台湾の蝶28『真昼のデジャヴ』

 

  第28話『江崎三筋』

  
今回は、前回取り上げたアサクラミスジとの姉妹編になります。

 
アサクラミスジを採った翌日のことだった。
この日も南投県の同じポイント、標高約1900mの尾根筋に入った。狙いも同じくホッポアゲハである。
そして、やはりこの日もホッポがピタッと飛んで来なくなった。
で、クソあじぃ~し、同じようにゲンナリ気分で地べたに座り込んでいたのである。
そこへ、又しても右手からふらふらと低空飛行でミスジチョウの仲間が飛んできた。
何なんだ、この既視感は。(;・ω・)デジャヴじゃね❓
天気も同じだし、時間もさして変わらない。全てが昨日のシチュエーションとほぼ同じだ。一瞬、暑さでアタマがオカシクなって、白昼夢でも見てるのかと思った。
裏の淡い色の感じからすると、昨日採ったアサクラミスジかなと思った。どこまでデジャヴやねん( ̄ロ ̄lll)
ヨッコラショと立ち上がって、ぞんざいに網を振る。

網の中を見て、アサクラミスジの♀かなと思った。
昨日のものより一回り大きくて横幅か広かったからだ。蝶の♀と云えば、殆んどの種が♂よりも一回り大きくて横長になりがちというのが相場なのだ。

実を言うと、この時に撮った写真は1枚も無い。
アサクラミスジは昨日に証拠写真を撮ったから、もういいやとでも思ったのだろう。クソ暑いと大概のことが面倒くさくなるのである。

それが宿に帰ってから、その日の戦利品を整理していて、あれれ(;・∀・)?????、何か変だなと気づいた。
昨日の奴って、こんなだったっけ❓ 違和感を感じたのである。どこか雰囲気が違う気がしたのだ。
慌てて昨日の奴と見比べてみると、明らかに裏面の斑紋が違うではないか。線がギザギザじゃない。それに大きさも全然違ってて、デカイ。
こりゃ、どう見ても別種だわさ。でも、その時点では何という種類の蝶なのかは分からなかった。

帰国後に調べてみると、コレが何と台湾におけるミスジチョウの仲間では、最稀種のエサキミスジだった。
しかも、たぶん中々採れないであろう♀だぜd=(^o^)=b

 
【エサキミスジ Neptis sylvana esakii ♀】
(2016.7.12 南投県仁愛郷 alt.1900m)

 
(^o^ゞハハハ、1年以上ほったらかしだったから、胴体が埃まみれになっとるやないけー。
相変わらず、ええ加減な性格やのう。

アサクラミスジと同じく、ちょっと上翅を上げすぎたかなあ…。
でも、ミスジチョウの類は上翅を下げると、寸詰まりになる。それって何だかモッチャリしててカッコ悪いんだよなあ…。今後の課題です。
まあ、展翅も既存のイメージに囚(とら)われてはならないと思うし、コレはコレでカッコイイような気もするから、良しとしよう。

  
【裏面】

 
確か、この写真は展翅前に撮った写真だな。
あらためてアサクラミスジと見比べてみよう。

【アサクラミスジ ♀】 

 
こうして並べてみると、似てはいるけど全然違うことがよく解る。アサクラミスジは紋がギザギザだ。
斑紋だけでなく、翅形も違う。アサクラミスジの方が丸っこい。
大きさも違うし、こんなの間違うかね?と思うが、きっと裏がこんな色したミスジチョウが他にもまさかいるとは思っていなかったのだろう。だいたいがだ、そもそもが発作的に初の台湾行きを決めて、3日後には出発だったのである。だから旅の仕度で手一杯で、台湾の蝶を調べてるヒマなど無かったのだ。

採れたのは、この♀らしき1頭のみだから、♂の画像を探して引っ張ってこよう。

 

(出典『原色台湾蝶類大図鑑』)

 
ネットでググったが、なぜか標本写真が自分のもの以外は一点も見つからなかった。
情報量が少ないので、せめてでも生態写真を貼りつけておこう。

 

(出典『台湾生物多様性資訊入口網』)

 
イケダミスジなんかにもよく似ているが、裏面の色が全然違う。

 
(出典『原色台湾蝶類大図鑑』)

 
とにかく、採ったのは間違いなくエサキミスジだね。
落ち着いたところで、前へ進もう。

『原色台湾産蝶類図鑑』の解説には、こうあった。

「本種は現在の知見では台湾の特産種。同島産大型ミスジチョウ属の中でも最も稀な1種で、従来記録されたものは4頭にすぎない。」

アサクラミスジもそこそこの稀種だと思われるが、もっと珍しいってことだね。
その4頭の内訳も書いてあった。

 
1♂ 台中州東勢郡(ウライ~ピスタン~サラマオ)1932.7.16 江崎悌三教授採集(本種の記載標本)

