先日アップした「なら瑠璃絵」と富山県の郷土料理屋の回の前の話(2019年 2月14日)。
冬の奈良公園を訪れた。
近鉄奈良駅で降り、先ずは高札場の隣にあるムクノキの大木に挨拶へ行く。


高札場に猫がいた。
眠ってる猫は可愛い。この日は寒かったから、猫は丸くなるのである。

白黒写真みたいになった。
樹高25m。幹周り6.5m。推定樹齢は千年とも言われている。千年とは気が遠くなりそうな時間だ。
ムクノキはアサ科ムクノキ属に含まれ、成長が早くて大木になりやすいと言われるが、それでも千年はスゴい。

ムクノキ(椋の木)の語源は、カミキリムシ好きの東さんの話だと幹の皮が簡単に剥けるからだそうだ。ホントかね❓
調べてみると、諸説あるようだ。
①良く茂る木の意である「茂くの木」から来ているという説。
②新葉に細かく粗い毛(ムク毛)が密生しているから。
③葉には珪酸を含み、ザラザラしており、この葉を乾燥したものが木や竹・骨・角などの表面を磨きはがすのに使われた。この物を剥(は)いだり、剥(む)いたりする事から「剥(む)くの木」になったと云う説。
④古来、日本人は心身の穢れを忌み嫌い、穢れを落として無垢な心を持つことを願った。その心を木に託し、無垢(むく)の木と名付けた説。
⑤老木になると樹皮が剥げてきて、簡単に剥けるので、剥くの木と呼んだ説。
⑥ムクドリ(椋鳥)が好んで実を食べることから「ムクノキ」となったという説。
よくぞ、こんなにも語源とされる説があるもんだなあ。⑥番目なんかは、ちょっと怪しいけどさ。
普段はそのまま南円堂に向かうのだが、本日は三重塔のある裏道へ入った。


入ってすぐの所にお地蔵さんがいた。
お地蔵を見ると、何だか心がほっこりするね。

三重の塔。
北円堂と並び、興福寺で最も古い建物の一つだ。

三重の塔から南円堂を望む。

この角度から南円堂を見るの初めてかもしれない。
北円堂へと向かおう。

なだらかな坂の先に北円堂が見える。
一本道の向こうに建物があるってのは、ちょっとした高揚感があって好きだ。何かに向かってゆく気分ってのは悪くない。
北円堂も古い建物である。他の多くの伽藍は火事で何度も焼失し、また再建もされているようだ。
この道は裏道だから行き交う人も少なく、落ち着いた気持ちになれる。
南円堂の正面を通って興福寺国宝館へ。
ここを訪れるのは何十年か振りだ。
画像は撮ってないが、綺麗に建てかえられていたので、ちょっと驚く。
どうやら、去年(2018年)の元旦に新設されたようだ。
チケットは700円だった。高いのか安いのかよくわからない値段だ。

国宝館といえば、阿修羅像である。
東京で「阿修羅展」が開催された時は、阿修羅像を見るために物凄い数の人が押し寄せたらしい。それも若い女子ばっかだったという。「阿修羅萌え」なんて言葉もあるとか聞いたことがある。
若い女子たちが騒ぎ立てるのも解るような気がする。無垢な少年の顔と清楚な少女の顔が重なったようなその顔は、確かに誰が見ても美しい。
入って直ぐに山田寺仏頭が優しい顔で出迎えてくれた。
(出典『researchmap.jp』)
千手観音のお顔も穏やかで、心を和ませてくれる。
仏像の顔ってのは、案外癒されるものだと最近になって気づいた。あっ、でも若い時は秋篠寺の伎芸天に恋した事もあったっけ…。
(出典『DEEPだぜ!!奈良は。』)
天燈鬼と龍燈鬼。
生きてるみたいで、ちょっと恐い。
恐いけど、カッコイイ。
コイツら、だいたいは四天王などに踏みつけられてるから、こういう主役になってるものは珍しい。
【阿修羅像】
(出典『徒然cello日記』)
(出典『観仏日々帖』)
ウン十年か振りに見る阿修羅像は、変わらぬ優美さを湛えていた。
ただし、前の古い建物の中で見たときの方が背景としっくりと馴染んでいたような気がする。何だか美術館で見ているみたいな感じがして、少し違和感がある。
お顔は右手側からよりも、左側から見た方が美しいと思う。
阿修羅像をまだ見たことがない人は、死ぬまでには一度は見るべきだろう。それくらいの価値はある。
国宝館を出て、春日大社方面へと足を向ける。

イチイガシの大木だ。
一位樫と書き、ブナ科コナラ属に含まれる。語源は一位の樫の木と云う意味なんだそうだ。どこが一位なのかはよくワカンナイけどさ。
大木の魅力はその大きさもさることながら、その枝振りにもある。縦横無尽に曲がりくねった形は見てて飽きない。
飛火野へと出た。

