産地はジョウザンヒトリの分布の南限であり、他の産地から孤立している。また、最も低い場所で採れたものかもしれないそうだから、独自に進化した可能性はある。となると、もしも朽木で同様の斑紋を持つ個体ばかりが採れれば、亜種になる可能性があるというワケだ。
ロマンがある話だけど、探しには行かないだろうなあ…。心のどこかで、どうせ偶々採れたのが異常型だったのだろうと考えてるのだ。それにその時期に採りたいものは他にいっぱいいるのだ。そこまでジョウザンヒトリに御執心にはなれない。
でも、そうゆう考えが凡人なんだろなあ。
ロマンある人は探しに行ってほしいね。そこそこヒーローになれまっせ。そこの若い人、名をあげるチャンスですぜ。

 
【レッドデータブック】
岩手県:Dランク
福井県:分布限界種B(県レベル)

 
【成虫の出現期】
7月〜8月。

 
【幼生期】


(出展『Photo Gallery Wildlife Pictures』)

 
たぶん終齢幼虫だろう。所謂、毛虫型ですな。特にこうゆう毛だらけのタイプのものを「クマケムシ」と呼ぶそうだ。たぶん熊みたいってことだろう。
猶、日本の幼虫画像は見つけられなかったので、外国のものを使わせて戴いた。

驚いたのは、卵から成虫になるまで何と2年も要することだ。
まるで高地にいる高山蝶や高山蛾みたいな生活史じゃないか。
殆んどの鱗翅類は年一化か年二化、もしくは多化性である。親になるまで2年以上かかるものは高山などの特殊な環境に棲むものくらいなのだ。それとて、平地で飼育すると大概の種は1年で親になることが多いというから、益々ワケがわからない。高山蛾でも何でもないのに、何故に2年もかかるのだ❓そこに重大な秘密が隠されていたりしてね。
何だかジョウザンヒトリって、規格外だらけだ。そうゆうのって何だか素敵だ。好感がもてる。

 
【幼虫の食餌植物】
ネットの『みんなで作る日本産蛾類図鑑』には、以下のものが挙げられていた。
ヤナギ科、キク科:タンポポ、オオバコ科、スイカズラ科。
しかし『みんなで作る日本産蛾類図鑑』は全面的には信用出来ない。誤記が多く、情報も古くてアップデートが全然されてないからだ。
『日本産蛾類標準図鑑』には、キク科ヤナギタンポポ、タンポポ、スイカズラ科、オオバコ科とあった。
ほらね、やっぱり『みんなで作る日本産蛾類図鑑』は間違ってたやないの。ヤナギ科ではなくて、キク科のヤナギタンポポじゃないか。このサイトには助けられているし、重宝もしているが、何度も騙されてもいる。だから今では鵜呑みにしてはならないと肝に銘じておるのじゃ。変だなと思うものは調べ直している。
まあ、それはさておき、ヤナギタンポポなんていう柳なのかタンポポなのかようワカランものが世に存在するとは夢にも思わなんだよ。

一応、海外での食餌植物の記録も調べてみた。
ヨーロッパのサイトを見ると、やはり多食性で以下のものが食餌植物として挙げられている。

・Lonicera(スイカズラ科スイカズラ属)
・Viburnum(ガマズミ科ガマズミ属)
・Rubus(バラ科キイチゴ属 ラズベリーなど)
・Corylus(カバノキ科ハシバミ属 ヘーゼルナッツの木など)
・Hieracium(キク科ヤナギタンポポ属)
・Vaccinium(ツツジ科スノキ属 ブルーベリーなどベリー系)
・Fraxinus(モクセイ科トネリコ属)
・Quercus(ブナ科コナラ属)
・Prunus padus(バラ科ウワミズサクラ属)

蝶と違い、結局のところ科を跨いで何でも食うぜの悪食蛾風情なのだ。こうゆう節操のないところが、蛾が蝶屋から蔑まされる理由の1つなのかもしれない。まあ、所詮は蝶屋の選民意識にすぎないと思うけどね。
それはさておき、見たところ毒の有りそうな植物は特に無さそうだ。とはいえ、一応チェックしておこう。

調べた結果、やはり特に毒性の強いものはなかった。むしろ殆どの植物が食用や薬用になっているくらいだ。
とゆうことは、ジョウザンヒトリには毒が無いって事なのか❓
だったらド派手に見せる必要性はない。いや、擬態か❓毒は無いのに毒のあるものに似せることによって天敵から身を守ってるのか❓
あっw(°o°)w❗、そういやドクガの仲間にジョウザンヒトリにソックリな奴がいたな。

 
(シロオビドクガ♀)


(2019.8月 長野県松本市)

 
よくよく見れば、色彩の配色パターンは同じだけど、厳密的にみると斑紋パターンが違う。
そういや、恥ずかしながら松本の新島々駅で初めて見た時はジョウザンヒトリかと思って小躍りしたんだよね。蛾は素人とはいえ、虫屋が間違うとゆうことは擬態の精度は結構それなりに高いと言ってもいいレベルなんじゃないかな。
(・∀・)んっ❓ちょっと待てよ。シロオビドクガはドクガの仲間に分類されてはいるが、毒は無かった筈だぞ。当時、名前が分からなくて調べたから、間違いない筈だ。
とゆうことは、シロオビドクガがジョウザンヒトリに擬態しているってワケか。ならば、ジョウザンヒトリには毒があるという逆証明になりはしまいか。

思い出した。このシロオビドクガ、面白いことにオスは見た目が全然違ってて、また別な蛾に擬態していた筈だよな。

 

(出展『BIGLOBE』)


(出展『日本産蛾類標準図鑑』)

 
雌雄異型なのだ。たしか見た目が違うことから、昔はそれぞれが別な種類だと考えられていた筈だ。そうだ、メスは「ハヤシヒトリ」という名で記載までされてたんじゃないかな。
過去にはヒトリガ科の1種だと思われてたんだね。ドクガの仲間とヒトリガの仲間は分類的には近いと思われるが、蛾の和名は錯綜しがちだ。ドクガとマイマイガなんて名前は違うが、同じカテゴライズ化されてる事が多いからワケわかんねえや。
他にも例えばカクモンキシタバ(Chrysorithrum amatum)という蛾がいるが、カトカラ(Catocala)属の下翅が黄色いグループ(カバフキシタバ、ナマリキシタバ、ヨシノキシタバetc…)をキシタバと呼ぶから、和名的に混同されがちだ。カクモンの属は、”Chrysorithrum”という全くの別属だったりするのだ。同じヤガ科のシタガバ亜科ではあるんだけども、ややこしい。蛾って、こうゆう人を惑わす和名が多いと思う。コレって何とかならんかね❓

♂は昼行性のホタルガに擬態していると言われている。それにしても、雌雄で擬態相手を変えてるだなんて手が込んでんな。

 
(ホタルガ)


(2018.9月 兵庫県宝塚市甲山)


(出展『対馬の蛾類』)

 
ホタルガの方が一回り小さいけど、見た目の擬態精度は高い。
昼行性とゆうことは、目立つだけに毒が有る可能性が高そうだが、一応有無を確認しておこう。

調べたら、幼虫には毒があるようだ。でも、まさかの成虫には毒が無いそうだ。だったら、擬態する意味ないじゃん❗ とゆうことは擬態しているワケではないって事❓ならば♀も別に擬態してなかったりして…。
いや、でもホタルガの幼虫に毒があるならば、それが成虫にも受け継がれてる筈だ。毒蝶や毒蛾とされるものは、知っている限りは全部子も親も毒ありなのだ。だいたいが毒をそのまま持って成虫になるというシステムになっている。だって、その方が捕食される可能性が低くなるから理に適っているからね。ホタルガの成虫に毒がないってホントかね❓何かの間違いなんじゃないかと疑いたくもなるよ。
翻って、もしジョウザンヒトリに毒が無いとすれば、何の為にド派手な姿をしているのだ❓ミミクリー(擬態)する相手に毒があるか、もしくは自身に毒が有るかでないと目立つ意味がないではないか。無駄に派手だと、どうぞ食べてございましと言っているようなもので、天敵にソッコー見つけられて捕食されるだけじゃないか。
う〜ん、ラビリンス(´-﹏-`;)、毎度の事ながら迷路に迷い込んじまったよ。

でも、ヒトリガのグループを代表するヒトリガ(ナミヒトリ)って、毒が有るって聞いたことがあるような気がするぞ。ならば、そこから突破口が見い出せるかもしれない。

 
(ヒトリガ)

(出展『Wikipedia』)

  
ジョウザンヒトリは黄色系の毳々(けばけば)しさだが、こっちは紅系のケバさだ。同じく、よく目立つ。どうみても毒ありまっせーと言ってるパターンだ。

 
【学名】
Arctia caja phaeosoma (Butler, 1877)

(・o・)あれれ❓、同じヒトリガの仲間なのに、ジョウザンとは属名が違うぞ。
(-_-;)ったくよー。こんなとこでもラビリンスに迷い込むとは思ってもみなかったよ。

調べてみたら、どうやら両種は同じArctiinae(ヒトリガ亜科)には入れられてはいるが、属は異なり、ジョウザンヒトリの属である”Pericallia”は1属1種、つまりこの属に含まれる種はジョウザンヒトリだけみたい。そしてヒトリガの属であるArctia属も、日本ではこのヒトリガ1種のみのようなのだ。これって蛾は属が細分化されてるって事なのかな❓だとしたら、それってどうよ❓って感じだなあ。

一応、標本画像も貼付しておこう。

 

(出展『オークフリー』)

 
美しいね。紅が目立つが、下翅の紋が青いというのが、またシャレオツだ。

あれっ(・o・)❓、当然、雌雄が並んでいるとばかり思っていたが、ジョウザンヒトリの♂の尻先にあるハサミムシみたいな突起物が両方ともない。まさかの2つとも♀なの❓それとも、元々ハサミムシ的な突起を持ってないとゆう事❓
気になるので、ここはハッキリさせておこう。

 

(出展『the insert collector』)

 
あった。
上が♀で下が♂のようだが、♂はハサミムシみたくなってない。他の画像でも確認したが、ハサミムシ的突起物のある個体は1つも見つけられなかった。とゆうことはヒトリガには突起物は元来ないとゆうことだ。なるほど、それなら両者の属が違うことも理解できなくもない。

極めて稀に下翅が黄色くなるものが見られ、宮崎県や長野県で得られているという。

 

(出展『世界の美麗ヒトリガ』岸田泰則 著)

 
一瞬、ジョウザンと間違えたよ。シロオビドクガとも似てる。
ヒトリガは個体変異が著しく、同じ斑紋の個体は無いに等しいらしい。それゆえか人気が高く、海外ではヨーロッパを中心に金魚みたく交配して新しい色柄を産み出しているようだ。

 
【和名】
「飛んで火に入る夏の虫」という言葉がある。
目の前に危険が待ち構えているのにも拘らず、火に飛び込んでしまう昆虫の習性を人間に置き換えたものだが、そのモデルになったのがヒトリガだと言われている。夜行性の昆虫の中でもとりわけ自ら火の光へ飛び込んでいく習性を持っているそうな。ゆえに漢字では「火取蛾・燈取蛾・火盗蛾」と表記がされるらしい。コレは目から鱗だった。勝手にヒトリガは「一人蛾」なんだと思い込んでたからね。何でロンリーなんだ?もしかして単為生殖なのかもとか色々と想像してたが、そっちかよ。
けど、蛾の中で特にヒトリガだけが火の中に飛び込みたがるとは、ちょっと信じ難い。ヒトリガの実物をまだ見たことがないから何とも言えないけど、どうにも眉唾っぽい。
そういえば有名な日本画に、飛んで火に入る夏の虫的なのがあったな。えーと、何だっけ❓そうそう、速水御舟の『炎舞』だね。あそこにはヒトリガは描かれていたっけか❓描かれていたとしたら、ヒトリガ自殺率高し説も納得なんだけどさ。

 

(出展『Wikipedia』)

 
どうやら描かれていないみたいだね。
なあ〜だ、つまんなねぇなあ。

さてさて、肝心の幼虫の食餌植物である。

 
【幼虫の食餌植物】
クワ科:クワ、スイカズラ科:ニワトコ、スグリ科:スグリ、キク科:キク類、アサ科:タイマ、雑草

『みんなで作る日本産蛾類図鑑』に書かれていた食餌植物だが、最後の”雑草”ってのにはズッコケたよ(笑)。
何じゃそりゃだし、元々このサイトは全面的には信用できないから、ここは岸田先生の『日本産蛾類標準図鑑』でも一応確認しておこう。

以下のものが挙げられていた。
クワ(クワ科)、スグリ(スグリ科)、アサ(アサ科)、ニワトコ(レンブクソウ科)、オオバコ(オオバコ科)。
飼育ではタンポポ類(キク科)、ギシギシ、イタドリ(タデ科)、キャベツ(アブラナ科)なども食うとなってた。とにかく、科とか関係なく何でも食うってことだね。好き嫌いがないと言えば聞こえがいいが、味音痴なだけじゃないのかえ(笑)。

尚、特に毒については言及されていなかった。
ならば、自分で探すしかあるまい。先ずは『Wikipedia』から覗いてみよう。

「本種の毒性についてはまだ解明されていないが、アセチルコリン受容体をブロックする神経毒作用を示すコリンエステルであると考えられている。また、小鳥のような天敵にとって、この配色には学習効果もあると考えられる。通常、木などに留まっているとき、本種は保護色にもなっている前翅の下に後翅を隠している。
しかし、危険を感じたらすばやく後翅の朱色を示して飛び立つ。これは鮮やかな色で天敵を混乱させるだけでなく、捕食された場合であっても、中毒を経験することで鮮やかな色がかえって記憶に焼きつく効果がある。それにより、近寄らない方が無難であることを学習し、結局この色彩が天敵に対する警告となる。」

やはり、毒はあるようだ。
でも、『Wikipedia』には同時にこうも書いてあったので、脳みそパニックを起こしそうになる。

「毛虫そのものの幼虫は、知らない人が見るといかにも毒々しいが、実際には毒はない(食草に含まれたアルカロイドを体内に含有していることがあるので、小鳥のように摂食する分には有毒ではある)。ただし幼虫の柔毛がアレルゲンとなり発疹などを引き起こすことがある。また同じヒトリガ科のヤネホソバなど近縁種の幼虫は、この毛が有毒の毒針毛になっているため、むやみに素手で触れるべきではない。」

「実際には毒はない」なんて書いてるから、一瞬ワケがわからなくなったよ。しかし、これはあくまでも手で触れても毒はないという事を言っているだけのようだ。食べない限りは毒に侵されることはないって事ね。ややこしい書き方すんなよな。

Wikipediaでは毒があるとは書いているが、推測の域でしかなく、どうにも曖昧だ。もう少し突っ込んで探そう。

ネットで探していると『胡蝶の社』というサイトに次のような文章が書かれてあった。

ヒトリガ科の幼虫の多くは広い範囲の植物質を食べます。大部分の種の幼虫は夜に活動します。幼虫は毛むくじゃらで、多くの種はジャガイモやキングサリなど、有毒物質を含む植物の葉を食べるため、毒をもっています。

ヒトリガの成虫の後翅は非常に目立つ朱色をしています。
実はこれは毒を持っていることを示す警戒色です。ヒトリガの毒を持つ経緯は次のようになります。

幼虫は毒であるピロリジジンアルカロイドを含んだ植物を優先的に食べます。しかし、幼虫は広食性でさまざまな植物から毒性化合物を取り込んでいます。

見た目が毒々しい毛虫そのものの幼虫ですが、実際に毛に毒はないといわれています。しかし、食草に含まれたアルカロイドなどの毒を体内に含有しているので、鳥のように摂食する分には有毒です。
また、幼虫の毛がアレルゲンとなり発疹や炎症などを引き起こすことがあります。
同じヒトリガ科の幼虫の中には、毛が有毒の毒針毛があるため、毛虫を素手で触れるのは危険です。