1♂ 高雄州阿里山沼ノ平 1932.5.21 梅野明・平貞市採集

1♀ 台北州文山郡檜山 1935.7.1 和泉泰吉採集

1♀ 台北州文山郡チャゴン~檜山 1935.6.28 和泉泰吉採集

 
州となっているのは、昔の台湾の行政区分の時代だからだろう。現在は縣(県)となっている。因みに、図鑑は1960年刊行である。

それにしても、たった4頭かあ…。
ネットで調べても画像は少ないから、おそらく現在でも稀種の座にあるものと思われる。

 
【学名】Neptis sylvana (Oberthür, 1906)

台湾のものは亜種 esakii(Nomura, 1935)とされている。
原色台湾蝶類大図鑑では、「Neptis esakii」という学名になっていたので、てっきり独立種で台湾の固有種かと思いきや、亜種なんだね。
昔の図鑑と今の図鑑とでは学名が変わっていることがしばしばあるので、注意が必要だすな。

属名 Neptisはラテン語の「孫娘、姪」の意。
小種名 sylvana(シルバニア)の語源もラテン語で「森林、樹林、森の土地」を意味するものと思われる。
亜種名 esakiiは日本の昆虫学者 江崎悌三博士(註1)に献名されたもの。和名もそれに因んでいる。

 
【台湾名】深山環蛺蝶
 
訳すと、深山に棲むミスジチョウって事だね。
別名に、林環蛺蝶、淺色三線蝶、森環蛺蝶、江崎環蛺蝶、江崎三線蝶がある。
林環蛺蝶と森環蛺蝶は、学名の小種名由来であろう。
淺色三線蝶は、淡い色のミスジチョウという意味で、裏面の色を指しての命名だろう。
江崎環蛺蝶と江崎三線蝶は、和名からの命名であるに違いあるまい。

 
【英名】
 
特に無さそうだ。
ミスジチョウ属の英名はGlider(滑空するもの)だから、もしつけるとすれば『Deep Forest Glider』辺りが妥当かな。

  
【分布】
 
台湾では、北部から中部の山地帯に見られる。
台湾以外では、中国南西部(雲南省)とミャンマー北部に分布する。
中国南西部のものが原名亜種 sylvana sylvana となる。台湾の他には亜種は無いようなので、ミャンマーのものも原名亜種に含まれるものと思われる。

分布図は、今回も杉坂美典さんからお借りしよう。

 
(出典 杉坂美典『台湾の蝶』)

 
中国南西部と台湾とにかけ離れて孤立分布しているのがよく解る。分布が狭いゆえ、アサクラミスジよりも稀種度が高いのも容易に想像できるね。
でも、こんなに分布が離れてるなら、もう別種でええんとちゃうのん❓などと素人は考えちゃうなあ。
両者が分断してから相当長い時間が経っているワケだし、遺伝子解析したら別種って事になるんでねえの❓

 
【生態】

開長55~65mm。
「原色台湾蝶類大図鑑」によれば、「資料より判断すれば本種は台湾中北部~中部のかなりの山地帯に産するもので、その出現期は5~7月。食草・幼生期は勿論未知。」とある。
一方、杉坂美典さんのブログには、台湾の北部・中部の低・中・高標高(600m~2500m)に産し、発生は5~8月の年1化としている。
両者の記述に大きな齟齬はないが、気になるのは標高についてである。低地でも得られているのだろうが、自分の採集地点や台湾名の深山環蛺蝶と云う名前からも、おそらく垂直分布は高地寄りだろう。

ネットの情報だと、常緑の広葉樹林の林縁および林冠で見られるという。
林冠で活動するとなれば、アサクラミスジよりも活動場所は高所なのかもしれない。日本のミスジチョウも梢上を好むので、同じような生態だと考えられなくもない。一方、コミスジなどはわりかし低い所を好むから、アサクラミスジはコミスジ寄りの生態なのやもしれぬ。同じば場所で、互いに空間を上下に棲み分けている可能性はある。
森林性が強く、湿地で吸水したり、動物の糞尿に集まる習性もあるようだ。

雌雄同形で、♀は♂よりも一回り大きく、翅形が丸みを帯びると考えられる。
アサクラミスジと同じく♂は前脚に毛が密生するが、♀には殆んど見られない。
コレは両種の裏面横からの画像でも確認できるので、ヒマな人は拡大してみて下され。両種とも♀だと解ります。

 
【幼虫の食餌植物】

台湾のサイト『DearLep 圖錄檢索』では、こうなってた。

寄主資訊
中名  學名
(未填寫) (未填寫)

