vol.14 オオシロシタバ 後編
解説編
『沈黙の妖精』
前々回、エゾシロシタバの解説の学名欄で、その小種名である「dissimilis」についての疑問をとりとめもなくダラダラと書いた。主な論調は、その学名の意味する「~と似ているが異質なもの」がいったいどの種に対して似ていて、異質なのかと云う探索譚だった。
これについて、記載者のBremerがらみで博学の松田真平氏に御伺いする機会を得た。エゾシロシタバの追伸に、追記として既に書き加えてあるが、次のようなコメントを戴いたので、紹介しておこう。
「エゾシロシタバの学名は、オオシロシタバCatocala laraに似ているということでCatocala dissimilisと名づけられたのではないでしょうか。1861年にBremerが、東シベリアからアムール付近からもたらされた採集品をタイプ標本にして記載した3種のCatocalaの中で、この2種が色彩的に似ているという意味だと思います。もう1種のオニベニシタバは色彩的に無関係ですね。」
ようするに、Bremerは先にオオシロシタバを見て、その後にエゾシロシタバを見たのではなかろうか。どちらも下翅が黒っぽい事から似ていると思って、学名の小種名を「dissimilis」と名付けたのだろうと云うワケだ。
見た目も大きさも結構違うから、正直、似てるかあ❓とは思う。でも真平さんは、古い時代の事だし、当時のレベルはそんなもんちゃうかと云う旨のことを仰ってもいた。確かに、その時代は記載されているカトカラの数も少なかっただろうから、狭い範疇の中では似ていると思うのも理解できなくはない。
前置きが長くなったが、それではオオシロシタバの解説と参ろう。
【オオシロシタバ♀】
(2018.9 山梨県 大菩薩山麓)
(同♂)(2019.9 長野県 白骨温泉)
(裏面1)
(出展『日本のCatocala』)
鮮度にもよるけど、こんなに黄色くはないよなあ…。
スマホの露出がよろしくないせいもあるかもしれん。
(裏面2)
ボロ過ぎると、今度は白っぽくなってしまう。
(裏面3)
(出展『Colour Arras the Siberian Lepidoptera』)
ロシア産のものだが、これが一番近いように思う。
【学名】Catocala lara lara Bremer, 1861
平嶋義宏氏の『蝶の学名-その語源と解説-』によると、「Lara(ララ・ラーラ)。ラティウムのアルモー河神の娘。美貌だが、おしゃべりなニンフ(妖精)。多言のため、jupiter大神に舌を抜かれた。」とあった。
補足すると、Laraは同じくラテン語のLarunda(ラールンダ)と同義語で、ローマ神話における美しくお喋りなニュンペー(妖精・精霊)で、ナーイアデス(泉や川の妖精)の1人でもある。長母音を略してラルンダとも表記される。
ユートゥルナとユーピテルの間の情事をユーノーに漏らしたため、怒ったユーピテルがラールンダの舌を切り取り、口をきけなくした。そしてメルクリウスに冥界へ連れて行くことを命じた。しかし二人は恋に落ち、ラールンダは二人の息子(ラレース)を産む。その後は「唖者」を意味するムートス(ラテン語: Mutus)と呼ばれるようになった。
早くも余談になるが、この本によれば「Lara」は蝶の学名にも幾つか付けられている。
・タテハチョウ科 アメリカイチモンジ属
Adelpha lara ベニモンイチモンジ
・シジミチョウ科 Leptomyrina属
Leptomyrina lara
・セセリチョウ科 キバネセセリ属
Bibasis lara
ちなみにこのセセリは現在、B.gotamaの亜種になっているようだ。
何れもキュートな奴らで、これらの蝶たちも気になるところだが、また話が逸れまくりそうなのでやめておく。気になる人は自分で調べてね。
扠て、オオシロシタバの話に戻ろう。
記載者はロシア人の Bremer。同じ年(1861年)にエゾシロシタバとオニベニシタバもアムール地方から記載している。
Bremerが、どうしてオオシロシタバに「Lara」という妖精の名をつけたのかはワカラン。上記の蝶たちは多分ちょこまかと妖精の如く動くだろうと想像がつくけど、オオシロシタバからはそんな感じは見てとれない。それに妖精にしては地味。お喋りなオジサンとしては納得いかない。
💡( ・∇・)あっ、そっか。想像を逞しくすると、舌を抜かれて大人しくなったから、Laraなのかもしれない。それにつれて見た目も地味になったとか?
