第14話『奄美迷走ドン底物語』前編
2021年 3月29日(夜編)
『ところで、夜間採集の湯湾岳行きの出発は何時にする❓』
『やっぱ、行くのやめときます。』
『\(◎o◎)/マジー❗』
この期に及んで約束反故かよ。(´ω`)そりゃないよ。
口には出さなかったが、そう思った。若い頃のオラなら『おどれ、キンタマついとんかい❗❗』とか凄んでたかもね(笑)。
きっと今時の若者の間では、今や「男の約束」とかって言葉は死語なんだろね。昔は男同士の約束はそう簡単には破れなかったものだ。男の約束は絶対だとガキの頃から教えられてきたからね。破ったら男としての価値がダダ下がりになった。彼女との約束よりも男同士の約束の方が重要視されていたりしてたのだ。そもそもが幼少の頃からオカンとかに『アンタ、男でしょう❗泣きなさんなー❗❗』と言われ続けてきたのだ。他の家庭でも大体そんな感じだった。男は人前で泣いてはならない時代でもあったのだ。とはいえ、ワシらの世代が成人した前後くらいから泣く男が急増したんだけどもね。いかんいかん、いつもながらの事だが完全に脱線マンじゃよ。m(_ _)mすまぬー。
まあ、昔とは時代が違うからね。今の若者には理解不能のルールだから仕方ないよね。怒ることじゃない。とにかく、彼は断る理由を言わなかったし、コチラも訊かなかった。大方、行くのが面倒くさくなったのだろう。それは理解できる。湯湾岳までは遠いのだ。だから『マジー❗❓』とは言ったが、それ以上は何も言えなかったのだ。
まあ言ったところでどうにかなるとも思わなかったし、ごちゃごちゃ文句を垂れれば垂れるほどカッコ悪いだけだ。また、どれだけ巧妙に説得したところで、Sくんみたいなタイプは意志が固そうだから説得するだけ時間の無駄だとも感じた。
そもそも東京の人は情が薄いもんね。十年住んだから身に沁みて知っているのだ。いや、そうゆう言い方はヨロシクないな。単に大阪が他よか情を重視する土地柄だから、そう思ってしまうのだろう。それにドライにハッキリと物事を言うのは悪い事ではないからね。あっ、付け加えておくと、もちろん東京時代にも情に厚い人は結構いました。薄いと行ったのは、あくまでも相対的にって事ね。
(-_-;)むぅ…。やっと良い流れになったかと思ったら、フタオチョウの♀を逃して再び悪い流れに逆戻り。その後、アカボシは振り逃すし、「蝶屋(てふや)」のブログの内容(註1)が眉唾濃厚だと判明するという最悪の流れになってきてる。でも今さら湯湾岳に行かないワケにはいかない。どうしてもアマミキシタバ(註2)を採らねばならぬのだ。その可能性が一番高そうなのが湯湾岳なのである。たとえSくんの車と強力なライトがなくても行くっきゃない。条件は厳しくなるが、原チャリで行って、なんちゃってライトで勝負するしかあるまい。
正直、苦難が待ってるのが解っているのに立ち向かうってのはキツいよなあ…。
呪わしくも、腹ごしらえに出発前に急いで食ったカップ麺まで今イチだった。
マルちゃんの『ごつ盛 塩担々麺』。スーパーマーケットのタイヨーで特売の98円で売っていたものだ。
(出展『グルコミ』)
今まで書いてこなかったが、食いもんやお茶はこのスーパーかコンビニ(ファミマ)で買う頻度が圧倒的に多かった。どちらも幹線道路沿いにあり、知名瀬方面に行く時はタイヨーへ、名瀬方面に行く時はファミマを利用していた。
まだ残っていたニラを使い切るためにブチ込んでやった。
けど、たいして旨くない。何か今を象徴しているようで泣きたくなってくる。この先、ロクな事がなさそうなことを暗示しているようではないか。前途多難だ。
奄美大島最高峰の湯湾岳のある宇検村に行くには大きく2つのルートがある。
(出展『ねりやかなや』)
(画像はピンチアウトすると拡大できます。)
朝仁からそのまま北側の道路を走るルートと朝仁から一旦名瀬に戻ってから南側を走るルートだ。どちらも距離的には同じようなものだから(註3)、どちらを選択するかは悩むところだ。北側ルートは海岸線の道で曲がりくねっており、アップダウンも多いから疲れる。一方、内陸を通る南側のルートはアップダウンが少なくて直線が多いがトンネルだらけだ。しかも長いトンネルが多いから、これまた疲れる。精神的にキツいのだ。尚、北側のルートは戸内までしか行った事しかなく、南側のルートは西仲間までしか行ったことがない。つまり、どちらもルート半ばくらい迄であり、その先は未知の世界なのだ。時間的な余裕はないだけに、ここは思案のしどころである。できれば日没前までに到着しておきたいのだ。
