小女子の季節

  
新子の季節がやって来た。

 
表題をよほど「新子の季節」にしようかとも思ったが、新子にしてしまうと関東では別な魚のことになるから諦めた。
関東で新子といえば、寿司ネタの小肌(こはだ)の更に小さい奴のことを言う。
因みにコハダはコノシロのことだ。出世魚の一つで、その大きさによって名前が変わる。

小女子は「こうなご」と読む。関東ではイカナゴの稚魚のことをそう呼んでいるようだ。
関西では、この稚魚のことをイカナゴとか新子と呼んでいる。神戸方面の人たちは、これを甘辛く煮たものを「イカナゴの釘煮」と呼んで、偏愛している。
成魚のことは、関西ではカマスゴやカナクギと呼ぶ。他の地方では、それぞれまた違う呼び方がされているみたいだから、まことにややこしい。
この魚介類の名前の乱立に関しては、時々ウンザリする。混乱を引き起こすだけなんだから、いっそのこと統一しろよなと思う。でも、実際に統一されてしまえば、何だか味気なくなるだろう。何でもかんでも整理してしまえばよいと云うものでもない。多様性のない世界は無味乾燥な世界でもあるのだ。
しょっちゅう、蝶の名前の乱立で文句を言ってるオイラだが、それとコレとは違う。アタクシ、魚介類の名前の乱立は容認します❗

前置きが長過ぎた。本題に入ろう。

五日ほど前に新子の走りを見つけた。
400円足らずと、ちと高い。けど、一点しか売ってなかったし、即飛びついた。
この季節の新子が、こんまくて一番美味いのである。

冒頭の写真を見てもらいたい。
こんなの、どんな網で獲ってるんだ?と思うくらいに、とにかく小さい。
コヤツには最初は何も手を加えず、そのまま食うことをお薦めする。はんなりした柔らかさで苦味が少なく、繊細な味で、誠に美味いんである。

 
第二投は、大根おろしあえ。

 

 
もちろん大根おろしは辛味大根か、普通の大根を皮ごと擦りおろす。辛くない大根は認めない。

半分は、そのまま食う。
そして、飽きてきたら醤油をかける。

 

 
醤油をかけたものは、炊きたて熱々の白い御飯に乗っけて食うのも、いと旨しである。

余談だが、しらすと大根おろしの食い合わせはヨロシクないらしい。しらすには体の成長に関係する必須アミノ酸のリジンが含まれてるんだけど、大根にはこのリジンの吸収を阻害する物質が含まれているらしい。
とはいえ、一方では大根にはしらす干しに含まれているカリウムやカルシウムの吸収を活発にするビタミンCも含まれているそうだ。
この矛盾を解消するためには、お酢をかければ解決するらしい。
(#`皿´)ッタラー❗❗
ゴメン、悪いけどシラスおろしにそんなことは一生涯しないと思う。

 
第三投は、オリーブオイルあえ。

 

 
エキストラ・ヴァージンオイルをチャラっとかけて、混ぜるだけ。
味見をして薄いと思ったら、塩をチョイ足されたし。

これは酒の肴のエントリーに相応しい。ビール、日本酒、焼酎、白ワイン、酒なら大概のものなら合う。

 
一昨日も別なスーパーで見つけたので、即買い。
今度は二点しか売ってなかった。このサイズのものは入荷が少ないのだ。後述するが、瀬戸内辺りではまだ漁獲が解禁されていないのでありんす。

 
今回も先ずは何も加えずに食う。

 

 
そして、第二投も何も加えずに食う。
今さらながら、それが一番美味いと思い出したのだ。
しかも出回る時期はごく短い。季節の刹那をシンプルに味わうとしよう。あれこれするのは、後に出てくるもっと大きなサイズの時にいくらでも出来る。

 

 
奥さん、もしこの小さい新子を見つけたら、迷わず買いですぞ(*`Д´)ノ!!!
身悶えしながら、春の刹那の味覚を堪能されたし。

とはいえ、解禁後に出回るであろう新子でさえも簡単には口に入らないかもしれない。
去年、一昨年と瀬戸内海での漁獲が激減しているんだそうである。他の地方でもそうみたい。
乱獲や生息環境の悪化および海砂の採集による生育適地の破壊などが原因らしい。乱獲に拍車が掛かっているのは、TVのせいで全国的にその旨さが認知されたのもあるだろう。
だから、伊勢湾や瀬戸内海では年ごとに生育度合いや推定資源量を調査し、その年の漁獲量を決定しているそうだ。
明石辺りでは数日前に既に調査が終了していて、去年、一昨年並みらしい。それで漁期を決めるらしい。
つまり、今年も不漁が予測される。

今年の神戸方面の新子の解禁は3月5日(火)だそう。
中々、今年は口に入りそうもないけど、このニュースが入ってくると、いよいよ春の訪れだなと思う。

 
                 おしまい

 

巨樹と仏像 ー奈良公園 冬ー

 
先日アップした「なら瑠璃絵」と富山県の郷土料理屋の回の前の話(2019年 2月14日)。

 
冬の奈良公園を訪れた。

近鉄奈良駅で降り、先ずは高札場の隣にあるムクノキの大木に挨拶へ行く。

 

 

 
高札場に猫がいた。
眠ってる猫は可愛い。この日は寒かったから、猫は丸くなるのである。

 

 
白黒写真みたいになった。
樹高25m。幹周り6.5m。推定樹齢は千年とも言われている。千年とは気が遠くなりそうな時間だ。
ムクノキはアサ科ムクノキ属に含まれ、成長が早くて大木になりやすいと言われるが、それでも千年はスゴい。

 

 
ムクノキ(椋の木)の語源は、カミキリムシ好きの東さんの話だと幹の皮が簡単に剥けるからだそうだ。ホントかね❓

調べてみると、諸説あるようだ。

①良く茂る木の意である「茂くの木」から来ているという説。

②新葉に細かく粗い毛(ムク毛)が密生しているから。

③葉には珪酸を含み、ザラザラしており、この葉を乾燥したものが木や竹・骨・角などの表面を磨きはがすのに使われた。この物を剥(は)いだり、剥(む)いたりする事から「剥(む)くの木」になったと云う説。

④古来、日本人は心身の穢れを忌み嫌い、穢れを落として無垢な心を持つことを願った。その心を木に託し、無垢(むく)の木と名付けた説。

⑤老木になると樹皮が剥げてきて、簡単に剥けるので、剥くの木と呼んだ説。

⑥ムクドリ(椋鳥)が好んで実を食べることから「ムクノキ」となったという説。

よくぞ、こんなにも語源とされる説があるもんだなあ。⑥番目なんかは、ちょっと怪しいけどさ。

普段はそのまま南円堂に向かうのだが、本日は三重塔のある裏道へ入った。

 

 

 
入ってすぐの所にお地蔵さんがいた。
お地蔵を見ると、何だか心がほっこりするね。

 

 
三重の塔。
北円堂と並び、興福寺で最も古い建物の一つだ。

 

 
三重の塔から南円堂を望む。

 

 
この角度から南円堂を見るの初めてかもしれない。

 
北円堂へと向かおう。

 

 
なだらかな坂の先に北円堂が見える。
一本道の向こうに建物があるってのは、ちょっとした高揚感があって好きだ。何かに向かってゆく気分ってのは悪くない。

北円堂も古い建物である。他の多くの伽藍は火事で何度も焼失し、また再建もされているようだ。

この道は裏道だから行き交う人も少なく、落ち着いた気持ちになれる。

南円堂の正面を通って興福寺国宝館へ。
ここを訪れるのは何十年か振りだ。

画像は撮ってないが、綺麗に建てかえられていたので、ちょっと驚く。
どうやら、去年(2018年)の元旦に新設されたようだ。

チケットは700円だった。高いのか安いのかよくわからない値段だ。

 

 
国宝館といえば、阿修羅像である。
東京で「阿修羅展」が開催された時は、阿修羅像を見るために物凄い数の人が押し寄せたらしい。それも若い女子ばっかだったという。「阿修羅萌え」なんて言葉もあるとか聞いたことがある。
若い女子たちが騒ぎ立てるのも解るような気がする。無垢な少年の顔と清楚な少女の顔が重なったようなその顔は、確かに誰が見ても美しい。

入って直ぐに山田寺仏頭が優しい顔で出迎えてくれた。

 
(出典『researchmap.jp』)

 
千手観音のお顔も穏やかで、心を和ませてくれる。
仏像の顔ってのは、案外癒されるものだと最近になって気づいた。あっ、でも若い時は秋篠寺の伎芸天に恋した事もあったっけ…。

 
(出典『DEEPだぜ!!奈良は。』)

 
天燈鬼と龍燈鬼。
生きてるみたいで、ちょっと恐い。
恐いけど、カッコイイ。

コイツら、だいたいは四天王などに踏みつけられてるから、こういう主役になってるものは珍しい。

 
【阿修羅像】
(出典『徒然cello日記』)

 
(出典『観仏日々帖』)

 
ウン十年か振りに見る阿修羅像は、変わらぬ優美さを湛えていた。
ただし、前の古い建物の中で見たときの方が背景としっくりと馴染んでいたような気がする。何だか美術館で見ているみたいな感じがして、少し違和感がある。

お顔は右手側からよりも、左側から見た方が美しいと思う。
阿修羅像をまだ見たことがない人は、死ぬまでには一度は見るべきだろう。それくらいの価値はある。

 
国宝館を出て、春日大社方面へと足を向ける。

 

 
イチイガシの大木だ。
一位樫と書き、ブナ科コナラ属に含まれる。語源は一位の樫の木と云う意味なんだそうだ。どこが一位なのかはよくワカンナイけどさ。

大木の魅力はその大きさもさることながら、その枝振りにもある。縦横無尽に曲がりくねった形は見てて飽きない。

 
飛火野へと出た。

 

 
こちらもイチイガシだ。

 

 

 
奈良公園にはイチイガシの巨樹が多い。
『春日大社境内のイチイガシ巨樹群』と名付けられ、市指定の天然記念物にもなっている。

すぐ近くには、クスノキの大木もある。
クスノキはクスノキ科ニッケイ属に含まれ、神社の御神木なんかにもなっているから、大木を見る機会は多い。

 

