台湾の蝶26『突然、炎のごとく』

 
  第26話『朝倉小紫』

 
アサクラコムラサキに初めて会った時は、何者だかワカンねぇけど、( ☆∀☆)超カッケーと思った。
今回のヘッドタイトルもそこから来ている。
その時の事は3年前にアメブロに書いたので(註1)、そちらを是非読んで戴きたい。当時の驚きと感動っぷりは充分伝わるかと思う。

 
【Helcyra plesseni アサクラコムラサキ♂】
(2016.7.9 南投県仁愛郷)

 
青みを帯びたグレーの地に鮮やかなオレンジ紋が並び、とても美しい。もう蝶界の浅倉南ちゃん(註2)なのである。表側ではなくて裏面から先の御披露目なのは、この美しさたる所以(ゆえん)だ。
地面に吸水に来ていたのだが、見た瞬間のその衝撃度たるや、かなりのものだった。腰が抜けそうとはこう云う時の事を言うんだろう。二度見したもん。

それに比して、表側はあまりに地味。
裏側の美しさに驚き、予想外の表側の地味さに驚くという連続技のダブルびっくりだったのをよく憶えている。

 

 
展翅写真も添付しておこう。

 

 
採った時は完品だと思ったが、残念ながら下翅が少し欠けている。(ToT)うるるー、これ1頭しか採れてないし、ガックシだよ。

 
♀は採れていないので、画像を他から借りよう。

 
(出典『原色台湾蝶類大図鑑』)

 
下が♀である。
♂と♀の色彩斑紋は殆んど同じだが、♀は♂と比べてやや大型になり、翅形は丸みを帯びて幅広くなる。また翅表の白帯及び白斑が、より広く大きくなる。裏面の亜外縁細黒条も強くなるようだ。

因みに台湾には近縁のシロタテハもいる。

 
【シロタテハ Helcyra superba 】
(出典『原色台湾蝶類大図鑑』)

 
シロタテハと比較すると、アサクラコムラサキは裏面に輪郭のはっきりした白帯があり、これに沿う橙色と黒色の配列は全Helcyra属の中で最も発達するというのがよく解る。アサクラコムラサキは、シロタテハ属の中では特異な存在なのだ。

 
【学名】Helcyra plesseni (Fruhstorfer,1913)

Nymphalidae タテハチョウ科 Apaturrinae コムラサキ亜科 Helcyra シロタテハ属に分類される。

シロタテハ属はインドからパプアニューギニアまで見られ、コムラサキ亜科の中では最も広大な分布域をもつ属である。だが稀種ぞろいで生息地は局所的。どの種も数が少なく、ルソン島(フィリピン)とボルネオ島(マレーシア)からは、それぞれ1頭のみの記録しかない(註3)。

平嶋義宏氏の『蝶の学名-その語源と解説-』によれば、属名 Helcyra(ヘルキュラ)は、ギリシア語のhelko(引く、引っ張る)+oura(尾)からきているという。
これは Felder(1860)の創作で、造語上はHelcuraが正しいが、爬虫類のHelcuraが既に存在するので「u」を「y」と綴ったものと平嶋氏は推定されておられる。
語源はピンとこないが、ヘルキュラという響きは何となくカッコイイ。プリキュアに対抗するライバル軍団の名前みたいやね。

小種名の plesseni(プレッゼンアイ)は、ドイツ人であるBaron von Plessen氏に因む。
ふ~ん、プレッゼンアイって読むんだね。ラテン語とはいえ、そんな読み方をするとは思いもよらなかったよ。滑舌の悪い人なら舌を噛みそうな名前だ。

増井さん&猪又さんコンビの論文(註4)によると、本種は長くApatura属(コムラサキ属)に入れられていたようで、以前はApatura plesseni、或いはApatura asakuraiの学名で知られていた。これを♂交尾器の形態に基づいてシロタテハの仲間(Helcyra属)だと最初に指摘したのは柴谷篤弘博士(1943)だそうである。

和名のアサクラコムラサキは、戦前の台湾・埔里に在住していた標本商、朝倉喜代松氏に因んでいる。
原色台湾蝶類大図鑑には「アサクラ」という和名がつけられた蝶は他に6種類あり(註5)、これらは全て同氏に由来する。
最初、Fruhstorfer(Seitz Vol.9,1913)はミュンヘン在住のBaron von Plessen氏の蒐集品中に発見した1♂に基づいてこれをApatura属の新種として記載したが、その産地は”台湾”とのみ記され、他の詳しい記述は無いようだ。
その後、これに遅れること1917年に仁礼景雄氏により埔里付近のターケイ山で採集された個体に基づいて新種 Apatura asakurai として記載された。だが、これはシノニム(同物異名)になっていて、現在は使用されていない。

軽い気持ちで、一応台湾の対岸に似たようなものがいないかどうか調べてみた。
したら、驚いた事にコレが何といるんである。今回は台湾特産種だし、書くのはそれほど面倒ではなかろうと安心していたのに、いきなり崖から突き落とされたような気分である。またしても迷宮世界に徨(さまよ)うことになりそうだ。毎度毎度の展開でゲンナリだよ( ´△`)