成虫
幼虫のころに蓄えた毒は成虫になっても体液などに残ったままです。翅の目立つ色と模様は捕食者への警告色として役立ちます。
ヒトリガの毒性についてはまだ解明されていませんが、アセチルコリン受容体を妨害することによって作用する神経毒作用を示すコリンエステルであると考えられています。

ヒトリガの成虫は危険を感じたらすばやく後翅の警告色を示して飛びます。
また、コリンエステルを噴霧することもあるそうです(噴射なんてヤバ過ぎだぜ。目に入れば失明だな。😱怖〜)。

この模様は他の蛾も擬態しているものと見られ、オスのシロオビドクガはホタルガに似ており、メスのシロオビドクガが羽を広げている姿はジョウザンヒトリに似ていることから、オスとメスで異なる蛾に擬態しているのではないかと考えられています。

一方、毒がないとする記述も多い。
「よく毛虫に刺されたという、被害を聞きますが、毛虫や芋虫などの昆虫の幼虫で毒があるのはごく一部。もちろん、このヒトリガの幼虫には毒毛や毒針はありません(「アウトドアの交差点」より)。」
見落としていたが『みんなで作る日本産蛾類図鑑』にも「幼虫は無毒。1971年環境衛生18-10より」とある。
ネットで更に検索したが、他も概ね毒はないと書いてある。
しかし、その殆どはワシと同じく孫引きである可能性が高いだろうから、そこのとこは留意しておいた方がいいだろう。
ちなみに幼虫に毒が無ければ、成虫にも毒はないと言っても過言ではなかろう。成虫だけに毒がある鱗翅類なんて例は自分の知る限りではいない。成虫が新たに体内に毒を有するためには何かから摂取するしかないが、そうするには毒水か毒蜜を吸うしかないけど、そんな奴がいるとは思えない。そうそうそんな場所はないし、そんな植物もないからだ。まさかの無から体内生成することが出来れば別だけど。

神奈川県衛生研究所のネットサイトで以下のように記述を見つけた。
「毒針毛などを持つグループとしてドクガ類、カレハガ類、ヒトリガ類、イラガ類などがあります。カレハガ類、ヒトリガ類、イラガ類は幼虫のみ害がありますが、ドクガ類の中には卵から成虫まで全てが害を与える種類がいます。」

ほら、こうゆうのが出てきた。
ヒトリガそのものを指してはいないが、ヒトリガ類の幼虫には毒が有るとハッキリと書いてある。ただし、問題点もある。幼虫のみ害があると書いてあるワケだから、つまりは幼虫には毒が有るが、成虫には毒が無いとゆうことだ。ホタルガと同じパターンだ。
 
Wikipediaのヒトリガ科のページにも以下のような事が書いてあった。

「発育のための栄養摂取を直接の目的としない、何らかの化学物質を摂取するための摂食行動・習性のことをpharmacophagy(薬物摂食, 薬物食性)と呼び、本科の、とくにヒトリガ亜科に関してはこの薬物摂食行動でよく知られる。幼虫期、あるいは成虫が羽化後に行う薬物摂食によって植物からピロリジジンアルカロイド、強心配糖体、イリドイド配糖体などの二次代謝産物を摂取・蓄積し、捕食者から身を守る化学防御機構に役立てるほか、雄成虫が性フェロモン合成や雌への婚姻贈呈 nuptial gift に用いる例も知られる。また、上述したような派手な体色や有毒昆虫への擬態はこの化学防御機構を捕食者に示す警戒色、およびミューラー型擬態として機能すると考えられる。」

となれば、ジョウザンヒトリの幼虫や成虫に毒があるという可能性もある。
それに10年程前(2011年)にツマベニチョウ(註3)の成虫に毒が有るってことが判明したという例もある。
オーストリアの研究チームがフィリピン、インドネシア、マレーシアで採集したツマベニチョウの羽や幼虫の体液成分を分析した。その結果、イモガイ(アンボイナ)と呼ばれる猛毒を持つ貝の毒と同じ成分であるコノトキシンが検出されたという。
イモガイはマジでヤバい。結構、日本でも死んでる人がいるみたいだからね。ダイビングインストラクターをしている時も、絶対にそれっぽいものは触らないようにしていた。ダイバーが死亡した例もあるのだ。
ツマベニチョウは日本にもいて、九州南部から南西諸島にかけて分布しているから勿論採ったことはある。それにアジア各地でも採っているから相当な数に触れている計算になる。だから当時はビビったね。羽を触った手で🍙オニギリ食ってて、誤って口に入りでもしてたら死んでたなあとか思ったもん。
しかし後に知ったが、鱗粉には毒は含まれないので、触っても全く問題ないそうだ。たぶん鱗粉じゃなくて、羽そのものの成分に毒があるのだろう。ようは食ったりしない限りは大丈夫ってことなんだろね。

 
(ツマベニチョウ♂)

(2016.7月 台湾南投県)


(2016.4月 ラオス)

 
何を言いたいかというと、まだ知られていないだけで、意外と毒を持つ鱗翅類は他にも沢山いるんじゃないかということだ。ドクガみたいに直接触れただけで被害をうけるモノなら直ぐに毒の存在がわかるが、体内にのみ毒を有するものならば、食べない限りはワカランのだ。そのうち、アレもコレも毒ありとなるかもしれない。特に派手な柄の奴は、その可能性が高いんじゃないかと思うんだよね。

「トレンドライフ」というサイトで、ヒトリガの毒をめぐる現在の状況が書かれてあった。
このサイトによると、ヒトリガの幼虫には毒があるという説と、毒はないという説の両方があり、確実なところは今もって分かってないと書かれてあった。重複部分があるが、以下に記しておく。

(毒がある説)
その毒はアセチルコリンを阻害する神経毒作用を持つコリンエステルであると考えられているという説があります。
又、体内の毒についてはまだ詳細は解明されていないが、植物由来の毒で鳥から身を守っているという説もあります。
いずれにしても、ヒトリガの幼虫の毒については、未だ研究は進んでいないようですね。

(毒がない説)
長い茶色の毛で覆われているので毒を持っているように見えますが、実際には毒は持っていないというものです。
又、成虫も毒はないと言われています。
但し、毒はないが長い毛にかぶれて炎症を起こすことは、希にあるようです。

なるほどね。
でも派手な色は鳥に何らかの警告信号を与えているに違いない。でないと、派手な色である説明がつかない。もし成虫に毒が無く、♂が♀を誘引するために派手な姿をしているのならば、理解できなくもない。鳥や蝶には、そうゆう種が沢山いるからだ。でも、そうなると派手なのは♂だけでよく、♀まで派手である必要性はない。むしろ地味な方が捕食されにくいだろうから、そうゆうケースは、♀が地味である例の方が圧倒的に多い。それにだいたいにおいてヒトリガが活動するのは夜なのだ。真っ暗な中では色彩もへったくれもない。
となると、昼間に鳥に捕食されないために警戒色を利用している可能性の方が高い。ようは鳥などの天敵に対して警告&抑止ができて、捕食を免れさえすればいいのであって、この際、毒が有ろうが無かろうかは関係ないのかもしれない。

                        おしまい

 
追伸
後からネットで、新たな文章が見つかった。
日本生態学会の大会講演の要旨みたいだ。
今さらどっちでもいいやという気分だが、一応載せておく。

一般講演(ポスター発表)P1-199(Poster presentation)

なぜシロオビドクガは雌雄で色彩が異なるのか:性によって擬態の対象が異なる可能性
Sexually different mimicry in the lymantriid moth Numenes albofascia?
*矢崎英盛, 林文男(首都大・生命)
*Hidemori Yazaki, Fumio Hayashi(TMU, Biology)

 警告色が介在する擬態は多くの昆虫で知られている。それらを雌雄に分けて理論的に再検討してみると、4つのパターンが存在する。このうち、(1) 雌雄とも同一モデル種に擬態する例(アサギマダラに擬態するカバシタアゲハなど)と(2) 雌のみが擬態する例(カバマダラに擬態するメスアカムラサキなど)は広く知られているが、(3) 雄のみが擬態する例、(4) 雌雄がそれぞれ別のモデル種に擬態する例についてはまったく研究されていない。警告色と擬態には、ベイツ型擬態(無毒の種が有毒の種に似る)とミュラー型擬態(有毒の種どうしが類似する)の2つが存在し、上記の4つのパターンの中でもこれら2つの擬態の判別を行う必要がある。
 日本に生息するシロオビドクガは、オスはホタルガに、メスはジョウザンヒトリおよびヒトリガに成虫の斑紋が酷似し、両者の成虫出現時期(初夏と初秋)は一致する。そのため、(4) の可能性がある珍しい例と考えられ、雌雄の斑紋の著しい性的二型は性選択ではなく擬態によって進化した可能性が高い。
 そこで、まず、ヒガシニホントカゲを用いた捕食実験を行い、シロオビドクガは捕食者に対して毒性がないこと、モデル種と考えられるホタルガ・ヒトリガには毒性があり忌避することが明らかになった。つまり、両者にはベイツ型擬態が成立していると考えられる。

ここにはハッキリと「ホタルガ・ヒトリガには毒性があり忌避することが明らかになった。」と書いてある。
とゆうことは、やはりヒトリガには毒が有るって事だ。ひいてはジョウザンヒトリも毒性がある可能性が高いってところだろう。とはいうものの、毒が何であるかは明示されていないし、その植物アルカロイドが何に由来しているかも書かれていない。
思考停止。最早、(ㆁωㆁ)白目ちゃんだよ。もうジョウザンヒトリは毒が有るって事でいいじゃないか。有れば全ての事が丸くおさまるんだからさ。

 
(註1)アズミキシタバ

【Catocala koreana Staudinger, 1892】


(2020.7.26 長野県白馬村)

 
日本では長野県と福島県の極めて狭い地域にのみ生息する蛾のの1種。
アズミキシタバについては拙ブログのカトカラシリーズの連載に『白馬わちゃわちゃ狂騒曲』『黃衣の侏儒』と題して前後編を書いたので、宜しければ読んで下され。

 
(註2)カトカラ
ヤガ科 シタバガ亜科 カトカラ(Catocala)属(和名だとシタバガ属)に分類される蛾の総称。

 
(ムラサキシタバ)

(2020.9月 長野県松本市)

 
(ベニシタバ)

(2019.9月 岐阜県高山市)

 
(ミヤマキシタバ)

(2020.8月 長野県木曽町)

 
(シロシタバ)

(2020.9月 長野県松本市)

下翅が鮮やかな種類が多く、蛾では屈指の人気グループ。
日本には現在のところ32種の分布しており、註1のアズミキシタバも含まれる。アマミキシタバを除き年一化の発生。春から秋にかけて見られる。

 
(註3)ツマベニチョウ

(褄紅蝶 Hebomoia glaucippe)は、チョウ目(鱗翅目)アゲハチョウ上科シロチョウ科に分類されるチョウの一種。
開張9〜10cm。モンシロチョウの仲間では世界最大級種で、中でも石垣島など八重山諸島のものが世界最大だとされる。モンシロチョウの仲間とは思えないくらいに飛翔は力強く、高所を飛ぶ。そのため、花に吸蜜に訪れた時や吸水に地面に降りた時くらいしか採集するチャンスはない。尚、ハイビスカスに吸蜜に訪れる姿は、とってもフォトジェニックである。
アジアに広く分布し、多くの亜種がいる。特に東南アジア南部には特異な亜種がいて、コレクターも多い。
添付した画像だが、もちろん日本でもツマベニチョウを採ったことは何度もあるのだが、標本を探し出して新たに写真を撮るのが面倒なので台湾とインドシナ半島のものを使用した。大きさはさておき、見た目は殆んど同じだから、まっいっかとなったのである。
そういや、長らく連載休止の『台湾の蝶』でも、まだツマベニチョウは取り上げてなかったな。ゼフィルスやジャノメチョウ・ヒカゲチョウ類、セセリチョウ類など、まだまだ書いてない蝶はゴチャマンとあるけど、果して再開するのかね。
もう一回、台湾にでも行かないとエンジンは掛かりそうにない。でも海外一人旅にも疲れた。誰か一緒に行ってくれないかなあ…。

  
ー参考文献ー

◆『世界の美麗ヒトリガ』岸田泰則 著 むし社

世界のヒトリガを一同に集めた図鑑。
これを見れば、ヒトリガの世界が俯瞰できる。

 
◆『日本産蛾類標準図鑑Ⅱ』岸田泰則 編著 学研

全4巻から成り、現在のところ日本の蛾について最も詳しく書かれている図鑑。

 
ーインターネットー
◆『みんなで作る日本産蛾類図鑑』

◆『Wikipedia』

◆『胡蝶の社』

◆European Lepidoptera and their ecology

◆Photo Gallery Wildlife Pictures

◆九重自然史研究所便り「滋賀県で採集されたジョウザンヒトリ」

◆『アウトドアの交差点』

◆『トレンドライフ』

◆朝日新聞デジタル「美しいチョウには毒がある 東南アジアの種、羽に神経毒」

◆神奈川県衛生研究所「有毒ケムシ類ードクガとイラガ」

◆日本生態学会の大会講演要旨『なぜシロオビドクガは雌雄で色彩が異なるのか:性によって擬態の対象が異なる可能性』
矢崎英盛, 林文男

 

鰊そば

 
無性に鰊(にしん)そばが食べたくなった。
きっかけはスーパーで「ソフトにしん」が半額になっていたからである。
一応言っとくと「ソフトにしん」とは、従来からある「身欠きにしん(註1)」と比べて干し時間が短く、柔らかいものの事をそう呼ぶようになったようだ。

しかし、そこのメーカーのソフトにしんって苦くて美味しくなかったという記憶が残っている。なので取り敢えず他の買物を先にしようと、一旦その場を離れた。

買物をしながら、ぼんやりと久し振りに京都は南座の隣にある『松葉(註2)』の鰊そばを食べたいなあと思った。
京都では鰊そばはポピュラーで、中でも『松葉』のものが一番有名なのだ。そういや、あまり好きじゃなかった鰊そばの本当の旨さに初めて気付かされたのは此処だったよね。

 

(出展『ことりっぷ』)

 
でも、値段が高いんだよなあ。¥1300(税込¥1430)もする。
金ねぇし、コロナの緊急事態宣言中だし、京都まで行くのは考えものだ。この際、自分で完璧な鰊そばを作ってみるっぺか。

で、一回りして戻ってきたら、(ㆁωㆁ)ゲッ、オバハンが目の前でワシのソフトにしんをカゴに入れはった。
一瞬、『それ、僕のぉー❗』と言いかけたが、そんなこと言ったら、狂人のオッサンと思われること必至だ。黙って見送る。
……(-_-;)マジかよ。一周回って漸く意を決して買おうとしただけに何だかとてもショックだ。こうなると、どうしても鰊そばが食いたくなる。それが人情ってもんだ。
けど、そんなの世の女子から見れば、子供じみてるって言われんだろなあ…。ちゃんとした大人は、そんな事で意地になったりはしないのだ。けど、どうせ未成熟とオンナどもに言われてきたオトコだもんねー。今さら治りゃしないのだ。
その代わりっちゃなんだけど、性格は変わらなくとも知恵は以前よりかはついている。棚を見ると、30%引きのがあった。賞味期限を確認すると明日になっている。
(ΦωΦ)フフフ…、勝機を見い出したぜ、マドモアゼル。
経験上、となればコヤツも明日には半額になっている筈だ。だいたいソフトにしんなんてもん、世の主婦で扱える人なんて少ないのだ。たとえ翌日に半額になっていたとしても、直ぐに売れるものではないだろう。余裕で明日来ても売れ残っいる可能性が高い。

