奄美迷走物語 其の1

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 第1話『沈鬱の名瀬』前編

 
 2021年 3月21日

 

 
空はたっぷりの水分を孕んで、どんよりと曇っている。
一瞬、嫌な予感が走った。それを慌てて打ち消す。何でもそうだが、強い心を持ち続けることが肝要だ。マイナス思考に囚われてはならない。どんどん悪い方向へと行きかねないからだ。メンタルが壊れれば、良い結果など得られるワケがないのだ。
とはいえ、行先の奄美大島の天候を案じざるおえない。予報は1週間ずっと雨か曇りなのだ。蝶採りはひとえに天気にかかっている。結局のところ、天気如何で大幅に成果は左右されるのだ。

うだうだ考えているうちにバスは関空第2ターミナルへと到着した。相変わらず素っ気なくて、ショボいターミナルだ。店とか何もあらへん。

ピーチの午前10:15発の便に搭乗する。

 

 
(・∀・)あれっ❗❓
ピーチの筈なのに機体カラーがパープルピンクじゃないぞ。この機体カラーってバニラエアっぽいくねぇか❓

 

 
厚い雲を突き抜けると、雲の海が広がっていた。
空の青が濃い。

何気に翼の先に目をやると、バニラエアのマークがある。やはりバニラエアの機体だったのだ。提携とかしてんのかな?まあ、どっちだっていいけど。

12時過ぎ、無事に奄美空港に降り立った。

 

 
奄美に飛行機で来るのは初めてだけど、あまりにも早く着いたんで何だか拍子抜けする。
(・∀・)ん❗❓、違うな。そういや奄美に最初に来たのはダイビングインストラクター時代で、飛行機でだったわ。ダイビングの時と虫採りの時との記憶が完全に切り離されてメモリーされてる。

当初の計画ではレンタルバイクを借りて、先ずは「みなとや」へ行って鶏飯(註1)を食べ、それから蒲生崎の蝶の様子を見に行く予定だった。
「みなとや」は鶏飯発祥の店で、ここの鶏飯がイッチャン美味いのである。そして、蒲生崎にはアカボシゴマダラ、フタオチョウ、イワカワシジミ、アマミカラスアゲハがいる。上手くすれば、初日に今回のターゲットである蝶が全て採れてしまう可能性だってあるのだ。美味いもん食って、蝶もシッカリ採るという幸せ一直線の算段なのさ。密かに引きだけは強いまあまあ天才ならば、それも可能だと思ってた。所詮は。◕‿◕。オホホ星人、基本は根拠のない自信に満ちたオメデタい性格なのさ。
しかし生憎のところ、天気は悪い。奄美でも鉛色の雲が低く垂れ込めている。風も強いし、オマケに気温も低くて肌寒いくらいだ。

諦めてバスに乗り、名瀬へと向かう。

 

 
車窓を懐かしい風景が流れてゆく。考えてみれば、バスで名瀬に向かうのは初めてだ。コチラの記憶は間違いない。インストラクター時代は空港に夏美ちゃんが車で迎えに来てくれたのだ。
夏美ちゃん、可愛かったなあ(´ω`)…。もう結婚して子供とかもいるんだろなあ。ホント、光陰矢の如しだ。
あと2回の虫採りの時は鹿児島からの船便での来訪だったゆえ、名瀬港に着いたもんね。だから奄美初バスなのは間違いない。

1時間程で名瀬の街に入った。
予定では郵便局前で降りるつもりだったが、発作的に「鳥しん」で鶏飯を食おうと思った。でもって急遽、バスの運転手に訊いて末広町で降りることにした。そちらで降車した方が近いと読んだのさ。良い感じだ。ちょっとしたキッカケで流れが変わるから、こうゆう些末にみえる事だって大事なのだ。判断がビシッと決まりだしたら、自然とノッてくるものだ。

だが、少し道に迷った。何だかなあ…。ペースが掴めないとゆうか、ズレを感じる。全てが何か今ひとつ上手くいってないって感じなのだ。
歩いていると、やがて見覚えのある風景になった。
この辺に確かレンタルバイク屋があったんだよなあ。と思ったら、案内の看板があった。しかしマジックで上から棒線が引かれている。どうやら廃業したようだ。だからネットで探しても見つからなかったのね。お陰で計画がだいぶ狂ったんだよなあ…。
いつもなら名瀬を拠点にバイクで動くのだが、そのせいで明日には朝仁に移動しなければならない。

 

 
取り敢えず「鳥しん」に到着。
レンタルバイク屋からは、こんなにも近かったのね。一度も「鳥しん」で鶏飯食べようと思ったことがないから、探したことないのだ。昼間は虫採りで山ん中だし、夜は居酒屋「脇田丸」に入り浸ってたからね。