 

 
とてつもなく大きく見えるが、樹齢は百年くらいしかない。
実をいうと、この木は一本ではなく、三本の木が寄せ集まっているのだ。だから、矢鱈とデカく見える。
樹高は23.5mもあるという。

この木にだけは囲いがあって、中には入れない。
なぜかというと、陸軍の大演習の折りに、明治天皇が座ったところに記念として植樹されたからだ。

飛火野には、大木という程ではないけれど、そこそこ大きなナンバンハゼ(南蛮櫨)がある。秋になると、カエデに負けないくらいに紅く色づく。

  

 

 
飛火野を林縁に添って南へ歩くと、存在感のあるコレぞ巨樹といった木が在る。

 

 

 

 

 

 
これもクスノキである。
樹高は23m。幹周りは7.1m。樹齢は700年だそうだ。

幹が空洞になっているが、木自体は結構元気で、青々とした葉を繁らせている。
この空洞の部分には焼け焦げたような痕があるので、たぶん雷でも落ちたのだろう。
大木は他の木よりも高いので、きっと雷が落ちやすいんだろね。

 
春日大社まで移動した。

 

 

 

 

 

 
もちろん鹿さんもいる。
燈籠の間からコンニチワ。

 

 
春日大社の中にも巨木がある。

 

 

 
奥に見える杉の木だ。
『社頭の大杉』という名前がついている。
樹高25m。幹周り8.7m。樹齢800年~1000年という。

春日大社境内には、『砂ずりの藤』と呼ばれる樹齢800年の藤の大木もある。

 
(出典『よしひろ館』)

 
美しい。
花期はゴールデンウィークくらいだったろうか?
自分も見たことがあるが、ゴージャスな藤だ。
ただし、人も多い。見るなら朝の早い時間帯に行かれることをお薦めする。
とはいえ、周辺の少し離れたところには藤の大木がちょこちょこあるんだけどね。

 
春日山の原生林には杉の巨樹も何本かあり、二の鳥居付近にも「若宮大楠」という大木がある。

 
若宮神社の方へ進むと、クスノキの大木があった。

 

 

 
注連縄(しめなわ)が張ってあるので、御神木である。
一見するとそんなに大きくは見えないが、何と驚いたことに樹齢1700年だという。
写真は撮らなかったが、実をいうと表からそうは見えないが、裏から見ればその凄さが解る。デコボコのゴツゴツなのだ。因みに樹高は24m。幹周りは11.5mもある。

 
さらに金龍神社まで進むと、大きなイチイガシもある。

 

 

 

 
このイチイガシも大きい。
樹高18m。幹周り4.85m。樹齢は300年だと言われている。なあんだ300年ぽっちかよと一瞬思ったが、よくよく考えてみれば三百年も生きてるってスゴい事だ。動かぬ植物が生物の最強で、生命力が一番あるのかもしれない。

春日山のイチイガシといえば、そういえばルーミスシジミだなあ。
ルーミスシジミとは、日本屈指の珍蝶で人気も高い。
そのルーミスシジミの産地として、かつてはこの春日山一帯が有名だった。国の天然記念物にも指定されている。

 
【ルーミスシジミ Panchala ganesa】

 
日の光の下では、この水色が明るく輝き、とても美しい。

そういえば学名の小種名は ganesa(ガネーシャ)だったな。ガネーシャといえば、インドの神様だ。ルーミスシジミは神様なのである。

以下、何れも紀伊半島のルーミスだ。

 

 
たぶん、下のが♀かなあ…。

 

 
雌雄同体で、区別がそこそこ難しいのだ。

 

 
コレはちょっと変わった斑紋だね。

 
(裏面)

 
しかし、春日山原始林では既に絶滅して久しい。
伊勢湾台風の折りに多くの木が倒れたので、害虫の発生(?)を抑える為に農薬を空中散布したのが原因だとされている。

だとしたら、愚かな事だ。行政って動植物の事を何にも解ってないから馬鹿な政策ばかりしている。天然記念物の指定でもトンチンカンなものが結構ある。この春日山のルーミスだって、伊勢湾台風といえば1959年なワケだから、もう絶滅してから50年以上も経っているのに天然記念物の解除がなされていない。

それにしても、愚の骨頂とはいえ、そんなに簡単に絶滅するもんかね❓
他の昆虫で、ここ春日山で絶滅したとされるものは聞いたことがない(註1)。だいち、幼虫の食樹は山ほどまだ残っているのである。採集は禁止されているから、採集圧で絶滅したということも考えられない。にも拘わらずいないのである。
それに紀伊半島のルーミスを春日山に放した輩が絶対いるに違いない。それでも復活しないというのは、やはり他に問題があるのだろう。森の乾燥化が進んでいるとも言われるが、環境はたぶん50年前とそれほど大きくは変わってない筈なんだけどね。
きっと、人間があずかり知らぬ目に見えない環境の変化があったのだろう。

他に有名なイチイガシとしては、萬葉植物園内に『臥竜のイチイガシ』と云う木がある。これは名前のとおり枝が横に伸び、竜が如き佇まいだからだ。長い間、見てないけど結構見応えがある。

 
再び春日大社へと戻り、二月堂に抜ける道へと入ってゆく。
暫く歩くと、迫力のある木にブチ当たる。

 

 

 

 

 
水谷(みずや)神社のイブキ(ビャクシン)の木だ。
漢字は伊吹と書き、ヒノキ科ビャクシン属に含まれる。

幹の面妖さが凄い。
こういう老樹を見ると、精霊が宿っているのではないかと思ってしまう。
でも葉がほとんど無くて、瀕死の状態だ。
頑張れ!、おじいちゃん。

樹高は途中で折れてるから12.5mだが、幹周りは6.55mもある。樹齢は750年だそうだ。
中の空洞からは杉の木が生えていて「水谷神社の宿生木(やどりぎ)」と云う名もある。植物の逞しさには、驚くばかりだ。

 

 
ケヤキ(欅)の大木。
ケヤキは大木になりやすい木で、これくらいのものなら結構ある。

若草山の麓を通り、二月堂までやって来た。
お水取り(修二会)が近いせいか、もうそれ用の竹が用意されていた。

 

 
今年のお水取りは3月1日から3月14日に行われる。
お水取りが始まれば、いよいよ春の到来だと言われ、お水取りが終われば本格的な春が始まると言われている。

 

 
鮮やかな紅い花が咲いている。
モチノキ(モチノキ科モチノキ属)だろうか?
クロガネモチならば、もっと葉が小さい筈だから多分そうだろう。

 
東大寺の裏へと繋がる道をゆく。

 

 

 

 
この道はとても風情があって好きだ。
タイムスリップしたような不思議な気分になる。

坂道が終わると、右手に紅梅が咲いていた。

 

 

 

 
右の柑橘系の木との取り合わせが良いね。

 

 

 
ひっそりと蝋梅(ろうばい)も咲いていた。
名前に梅とついているが、梅の仲間ではなく、ロウバイ科 ロウバイ属に属する。蝋細工の梅みたいに見えることから、ついた名前だろう。
目立たない花だが香りが素晴らしい。
甘い香りがするのだ。その香りは香木の伽羅(きゃら)の匂いだとか、ジャスミンや水仙の花の香り、石鹸の匂いなどにも例えられる。

 
東大寺の裏手を歩く。
いつ見ても巨大で、毎度ながら要塞みたいだなと思う。

 

 
戒壇院まで来た。
残念ながら風情のある入口の山門は改修工事中で見られなかった。
本来はこんな感じ。

 
(出典『kiis.or.jp』)

 
この階(きざはし)の低い階段がいい。
でも正面からの姿もいいが、右斜め横から見る角度の方が好きだ。

仕方がないので戒壇堂の写真を撮る。

 
【戒壇堂】

 
パンフの表紙は広目天さんだ。

 
(以下、多聞天まで出典は戒壇院のパンフレットから。)

 
キリリと引き締まった顔が凛々しい。
シルエットもカッコイイねぇ~。
仏像の良さは顔だけやない。そのシルエットも大事だ。

パンフの表紙が仏像なのは、この寺には奈良(天平)時代の有名な四天王像があるからだ。
四天王とは、仏教における守護神である。
その配置は決まっていて、持国天➡増長天➡広目天➡多聞天の順に眺めるそうだ。

 

 
寺の人の話によれば、四天王は関西弁で『地蔵、買(こ)うた』と覚えればいいそうだ。「地・増・広・多」ってワケだね。

 
【持国天(じこくてん)】

 
東方の守護神であり、武神である。
左手に刀、右手に宝珠を持つものが多いが、戒壇院のものは右手に刀を持っている。国家安泰を表し、その刀で魔物を払うという。
足下に邪鬼を踏みつけている。これは他の四天王も同じだが、それぞれ踏んでいる邪鬼の種類が違うので、それを見比べるのも面白い。

 
【増長天(ぞうじょうてん)】

 
ぞうちょうてんとも読む。
南方の守護神。槍に似た戟(げき=古代中国の武器)を持ち、五穀豊穣を司る。

ドヤ顔である。
それでハタと思った。調子にのり過ぎることを増長(ぞうちょう)するというが、もしかしたらその語源はこの増長天から来ているのかもしれない。
それを確かめる為に寺の人に尋ねてみたが、「わっからへんなあ~。」と言われた。

 
【広目天(こうもくてん)】

 
西方の守護神。サンスクリット語(梵語)で「様々な眼を持つ者」を意味する。その千里眼のような眼でこの世の中のあらゆる事を見抜き、仏の教えと信者を護るといわれる。
右手に筆、左手に巻物を持っているのは、知の象徴でもあるのだろう。

この顔はいつ見ても荘厳だ。でも、ちょっと新撰組局長の近藤勇の顔に似ているなと思うのは自分だけだろうか?何れにせよ、相当頑固そうな顔だ。

この戒壇院の四天王だが、各自の身長が違う。持国天が160.5㎝。増長天が162.2㎝。多聞天が164.5㎝。そして広目天が169.9㎝と一番高い。広目天がスラッとしていて一番カッコ良く見えるのは、そのせいもあるのかもしれない。