翌日、夕方にスーパーへ行ったら、へへへ(◠‿・)—☆、あったぜ。

 

 
<( ̄︶ ̄)>オラって、かしこい〜👏
早速、調理にかかる。

①ソフトニシンは骨や血合いがあれば取り除いておく。
で、鍋に入れて緑茶をドボドボ注いでヒタヒタにする。有れば緑茶のティーバッグでもいい。っていうか、その方が経済的だろう。でも、どうせローソンの百均で買った2L百円のお茶なのだ。贅沢に使っても心は傷まないのさ。
尚、緑茶を使うのは茶葉と煮ることで身欠きにしんの臭みが消え、柔らかく煮上がるからだす。

②中火にかけ、沸騰してきたら弱火にして20分程でザルに上げる。冷めたところで、本当は『松葉』みたく半身そのままにしたかったのだが、半分に切る。「泣いて馬謖を斬る」の苦渋の決断だが、どう考えても今ある家の丼には入りきらないと判断したのだ。

③鍋にニシンとめんつゆを入れて中火にかける。煮立ったら落とし蓋をして弱火で20分程煮る。ニシンが柔らかくなり、照りが出たら火から下ろしませう。

④そばを表示時間よりも1分短めに茹でる。
 
 

 
今回はディーンのボーカルが『マツコの知らない世界』で、イラッとくるくらいに褒めていた『小諸七兵衛』。それなりに満を持したつもりだ。
茹で上がったら、冷水で締める。

⑤別の鍋に『ヒガシマルうどんスープの素』を入れて、熱湯をかけ(300ml)、ニシンの茹で汁を適当に加えて味を調整する。

 

 
⑥そこに蕎麦を投入。ひと煮立ちしたら、器に移してニシンと水菜を乗せて完成。

 

 
マジで、(☆▽☆)美味い❗
ニシンも完璧に仕上がってる。全然、苦くなくて、程好い固さだ。味付けも松葉のものと遜色ない。

旨かったので、翌日も食べた。

 

 
ニシンに蕎麦を掛ける松葉流の盛り方にしてみた。
けど、見た目は一本ニシンと比べて、何だかみっともない。
それにあまりに素っ気ないので、『松葉』では別添えである葱を乗っける。

 

 
こっちの方が見た目は、まだしも良いよね。
味は水菜が葱にチェンジしている分、微妙に違うが、やはり美味い。

まあ、それほど手間もかからないし、是非お試しあれ。

 
                        おしまい

 
(註1)身欠きにしん
干物にしたニシンのこと。冷蔵庫がない時代の魚の保存方法の一つで、ニシンの内臓や頭を取り除いて天日干しにしたもの。
干物にすることで身が引き締まり、骨にそって取れやすいとゆうことから「身欠き」と言われるようになったという。
最近では乾燥度が強くて扱いずらい身欠きニシンよりも、短時間で戻すことができて手間もかからない一夜干し程度のソフトニシンの方が主流となっているみたいだ。

 
(註2)『松葉』

(出展『360@旅行ナビ』)

 
正式名称は『総本家にしんそば 松葉』。
鰊そば発祥の店とされ、創業から百五十年を越えている老舗である。
ちなみに隣に写っているのが、顔見世興行で有名な南座。歌舞伎役者も、よく出前を頼んでいるそうな。

 

2020’青春18切符1daytrip 第四章(3)最終回

 

 第3話(最終話) 紀州の春の味

 
 2020年 4月10日(後編)

 
再び「スナック変てこネーミング愛好家」の活動が始まる。
今度は反対側から繁華街へ入ろう。

 

 
『銀ちろ専用二輪車置場』。
店の看板にチャリンコの置き場所を示すだなんて斬新だ。
でも、店本体が見当たらない。謎です。ステルス店舗なのかもしれない。地方に行くと、時空間が時々歪むからね(笑)。

『居酒屋 味心 むそう』。
「むそう」が無双の事なのか、それとも夢想を表しているのかがワカラナイ。いや、両方の意味が込められているからこその平仮名表記なのかも。だったとしたら、そんな掛け合わせをしようなんて考えた店は唯一無二だろうから、無双かもね。

『紅葉』。
「もみじ」もしくは「こうよう」という店名かと思いきや、下に「KREBA」の文字がある。「くれば」だったんだね。
けど、その読み方って無理がないかい❓普通に読めば「くれないば」、もしくは「べにば」だよね。紅に「くれ」という読み方はないのだ。
まあいい。にしても、何でわざわざ秋に限定されるようなネーミングにしたんだろね❓まさか秋限定のオープンなワケでもなかろう。う〜ん、ママさんの名前が「紅葉」でもなければ、解せませぬ。

『SEED』。
種子❓種(たね)は物事の始まりを表すものでもあるからして、理解できなくもない。
いや、まさかのママさんの名前が「タネ」だったりしてね。だとしたら、どんだけオールディーな名前やねん❓
そうじゃなければ、まさかまさかのシードの別の意味でもある「精液」や「精子」だったりしてね。(-_-;)…、だとしたら相当に奥が深い。ハプニングバーとか、とんでもない店だったらいいなあ。

『居酒屋 白百合』
「昭和」を通り越して、もう「大正」の世界だ。
一周回って大正ロマンの香りさえ漂っている。

振り返っても撮る。

 

 
どうやらこの通りは味光路(あじこうじ)というらしい。

 

 
『AGAIN』。
アゲイン。再び。
また来てねという意味か?
他に浮かばないし、段々無理からイチャモンつけるのも面倒くさくなってきたよ。

『LARME』。
ラルムというのはフランス語の「涙」「涙の雫(しずく)」の事でいいのかな。
にしても、そんなマイナス思考のネーミングでいいんすか❓

『スナック すみれ』
何ら奇抜さがない普通のネーミングだ。
でも奇を衒わないところが、かえって新鮮だ。明朗会計に違いなかろう。好感もてます。

『LUSH』。
普通に訳せば、「青々とした」「瑞々しい」だろう。
調べたら他にも意味があって、「大酒呑み」とゆうのが出てきた。たぶん由来はコレだな。
さておき、下の「a new sense bar」とゆうのが引っ掛かる。新しいセンスとは何❓
このネーミングのワケの分からなさにスナック文化の面白みがある。こうしてアレコレ想像するのは楽しい。ネーミングの裏に、その人の人となりが見え隠れするのだ。

『がらくた』。
(☆▽☆)来たー❗、自虐系ネーミング❗
けど、ストレートの平仮名表記である。普通ならば「我楽苦多」などという宛字をブチ込んでくるのがセオリーなんだけどね。その路線にいかないのは、言うほどポンコツではなさそうだ。ただの自虐的な人なのかもしれない。

後ろのビルの看板が横に写っている。気になるからコッチもコメントしておこう。

『Pino』
イタリア語かな❓ならば「松の木」とか「松ぼっくり」という意味になる。可愛さ演出かしら❓
単にお菓子のピノ好きの店主だったりして…。

『Bebe』
普通に考えれば「赤ちゃん」だよね。
ばぶばぶの赤ちゃんプレーの店だったりして…。いかん、いかん。どうしてもエロに走るクセがある。
だとしたら、フランス語の「パートナー」という意味なのかもしれない。豚が2頭向き合ってるしね。
でも、ちょっと待て❗
下には「Boys snack」という文字があるではないか❗❗
とゆうことは、モーホーの集まるスナック❓それもパートナーを探す的な❓しかも赤ちゃんプレーがメイン的な❓
頭がオカしくなってきたところで、目的の店の前に着く。

 

 
ここの向かい側が店となるのだが、惹かれる風情があって、つい写真を撮ってしまったなりよ。
あっ、でも惹かれた理由は風情だけじゃないと直ぐに気づいたよ。

 

 
🎵ホッピー(◠‿・)—☆
久し振りに看板と幟を見たので、テンションが上がる。奴は関東文化圏のもので、関西ではあまり見ないのだ。これは東京に住んでた頃に劇団の先輩に教えてもらったというか、仕込まれた。
えー、ホッピーとは下町のヤサグレ親父たちのフェバリット安酒の事である。
もとい、厳密に云うとホッピーそのものは酒ではない。

 

(出展『Wikipedia』)

 
ホッピー(Hoppy)とは、ホッピービバレッジ(旧・コクカ飲料)が1948年に発売した麦酒様清涼飲料水のこと。平たく言うと、ルートビアみたくビールテイストの炭酸飲料の事ね。でもホッピーといえば、焼酎をこれで割った飲み物を指す場合のことの方が多い。
ホッピーが発売された頃は、まだビールは高価だったそうな。なので、そのビールの代わりにホッピーで焼酎を割って飲む技が編み出された。そして、手軽にビールの満足感を得られる酒として関東圏で急速に広まっていったらしい。そう、ビールモドキなのだ。その辺からして男たちの苦い哀愁が漂うなあ。
ちなみに今でも東京の大衆酒場には必ずと言っていいほど置いてある筈だ。まあ、安く飲める酒の代表選手みたいなもんだすな。飲んでるオヤジたちもイタい人が多かったから、場末感満載なのだ。何だか懐かしい。

又しても脱線してもうた。
いざ、目的の店にゆかん。

 

 
『紀州魚介庵 かんてき』。目的地到着だす。
店はビルの奥まったところにある。

 

 
「かんてき」とは、関西では七輪(しちりん)の事だが、火がカチカチ熾る様から癇癪(かんしゃく)持ちを表す言葉でもある。つまり気が短くて怒り出したら止まらない人で、感情がコントロール出来ないってこと。
たぶん店の名の由来は、この両方で、どちらかとゆうと後者だと推察される。ならば、めんどくさい親父に決まっている。テメェで付けてるくらいなんだから、自他ともに認める性格なのだろう。

口あけだから、客はワシ以外には誰もいない。

 

 
カウンターの真ん中に座る。
店の雰囲気は昔からある居酒屋という感じだ。

 

 
目の前の大将は、よく喋る。
気は如何にも短そうだ。でも本当の癇癪持ちならば、店を長く続けてはこれなかっただろう。ようは気は短いが、気のいいオヤジさんってとこなのだろう。ヤンチャの匂いがしますな。

当然、先ずは何をおいても生ビールから入る。

 

 
付き出しは「イソモン(磯もん)」という地元で穫れる貝。
磯で穫れる貝を総称してそう呼ばれる事が多いが、見たところ1種類だけだから、どうやら地元ではそう呼ばれている貝なのだろう。一瞬、シッタカ(尻高)にも見えたが、似ているけど頂きはシッタカみたく鋭く尖ってないから別な種だね(註1)。

金串で根元を刺し、貝を手でぐるりと回しながら身を取り出す。こうすると、先っちょの肝までキレイにとれる。
味はシッタカとほぼ同じで旨い。肝のホロ苦さがよろしおまんな。所謂サザエの壺焼き系の味だ。それよか柔らかいけど。

 

 
お次は黒ビール。
黒ビールの生を置いてある店は少ないから、飲むことにした。

 

 
久し振りに飲む黒ビールは豊潤で旨い。

 

 
刺身盛合せ。
左は上からモチガツオ、モチガツオ心臓、グレの白子。右はヒトハメ、グレ、ウツボのたたきである。

モチガツオとは紀州の春の味覚の一つ。黒潮に乗って2~5月頃に紀伊半島沖に現れるカツオの中でも午後になると岸近くに寄って来るモノのことをいうそうだ。本来、カツオは遠洋にいるものとばかり思ってたけど、そうゆうカツオもいるんだね。
それを釣り上げて活け締めにして即座に陸揚げしたものは、死後硬直が始まる前のモチモチとした食感が味わえるそうだ。モチモチだからモチガツオと呼ばれてるってワケだね。付け加えておくと、モチガツオと言える状態は短く、水揚げされてから6時間以内なんだってさ。

モチガツオから食べてみる。
\(☆▽☆)/ワオッ❗、確かにモチモチの食感だ。
旨味もあって、(´ω`)うみゃーい。

お次は心臓だ。
艶々してて張りがあり、如何にも鮮度が良さそうだ。
(・o・)あっ、コリコリだ。珍味ですなあ。

続いてグレの白子。
コチラも見るからに鮮度が良い。たぶんグレの白子は初めて食べるんじゃないかな。
うん、臭みは全然ない。期待どおりの味だ。旨い。
とはいえ、鯛やフグの白子の旨さには及ばないけどね。

右側に移ろう。
わかりにくいが、一番上は「ひとはめ」という海藻である。
人をハメちゃうの❓何だか純真な田舎娘をシャブ中にしてソープに売り飛ばす悪いヤクザみたいな名前じゃないか。もしくは妖怪の名前みたい。『悪戯妖怪ひとはめ』。
「雨の日でもないのに道の角を曲がった所に水溜まりをこさえ、人がハマったのを見て、キャッキャッと喜ぶイタズラ系妖怪の事。」とかさ。
スゲー名前だなと言ったら、お女将さんが正式名称は「ヒロメ」だと言って小冊子みたいなのを見せてくれた。

 

 
「それによると、こう書いてあった」と書きかけて、邪魔クサイので画像を拡大する。

 

 
ようするにワカメの親戚みたいなものだ。
ただし細長くなくて、名前のとおり幅が広い。
ちなみに「ヒロメ」の「メ」は海藻(海布)という意味。これはワカメを漢字で書くと「若布」と書くことからも解る。
「ヒトハメ」の方は後で調べてみたら、人をハメるというヤバい由来は全然なくて、〝一つの葉〞で「一葉布」なんだそうな。

 

(出展『ぼうずコンニャクの市場魚貝図鑑』)

 
(出展『和歌山県ホームページ』)

 
葉部が大きな卵形で切れ込みがなく、メカブを作らないのがワカメとの違いみたい。

味は旨い。
シャキシャキとした食感なのに、部位によっては柔らかくてとろみがあって美味しい。粘質物に含まれる食物繊維「フコイダン」がワカメより多いそうだ。
とはいえ、生のワカメをサッと湯通ししたものと、ほぼ変わらない。黙って出されればワカランだろう。

最近は養殖も試みられており、「紀州ひろめ」というブランド名で販売促進されているという。
しかし近年は温暖化で冬場の海水温が下がらないためか、生育状況が良くなくて、収穫量は年々減少しているという。

ネクスト、その下はグレの刺身。
えー、グレとは関西での呼び名で、関東ではメジナと呼ばれている磯の代表的な魚ですな。
グレにはあまり良い印象を持ってない。磯臭いのだ。特に夏場はゲロ臭い。けど餌が違う冬場は美味であるという話も聞く。
それでも何度か食べた事はあるが、特別旨いという印象はない。
この時の味の感想の方だが、1年近く前の事なのでハッキリとした印象はない。ただ、グレにしては旨かったような記憶が残っている。

最後は「ウツボのタタキ」。
ウツボは見た目が凶暴且つグロテスクで小骨も多いので積極的に食べる地方は少なく、紀伊半島南部の一部と房総半島南部、高知県くらいだろう。
何度か食べた事があるが、タタキとはいうものの、生ではなくて火が結構入っている。レアチャーシューとか、ステーキでいえばミディアムレアみたいな感じに仕上げられたのものが多い。
色は白っぽくて鶏肉に似ていて、身は肉厚で柔らかい。味は淡白ではあるが独特の旨みがある。一方、皮は歯応えがあって弾力が強い。皮下と共にゼラチン質でコラーゲンも豊富そうだ。コチラの部位は、噛むと皮下のゼラチン質から濃厚豊潤な旨みが広がる。この身と皮の2つの異なる風味が合わさった味わいがウツボの最大の魅力かもしれない。
とはいうものの、めちゃくちゃ美味いってワケでもないけどさ。食べる機会があれば、トライしてみてはと云うレベルだ。

 