朝に宿のオジーとオネェーに、どっちが時間的に早いかと訊いたら、どちらも同じくらいで1時間から1時間半くらいだと言ってた。しかし二人ともあえて言うと北ルートかなと言う答えだった。地元の人がそう言うんだから、ここは素直に北側ルートを選択すべしという結論に至った。悪い流れになってるが、気持ちを切り替えて気合いを入れていこう。
午後5時15分。
大きく息を吐き、スロットルをグッと回した。
戸円までは順調だった。海沿いを走るのは気持ちがいいし、気分はアゲアゲ⤴️の御機嫌だった。この調子でいこう。良い流れになってきたんじゃないのー❓
そして名音を過ぎたところで標識が目に入った。そこには「←奄美フォレストポリス・湯湾岳」とあった。どうやら左の林道を走れば、ショートカットになりそうだ。日没前までに湯湾岳展望台に着けるかどうかはギリギリだろうと思っていたので、渡りに船だ。ラッキ〜(◍•ᴗ•◍)❤、迷わず林道に突っ込んでゆく。
20分程走ったところで、段々不安になってきた。道は次第に荒れ始め、ドンドンうら寂しくなるし、道標が出てこないのである。そんな折、前から軽トラックが走ってきた。慌てて止めて道を尋ねる。
『この道って湯湾岳に行きますか❓』
『行くよ。でも湯湾岳には行けないよー』
一瞬、オジーの野郎、この期に及んでナゾナゾをフッ掛けてきたのか❓と思った。
(?_?)はあ❓キョトン顔になる。
『✦§∇♪€#○÷<崖崩れ■〆☆¶♬∞』島言葉なので何言ってるのかよくワカンなかったが、辛うじて崖崩れという言葉を拾えた。
『崖崩れで行けないって事ですか❓』
オジーはそれに対して再び島言葉でまくし立てた。意味不明だが、ニュアンスで通れないとゆうことは理解できた。
(ノ`Д´)ノ彡┻━┻ガッデーム❗
完全にやっちまったな。今から引き返すとなれば、時間的ロスは40〜50分くらいになる。どう考えても日没までには着けそうにない。
幹線道路に戻るが、既に日没が近づいていた。
午後6:25。そして志戸勘で壮絶な夕暮れになった。
怖いほどに美しい。
そして、前途を不安にさせる空だ。
程なく山道になった。きっと海岸線の地形が険しくて道路が作れず、山越えになったのだろう。しかも本格的な山越えのようだ。グングンと高度が上がってゆく。
登りきる手前で対面交通の信号で止まった。奄美って崖崩れが多いんだよなあ…、そう思った時に急に違和感を覚えた。
(゜o゜;レレレ❗❓、なーい❗
背中に袈裟がけで背負っていた筈の長竿がないのである。
おそらく夕陽の写真を撮る時に邪魔なので下にでも置いたのだろう。そして慌てていたので、そのまま地面に置きっぱなしにして出てしまったのだ。
仰天して山を下りる。更なるロスに心が折れそうになるが、そんな事よりも誰かに持って帰られる事の方が遥かに心配だった。もしも失くしたら、ただでさえ弱い戦闘能力が大幅に削がれる。となれば、惨敗色がいよいよもって濃厚になる。
(☆▽☆)あった❗❗
夕闇の中、慌てて駆け寄り、拾いあげる。
辛うじて首の皮一枚で繋がった。とはいえ、又しても大きな時間ロスである。行き場のない感情に深い溜息をつく。余程このまま帰ってやろうかとも思った。でも敵前逃亡、戦(いくさ)もせずにおめおめと帰るのは末代までの恥だ。たとえ負け戦であろうとも戦って散った方が、まだしも魂は救われる。
再び、山を登り返す。
しかし登りきっても下りにはならず、尚も山パートは続く。
そして、気がついたときには辺りは完全に闇の世界に支配されていた。心細いくらいに真っ暗だ。対向車も全くない。
いつ終わるか、いつ終わるかと思いながらスロットを開け続けるが、山道は延々と続いた。不安と焦燥で心がズタズタになってゆく。
やっと海岸に出たのは30分以上あとであった。こんなに遠いとは思いもよらなかった。ところでこの道って本当に宇検村に向かっているのか❓もしかしてタヌキ…否、奄美の妖怪ケンムン(註4)に化かされていて、永久に着けないんじゃないかとさえ思えてきた。
集中力が切れかけていたし、自分が今何処を走ってるのかさえも分からなくなっていたので、トンネルを抜けたところでバイクを停めた。