 
中国に産するものはコレです。

 
(出典『old.hkls.org』)

 
広東省の南嶺国有森林保護区で撮られたもののようである。

 
(出典『www.jxjis.com.keji_show』)

(出典『ebay』)

 
こんなのアサクラコムラサキやんけー(*`Д´)ノ❗❗
同種の亜種関係にしか見えへんわ。
学名を見ると、Helcyra subalba subsplendes となっていた。どうやらHelcyra subalbaという種の亜種のようだ。

一応、表側の画像を探そう。
見落としていたが、2枚目の写真と同じサイトに画像があった。

 
(出典『www.jxjis.com.keji_show』)

 
アサクラコムラサキと比べて白色の斑紋や帯が減退している。
これは中国の九连山保护区という所のもので、江西省にある原始林のようだ。台湾の対岸の省ではないが、その奥にある省だから、そう遠くはない。
この亜種は原名亜種ssp.subalba subalba よりも白紋がやや発達し、アサクラコムラサキとの中間的な特徴を示すようだ。しかし、この個体は表翅の斑紋の発達が悪い。でも他にダウンロードできるような画像が見当たらない。拠って、中間的なフォームである山東省の個体のリンク先を貼っておきます。

  
山东省科技厅

 
山東省は沿岸部の省ではあるが、だいぶ北に位置している。ということは、subsplendesの分布域はかなり広いという事になる。
えっ、そんなに広いの?俄(にわか)には信じがたい。

 
原名亜種の方も確認してみよう。

 

(2点とも出典『old.hkls.org』)

 
(出典『picclick.com』)

 
(♂)

(同♀)

(以上4点とも出典『jpmoth.org 』)

 
上2つの画像が♂の表と裏で、下が♀である。
表も裏も斑紋が消失しかかっている。

北ベトナム産の標本写真も見つけた。

 

(以上2点とも出典『yutaka.it_n.jp』)

 
微かに帯の痕跡があるが、コチラも斑紋が減退している。

そういえばコイツらって、見憶えがあるような気がするぞ。もしかしたら…と思い「アジア産蝶類生活史図鑑」を開いてみた。

 

(以上2点とも出典『アジア産蝶類生活史図鑑』)

 
やっぱりコヤツだ。
ウラギンコムラサキという和名がついている。
この画像だけだと、まさかアサクラコムラサキに近い種だとは思わないわな。もちろんシロタテハ属だとも思ってなかった。見開きで並んでいるのにも拘わらず、どうせマレーコムラサキとかに近い奴なんだろうと漠然と思っていたのだ。だって地味なんだも~ん(# ̄З ̄)
アサクラコムラサキの斑紋が消失したのがウラギンコムラサキだと言われれば、納得だわさ。まだまだ修行が足りませぬな。

和名ウラギンコムラサキで検索しても、殆んどヒットしない。出てくるのはアンビカコムラサキばかりだ。これはきっと他にも和名があるに違いない。
こんな時は、コムラサキの権威である増井さんに頼るしかあるまい。
前述した増井さんと猪又さんコンビの論文を読み進めると、色んな事が解ってきた。

先ずは和名だが、他にもこんなものがあった。

・ウラギンクロコムラサキ(村山, 1979)
・ウラシロタテハ(森下,1985)
・ウラギンシロタテハ(小岩屋,1989)
・テツイロコムラサキ(青山,1992)

やっぱ沢山あるわ。ややこしいねー。
(# ̄З ̄)ったく、何で外国の蝶ってこんなにも和名があるんだよ❓蝶屋って自己顕示欲の塊だな。皆が納得いくような和名が無いのならば、いっそ無理矢理につけないで学名を頭につけといた方が余程混乱が少ないと思うよ。
と云うワケで、以後の文章で和名を使用する場合は、混乱を避けるために学名からとったスバルバシロタテハに統一しようと思う。

スバルバシロタテハはアサクラコムラサキよりやや大型で、中国大陸の稀種だそうである。やはりシロタテハ軍団は稀種揃いなんだね。
増井さんたちはアサクラコムラサキの代置種と考えておられるようだ。なるほど、そういう事なら理解できなくもない。

亜種には以下のようなものがある

 
◆原名亜種 ssp.subalba (Poujade ,1885)

◆ssp.subsplendes (Mell ,1923)

 
(о´∀`о)助かったあ。亜種区分は2種類だけだ。沢山の亜種があると、ややこしい話が益々ややこしくなる。カラスアゲハの時みたく脳味噌崩壊するのは、もう御免だ。

論を進める前に、少し遠回りだが増井さん&猪又さんの論文の冒頭部分に触れよう。

「シロタテハグループのうち、アサクラコムラサキ種群は黒い祖先型のシロタテハから進化の過程でイチモンジチョウグループに収斂していったものと見なすことができよう。」

なるほど、そう言われてみれば、そんな気もする。
つまり、シロタテハの祖先の表翅は元々黒っぽくて、そこから表が白く進化したグループと斑紋や帯が発達してイチモンジチョウタイプに進化したグループとに分かれたのではないかと推察しているワケだね。

