三日月の女神・紫檀の魁偉

 

先日、新たな連載『2018′ カトカラ元年』の第1回 プロローグ編を上梓した。
勢いで、そのまま本題である第2話をあらかた書き終えたところで、はたと筆が止まった。文章の流れ上、お題のカトカラの前にシンジュサンの事を書かねばならぬと強く思ったのだ。

シンジュサンを追いかけ始めた切っ掛けは単純だった。
幼少の頃から蛾は苦手だったけど、なぜかヤママユの仲間はそれほど恐くはなかった。これはたぶん、怪獣モスラの影響だろう。モスラは怪獣界のアイドル。いい奴なんである。モスラって、どこか健気だしねぇ。それが知らぬうちに良いイメージへと繋がっていたのだろう。
それゆえ小さい頃に、恐る恐るではあったが、巨大なヤママユやクスサン、オオミズアオ(註1)を採ったことがある。そこに2017年、春の三大蛾の一つであるエゾヨツメが加わった。その美しきブルーアイズ、青い眼状紋にヤママユ系への興味がグッと湧いたのだった。
それに、ヤママユの仲間は日本にはそんなに種類がいない(註2)。コンプリートするとしたら、比較的容易だ。沼にハマるにしても、底無しではない。但し、海外産に手を出さなければの話だけど…。

兎に角、日本にいるヤママユの仲間で、まだ見たことのない奴らを見てやろうと思った。何でも同じだ。実物を見ないと本当のことは解らないのだ。
このグループには大珍品はいなくて、大概は肩肘張らずに何とかなるレベルだ。ヒマつぶしくらいにはなるだろう。ゆる~い気持ちで、先ずはシンジュサンから始めることにした。

しかし、そうおいそれとはいかなかった。
思えば、シンジュサンにはまさかの惨敗に次ぐ惨敗だった…。

本章に入る前に、シンジュサンについて、ザッと解説しておこう。

子供の頃、最初はシンジュサンのサンは山田さんとか田中さんのさんだと思ってた。ようするにガキの頃から、どうしようもないおバカさんだったのである。
でも、後にこのサンは養蚕のサンのことだと知った。これはヤママユ系の仲間が、繭から生糸をとる蚕(カイコ)さんとか、その原種(註3)と親戚筋にあたるからだろう。
とはいえ、カイコは謂わば人間が作った絹糸製造マシーンで、人が長い歴史の中で改良に改良を重ねて完成させた半人工物だ。だから飛べねぇし、自然界には存在しない。
日本では、カイコ以外の野外で生糸のとれる蛾、繭、また生糸そのものを野蚕といい、ヤママユやウスタビガの繭で作った織物は、超がつく高級品だそうである。

一方、シンジュサンのシンジュは、ずっと真珠のことだと思っていた。真珠みたいに綺麗だからと解釈していたのだ。実際、羽の一部に白やピンクっぽいところがあるしさ。でも、それもハズレ。去年に、それが真珠ではなく、神樹だと知った。だから、シンジュサンのことを漢字では「神樹蚕」と書く。他に「樗蚕」の字をあてがう事もあるようだ。
シンジュサンの語源は、幼虫がこのシンジュ(神樹)を食餌植物としていることから来ている。
神の樹って、スゲーな。神の樹の葉を食うから、神の蛾じゃん❗真珠よか、神の方が上っしょ❓寧ろグレイドアップになってまんがな。

しかし、突っ込んで調べてみたら、あらあらである。
『京都園芸倶楽部のブログ』には、こう書いてあった(申し訳ないが、文章の一部に手を入れたけど)。

「神樹といっても「神様」とか「神聖」に関連しているわけではありません。元々は近縁種であるモルッカ諸島のアンボイナ島に生育するモルッカシンジュが天にも届くような高木であることから英語で「Tree of heaven」と呼ばれ、これがドイツに伝わって、ドイツ語では「Götterbaum」となり、「神の樹」と訳された。その後ドイツ語名が日本に伝わると、ニワウルシを神樹とも呼ぶようになったそうです。」

(# ̄З ̄)ちえっ、調べなけりゃよかったよ。
どこかで特別なものと思いたい心理が働いているから、ガッカリだ。
何でも知ればいいとゆうものではない。知れば知るほど不幸になることだってあるのだ。世の中には知らない方がいい事もある。「知らぬが仏」と云う言葉もあるしね。
こう云う、知ることによって不幸になることを作家 開高健は「知の悲しみ」と呼んだ。当然、知らないがゆえに不幸な事は多々あるから、知っても、知らなくとも人は不幸になりうる。二律背反、これは人類の永遠のジレンマだよね。

