2021’カトカラ4年生 壱(2)

 vol.28 ヤクシマヒメキシタバ

   『陰翳礼讃』第二話

 
 2020年 7月3日
夜に小太郎くんから電話がかかってきた。

「明日、またヤクシマヒメキシタバを採りに行きませんか❓」

忘れ物でもあったのかな?その程度に思いつつ電話に出たから、いきなりの第一声に面食らった。何せ昨日、布引の滝(三重県熊野市紀和町)で灯火採集をして惨敗したばかりなのだ。まさかそれからたった中一日おいてのリベンジのお誘いがあるなんて誰だって夢にも思わないだろう。帰宅したのは今日の朝だったから、昨日の今日みたいな話なんである。

【ヤクシマヒメキシタバ】

(出典『世界のカトカラ』)

初戦の帰りの車中が言葉少なかったのは、二人共その惨めな結果に少なからずショックを受けていたからだろう。チビでブスなヤクシマヒメキシタバ(以下ヤクヒメ)なんぞ、楽勝で採れると思っていたからだ。でも結果は満を持して出動したのにも拘わらず、まさかの姿さえも見れずの完敗だった。怒りとも悲しみとも言えない感情が宙ぶらりん、帰宅してもその事が頭から離れなかった。そして、何でやねん❓のリフレイン。頭の何処かで敗退原因をずっと考えていた。
 小太郎くんも似たようなもんだったらしく、結果に納得いかなくて、その豊富なネットワークを駆使して各方面から情報収集をし直したようだ。
そうして集めた情報を総括すると、
ヤクヒメは雨の日じゃないと採れないらしい。

(゚∀゚)おいおいである。
勿論、自分もヤクヒメは雨の日の方が比較的多く灯火に飛来する事は知ってはいた。おぼろげながらも噂で聞いていたし、日本のカトカラについて最も詳しく書かれた名著『日本のCatocala』には「成虫を飼育すると、雨天時に行動が活発となった。湿度が高い場所を好むと推測される。」と書かれていたからね。また、世界有数のカトカラ研究者である石塚さんの著書『世界のカトカラ』にも「雨の日など湿度が高い晩の灯火に比較的多く飛来することがある。」という記述もあった。
だとしても、匠である両人とも絶対に雨の日じゃないと採れないとか、雨の日以外はほぼ採れない、活動しないとまでは書いていないのだ。となると、曇りでも湿度が高ければ採れると解釈してもオカシクはないだろう。雨の日しか採れないだなんて、にわかには信じ難い。ならば、雨上がりだったらどうなるのだ❓ 空中湿度は高いぞ。或いは、雨は降ってるけど湿度は高くない日だったらどうなるというのだ❓あっ、でも雨が振ってたら、そもそも湿度は高いか…。もう、ワケわかんなくなってきたよ。
よし、わかった。そんなところに拘っても埒が開かない。何れにせよ、曇りの日で惨敗したのは事実なのだ。雨の日に合わせて行くしかあるまい。
けど、かといって土砂降りだと飛んで来ないんだろなあ…。雨予報で行ってはみたが、着いたら大雨でしたー😨ではシャレならんがな。そんなの想像しただけでも恐ろしい。絶望的だよ。たとえ大雨じゃなくとも風が強ければアウトだろうしね。風が強い日は、大方の虫は活動しないのだ。
そう考えれば、条件は案外どころか、かなりシビアじゃないか。難易度は高いぞ。
何か段々ハラ立ってきたわ。
だったら「行けば楽勝で取れるよ」とか言ってた爺さんどもよ、ナゼにそんな重要な情報を伝えてはくれなかったのだ。ヽ(`Д´#)ノボケてんじゃねぇぞ、バーロー❗❗

小太郎くんに訊ねる。
『で、天気予報はどうよ❓』
『一応、雨みたいですよ。』
『OK。なら、行こう。』
そうして、あっさりリベンジが決まった。

 問題は何処に行くかだ。
先ずは惨敗した布引の滝を除外した。同じ場所に日を置かずして続けて行くのは気が進まないし、曇りだったとはいえ、ヤクヒメの姿は影も形も無かったからだ。つまり、記録はあっても今も生息しているかどうかはワカランのだ。もし布引の滝で再挑戦して、雨が降っているのにも拘わらず飛んで来なかったら、精神的ダメージがデカ過ぎる。大いなる時間と労力の無駄だと思い知らしめられるのはゴメンだ。