一応、参考までに別族(Limenitidini族)であるイチモンジチョウの画像を添付しておきましょう。

 
【イチモンジチョウ Ladooga camilla】
(出典『日本産蝶類標準図鑑』)

 
確かにパッと見はアサクラコムラサキに似ている。
でも、どうしてこの紋様に収斂されていくんだろう?
似ることによって、何かメリットでもあるのかな?
似たような模様で毒のある蝶とか蛾とかも浮かばないし、全然ワカンナイや。
まあ全然ワカンナイなら、この問題は寧(むし)ろスルーできる。前回のヒョウマダラみたいに擬態地獄に落ちないだけでも、まだマシかもしんない。

 
そして、お次は祖先型?的なシロタテハ。
先月、アサクラコムラサキの事など全く意識せず、黒いシロタテハの三角紙標本を買った。500円と安かったし、そういう出物は滅多に出ないのではと思い、一応買っといたのである。

 
【セレベスシロタテハ ペレン島亜種】

 
黒いけど、完全な黒ではなくて、うっすら白っぽい部分がある。白いシロタテハの斑紋が透けて見えるような感じだ。コレってさあ…、果たして元々黒いものが白っぽくなったものなのか、それとも元々白いものが黒っぽくなったのか判断に苦しむところだよね。
とはいえ、白いシロタテハの斑紋が透けて見えるってことは、白から黒へと変貌していったと云う説明の方が素直に受け容れやすい。その逆に進化するのは難しいような気がする。白い蝶が黒くなる黒化型と黒い蝶が白くなる白化型だと、蝶の場合は前者の例の方が遥かに多いような気がするんだけど、どうだろう❓
けれど、タテハチョウって黒を基調にしているものが多いんだよなあ。白いタテハは、ごく少数だ。シロタテハ類とシンジュタテハくらいしか思い浮かばない。あとは広義のタテハチョウ科にまで広げれば、モルフォチョウ亜科のシロモルフォ(カテナリウスモルフォ)くらいか。いや、そういえばホウセキフタオなどのPolyura属なんかも白いのがいるか…。
何れにせよ、白を基調としたタテハチョウは少ない。ということは、シロタテハは元は黒で、進化の過程で白になったと考えるのが自然でもある。
えーい(ノ-_-)ノ~┻━┻、白➡黒なのか、黒➡白なのかどっちなんだ❓もう、白黒つきまへんわ。
(/´△`\)オデ、アタマ悪いから、だいぶ脳味噌の温度が沸々と上がってきたよ。

 
(セレベスシロタテハ 裏面)

 
セレベスシロタテハ(セレベンシスシロタテハ)は、裏の帯がそこそこ発達しているんだね。
話は逸れるが、こうしてシロタテハの仲間を並べてみると、この属はみんな触角の先が独特の形に膨らむのが特徴なんだという事がよく解る。

一応、塚田図鑑の図版も添付しておこう。

 

(以上4点とも出典 塚田悦造『東南アジア島嶼の蝶』)

 
学名は、Helcyra celebensis faboulose。
インドネシア北東部バンガイ諸島のペレン島に生息する。この島の蝶は特異なものが多いことで有名だ。それらのどれもが祖先種的な形質を具えているのかどうかは、浅薄な知識しかないので知らない。
スラウェシ(セレベス)島のものが原名亜種となるが、コチラは白いシロタテハだ。

 
【原名亜種 Helcyra celebensis celebensis】

(出典『東南アジア島嶼の蝶』)

 
北部のミナハサ半島のものが原名亜種celebensisとされ、他の大部分は australis と云うまた別亜種に分けられている(図版2枚目、3枚目の右個体)。
ネットで検索しても、このスラウェシ島の白いシロタテハのカラー写真が全く出てこない。きっと、かなりの珍品なのだろう。珍品の蝶を数多く載せた塚田さんの図鑑はやっぱスゴいや。

ついでだから塚田図鑑の分布図を添付しよう。

 

 
ペレン島は意外とスラウェシ島から近いね。
しかし、行ったことあるけどスラウェシは馬鹿デカイ。淡路島とは大きさのレベルが違う。地図の見た目以上に互いの距離はあるだろう。

話は元に戻るが、この表翅の黒いイチモンジチョウ型のシロタテハとして最初に記載されたのが、スバルバシロタテハらしい。
基産地は四川省峨眉山産。その後、江西省、湖北省、浙江省、河南省などが産地として追加された。増井さんたちは福建省産のラベルのついた標本を見る機会があり、これが「ウラシロ型」斑紋にならない「アサクラ型」の別亜種ssp.subsplendesだったと述べている。
因みに広東省西部のチョウを扱った伍(1988)の図鑑には、本亜種subsplendesも原名亜種subalbaも含まれていないという。文献が古いと、まだ詳細な分布がわかっていないので、混乱を助長するなあ…。

さて、ここからが本題である。
改めてアサクラコムラサキにソックリなスバルバシロタテハの亜種 subsplendesについて述べよう。
増井さんたちの論文には次のように書かれている。