 
【多聞天(たもんてん)】

 
宝塔を捧げ持つ北方の守護神。
物事をあまねく聞く者とされ、四天王最強と言われる。四天王としてはこの名だが、ソロ活動もしており、二つ名がある。その場合は「毘沙門天(びしゃもんてん)」と呼ばれ、財福の神や無病息災の神となる。また七福神の一尊としても数えられ、誠に忙しいお人である。

 
ちょっと疲れたので、お茶する。

 

 
抹茶ラテ。
普段は甘いものはあまり口にしないが、ちょっと疲れてきているので丁度いい。

 
日が暮れたので、東大寺南大門へ。
『なら瑠璃絵』を見る前に、あの仏像を拝んでおこうと思ったのだ。

門の左右には、天才仏師と謳われる運慶の手による金剛力士像(仁王像)が安置されている。

 
【阿形(あぎょう)像】

 
デカイ。下に人が写ってるから、そのバカでかさ加減がよく解るだろう。
身長は8.4m、体重は6.67トンもある。

木像だから相当デカイ大木が使われているに違いないよね。解体修理の時に分かったそうだが、木は檜(ひのき)が使われているようだ。

 

 
口を開けているのが阿形。
そして、口を閉じているコチラ↙が吽形(うんぎょう)像である。

 
【吽形像】

 
二つ合わせて阿吽。
「阿吽の呼吸」という言葉は、ここから来ている。

仁王像がこうして左右向かい合って立っているのは珍しいそうだ。
また門の右に吽形があり、左に阿形があるのも珍しい。普通は右に阿形、左に吽形が安置されていて、逆なのだ。

 

 
それにしても、隆々とした凄い筋肉だ。
筋骨隆々とは、この事だろう。
金剛力士も仏教における守護神だから、強くなくては話にならない。だから当然なんだけどね。

 

 
生きていて、今にも動き出しそうな迫力だ。こんなのが動き出したら、マジやばいよね。
それにしても人間が造ったものとは、とても思えない。そんなのを超越したものを感じる。
もしかして、運慶さんは宇宙人じゃねえの❓
名人が作ったものには魂が入るというが、ホントだと思えるくらいに凄いワ。
しかも、この仁王像の製作期間が仰天ものだ。
二体同時進行で、たったの69日間で造られたそうだ。やっぱ運慶さんは宇宙人だよ。

二体同時進行❓
ここで漸く思い出した。これは運慶さん一人で彫り上げたもんではないや。
運慶作と伝えられるもので大きなものは、だいたいが運慶さん率いる仏師集団が造ったものだと云うことを忘れてたよ。運慶が親方とか棟梁で、その指揮のもとに製作されたようだ。つまり運慶作とは、運慶個人の名前でもあるが、工房の名前でもあったワケだ。これは、ガラス工芸で有名なガレと同じようなものだと考えればいいだろう。

因みに伝だが、阿形が運慶と快慶の親子の作で、吽形が定覚と湛慶のコンビ作だと言われている。おそらくその下には多くの仏師がいたのだろう。
それでも約70日間と云うのは超人的バカっ早さだ。
これは寄せ木造りという工法が編み出されたからだが、それでもそれを齟齬なく組み立てるのは至難の技だったろう。

二体の仁王像は、宇宙人の始まりと終わりを表しているという。
阿形が始まりで、吽形が終わりだ。
仏像や曼陀羅には、仏教の壮大な思想が詰まっているのだ。

                 おしまい

 
追伸
そして、このデイトリップは前に書いた『なら瑠璃絵』へと繋がるのである。

 

よかったら、そっちも読んでね。

 
(註1)絶滅したとされるものは聞いたことがない
そういえば、若草山のオオウラギンヒョウモンも絶滅している事を忘れてた。
この蝶も今や日本有数の稀種であるが、局所的に分布するルーミスシジミとは少し事情が違い、昔は広く分布していたようだ。草原性の蝶で、生息に適した草原が人間の生活の変遷と共に激減したのが原因だと言われている。

 

台湾の蝶26『突然、炎のごとく』

 
  第26話『朝倉小紫』

 
アサクラコムラサキに初めて会った時は、何者だかワカンねぇけど、( ☆∀☆)超カッケーと思った。
今回のヘッドタイトルもそこから来ている。
その時の事は3年前にアメブロに書いたので(註1)、そちらを是非読んで戴きたい。当時の驚きと感動っぷりは充分伝わるかと思う。

 
【Helcyra plesseni アサクラコムラサキ♂】
(2016.7.9 南投県仁愛郷)

 
青みを帯びたグレーの地に鮮やかなオレンジ紋が並び、とても美しい。もう蝶界の浅倉南ちゃん(註2)なのである。表側ではなくて裏面から先の御披露目なのは、この美しさたる所以(ゆえん)だ。
地面に吸水に来ていたのだが、見た瞬間のその衝撃度たるや、かなりのものだった。腰が抜けそうとはこう云う時の事を言うんだろう。二度見したもん。

それに比して、表側はあまりに地味。
裏側の美しさに驚き、予想外の表側の地味さに驚くという連続技のダブルびっくりだったのをよく憶えている。

 

 
展翅写真も添付しておこう。

 

 
採った時は完品だと思ったが、残念ながら下翅が少し欠けている。(ToT)うるるー、これ1頭しか採れてないし、ガックシだよ。

 
♀は採れていないので、画像を他から借りよう。

 
(出典『原色台湾蝶類大図鑑』)

 
下が♀である。
♂と♀の色彩斑紋は殆んど同じだが、♀は♂と比べてやや大型になり、翅形は丸みを帯びて幅広くなる。また翅表の白帯及び白斑が、より広く大きくなる。裏面の亜外縁細黒条も強くなるようだ。

因みに台湾には近縁のシロタテハもいる。

 
【シロタテハ Helcyra superba 】
(出典『原色台湾蝶類大図鑑』)

 
シロタテハと比較すると、アサクラコムラサキは裏面に輪郭のはっきりした白帯があり、これに沿う橙色と黒色の配列は全Helcyra属の中で最も発達するというのがよく解る。アサクラコムラサキは、シロタテハ属の中では特異な存在なのだ。

 
【学名】Helcyra plesseni (Fruhstorfer,1913)

Nymphalidae タテハチョウ科 Apaturrinae コムラサキ亜科 Helcyra シロタテハ属に分類される。

シロタテハ属はインドからパプアニューギニアまで見られ、コムラサキ亜科の中では最も広大な分布域をもつ属である。だが稀種ぞろいで生息地は局所的。どの種も数が少なく、ルソン島(フィリピン)とボルネオ島(マレーシア)からは、それぞれ1頭のみの記録しかない(註3)。

平嶋義宏氏の『蝶の学名-その語源と解説-』によれば、属名 Helcyra(ヘルキュラ)は、ギリシア語のhelko(引く、引っ張る)+oura(尾)からきているという。
これは Felder(1860)の創作で、造語上はHelcuraが正しいが、爬虫類のHelcuraが既に存在するので「u」を「y」と綴ったものと平嶋氏は推定されておられる。
語源はピンとこないが、ヘルキュラという響きは何となくカッコイイ。プリキュアに対抗するライバル軍団の名前みたいやね。

小種名の plesseni(プレッゼンアイ)は、ドイツ人であるBaron von Plessen氏に因む。
ふ~ん、プレッゼンアイって読むんだね。ラテン語とはいえ、そんな読み方をするとは思いもよらなかったよ。滑舌の悪い人なら舌を噛みそうな名前だ。

増井さん&猪又さんコンビの論文(註4)によると、本種は長くApatura属(コムラサキ属)に入れられていたようで、以前はApatura plesseni、或いはApatura asakuraiの学名で知られていた。これを♂交尾器の形態に基づいてシロタテハの仲間(Helcyra属)だと最初に指摘したのは柴谷篤弘博士(1943)だそうである。

和名のアサクラコムラサキは、戦前の台湾・埔里に在住していた標本商、朝倉喜代松氏に因んでいる。
原色台湾蝶類大図鑑には「アサクラ」という和名がつけられた蝶は他に6種類あり(註5)、これらは全て同氏に由来する。
最初、Fruhstorfer(Seitz Vol.9,1913)はミュンヘン在住のBaron von Plessen氏の蒐集品中に発見した1♂に基づいてこれをApatura属の新種として記載したが、その産地は”台湾”とのみ記され、他の詳しい記述は無いようだ。
その後、これに遅れること1917年に仁礼景雄氏により埔里付近のターケイ山で採集された個体に基づいて新種 Apatura asakurai として記載された。だが、これはシノニム(同物異名)になっていて、現在は使用されていない。

軽い気持ちで、一応台湾の対岸に似たようなものがいないかどうか調べてみた。
したら、驚いた事にコレが何といるんである。今回は台湾特産種だし、書くのはそれほど面倒ではなかろうと安心していたのに、いきなり崖から突き落とされたような気分である。またしても迷宮世界に徨(さまよ)うことになりそうだ。毎度毎度の展開でゲンナリだよ( ´△`)

 
中国に産するものはコレです。

 
(出典『old.hkls.org』)

 
広東省の南嶺国有森林保護区で撮られたもののようである。

 
(出典『www.jxjis.com.keji_show』)

(出典『ebay』)

 
こんなのアサクラコムラサキやんけー(*`Д´)ノ❗❗
同種の亜種関係にしか見えへんわ。
学名を見ると、Helcyra subalba subsplendes となっていた。どうやらHelcyra subalbaという種の亜種のようだ。

一応、表側の画像を探そう。
見落としていたが、2枚目の写真と同じサイトに画像があった。

 
(出典『www.jxjis.com.keji_show』)

 
アサクラコムラサキと比べて白色の斑紋や帯が減退している。
これは中国の九连山保护区という所のもので、江西省にある原始林のようだ。台湾の対岸の省ではないが、その奥にある省だから、そう遠くはない。
この亜種は原名亜種ssp.subalba subalba よりも白紋がやや発達し、アサクラコムラサキとの中間的な特徴を示すようだ。しかし、この個体は表翅の斑紋の発達が悪い。でも他にダウンロードできるような画像が見当たらない。拠って、中間的なフォームである山東省の個体のリンク先を貼っておきます。