こちらもイチイガシだ。


奈良公園にはイチイガシの巨樹が多い。
『春日大社境内のイチイガシ巨樹群』と名付けられ、市指定の天然記念物にもなっている。
すぐ近くには、クスノキの大木もある。
クスノキはクスノキ科ニッケイ属に含まれ、神社の御神木なんかにもなっているから、大木を見る機会は多い。


とてつもなく大きく見えるが、樹齢は百年くらいしかない。
実をいうと、この木は一本ではなく、三本の木が寄せ集まっているのだ。だから、矢鱈とデカく見える。
樹高は23.5mもあるという。
この木にだけは囲いがあって、中には入れない。
なぜかというと、陸軍の大演習の折りに、明治天皇が座ったところに記念として植樹されたからだ。
飛火野には、大木という程ではないけれど、そこそこ大きなナンバンハゼ(南蛮櫨)がある。秋になると、カエデに負けないくらいに紅く色づく。


飛火野を林縁に添って南へ歩くと、存在感のあるコレぞ巨樹といった木が在る。





これもクスノキである。
樹高は23m。幹周りは7.1m。樹齢は700年だそうだ。
幹が空洞になっているが、木自体は結構元気で、青々とした葉を繁らせている。
この空洞の部分には焼け焦げたような痕があるので、たぶん雷でも落ちたのだろう。
大木は他の木よりも高いので、きっと雷が落ちやすいんだろね。
春日大社まで移動した。





もちろん鹿さんもいる。
燈籠の間からコンニチワ。

春日大社の中にも巨木がある。


奥に見える杉の木だ。
『社頭の大杉』という名前がついている。
樹高25m。幹周り8.7m。樹齢800年~1000年という。
春日大社境内には、『砂ずりの藤』と呼ばれる樹齢800年の藤の大木もある。
(出典『よしひろ館』)
美しい。
花期はゴールデンウィークくらいだったろうか?
自分も見たことがあるが、ゴージャスな藤だ。
ただし、人も多い。見るなら朝の早い時間帯に行かれることをお薦めする。
とはいえ、周辺の少し離れたところには藤の大木がちょこちょこあるんだけどね。
春日山の原生林には杉の巨樹も何本かあり、二の鳥居付近にも「若宮大楠」という大木がある。
若宮神社の方へ進むと、クスノキの大木があった。


注連縄(しめなわ)が張ってあるので、御神木である。
一見するとそんなに大きくは見えないが、何と驚いたことに樹齢1700年だという。
写真は撮らなかったが、実をいうと表からそうは見えないが、裏から見ればその凄さが解る。デコボコのゴツゴツなのだ。因みに樹高は24m。幹周りは11.5mもある。
さらに金龍神社まで進むと、大きなイチイガシもある。



このイチイガシも大きい。
樹高18m。幹周り4.85m。樹齢は300年だと言われている。なあんだ300年ぽっちかよと一瞬思ったが、よくよく考えてみれば三百年も生きてるってスゴい事だ。動かぬ植物が生物の最強で、生命力が一番あるのかもしれない。
春日山のイチイガシといえば、そういえばルーミスシジミだなあ。
ルーミスシジミとは、日本屈指の珍蝶で人気も高い。
そのルーミスシジミの産地として、かつてはこの春日山一帯が有名だった。国の天然記念物にも指定されている。
【ルーミスシジミ Panchala ganesa】

日の光の下では、この水色が明るく輝き、とても美しい。
そういえば学名の小種名は ganesa(ガネーシャ)だったな。ガネーシャといえば、インドの神様だ。ルーミスシジミは神様なのである。
以下、何れも紀伊半島のルーミスだ。

たぶん、下のが♀かなあ…。

雌雄同体で、区別がそこそこ難しいのだ。

コレはちょっと変わった斑紋だね。
(裏面)