「亜種 subsplendesは、最初にMell(1923)により
Apatura属の新種として記載されたものである。この記載文中で、Mellはplesseni(アサクラコムラサキ)との比較検討を行っている。その詳細についてはここでは述べないが、重要な事実は、翅表がsubalba型(白帯の発達の悪いイチモンジ型)、裏面が台湾のPlesseni型(橙色の及び黒色紋が前後翅ともに発達)といった中間的な個体群が台湾の対岸の広東省北部に分布するということである。」

つまり、表はスバルバに見えて、裏はアサクラコムラサキにソックリってことだ。
それが最初の方に ssp.subsplendesとして紹介した江西省 九连山保护区の個体みたいな奴ってことか。

 
更に調べていくなかで重大なことに気づく。subsplendesの1枚目の生態写真とsubalbaの1枚目と2枚目の生態写真も、場所は同じ広東省の南嶺国有森林保護区で撮られたもののようなのである。
( ・◇・)どゆこと❓
同じ地域にスバルバシロタテハ的なものとアサクラコムラサキ的なものが混棲してるってこと❓
アタマ、ワいてきた。コイツらって、何なんだ❓
亜種として分類できなくなるじゃないか。

頭を整理するために、中国の省の地図を見てみよう。

 
(出典『吉林野日記』)

 
これに「アジア産蝶類生活史図鑑」にあった分布図を重ねてみよう。

 
(出典『アジア産蝶類生活史図鑑』)

 
山東省などが産地として漏れててピッタリではないが、記録のある産地と分布図は大体あっている。

\(◎o◎)/あれれー❗❓
分布図に台湾が入っとるやないけー❗❗
そっかあ…、それで思い出したよ。この分布図を見て、ウラギンコムラサキ(スバルバシロタテハ)も台湾にいるんだと思って必死で探したんだよね。
もちろん見つかる筈もなく、その時は単なる誤植だと片付けたんである。当時は全くアサクラコムラサキとは繋げて考えられなかったワケだね。
もしかして、この分布図は誤植ではなくて、五十嵐邁さんと福田晴夫さんは両者の幼生期を見て、スバルバシロタテハとアサクラコムラサキは同種だと考えていたのかもしれない。
とはいえ、本文には何らその点については言及されていないし、アサクラコムラサキの分布図は台湾のみになっている。こっちの勝手な妄想で、やっぱり単なる間違いだったのかもしれない。またアタマがワいてきそうなんで、そういう事にしておこう。

アサクラコムラサキって、本当に独立種なのかなあ…。見てくれは ssp.subsplendes とよく似てはいても、交尾器に明確な差異があったりするって事なのかな?

増井さん&猪又さんコンビの論文には、まだ続きがある。中間的な個体群が台湾の対岸にいるという文章の後だ。

「改めて我々は種 subalbaとplesseniが、それぞれ大陸と台湾の代置関係にあるという見方を確信すると共に現段階では、subsplendesはsubalbaの地方変異として亜種扱いにしておくのが妥当であると判断する。今後、大陸と台湾で代置関係にある他のグループについても、中間的な変異個体群が広東省から発見される可能性がありそうである。この地域の調査の進展を強く希望するものである。」

説明を聞いても、今やなぜ亜種扱いが妥当なのか今一つ納得できない。

ところで、両者の遺伝子解析は、もう済んでいるんだろうか❓
済んでいるならば、subsplendesとplesseniは、おそらく同種と云う結果になっているのではないかと思う。下手したら、subalbaだって同種になっているかもしれない。しかし、探した範囲では何処にもそういう事は書かれていない。相変わらずアサクラコムラサキは台湾特産種のままだ。
と云うことは、やはり plesseniとsubsplendes は別種だと云う結果が出てるのかな?
アサクラコムラサキは台湾の特産種であってほしいけど、何れにせよ唯一無二のものとは言いにくいよね。
何だか、ちょっぴりガッカリだよ。

色々調べるうちに、また新たなものが出てきた。

 
【亜種 ssp.takamukui】
(出典『Wikiwand』)

 
コヤツには上のような別な亜種名がついていた。
(# ̄З ̄)ったくよー、迷宮スパイラルだ。
おや、変だな?
( ̄∇ ̄*)ゞ何だよー、よく見ればコレってスバルバじゃなくてシロタテハ(Helcyra superba)だわさ。
superbaとsubalbaの綴りが似ているので、見間違えた。
労多くして益少ないネットサーフィンをしてて、相当疲れてたんだろうなあ…。