 
海老団子。
野菜も入っている。呻くほどではないが、旨い。

客は誰も来ない。
4月7日に東京や大阪など7府県に対してコロナウイルスに対する緊急事態宣言がなされていたが、和歌山県は対象外だった。
なのに、この閑古鳥の状態である。こんなとこまで影響力があったんだね。未知の病気だっただけに、当時は皆、相当にビビってたんだろう。あとは下手に調子ブッこいて外出して罹患でもすれば、周囲からの批判に晒され、病人なのに袋叩きに遭いそうな雰囲気があったせいもあるかもしれない。
尚、緊急事態宣言の対象を日本全国の都道府県にまで拡大したのは、もう少しあとの4月16日になる。

そういや、この時期には和歌山市の病院でもクラスターが発生したような気がするなあ。その影響もあったのかも。
結局、この日は他に一組の客しか来なかった。オヤジさん曰く、普段は満杯だそうで、土日などは予約しないと入れないそうだ。心なしか元気がなかったのは、そのせいかもしれない。いつもはもっと威勢がいいんだろね。

その後、和歌山県は知事の仁坂吉伸氏の適切な対応で、2021年の2月現在に至るまで感染は少数で抑えられ続けている。あまり報道されることはないが、その手腕は高く評価されているようだ。
余談だが、この仁坂さん、実を言うと蝶屋である。つまり、趣味は蝶の採集・蒐集・研究なのである。
去年の2020年10月には『ブルネイの蝶 Butterflies of Brunei』(NRC出版)という図鑑も出版されておられる。
定価10,000円+税(送料別)と結構な額の本だが、結構売れていて、在庫わずかだという。
これは蝶の雑誌『季刊 ゆずりは』に連載されていたものが下敷きになっていて、仁坂さんがブルネイ大使を務められていた2003~2006年に採集された標本を整理され、図鑑にしたものである。内容は、標本のカラー図版と各解説、巻末にブルネイの蝶663種のチェックリスト付いている。中には新種の可能性があるものも含まれているようだ。

 

(出展『Amazon』)

 
図鑑そのものは見ていないが、「季刊ゆずりは」の連載は一通り見ている。珍品もそこそこ採られておられるので、正直驚いた。どうせ片手間の何ちゃって蝶屋だと思っていたからである。
さておき、和歌山でも網を振られているのかな❓まあ、この御時世だと、それどころじゃないだろうし、見つかったらボロカス書かれるからなあ…。最近の世の中は、おおらかじゃないから揚げ足をとって、徹底的に叩いてくるからね。嫌な時代だよ。
えー、在庫わずからしいので、購入される予定の人は急ぎNRC出版か南陽堂にホームページにアクセスされたし。

話が逸れた。本道に戻そう。

 

 
お店の自家製カラスミ。
カラスミって魚卵好きには堪らんよね。何であんなに美味いんだろうと、つくづく思う。究極の酒のツマミの一つだろう。
となれば、ここは焼酎だろう。

 

 
勿論のこと、ロックである。

 

 
鹿児島県霧島市の国分酒造の芋焼酎『安田』。
店主曰く、芋麹で造られた全量芋製焼酎で、入手困難ゆえにプレミアが付きつつあるという。
通常の芋焼酎は米を使用して麹を造るのだが、これは麹造りから「芋」を使用しているから全量芋製なのだ。芋麹を用いることによって、より芋の風味が濃厚な仕上がりになるそうだ。
使用しているサツマイモも、通常使われる黄金千貫(こがねせんがん)とは異なり、蔓無源氏という品種で仕込まれている。
この芋は今から百年ほど前に食用として栽培されていたサツマイモで、わずか10本の苗から復活させたという。
尚、「安田」という銘柄の由来は、平成4年より国分酒造の杜氏となった安田宣久氏の名字を冠したものだそうだ。

飲んでみる。
あれっ❓ガツンとくるかと思いきや、優しい。香り豊かでフルーティーなのだ。芋焼酎にしては女性的だ。コレってワイングラスで飲んだ方がいいかもしんない。その方が、より香りを感じられそうだからね。
御託を抜きにして、味は素直に旨い。調子ブッこいてガンガンに飲みそうだ。でも、今日はちゃんと電車に乗って帰らねばならぬ。酒バカにならぬよう、ちっとはセーブしよう。
けどカラスミを少し囓って焼酎を口に含んだら、ブレーキホースが瞬時にブッた切れた。焼酎⇒カラスミ⇒焼酎のエンドレス運動が始まる。
この円環のためには下に敷いてある大根が邪魔だ。マイルドアイテムは要らぬ。酒呑みは口中の濃い塩味と旨味を酒で洗い流すのを旨(むね)としているのだ。大根は大根として別に食うべし。それはそれで旨いのだ。

 

 
こんなの頼んだっけ❓
たぶんカツオの心臓の煮付けだと思うが、食った記憶もない。
まあ味は大体想像つくけどさ。おそらく基本は魚の内臓の味で、ホロ苦かったんだろう。
こうゆう渋い酒のアテは、エンジンがかかりやすい。

 

 
『国分 純芋 醸酎』。
コチラも国分酒造の芋焼酎で、「現代の名工」として国から表彰された安田杜氏が手掛けたものだ。
コレも「安田」と同じく従来の製法を払拭し、麹造りの際に米を使用しないサツマイモ100%の芋焼酎だ。ただし、地元産のさつまいも黄金千貫で芋麹を造り、黄麹で仕込んだものである。蒸留後は無濾過・無調整で1年熟成。加水せずにそのまま蔵出しされたものだそうだ。ゆえなのか、アルコール度数は35度と高い。

飲んでみる。
ふくよかで華やかだ。黄金千貫を贅沢に使い、白麹ではなく黄麹を使用しているからか特徴的な甘みと、まろ味(旨味)も感じられる。こっちも旨いね。甲乙つけ難いが、どちらかというとこっちかなあ。

 

 
蛍烏賊の沖漬けだよね。
これも、あまり頼んだ記憶がない。どうせ焼酎に合うだろうと思ってオーダーしたんだろな。どうみても酒呑みが好きそうなものだもん。

あっという間に時間が過ぎた。
旨い食いもんと旨い酒は時間を忘れさせる。
何で幸せの時間は短く感じるんだろ。解るようで解らない。

すっかり外は夜になっていた。駅の光がまばゆい。
午後8時39分発の和歌山ゆきに飛び乗る。

 

  
23時40分、天王寺に到着。

 

 
23時48分発の大和路線の難波ゆきに乗る。

 

 
ようやくJR難波駅に到着。

 

 
23時56分。期限ギリギリで改札を出た。

 

 
外に出ると、まあるい満月が夜空に掛かっていた。
ここに旅の円は閉じた。
小さく息を吐き、「これにて青春18きっぷの旅、終了。」と呟く。
春のやわらかな夜気は、どこまでも穏やかだった。

                        おしまい

 
追伸
第二章の途中で頓挫していたシリーズだが、何とか再開して10ヶ月後に完結できた。基本的には中途半端なのは嫌いなので、ホッと一安心。ようやく肩の荷が下りたよ。
思えば第一章の福井編が5話、第二章の武田尾・三田編が4話、第三章の山陽道編が2話、第四章の紀州編が3話の計14話も書いている。しかも各話が長い。自分でもよく書いたなと思う。
途中で頓挫したのは、多分この長さゆえだったのではないかと思う。書いてて、進まない終わらないで自分でも途中でウンザリしてきたのだ。そこへきてカトカラシリーズの連載が再開したものだから、そっちに力を注ぐことになったのだろう。
今年度の目標は文章を短くする事かな。でも脱線癖を治さねば無理だね(笑)。
文章を書き慣れない人は長い文章を書くのが苦手だろうが、実を言うと短い文章の方が難しい。慣れれば長い文章は誰でも書けるようになるが、それを削ってコンパクトにする方が遥かに難しいのだ。付け足すよりもソリッドに削る方が、より時間もかかるし、難産なのだ。

例によって、この日の正規運賃を示しておこう。

JR難波⇒道成寺 ¥2310
道成寺⇒紀伊田辺 ¥680
紀伊田辺⇒JR難波 ¥3080

              計 ¥6070

今回のチケットは金券ショップで購入した4回分¥6000(もしかしたら¥5000かも)のものだから、1回分を¥1500とすれば、以下の計算式となる。
¥6070ー¥1500=¥4570
つまり、¥4570もお得だったワケだすな。やっぱ青春18きっぷは、とってもお得なんだね。

そろそろ春も近い。
「かんてき」には、今年も行きたいなあ…。モチガツオと自家製カラスミは、もう1回食べたい。

(註1)シッタカみたく鋭く尖ってないから別な種だね

帰って調べてみたら、正式名称はクボガイのようだ。

 


(出展『ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑』)

 
北海道南部以南の日本各地、朝鮮半島、中国南部にかけて分布する。潮間帯の岩礫地に棲み、藻類を食べる。
「磯もの」や「磯玉」と呼ばれ、シッタカと共に海辺の居酒屋や宿などで茹でたものが出ることがある。身は小さいが、はらわたは磯の風味があり、足は甘みがあって美味。
(『Wikipedia』より抜粋)

参考までにシッタカの画像も貼り付けておきます。

 

(出展『ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑』)

 
正式名称は「バテイラ」というらしい。けどあまり使われてなくて、シッタカの方がポピュラーな名前だす。
それにしても、流石のぼうずコンニャクさんだ。食べられる魚介類は調べりゃ何でも出てくる。ホンマ、重宝しとります。

 

2020’青春18切符1daytrip 第四章(2)

 
 第2話 紀州逍遥

 
 2020年 4月10日(中編)

 
道成寺駅で次の電車を待つ。

 

 
特急くろしおがやって来た。
遠くから特急が近づいて来るのって、何だかワクワクする。

 

 
でも引きつけ過ぎて顔が切れてしまった。
さておき、特急くろしおは既に289系が導入されている筈だが、これって287系だよなあ。一挙に全部入れ替わるというワケではないんだね。冷静に考えれば当たり前なんだけどね。

暫くして、反対方向からも特急が来た。

 

 
w(°o°)wあわわっ、今度も287系だけどパンダ仕様じゃないか。
白浜アドベンチャーワールドにはパンダが沢山いるからね。でもコレって全然かわゆくないよね。

 

 
(☉。☉)ゲッ、又しても顔が写ってへーん。
一つ前の画像を拡大したら、正面の顔は確認できるけど、一応借り物の画像を貼り付けておこう。

 

(出典『Wikipedia』)

 
やっぱ全然、可愛くねーや。
ついでだから、最初の顔が切れた別タイプの車両の画像も貼っつけておきまふ。

 

(出典『Wikipedia』)

 
「特急くろしお」については前回に書いたので、気になる人は前回を読みませう。

 

 
駅の歩道橋って何となく好きだ。

 

 
線路が遠くまで見えるし、周りの風景もよく見える。
列車を真正面や真上からも見れるし、到着と出発、人の乗り降りも見える。それが好きなんだろね。

午後1:27の紀伊田辺ゆきの列車に乗る。
さて、次は何処で降りようか❓青春18きっぷなんだから、今日中ならば何処で降りようが自由なのだ。

 

 
視界が広がる。
山々の芽吹きが眩しい。南なだけに照葉樹が多いのだろう。
ここで漸く気づく、この列車って窓が広いぞ。だから視界がバーンと広がったのだ。

 

 
切目駅を過ぎた辺りだったろうか、海が見えた。
ここまで来ると青いね。綺麗だ。
以下、ずっと海〜\(•‿•)/

 

 
水平線が見えた。

 

 
しかも、ずっと目の前が海だ。
贅沢だなあと思う。特急ならアッという間だが、鈍行列車だと各駅に停まるので、落ち着いた気持ちでゆっくりと海を眺められる。何か得した気分だ。世の中、何でもかんでも速くて便利だからいいってワケではないのだ。

 

 
川を越える。
おそらく南部川だろう。

 

 
南部(みなべ)駅は素敵だ。
改札を出る前から海を感じられる。改札の先は海へと続く真っ直ぐな道だ。少し歩けば、すぐ海なのだ。そうゆう駅って無条件に好きだ。心が自然と沸き上がる。
懐かしい…。南部の海はダイビングインストラクター時代に何度も訪れているから思い入れがあるのかな。

 

 
午後2時過ぎに紀伊田辺駅に到着。
駅名を改めて見て違和感を覚える。此処を紀伊田辺と呼ぶ人は関西人でも殆んどいないだろう。皆、単に「田辺」と呼ぶ。
なのに何でわざわざアタマに「紀伊」とつけたのだろう❓
あっ、そっか大阪の東住吉区に「田辺」という地名があったな。そのせいなのかもしれない。
場所は天王寺の南南東にあり、「田辺」の他に「北田辺」「南田辺」「西田辺」「東田辺」という地名があって、東田辺を除いて同じ名称の駅がある。それぞれ路線は違ってて、田辺駅は地下鉄谷町線、北田辺駅は近鉄南大阪線、南田辺駅はJR阪和線、西田辺駅は地下鉄御堂筋線だ。

ここは、その昔「田辺郷」と呼ばれ、庚申街道や下高野街道、難波大道など数多くの歴史街道が交差することから、古来、難波宮の時代から栄えていたそうな。
「田辺」は古くは田部とも書き、飛鳥時代に朝鮮半島から渡来した豪族田辺氏が開発した土地で、隣の平野区も含め付近一帯は渡来系に因む地名が現在も残っている。
杭全神社のある杭全(くまた)地区は杭全荘を開発した坂上(さかのうえ)氏が開発した土地だと言われている。坂上氏は百済(くだら)系の渡来人で、JR東部市場前駅の百済貨物駅や百済大橋などにその名が残っている。補足すると、平安時代には今の生野区から平野区・東住吉区の一帯は百済郡と呼ばれていたようだ。生野区の鶴橋一帯が今もコリアンタウンなのは、それと何らかの関わりが有りそうだにゃ。
また駒川商店街のある駒川は高麗(こま=こうらい)の宛字だとされるし、地下鉄喜連瓜破(きれうりわり)駅の喜連は、高句麗(こうくり)の「高」を略して喜連の字を宛てたとされているみたいだ。
言わずもがなだが、百済、高麗、高句麗は何れも朝鮮の王朝名である。つまりは、古い時代からこの一帯は朝鮮系の渡来人が多く住む土地だったのだろう。

尚、なにわ伝統野菜の一つ「田辺大根」の名称は、此の地に由来する。
余談ついでにもう一つ。ちなみに北田辺は作家の開高健が育った町だ。あの巨匠のもっちゃりとした大阪弁は、田辺の地で培われたのだね。
何で、こんなに詳しいのかというと、何れの場所も自分の育った町から近かったからである。特に東田辺はすぐそこだった。
(・o・)あっ、しまった。いつの間にか脱線してたよ。メンゴメンゴ🙏

改札を出ると、駅構内に↙こんなのがあった。

 

 
田辺といえば南方熊楠だが、あの怪力無双の荒法師 武蔵坊弁慶もそうなの❓
でも弁慶って、田辺と何か関係あったっけ❓
下にある解説を読むと、弁慶の出生地は田辺だという説が最も有力らしい。(・o・;) へぇー、そうなんだ。
あとの人は知らんなあ…。あっ、片山哲は辛うじて知ってる。総理大臣だった人ね。世間一般的にはマイナー総理だけどさ。

インフォメーションで地図を貰い、駅を出る。

 

 
駅舎は残念ながら新しい。
古い駅舎の方が風情があって好きなんだけどなあ。容易に旅情感に浸れるからね。謂うなれば、お浸りロマンチスト増幅装置みたいなものなのだ。

 

 
ふ〜ん、ちゃんと駅前に弁慶さんの銅像まであるのね。
全然、紀州のイメージはないけどなあ。どっちかというと京都や「弁慶の立ち往生」で有名な平泉(岩手県)とかだよね。
いやさっ、でも紀州といえば山岳信仰の地だから、弁慶の出で立ちである山伏とは通ずるところがあるな。