地味になったとかはさておき、そうだと思えば、どこかこのカトカラには聾唖(おし)黙った静かな雰囲気がある。沈黙の妖精と考えれば納得できるかもしんない。だいぶ大柄な妖精だけどさ(笑)。
【和名】
度々、オオシロシタバとの和名の逆転現象が指摘されている。シロシタバよりもオオシロシタバの方が明らかに小さいのにオオと付くのは紛らわしいというワケだ。
『原色日本産蛾類図鑑(下)』のシロシタバの解説の項にも、それについて触れられている。
「前種(オオシロシタバ)よりは常に大きく、その和名は前種と入れかえる方が合理的であるが、永年使用されてきたものであるし、さして不便もないのでそのままにしておく。」
と書いてあるから、皆が妙に納得して声高に糾弾するまでには至らなかったのであろう。この図鑑のメインの著書は江崎悌三先生だもんね。偉い先生が言うんだから、文句言えないよね。
自分も図鑑に倣(なら)い、このままで良いと思う。シロシタバはシロシタバでよろし。オオシロシタバはオオシロシタバでよろし。今さら「明日からシロシタバはオオシロシタバになります。オオシロシタバはシロシタバになります。」と言われても困る。そんなの余計にややこしくなるに決まっているのだ。一々、旧シロシタバとか旧オオシロシタバとかと説明するのは面倒くさ過ぎるし、文献だって後々シロ、オオシロのどっちを指しているものなのかがワカンなくなっちゃうぞー。
とは言うものの、シロシタバより小さいのにオオシロシタバという和名は変。知らない人からすれば、それって、❔なぞなぞかと思うぞ。
じゃあ、何でそんな和名をつけたんだろう❓
或いはコレって目線がそもそも違ってたのかも。シロシタバ比較ではなく、コシロシタバ、もしくはエゾシロシタバ目線で、それらよりも大きいという意味での命名だったのかもしれない。そう解釈すれば、解らないでもない。
もしも日本で見つかった順番が、コシロシタバ(エゾシロシタバ)➡オオシロシタバ➡シロシタバだったとしたら、成立しうる話だ。オオシロシタバって付けたあとに、もっとデカイのが見つかったとしたら、オオオオシロシタバとは付けられないもんね。でも、だったらオウサマシロシタバとでも付ければいいではないかと云うツッコミが入りそうだけどさ。
それになあ…。この順番で見つかったとは考えにくいところがある。シロシタバはデカイし、垂直分布も広い。それに中部以北では普通種だから目立つだろう。発見は、この中では一番早かった公算が高い。オオシロシタバよりも遅く見つかったとは考えにくいもんね。
けど、日本で見つかった順番なんて、どうやって調べればいいのだ❓誰か教えてよ(ToT)
一応、参考までに付記しておくと、記載の順番と現記載地(タイプ標本の産地)は以下のようになっている。
・オオシロシタバ(1861年 アムール(ロシア南東部))
・エゾシロシタバ(1861年 アムール(ロシア南東部))
・コシロシタバ(1874年 日本)
・シロシタバ(1877年 日本)
ここで又しても本筋から逸れるが、ネットで色々と調べてたら、こんなんが出てきた。
(出展『Bio One complate』)
カトカラのDNA解析図だ。
あっ、表題を見ると『Molecular Phylogeny of Japanese Catocala Moths Based on Nucleotide Sequences of the Mitochondrial ND5 Gene』となっている。
そっかあ…、コレが石塚さんが新川勉さんに依頼したというDNA解析かあ…。探したけど、全然見つからんかった論文だ。
コレを見ると、オオシロシタバとエゾシロシタバの類縁関係がまあまあ近いじゃないか❗