それはそうと、このシロタテハグループの起源は何処なのだろう❓何処で誕生し、どう分布を拡大して、各種に分化していったのだろうか❓
これも遺伝子解析が済んでいれば明らかになっている筈だが、情報が無いので自分で推察してみよう。
グループ全体の分布を見ると、ヒマラヤを西端に、東はインドシナ半島から中国を経由して台湾に至り、南はマレー半島を経由して東南アジア島嶼を経てパプアニューギニアにまで至っている。この分布形体は、以前紹介したキゴマダラのグループ(Sephisa属)の分布を更に拡大したものとは考えられまいか?ならば、キゴマダラ属と同じくシロタテハの祖先種は、おそらくヒマラヤ圏で誕生し(註6)、東方や南方に分布を拡大し、その過程で幾つかの別種に進化していったのだろう。そして、中国では白いシロタテハのグループ(superba種群)から黒いシロタテハのグループ(subalba種群)が分化し、台湾で更にアサクラコムラサキへと進化したのではないだろうか❓

だとしたら、セレベスシロタテハの黒いペレン島亜種はどう説明する❓
( ̄∇ ̄*)ゞアレはですねー、先祖帰りです❗
離れた島に長きにわたり隔離されたことによって、祖先種に戻っちまったんであ~る。
なあ~んか説明に矛盾を含んでいないでもないよな気がするが、もう知らん。アタマがグチャグチャになってきてるんである。

 
【台湾名】普氏白蛺蝶

普氏って誰だ❓朝倉さんではないの❓
本当はこの普さんが発見したとか❓
調べてもよくワカンナイ。
参考までに言っとくと、普という字には「全て」とか「全能」と云う意味もあるようだ。

その他に次のような別称がある。
臺灣白蛺蝶、國姓小紫蛺蝶、寬信紫蛺蝶、北山小紫蛺蝶、朴銀白蛺蝶。

コレも難題だな。
とりあえず臺灣白蛺蝶はまだ解りやすい。臺灣は台湾のことで、蛺蝶はタテハチョウのことだから台湾の白いタテハチョウって意味だね。
國姓小紫蛺蝶の國姓は国の姓、すなわち台湾の事だろう。つまり台湾の小さな紫の蝶って意味か…。でも小さな紫ってのが気にかかる。そんなに小さい蝶ではないし、紫がかっていると言われればそんな気もするが、前面に押し出すという程のものでもない。
寬信紫蛺蝶と北山小紫蛺蝶にも小紫がついている。ここで漸く小紫がコムラサキの事だと気づく。オイラ、疲れてるなあ…。
寬信と北山ってのは、人名もしくは地名かな。こんなの調べようが無さそうだ。諦めよう。
最後の朴銀白蛺蝶もまた難題だ。銀白蛺蝶ってのは解る。たぶん裏面の色を指しているのだろう。問題は朴の字。最初は幼虫の食樹かと思った。しかし、この蝶の幼虫はホオノキなんて食べない(註7)。だとしたら苗字の朴(ぼく)さんって事が考えられる。なぜに、こんなにも苗字だらけなのだ❓まったくもって解せないよ。

 
【英名】

調べたけど、英名は特には無さそうだ。
ただシロタテハの何種かには「White emperor」と云う英名がついている。白い皇帝だね。
となると「Orange line white emperor」辺りが候補にあがりそうだ。
しかし、個人的には「Roaring flames white emperor(紅蓮の炎の白い皇帝)」とかつけたくなる。とはいえ、ちょっと長いか…。
ならば、「White passion emperor(白き情熱の皇帝)」なんか、でや( ・◇・)❓

 
【生態】

開張50~56㎜。
台湾中北部~中部に分布する台湾特産種。原色台湾蝶類大図鑑によれば、台湾におけるタテハチョウ科最稀種の一つとされている。
平地から標高2000mまで見られるが、500~1000m付近に多い。北東部の海岸地帯にも見られるというが、これは低標高にもかかわらず食樹が自生しているからだろう。ここにはシロタテハもおり、両者の分布や生態はよく似ているという。
杉坂美典氏は4~12月に年数回発生するとしているが、山中氏(1975)によれば成虫は3〜9月に得られており、年3回程度発生しているだろうとし、アジア産蝶類生活史図鑑には年2回、3~6月と7~9月に発生すると書いてある。
個人的見解だと、たぶん年2化で、だらだら発生なのだろう。もしくは、意外と成虫の寿命が長いのかもしれない。
主に午前中に活動し、午後には目撃する数を減じるという。日当たりのよい樹林の空間を好み、樹液、腐敗した果実、蛙や蟹の死体、獣糞などに集まる習性がある。♂は湿った地面に吸水にも訪れる。また占有性が強いという。
♂は何処で占有活動をしているのだろうか?
やっぱり山頂とか尾根筋かなあ? でもタイワンコムラサキなんかは林道沿いのテリ張りだったぞ。
とにかく、そういう場所さえ見つければ楽勝で採れそうなんだけど、おいそれとは見つからないんだろうなあ…。

参考までに補足しておくと、『東南アジア島嶼の蝶』のシロタテハの項の解説に興味深い記述がある。

「本来は低地の樹林を好む孤独タイプの蝶で、単独で行動する為に得られる数が少ない。飛翔力は比較的強いが、短距離型で森から遠く離れることはない。こんな習性のせいで隔離され易く、孤立分化を成し独立種が多く見られる理由になっている。」