 三重県北牟婁郡紀北町(旧海山町)の千尋峠は、小太郎くんが難色を示した。遠いんである。出発地の奈良からは京都を経由して大きく迂回して三重県側から入るのが一番早いようなのだが、それでも三時間以上はかかるようだ。走行距離が約200kmくらいあるのだ。

 そこで小太郎くんから提案があった。
『布引の滝と同じく紀和町なんですけど、絶対に居そうな所があるんですよねー。ウバメガシも沢山生えてるし。そこ、行きません❓』
まだヤクヒメの幼虫の食樹は自然状態では発見されていないが、成虫からの採卵による飼育下ではウバメガシとクヌギを食す事が分かっている。
 場所を尋ねると、なるほどねと思った。その辺りは雲海で有名な峰がある所だからである。となれば当然、空中湿度は高いものと考えられる。雲霧林的な環境を好むヤクヒメが居ても何ら不自然ではない。いや、いるだろう。
奈良からの距離も100km余りだから、千尋峠よりだいぶと近い。前回の布引の滝は自分推しだったし、今回は小太郎くんの考えを尊重しよう。
ただ一つ気がかりなのは、その辺りにヤクヒメの採集記録が無いんだよなあ…。まっ、蛾の中では人気が高いグループとはいえ、所詮は蛾だもんなあ。蝶みたいには分布調査が進んではいない筈だ。記録が無いのは、きっと誰も調べてないんだろ。そもそもライトトラップでしか採れないようなモノなんぞ、調査できる人間が限られてくる。照明道具が必要だからね。その点、蝶は分布調査が比較的容易だ。夜とは違う昼間だし、飛んでいるのを見つけやすい。それを網で採ればいいのだ。仰々しい道具は要らない。生態もほぼ全ての種が解明されているから、卵や幼虫を探すこともできよう。それでも分布しているという証明にはなる。その点、蛾は蝶と比べて愛好家は格段に少ないから、まだワカラナイ事だらけなのだ。幼虫の食樹や生態が解明されてない種がワンサカいる。
大丈夫、何とかなる。ヤクヒメの新産地を見つけて、溜飲を下げてやろうじゃないか。

『わかった、そこにしよう。』
『ところで、雨用に特別に持ってくもんって、ある❓』
『☂傘ですよねー。』
『んなもん、解っとるわい(`Д´#)ノ❗そうじゃなくてー、他にあったら役立つもんやがなー』
『ハイ、ハイ。』
受話器の向こうからでも半笑いなのはわかる。小太郎くん、時々ワザとそうやってイジってくる時があんだよなー。
まあ、それだけ付き合いも長くなってきたという事か。
『あっ五十嵐さん、何か雨よけになる覆いみたいなのありません❓ 発電機を濡らしたくないんですよねー。』
『一人用のテントが有った筈だけど、使える❓』
『あっ、それ助かります。それで全然OKです。』
『何だったらあげるよ。新しいの持ってるからさ。』
『アリガトございまーす。では明日、ヨロシクでぇーす。』

 余談だが、そのテントは、ユーラシア大陸をバイクで横断した時のテントだ。もう25年くらいは前のモノだけど、雨よけくらいにはなるだろうと思って提供を申し出たのだ。
その夜、ベランダのガラクタの中から引っ張り出してきたけど、意外と傷んでおらず、往時と見た目はあまり変わっていなかった。懐かしいその姿に、瞬時に当時の思い出が甦ってきて、ワッと押し寄せてきた。辛い事も沢山あったけど、エキサイティングでメチャメチャ面白かった。あんな旅は二度と出来ないだろう。さみしいけど、ノスタルジーって悪かない。