だとするならば、Bremerさんがオオシロに近いと感じてエゾシロに「dissimilis」と云う学名をつけたのは慧眼だったのかもしれない。すげー直感力かも。
とはいえ、DNA解析が本当に正しいかどうかはワカンナイけどね。
嗚呼、どうあれ、またエゾシロシタバの解説編を書き直せねばならぬよ( ノД`)…。
また、この和名には別な面でも問題がある。
オオシロシタバというが、白というよりも黒のイメージの方が強い。後翅には白い帯紋があるものの、真っ白じゃないので、どっちかと云うと黒の方が目立つ。全体的に見ても、黒っぽさが勝っている。これじゃ、和名として二重にダメじゃないか。
思うに、そもそもの間違いはコシロシタバ、ヒメシロシタバ、エゾシロシタバにシロシタバと名付けたのがヨロシクなかったんじゃないかと言わざるおえない。コイツら皆、下翅が黒っぽいんだからクロシタバとしとけば良かったのだ。
前言撤回❗
オオクロシタバでもシロオビクロシタバでもいいから、名前を変えればいいんでねぇーの❓そうすればシロシタバとの大きさ逆転問題も解決する。シロシタバは、そのままシロシタバにしておけばいいから混乱は最小限にとどめられる。間違ってもシロシタバをオオシロシタバに変えるだなんて要らぬ愚行さえしなけれぱ、何の問題も無くなるじゃないか。
バンバン(*`Д´)ノ!!!、今からでもいい、そうなさい(笑)。
とはいえ、どなたか偉いさんが言わないと無理だよね。
こうなってくると、誰がこのダメ和名を付けたのか、どうしても気になってくるよね。
おいおい( ̄ロ ̄lll)、又それって危険なとこに足を突っ込むことになりかねないぞ。いんや、絶対に泥沼になる。いやいや、もう既に泥沼になっとるから、底無し沼だわさ。
『原色日本蛾類図鑑』の下巻が発行されたのが1958年(昭和33年)。そこにオオシロシタバの和名についての錯綜振りが書いてあるワケだから、それ以前に刊行された図鑑のどれかから、その和名が世に出てきたことは疑いあるまい。
とはいえ、江戸時代の図譜レベルとは考えにくい。となると、明治、大正と昭和前半の時代のものが候補だろう。
調べてみると、これが結構大変。古い時代のものだけに、あまりネットに情報が上がってこないのだ。
そう云うワケで、漏れているものもあるかもしれないことを先にお断りしておく。
・『日本千虫図解』松村松年(1904年 明治37年)
・『蛾蝶鱗粉転写標本』名和昆虫研究所(1909 明治42)
・『日本昆虫図鑑』石井悌・内田清之助他(1932 昭和7)
・『分類原色日本昆虫図鑑』加藤正世(1933 昭和8)
・『原色千種昆虫図譜』平山修次郎(1933 昭和8)
・『日本昆虫図鑑 改訂版』(1950 昭和25)
この、どれかじゃろう。けど結構あるなあ。
上から2番目の『蛾蝶鱗粉転写標本』は鱗粉転写本だから、そう多くの種類は掲載できないだろうし、鱗粉転写に地味な色の蛾を選ぶ可能性は極めて低いものと思われる。除外してもいいだろう。
残りはどれも怪しい。とにかく、これらを順を追って遡ってゆけば、誰が命名したのかが特定できそうだ。
探偵さんは解決が見えてきて、ぷかぁ~(-。-)y-~、余裕で煙草をくゆらせるもんね。
しか~し、🚨問題発生、🚨問題発生。
近場の図書館や古本屋では、見れるところがなーい❗
唯一、辛うじて見れたのが、1950年(昭和25)に発行された改訂版の『日本昆虫図鑑』だけだった(大阪市立中央図書館蔵)。
そこには平仮名で「おおしろしたば」の名があり、執筆担当者は河田薫とあった。
(出展『日本昆虫図鑑 改訂版』北隆館)
命名は、この河田さんの可能性も無いではないが、確率は低いだろう。なぜなら『原色日本蛾類図鑑』には「永年使用されてきたものであるし…」という記述があるからだ。たかだか8年やそこらで永年とは言わんだろう。