次の幼虫の食餌植物の項でも述べるように、稀種で分布が狭いのは食樹のせいだとばかり思っていたが、他にも成虫の習性が関係しているとは考えもしなかった。
どんな事象でもその理由は一つではなくて、複数考えられる場合が多いということを忘れてたよ。

それにしても、よくそんなんで分布を拡大してこれたよね。昔は食樹であるエノキの1種(コバノエノキ)が繁栄していたのかなあ?
そのエノキは原種に近いもので、昔はそればっか生えていて、そこから現在のように様々なエノキに分化していって、シロタテハグループはそれに対応出来なかったとか考えられなくもないけどさ。もう謎だらけだよ。

 
【幼虫の食餌植物】

Cannabaceae アサ科 Celtis エノキ属

◆Celtis biondii コバノチョウセンエノキ

分布が限られる植物のようで、この蝶の発生地が局所的なのはそのせいだろう。
エノキ(Celtis sinensis)を与えても生育はしないようだ。おそらくこの食性の狭さも稀なる理由だろう。

 
【幼生期】

ここは「アジア産蝶類生活史図鑑」の力を借りよう。

♀は小型の食樹を選んで2m以下の葉の裏面外縁寄りに1個の卵を産みつける。

 
(卵)
(出典『アジア産蝶類生活史図鑑』)

 
( ☆∀☆)ワオッ!、卵まてお洒落じゃないか。
美人は手を抜かない。美しい者には完璧を目指すプライドがあるのだ。

 
(終齢幼虫)
(アジア産蝶類生活史図鑑)

(出典『随意窩日誌』)

 
体の真ん中辺りが膨らむ小太り体型だが、基本は典型的なコムラサキ型の幼虫だね。
背中のペラペラの突起は減退していて、真ん中にらしきものが1つだけあって、黄色い。

「1、2齢幼虫は葉の裏面先端部に葉柄に頭を向けて静止する。食痕はシロタテハに似るが、やや深く食い込む。越冬は通常3齢で行うが、冬季でも1、2齢幼虫が見られることがある。幼虫は食樹の葉柄を糸で柄に固定させ、枯葉の凹みの中で冬を越す。早春に目覚めた幼虫は摂食を開始するが、以後蛹化するまで葉の裏面で生活する。蛹化は食樹の低い位置の裏面で行われる。」

集団はつくらず、全ステージ葉裏生活型ってことだな。
越冬幼虫の齢数がまちまちなのが、だらだら発生に繋がるのかもしれない。
台座については特に述べられていない。しかし、シロタテハはオオムラサキのように台座をつくり、それに固執するようだ。

 
(終齢幼虫頭部)
(アジア産蝶類生活史図鑑)

(出典『随意窩日誌』)

 
おー、顔までシュッとした男前だ。
コムラサキの仲間の幼虫は、だいたい可愛い系だけど、カッコイイ系の顔だとはね。恐れ入りました。

角は他のコムラサキ亜科の幼虫よりも遥かに長く、鹿角みたいだ。その辺も男前的に見えるゆえんだろう。

 
(蛹)
(出典『アジア産蝶類生活史図鑑』)

(出典『随意窩日誌』)

 
コチラも典型的なコムラサキ型の蛹だね。
ただし、色は明るい黄緑色だ。黄色い筋も目立つ。

ここで問題発生🚨、問題発生🚨
全文章が完成したあとで、たまたま『世界のタテハチョウ図鑑』を見る機会があって、アサクラコムラサキの幼生期を見て仰天。急遽、間に画を挟むことに相成った。また書き直しだよ(T_T)

問題はコヤツだ。

 
(出典 手代木求『世界のタテハチョウ図鑑』)

 
何と茶色いタイプの幼虫がいるではないか❗
ってことは、越冬幼虫なのかなと思った。日本のコムラサキやオオムラサキ、ゴマダラチョウと同じく冬の風景に溶け込むために変色するんだと思ったワケだね。
でも、越冬幼虫は3齢だけど、何とコヤツは4齢幼虫なんである。つまり、越冬後に脱皮した奴だ。おいおい、どこに変色する意味があるのだ❓ 意味ねぇじゃん❗❓
ワケわかんないよなあ…。
因みに終齢幼虫(5齢)は、また緑色になる。

 

(出典『世界のタテハチョウ図鑑』)

 
この図鑑によれば、シロタテハも茶色いタイプの幼虫がいるようだ。しかも終齢(5齢)幼虫になっても、この茶色いタイプがいて、緑色と両タイプが存在するようだ。益々、ワケわかんねえや(´д`|||)

さて、そんな事よりも問題は、Helcyra subalba スバルバコムラサキ(ウラギンコムラサキ)とアサクラコムラサキの幼生期がどれくらい違うかである。もしくは似ているかである。
もし同じならば、両者は同種という事になる。
早速、比べてみよう。

「アジア産蝶類生活史図鑑」に載ってる原名亜種らしきモノの幼生期を見てみよう。

食餌植物はコバノエノキ Celtis nervasa。
コバノチョウセンエノキでも飼育可能のようだ。つまり、アサクラコムラサキやシロタテハと食樹は基本的に同じだと言える。