 

 
屋根の薄汚れたニワトリが怖い。
何だか心まで暗くなるわ。

 

 
店内はガラガラだった。
カウンターに座り、迷わず鶏飯(1200円)をたのむ。
ここ「鳥しん」と「みなとや」「ひさ倉」が奄美大島三大鶏飯店である。鶏飯は何処でも食べられるのだが、どのガイドブックでも、だいたいこの3店が真っ先に出てくるのだ。

最初にお通しみたいなのが出てきた。

 

 
得体のしれない見てくれだ。ゴーヤの素揚げが乗っているのも怪しい。
おそるおそる食べてみると、もろみ味噌(金山寺味噌・なめ味噌)っぽいものだった。
甘いが、味はそこそこ旨い。おそらく店では酒のツマミ的なものとして提供しているのだろう。甘いもん好きではないから酒のツマミとしては敬遠させてもらうけどさ。
初めて食べるが、たぶんコレが蘇鉄味噌とか粒味噌(註2)と呼ばれているものではなかろうか。

 

 
先ずは、この鍋に入った鶏の出汁じる(丸鶏スープ)とお櫃に入った御飯が運ばれてくる。ちなみに御飯は、おかわり自由である。

そして、次にコレが運ばれてきた。

 

 
左上から陳皮(柑橘類(タンカン)を乾燥させた果皮)、鶏肉をほぐしたもの、錦糸玉子、ネギ、パパイヤの漬物、甘辛く煮た椎茸。そして真ん中は海苔である。
コレを御飯の上に乗っけるのだが、「みなとや」と比べて何だかショボい。まずもって鶏肉と陳皮の量が少ないし、椎茸も干し椎茸ではなくて、甘辛く煮たヤツだ。椎茸は特に気にくわないなあ。何でもかんでも甘くしておけばいいと云う昨今の風潮には、断固反対する。

 

 
で、その上から鍋の汁をブッかけて食うのだ。

 

 
まあまあかなあ…。
不味くはないのだが、期待したほどの旨さではない。
「みなとや」では、その旨さに毎回唸ってしまうからガッカリだ。全体的に何かが足りないとゆうか、メリハリがないんだよなあ…。もしかしたら、鶏のスープにパンチが足りないからなのかもしれない。スープ自体は旨いんだけど、どうにも淡白すぎるのだ。
まあ、とはいえ好みの問題だけどもね。「みなとや」よりも「鳥しん」の方が旨いと感じる人だっているだろう。

何だかなあ…。のっけから細かく躓いてる気がする。
鶏飯を食って気分を上げて、良い流れを作ろうと思ったのになあ…。

                         つづく

 
追伸
えー、あまり気が進みませんが、連載開始です。そんなワケで途中で放り出して頓挫するかもです。
ちなみに随分前になるけれども、奄美大島での採集記が当ブログにも有ります。『西へ西へ、南へ南へ』と題した紀行文で、謂わば今回はその続編にあたるってワケかな。 興味のあられる方は読まれたし。今にして思えば、この頃の文体の方が自分的には好きかも。

 
(註1)鶏飯
鹿児島県奄美地方で作られる郷土料理。
鶏飯と書いて「けいはん」と読む。同じく鶏飯と表記されることも多い「とりめし」と同字異読であるために混同されやすいが、それらが炊き込み御飯や丼形式なのに対して出汁茶漬けに近い料理である。
現在、奄美大島で出されている本場の鶏飯は、茶碗に盛った白飯に、ほぐした鶏肉、錦糸卵、椎茸、パパイヤ漬けor沢庵、葱、刻み海苔、陳皮、白胡麻などの具材と薬味を乗せて丸鶏を煮て取ったスープ(鶏ガラではない)をかけて食べる。稀に紅生姜を添える例もある。白飯、具材、薬味、スープは別々の器で出され、お好みの配分で盛り付けて食べる。奄美大島には専門店も複数あり、スープの取り方、素材に地鶏を使うか否かなどの各々の特徴があり、スープの味で料理の味が大きく左右される。
居酒屋など店によっては丼や茶碗に盛ってスープを掛けた状態で客に出す例があり、これも鶏飯と呼ぶことが多いが、鶏飯丼と呼び分けて両方を出す店もある。尚、専門店の鶏飯は茶碗2~3杯分の量があり、白飯も食べ放題ではあるが、鶏飯丼は1杯分だけでお代わりはなく、そのため価格も安い。また奄美域外にもこのような類似の料理があるが、奄美大島の専門店が丸鶏でスープを取っているのに対し、域外では切り分けた鶏肉や鶏がらを使ってスープを取るなど、簡略化している場合が多く、風味に差がある。加えて薬味のパパイヤ漬けやタンカンの皮が島外では入手しづらく、これらの有無も風味に大きく影響する。