表示を見ると、生勝トンネルとなっていた。
地図で場所を確認する。宇検村までは近い。遠目に、らしき町の灯りも見える。
しかし、そこからが思った以上に遠かった。道は海岸線に沿ってウネウネと続くので、宇検村の町の灯りが全然近づいてこないのだ。しかも街灯が殆どなくて真っ暗けなので、心細さで気力が砂のように削り取られてゆく。
30分程かかって、やっとこさ宇検村に入った。さあ、あとは湯湾岳の展望台まで登るだけだ。
だが、今度は展望台に繋がる道が見つからない。そして道を尋ねたくとも人っ子一人いない。またまたの想定外の連続に💧涙チョチョギレそうになる。
入る道が見つからないまま、村を通り抜ける寸前で犬の散歩をしている御夫婦を見つけた。藁をも掴む気持ちで道を訊く。
そこで驚愕の事実が伝えられる。
『展望台へ行く道は崖崩れで通れないよ。』
ヽ((◎д◎))ゝマジすか❓マジすか❓マジスカポリス❗
冗談を言ってる場合ではない。やっとの事でここまでやって来たのに、その苦労が全て水の泡になってしまうではないか。もう死にたいよ。
呆然としていると、お姉さんが少し考えてから言った。
『でも別なルートでも上がれた筈』
お姉さん曰く、遠回りだけど、この先に上がれる道が他にあるらしい。但し、そっちの道も土砂崩れで行けるかどうかの保証はないとの事。
道の入り方を詳しく訊き、礼を言って走り出す。
これこそ首の皮一枚である。運はまだある。どうなるかは分からないが、その道に賭けよう。
街灯が殆どなくて暗いので見つけられるかどうか不安だったが、わりと簡単に見つかった。この道が本当にそのルートなのかはワカンナイけど…、行くっきゃない。
最初のうちは走りやすい広めの道だったが、そのうち森深い林道になって、深山幽谷の趣きを呈してきた。道は落葉だらけで走りにくい。
途中、黒いものが道を横切って振り向いた。
特別天然記念物のアマミノクロウサギちゃん(註5)だ。奄美大島来訪4度目にして初めてお目にかかった。
しかし感動は薄い。それどころではないのだ。一刻も早く展望台に着いて灯火採集をしなければならんのだ。
されど、この道も長かった。走っても走っても辿り着かないのである。40分近く走って漸くらしき場所に差し掛かった。
しかし、そこには🚧立入禁止のバリケードが並んでいた。
(ㆁωㆁ)ぽてちーん。死んだ。
つづく
追伸
一回で終わる予定が、書いてるうちに当時の事が甦ってきて長くなった。なので2回に分けます。
(註1)「蝶屋(てふや)」のブログの内容
フタオチョウは、夏型はフルーツトラップに誘引されるが、春型は寄って来ないとされている。しかしブログには春型も寄って来るような事が書いてあった。稀に寄って来る事もあるのかもしれないが、基本的にはアカボシゴマダラも含めて来ないと思っていた方がいい。
(註2)アマミキシタバ
(出展『世界のカトカラ』)
学名 Catocala macula
ヤガ科カトカラ属の蛾で、現在のところ奄美大島、徳之島、沖縄本島、屋久島、鹿児島本土から記録がある
(註3)どちらも距離的には同じようなものだから
調べてみたら、南側ルートは48.4km。北側ルートが58.9kmであった。何と10kmも差があるじゃないか。おいおいである。南の島の人が言うことは、てーげー(テキトー)だという事を忘れてたよ。
(註4)ケンムン
奄美大島のカッパに似た伝説の妖怪。詳細は第4話『亜熱帯の夜は恐ろしい』に書いた。
(註5)アマミノクロウサギちゃん
(出展『あまみっけ』)
学名 Pentalagus furnessi
ウサギの1種で、奄美大島と徳之島だけに分布する。普通のウサギと比べて耳や鼻骨が短く、足も短い。この短い後肢は急峻な山を登り降りするのに適している。原始的なウサギと考えられており、メキシコウサギやアカウサギと共にムカシウサギ亜科に属し、「生きた化石」的な存在である。1921年(大正10年)に動物では初めて国の天然記念物に指定された。また1963年(昭和38)には特別天然記念物にも指定されている。夜行性で岩の下や地中に穴を掘って棲む。10~11月と4~5月の年2回の繁殖期があり、通常は1頭、稀に2頭の子供を産む。生息数は2000〜4800頭と推定されるが、森林破壊などで絶滅が心配されている。但し、最近は増加傾向にあるという。