それにしても五十嵐さんと福田さんは流石だね。
こういう稀種の幼性期を数多く解明して載せてるのはスゴいわ。
でも、卵の画像が無かったので、ネットで探した。

 
(卵)
(出典『zschina.org.cn』)

 
画像が小さ過ぎて解りづらい。
似てるっちゃ似てるけど、全く同じってワケでもない。
ちょっと気になったのは、産みたての卵。無地で赤い斑点が無い。と云うことは、孵化が近づくにつれて模様が出てくるってワケだ。アチキは普段全くと言っていいほど飼育はしないので、これは盲点だったよ。

 
(終齢幼虫)
(出典『アジア産蝶類生活史図鑑』)

 
(出典『蝴蝶鳥渡鴉』)

 
あっ、背中に黄色いペラペラのが無い❗❗
頭にある角も黒っぽい。
こりゃ、別種だと言わざるおえないよなあ。

あとは4齢幼虫が何色かだ。
残念ながら『世界のタテハチョウ図鑑』にはスバルバシロタテハの幼虫は図示されていなかった。でも、さっきの卵の画像のサイトに全幼虫期の画像があった。

 
(出典『zschina.org.cn』)

 
画像が小さくて見づらいけど、4齢幼虫は明らかに茶色じゃなくて緑色だ❗
と云うことは、やはり別種なのか…。
とはいえ、待て、待て。結論を急いてはならない。
スバルバシロタテハは年2化以上の発生が考えられる。ということは、越冬する第1化と越冬しない第2化以降とでは色の変化の有無が生じる可能性がある。で、この幼虫は第2化以降のものではなかろうか?
しかし、再びサイトを訪れて翻訳された文章を読むと、どうやら越冬幼虫を飼育したようなニュアンスだ。
「アジア産蝶類生活史図鑑」に図示された画像も越冬個体の筈だよね。そこには茶色の幼虫なんていなかった。ということは、やはり茶色タイプの幼虫はいないのか…? これもまたスバルバとアサクラか別種という証左になりうるのかなあ…。いや、あれは終齢幼虫で、4齢幼虫は図示されてないか…。段々、集中力が無くなってきた。取り敢えず解説欄に目を通そう。

産卵及び1、2齢幼虫は、図鑑発行時には観察されていないようだ。

「越冬は3齢幼虫。食樹の低い位置で枝に糸で結びつけられた枯れ葉の巣の中で冬眠する。4月上旬に伸び始めた新芽を求めて枝に移る。以後、蛹化に至るまで幼虫は葉の裏面に静止する。蛹化は低い位置の葉の裏面で行われる。」

表現は違えど、基本的にアサクラコムラサキの幼虫と生態は特に変わったところは無いみたいだ。
幼虫の体色については全く言及されていない。ということは、裏を返せば茶色にはならないって事かもな。
いや、でもアサクラコムラサキの解説欄でも一切体色のことには触れられていなかった。なのに『世界のタテハチョウ図鑑』には茶色いのがいる。やっぱり謎だらけの迷宮に迷いこんどるやないけー。

 
(終齢幼虫頭部)
(出典『アジア産蝶類生活史図鑑』)

 
似てるけど、違うっちゃ違う。男前度が一段下がる。
よく見ると顔の柄が違うし、鹿角の色が濃くて枝的な突起が小さい。

 
(蛹)
(出典『アジア産蝶類生活史図鑑』)

 
蛹も違う。
色が明らかにアサクラコムラサキよりも濃い緑色だ。
背中の盛り上がりもやや弱いような気がするが、これは♂♀の差もあるから何とも言えない。
とにかく、これを見た限りではアサクラコムラサキとスバルバコムラサキの原名亜種は別種とするのが妥当だろう。
しかし、亜種 subsplendesはどうなんだろう❓
もしもアサクラコムラサキに近い幼虫ならば、話は違ってくる。スバルバコムラサキの亜種ではなく、アサクラコムラサキの亜種とすべき事になるよね。
両者の中間的なものならば、解釈は人によって変わるから、見解は分かれるところだろう。

だが、subsplendesの幼生期の画像が、いくら探しても見つからなかった。
subalba、subsplendes、plesseni 三者の関係は謎のままだ。謎は愉し。何でもかんでも解明されてしまえば、世の中おもしろくない。そう云う事にしておこうか。

ここまで読んだ人は、こんな終り方だとスッキリしないだろなあ…。
ホント、ゴメンナサイ。でも、一番スッキリしてないのはアタイなのさ。その辺は切に御理解されたし。

 
時々、今でもアサクラコムラサキが舞う姿が脳裡をよぎることがある。
稀種にして佳蝶であるこの蝶には、今だに恋しているのかもしれない。

                  おしまい

 
 
《あとがき及び註釈》
今回のメインタイトルは3年前に書いたアメブロの文章のものを、ほぼそのまま使用した。他に考えなかったワケでもないが、これを越えるものはどうしても思いつかなかったのである。
タイトルは、名匠フランソワー・トリュフォーの仏映画『突然炎のごとく』から拝借して、間に「、」を入れた。なお、3年前に書いたアメブロの文章のタイトルは『突然、炎の如く』と「ごとく」が漢字表記になっている。