  
山东省科技厅

 
山東省は沿岸部の省ではあるが、だいぶ北に位置している。ということは、subsplendesの分布域はかなり広いという事になる。
えっ、そんなに広いの?俄(にわか)には信じがたい。

 
原名亜種の方も確認してみよう。

 

(2点とも出典『old.hkls.org』)

 
(出典『picclick.com』)

 
(♂)

(同♀)

(以上4点とも出典『jpmoth.org 』)

 
上2つの画像が♂の表と裏で、下が♀である。
表も裏も斑紋が消失しかかっている。

北ベトナム産の標本写真も見つけた。

 

(以上2点とも出典『yutaka.it_n.jp』)

 
微かに帯の痕跡があるが、コチラも斑紋が減退している。

そういえばコイツらって、見憶えがあるような気がするぞ。もしかしたら…と思い「アジア産蝶類生活史図鑑」を開いてみた。

 

(以上2点とも出典『アジア産蝶類生活史図鑑』)

 
やっぱりコヤツだ。
ウラギンコムラサキという和名がついている。
この画像だけだと、まさかアサクラコムラサキに近い種だとは思わないわな。もちろんシロタテハ属だとも思ってなかった。見開きで並んでいるのにも拘わらず、どうせマレーコムラサキとかに近い奴なんだろうと漠然と思っていたのだ。だって地味なんだも~ん(# ̄З ̄)
アサクラコムラサキの斑紋が消失したのがウラギンコムラサキだと言われれば、納得だわさ。まだまだ修行が足りませぬな。

和名ウラギンコムラサキで検索しても、殆んどヒットしない。出てくるのはアンビカコムラサキばかりだ。これはきっと他にも和名があるに違いない。
こんな時は、コムラサキの権威である増井さんに頼るしかあるまい。
前述した増井さんと猪又さんコンビの論文を読み進めると、色んな事が解ってきた。

先ずは和名だが、他にもこんなものがあった。

・ウラギンクロコムラサキ(村山, 1979)
・ウラシロタテハ(森下,1985)
・ウラギンシロタテハ(小岩屋,1989)
・テツイロコムラサキ(青山,1992)

やっぱ沢山あるわ。ややこしいねー。
(# ̄З ̄)ったく、何で外国の蝶ってこんなにも和名があるんだよ❓蝶屋って自己顕示欲の塊だな。皆が納得いくような和名が無いのならば、いっそ無理矢理につけないで学名を頭につけといた方が余程混乱が少ないと思うよ。
と云うワケで、以後の文章で和名を使用する場合は、混乱を避けるために学名からとったスバルバシロタテハに統一しようと思う。

スバルバシロタテハはアサクラコムラサキよりやや大型で、中国大陸の稀種だそうである。やはりシロタテハ軍団は稀種揃いなんだね。
増井さんたちはアサクラコムラサキの代置種と考えておられるようだ。なるほど、そういう事なら理解できなくもない。

亜種には以下のようなものがある

 
◆原名亜種 ssp.subalba (Poujade ,1885)

◆ssp.subsplendes (Mell ,1923)

 
(о´∀`о)助かったあ。亜種区分は2種類だけだ。沢山の亜種があると、ややこしい話が益々ややこしくなる。カラスアゲハの時みたく脳味噌崩壊するのは、もう御免だ。

論を進める前に、少し遠回りだが増井さん&猪又さんの論文の冒頭部分に触れよう。

「シロタテハグループのうち、アサクラコムラサキ種群は黒い祖先型のシロタテハから進化の過程でイチモンジチョウグループに収斂していったものと見なすことができよう。」

なるほど、そう言われてみれば、そんな気もする。
つまり、シロタテハの祖先の表翅は元々黒っぽくて、そこから表が白く進化したグループと斑紋や帯が発達してイチモンジチョウタイプに進化したグループとに分かれたのではないかと推察しているワケだね。

一応、参考までに別族(Limenitidini族)であるイチモンジチョウの画像を添付しておきましょう。

 
【イチモンジチョウ Ladooga camilla】
(出典『日本産蝶類標準図鑑』)

 
確かにパッと見はアサクラコムラサキに似ている。
でも、どうしてこの紋様に収斂されていくんだろう?
似ることによって、何かメリットでもあるのかな?
似たような模様で毒のある蝶とか蛾とかも浮かばないし、全然ワカンナイや。
まあ全然ワカンナイなら、この問題は寧(むし)ろスルーできる。前回のヒョウマダラみたいに擬態地獄に落ちないだけでも、まだマシかもしんない。

 
そして、お次は祖先型?的なシロタテハ。
先月、アサクラコムラサキの事など全く意識せず、黒いシロタテハの三角紙標本を買った。500円と安かったし、そういう出物は滅多に出ないのではと思い、一応買っといたのである。

 
【セレベスシロタテハ ペレン島亜種】

 
黒いけど、完全な黒ではなくて、うっすら白っぽい部分がある。白いシロタテハの斑紋が透けて見えるような感じだ。コレってさあ…、果たして元々黒いものが白っぽくなったものなのか、それとも元々白いものが黒っぽくなったのか判断に苦しむところだよね。
とはいえ、白いシロタテハの斑紋が透けて見えるってことは、白から黒へと変貌していったと云う説明の方が素直に受け容れやすい。その逆に進化するのは難しいような気がする。白い蝶が黒くなる黒化型と黒い蝶が白くなる白化型だと、蝶の場合は前者の例の方が遥かに多いような気がするんだけど、どうだろう❓
けれど、タテハチョウって黒を基調にしているものが多いんだよなあ。白いタテハは、ごく少数だ。シロタテハ類とシンジュタテハくらいしか思い浮かばない。あとは広義のタテハチョウ科にまで広げれば、モルフォチョウ亜科のシロモルフォ(カテナリウスモルフォ)くらいか。いや、そういえばホウセキフタオなどのPolyura属なんかも白いのがいるか…。
何れにせよ、白を基調としたタテハチョウは少ない。ということは、シロタテハは元は黒で、進化の過程で白になったと考えるのが自然でもある。
えーい(ノ-_-)ノ~┻━┻、白➡黒なのか、黒➡白なのかどっちなんだ❓もう、白黒つきまへんわ。
(/´△`\)オデ、アタマ悪いから、だいぶ脳味噌の温度が沸々と上がってきたよ。

 
(セレベスシロタテハ 裏面)

 
セレベスシロタテハ(セレベンシスシロタテハ)は、裏の帯がそこそこ発達しているんだね。
話は逸れるが、こうしてシロタテハの仲間を並べてみると、この属はみんな触角の先が独特の形に膨らむのが特徴なんだという事がよく解る。

一応、塚田図鑑の図版も添付しておこう。

 

(以上4点とも出典 塚田悦造『東南アジア島嶼の蝶』)

 
学名は、Helcyra celebensis faboulose。
インドネシア北東部バンガイ諸島のペレン島に生息する。この島の蝶は特異なものが多いことで有名だ。それらのどれもが祖先種的な形質を具えているのかどうかは、浅薄な知識しかないので知らない。
スラウェシ(セレベス)島のものが原名亜種となるが、コチラは白いシロタテハだ。

 
【原名亜種 Helcyra celebensis celebensis】

(出典『東南アジア島嶼の蝶』)

 
北部のミナハサ半島のものが原名亜種celebensisとされ、他の大部分は australis と云うまた別亜種に分けられている(図版2枚目、3枚目の右個体)。
ネットで検索しても、このスラウェシ島の白いシロタテハのカラー写真が全く出てこない。きっと、かなりの珍品なのだろう。珍品の蝶を数多く載せた塚田さんの図鑑はやっぱスゴいや。

ついでだから塚田図鑑の分布図を添付しよう。

 

 
ペレン島は意外とスラウェシ島から近いね。
しかし、行ったことあるけどスラウェシは馬鹿デカイ。淡路島とは大きさのレベルが違う。地図の見た目以上に互いの距離はあるだろう。

話は元に戻るが、この表翅の黒いイチモンジチョウ型のシロタテハとして最初に記載されたのが、スバルバシロタテハらしい。
基産地は四川省峨眉山産。その後、江西省、湖北省、浙江省、河南省などが産地として追加された。増井さんたちは福建省産のラベルのついた標本を見る機会があり、これが「ウラシロ型」斑紋にならない「アサクラ型」の別亜種ssp.subsplendesだったと述べている。
因みに広東省西部のチョウを扱った伍(1988)の図鑑には、本亜種subsplendesも原名亜種subalbaも含まれていないという。文献が古いと、まだ詳細な分布がわかっていないので、混乱を助長するなあ…。

さて、ここからが本題である。
改めてアサクラコムラサキにソックリなスバルバシロタテハの亜種 subsplendesについて述べよう。
増井さんたちの論文には次のように書かれている。

「亜種 subsplendesは、最初にMell(1923)により
Apatura属の新種として記載されたものである。この記載文中で、Mellはplesseni(アサクラコムラサキ)との比較検討を行っている。その詳細についてはここでは述べないが、重要な事実は、翅表がsubalba型(白帯の発達の悪いイチモンジ型)、裏面が台湾のPlesseni型(橙色の及び黒色紋が前後翅ともに発達)といった中間的な個体群が台湾の対岸の広東省北部に分布するということである。」

つまり、表はスバルバに見えて、裏はアサクラコムラサキにソックリってことだ。
それが最初の方に ssp.subsplendesとして紹介した江西省 九连山保护区の個体みたいな奴ってことか。

 
更に調べていくなかで重大なことに気づく。subsplendesの1枚目の生態写真とsubalbaの1枚目と2枚目の生態写真も、場所は同じ広東省の南嶺国有森林保護区で撮られたもののようなのである。
( ・◇・)どゆこと❓
同じ地域にスバルバシロタテハ的なものとアサクラコムラサキ的なものが混棲してるってこと❓
アタマ、ワいてきた。コイツらって、何なんだ❓
亜種として分類できなくなるじゃないか。

頭を整理するために、中国の省の地図を見てみよう。

 
(出典『吉林野日記』)

 
これに「アジア産蝶類生活史図鑑」にあった分布図を重ねてみよう。

 
(出典『アジア産蝶類生活史図鑑』)

 
山東省などが産地として漏れててピッタリではないが、記録のある産地と分布図は大体あっている。

\(◎o◎)/あれれー❗❓
分布図に台湾が入っとるやないけー❗❗
そっかあ…、それで思い出したよ。この分布図を見て、ウラギンコムラサキ(スバルバシロタテハ)も台湾にいるんだと思って必死で探したんだよね。
もちろん見つかる筈もなく、その時は単なる誤植だと片付けたんである。当時は全くアサクラコムラサキとは繋げて考えられなかったワケだね。
もしかして、この分布図は誤植ではなくて、五十嵐邁さんと福田晴夫さんは両者の幼生期を見て、スバルバシロタテハとアサクラコムラサキは同種だと考えていたのかもしれない。
とはいえ、本文には何らその点については言及されていないし、アサクラコムラサキの分布図は台湾のみになっている。こっちの勝手な妄想で、やっぱり単なる間違いだったのかもしれない。またアタマがワいてきそうなんで、そういう事にしておこう。

アサクラコムラサキって、本当に独立種なのかなあ…。見てくれは ssp.subsplendes とよく似てはいても、交尾器に明確な差異があったりするって事なのかな?