神樹は中国原産で、明治時代の初めに日本に入ってきたものだ。ニガキ科に属し、別名にニワウルシがある。日本では、こっちの名称の方がポピュラーかもしんない。
と云うことは、和名は比較的近年になって名付けられたものと思われる。
エリサンだったっけ❓養蚕のためにシンジュサンに改造手術、もとい品種改良を加えた奴もいた気がするから、もしかして移入されたもんが逃亡して、野生化。先祖帰りしたのかも…と一瞬思ったが、それは無いだろう。帰化昆虫ではない筈だ。だったら、おバカのオラの耳にだって情報は入ってきてる筈だもんね。

  
【シンジュ】
(大阪市 堺筋北浜近辺)

(出展『一期一会』)

 
幼虫はシンジュの他にも、ニガキ(ニガキ科)、キハダ、カラスザンショウ(ミカン科)、ヌルデ(ウルシ科)、クヌギ(ブナ科)、クスノキ(クスノキ科)、リンゴ、ナシ(バラ科)、エゴノキ(エゴノキ科)、ネズミモチ,クロガネモチ、モクセイ(モクセイ科)、ゴンズイ(ミツバウツギ科)、クルミ(クルミ科)など多くの植物の葉を食べる。つまり、やはりシンジュが日本に入って来る前から、シンジュサンは日本にいたんだろね。古くから幼虫は「ミツキムシ」と呼ばれていたみたいだし、間違いないだろう。

学名:Samia cynthia pryeri。
すっかり忘れてたけど、学名の小種名は cynthia(シンシア)だったね。素敵な学名だ。
シンシアはギリシア語で「月」。ギリシャ神話に登場する月の女神アルテミスの別名キュンティアの英語読みである。英語圏における女性名としてもよく使われており、「誠実な」「心からの」という意味がある。略称は、シンディ(Cindy)。

去年当時の、Facebookの記事を見ると、こんな風に書いてあった。

「へーっ、学名はシンシアなのね。月の女神じゃ、あーりませんかー。シンシアは月の女神ディアナ(Diana)やアルテミスの別名でもある。オオミズアオとは美人セーラームーンタッグだにゃあ。月の女神は美人と相場が決まっておるのじゃ。もし、月の女神が美人じゃなかったら、ヤッさんやなくとも『怒るで、しかしー』である。
尚,吉田拓郎,かまやつひろしが南沙織に捧げた曲「シンシア」もヒットしました。」

相変わらず、フザけた文章だ(笑)。
補足すると、南沙織ちゃんは1970年代に活躍した沖縄出身の元アイドル歌手。あっという間に引退して、その後、有名カメラマンの篠山紀信氏と結婚した。
秋元康の先駈けが、モジャモジャ頭の巨匠なのだ。

シンシアは南沙織の愛称で、ミドルネーム。それが曲のタイトルとなったようだ。『🎵おー、おー、おー、シンシア~、君の声が~』というサビがいいのだ。

因みに属名の Samia(サミア)は、調べてみたら、最初に「古代ギリシアの作家メナンドロスによるギリシア喜劇の1つ」と出てきた。だが、どうもシックリこない。寧ろアラビア語で「崇高な」「最高の」という意味を持つ Sami という男性名の女性形が名前の由来ではないかと推察したい。

亜種名 pryeri は、昆虫学者 H.pryer(プライヤー・プライヤ、プライア)に献名されたもののようだ。
この pryeri は、多くの生き物の学名に見られる。
昆虫に絞れば、ウラゴマダラシジミ、ホシミスジ、ムカシヤンマ、サラサヤンマ、キイロサナエ、リュウキュウツヤハナムグリなどだ。蛾には特に多く、ミノウスバ、ブライヤオビキリガ、プライヤキリバ、プライヤアオシャチホコ、プライヤエグリシャチホコ、キオビエダシャク、ソトキナミシャク、ウコンエダシャク、ナカアカクルマメイガ、マツアカマダラメイガ、スカシノメイガ、ウスベニトガリバ、シロテンムラサキアツバなど沢山の種類がある。
それにしても、そんな名前、あんま聞いたことないぞ。(;゜∇゜)誰なんだ、プライヤー❓

これが調べるのに骨が折れた。
pryeri だと、いろんな生き物がジャンジャン出てきて埒があかない。
学名に人物の名前をつける場合、語尾に「i」とかが付いたりするから(属格語尾)、そのままではネットでヒットしないのだ。

蛾のサイトにあった H.Pryer にヒントを得て、フルネームを何とか探して漸くヒットした。

「フルネームは、Henry James Stovin Pryer。
生没年(1850年~1888年)。ロンドン生まれの英国人で、1871年来日。16年間横浜のアダムソン・ベル・海上保険会社社員として勤め、1888年2月17日に横浜で病死。」