しかし、春日山原始林では既に絶滅して久しい。
伊勢湾台風の折りに多くの木が倒れたので、害虫の発生(?)を抑える為に農薬を空中散布したのが原因だとされている。
だとしたら、愚かな事だ。行政って動植物の事を何にも解ってないから馬鹿な政策ばかりしている。天然記念物の指定でもトンチンカンなものが結構ある。この春日山のルーミスだって、伊勢湾台風といえば1959年なワケだから、もう絶滅してから50年以上も経っているのに天然記念物の解除がなされていない。
それにしても、愚の骨頂とはいえ、そんなに簡単に絶滅するもんかね❓
他の昆虫で、ここ春日山で絶滅したとされるものは聞いたことがない(註1)。だいち、幼虫の食樹は山ほどまだ残っているのである。採集は禁止されているから、採集圧で絶滅したということも考えられない。にも拘わらずいないのである。
それに紀伊半島のルーミスを春日山に放した輩が絶対いるに違いない。それでも復活しないというのは、やはり他に問題があるのだろう。森の乾燥化が進んでいるとも言われるが、環境はたぶん50年前とそれほど大きくは変わってない筈なんだけどね。
きっと、人間があずかり知らぬ目に見えない環境の変化があったのだろう。
他に有名なイチイガシとしては、萬葉植物園内に『臥竜のイチイガシ』と云う木がある。これは名前のとおり枝が横に伸び、竜が如き佇まいだからだ。長い間、見てないけど結構見応えがある。
再び春日大社へと戻り、二月堂に抜ける道へと入ってゆく。
暫く歩くと、迫力のある木にブチ当たる。




水谷(みずや)神社のイブキ(ビャクシン)の木だ。
漢字は伊吹と書き、ヒノキ科ビャクシン属に含まれる。
幹の面妖さが凄い。
こういう老樹を見ると、精霊が宿っているのではないかと思ってしまう。
でも葉がほとんど無くて、瀕死の状態だ。
頑張れ!、おじいちゃん。
樹高は途中で折れてるから12.5mだが、幹周りは6.55mもある。樹齢は750年だそうだ。
中の空洞からは杉の木が生えていて「水谷神社の宿生木(やどりぎ)」と云う名もある。植物の逞しさには、驚くばかりだ。

ケヤキ(欅)の大木。
ケヤキは大木になりやすい木で、これくらいのものなら結構ある。
若草山の麓を通り、二月堂までやって来た。
お水取り(修二会)が近いせいか、もうそれ用の竹が用意されていた。

今年のお水取りは3月1日から3月14日に行われる。
お水取りが始まれば、いよいよ春の到来だと言われ、お水取りが終われば本格的な春が始まると言われている。

鮮やかな紅い花が咲いている。
モチノキ(モチノキ科モチノキ属)だろうか?
クロガネモチならば、もっと葉が小さい筈だから多分そうだろう。
東大寺の裏へと繋がる道をゆく。



この道はとても風情があって好きだ。
タイムスリップしたような不思議な気分になる。
坂道が終わると、右手に紅梅が咲いていた。



右の柑橘系の木との取り合わせが良いね。


ひっそりと蝋梅(ろうばい)も咲いていた。
名前に梅とついているが、梅の仲間ではなく、ロウバイ科 ロウバイ属に属する。蝋細工の梅みたいに見えることから、ついた名前だろう。
目立たない花だが香りが素晴らしい。
甘い香りがするのだ。その香りは香木の伽羅(きゃら)の匂いだとか、ジャスミンや水仙の花の香り、石鹸の匂いなどにも例えられる。
東大寺の裏手を歩く。
いつ見ても巨大で、毎度ながら要塞みたいだなと思う。

戒壇院まで来た。
残念ながら風情のある入口の山門は改修工事中で見られなかった。
本来はこんな感じ。
(出典『kiis.or.jp』)
この階(きざはし)の低い階段がいい。
でも正面からの姿もいいが、右斜め横から見る角度の方が好きだ。
仕方がないので戒壇堂の写真を撮る。
【戒壇堂】

パンフの表紙は広目天さんだ。
(以下、多聞天まで出典は戒壇院のパンフレットから。)
キリリと引き締まった顔が凛々しい。
シルエットもカッコイイねぇ~。
仏像の良さは顔だけやない。そのシルエットも大事だ。
パンフの表紙が仏像なのは、この寺には奈良(天平)時代の有名な四天王像があるからだ。
四天王とは、仏教における守護神である。
その配置は決まっていて、持国天➡増長天➡広目天➡多聞天の順に眺めるそうだ。

寺の人の話によれば、四天王は関西弁で『地蔵、買(こ)うた』と覚えればいいそうだ。「地・増・広・多」ってワケだね。
【持国天(じこくてん)】

東方の守護神であり、武神である。
左手に刀、右手に宝珠を持つものが多いが、戒壇院のものは右手に刀を持っている。国家安泰を表し、その刀で魔物を払うという。
足下に邪鬼を踏みつけている。これは他の四天王も同じだが、それぞれ踏んでいる邪鬼の種類が違うので、それを見比べるのも面白い。
【増長天(ぞうじょうてん)】

ぞうちょうてんとも読む。
南方の守護神。槍に似た戟(げき=古代中国の武器)を持ち、五穀豊穣を司る。
ドヤ顔である。
それでハタと思った。調子にのり過ぎることを増長(ぞうちょう)するというが、もしかしたらその語源はこの増長天から来ているのかもしれない。
それを確かめる為に寺の人に尋ねてみたが、「わっからへんなあ~。」と言われた。
【広目天(こうもくてん)】