増井さん&猪又さんコンビの論文には、まだ続きがある。中間的な個体群が台湾の対岸にいるという文章の後だ。

「改めて我々は種 subalbaとplesseniが、それぞれ大陸と台湾の代置関係にあるという見方を確信すると共に現段階では、subsplendesはsubalbaの地方変異として亜種扱いにしておくのが妥当であると判断する。今後、大陸と台湾で代置関係にある他のグループについても、中間的な変異個体群が広東省から発見される可能性がありそうである。この地域の調査の進展を強く希望するものである。」

説明を聞いても、今やなぜ亜種扱いが妥当なのか今一つ納得できない。

ところで、両者の遺伝子解析は、もう済んでいるんだろうか❓
済んでいるならば、subsplendesとplesseniは、おそらく同種と云う結果になっているのではないかと思う。下手したら、subalbaだって同種になっているかもしれない。しかし、探した範囲では何処にもそういう事は書かれていない。相変わらずアサクラコムラサキは台湾特産種のままだ。
と云うことは、やはり plesseniとsubsplendes は別種だと云う結果が出てるのかな?
アサクラコムラサキは台湾の特産種であってほしいけど、何れにせよ唯一無二のものとは言いにくいよね。
何だか、ちょっぴりガッカリだよ。

色々調べるうちに、また新たなものが出てきた。

 
【亜種 ssp.takamukui】
(出典『Wikiwand』)

 
コヤツには上のような別な亜種名がついていた。
(# ̄З ̄)ったくよー、迷宮スパイラルだ。
おや、変だな?
( ̄∇ ̄*)ゞ何だよー、よく見ればコレってスバルバじゃなくてシロタテハ(Helcyra superba)だわさ。
superbaとsubalbaの綴りが似ているので、見間違えた。
労多くして益少ないネットサーフィンをしてて、相当疲れてたんだろうなあ…。

それはそうと、このシロタテハグループの起源は何処なのだろう❓何処で誕生し、どう分布を拡大して、各種に分化していったのだろうか❓
これも遺伝子解析が済んでいれば明らかになっている筈だが、情報が無いので自分で推察してみよう。
グループ全体の分布を見ると、ヒマラヤを西端に、東はインドシナ半島から中国を経由して台湾に至り、南はマレー半島を経由して東南アジア島嶼を経てパプアニューギニアにまで至っている。この分布形体は、以前紹介したキゴマダラのグループ(Sephisa属)の分布を更に拡大したものとは考えられまいか?ならば、キゴマダラ属と同じくシロタテハの祖先種は、おそらくヒマラヤ圏で誕生し(註6)、東方や南方に分布を拡大し、その過程で幾つかの別種に進化していったのだろう。そして、中国では白いシロタテハのグループ(superba種群)から黒いシロタテハのグループ(subalba種群)が分化し、台湾で更にアサクラコムラサキへと進化したのではないだろうか❓

だとしたら、セレベスシロタテハの黒いペレン島亜種はどう説明する❓
( ̄∇ ̄*)ゞアレはですねー、先祖帰りです❗
離れた島に長きにわたり隔離されたことによって、祖先種に戻っちまったんであ~る。
なあ~んか説明に矛盾を含んでいないでもないよな気がするが、もう知らん。アタマがグチャグチャになってきてるんである。

 
【台湾名】普氏白蛺蝶

普氏って誰だ❓朝倉さんではないの❓
本当はこの普さんが発見したとか❓
調べてもよくワカンナイ。
参考までに言っとくと、普という字には「全て」とか「全能」と云う意味もあるようだ。

その他に次のような別称がある。
臺灣白蛺蝶、國姓小紫蛺蝶、寬信紫蛺蝶、北山小紫蛺蝶、朴銀白蛺蝶。

コレも難題だな。
とりあえず臺灣白蛺蝶はまだ解りやすい。臺灣は台湾のことで、蛺蝶はタテハチョウのことだから台湾の白いタテハチョウって意味だね。
國姓小紫蛺蝶の國姓は国の姓、すなわち台湾の事だろう。つまり台湾の小さな紫の蝶って意味か…。でも小さな紫ってのが気にかかる。そんなに小さい蝶ではないし、紫がかっていると言われればそんな気もするが、前面に押し出すという程のものでもない。
寬信紫蛺蝶と北山小紫蛺蝶にも小紫がついている。ここで漸く小紫がコムラサキの事だと気づく。オイラ、疲れてるなあ…。
寬信と北山ってのは、人名もしくは地名かな。こんなの調べようが無さそうだ。諦めよう。
最後の朴銀白蛺蝶もまた難題だ。銀白蛺蝶ってのは解る。たぶん裏面の色を指しているのだろう。問題は朴の字。最初は幼虫の食樹かと思った。しかし、この蝶の幼虫はホオノキなんて食べない(註7)。だとしたら苗字の朴(ぼく)さんって事が考えられる。なぜに、こんなにも苗字だらけなのだ❓まったくもって解せないよ。

 
【英名】

調べたけど、英名は特には無さそうだ。
ただシロタテハの何種かには「White emperor」と云う英名がついている。白い皇帝だね。
となると「Orange line white emperor」辺りが候補にあがりそうだ。
しかし、個人的には「Roaring flames white emperor(紅蓮の炎の白い皇帝)」とかつけたくなる。とはいえ、ちょっと長いか…。
ならば、「White passion emperor(白き情熱の皇帝)」なんか、でや( ・◇・)❓

 
【生態】

開張50~56㎜。
台湾中北部~中部に分布する台湾特産種。原色台湾蝶類大図鑑によれば、台湾におけるタテハチョウ科最稀種の一つとされている。
平地から標高2000mまで見られるが、500~1000m付近に多い。北東部の海岸地帯にも見られるというが、これは低標高にもかかわらず食樹が自生しているからだろう。ここにはシロタテハもおり、両者の分布や生態はよく似ているという。
杉坂美典氏は4~12月に年数回発生するとしているが、山中氏(1975)によれば成虫は3〜9月に得られており、年3回程度発生しているだろうとし、アジア産蝶類生活史図鑑には年2回、3~6月と7~9月に発生すると書いてある。
個人的見解だと、たぶん年2化で、だらだら発生なのだろう。もしくは、意外と成虫の寿命が長いのかもしれない。
主に午前中に活動し、午後には目撃する数を減じるという。日当たりのよい樹林の空間を好み、樹液、腐敗した果実、蛙や蟹の死体、獣糞などに集まる習性がある。♂は湿った地面に吸水にも訪れる。また占有性が強いという。
♂は何処で占有活動をしているのだろうか?
やっぱり山頂とか尾根筋かなあ? でもタイワンコムラサキなんかは林道沿いのテリ張りだったぞ。
とにかく、そういう場所さえ見つければ楽勝で採れそうなんだけど、おいそれとは見つからないんだろうなあ…。

参考までに補足しておくと、『東南アジア島嶼の蝶』のシロタテハの項の解説に興味深い記述がある。

「本来は低地の樹林を好む孤独タイプの蝶で、単独で行動する為に得られる数が少ない。飛翔力は比較的強いが、短距離型で森から遠く離れることはない。こんな習性のせいで隔離され易く、孤立分化を成し独立種が多く見られる理由になっている。」

次の幼虫の食餌植物の項でも述べるように、稀種で分布が狭いのは食樹のせいだとばかり思っていたが、他にも成虫の習性が関係しているとは考えもしなかった。
どんな事象でもその理由は一つではなくて、複数考えられる場合が多いということを忘れてたよ。

それにしても、よくそんなんで分布を拡大してこれたよね。昔は食樹であるエノキの1種(コバノエノキ)が繁栄していたのかなあ?
そのエノキは原種に近いもので、昔はそればっか生えていて、そこから現在のように様々なエノキに分化していって、シロタテハグループはそれに対応出来なかったとか考えられなくもないけどさ。もう謎だらけだよ。

 
【幼虫の食餌植物】

Cannabaceae アサ科 Celtis エノキ属

◆Celtis biondii コバノチョウセンエノキ

分布が限られる植物のようで、この蝶の発生地が局所的なのはそのせいだろう。
エノキ(Celtis sinensis)を与えても生育はしないようだ。おそらくこの食性の狭さも稀なる理由だろう。

 
【幼生期】

ここは「アジア産蝶類生活史図鑑」の力を借りよう。

♀は小型の食樹を選んで2m以下の葉の裏面外縁寄りに1個の卵を産みつける。

 
(卵)
(出典『アジア産蝶類生活史図鑑』)

 
( ☆∀☆)ワオッ!、卵まてお洒落じゃないか。
美人は手を抜かない。美しい者には完璧を目指すプライドがあるのだ。

 
(終齢幼虫)
(アジア産蝶類生活史図鑑)

(出典『随意窩日誌』)