いや、改訂版の前の昭和7年の初版も見なければ何とも言えないな。そこでも解説を河田氏が執筆していたならば、有り得ることだ。
しかし、ここで早くも頓挫。討ち死にする。他の図鑑は探せなかったのだ。
( ´△`)もう、別にいいや。犯人探しをして突き止めたところで、何になるというのだ❓それに、その方はとっくに鬼籍に入っておられる筈だ。死者にムチ打ってどうする。死んでるのに恥かかせたら、👻化けて出られるかもしれん。それは困るぅ━━(ToT)
どうしても気になる人は、御自身で調べておくんなまし。で、ワテに教えて戴きたいでごわす。
【開張(mm)】78~85㎜
『みんなで作る日本産蛾類図鑑』にはそうあったが、岸田先生の『日本産蛾類標準図鑑』では、70~85㎜となっている。『みんなで作る…』は古い図鑑の『原色日本蛾類図鑑』からのパクリと思われるので、岸田先生の記述を支持する。
ネット上の『ギャラリー・カトカラ全集』には、次のようなコメントがあった。
「シロシタバより小さいオオシロシタバだが、東(旧大陸)の三役(大関は無理だから関脇か小結あたりか)に入れてもいいだろう。」
たぶん、これは大きさからの番付だろう。確かにオオシロシタバはムラサキシタバ、シロシタバに次ぐ大きさだ。でも、見た目などのイメージも付加すれば、関脇でも役不足のような気がするぞ。世間で評価されてる感じが全然しないもん。
学名は舌を抜かれた妖精だし、ネットで検索しても必ず「もしかして:コシロシタバ」なんて云うお節介な文字が頭に出てくる始末。ようは検索エンジンにさえ、あまり認識されていないのだ。何だか段々オオシロちゃんが不憫に思えてきたよ。
とはいえ、評価する向きもある。ネットのブログを見ると「渋めの前翅と後翅が素晴らしく、翅を開いた時の総合的な美しさはカトカラ随一である。」なんて書いたりしている方もおられるのである。但し、最後に括弧して(と思う)となってるけどね。
でも確かにそう言われてみれば、鮮度が良いものからはモノトーンの渋い美しさを感じる。
(出展『我が家周辺の鱗翅目図鑑』)
きっと、これまた和名が悪いんだろなあ。
もっと横文字のカッコイイ和名だったなら、評価も変わっていたかもしれない。それはそれで、ツッコミ入ってたかもしんないけど…。(゜o゜)\(-_-)
やっぱり不憫だぜ、オオシロちゃん。
【分布】北海道、本州、四国、九州、対馬
主に中部地方以北に分布するが、食餌植物の分布が限定されるので産地は限られる。棲息地は標高1000m以上のところが多いが、北海道では平地にも産し、個体数も多いようだ。
西日本からの記録は少なく、局所的である。九州では福岡県・熊本県・大分県・長崎県の高標高地から数件の記録がある。ただし,長崎県対馬では近年記録が増加しているという。四国では石鎚山系や愛媛県の天狗高原に、中国地方は山口県太平山、島根県松江市長江町、鳥取県伯耆大山、広島県冠高原、岡山県蒜山などに散発的な記録がある。四国・九州では非常に稀なカトカラなのだ。
近畿地方でも少なく、ネットの『ギャラリー・カトカラ全集』では、兵庫県、大阪府、滋賀県、和歌山県に記録があるとしている。しかし『世界のカトカラ』や『日本のCatocala』の分布図では、和歌山県は空白になっている。
(出展『世界のカトカラ』)
(出展『日本のCatocala』)
とはいえ、紀伊半島南部には標高が高い山もあるので、分布していても不思議ではない。おそらくいるだろう。
大阪府と滋賀県の産地は拾えなかった。
確実に産するのは兵庫県西北部で、氷ノ山やハチ北高原などで採集されている。ハチ北では、2018年の8月に一晩で10頭以上がライトトラップに飛来したそうだ。