未填寫というのは、未解明という意味だろう。つまり、食樹は未知だと云うことである。
しかし、ネットの『台湾生物多様性資訊入口網』には、幼虫はブナ科植物の葉を食べると書いてあった。だが、それ以上の詳しい記述は無く、具体的な植物名は挙げられていなかった。
ブナ科かぁ…。何かの間違いじゃないのか❓ミスジチョウとブナ科なんて全然イメージに無い。ブナ科を食ってるミスジチョウなんていたっけか❓

世界的にみると、Neptis属の食樹はマメ科やアサ科(旧ニレ科)のエノキ属、及びアオギリ科が多い。
ここは一度原点に帰って、改めて日本のNeptis属の食樹を確認しておこう。
『日本産蝶類標準図鑑』に拠れば、以下のようなものが食樹が挙げられている。

(コミスジ)
ハリエンジュ、フジ、ハギなど各種マメ科。稀にクロツバラ(クロウメモドキ科)、ケヤキ、ハルニレ、エノキ、ムクノキ(旧ニレ科)、アオギリ(アオギリ科)、タチアオイ(アオイ科)にも幼虫がつくことがある。

(リュウキュウエノキ)
コミスジと同じくマメ科全般を食う。奄美大島では旧ニレ科のクワノハエノキ(リュウキュウエノキ)からも幼虫が発見されている。

(フタスジチョウ)
ユキヤナギ、シモツケ、コデマリなどのバラ科。

(ホシミスジ)
フタスジチョウと同じくユキヤナギなどのバラ科。
シバザクラ(ハナシノブ科)でも幼虫が見つかっている。

(オオミスジ)
ウメ、アンズ、スモモ、モモ、エドヒガンザクラなどのバラ科。

(ミスジチョウ)
イロハモミジなどのカエデ科全般とカバノキ科のアカシデ、クマシデ、サワシバ。

ここで驚くべき記述にブチ当たった。
「ブナ科も食草となる記録もあり、クヌギで幼虫を発見し、飼育した結果、羽化したという報告、飼育中の幼虫3頭が横にあったナラガシワにうつり、ナラガシワを食べて蛹化、羽化したという報告があり、大きさは正常のものと違わなかったという。」

これは、エサキミスジの食樹がブナ科というのも有り得ると云う事だね。ブナ科だとすれば、はたして何だろう?
常緑のカシ類なのかな、それとも落葉性のコナラ類なのかなあ?上の例だと、おそらく落葉性のコナラ属かと思うが果たしてどうだろう?ブナ科とは全く別な意外なものが食樹になっている可能性もあるので、まあ予断はよしておこう。本当は他の科の植物がメインのホスト植物で、ブナ科はあくまでもサブ的な食餌植物というケースも無きにしもあらずだからだ。

ついでながら言っておくと、日本には他にもミスジと名のつくシロミスジというのが与那国島に土着している。しかし、これは似てはいるものの Neptis属ではなく、近縁関係のAthyma(ヤエヤマイチモンジ属)に含まれるので、除外した。食樹はトウダイグサ科のヒラミカンコノキ。

気になるので、台湾の他のNeptis属の食樹も可能な限り調べてみた。

(チョウセンミスジ)
カバノキ科 クマシデ属のCarpinus kawakamii。他にホソバシデ、シマシデなども食し、シデ類やハシバミ類を好むようだ。

(スズキミスジ)
アサ科エノキ属(ナンバンエノキ等)とマメ科(クズ等)が中心だが、シクシン科、アオイ科、イラクサ科の記録もある。

(タイワンミスジ)
主にマメ科と旧ニレ科(エノキ類)を食し、アオギリ科、イラクサ科、トウダイグサ科、シソ科など他の広葉樹も広く利用している。普通種たる所以だ。

こうして各ミスジチョウの食樹をみると、はたと思う。
食樹の嗜好傾向で、ある程度グループ分けが出来るのではないだろうか❓。
コミスジなどの小型種はマメ科と旧ニレ科のエノキ属を中心に幅広く色んな植物を利用している広食型で、これにはコミスジの他にリュウキュウミスジ、スズキミスジ、タイワンミスジなどが挙げられる。一方、ミスジチョウなどの中大型種は、マメ科、旧ニレ科とは別な科の植物を食樹としていて、決まった科以外の植物はあまり食べない狭食性のものが多いのではないだろうか。ミスジチョウ、オオミスジ、ホシミスジ、チョウセンミスジ、アサクラミスジなどが、このグループに含まれる。たぶん、同じNeptis属でも、両者は種群が違うのではなかろうかと推察する。

(ホリシャミスジ)
これも後者のグループに含まれるかと思う。
エサキミスジとは裏の地色が異なり、一見かなり違う印象をうける。しかし、よく見れば裏も表も斑紋パターンが似ていて、一番近い関係なような気もする。