 
体の真ん中辺りが膨らむ小太り体型だが、基本は典型的なコムラサキ型の幼虫だね。
背中のペラペラの突起は減退していて、真ん中にらしきものが1つだけあって、黄色い。

「1、2齢幼虫は葉の裏面先端部に葉柄に頭を向けて静止する。食痕はシロタテハに似るが、やや深く食い込む。越冬は通常3齢で行うが、冬季でも1、2齢幼虫が見られることがある。幼虫は食樹の葉柄を糸で柄に固定させ、枯葉の凹みの中で冬を越す。早春に目覚めた幼虫は摂食を開始するが、以後蛹化するまで葉の裏面で生活する。蛹化は食樹の低い位置の裏面で行われる。」

集団はつくらず、全ステージ葉裏生活型ってことだな。
越冬幼虫の齢数がまちまちなのが、だらだら発生に繋がるのかもしれない。
台座については特に述べられていない。しかし、シロタテハはオオムラサキのように台座をつくり、それに固執するようだ。

 
(終齢幼虫頭部)
(アジア産蝶類生活史図鑑)

(出典『随意窩日誌』)

 
おー、顔までシュッとした男前だ。
コムラサキの仲間の幼虫は、だいたい可愛い系だけど、カッコイイ系の顔だとはね。恐れ入りました。

角は他のコムラサキ亜科の幼虫よりも遥かに長く、鹿角みたいだ。その辺も男前的に見えるゆえんだろう。

 
(蛹)
(出典『アジア産蝶類生活史図鑑』)

(出典『随意窩日誌』)

 
コチラも典型的なコムラサキ型の蛹だね。
ただし、色は明るい黄緑色だ。黄色い筋も目立つ。

ここで問題発生🚨、問題発生🚨
全文章が完成したあとで、たまたま『世界のタテハチョウ図鑑』を見る機会があって、アサクラコムラサキの幼生期を見て仰天。急遽、間に画を挟むことに相成った。また書き直しだよ(T_T)

問題はコヤツだ。

 
(出典 手代木求『世界のタテハチョウ図鑑』)

 
何と茶色いタイプの幼虫がいるではないか❗
ってことは、越冬幼虫なのかなと思った。日本のコムラサキやオオムラサキ、ゴマダラチョウと同じく冬の風景に溶け込むために変色するんだと思ったワケだね。
でも、越冬幼虫は3齢だけど、何とコヤツは4齢幼虫なんである。つまり、越冬後に脱皮した奴だ。おいおい、どこに変色する意味があるのだ❓ 意味ねぇじゃん❗❓
ワケわかんないよなあ…。
因みに終齢幼虫(5齢)は、また緑色になる。

 

(出典『世界のタテハチョウ図鑑』)

 
この図鑑によれば、シロタテハも茶色いタイプの幼虫がいるようだ。しかも終齢(5齢)幼虫になっても、この茶色いタイプがいて、緑色と両タイプが存在するようだ。益々、ワケわかんねえや(´д`|||)

さて、そんな事よりも問題は、Helcyra subalba スバルバコムラサキ(ウラギンコムラサキ)とアサクラコムラサキの幼生期がどれくらい違うかである。もしくは似ているかである。
もし同じならば、両者は同種という事になる。
早速、比べてみよう。

「アジア産蝶類生活史図鑑」に載ってる原名亜種らしきモノの幼生期を見てみよう。

食餌植物はコバノエノキ Celtis nervasa。
コバノチョウセンエノキでも飼育可能のようだ。つまり、アサクラコムラサキやシロタテハと食樹は基本的に同じだと言える。

それにしても五十嵐さんと福田さんは流石だね。
こういう稀種の幼性期を数多く解明して載せてるのはスゴいわ。
でも、卵の画像が無かったので、ネットで探した。

 
(卵)
(出典『zschina.org.cn』)

 
画像が小さ過ぎて解りづらい。
似てるっちゃ似てるけど、全く同じってワケでもない。
ちょっと気になったのは、産みたての卵。無地で赤い斑点が無い。と云うことは、孵化が近づくにつれて模様が出てくるってワケだ。アチキは普段全くと言っていいほど飼育はしないので、これは盲点だったよ。

 
(終齢幼虫)
(出典『アジア産蝶類生活史図鑑』)

 
(出典『蝴蝶鳥渡鴉』)

 
あっ、背中に黄色いペラペラのが無い❗❗
頭にある角も黒っぽい。
こりゃ、別種だと言わざるおえないよなあ。

あとは4齢幼虫が何色かだ。
残念ながら『世界のタテハチョウ図鑑』にはスバルバシロタテハの幼虫は図示されていなかった。でも、さっきの卵の画像のサイトに全幼虫期の画像があった。

 
(出典『zschina.org.cn』)

 
画像が小さくて見づらいけど、4齢幼虫は明らかに茶色じゃなくて緑色だ❗
と云うことは、やはり別種なのか…。
とはいえ、待て、待て。結論を急いてはならない。
スバルバシロタテハは年2化以上の発生が考えられる。ということは、越冬する第1化と越冬しない第2化以降とでは色の変化の有無が生じる可能性がある。で、この幼虫は第2化以降のものではなかろうか?
しかし、再びサイトを訪れて翻訳された文章を読むと、どうやら越冬幼虫を飼育したようなニュアンスだ。
「アジア産蝶類生活史図鑑」に図示された画像も越冬個体の筈だよね。そこには茶色の幼虫なんていなかった。ということは、やはり茶色タイプの幼虫はいないのか…? これもまたスバルバとアサクラか別種という証左になりうるのかなあ…。いや、あれは終齢幼虫で、4齢幼虫は図示されてないか…。段々、集中力が無くなってきた。取り敢えず解説欄に目を通そう。

産卵及び1、2齢幼虫は、図鑑発行時には観察されていないようだ。

「越冬は3齢幼虫。食樹の低い位置で枝に糸で結びつけられた枯れ葉の巣の中で冬眠する。4月上旬に伸び始めた新芽を求めて枝に移る。以後、蛹化に至るまで幼虫は葉の裏面に静止する。蛹化は低い位置の葉の裏面で行われる。」

表現は違えど、基本的にアサクラコムラサキの幼虫と生態は特に変わったところは無いみたいだ。
幼虫の体色については全く言及されていない。ということは、裏を返せば茶色にはならないって事かもな。
いや、でもアサクラコムラサキの解説欄でも一切体色のことには触れられていなかった。なのに『世界のタテハチョウ図鑑』には茶色いのがいる。やっぱり謎だらけの迷宮に迷いこんどるやないけー。

 
(終齢幼虫頭部)
(出典『アジア産蝶類生活史図鑑』)

 
似てるけど、違うっちゃ違う。男前度が一段下がる。
よく見ると顔の柄が違うし、鹿角の色が濃くて枝的な突起が小さい。

 
(蛹)
(出典『アジア産蝶類生活史図鑑』)

 
蛹も違う。
色が明らかにアサクラコムラサキよりも濃い緑色だ。
背中の盛り上がりもやや弱いような気がするが、これは♂♀の差もあるから何とも言えない。
とにかく、これを見た限りではアサクラコムラサキとスバルバコムラサキの原名亜種は別種とするのが妥当だろう。
しかし、亜種 subsplendesはどうなんだろう❓
もしもアサクラコムラサキに近い幼虫ならば、話は違ってくる。スバルバコムラサキの亜種ではなく、アサクラコムラサキの亜種とすべき事になるよね。
両者の中間的なものならば、解釈は人によって変わるから、見解は分かれるところだろう。

だが、subsplendesの幼生期の画像が、いくら探しても見つからなかった。
subalba、subsplendes、plesseni 三者の関係は謎のままだ。謎は愉し。何でもかんでも解明されてしまえば、世の中おもしろくない。そう云う事にしておこうか。

ここまで読んだ人は、こんな終り方だとスッキリしないだろなあ…。
ホント、ゴメンナサイ。でも、一番スッキリしてないのはアタイなのさ。その辺は切に御理解されたし。

 
時々、今でもアサクラコムラサキが舞う姿が脳裡をよぎることがある。
稀種にして佳蝶であるこの蝶には、今だに恋しているのかもしれない。

                  おしまい

 
 
《あとがき及び註釈》
今回のメインタイトルは3年前に書いたアメブロの文章のものを、ほぼそのまま使用した。他に考えなかったワケでもないが、これを越えるものはどうしても思いつかなかったのである。
タイトルは、名匠フランソワー・トリュフォーの仏映画『突然炎のごとく』から拝借して、間に「、」を入れた。なお、3年前に書いたアメブロの文章のタイトルは『突然、炎の如く』と「ごとく」が漢字表記になっている。

映画は1962年に公開され、恋愛ドラマの古典的名作として知られる。第一次世界大戦前後のフランスを舞台に、親友同士の二人の青年と一人の女性との不思議な三角関係を描いている。
自分の生まれる以前の古い映画だが、破滅的で自由奔放なヒロインを演じたジャンヌ・モローが素敵だった。
本作は様々な分野にも影響を与え、これに刺激された巨匠ジャン=リュック・ゴダールが、名作『気狂いピエロ』を撮ったともいわれている。
原題は「Jules et Jim」。原作はアンリ=ピエール・ロシェの小説。

アサクラコムラサキとの出会いのシーンが今回のタイトルのモチーフになっているが、そこには同時にこの映画の魅惑的な主人公であるジャンヌ・モローへのオマージュも込められています。

 
(註1)その時の事はアメブロに書いたので…

以前書いていたアメーバブログの『発作的台湾蝶紀行』シリーズの一章のこと。
そういえば、コレって最初は酔っ払って書いたもので、誤字脱字だらけなんで後日書き直した改訂版なんだよね。
青文字をタップすれば、記事に飛びます。

 
発作的台湾蝶紀行21『突然、炎の如く』

 
(註2)浅倉南(アサクラミナミ)

週刊少年サンデーに連載されていたあだち充の人気漫画『タッチ』のヒロイン。アニメ放映当時は明石家さんまを筆頭に、男性の理想の女性像としてあげられる事が多かった。一方、男心をもてあそんでいるとして、女性からの反発も強かったようだ。とはいえ、浅倉南を知って新体操を始めたという女子は多く、新体操ブームの火付け役になったとも言われている。

 
(註3)それぞれ1頭のみの記録しかない

 
【ミヤザキシロタテハ Helcyra miyazakii】
(出典『東南アジア島嶼の蝶』)