海外ではアムール(ロシア南東部・沿海州)、ウスリー、樺太、朝鮮半島、中国中北部に分布する。
伊豆大島、カムチャッカ半島などのシナノキが自生していないところでも記録されており、遠距離移動する可能性が示唆されている。
見たところ、特に亜種区分されているものは無いようだが、シノニム(同物異名)に以下のものがある。
・Catocala pallidamajor Mell, 1939
ユーラシア大陸では本種に近縁なものは知られていないが、北アメリカに近いと思われる種がいる。
【Catocala cerogama オビキシタバ】
(出展『世界のカトカラ』)
帯が濃い黄色ゆえ全然違うように見えるが、仔細に見ると両者が似ていることが理解できる。
幼虫もオオシロシタバと同じく、Tilia(シナノキ属)を食樹としているし、上のDNA解析図でも極めて近縁な関係にあることが示されている。
【変異】
前翅中央部が著しく黒化するものが知られる。
(出展『世界のカトカラ』)
この型は渋くてカッコイイかもしんない。
【レッドデータブック】
絶滅危惧II類:福岡県、長崎県
準絶滅危惧種:大阪府、広島県
上記の場所にかかわらず、西日本では何処でも同じようなカテゴリーに入るものと思われる。
【成虫出現月】
年1化。早いものは7月下旬から出現するが、発生のピークは8月中旬~9月初旬。10月でも生き残りの個体が見られる。
【生態】
冷涼な気候を好み、標高1000~1800mの間の山地に見られる。平地にも棲息する北海道を除けば、棲息地はわりと局所的なようだ。但し、産地では比較的個体数は多いみたいだ。
『日本のCatocala』によれば、発生数の多い年は昼間も活動し、サラシナショウマ、フジウツギ、ツリガネニンジン、クサボタンなどの花に吸蜜に訪れるという。発生数が通常時の場合は、夜間にサラシナショウマに吸蜜に訪れる。
また図鑑には、稀に低山地のクヌギの樹液で摂食する姿が観察されていると書いてあり「日本産Catocala 成虫の餌」という表でも花蜜は◎、樹液は△となっていた。
しかし、この記述に関しては疑問を持っている。
なぜなら、高標高地(1400~1700m)でもフルーツトラップや糖蜜、シラカバの樹液に寄って来たからだ。トラップにかなりの個体数が飛来しているのを見ているので、偶然ではないことは明白だろう。むしろ他のカトカラよりも誘引される傾向が強いと言ってもいいくらいだ。
樹液に飛来した例は他にクヌギ、ミズナラ、ヤナギがあるようだ。
尚、吸汁時には下翅を開く。結構敏感で、慎重に近づかないと飛んで逃げる傾向が強かった。しかし、これは時期や場所、時間帯にもよるかもしれない。
飛来時間は午後9時前後からが多かった。但し、これも観察がもっと必要だろう。
灯火にもよく飛来し、最もポピュラーな採集方法になっているものと思われる。自分はあまり灯火採集はやったことがないが、A木くんの話だと、居るところでは多数飛んで来るらしい。飛来時刻は主に9時以降だとするネット情報があった。しかし他のサイトでは、日没直後にまとめて飛来したと書いてあるものもあった。調べた限りでは他に言及されているものはなかった。
因みに、自分は灯火に来た個体は一度しか見たことがない。白骨温泉の外灯に来ていたものだ。時刻は深夜0時を過ぎていた。
『日本のCatocala』によると、昼間は樹木の幹や岩陰などで頭を下向きにして静止している。人の気配などに驚いて飛び立ち、その後に着地する際は、頭を上にする個体と下にする個体があり、上向きに着地した場合は暫くしてから下向きに姿勢を変えるという。