田辺駅で降りて街に出たのには、3つの理由がある。
順番が逆のような気もするが、1つめは物理的な理由からだ。
何も調べてこなかったから目をパチクリしてしまったが、次の普通列車は午後4時50分発。何と3時間近くも間隔があくのである。
「バーカ、そんなの事前に調べとけよ。」と云うツッコミが入りそうだが、断固として受けつけない。それは自分の中での概念だと「旅行」だ。「旅」ではない。そうゆうことを言う人は、一生「旅行」だけしてなさい。旅と旅行とは違うのだ。
旅行は計画ありきのものだが、旅は「予定は未定であって、しばしば変更」流浪のものなのだ。
ことわっておくが、別に「旅行」というスタイルを否定しているワケではない。時と場合によっては、自分もそうゆう形式は使うからね。単にスタンスの違いだ。女の子との旅行は流石に宿は予約するからね。けんど、一人旅だと外国でさえも宿泊の予約は入れない。
とはいえオイラ、デートも綿密に計画を立てることは少なくて、待ち合わせ場所で何処へ行くのかを決めちゃうな人だからなあ…。その後も、その場その場で行き当たりばったりで決めてくからなあ。だから、時に動線が無茶苦茶になる時だってあるもんな。
たぶん、予定調和が嫌いなのだ。計画をこなす事よりも、きっと何が起こるか自分でもわからない、ようはサプライズを期待してる人なのね。
一応、言っとくけど、計画を立てるのが苦手なのではない。立てろと言われれば、完璧に立てられる人でもある。
あれっ(・o・)❓、オラ、何言ってんだろ。そんな偉そうな自慢話なんて、どーでもいいクソみたいな話だわさ。脱線太郎、スマンスマンのプチ反省(◡ ω ◡)なり。

兎に角そんな長い間、駅で待ってるワケにはいかない。気が短いから退屈すぎて死んでしまうわ。
ようは、たとえこの先へ進むにしても、時間つぶしをしなければならないとゆうワケだね。直近にして突発的理由だから、これが最たる理由なのだが、やはり順番が間違ってたような気がするね。
他の理由は、田辺に行きたい居酒屋があったことを思い出したからだ。去年(2019年)、青春18きっぷの旅について書かれた雑誌を見てたら、モデルケースの一つに紀州方面があり、田辺の居酒屋が取り上げられていたのだ。地元の珍しい食材に拘った店で、しかもリーズナブルだと紹介されていた。まあ、これとて降車する10分か15分前に思い出した事なんだけどもね。
あとは田辺市内を観光したことがないし、熊楠が生まれ育った街を見てみたいとゆうのもあった。
なんか、グダグダになってきたな。グダグダついでに、グダグダで続けよう。

ただ、それでも当初は田辺には少し立ち寄るだけのつもりだった。予定では1時間くらい居てから、もう少し先に進んで、また夕刻に田辺まで戻って来て居酒屋に行くつもりだった。でも、このまま此処が今回の旅の往路終着駅になりそうだ。こんなにも先に進む普通列車が無いとは全くの予想外だったからね。時間的にみて、次の5時前の電車には乗れない。物理的に乗れないワケではないが、乗れば夕飯どきに戻って来れない公算か極めて高い。下手したら居酒屋は諦めなくてはいけない。そう考えると、この先へは進めないのだ。
もしも道成寺で下車していなければ、13:10発の新宮ゆきってのに乗れたんだろな…。新宮までは無理としても、周参見、白浜、串本、勝浦、那智の何処かまで行って、そこで過ごしてから夕方に田辺に戻って来るというのが正解だったのかもしれない。
まあ道成寺は道成寺で、それなりに面白かったから後悔はしてないけどね。
結論。今さら考えても仕方ない。ここは腰を据えて田辺をじっくりと回り、堪能しようではないか。

 

 
先ずは居酒屋の位置確認からだ。
情報は去年のものだから移転しているかもしんないし、何か、やんごとなき事由で店を閉めている事だって有り得ないとは言えないのだ。それに、このコロナ禍の御時世だ。休業している事だってあるかもしんない。

繁華街へと向かう。

 

 
『すなっく かっぱ』に『たつまき』。
いきなりパンチの効いたネーミングの店が登場だ。
第一章の福井県敦賀編でも熱を入れて書いたが、実をいうとオジサンはスナックの変てこネーミング愛好家なのである(笑)。

「かっぱ」って、当然あの妖怪の河童のことなのだろうが、何で河童なん❓店主がカッパに似ているのだろうか❓或いは、全身緑色だったりして(-_-;)…。
それとも無類のカッパ好きなのだろうか❓だとしたら、余白があるんだからカッパの絵ぐらい入れてもよさそうなものなのになあ…。
また或いは、I君みたいにむっつりスケベのエロガッパなのだろうか❓
もしくは、店主が事あるごとに、

『尻子玉、抜いたろかぁー❗』

と叫んでるエキセントリックな店だったりしてね。
だとしたら、ちょっと行ってみたいぞ。かなり勇気いるけどさ。

『たつまき』ってのもなあ…。
何で付けたのかよくワカランぞなもし。竜巻の勢いにあやかっているのならば、そこは漢字でしょうに。平仮名に何かしたら弱まって「つむじ風」になっちまうじょ。絵も竜巻って感じじゃなくて、巻きが軽いもんなあ。竜巻を起こすくらいのインパクトのある店を目指しているなら、根本から間違ってやしませんか❓、ねぇ❓
もしも名字が「竜巻さん」だったら、即あやまりますけどー。

 

 
『蝶 Butterfly』。
店主はワタクシと同じく蝶を愛し、趣味としている蝶屋さんなのかなあ…。だったら、いいなあ(. ❛ ∇ ❛.)
で、すげー艶っぽい妙齢の美人さんなら最高なんだけどなあ。
二人して周りの客をほっぽらかして、丁々発止の熱い蝶談義を交わすのだ。
そんなの、リー即で惚れてまうでぇー💖
まあ世の中、そんな奇跡なんて有り得ないと思うけど…。
親しみ安いからか、世に、蝶だのバタフライだのパピヨンなどと云う店名の店はゴマンとあるのだ。ゆめゆめ、あらぬ期待を持ってはならない。
それはそうと、尾突がないね。そうゆう店に有りがちなアゲハチョウのシルエットではない。モルフォチョウ❓にしては微妙にフォルムが違う。詮索はよそう。間違いなく大脱線が待っている。

『磊風八 らいふうや』。
磊落の磊に風と八。店の店風というかコンセプトが豪放磊落って事なのかな❓八(や)は「屋」とかけているのかもしれない。だとしたら、中々に洒落っ気があって凝っている。好きかどうかは別だけど。

 

 
左の『乱舞』に、右の真ん中は『YAMA CHAN』やね。
スナックに有りがちな定番的とも言えるネーミングセンスだ。

『乱舞』と書いて、英語で小さく「RAN-BU」と入れるのも定番手法だ。真ん中を棒線で区切ってるところに悦があるね。
さておき、何故にスナックの名前に大胆にも乱舞なんて大仰ネーミングをしてしまうのだ❓コレもまたスナックならではの、あるある風呂敷デカめパターンだ。
けど、店のドアを開けたら、実をいうとサンバの店で、半ケツのネェーちゃんたちが群がって踊りまくりの、ホントに乱舞しているやもしれぬ。(。◕‿◕。)だったらいいなあ。
それって、間違いなく楽しそうだもんなあ(✿^‿^)

『YAMA CHAN』。
このアダ名を横文字化する手法も多い。普通に「山ちゃん」でいいと思うんだけど、変にカッコつけてネーミングしてしまうのがスナックカルチャーなのだ。

たぶん店主は山田さんか山本さんだろう。
山野さんとか山下さん、山村さん、山川さん、山上さん、山口さんに、山崎さん、山中さん、山森さんかもしんないけどさ。あらま、これだけでもかなりポピュラーなのが揃っているじゃないか。それこそ、他にも山と有りそうだ。失礼、思わずクソ駄洒落を言っちまったよ。
改めて山がつく名字っていっぱいあるんだなあ。山で始まるものだけでも凄い数になりそうなんだから、これに山で終わる名字の中山とか大山や、小山内や小宮山など3文字の山入り名字まで含めるとなると、とんでもない数になりそうだ。

調べてみたら、何と山とつく名字は全部で260種類くらいあるんだとさ。
恐るべし❗、マウンテン名字勢力。

 

 
『スナック 可憐』。
怒られそうだけど、中に入って可憐な女性がいる確率は1000%ないだろう。むしろ、それと正反対のオババがいて、ズケズケと何やかやと説教される確率の方が遥かに高い。
スナック愛好家って、もしかしたらこのギャップを愉しんでいるのかもしれない。自分は、あくまでも「スナック変てこ名前愛好家」であって、スナック愛好家ではないから(スナック好きではある)、その辺りのマニア特有の心情まではワカンナイけどさ。

『スナック ウィ』
何じゃそりゃ❗❓である。
途中、後半部が何らかのアクシデントで欠落しているのではないかと思ったけど、その痕跡は全くない。
一瞬、アフリカの得体の知れない言葉、たとえば呪術師の呪いの言葉じゃないかとさえ思った。それくらい尻切れトンボの違和感がある。
ウィは「ウィ マダーム」とかのフランス語だろうか❓それとも英語の「私たち」を意味する「We」なのだろうか❓どっちにしても意味不明だ。
店主の飼っている九官鳥のQちゃんの口グセとか返事が「ウィ」だったら、納得します。名前なんて本来は付けた本人が満足してさえいればいいのだ。(╯_╰)トホホ…、段々そう思えてきたよ。
とはいえ、しかけたオ○コはやめられないのと同じで最後まで続ける。

 

 
『すなっく 於恋路』。
漢字の部分はオレンジと読む。来夢来人(らいむらいと)とかに代表されるスナック文化定番の宛字ジャンルだ。
「於」の意味から検証しよう。
①おいて。おける。時間や場所を表す。 ②ああ。嘆息・感嘆の声。「於乎(ああ)」
恋をする場所ってことを言いたいのかな❓それとも単に嗚呼という感嘆を表しているのだろうか❓もう恋なんてしないとか。
だとしても、そもそも何でオレンジなん❓そこからして大いなる謎だ。恋とオレンジが繫がらない。
きっと全身オレンジのオバハンが、恋路の難しさに嘆息を連発している店なのだろう。
何かもうヤケクソな感じの無理からコメントになってきたな。己の想像力の貧困さに、嗚呼と嘆かざるおえない。

えー、店々の皆様、勝手な想像を並べ立てて、m(_ _)mすいません。
あたしゃ、アタマがオカシイのです。許してつかあさい。

アホな妄想をしているうちに目的の居酒屋の店前に到着。

 

 
『紀州魚介庵 かんてき』。
にしても予想外のポップな看板だ。オシャレですらある。頑固なクソ親父がやってると勝手に想像していたが、若くて可愛いピチピチGALの店だったりしてね。(◍•ᴗ•◍)❤だったらいいなあー。
いんや、そんなワケあるめぇー。どうせアルバイトに若い娘なんかがいて、その娘に描いてもらったというパターンに違いなかろう。

ちなみに看板の上側の店も気になるね。
『やすらぎの館 彩』かあ…。ワタシもやすらぎたい。彩の膝枕してもらってやすらぎたい。

とにかく、とりあえず目的の店はあった。
大阪がコロナで非常事態宣言になってるから、まだ予断は許さないけど、一応は一安心だ。もしダメなら『蝶 Butterfly』か『やすらぎの館 彩』に行くよ。どっちも閉まってたら、カッパをブン殴って帰る。

さて、あとはどう時間つぶしするかだね。
とりあえず南方熊楠関係だろなあ。

 

 
南方熊楠顕彰館。
熊楠が遺した蔵書・資料等を保存・公開し、熊楠に関する研究を推進、情報発信もしてるとこなんだそうだ。
入場料は350円。安いのか高いのかワカランな。いや、妥当かなあ。とにかく折角ここまで歩いて来たんだから入ろう。

 

 
熊楠を知らない人もいると思うので、解説しておきます。

南方熊楠(みなかた くまぐす 1867~1941)
日本の博物学者、生物学者、民俗学者。
生物学者としては粘菌の研究で知られているが、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究もしており、さらには高等植物や昆虫、小動物の採集も行っていた。そうした生態調査に基づくエコロジー(ecology)的な見地を早くから日本に導入したことでも知られ、博物学、民俗学の分野における近代日本の先駆者的存在である。
和歌山城下に生まれ、大学予備門(現東京大学)退学後に渡米、さらにイギリスに渡って大英博物館で研究を進めた。『ネイチャー』誌に寄稿した多くの論文が掲載されており、その数51本は、現在に至るまで単著としては歴代最高記録であるという。
帰国後は田辺に定住。多くの論文を著し、生涯を在野で過ごした。
フランス語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語、英語、スペイン語に長けていた他、漢文の読解力も高く、古今東西の文献を渉猟した。熊楠の学問大系は博物学、民俗学、人類学、植物学、生態学など様々な分野に及んでおり、一つの分野に関連性があるもの全てを知ろうとするものであった。その厖大な知識の網を下敷きとした研究は、曼荼羅にもなぞらえられている。謂わば「知の巨人」である。親交のあった民俗学の父とも呼ばれる柳田國男は、彼を評して「日本人の可能性の極限」とまで称していたという。
また熊楠の言動や性格が奇抜で人並み外れたものであっために奇行も多く、後世に数々の逸話も残している。

隣は南方熊楠邸だ。

 

 
って云うか、南方熊楠顕彰館が邸の隣に建設されたというのが正しい。つまり最初に邸ありきなのだ。

 

 
質素な建物には桜よりもミツバツツジの方がよく似合う。
ふと熊楠に似合う花は何だろうと考える。でも何にも浮かばないし、女性ならまだしも男性を花に見立てるのには無理がある事に気づいて、苦笑いする。

さて、次は何処へ行こうか❓
そういや居酒屋が載っていた雑誌には老舗の蒲鉾屋もあったことを思い出し、スマホでググる。便利な時代になったもんだ。行き当たりばったり度が下がるけどさ…。否、これもまた一つの行き当たりばったりか。

たぶんコレであろうと思われる店に向かって歩く。

 

 
連翹(レンギョウ)だろうか、道すがら黄色い花が咲いていた。
いやゴメン、エニシダ(金雀枝)だわさ。とにかく春だなあって感じだね。
ふと思う。そういや頓挫していた町田町蔵(町田康)が熊楠を演じた映画(註1)って、どうなったのだろう。完成したのかな❓
町田康は芥川賞だけでなく川端康成文学賞、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞、萩原朔太郎賞も受賞しており、今や小説家・詩人として有名だが、その昔は町田町蔵と名乗る伝説のパンクロッカーだったんだよね。INUというパンクバンドのボーカリストで『メシ喰うな!』という曲が多くのミュージシャンに影響を与えた。筋肉少女帯の大槻ケンヂもカヴァーしてた筈だ。
また役者としても評価されていて、石井聰亙監督のカルト映画『爆裂都市 BURST CITY』にも出演していた。たぶんサイドカーの横に乗ってた狂暴でイカれた奴だったと思うけど、間違ってたらゴメンよ。
何で町田町蔵の事にそんなに詳しいのかというと、大学時代の演劇部の後輩が町蔵の妹だったからである。
妹曰く、小さい頃から変人で、家の中でテントを張って生活してたらしい。そういや遠足に行く時は体操服じゃなくて、全身本格的な登山の恰好だったとも言ってたなあ。

蒲鉾屋に着いた。

 