 
 2020年 7月4日

 車窓から空を見上げる。水分をたっぷり含んだ重たそうな雲で覆いつくされてはいるが、また雨は降っていない。
まさかの中一日で、また熊野に向かっている自分が信じられない。しかもチンケな蛾を採りに行くのだ。普通に考えれば阿呆だ。自分で自分に笑ってしまう。狂気の沙汰も虫次第。我々虫屋は、蝶であったり、クワガタであったりと追い求めるものはそれぞれ違えど、誰しもが身を焦がすほどに虫に取り憑かれている。虫を追い掛ける事でしか、多量のドーパミンが出なくなってしまった憐れな信者なのだ。そんな事を思いながら、流れゆく風景をぼんやりと眺める。まあ、どうあれリベンジするなら早ければ早い方がいい。心に深い傷を負わない為には、短い間にやり返すことが肝要なのだ。時間が経てば経つほど、敗残者のメンタルに染まってしまうのだ。
 現地の天気予報は、雨時々曇り。風も強くなさそうだ。条件は揃っている。今日こそは、ブス蛾をテゴメにしてくれるわ❗

 目的地近くまで来たところで、トイレ休憩を入れた。
目の前に連なる山は濃い照葉樹林だ。期待値が高まる。こりゃ、絶対いるよねーと小太郎くんと確信に満ちた言葉を交わす。だいち今回は、ワシを無事日本に帰還させてくれた、あの強運の象徴であるシングル用テントも参戦なのだ。必ずや良い結果をもたらしてくれるだろう。

 人気のない暗い林道に入る。木々は鬱蒼と繁り、ジメジメとしていて、ヤクヒメの棲息環境としては申し分ないだろう。あとは何処にライトトラップを設置するかだ。その問題さえクリアすれば、絶対に採れる筈だ。適した良さげな場所さえ見つかれば、ビクトリーロードだ。

ライトトラップが出来そうな場所を幾つか見つける。
コレなら何とかなるだろう。それで、もう勝ったも同然の気分になる。だから次第に採集の云々よりも、寧ろ帰りの事の方が気になり始めていた。どう見ても崖々は多量の雨水を蓄えている。つまり、いつ何処で土砂崩れが起こってもおかしくないような状況なのだ。実際、特に如何にもヤバそうな1箇所には土囊が積んであり、明らかに過去に土砂崩れがあった痕跡が残っている。

 2、3の候補の中から、中腹にある橋を設置場所と決める。
此処なら前が開けており、背後の斜面の環境も良いから、居れば飛んで来るだろう。そして、外は良い具合に雨がシトシト降っている。これなら万全じゃろう。採れない理由が見つからない。

 日没と共に、ライト・オーン。

 前回に引き続き、今回も小太郎くんの要請により、画像は大幅カットのトリミングである。ライトトラップの中枢部は秘密なのさ、オホホ( ̄ー ̄)である。
ちなみに、テントは発電器の雨よけに使われた。まさかキミも第二の人生があるとは思っていなかっただろうに。何にせよ、役に立つという事は喜ばしい事だ。

 点灯すると、バラバラと蛾が集まって来た。
初遭遇のシャチホコガ科のギンモンスズメモドキも寄って来た。羽に窓が有る特異な蛾として割りと有名な蛾だ。
しかし、ガッカリだった。


(出典 岸田泰則『世界の美しい蛾』)

尊敬する岸田先生の著書『世界の美しい蛾』でも紹介されていたから、仄かな憧れを持っていたのだが、実物はタダのちょっと毛色の変わった汚い蛾としか思えない。しかも特別に珍しい蛾と云うワケでもない普通種のようだ。


(出典『虫ナビ』)

一応2頭ほど採ったが、直ぐに興味を失った。だからワザワザ写真も撮らなかった。ゆえにネットからの拝借画像と相成ったワケである(写真を使わせて戴いた方、こんな使い方で申し訳ない。御免なさい)。
どころか、そういえば展翅すらしていない。おそらく冷凍庫に安置されたままだ。たぶん未来永劫にマイナス世界に封印される事になろう。拠って展翅画像もないでごじゃるよ。ワシ的には、クソ蛾ジャンル入りの存在なのだ(岸田先生、こんな扱いでゴメンナサイ)。