ちょっと驚いたのは、この記述だと、いきなり下向きに止まる個体がいると云うことだ。多くのカトカラは上向きに着地してから、頭を下向きに変えるからだ。いきなり下向きに止まるだなんて、ちょっとサーカス的じゃないか。となれば、飛んでて着地する手前でクルッと回転、でんぐり返って止まるって事じゃん。だとすれば、器用と言うしかない。本当にそうなら、そのアクロバティックな技を是非一度見てみたいものだ。
【幼虫の食餌植物】
シナノキ科 シナノキ(科の木、級の木、榀の木)。
あんまりシナノキって馴染みがない。植物の知識がないせいもあってか、見た記憶が殆んど無い。イメージが湧かないので、Wikipediaで調べてみよう。
「学名 Tilia japonica。日本特産種である。
新エングラー体系やクロンキスト体系ではシナノキ科、APG体系ではアオイ科シナノキ属の落葉高木に分類されている。
シナはアイヌ語の「結ぶ、縛る」に由来するという説がある。長野県の古名である信濃は、古くは「科野」と記したが、シナノキを多く産出したからだとも言われている。それが由縁なのか、長野市の「市の木」に指定されている。
九州から北海道までの山地帯、本州の南岸を除いた日本全国の広い範囲に分布し、特に北海道に多い。」
なるほど。オオシロシタバが北海道に多いのは、そゆ事なのね。
でも、そうなると紀伊半島にはシナノキって自生してるのかな❓(註1)
無ければ和歌山県の記録は偶産の可能性大になるね。
「幹の直径は1m、樹高は20m以上になる。樹皮は暗褐色で表面は薄い鱗片状で縦に浅く裂けやすい。
葉は互生し、長さ6-9cm、幅5-6cmで先の尖った左右非対称のハート型。周囲に鋸状歯がある。春には鮮やかな緑色をしているが、秋には黄色に紅葉する。
5~7月に淡黄色の小さな花をつける。花は集散花序で花柄が分枝して下に垂れ下がる。花序の柄には苞葉をつける。果実はほぼ球形で、秋になって熟すと花序と共に落ちる。」
これじゃ、ワシら素人にはワケワカメだよ。やっぱ画像がいるな。
(出展『神戸市立森林植物園』)
(出展『Wikipedia 』)
見たことあるような無いような木だ。
植物は同定するのが難しいよね。
木は色んなものに利用されているようだ。
「樹皮は「シナ皮」とよばれ、繊維が強く主にロープの材料とされてきたが、近年は合成繊維のロープが普及したため、あまり使われなくなった。水に強く、大型船舶の一部では未だに使用しているものがある。
アイヌ人などにより、古くは木の皮の繊維で布を織り衣服なども作られた。現在でもインテリア小物等の材料に使われる事がある。
木部は白く、年輪が不明瞭。柔らかくて加工しやすいが耐久性に劣る。合板や割り箸、マッチ軸、鉛筆、アイスクリームのヘラ、木彫りの民芸品などに利用される。
また、花からは良質の蜜が採取できるので、花の時期には養蜂家がこの木の多い森にて採蜜を営む。」
そういえば、この花にはカミキリムシが集まると聞いたことがあるなあ。
シナノキは日本特産種だが、結構近縁種があるみたい。
「シナノキ属(ボダイジュの仲間)はヨーロッパからアジア、アメリカ大陸にかけての冷温帯に広く分布している。ヨーロッパではセイヨウシナノキ(セイヨウボダイジュ)がある。シューベルトの歌曲『リンデンバウム』(歌曲集『冬の旅』、邦題『菩提樹』)で有名。
また、1757年にスウェーデン国王アドルフ・フレデリックが「分類学の父」と呼ばれる植物学者カール・フォン・リンネを貴族に叙した際に、姓としてフォン・リンネを与えたが、リンネとはセイヨウシナノキを指し、これは家族が育てていた事に由来するものである。」
( ̄O ̄)おー、あの偉大なリンネ(註2)の名前はシナノキ由来なんだね。