 
「たな梅」。
如何にも老舗と云う店構えだ。
古い木造建築って、ホントいいよね。自然と心が和む。

しかし、中に入ってビックリ。
結構なお値段なのだ。どれも贈答用って感じの高級蒲鉾店でござんした。1、2枚をオヤツがわりに食おうと思ったのだが、そんな気安い値段のものはない。町の蒲鉾屋ってのは、だいたいが店先で揚げてたりするものだが、そうゆう庶民的な気安さは微塵もない。
一瞬、見栄を張って買ったろかと思ったけど、止めておくことにした。遠く離れた土地だ。この期に及んでチンケなプライドは要らんだろう。それにそもそも熱烈な練り物好きでもない。嫌いじゃないけど、小躍りするほど好きなものでもないのだ。だいたい、こうゆう練り物製品ってさあ、高級な魚を使ったからといって仰天する程に旨くなるかといえば、そうでもないんだよね。もちろん上品で旨いんだけど、じゃこ天とか安物の魚を使ったものでも旨いっちゃ旨いもんな。つまり値段の差ほどには、味に無茶苦茶に差があるワケではないんだよなあ。
「明らかに全然違う❗」と、ネスカフェ・ゴールドブレンドの人みたく「違いのワカる男」には叱られても仕方ないけどさ。でも、そこまで練り物愛があるワケではないのです。

時間がまだあるから、天神崎まで行こうかなと思った。
駅からでも歩いて30分くらいで行けると書いてあったからね。今からだと、ちょうど夕日が沈む時間になるかもしれないしね。
天神崎も懐かしい場所だ。ダイビングインストラクター時代に何度か潜ったことがある。風光明媚なロケーションで、日本初のナショナルトラスト運動(註2)が行われた場所としても知られている。熊楠の精神が市民に息づいていたとも言えるね。
そういや南部側からダイビングショップに1回だけ連れて行ってもらったけど、何回も細い道を曲がったんだよね。結構、辿り着くのは大変なのだ。でも一年後、一切の迷いなく辿り着いたから、アシスタントのI君が驚嘆してたんだよな。おっ、そうだ。もう一つI君を驚かせた事があったな。水中に潜ったら、その日はヒオウギガイ(緋扇貝)がわりといたんだけど、何かピピッときたのがあったので、拾ってお客さんの前で開けたら、共生だったのかな❓中に小さなカニがいたんだよね。手品みたいだったので、お客さんもI君も目を丸くしてたっけ。ガイドとしては、プロフェッショナルだよね。
あっ、また自慢話をしてしまったなりよ。でも当時は、そうゆう能力が結構あったんだよね。だから周りを驚かすことが結構あった。あの能力、どこいっちゃたのかなあ❓
懐かしいし、行ってみたい気持ちはあったけど、でも中途半端な時間ではある。行って帰ってきたら、居酒屋の開店時間に間に合わないかもしれない。大阪に帰る時間を考えるならば、8時半くらいの電車に乗らなければ今日中には帰ってこれないのだ。無粋だが、夕日よりも居酒屋に出来るだけ長くいたいというのが本音だ。あるこほる中毒者は一刻も早く酒を呑みたいもんねー。

となると、別な方法で時間つぶしせねばならない。

 

 
鬪雞神社(とうけいじんじゃ)。
「鬪鶏神社」「闘鶏神社」とも表記される由緒正しき神社だ。
旧称は田辺宮、新熊野、新熊野雞合大権現。通称は権現さん。

境内に入る。

 

 
創建は允恭天皇8年(419年)。允恭天皇が熊野権現(現在の熊野本宮大社)を勧請(分霊)し、田辺宮と称したのに始まる。
なるほど、屋根の形に見覚えがあるなと思ったのは、そうゆう事なのね。

白河法皇の時代には新たに熊野三所権現を勧請し、平安時代末期の熊野別当・湛快のときに更に天照皇大神以下十一神を勧請して新熊野権現と称して湛快の子の湛増が田辺別当となった。弁慶は湛増の子と伝えられ、その子孫を名乗る大福院から寄進された弁慶の産湯の釜が今も残っている。
なるほど、弁慶の出生地とされているのは、そうゆう事だったのね。

 

 
ゆえに此処にも弁慶の銅像がある。
尚、熊楠はこの神社の娘と結婚している。郷土の有名人二人が闘鶏神社で繋がってるんだね。

本殿に詣でる。

 

 
国生みの女神である伊邪那美命が祀られてるんだね。

 

 
狛犬も神社の歴史の古さを思わせる年季の入りようだ。

田辺は熊野街道の大辺路・中辺路(熊野古道)の分岐点であることから皇族や貴族の熊野詣の際は当社に参籠し、心願成就を祈願した。熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の全ての祭神を祀る熊野の別宮的な存在であり、鬪雞神社に参詣して三山を遥拝して山中の熊野まで行かずに引き返す人々もいたという。
そういや学生時代に彼女と旅行した時に熊野三山の三社とも行ったんだよな。勝浦、那智、瀞峡、湯の峰温泉と巡ったんだった。
とても綺麗で、賢くて性格の良い女性だった。あの頃が一番幸せだったかもしんない。

『平家物語』などによれば、治承・寿永の乱(源平合戦)の時、湛増は社地の鶏を紅白2色に分けて闘わせ、白の鶏が勝ったことから源氏に味方することを決め、熊野水軍を率いて壇ノ浦へ出陣したという。
このことから「闘鶏権現」や「新熊野雞合大権現」と呼ばれるようになったが、明治の神仏分離の際に「鬪雞神社」を正式な社名とした。
2016年には世界遺産委員会継続会議において、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に追加登録された。
そっか、世界遺産なのか。
余談だが、プロ野球の独立リーグ(BASEBALL FIRST LEAGUE=関西独立リーグ)に2017年より加盟した和歌山ファイティングバーズは、この神社がその名の由来となっている。

神社で、だいぶと時間つぶしができた。
時間が止まったような町並みを眺めながら、ぼおーっとする。学生時代の彼女に想いを馳せる。懐かしさと後悔とで心の中が溢れ出しそうになる。でも今さらアレコレ考えたところでどうにもならない。苦しいだけだ。
立ち上がり、トパーズ色の街を駅に向かって歩き出した。

                        つづく

 
追伸
次回、いよいよシリーズ完結編です。
いよいよって云うか、漸くだけど。

  
(註1)熊楠の映画
山本政志監督『熊楠・KUMAGUSU』。
主演 渡辺哲、町田町蔵。出演 泉谷しげる・室井滋ほか。1991年6月に撮影開始、10月完成予定であったが資金難で中断。2007年10月、弁慶映画祭においてパイロット版が上映された。とゆうことは未完成で終わったみたいだね。
ちなみに、町田の演技は破天荒な熊楠を彷彿とさせるものがあり、高い評価を得ているようだ。

 
(註2)ナショナルトラスト運動
自然環境を経済を優先した開発による破壊から守るため、市民活動によって保護すべき地域を設定して買い上げたり、または自治体に買い上げを求め、次世代に伝えていくために管理・保全してゆく活動。
イギリスのボランティア団体「ナショナル・トラスト」によって行われた活動を原型として世界各地に広がった。

 

2020’青春18切符1daytrip 第四章(1)

 
 第1話 紀州ストーカー女

 
 2020年 4月10日

午前8:19。JR難波駅発 柏原ゆきの大和路線に乗り込む。

 

 
青春18切符の旅、4日目。
期日ギリギリの、最後の1daytripが始まった。

 

 

 
天王寺駅で降り、阪和線に乗り換える。
今日は気分で南を目指すことにした。前回で、近畿地方ではギフチョウの適期はもう終わりだと実感したからね。

8:32発 日根野ゆきの快速電車に乗り込む。

 

 

 
日根野駅で、9:51発の御坊ゆき普通列車に乗り換える。
もう1時間半も電車に乗ってるのに、まだ和歌山に着かない。和歌山って、そんなに遠かったっけ❓

 

 
和歌山駅を過ぎると紀勢本線(きのくに線)に入る。
一瞬、和歌山駅で降りることも考えたが、電車は御坊まで行くんだから、そこまでは行ってみようと思った。どうせ和歌山駅から南は列車の本数がグンと減るに決まってる。行ける時に行けるところまで行っておこう。

ここから先は18切符では未知の領域だ。白浜や那智方面に行くのに特急くろしおに乗ったことは何度かあるけれど、じっくりと鈍行列車に乗って旅したことはない。特急乗車は彼女たちとの旅行だったから、イチャついてて外の景色なんてロクに見てるワケないのだ。誰と行ったか、つい数えてしまう。
たぶん3人だ。それなりに、心がキュッとなる。人生は後悔の連続だ。

和歌山駅を過ぎて暫くすると、海が見えた。

 

 
2日前にも神戸方面で見たけど、何度見ても海はいい。ずっと見てても飽きない。本来は海の人だけど、虫捕りするようになって、今やすっかり山の人だ。良かったのかなあ…。

 

 
海南市とか初島辺りだったろうか。トンネルを抜けたら、突然目の前に煙突だらけの工場群が現れた。
予測外だったので写真を撮ろうとした時には既に離れていて、奥に小さくしか写っていないけど、けっこう規模は大きそうだ。存在を知らなかったけど、さぞや夜は綺麗だろう。

気になってその場でググッたら、やっぱり凄かった。

 


(出典『工場夜景ガイド』)

 
工場の夜景を見るのは好きだ。
何か近未来的と云うか、SFの世界に通ずるスタイリッシュさがある。謂わば『ブレードランナー』とか『メトロポリス』の世界だ。

 

 
箕島駅を過ぎる。
箕島といえば高校野球の名門である箕島高校のことが真っ先に思い出される。星稜高校との延長18回に及ぶ3時間50分のナイターでの熱戦は高校野球史上最高の試合とも言われている。
箕島は首の皮一枚の二死の状況から二度もホームランで追いつき、最後にはサヨナラ勝ちするのだが、劇的な展開だらけだった。奇跡の2本のホームラン以外にも、勝利目前で星稜の一塁手が人工芝の縁に足が引っ掛かって転倒、凡フライを落球するだとか、逆に星稜は箕島のサヨナラのチャンスに三塁手の隠し玉でピンチを脱したなんて事もあったな。
そういや、この試合に勝利した箕島は、その勢いを駆って勝ち進んで優勝。公立高校として初めて春夏連覇をしたんだよね。それ以来、公立高校で春夏連覇したチームはない筈だ。
記憶が、どんどん甦ってくる。箕島のピッチャーはアンダースローの石井毅、捕手は強打で鳴らす嶋田宗彦のバッテリーだったね。卒業後、二人とも社会人野球に進み、その後プロに進み、それぞれ西武ライオンズと阪神タイガースに入団したんだっけな。対する星稜も、好投手の堅田と音がいたっけ。音も中日ドラゴンズに入ったんだな。主力としてそこそこ働いてたんじゃないかな。堅田はプロには行かなかったけれど、後に審判員となって甲子園に帰ってきた。
監督は箕島が尾藤監督で、星稜は山下監督。どちらも高校野球史の名将に讃えられている。山下監督は結局、一度も優勝できなかったけどね。
あっ、思い出したよ。バックネット裏の関係者席がガラガラだったので座って観てたら、注意されたんだよね。

『君ら、ここは関係者席やから、座ったらアカンでぇ。』

振り向いたら尾藤監督だった。もう監督を勇退して、解説者か何かで来ていたのかもしれない。優しい声が今も耳に残っている。

帰ってから、「ワシら、ビトー監督に注意されてんでー。背が思ってた以上にチッこかったわ。でも優しかったでぇー。」とか何とか周りに自慢したなあ…。
その尾藤監督も既に鬼籍に入っておられる。箕島の街に向かって、🙏合唱。

 

 
湯浅駅で、特急待ちの一時停止になった。
湯浅といえば、醤油発祥の地だ。昔の古い町並みも残っている。
だが、湯浅を車で通ったことは何度もあるけれど、観光に訪れた事はない。いっそ降りてやろうか。

 

 
車内で御坊から先の駅を確認する。
南部、田辺、白浜、周参見、串本、古座、太地、紀伊勝浦、那智と、この先も有名な観光地が続く。和歌山って、観光資産が沢山あるのだと改めて気づかされる。
そういや少し先には白い奇岩群で知られる白崎もある。スキューバダイビングの仕事で何度か訪れたが、その奇観に少なからず驚いたっけ。

でも、降りなかった。湯浅までなら、まだギリギリ日帰りでデートとかに来られる範囲内だ。この先、訪れるチャンスもあるだろう。

 

 
紀伊内原駅。
御坊の一つ前の駅で、又しても危うく降車しそうになる。
駅舎に味があって、何か引き寄せられるものがあったのだ。
でも御坊まであと一駅だったので、グッと踏み堪えた。ここで降りても何にもないだろうし、次の電車がすぐに来るとは思えない。一方、御坊駅まで行けば選択肢は複数ある。そのまま次の列車に乗り継ぐのは勿論の事、紀州鉄道に乗り換えることだって出来るし、降りて昼飯を食うと云う手だってあるのだ。

 

 
午前11時。
御坊駅で下車すると、既に乗り継ぎの電車が待っていた。

 

 
御坊も観光に来たことがないから迷うところだが、特に有名な観光地は無かった筈だ。そのまま11:03発の紀伊田辺ゆきに乗り継ぐことにした。

 

 
今までずっと同じタイプの車両だったが、やっと違うデザインの列車になった。

 

 
見ると、表示はワンマンとなっている。
いよいよ、ローカル感が出てきましたなあ。

 

 
だが乗ったはいいが、次の道成寺駅で発作的に降りてしまった。

 

 
駅は無人駅だった。
寂しくはあるが、それはそれで悪かない。
古びた平仮名のブリキみたいな柱用駅名標には似つかわしい。

 

 
道成寺といえば、紀州一の古拙であり、安珍・清姫伝説の寺として有名だ。
能や浄瑠璃、歌舞伎の演目として名高い『道成寺』『日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)』『娘道成寺』の舞台となった場所なのだ。
僧の安珍に思いを寄せていた清姫が、裏切られて激怒のあまり大蛇に変化(へんげ)して追い掛け、道成寺で鐘に隠れた安珍を鐘ごと焼き殺すという物語だ。
けど、それだけ有名な寺にも拘らず、一度も訪れた事がない。その事に気づいて急遽、えいや❗と飛び降りたのだった。

 

 
まだ4月の前半なのに、もう藤の花が咲いてるんだね。
南だから、より季節が進んでいるんだろうね。

 

 
参道に入ってすぐ、「ニューふくすけ」なる店があった。

 

 
入口の素っ気ないダサさに、一瞬ひるむ。

 

 
しかし、こんな寂れた所では選択肢はそうない。短い参道の先は土産物屋ばかりに見える。
腹がとにかく減ってるし、ハズレもまた一興だと思って入ることにした。

入った横手に漫画本が沢山並んでた。こうゆう大衆的な感じの店って嫌いじゃない。本宮ひろ志の読んだことない漫画(註2)を持って席に座る。
ふらっと地元の店に入るこうゆうシチュエーションって、自分的には寧ろ旅情感があって好きなんだよね。旅の流れに素直に身を任せるのは、どこか心地良い。

メニューを開く。
 
 

 
思ってた以上にメニューが多い。そこが地元ならではかもね。
何でも作りますが、地元ニーズなのだ。
一瞬まごつくが、こうゆう時は素直であるべきだ。店員さんを呼ぶ。で、オバちゃんにお薦めを訊いた。
したら、チャンポンだと言わはるので、それに素直に従うことにした。この期に及んで自己主張なんていらないのだ。ここは柔軟に人の意見を聞くのがハッピーになるコツだ。経験上、それが正しいことの方が多いと知っているのだ。歳を喰うのも悪いことばかりじゃない。経験は正しい道筋を教えてくれる。

 

 
運ばれてきたのを見て、二重に引く。
器から溢れんばかりだ。その半端ない量に驚き、ちゃんぽんといえば長崎チャンポン的なものを想像してたから、餡かけ系茶色のピジュアルにも驚く。もう、想像してたものとは全然違う代物なのだ。衝動的にオバちゃんを呼び戻しそうになったよ。