 
日本で亡くなってはるんやね。
保険会社のサラリーマンだけど、この人で本当にあってんのかよ❓

 
「『太政大臣に届けて正式に雇用された例』としてイギリス人プライア―とアメリカ人モースがよく知られている。
もっとも、彼らを雇用したのは、内務省系ではなく、文科省系の『東京博物館』とその後継の『教育博物館』であるが、蝶類の専門家であるプライア―は1876年から翌年にかけて標本採集を目的として雇用され、国内採集旅行を行っている。ユネスコ東アジア文化センター(1975)によれば彼は、1876年7月から3ヶ月(月給75円)、そして翌1877年当初から1年間(月給60円、ただし5月で依願解約)の契約を結んでいる。」

 
なるほど、多くの献名があるのは、学者というよりも採り子(雇われ採集人)だったからなんだね。命名規約上、新種を見つけた本人が、それを新種として発表(記載)する場合、学名に本人の名前をつけられないからだ。

 
「イギリス人のプライヤー(H. Pryer)は1871年(明治4年)、またはその翌年に来日し、横浜に落ち着きました。幼少の頃より博物学に興味をもっていた彼は、昆虫類を中心に各地の資料を集め、特に日本のチョウ類のすぐれたコレクションを作りました。彼はよほど日本が気に入ったのか、何と16年間も横浜に居住し、39才の若さで死去するまで日本各地を精力的に調査したのです。
このようにして集めた資料を基に、日本では例を見ない学術的な図説の刊行が企画されました。おそらくはプライヤーの日本生活が落ち着いた1875年以降のことだったと思われます。当時の諸外国で出版されたいくつかの図鑑に匹敵するものを日本で作るには、多くの障害がありました。画家の発掘、印刷所や用紙の選定。そして費用の調達などです。しかし、プライヤーの熱意はこれらの難題を乗り越えて、1887年に第一分冊の発行にこぎつけました。そして、1888年には第二分冊、1889年には第三分冊が相次いで発行され、ついに大作が完了しました。
タイトル名は Rhopalocera Nihonica といいます(日本語版「日本蝶類図譜(ヘンリ-・ジェ-ムズ・ストヴィン・プライヤ-著 科学書院(1982))。」(出展 以上3つとも『レファレンス協同データベース』より)

 
あれっ?、図鑑も書いてる❓ということは、採り子じゃなくて学者風情だよね。
これは、おそらく最初は採り子で、最終的には図鑑も出したって云うことでいいんじゃないかな?

日本の昆虫学の礎を築いた江崎悌三さんも、その著書の中でプライヤーに触れていて、「日本人の内妻があったが、子供はなかった」と記述しているみたいだ。
結構、有名人じゃんか。ワタスの勉強不足でした。

(|| ゜Д゜)しまった。プライヤーの沼にハマって、おもいっきり寄り道しただすよ。先へ進もう。

 
チョウ目・ヤママユガ科(Saturniidae)に属し、大きさは開張110~140mmに達する。
翅の地色はオリーブ色を帯びた褐色で、白やピンクなどの綺麗な斑紋が配されている。上下の翅の中央付近に黄色い三日月模様、上翅の翅頂付近には小さな目玉模様がある。

 
【シンジュサン】
(出展『夜間飛行』)

北海道・本州・四国・九州・沖縄・朝鮮半島・中国に分布し、成虫は5~9月の間に年2回(一部年1回)現れる。
亜種は日本亜種 ssp.pryeri の他に、北海道・対馬亜種 ssp.walkeri(Felder & Felder,1862)があり、コチラが基亜種とされている。
対馬亜種は黒化型の割合が多いようだ。これが、かなりカッコいい。

 
【シンジュサン 対馬亜種】
(出展『モスはモス屋 対馬遠征記』)

 
一瞬、対馬に行ったろかい(`へ´*)ノ❗と思ったが、ツマアカスズメバチにボッコボコに刺されたのを思い出して、上げた拳を即座に下ろす。ムッチャクチャ痛かったし、今度刺されたらアナフラシキーショックで、おっ死ぬかもしれん。恐くて行けんよ。

そういえば、国産亜種を独立種 Samia pryeri とする見解もあったようだが、交尾器の差異も微弱で更にDNAによる区別もできなかったとされており、現在は同一種とする意見に落ち着いているみたいだ。

さて、ここからが本文なのだが、プライヤーの沼にハマって、ドッと疲れた。それに予想外に長くもなったので、次回に回します。スマン、スマン。

 
               後編につづく

 
 