「日本では、他にシナノキ属にはオオバボダイジュが関東北部以北に、ヘラノキが関西以西に分布するとされるが、他にもあるようだ。
ブンゴボダイジュ
日本では大分県の山地にまれに生育する。
シコクシナノキ(ケナシシナノキ)
四国の山地に生育する。
マンシュウボダイジュ
環境省の絶滅危惧IA類(CR)に選定されている。日本では岡山県、広島県、山口県に分布し、高地の谷間などの冷涼地にまれに生育する。日本以外では朝鮮半島、中国大陸(北部、東北部)に分布する。
ツクシボダイジュ
環境省の絶滅危惧IB類(EN)に選定されている。日本では大分県の九重山周辺にまれに生育する。日本以外では朝鮮半島にも生育する。
モイワボダイジュ
北海道、本州の東北地方に分布し、山地に生育する。ときに本州中部地方北部にも見られる。
ボダイジュ(註3)
中国原産で、日本ではよく社寺に植栽されている。
ノジリボダイジュ
シナノキとオオバボダイジュの交雑種と考えられ、長野県と新潟県に見られる。
主な海外種
アメリカシナノキ、フユボダイジュ、アムールシナノキ、タケシマシナノキ、モウコシナノキ、ナツボダイジュ、セイヨウシナノキ。
属名のTiliaは、ボダイジュに対するラテン語古名。語源は ptilon「翼」で、翼状の総苞葉が花序の軸と合着している様子から。属名のTiliaは繊維を意味するギリシア語tilosとする説もある。」
オオシロシタバは他のシナノキの仲間では発生しないのかなあ❓
日本のシナノキ属だけでなく、海外のセイヨウシナノキ(セイヨウボダイジュ)、オランダシナノキなども結構植林されているようだしさ。
でも標高がある程度高くないと無理か…。
『日本のCatocala』にも、シナノキ科ボダイジュ類からは幼虫の採集例はないと書かれていたし、意外と代用食となるものは少ないのかもしれない。
【幼生期の生態】
幼虫に関しては、そもそも蝶の飼育さえしない男なのでオリジナルの知見ゼロである。ここは全面的に西尾則孝氏の『日本のCatocala』の力をお借りしよう。
それによると、幼虫は林縁部や牧場周辺の残存林といった開放的な場所のシナノキによく見られ、壮齢木から大木の老齢木に付くそうだ。
野外での幼虫の色彩は変化に富み、著しく濃淡が強く出るものや全体が暗化した個体も見られるそうだ。室内など高温下で飼育すると、著しく黒化するみたい。
また飼育時、たまたま餌にしたシナノキに付いていたキリガの幼虫をしばしば捕食していたという。
コレには驚いた。肉食性のカトカラなんて聞いたこともなかったからだ。(# ̄З ̄)邪悪じゃのう。
昼間、若齢幼虫はシナノキの葉の間に、中齢幼虫は葉の上に静止している。終齢幼虫(5齢)は他の多くのカトカラのように樹幹には降りず、枝に静止している。
終齢幼虫の食痕には特徴があり、葉の部分だけを食べて葉柄を残す。または葉柄を囓じって切り落とす。
これはアメリカの近縁種 Catocala cerogama(オビキシタバ)でも、同じような生態が観察されている(1985 ハインリッチ)。ハインリッチは他の数種のカトカラについても同様の観察をしており、その理由として、食痕やそこに付着した幼虫の唾液から蜂など天敵に見つからない為の行動だと推定している。日本でも、オオシロシタバの他にムラサキシタバの幼虫が食樹の葉柄を齧じり落とすことが観察されている。
長野県の標高1000mの高原では、孵化は5月上旬から中旬、終齢幼虫は6月上旬~下旬に見られる。蛹化場所についてはハッキリ調べられていない。
おしまい
追伸
またしても泥濘(ぬかるみ)に嵌まったよ。
正直、あんまり色んなことに疑問を持つのもどうかと思うよ。