映画は1962年に公開され、恋愛ドラマの古典的名作として知られる。第一次世界大戦前後のフランスを舞台に、親友同士の二人の青年と一人の女性との不思議な三角関係を描いている。
自分の生まれる以前の古い映画だが、破滅的で自由奔放なヒロインを演じたジャンヌ・モローが素敵だった。
本作は様々な分野にも影響を与え、これに刺激された巨匠ジャン=リュック・ゴダールが、名作『気狂いピエロ』を撮ったともいわれている。
原題は「Jules et Jim」。原作はアンリ=ピエール・ロシェの小説。

アサクラコムラサキとの出会いのシーンが今回のタイトルのモチーフになっているが、そこには同時にこの映画の魅惑的な主人公であるジャンヌ・モローへのオマージュも込められています。

 
(註1)その時の事はアメブロに書いたので…

以前書いていたアメーバブログの『発作的台湾蝶紀行』シリーズの一章のこと。
そういえば、コレって最初は酔っ払って書いたもので、誤字脱字だらけなんで後日書き直した改訂版なんだよね。
青文字をタップすれば、記事に飛びます。

 
発作的台湾蝶紀行21『突然、炎の如く』

 
(註2)浅倉南(アサクラミナミ)

週刊少年サンデーに連載されていたあだち充の人気漫画『タッチ』のヒロイン。アニメ放映当時は明石家さんまを筆頭に、男性の理想の女性像としてあげられる事が多かった。一方、男心をもてあそんでいるとして、女性からの反発も強かったようだ。とはいえ、浅倉南を知って新体操を始めたという女子は多く、新体操ブームの火付け役になったとも言われている。

 
(註3)それぞれ1頭のみの記録しかない

 
【ミヤザキシロタテハ Helcyra miyazakii】
(出典『東南アジア島嶼の蝶』)

 
フィリピン・ルソン島のバナウエから1♀のみが得られている。

ボルネオ島のシロタテハは、画像がないが北部のマレーシア領から1頭のみが得られており、ヘミナシロタテハのボルネオ亜種(H. hemina borneeneis)とされている。
参考までにスマトラ島亜種(ssp.watanabei)とジャワ島亜種(ssp.masina)の画像を添付しておきます。

 
(出典『東南アジア島嶼の蝶』)

 
右がスマトラ亜種で、左がジャワ亜種です。

  
(註4)増井さん&猪又さんコンビの論文

増井暁夫・猪又俊男「世界のコムラサキ(4)」
やどりが 151号 (1992)

 
(註5)和名にアサクラと名のつく6種の蝶の名前

上の(註4)の論文に6種類あると書いてあったが、羅列はされていない。
アサクラコムラサキの他に「アサクラアゲハ」「アサクラミスジ」「アサクラシジミ」までは頭に浮かんだ。でも、他が何なのかワカラナイ。ミツオシジミの別名「ミツオアサクラシジミ」とアサクラシジミの別名「アサクラムラサキツバメ」を加えても一つ足りない。隠れアサクラが雌伏してるとかって事なのかな?
おいおい、それじゃ南斗六聖拳のユリアだよ。
あっ、コレは漫画の『北斗の拳』の中の話ね。書いてて長いので、アタマが完全にオカシクなってきてるな。

 
(註6)おそらくヒマラヤ圏で誕生し

もしかしたら、キゴマダラ属とかシロタテハ属とか云うレベル以前に、そもそもコムラサキ亜科の祖先自体がヒマラヤ圏で誕生し、そこで一斉放散的な進化が起こり、多くの属に分化したのかもしれない

 
(註7)この幼虫はホオノキなんて食べない。

台湾のサイトの生態欄に「幼蟲取食朴樹科沙楠子樹葉片。」とあった。
日本では「朴」と書けばホオノキ(モクレン科の落葉高木)のことを指すが、どうやら台湾や中国ではエノキのことを漢字で「朴樹」と書くらしい。
因みに、日本でエノキの漢字といえば「榎」だが、中国ではキササゲ(ノウゼンカズラ科の落葉高木)のことを示す漢字みたいです。
同じ漢字でも、日本と中国とでは全く別な意味になることがあるので、注意が必要だ。たとえば日本では「鮎」は川魚のアユのことだが、中国ではナマズのことを指したりするのだ。

 
《あとがきのあとがき》
いやはや、今回も苦労した。書いてるうちに様々な疑問が生じてきて、文章がどんどん長くなっていった。時間もかなりかかって、完全に泥濘(ぬかるみ)状態になってまっただよ。
実を云うと、さらに今回は初の試みとしてあとがきを先ず書いて、そこから前に向かって書き始めた。
しかし、実験は見事に失敗して、途中でワケわかんなくなってきて何度も文章を組み替える破目になってしまった。
愚かちゃんである。それでもバカはバカなりに、少しでも正確で流れるような文章を書きたいと願い、色々と試してみるのである。まっ、何しようが文才は全然無いけどさ。