具材はキャベツ、キクラゲ、人参、タケノコ、青ネギ、もやし、豚肉ってところだろうか。これで660円なんだから値段にも仰天だ。もし食べて死ぬほどマズかったら4重に驚きだなと半笑いで割り箸を割る。

 

 
箸で下から持ち上げるように混ぜたら、重っ❗ 麺がなかなか出てこない。
餡は粘り重め。であるからにして熱々だ。そして麺は細め。熱々の餡と絡み合っておる。チャンポンの概念を根本から破壊されたよ。食いきれんのかよ、コレ❓

食ってみると普通に旨い。誰が食っても旨いと云う安心、安全レベルの味だ。或る意味では、こうゆうのが個々人の究極の美味だったりもするのではないかと思う。旨い旨くないかは記憶とも連動する。地元でガキの頃に食ってたものって、大人になっても旨いと感じるからね。幼少期に過ごした町の、今は亡き肉屋のジャガイモとウィンナーのフライは有名で特別なものではなかったが、生涯において記憶の中で生き続けてゆくのだろう。ガキの頃、ホント好きだったもんなあ…。個人的には極めて特別なものだったのだ。

過去の思い出に日和っている場合ではない。この、人を怯ませるような大盛りは謂わば挑戦状みたいなものだ。だったら逃げるワケにはいかない。プライドが許さぬ。他人にとってはどうでもいいような小さな領域での、己のプライドを賭けた戦いが始まった。

(-_-;)……。
でも、食っても食っても減らない感がある。マジに手強い。
だが、ここで白旗をあげるワケにはいかない。根が真面目なゆえ、残すのは店の人にも悪いと思っちゃうんだよね。トランザム❗根性モードに、ギアONだよ。

 

 
麺を食いきったところで、ようやくフィナーレが見えてきた。
あとは人格崩壊の逆流噴射しないことに気をつけつつ、勝利に向けて確実に躙(にじ)り寄っていこう。

 

 
(´ω`)ふぅ〜、何とか食いきった。
でも、もう腹パンパンである。汁はスマン、(ㆁωㆁ)飲めましぇーん❗

店を出て、道成寺へと向かう。

 

 
横に何か七不思議的な立て札があった。
七不思議とゆうからに、あと6つこうゆうのがあるって事ね。

 

 
中々に立派な山門だ。
両側には、ちゃんと仁王様(金剛力士像)がおる。阿吽像だ。

 

 
口が開いてるから、阿形(あぎょう)様みたいだね。

 

 
コチラは口を閉じておられるので、吽形(うんぎょう)様だ。
えー、「阿吽の呼吸」の阿吽とは、こっからきてます。

ここにも立て札があった。

 

 
ふ〜ん。解ったような解らないような心持ちで境内に入る。

 

 
正面に本堂がある。
立て札のとおり山門と一直線に配置されている。
まあ、どこの寺でもそうだけど。

 

 
左手に、花の盛りは過ぎたが立派な桜があった。
近づいてゆくと、一陣の風が吹いて桜吹雪になった。風の悪戯に頬をゆるめ、佇んで空を仰ぐ。青空を背景に淡いピンクが舞い上がってゆく。
桜の樹ってのは、散るさまも美しい。改めて、こんなにも日本人に愛されてる理由がよく解る。今の日本人に、どこまであるかはわからないが、日本の文化の根底には美意識が強くある。美を見極める能力と、そこに「ものの哀れ」を感じ、自らの美意識と重ね合わせてきたのが日本人なのだ。今の政治家とか見てると、とうにそうゆう美意識は失われているのだと思わざるおえないけど。桜が散るが如く潔さが、まるでない。

 

 
一方、本堂横の枝垂れ桜は、とうに散ってしまっている。

 

 
そして、早くも八重桜が咲いていた。

 

 
本堂の奥には、千手観音が安置されている。

 

 
改めて伝説について説明しよう。
安珍・清姫伝説とは「道成寺縁起」とも呼ばれる天台宗道成寺にまつわる平安時代の伝承にして仏教説話。若き僧安珍と清姫の悲恋と情念を主題としており、能、歌舞伎、人形浄瑠璃(文楽)を筆頭に映画、小説、絵本など様々なジャンルの題材にされてきた話である。

安珍清姫の伝説の原型は、説話として古くは平安時代の『大日本国法華験記(法華験記)』『今昔物語集』に登場する。

時は醍醐天皇の御代、延長6年(928年)の夏の頃の事である。
奥州白河より熊野に参詣に来た若い僧がいた。この僧は名を安珍といい、大変な美形であった。旅の道すがら、紀伊国牟婁郡(現在の和歌山県田辺市中辺路:熊野街道沿い)真砂の庄司清次の家に宿を借りた。清司の娘、清姫は安珍を見て一目惚れ、女だてらに夜這いをかけて迫る。安珍は参拝中の身としてはそのように迫られても困る、帰りにはきっと立ち寄るからと騙して、参拝後に立ち寄ることなくさっさと逃げてしまう。
信じて待ちわびていた娘は、騙されたことを知って怒り、裸足で追跡、道成寺までの道中で追いつく。安珍は再会を喜ぶどころか別人だと嘘に嘘を重ねる。更には熊野権現に助けを求め、清姫を金縛りにした隙に逃げ出す。ここに至り清姫の怒りは天を衝き、遂には大蛇となりて安珍のあとを追う。
安珍は日高川を渡り、渡し守に「追っ手を渡さないでくれ」と頼んで道成寺に逃げ込む。しかし蛇と化した清姫は、火を吹きながら自力で川を渡って来る。慌てた安珍は梵鐘を下ろしてもらい、その中に隠れる。しかし清姫は鐘に巻き付き、やがて最後には業火で鐘ごと焼き殺してしまう。そして蛇の姿のままで川に入水自殺する。
その後、畜生道に落ちて蛇に転生した二人は、道成寺の住持のもとに現れて供養を頼む。住持の唱える法華経の功徳により二人は成仏し、天人の姿で住持の夢に現れた。実はこの二人はそれぞれ熊野権現と観世音菩薩の化身であったのである、と法華経の有り難さを讃えて終わる。
つまり、この話は法華経の力の喧伝を目的として作られたものと考えられている。ちなみに安珍・清姫伝説の内容については伝承によって相違があり、多くのバリエーションが存在し、その後日譚もある。

安珍と共に鐘を焼かれた道成寺であるが、四百年ほど経った正平14年(1359年)の春、鐘を再興することにした。二度目の鐘が完成した後、女人禁制で鐘供養をしたところ、女人禁制の場であるにも拘らず、一人の美しい白拍子(註3)が現れる。

 
(葛飾北斎の描いた白拍子)

(出典『Wikipedia』)

 
白拍子は優雅に舞い歌う。そして周りがそれにうっとりとしている隙をみて梵鐘の下へと飛び込む。すると鐘は音を立てて落ちた。慌てた僧たちが祈祷すると、やがて鐘は徐々に持ち上がり、そして中から現れたのは蛇体に変化(へんげ)した姿であった。白拍子は清姫の怨霊だったのである。蛇は男に捨てられた怒りに火を吹き暴れ、鐘供養を妨害しようとする。清姫の怨霊を恐れた僧たちが一心不乱に祈念したところ、その祈りに大蛇は堪えきれず、やがて川に飛び込んで消える。
そして、ようやく鐘は鐘楼に上がるのだが、清姫の怨念のためか、新しくできたこの鐘は音が良くない上に、付近に災害や疫病が続いたために山の中へと打ち捨てられた。
この後日譚をモチーフに作られたのが、能の『道成寺(どうじょうじ)』である。さらにこれを元にして歌舞伎の『娘道成寺』や浄瑠璃(文楽)の『日高川入相花王』、琉球組踊の『執心鐘入』などが作られた。
そういや、三島由紀夫の『近代能楽集』の中にも、この話を下敷きにした「道成寺」と題した短編があったな。
また上田秋成の『雨月物語』の中に『道成寺』を礎にしたと思(おぼ)しき『蛇性の婬』と言う話が載っている。

後日譚は、まだある。
さらに二百年ほど後の天正年間。豊臣秀吉による根来(ねごろ)攻め(紀州征伐)が行われた際、秀吉の家臣仙石秀久が山中でこの鐘を見つけ、合戦の合図にこの鐘の音を用いた。そして、そのまま京都へと鐘を持ち帰り、清姫の怨念を解くために顕本法華宗の総本山である妙満寺に納めたという。鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にも「道成寺鐘」と題し、かつて道成寺にあった件(くだん)の鐘が、石燕の時代には妙満寺に納められていることが述べられている。

 

 
二代目の鐘楼跡とゆうことは、今は三代目の鐘なのかな❓と思って探してみた。だが現在、この寺には鐘楼は無いようである。

 

 
とゆうことは、二代目以降、現在に至るまで何百年も鐘は無かったとゆうことか…。
後日調べたら、訪れて寺に鐘が無いことにガッカリする人が多いという。その気持ちも解らないでもない。自分も少しガッカリしたからね。でも、新たな鐘がまた清姫の怨霊を呼び寄せるかもしれないと考えれば、新調はできないよね。この現代社会においては、そんなの迷信すぎないと思うのは簡単だ。けれども、ここは故事を信じ、歴史って色々あって面白いと思う方が愉しい。古(いにしえ)に心を飛ばして、あれこれ想いを泳がすのも悪かない。

 

 
三重の塔の右横に写っているのは、安珍塚だ。
ここで安珍が焼かれたという。
にしても、何やらスゴいことになっている。木が蛇の如くノタ打ち回ってるようにも見えるし、清姫の怨念が昇華した姿にも思える。
見切れてるけど真ん中に安珍塚と彫られた石碑が建っていて、その傍には三代目らしき榁の木の生木がある。
けど、この画像じゃな。しゃあない。画像を探してこよう。

 

(出典『Wikipedia』)

 
立ち枯れた木は、榁(むろ)の木(註4)だそうである。あまり耳馴れない木だ。
初代の榁の木は約600年間生きた後に枯れ、二代目は約400年間生きて枯れたという。榁の木は枯れると「蛇榁」とも呼ばれるようで、ここに安珍と鐘が埋められていると伝えられているのも解る気がするよ。

 

 
あらら、安珍塚の下に鐘が埋まってるんじゃなくて、ホントは此処だったのね。にしても、どこまでが伝説でどこまでが史実なの❓
何だか頭の中がグチャグチャになってきたよ。

その隣には、姥桜の事と文楽の『日高川入相花王』について書かれてあった。

 

 
これを見て、ふと小学生の頃に講堂で文楽を見させられたのを思い出したよ。
アレ、驚いたよなー。めちゃんこ怖かったし。

 

 
コレが、突然コレですもん。

 

(出典『遊民悠民』)

 
小学生の度肝を抜くには十分だろう。

 

(出典『関西文化.com』)

 

(出典『bokete』)

 
インパクト、半端ないよね。

 
(護摩堂)

 
他の建物も謂れがありそうだ。
だが、もうチャンポン並みにお腹いっばいだ。深堀りするとロクな事がなさそうだ。触れずにおこう。

 
(稲荷神社)

 
足元に目をやる。
瓦を埋め込んだ敷石が美しい。

 

 
山門まで戻ってきた。

 

 
寺を辞する。

 

 
階段の先に参道が真っ直ぐに続いている。
こうゆう風景は好きである。旅情だ。心が何処までも伸びやかに翔ける。家々の趣きは違うだろうが、何百年前と基本的にはあまり景色は変わってないような気もする。少なくとも構図は同じだろう。

 

 
参道で清見オレンジと白干しの梅干しを買った。
どちらも紀州の名物だから、つい買ってしまった。
後日食ったら、両方とも🎯当たりだったけどもね。

駅まで戻ってきた。

 

 
駅舎に入って驚く。

 

 
行きは気づかなかったが、駅舎の上部には、こんなもんが掛かってたんだね。シュールだ。上から4番目なんて、謎の物体だ。清姫ちゃんの歪な心を具現化したものなのか❓全般的に可愛いんだか不気味なんだかよくワカンナイ(註5)。

プラットフォームにも変なもんがあった。
コレって、ヤバくなくね❓

 

 
掲示板らしいが、何も貼ってなくて不気味な青いシミがある。一瞬、清姫の怨霊が現代に甦って、その怨念を転写させたのではあるまいかと思ってギョッとしたよ。

そして、向かい側のプラットフォームには、別な不気味な絵もあった。

 

 
こっちはこっちで怖ぇ(Ⅲ  ̄(エ) ̄ )…。
特に2枚目の追っかけられてるのはヤバいよね。着物の上が蛇だけでも恐ろしいのに火を噴きながらで来られるなんてシチュエーションは絶対に泣くな(TOT)
清姫、どう見てもイカれポンチのストーカーじゃないか。だいたい、男がチラッとサービストークしただけで蛇になってまで追いかけ回すかね❓
流れでつい、我がの過去を振り返る。女性に追いかけ回された事は何度かあるけれど、幸い怨霊とか蛇にまでなられた事はない。キワキワの寸前ってのはあったけどね(笑)。
( ゚д゚)ハッ❗いや、笑い事じゃないぞ。見た目こそ蛇には化身していないが、心は修羅になってたと思(おぼ)しき例はある。一歩間違えれば、刺されてた可能性だってあったのだ。
彼女から、おかしなメールがあった。内容までは憶えてないけど、とにかく尋常でないメールがあって、仕事中にも拘らず慌てて彼女の部屋へ行った。
合鍵でドアを開けたら、暗い部屋に彼女が佇んでいた。顔が能面のように無表情で、本能的にこりゃヤバいと思って抱きしめた。彼女を宥め、同時に動きを封じるためである。
彼女の体には手応えが無かった。心が空っぽなのだ。
恐怖を感じた。そして彼女が潮来(いたこ)の孫娘であることを思い出した。今が空っぽの状態ならば、いつ何どき別人格が憑依するとも限らない。悪鬼に豹変して、もしかしたら刺されるかもしれないとマジで思った。
様々な考えが高速で頭の中を駆け巡る。明らかに異常な状態にパニックになりそうだった。だが、パニックは何としてでも避けねばならない。そうなれば、窮地から脱け出すは出来ないだろう。
抱き締めながら、冷静に包丁のある場所を反芻する。
確か台所の抽斗(ひきだし)にあった筈だ。問題はどうやってそれを排除するかだ。しかし、どうすればいい❓
その時だった。

『大丈夫。刺さないから。』

ギクリとした。
心が読まれていることに戦慄した。何が起こっているのだ❓
と同時に安堵も少しあった。刺されないのか❓待てよ、それは刺すという事も考えてたって事なのか❓再び頭の中がパニックになりそうになる。その言葉をどこまで信じていいのかはワカラナイ。安心させといてブスリといかれるかもしれない。メチャメチャ、彼女は頭がいいのだ。罠かもしれない。

出来るだけ平静を装って言った。

『何言ってんだよー。おまえさんが俺を刺す理由なんてないじゃないかあ。もー、心配させんなよー。』

そう言って、強く抱き締めた。
彼女の体に少し生気が戻った。その期を逃さず、体を起こしてニッコリ笑いながら頭を撫でてやった。
彼女の顔に表情が戻り、少し笑みが溢れた。
この時ほど、昔に役者をやってて良かったと思ったことはないよ。我ながら名演技だ。

体を解くと、彼女は急に『おしっこ、行きたくなった。』と言ってトイレに向かって歩き出した。
一瞬、そのスキに逃げ出そうかとも思った。しかし、それでは折角おさまりかけてる事態を再び悪化させかねない。しかも、もっと酷い状態に。
いや、或いはあの笑顔の裏には何かが隠されていたのかもしれない。事態は全然もって収拾してない可能性だってあるのだ。ならば、帰り際に背中からブスリといかれかねない。
トイレのドアが閉まったと同時に、音を立てずに素早く台所へ行く。自ら運命を切り拓かねば、危機は脱せられないと判断した。電光石火で抽斗を開けて包丁を取り出し、布巾に巻いて流しの下に放り込んだ。これで、たとえ彼女が刺したくとも直ぐには刺せない。探す間の時間が稼げる。もし彼女がエスパーならば、それも読まれて無駄だけどね。いや、抽斗よか数秒は稼げる。その数秒が運命を分かつかもしれない。100メータを12秒フラットで走れた男だ。ロケットダッシュすれば、何とかなる筈だ。