因みに、今回は先に解説編を書いてから本編(前回)を書き始めた。どうせ1話で完結しないと思ったからだ。毎回、文章を切り取って移すのは面倒だと思ったのだ。いつも1話で完結することを目指して書いてるんだけど、無駄な努力だと悟ったのだ。
(註1)紀伊半島にはシナノキって自生してるのかな❓
和歌山県の植物について書かれた報告書(https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/032000/032500/yasei/reddata_d/fil/shokubutu.pdf)によれば、和歌山県のシナノキは絶滅危惧IA類(CR)に指定されていた。
絶滅危惧IA類とは、ごく近い将来に絶滅する危険性が極めて高い生物に対して付与される記号みたいなものだ。略号はCR(Critically Endangered)。
そんなに絶滅に瀕している木ならば、食樹転換でもしてない限り、オオシロシタバが和歌山に生息する確率は極めて低いね。
シナノキそのものの分布図は見つけられなかったが、下のような図を見つけた。
(出展『広葉樹林化技術の実践的体系化研究』)
上部の図を見ると、厳密的にはシナノキの分布図ではないにしても、何となくオオシロシタバが西日本では極めて珍しいのも理解できるね。ただ、注目すべきは中国地方。意外とシナノキがありそうだ。もしかしたら、探せば中国地方ではもっと生息地が見つかるかもしれない。
(註2)リンネ
カール・フォン・リンネ(Carl von Linné)。
生没年1707~1778。スウェーデンの博物学者、生物学者、植物学者。同名の息子と区別するために大リンネとも表記される。
「分類学の父」と称され、それまで知られていた動植物についての情報を整理して分類表を作り、生物分類を体系化した。その際、それぞれの種の特徴を記述し、類似する生物との相違点を記した。これにより、近代的分類学が初めて創始された。
生物の学名を、属名と小種名の2語のラテン語で表す二名法(または二命名法)を体系づけた。生物の学名を2語のラテン語に制限することで、学名が体系化されるとともに、その記述が簡潔となった。現在の生物の学名は、リンネの考え方に従う形で、国際的な命名規約に基づいて決定されている。
分類の基本単位である種のほかに、綱、目、属という上位の分類単位を設け、それらを階層的に位置づけた。後世の分類学者たちがこの分類階級をさらに発展させ、現代おこなわれているような精緻な階層構造を作り上げた。
リンネの発案により、初めて植物の雄株と雌株に記号を用いられるようになった。この記号は、もともとは占星術に用いられてきたもので、火星(♂)をつかさどる戦の神マルス=男性的=オス、金星(♀)をつかさどる美の女神ビーナス=女性的=メスとした。それが他の生物にも転用されてゆくことになる。
また、人間を霊長目に入れ,ホモ−サピエンスと名づけた。
(註3)ボタイジュ
菩提樹。日本へは臨済宗の開祖栄西が中国から持ち帰ったと伝えられる。釈迦は菩提樹の下で悟りを開いたとされる事から、日本では各地の仏教寺院によく植えられている。しかし、これは間違って移入、広まったたもので、本来の菩提樹は本種ではなく、クワ科のインドボダイジュ(印度菩提樹 Ficus religiosa)のこと。中国では熱帯産のインドボタイジュの生育には適さないため、葉の形が似ているシナノキ科の本種を菩提樹としたと言われる。
主な参考文献
・石塚勝巳『世界のカトカラ』
・西尾則孝『日本のCatocala』
・岸田泰則『日本産蛾類標準図鑑』
・江崎悌三『原色日本蛾類図鑑』
・カトカラ同好会『ギャラリー・カトカラ全集』
・インターネット『みんなで作る日本産蛾類図鑑』