さらば、星野

 
昨日、3月10日(土)に甲子園で星野仙一の追悼試合が行われた。

 
(出典『デイリースポーツ』)

 
全員、星野が監督時代だった背番号「77」をつけてのオープン戦である。
この背番号は巨人のV9監督であり、打撃の神様とも言われた川上哲治への、星野のオマージュだ。
星野は中日の選手時代にエースナンバー「20」をつけて活躍し、打倒巨人に燃えに燃える男だったことは有名な話である。

この憎悪は1968年のドラフトに遡る。
当時、明治大学のエースだった星野は巨人のスカウトに1位指名すると明言されていた。
しかし、蓋を開ければ、巨人は星野ではなく、島野修(武相高校)を指名した。
『星と島の間違いじゃないか❓』という、その時の星野の語録が残っている。よほど悔しかったのではないかと思う。

この裏切られた一件以来、星野は巨人に対して異常なまでの敵意を持って挑むようになったと言われている。 

じゃあ、なぜに憎っくき巨人の川上の背番号を背負うようになったのかというと、現役を引退したNHKの解説者時代に、川上と一緒に仕事をするようになったのがキッカケであるらしい。
星野は川上に直接、なぜ自分を指名しなかったのか❓と訊いたそうである。
川上は直前にスカウトから『星野は肩を壊している。』と報告を受けて指名を回避したと答えたそうだ(実際には肩を壊してはいない)。
徳川家康、たぬきオヤジ川上のことだから、その言動は怪しいところだが、それを聞いた星野はわだかまりが一切消えたという。
以降、川上に監督術の薫陶を受け、77番を背負うようになったのである。

 
2002年、星野が阪神タイガースの監督に就任した時は期待した。
鬼と言われた星野が、腐ったぬるま湯体質の阪神を根本から変えてくれるのではないかと思ったのである。
そして、翌年の2003年には見事にチームにチャンピオンフラッグをもたらしてくれた。

ガキの頃から今に至るまで、生粋の阪神ファンだったけど、あの年は阪神タイガースにではなく、星野に恋していた。
鬼なんだけど、情のある指揮官だと云うのが俺たちファンにも充分に伝わったからである。当然、選手にはもっと伝わっていただろう。
優勝を決めた時、殊勲の一打を打った赤星をクチャクチャに抱きしめたシーンが忘れられない。

死のロードに連敗しまくった時は半泣きになったけど、それでも星野で優勝できなければ文句は一切無かった。男に惚れるとは、そういう事である。

でも、優勝してから監督をやめるだなんて卑怯だ。カッコ良すぎだ。
そうだ。優勝した翌日に、ファンへの感謝をスポーツ誌全紙にポケットマネーで全面広告をうったんだよね。とにかく粋な男なんである。
しかも、各紙違うコメントだった。益々、粋である。
そんなもん、絶対に惚れてまうで。

そういえば、往年の阪神のスター、田淵をコーチとして呼び戻してくれたのも嬉しかった。盟友とはいえ、それだけでも感謝だ。一生、田淵の縦縞のユニフォームは見られないと思っていたからね。
阪神タイガースというのは酷い球団で、生え抜きのスターを全盛期が過ぎたら、酷い扱いでクズみたいにチームから追い出してきた。田淵、江夏、掛布。みんなそうだった。
愛してはいるが、ホント、クソみたいな球団なのである。

考えてみれば、そもそも星野が当時広島カープに在籍していたアニキ(金本)を、勝つために半ば強引に引っ張ってきたのである。それが今やアニキは阪神の監督。星野がいなければ、金本監督の誕生は無かっただろう。そして、その金本がいなかったら、掛布の二軍監督も有り得なかったに違いない。
掛布の縦縞姿は、一生見れないと思っていたのだ。コレも嬉しかった。
それもコレも、結局は星野が監督になったからがゆえの流れなのである。

御堂筋の優勝パレードには行った。
力一杯手を振り、『ホシノー、有り難う❗』と叫んだのを憶えている。
このあと、神戸に行ってパレードをすると知っていたので、アタマを使って先をよみ、バスの駐車場に先回りしたっけ。
そうだ。で、席の一番前にいた星野さんが、バスが出発した時に、絶叫して手を振るオイラに向かって手を振り返してくれたのだ。
少なくとも、その場には西井さんとあと2、3人にしか居なかったし、オラが一番前にいたから、間違いなく自分に向けて手を振ってくれたのだと思う。

 
実をいうと、この文章は星野仙一がこの世を去った時の年始からずっと書こうと思って書けなかった文章だ。
各局で放映されていた追悼のドキュメンタリーは全部みた。その度に、アホみたいにダダ泣きした。
で、結局書けなかった。
そして、今日が書く最後のチャンスだと思って書いた。

 
(出典『デイリースポーツ』)

 
試合は、奇跡的に阪神側のスコアボードに「1001」の数字が並んだ。1001=仙一である。
きっと偶然だけど、そうは思いたくはない。
星野のメッセージだ。
試合結果はドロー。勝ちきれなかった。
星野の叱咤激励が聞こえてきそうである。

『おまえら、詰めが甘いんじゃ、ボケーッ❗』

それが星野さんの最後のメッセージだったんじゃないかと思う。
コレで選手が奮起しなければ、また万年最下位だ。
いや、そんな事はあるまい。コレで奮起しないでどうする。星野の顔に泥を塗るんじゃないよ。気合い入れていけや、ボケッ(#`皿´)

 

 

 
さらば、星野。

今年、阪神タイガースは優勝します。

 
                 おしまい

 
追伸
最後の笑顔はテレビ番組からのものだ(ご免なさい。どの番組かワカリマセン)。
とにかく、柔和な笑顔だ。子供のように屈託がない。
この画像を添付して、また泣いた。
なんて素敵な笑顔だろう。
人蕩(たら)しの天才だね。

星野さん、御冥福をお祈りします。