彼女がトイレから出てきた。まさかトイレに包丁を隠してたとかないよね❓緊張感が増す。

彼女の顔は普段に戻っていた。
それを見て、機を逃してはならぬと『俺、仕事に戻るわ。人、待たしてるし。』と言った。
そっから後の記憶はない。おそらく全集中で背中に神経を巡らせて部屋を出たのだろう。

他にも裏で悪鬼になってた女性はいるかもしれない。
そう考えると、紙一重の事だって無いとは言えない。
つくづく、安珍みたく焼き殺されなくて良かったよ。今のところだけど…。

                      つづく

  
追伸
驚いたのは、Wikipediaでググッたら、駅のプラットフォームの絵が違う絵だったことだ。

 

(出典『Wikipedia』)

 
一年に一回とか、絵を掛け替えてるのかな❓
にしても、どちらも色褪せてて相当に古いもののように見える。謎だ。

 
(註釈1)特急くろしお
主として新大阪駅(一部京都駅発)〜新宮駅間を走る特急列車。
停車駅は、新大阪、天王寺、日根野、和歌山、海南、御坊、紀伊田辺、白浜、周参見、串本、古座、太地、紀伊勝浦、新宮。
一部の列車が西九条駅、和泉府中、和泉砂川、箕島、藤並、湯浅、南部の各駅にも停まるようだ。

 
(289系)

(出典『Wikipedia』以下、同)

 
6代目になるのかな?…、現在はこの289系が走っているようだが、自分の中での「特急くろしお」のイメージはコレかな。

 
(485系)

 
2代目である。
ちなみに初代はこんなん。

 

 
2代目は初代のカラーリングを継承しているんだね。
以下、3代目から5代目までを並べておく。

 
(381系)

 
(283系)

 
上は、いわゆるオーシャンアローと呼ばれていた車両だ。
下は、たぶん貫通型だね。

 
(287系)

 
下は🐼パンダ仕様だ。白浜アドベンチャーワールドにはパンダがいるからね。しかも沢山。マジでイッパイおる。しかも客は多くないから、ゆっくり見られる。上野なんかに行くならば、金使ってでも白浜に行く方をお薦めする。
ちなみにパンダの本当の眼はタレ目ではない。真ん中は完全にクマ目でしゅ。この電車みたく、笑ってねーからな。

 
(註2)本宮ひろ志の読んだことない漫画
『まだ、生きてる…』のこと。


(出典『manga‐diary.com』)

 
バカにされながらも38年間コツコツと家族のために働いて来て定年を迎えた60歳のサラリーマン岡田憲三が家に帰ると、家族が消えていた。妻は全財産を持ち逃げし、息子や娘とも音信不通となる。この仕打ちに生きることに未練も希望も失くした岡田は、自らの人生の幕を閉じようと故郷の山奥で首吊り自殺を図る。だが、木が折れて命拾いする。そこからオッサンの山中でのサバイバル生活が始まり、オッサンの生き方が180度変わってゆき、人生も変わってゆくというお話。
本宮ひろ志らしく、途中からどんどん破天荒な展開になってゆく。本宮ひろ志の作品って、話のスケールがデカくてロマン溢れるものが多い。だから惹かれる。でも風呂敷をデカくし過ぎて尻すぼみになる事も多いんだけどね。この作品は最後まで尻すぼみにはならないから、隠れた名作とも言われているようだ。

 
(註3)白拍子
平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一種。及びそれを演ずる芸人、遊女。

 
(註4)榁(むろ)の木
ネズ、ネズミサシ(杜松、学名: Juniperus rigida)の古名のこと。
ヒノキ科ビャクシン属に属する針葉樹で、他にムロ、モロノキの別名かある。

 


(出典『庭木図鑑 植木ペディア』)

 
杉とか桧みたいだね。

英名は、temple juniper、needle juniper。
訳すと『寺のジュニパー』『針の如きジュニパー』。
ところで「juniper」って何だっけ❓聞いたことがあるぞ。たしかジュニパーベリーって言葉があったよな。
(☉。☉)!あっ、蒸留酒のジンだよ。あのジントニックとかジンライムのジン。その独特の香りづけにジュニパーベリーが使われてた筈だ。杜松(ねず)の実とも書いてあった。ならば、間違いなかろう。
確認したら、✌️ビンゴだった。ヨーロッパのものは、セイヨウネズノミとあった。

余談だが、和名はネズの硬い針のような葉をネズミ除けに使っていたことから。「ネズミを刺す」という意で「ネズミサシ」となり、それが縮まったことに由来する。
も一つ余談だが、樹齢600年とか400年といってるわりには小さな木だなと思ってたけど、この榁の木ってのは元々が低中木で、バカみたくはデカくならないそうである。

 
(註5)駅舎の安珍と清姫伝説の絵
最初は地元の小学生とか中学生が描いたのだろうと思ったが、よくよく見るとプロっぽい。調べてみたら、島嵜清史氏という宮崎県を拠点に活動しているアーティストの作品でした。

 

スマの刺身に悶絶するの巻

 
少し前の話である。
スーパーKOHYOに行ったら、見慣れない魚の刺身が数点並んでいた。KOHYOはイオングループなだけに、あまり変わった魚は並んでいないので、最初はスルーしかけた。中トロ鮪だと思ったのである。しかしマグロとは僅かに質感が違うような気がした。
何じゃらほい❓と表示を見たら、「スマ」と書いてある。
(・o・)スマ❓何だったっけ❓
聞いたことがあると脳は反応しているのだが、直ぐにシナプスが繋がらなかった。たぶんコーヨーなんぞにそんなモンがあるワケないという固定観念が思考を邪魔していたのだろう。
程なく記憶が知識のゴミ山の中の1点にフォーカスした。
スマって、あの「幻の魚」とも言われているスマの事か❓
スマの刺身はメチャメチャ美味いという噂は随分前から耳には届いてはいた。しかし「幻の魚」と称されるだけに、中々お目にかかる機会がなかった。それが、まさかこんなところで出会えるとは予想だにしていなかったのだ。

 

 
養殖とあるが、この際もう関係ないだろう。とにかく、どんな味かを知りたい。
それに養殖に成功していたと云うのも、だとしても抜群に旨いと何処ぞに書かれてあったのも脳内にインプット済みだ。そこに一切の迷いはない。

安くなんねぇかなあと思ってたら、直ぐに目の前で半額シールが貼られた。ダブル(◠‿・)—☆ラッキーである。

パッケージの蓋を開けて、ニタつく。
このビジュアル、見るからに旨そうだ。艶(つや)っぽくて、エロティシズムが、しとどに溢れ出している。おたく、ビチャビチャですやん。官能的で、もう見てるだけでも昇天しそうだ。久し振りにエレクトする魚に巡り会ったよ。

織部に盛るか信楽焼に盛るかで悩んだが、土物(つちもの)では失礼だ。ここは高貴さを湛えた有田焼のベッドに横たえるとしよう。ケケケケケψ(`∇´)ψ、じゅる。オジサン、唾を呑み込む。

 

 
見た感じ、マグロとカツオの合の子みたいだ。
質感はトロカツオに近いが、色は赤黒くなくて中トロに近いものがある。🎵フォンティーヌ、なんと艶(なま)めかしいピンクざましょ。
オジサン、もう我慢できない。バルトリン氏腺液、ダダ漏れ気分じゃよ。やおら、箸で乱暴に引っ掴み、たまり醤油にドブンとつける。冒涜だ。綺麗なピンクが黒い醤油まみれになる。穢してやった感にリビドーが屹立する。劣情と背徳感とが錯綜する忘我の喜びに溢れつつ、口に放り込む。

(☆▽☆)♥️あふ〜ん。
体をクネクネさせて、身悶えする。
そして、中空に向けて渾身のパンチ👊💥を繰り出す。
うっめぇ━━━━(≧▽≦)━━━━❗❗

想像を超えて身質は柔らかく、キメが細かくて繊細だ。そして噛むと直ぐに口の中で蕩(とろ)け、旨みがドバドバと口じゅうに溢れ出して蹂躙してくる。甘い❗ そして最後に微かな酸味が鼻腔を心地良く抜けてゆく。
(´ω`)メチャメチャ美味いやんけー❗❗

見た目どうりに食感はトロカツオに近いが、より柔らかい。そしてカツオみたくクセのあるワイルドさはない。どちらかと云うと、やや中トロ寄り。しかも極上クラスのモノの味だが、にしては筋張ったところはなく、身質の繊維が細かくて、しっとりとしている。味は微妙にどちらとも違うのだ。謂わば、両者のエエとこ取りなのである。
オジサン、一発で👼昇天。天に召されましたよ。
以後、愛欲に塗(まみ)れたかのように貪り食う。

世の食いもん好きの皆様、スーパーでも居酒屋でもいい、もしも見掛けたら、少々高くとも何が何でもトライですぞ。

一応、種の解説もしておく。
例によって、ぼうずコンニャクさんの力を主にお借りして編集しやす。

 

(出典『ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑』)

 
パッと見は、ほぼカツオちゃんである。
スマにしろキツネガツオ、ソウダガツオにしろ、カツオ系の魚は全員が美味なんだね。中でも断トツだろう。

スズキ系スズキ目サバ亜目サバ科スマ属に分類される大型魚。大きなものは体長1m前後、体重10kgに達するが、日本で見かけるものは50cm〜60cm程度のものが多い。体型はカツオなどと同様の紡錘形で鱗は眼の後部・胸鰭周辺・側線周辺にしかない。
名前の由来は、カツオの縦縞に対して「横縞鰹」の意味で「しまがつお」と名付けられたものが「スマガツオ」に変化したものとされる。
なお、漢字は「須満」「須万」「縞鰹」が宛がわれている。

ぼうずコンニャクさんの味の評価も5つ星だ。

魚貝の物知り度 ★★★★ 知っていたら達人級
味の評価度 ★★★★★ 究極の美味

脂の乗りが良く、漁獲場所や季節によってはマグロを凌ぐのではと囁かれているほどなんだそうな。
身はカツオに似た赤身で、秋に入って水温が低下すると脂肪を蓄えて白みを増し、鮮やかなピンク色の身になる。

 
【地方名】
ワタナベ(千葉県)、スマガツオ(東京都)、キュウテン(八丈島)、ホシガツオ(高知県)、ヤイト・ヤイトガツオ(西日本各地)、ヤイトマス(和歌山県)、ヤイトバラ(近畿地方)、オボソ(愛媛県愛南町)などがある。
「ヤイト」の異称は、胸鰭下方の腹部に複数ある黒斑を灸の痕に見立てたのが由来。

 
【分布】
インド洋・太平洋の温帯〜熱帯にかけた海域に広く分布する。
日本では千葉県外房、相模湾〜屋久島の太平洋沿岸、北海道日本海側せたな町、兵庫県浜坂など日本海側〜九州南岸の日本海・東シナ海沿岸、及び琉球列島沿岸、小笠原諸島に分布する。
国外では朝鮮半島南岸、済州島、インド・太平洋の温帯・熱帯域に生息する。

 
【生態】
肉食性で、魚・甲殻類・頭足類などを捕食する。
カツオほどの大群は作らずに単独か小さな群れで回遊し、南西諸島・小笠原諸島沿岸では通年釣れるが本州太平洋岸では8〜10月に釣期が限られる。相模湾・駿河湾ではソウダガツオ類の群れの中から稀に釣れる程度で、まとまって漁獲されないことから、沿岸の表層をカツオ・ソウダガツオ類・ハガツオなど他のカツオ類に混じって回遊していると考えられている。
産卵期は日本沿岸では夏だが、南方ほど長くなり、北赤道海流沿いでは冬期を除く8か月にわたって産卵が行われる。特定の産卵場は持たず、水面に浮く性質の卵を産む。餌が乏しい外洋域では、約1日で孵化した稚魚は一緒に生まれた兄弟を共食いするという。
寿命は約6年。成長が早く、満1歳で1kgに育ち、満2歳で成熟する。カツオの仲間としては好沿岸性で、島嶼部では磯際まで回遊する。

 
【漁獲法】
カツオ・マグロ・シイラなどを狙った釣り、延縄で漁獲されるほか、巻網、定置網などの沿岸漁業でも混獲される。
フィリピン、マレーシア、パキスタン、インドなどでは重要な漁獲対象となっており、1990年代には年間10万トン前後が水揚げされている。
個体数が少なくて本種単独では大群を作らないため、専門に狙う漁はないが、カツオ・ソウダガツオ類に混じって釣れることが多く、それらと同様に活イワシの泳がせ釣り、一本釣り、ルアー釣りで釣れるほか、島嶼部では磯・防波堤からのカゴ釣り、泳がせ釣りでヒラマサの外道として釣れる場合もある。

 
【旬】
旬は一般的に初秋から春にかけてが旬と言われている。しかし『ぼうずコンニャク市場魚介類図鑑』では冬から夏としている。また夏の産卵後以外あまり味が落ちないとしている。なお、大きい方が美味とされる。

 
【市場での評価】
市場での評価は高く、高級魚として名高い。
季節にもよるが、2キロを超えるものは1キロあたり1500円、時に2000円を超す高値になることもあるようだ。高級魚として名高いノドグロ(アカムツ)の市場価格が1キロあたり1000円後半から2000円台みたいだから、その価格に迫る高級魚だということになる。
関東にはあまり入荷がなく、知名度がまだ低いせいか、やや安いという。

 
【料理法】
熱を通してもあまり縮まない。アラからは良い出汁が出る。
選び方は触って張りのあるもの。硬いもの。
料理法は、刺身、たたき(土佐造り)、なめろう、竜田揚げ、角煮、焼き魚、潮汁、みそ汁、煮つけ、なまり節、炊き込み御飯、粕漬けなど多岐にわたる。
台湾では刺身、スープ、鉄板焼などに利用されている。食用以外にマグロやカジキなどの釣り餌として使われることもある。

尚、ぼうずコンニャクさんは刺身と焼き霜造りを特に絶賛しておられる。

(スマの刺身)
身はしっとりと柔らかく、口に含むと脂が溶け出して、甘い。酸味は少なく、魚らしいうま味がとても豊か。絶品としかいいようがない。

(スマの焼霜造りスマの焼霜造り)
口に入れるととろっとして舌の上に微かな酸味とうま味が強く感じられる。ほどよい食感も楽しめて美味。ここではしょうがとにんにくを添えたが、わさびでもいい。

 
【流通】
高知・室戸岬、鳥取・益田、鹿児島県、長崎県、三重県、和歌山県などで時折水揚げされるが、数が非常に少なく、足の早い魚のために都市部にまで出回ることは殆んどない。

釣りでは、黒潮の通り道の伊豆諸島及び小笠原諸島近海、和歌山県、高知県、鹿児島沖、日本海側の玄界灘や響灘周辺の海域、奄美諸島、琉球諸島などで狙えるそうだ。但し、スマ釣り専門の船はないみたい。カツオやソウダガツオ、ヒラマサ釣りの外道で釣られることが多い。

そんな幻クラスの魚スマだが、近年では愛媛県や和歌山県などで養殖も行われ始めており、味が良くて身質がマグロに近いことから、その代替品として期待されている。
とはいえ、まだ全国に出荷できるほどの水揚げ量ではないようだ。しかし養殖技術も上がってゆくだろうから、そのうち安定して流通し始めるだろう。って云うか、そう願いたいね。

                        おしまい