追伸
今回も書いてるうちに、あらぬ方向にいって長くなってしもた。もう、このウダウダ癖は病気だよ。
次回は、いよいよ本編です。乞う御期待❗

記事をアップした後で、平嶋義宏さんの『蝶の学名-その語源と解説』の存在を思い出した。
それによると、プライヤーの図鑑は日本最初の原色蝶類図鑑で、日本の蝶蛾類に多大な功績があったようだ。プライヤーさん、過小評価してゴメンナサイ。
因みにホシミスジの学名はプライヤー御本人に献名されたものではなくて、兄の williams に献名されたもののようだ。お兄さんも蝶が好きだったらしい。
なんだよー、最初からこっち見ときゃよかったよ。だったら、あんな苦労しなくてよかったのにさ。
でも、最初からこっちを見ていれば、プライヤーさんに興味は湧かなかっただろう。まあ、それも間違いではなかったという事か…。良しとしませう。

 
(註1)ヤママユとクスサン、オオミズアオ

【ヤママユ】
(2018.9.8 山梨県甲州市)

 
ヤママユは、もふもふだし、(・。・;ほよ顔で可愛い。デカくて標本箱を喰うから邪魔だけど、可愛いから、つい一つ二つくらいは捕ってしまう。

探したが、クスサンとオオミズアオの手持ちの野外写真が見つからない。普通種だから、面倒で撮らなかったのだろう。と云うワケなので、画像を他からお借りしよう。

 
【クスサン】
(出展『里山の生活とmy hobby』)

普通種だが、色に豊富なバリエーションがあって、一つとして同じものはないと云う。
普通種であっても、視点を変えれば楽しめる証左の例だね。

 
【オオミズアオ】
(出展『KEI’S採集記』)

 
幽玄で美しいから、蛾嫌いでもコレは許容する人が多いようだ。近縁種に、ソックリさんのオナガミズアオがいるが、こちらの方はそこそこ珍しい。個人的にはオナガミズアオの方が、より優美で好きかな。
文中に学名的にシンジュサンと姉妹関係だと書いたが、厳密的には間違い。残念ながら、オオミズアオの学名は変わってしまい、現在は artemis、月の女神アルテミスではなく、Actias artemis から Actias aliena になっている。それを惜しむ声は多い。

ついでに、エゾヨツメの画像も添付しておこう。

 
(2019.4 大阪府箕面市)

 
いまだに♀が採れてない。でも、♀はあまり綺麗じゃないから、本音はどっちだっていいと思ってる。

 
(註2)日本には、そんなに多くの種類がいない

日本に棲むヤママユガ科は、ヤママユ、ヒメヤママユ、ハグルママヤママユ、クスサン、エゾヨツメ、シンジュサン、ヨナグニサン、ウスタビガ、クロウスタビガ、オオミズアオ、オナガミズアオの計11種とされる。この中では、わざわざ沖縄や奄美大島まで行かないと会えないハグルマヤママユが難関かな?ヨナグニサンも与那国島に行かないと会えないけど、天然記念物なので採集でけまへん。因みにヨナグニサンが日本最大の蛾で、世界最大級でもある。ドデカイ♀が強風に煽られて道路にボトッと落ちたので、拾って安全なところに移したことがあるけど、笑っちゃうくらいデケーです。次回、画像掲載予定です。

 
(註3)カイコの原種

カイコの原種は東アジアに分布するカイコガ科のクワコ(Bombyx mandarina)だと言われている。

  
【クワコ(桑子)】
(出展『玉川学園』)

 
これを品種改良しまくって作られたのが、カイコってワケだね。絹糸を得るために、スゴいことするやね。
養蚕は五千年前にクワコが中国大陸で家畜化、品種改良されたのが起源というのが有力な説である。
一応、カイコとクワコは近縁だが別種とされている。しかし、両者の交雑種は生殖能力をもち、飼育環境下で生存・繁殖できることが知られている。だが、野生状態での交雑種が見つかった例はないようだ。
実を云うと、5000年以上前の人間が、どのようにしてクワコを飼いならして、今のカイコを誕生させたかは、現在に至るも完全には解明されていないそうだ。
そうだよなあ。虫を家畜化して品種改良するだなんて、現代科学でも難しそうだもん。そんな昔に、飛べなくするために品種改良とか狂気でしょ。さすが、纏足なんぞという変態的なことを考える国だわさ。
カイコの誕生がミステリアスなせいか、カイコの祖先はクワコとは近縁だが別種の、現代人にとって未知の昆虫ではないかという説もある。ようするに、その未知なるヤツは既に絶滅してるって事を言いたいワケだね。
しかし、ミトコンドリアDNAの配列に基づき系統樹を作成すると、カイコはクワコのクレードの一部に収まることから、この仮説は支持されていないという。
やっぱ、改造しとるんだ。昔の人の知恵は凄いわ。