 午後8時半過ぎ、やがて雨が上がった。
少し不安になったが、寧ろ有り難いと解釈した。覚悟はしていたものの、ずっと雨に降られ続けて、揚句に全身グショグショになるのは憂鬱だからね。幸いな事に空中湿度は高いままだ。晴れたりしない限りは、そう簡単には湿度が下がる事はないだろう。

 午後9時過ぎ。
発電機が熱を持ち始めたので、テントから出す事になる。どうやらテント内に長く入れておくと、熱が籠もるようだ。早くも我がテント、お役御免である。第二の人生は短かったね。
ちょっとだけ嫌な予感がよぎった。流れが変わったような気がした。

 午後9時50分。

ガビー Σ(゚∀゚ノ)ノー ン❗
月が出た❗❗/
しかも、最悪の🌕満月である。灯火採集にとって一番悪い状況じゃないか。

9時半を過ぎた辺りから、妙に左側の山の端が明るくなり始めていたから、まさか…とは思っていたが、よもや雲が切れてお月様が顔を出すとは想定外も想定外、愕然の展開だ。だって天気予報は雨時々曇りだったのだ。晴れる要素なんて1ミリもなかったのである。それがどういてこおなる༼⁠⁰⁠o⁠⁰⁠;⁠༽❓
背後から直ぐに小太郎くんの声が飛んで来る。
『五十嵐さん、またですかー❗❗もーこんな時に晴れ男パワー発揮してどうするんですか。ありえませんよ。❗❗/

当然、集まって来る蛾は少ない。元々ショボい状況ではあったが、輪をかけて酷くなった。

その後の時間は長かった。
諦めた小太郎くんは車の中で寝始めたから、尚の事だ。一人、何も起こらない退屈な時を忸怩たる思いを抱えて、やり過ごす。

月は時々隠れるものの、また思い出したように煌々と輝き、辺りを柔らかく照らしている。陰翳礼讃。光と陰が織りなす世界は奥行きが深い。そこには叙情を湛えた趣きがあり、怖いような幽玄な美しさがある。山の中で眺める月は、都会とは別物だ。本当に美しいなと思う。
だからと言って、心が穏やかなわけではない。その月に向かって、何度も何度も呪詛の如く呟く。
🎵何で❓何で❓なんでやねんねん❓
🎵何で❓何で❓なんでやねんねん❓
🎵何で❓何で❓なんでやねんねん❓
🎵何で❓何で❓なんでやねんねん❓(註2)

歌ってるうちに、自分がとてつもなく滑稽な存在に思えてきて、笑ってしまう。
ひんやりとした夜気の中を、その力なく響く歌は、いつまでも浮遊していた。

                    つづく

 
追伸
誠にもって申し訳ないが、物語は終わらない。書いてるワシもカタルシスがないから辛いよ。

(註1)ギンモンスズメモドキ
岸田先生の『世界の美しい蛾』と『日本産蛾類標準図鑑Ⅰ』から引用させて戴く。

【学名 Tarsolepis japonica】

(出典『日本産蛾類標準図鑑Ⅰ』)

開張 ♂66〜69mm ♀80〜82mm。
前後に光り輝く「三角銀紋」をもつ大型のシャチホコガ。
ギラギラ光る前翅の斑紋、腹部にある赤い毛など、見どころの多いシャチホコガの一種。1年1化型で、夏季の7ー8月に出現する。カエデ類(ムクロジ科)を食樹とすることが知られ、北海道(登別以南),本州,四国,九州,対馬,ネパール,インドシナ半島,中国南東部,台湾などに分布している。国内では各地に産するが、あまり多くない。
Tarsolepis属は東南アジアに6種ほど知られ、何れもムクロジ科を食餌植物としている。
 尚、名前の由来はスズメガに似ている事からの命名だろう。

(註2)なんでやねんねんねん
ダウンタウン 浜田雅功の、きゃりーぱみゅぱみゅを模したパロディ曲。衣装もメルヘンチックであった。当然、ワタクシの頭の中ではプリティな浜ちゃんが踊り歌っておりました。

 
ー参考文献ー
◆岸田泰則『世界の美しい蛾』
◆岸田泰則『日本産蛾類標準図鑑Ⅰ』
◆石塚勝己『世界のカトカラ』