奄美大島の鶏飯は、元来は笠利町周辺にかつて存在した郷土料理で、当時はヤマシギやシロハラなどの野鳥を使用していた。江戸時代、島津藩の支配下にあった頃に北部で藩の役人をもてなすために鶏肉が用いられるようになったという。一方、19世紀半ばの島の暮らしを記録した『南島雑話』では、主に豚肉料理についてのみ記述され、鶏飯には触れられていない事から、現在の鶏飯は近代以降に成立したものであるともされる。もともと、奄美大島では正月前に黒豚を捌いて塩漬け肉にし、これと野菜を刻んで炊き込みご飯にした「豚飯」があり、これを鶏肉に代えたものという説もある。また、江戸時代の料理書『名飯部類』『料理網目調味抄』には、茹でた鶏肉を細かく裂いて飯に載せてだし汁をかけるという鶏飯の作り方が載せられており、本土から伝わった料理が奄美大島に残った可能性もあるという。

現在のスタイルの鶏飯は、奄美市笠利町赤木名で1945年に創業した旅館みなとやの館主岩城キネが、開業に際して江戸時代にあった鶏肉の炊き込みご飯にアレンジを加えて供するようにしたのが始まりとされる。
1968年4月に皇太子明仁親王、美智子妃殿下(当時)が奄美大島に来島した際に食したが、その美味しさにおかわりをしたという。その様子が伝えられると地元で観光客の人気を博し、奄美大島を代表する郷土料理となった。

 
(註2)蘇鉄味噌と粒味噌
蘇鉄味噌はソテツの実(雌花の種子)を使って作る味噌で、全国各地の味噌の中でもとりわけ個性的な味噌の1つである。主な産地は奄美諸島や沖縄県の粟国島で、奄美の方言では、なり味噌(なりみそ・なりみす)と呼ばれている。ソテツ(奄美方言すてぃち)の実から取ったデンプンと玄米と大豆を原材料にしており、麹の配合比によってソテツの種子を主原料とするものと玄米を主原料とするものとに分かれる。前者は奄美方言で「しるわーしみす(汁沸かし味噌)」と言い、多くはサツマイモも加えて熟成させ、主に調味料として用い、後者は主になめ味噌として食用にする。塩分は調味用の方が高い。
 
【蘇鉄味噌】

(出展『株式会社ヤマア』)

 
蘇鉄味噌づくりで最も特徴的なのは、微生物の働きでソテツの持つ毒素を取り除く「解毒発酵」が行われていることである。発酵でソテツの実の毒を取り除いてから麹菌を付けていくという独特の製法が用いられている。
特有の風味と甘味があり、奄美や沖縄では古くからお茶請けやツマミとして食べられているようだ。
また、蘇鉄味噌を使った料理も豊富で、魚の身をほぐして混ぜ込んだユーミソや豚の耳や内臓と混ぜたワミソなどがある。

道理で島には至るところにソテツが生えてたワケだ。かなりクロマダラソテツシジミに食害されてたけどさ。

 
【クロマダラソテツシジミ 低温期型♀】

(2018年 和歌山県白浜)

 
参考までに言っておくと、滞在中、クロマダラソテツシジミは1つも見なかった。真面目に探したワケではないが、もし発生していたならば、ソテツの周りでアホみたいな数がチラチラ飛び回ってる筈だから気づかないワケがない。それに吸蜜源のセンダングサの花は何処でも咲いていたから、いたならば1つや2つは目に入っていた筈。おそらく端境期だったのだろう。

奄美大島にはこの他にソテツの実を使わないで作る粒味噌もある。

 
【粒味噌】

(出展『株式会社ヤマア』)

 
粒味噌は島味噌とも呼ばれ、粗めに挽いた大豆を使う奄美の伝統的な味噌。塩分が少なめなのが特徴。見た目は名前のとおり粒々で、お茶うけにされたり、豚味噌や魚味噌、ニガウリ味噌などを作る際にも用いられる。

画像を見ても蘇鉄味噌と粒味噌との違いがワカラン。
見た目、ほぼ同じだもん。よって「鳥しん」で出されたものがどっちなのかは特定できない。白胡麻が振ってあるので、おそらく蘇鉄味噌だと思うんだけど…。でも粒味噌は豚味噌や魚味噌に使われるから、それを作るために店には置いてある筈だからなあ…。まあ、どちらにせよ甘いから、本音はどーだっていいんだけどさ。

-参考文献-
◆Wikipedia

  

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投稿者:

cho-baka

元役者でダイビングインストラクターであり、バーテンダー。 蝶と美食をこよなく愛する男。

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