 
フィリピン・ルソン島のバナウエから1♀のみが得られている。

ボルネオ島のシロタテハは、画像がないが北部のマレーシア領から1頭のみが得られており、ヘミナシロタテハのボルネオ亜種(H. hemina borneeneis)とされている。
参考までにスマトラ島亜種(ssp.watanabei)とジャワ島亜種(ssp.masina)の画像を添付しておきます。

 
(出典『東南アジア島嶼の蝶』)

 
右がスマトラ亜種で、左がジャワ亜種です。

  
(註4)増井さん&猪又さんコンビの論文

増井暁夫・猪又俊男「世界のコムラサキ(4)」
やどりが 151号 (1992)

 
(註5)和名にアサクラと名のつく6種の蝶の名前

上の(註4)の論文に6種類あると書いてあったが、羅列はされていない。
アサクラコムラサキの他に「アサクラアゲハ」「アサクラミスジ」「アサクラシジミ」までは頭に浮かんだ。でも、他が何なのかワカラナイ。ミツオシジミの別名「ミツオアサクラシジミ」とアサクラシジミの別名「アサクラムラサキツバメ」を加えても一つ足りない。隠れアサクラが雌伏してるとかって事なのかな?
おいおい、それじゃ南斗六聖拳のユリアだよ。
あっ、コレは漫画の『北斗の拳』の中の話ね。書いてて長いので、アタマが完全にオカシクなってきてるな。

 
(註6)おそらくヒマラヤ圏で誕生し

もしかしたら、キゴマダラ属とかシロタテハ属とか云うレベル以前に、そもそもコムラサキ亜科の祖先自体がヒマラヤ圏で誕生し、そこで一斉放散的な進化が起こり、多くの属に分化したのかもしれない

 
(註7)この幼虫はホオノキなんて食べない。

台湾のサイトの生態欄に「幼蟲取食朴樹科沙楠子樹葉片。」とあった。
日本では「朴」と書けばホオノキ(モクレン科の落葉高木)のことを指すが、どうやら台湾や中国ではエノキのことを漢字で「朴樹」と書くらしい。
因みに、日本でエノキの漢字といえば「榎」だが、中国ではキササゲ(ノウゼンカズラ科の落葉高木)のことを示す漢字みたいです。
同じ漢字でも、日本と中国とでは全く別な意味になることがあるので、注意が必要だ。たとえば日本では「鮎」は川魚のアユのことだが、中国ではナマズのことを指したりするのだ。

 
《あとがきのあとがき》
いやはや、今回も苦労した。書いてるうちに様々な疑問が生じてきて、文章がどんどん長くなっていった。時間もかなりかかって、完全に泥濘(ぬかるみ)状態になってまっただよ。
実を云うと、さらに今回は初の試みとしてあとがきを先ず書いて、そこから前に向かって書き始めた。
しかし、実験は見事に失敗して、途中でワケわかんなくなってきて何度も文章を組み替える破目になってしまった。
愚かちゃんである。それでもバカはバカなりに、少しでも正確で流れるような文章を書きたいと願い、色々と試してみるのである。まっ、何しようが文才は全然無いけどさ。

 

初物ほたるいかタワー

  
昨日、ようやく初物のホタルイカを食べた。

 

 
しかし、まだ走りなだけに如何せん小さい。
んなもんで、高く盛ってみた。
(。^。^。)ホホホホ……、蛍烏賊タワーじゃよ。
とはいえ、一発めから奇をてらうほど変人ではない。
当然の如く辛子酢味噌で攻める。もち、辛子酢味噌は「岡ぽんのからし酢みそ」である。

 

 
えー、前にも書いたけど、小さくとも目玉と体の中にある薄い骨は取り除く。食感が悪くなるからだ。
この前には詳しく書かなかったけど、薄い骨は胴体の縦線が入っている側があるので、そっちから抜く。

この時期のホタルイカは、まだまだ小さいのでチマチマ食ってはならない。箸でグワシと掴み、あんぐり開けた口にオリャと放り込むべし。

(о´∀`о)うみゃーい❗❗

 

チーちくとキューちく

 
 
えー、ここんとこ記事を書きまくっているのには理由がある。
第一にスマホのストレージが溜まっていて、メールが受信できなくなっているから。
第二には、台湾の蝶の次回が上手く書き進めなくて、逃げているのである。

まあ、そういうワケなんだけど、決してテキトーには書いておらん。蝶以外のことは、リズムよくサクサク書けるのである。

スーパー玉出で千円以上買い物したら、竹輪が1円になってた。
そこで浮かんだのが、チーちくとキューちくである。
昔からお手軽にして、そこそこ旨い酒のアテである。

その千円以上の買い物のなかにキュウリが偶々あった。3本120円くらいだったかと思う。
そして、先日クリームチーズが安売りしてたのを買ったのが既に冷蔵庫にある。流れ的にコイツは、チーちく&キューちくだと思った。

チーズはこれである。

 

 
みんな大好きキリーのクリームチーズである。
オジサン、密かに秘めたる思いを持っておりました。
普通のチーズで作ったチーちくよか、クリームチーズで作ったチーちくの方が旨いんでねえの?と。

キュウリを縦に4等分に切る。それを竹輪にインサート。竹輪さんが、ビクッとしたのは気のせいであろうか?普段からアタマがパープリンなので、取り敢えず無視して斜めに二等分する。

お次はクリームチーズである。
しか~し、ピコリン💡問題発生、問題発生~。
クリームチーズが竹輪の穴に簡単に入らない事に、今さらながらに気づいた。やっぱりパープリンはどこまでいってもパープリンなのである。

何とか苦労して無理矢理詰めた。ほとんど、強姦である。コンプライアンス的に問題ありはしないか?
でも竹輪にまで人格を認め始めたら、世も末である。

とにかく、完成~\(^o^)/

 

 
そのまま食っても旨いが、醤油をチャらっと垂らすと更に旨い。

もう二度と竹輪にクリームチーズなんか詰めない。
旨いが、面倒くさ過ぎるのである。竹輪の横に添えてれば充分こと足りる。
だいち、クリームチーズを詰めても、竹輪は不感症みたいになっとったどー。
性的な意味は置いといとしても、世の中、何だか不感症みたいになっちってツマンないよね。

 
                   おしまい

 
 

冬の終わりの夕日

 

昨日の夕日は綺麗だった。

地下から地上に出ると、空が不穏な感じだったのでセンサーが反応した。

 

 
辺りは既に日没直後のような暗さだ。
しかし、奥の方がまだ明るい。
慌てて空が広く見える場所へと移動を始める。

 

 
綺麗な夕日を見るためには、勘が必要だ。
もちろん夕日そのもののクオリティーは必須条件だが、解る人間は早い時間帯から空の感じを見て、今日の夕日がどれくらい綺麗になるかは予測できるのだ。

空が開けた場所へと足早に急ぐ。

 

 
ビルの谷間をようやく抜けた。

 

空はまだ、意外と明るい。

 

 
本当は写真の明るい所はもっと空が綺麗な水色なんだけど、携帯のカメラではちゃんと写ってない。

 

 
さらに奥へと追いかける。

 

 
落陽は思いの外(ほか)、落ちるのが早い。
その刹那、刹那が美しい。

 

 
陽が落ちると、急激に雲の量が少なくなった。
そして、黄昏ブルーがやってくる。
この時間帯が、とても好きだ。
でも、思ったようには綺麗に写らない。
携帯のカメラでは限界がある。肉眼には勝てないのだ。スポーツでも何でもそうだけど、大概のものは肉眼に優るもの無しなのだ。
だから本当は写真なんか撮らずに、ゆったりとした気持ちで、静かに夕日は眺めるべきものだと思う。
特に冬の終わりの夕日は。

                  おしまい

 

昔ながらの千枚漬け

 
京の冬の漬物といえば、すぐきと千枚漬けだ。
今回は千枚漬け。
思うに、でも千枚漬けを買うのは難しい。なぜなら、最近の千枚漬けはなってないからだ。何っつーか、妙に甘酸っぱい。甘酢漬けみたいで許せないのだ。
だから、できるだけ昔ながらの千枚漬けを選んで買うようにしている。しかし、近所の高島屋から「大安」が撤退したので、一時期は千枚漬け難民になっていた。
千枚漬けは甘さではなくて、昆布の旨味があってこその漬物なのだ。
そこで、同じ高島屋で見つけたのがコレ。

 

 
老舗、村上重本店の千枚漬けだ。
本店は四条河原町の駅から程近い西木屋町にある。
ここの千枚漬けが昔ながらの千枚漬けで美味い。
人工的な甘酸っぱさではなくて、昆布の旨味と発酵過程にある自然な酸味との度合いが絶妙なのだ。

ただし、お値段も高い。袋詰めで8枚入って千円ちょっともする。聖護院かぶらは大きいとはいえ、薄切りなのだ。簡単に買える金額ではない。自分も季節に1、2度しか買えない。今回は出張販売で樽ごと持ってきたのを量り売りしていたので、3枚分だけ買った。それでも400円は越えた。

 

 
袋から取り出すと、尋常ではない昆布のネバネバとぬちょぬちょにビビる。でも、このネバぬちょの旨みが千枚漬けを何倍にも美味くさせるのだ。

 

 
旨味と発酵の度合いに、毎度唸らされる。
野卑にして、上品なのだ。
けど、添加物のない発酵食品ゆえに足が早い。だから、賞味期限が驚くほど短い。3、4日くらいで食べ切らなければいけないのが難点だ。そこがまた贅沢ではあるんだけどね。

 

 
昆布が残ると思うが、絶対に捨ててはならない。
残った昆布がコレまた旨いのだ。北海道の根昆布を使用しているようで、とにかく分厚い。もうゴリゴリ。
そこに醤油をちょろっと垂らして食うと、矢鱈と美味い。御飯の上に乗っけて、あんぐりと口に放り込み、ガシガシ食う。コレが、おまけの御褒美みたいで嬉しい。
あと、歯応えに嵌まってるから、あんまりやらないけど、細かく刻んで卵かけ御飯に入れて食うと、堪りません。ヤバいくらいに美味い。

こんだけ煽ってて申し訳ないけど、販売は2月いっぱいまで。しかも、今年は暖冬ゆえに販売期間が短くなっている可能性がある。
探しても買えなかった人は、来年まで臥薪嘗胆ね。
待つことも、また楽し。ですよ( ̄∇ ̄)