西方の守護神。サンスクリット語(梵語)で「様々な眼を持つ者」を意味する。その千里眼のような眼でこの世の中のあらゆる事を見抜き、仏の教えと信者を護るといわれる。
右手に筆、左手に巻物を持っているのは、知の象徴でもあるのだろう。
この顔はいつ見ても荘厳だ。でも、ちょっと新撰組局長の近藤勇の顔に似ているなと思うのは自分だけだろうか?何れにせよ、相当頑固そうな顔だ。
この戒壇院の四天王だが、各自の身長が違う。持国天が160.5㎝。増長天が162.2㎝。多聞天が164.5㎝。そして広目天が169.9㎝と一番高い。広目天がスラッとしていて一番カッコ良く見えるのは、そのせいもあるのかもしれない。
【多聞天(たもんてん)】

宝塔を捧げ持つ北方の守護神。
物事をあまねく聞く者とされ、四天王最強と言われる。四天王としてはこの名だが、ソロ活動もしており、二つ名がある。その場合は「毘沙門天(びしゃもんてん)」と呼ばれ、財福の神や無病息災の神となる。また七福神の一尊としても数えられ、誠に忙しいお人である。
ちょっと疲れたので、お茶する。


抹茶ラテ。
普段は甘いものはあまり口にしないが、ちょっと疲れてきているので丁度いい。
日が暮れたので、東大寺南大門へ。
『なら瑠璃絵』を見る前に、あの仏像を拝んでおこうと思ったのだ。
門の左右には、天才仏師と謳われる運慶の手による金剛力士像(仁王像)が安置されている。
【阿形(あぎょう)像】

デカイ。下に人が写ってるから、そのバカでかさ加減がよく解るだろう。
身長は8.4m、体重は6.67トンもある。
木像だから相当デカイ大木が使われているに違いないよね。解体修理の時に分かったそうだが、木は檜(ひのき)が使われているようだ。

口を開けているのが阿形。
そして、口を閉じているコチラ↙が吽形(うんぎょう)像である。
【吽形像】

二つ合わせて阿吽。
「阿吽の呼吸」という言葉は、ここから来ている。
仁王像がこうして左右向かい合って立っているのは珍しいそうだ。
また門の右に吽形があり、左に阿形があるのも珍しい。普通は右に阿形、左に吽形が安置されていて、逆なのだ。

それにしても、隆々とした凄い筋肉だ。
筋骨隆々とは、この事だろう。
金剛力士も仏教における守護神だから、強くなくては話にならない。だから当然なんだけどね。

生きていて、今にも動き出しそうな迫力だ。こんなのが動き出したら、マジやばいよね。
それにしても人間が造ったものとは、とても思えない。そんなのを超越したものを感じる。
もしかして、運慶さんは宇宙人じゃねえの❓
名人が作ったものには魂が入るというが、ホントだと思えるくらいに凄いワ。
しかも、この仁王像の製作期間が仰天ものだ。
二体同時進行で、たったの69日間で造られたそうだ。やっぱ運慶さんは宇宙人だよ。
二体同時進行❓
ここで漸く思い出した。これは運慶さん一人で彫り上げたもんではないや。
運慶作と伝えられるもので大きなものは、だいたいが運慶さん率いる仏師集団が造ったものだと云うことを忘れてたよ。運慶が親方とか棟梁で、その指揮のもとに製作されたようだ。つまり運慶作とは、運慶個人の名前でもあるが、工房の名前でもあったワケだ。これは、ガラス工芸で有名なガレと同じようなものだと考えればいいだろう。
因みに伝だが、阿形が運慶と快慶の親子の作で、吽形が定覚と湛慶のコンビ作だと言われている。おそらくその下には多くの仏師がいたのだろう。
それでも約70日間と云うのは超人的バカっ早さだ。
これは寄せ木造りという工法が編み出されたからだが、それでもそれを齟齬なく組み立てるのは至難の技だったろう。
二体の仁王像は、宇宙人の始まりと終わりを表しているという。
阿形が始まりで、吽形が終わりだ。
仏像や曼陀羅には、仏教の壮大な思想が詰まっているのだ。
おしまい
追伸
そして、このデイトリップは前に書いた『なら瑠璃絵』へと繋がるのである。

よかったら、そっちも読んでね。
(註1)絶滅したとされるものは聞いたことがない
そういえば、若草山のオオウラギンヒョウモンも絶滅している事を忘れてた。
この蝶も今や日本有数の稀種であるが、局所的に分布するルーミスシジミとは少し事情が違い、昔は広く分布していたようだ。草原性の蝶で、生息に適した草原が人間の生活の変遷と共に激減したのが原因だと言われている。