 
                 おしまい

 

美の神様は裏に宿る

 

 
連載中の台湾の蝶シリーズの次回に、アサクラコムラサキを予定している。その関係で先月買った蝶を展翅することにした。

 
【ホワイトヘッドベニボシイナズマ♂】

 
【同♀】

 
学名Euthalia whiteheadi。
亜種がいくつかあるようで、これはzonulaという東ジャワの亜種のようた。
鮮やかな赤が素敵だね。タテハチョウの仲間は裏も表もカッコイイものが多い。下手したら、裏の方が綺麗だったりもする。

ホワイトヘッドはたぶん採った事がないと思うので買った。あとEuthalia djata(ベニオビイナズマ)が揃えば一応ベニボシイナズマとかアカボシイナズマと呼ばれているユータリア(Euthalia)は揃うことになる。
こういうのを見てると、またアマンダ(Euthalia amanda)に会いにスラウェシに行きたくなる。
タテハチョウは飛ぶのが速いものが多いので、気合いが入る。それを空中でシバキ倒すのが面白い。

 
【オケラトゥスフタオ Charaxes ocellatus 】

 
インドネシア・フローレス島の原名亜種(名義タイプ亜種)のようだ。
メダマフタオチョウという和名の由来ともなった表側は綺麗じゃないと思うけど、裏は素晴らしい。
複雑怪奇にして、スタイリッシュなデザインだ。優美なる形も惚れ惚れとする。
思うに、タテハチョウは総体的に表よりも裏の方が複雑な紋様になる傾向がある。だから、表展翅するか裏展翅するか悩む。コレは裏展翅したいところだが、以前近縁のオルリスフタオ(Charaxes orlis)を表展翅しているので、表展翅かなあ…。

 
【セレベスシロタテハ Helcyra celebensis 】

 
Helcyra celebensisは、インドネシア・スラウェシ(セレベス)島とペレン島などその周辺の島に分布が知られる。このペレン島のものは亜種fabuloseとされ、シロタテハなのに黒いのが最大の特徴。コレが今回の目的。どんな奴なのか展翅が楽しみだ。

 
【ギャラクシアフタオ Polyura galaxia】

 
別名ギンガフタオチョウ。galaxiaだから銀河なのだ。
表も嫌いじゃないが、裏の方がカッコイイ。
このpyrrhus種群はフローレス諸島からチモール辺りの島嶼に分布していて、多くの種や亜種に分かれおり、正直よくワカンないんだよなあ。
これはlombokianaというロンボク島の亜種で、一番西に分布している。他にも亜種が売っていたが、中ではコレが一番白くて綺麗なので選んだ。他も集め始めないことを祈るよ。集めることを考えれば、コレも表展翅かなあ…。裏よりも表の方に違いがあらわれると思うんだよね。あっ、既に集めることを前提としているじゃないか(笑)。

 
【シュレイベルフタオ Polyura schreiber】

 
表には青が入り、お気に入りのフタオチョウだ。
野外で見ると、テンションがバキ上がりになる。
分布はインドシナ半島からマレー半島、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、フィリピンと広い。
しかし現地に行っても中々会えない蝶で、一応珍品の部類に入る筈だ。にもかかわらず、クズみたいな値段だよなあ…。ジャワでは楽勝で採れるのかなあ❓

 
【パプアコムラサキ Apatura ermianea】

 
パプアニューギニアにいるコムラサキの仲間だね。
コレはパプアじゃなくてセラム島のもののようだ。でも特に亜種名はついてなくて、原名亜種と同じ学名になっている。
表は怪しい幻光色を放つ玉虫色。
コヤツはハッキリ言って表の方がカッコイイ。

 
なんか書いてるうちに満足しちゃって、展翅が面倒くさくなってきた。やっぱ採るのが圧倒的に楽しくて、展翅はあんまり好きじゃないんだよね。

 
                 おしまい

 
追伸
最初につけたタイトルは『美は裏にあり』でした。
何となく最後にタイトルを変えた。でも今もってどっちが良かったかワカラナイ。どっちもダメとか言われそうだけど…。

 
 

旬彩坐 立山

前回の後日談。
帰りに富山県の郷土料理屋に入った。

 
【白海老の刺身】

 
富山名産のシロエビ。
確か富山湾でしか獲れないんじゃなかったかな。
あの小さなエビの殻を丁寧に取り除いているのには、おそれいる。味は基本的に生の海老のそれ。甘みが少し強いかな。個人的には、同じ北陸ならばガスエビとか鬼エビと呼ばれている寸詰まりの海老の刺身の方が美味いと思う。

 
【刺身盛り】

 
真ん中上が寒ブリ。左回りにメダイ、ハマフエフキダイ、サス(カジキ)。一旦上に上がってサワラ、右がヒラメ。
白身は塩をもらって食べた。白身の魚は塩と柑橘類とで食うのが好きだ。その方が、魚の旨みや甘みが感じられるからだ。
富山ではカジキのことをサスと呼び、カジキが好んで食べられる。昆布締めなんかもよく見る。

(-。-;)う~ん、しかしコレといって唸るものは無し。

 
【公魚(わかさぎ)の唐揚げ】

 
ワカサギは、これくらい小さいのが美味しいと思う。
独特のホロ苦さが好きなんだよなあ。

 
【幻魚(げんげ)の干物】

醜悪な深海魚である。
表面はヌルヌルだし、顔つきも災いして、漁師たちの間では下の下(げのげ)の魚とされたのが名前の由来。
足が早い魚なので、昔は地元のみで消費されていたが、近年になって流通が発達し、割烹や料亭で天婦羅や唐揚げとして提供されはじめたことで、評価が高まりつつあり、幻の魚=幻魚(げんげ)という漢字が宛てられるようになったよう。富山湾の代名詞、幻のような蜃気楼とも掛けているかもね。
外はヌルヌルだが、コレは女子が大好きなコラーゲン。身自体は白くて綺麗だし、あっさりはしているけとも脂も適度にあるから、慣れれば好きになる人は多いと思う。

ゲンゲの干物は初めて食う。
噛めば噛むほど奥から旨みが湧き上がってきて、中々に旨い。とはいえ、自分的には鍋に入れるか天麩羅にするのが一番お奨めかな。

 
【揚げ茄子びたし】

 
茄子は旬ではないが、旨かった。
茄子料理は味噌汁以外は何でも好きだけど、一番好きなのは揚げ茄子かな。茄子と油は相性がいいのだ。

 
【鯖へしこ】

 
へしこと云うのは、簡単にいうと鯖の糠漬け。北陸地方の伝統料理で、鯖の他にイワシやサンマなんかでも作られる。
コレを少しずつポジって食う。間違っても普通の焼き魚みたくガバッと食ってはならない。ものすご~くショッぱいのだ。でも、そのショッぱさが、酒のアテには最高。特に日本酒や焼酎には抜群にあうのである。エンドレスに、なんぼでも酒を飲み続けれるのだ。

白い御飯にも合い、これまた飯がアホほど食える。

 
【ブリ大根】

 
ブリ大根の主役は断じてブリではない。あくまでも大根である。ブリは大根を旨くさせる出汁の役割にすぎない。だから、エキスがいっぱい出るアラで作った方が美味い。

大根はやわらかくて、味がしゅんでおり旨かった。
しかし、いかんせんブリばっかで大根の量が少ない。
サービスのつもりだろうが、ブリはダシガラなんだから無くてもいいんである。実際、ブリ大根のブリはカスカスで不味い。あえてブリは排除して、大根のみを出す店なら、相当カッコイイと思う。

 
【へしこ茶漬け】

へしこがしょっぱ過ぎて食えたもんじゃない。
でも残すのは本意ではない。お茶をたのみ、キープしていた刺身の山葵を乗っけた。ホンマもんの本ワサビやそれに準じたものなら、酒のアテに充分なるのだ。

そこそこ食えるようになったが、それでもしょっぱい。

全体的には、まあまあの店だったかな。
富山の地元の魚を食ったことがあると、どうしても点数が辛くなってしまう。
普通の人なら、充分旨い店だとは思うかな。

 

なら瑠璃絵

 
先日、奈良公園へ「しあわせ回廊 なら瑠璃絵」を観に行ってきた。流行りの光のイルミネーションで、何回めかの開催みたいだけど、初めて来る。

午後6時前。日が沈み、夜の帳が降りた。
東大寺南大門を越えて、春日野へ。

光のアーケードを抜け、入口へ向かう。

 

 

 
入って正面。
青い世界が広がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
同じような画像だらけで申し訳ない。
どれも同じようなもんだからこそ、選べなかった。
で、面倒くさくなって全部載っけた。

 

 

 

 
恋人たち。
ワシならキスの一つもするところだ。
影絵のワシらを思う存分撮りなはれである。

人がいるということは、中にも入れるようだ。
但し有料で、ディナー付き観覧チケットを持っている人だけかもしれない。チラッと見たポスターには一万円ちょっとの数字があった。

 

 

 

 
光の回廊を通る。
通りは人だらけだったので、アーケード内の写真は撮らなかった。
とはいえ、思った程の人混みではなかった。苦痛度は、そんなに高くない。本当に人だらけだったのは、開場直後の正面入口だけだったかな。

 

 

 
イルミネーションが点滅するので、たまにピントが合わない。でも、それはそれで悪くない。

 

 

 
🐬イルカさんがいると云うことは、海を表しているんだね。

 

 

 
左手には白梅が咲いていた。
梅の花は、桜みたいに華やかではないが、凜とした美しさがあって好きだ。

  

 

 
「なばなの里」には及ばないが、思った以上に広くてキレイだった。青色好きだしね。
無料ゾーンでも充分楽しめたし、来年も来てもいいかな。
でも寒い。奈良と京都は盆地だからクソ寒いのだ。底冷えといった感じで、体の芯まで冷やっこくなる。
出掛ける人は、あったかい格好をしてゆきましょう。

そういえば二月堂の「お水取り」も、そろそろだ。
関西では、お水取りが終われば、春がやって来ると言われている。

春も近い。

 
                 おしまい