 

 
(裏面)

 
コレだけではちょっと分かりにくいから、図鑑の両者が並んでいる画像を貼りつけよう。

 
(出典『原色台湾蝶類大図鑑』)

 
上がホリシャで下がエサキである。 
こうして並んでいるのを見ると、両者の関係がかなり近いように見えてくる。

圖錄檢索に拠れば、ホリシャミスジの食餌植物に以下のようなものが挙げられていた。

樟樹 Cinnamomum camphora
クスノキ科 ニッケイ属 クスノキ

長葉木薑子 Litsea acuminata
クスノキ科 タブノキ属 ホソバタブ(アオガシ)

黃肉樹 Litsea hypophaea
クスノキ科 タブノキ属 タブノキ

假長葉楠 Machilus japonica japonica
クスノキ科 ハマビワ属 バリバリノキ

豬腳楠 Machilus thunbergii
クスノキ科 ハマビワ属 タイワンカゴノキ

臺灣雅楠 Phoebe formosana
クスノキ科 タイワンイヌグス属 タイワンイヌグス

 
何とクスノキ科を食っている❗変わり者だわさ。
コレには驚いた。クスノキを食ってるミスジチョウがいるだなんて、夢にも思わなかった。タテハチョウ科で、クスノキ食ってる奴なんて珍しいよね。そんな奴、いたっけ?クスノキといえば、食樹にしてるのは、アゲハ類くらいだろう。
でも、エサキミスジの食樹がクスノキ科とは思えない。もしそうだったとしたら、こんなに稀種なワケがなかろう。いや、待てよ。非常に特殊で稀なクスノキ科の植物だけを食べている可能性も捨てきれないよね。

まあいい。それよりも問題なのはミヤジマミスジだ。
『アジア産蝶類生活史図鑑』に拠れば、アサ科のTrema olientalis(ウラジロエノキ)だと判明している。しかし、DearLep 圖錄檢索だと、エサキミスジの項と同じように未填寫となっているのだ。つまり、エサキの食樹が未知かどうかも疑っておくべきだと云うことだ。
とは云うものの、エサキミスジの幼生期の画像は一切見つからない。一番近い関係なのではないかと推察するホリシャミスジの幼生期もナゼか一切見つからない。お手上げである。この辺が潮時だろう。
仕方がないので、参考としてアサクラミスジとミスジチョウの幼生期の画像を添付して終わりにしましょう。

 
【アサクラミスジ】

(出典『DearLep 圖錄檢索』)

 
【ミスジチョウ】

(出典 手代木 求『日本産蝶類幼虫・成虫図鑑 タテハチョウ科』)

 
遠く台湾の山河に思いを馳せる。
またいつかエサキミスジに会えるだろうか❓
脳裡に、高い梢の上を滑るようにして優雅に舞う姿が浮かんだ。その空は、どこまでも青かった。

 
                 おしまい

 
追伸
エサキミスジの採集記は別ブログにあります。

 
発作的台湾蝶紀行39『揚羽祭』

 
発作的台湾蝶紀行40『ダブルレインボー』

 
発作的台湾蝶紀行57『踊る台湾めし』

 
青文字をタップすれば記事に飛びます。
また、当ブログには、オスアカミスジの回にチラッと登場します。

 
台湾の蝶10『オスアカミスジ』

 
よろしければ、コチラも読んでくだされば幸いです。

 
(註1)江崎悌三博士
えさき・ていぞう(1899年生~1957没)
明治生まれの著名な昆虫学者。東京に生まれ育ち、1923年(大正12年)東京帝国大学理学部動物学科卒。同年九州帝国大学助教授に就任。1924年、研究のため渡欧し、1928年に帰国。1930年九州帝国大学教授となる。のちに九州大学農学部長、教養部長、日本学術会議会員、日本昆虫学会会長、日本鱗翅学会会長などを歴任した。水生半翅類(タガメ、ミズカマキリなどの類)の世界的権威で、国際昆虫学会議常任委員として国際的にも活躍した。昆虫全般、動物地理学、動物関係科学史にも造詣が深く、全国の昆虫研究者の尊敬と信頼を集め、また昆虫少年たちにも多大なる影響を与えた。水生半翅類の分類のほか、日本とその近隣のチョウ、ミクロネシアの動物相、ウンカの生態などの研究にも大きく貢献した。
昆虫の名前に博士の名を冠したものも多く、エサキミスジの他にもエサキオサムシ、エサキキチョウ、エサキモンキツノカメムシ、エサキタイコウチ、エサキキンヘリタマムシ等々多数の名前が残っている。
著書に「動物学名の構成法」「土壌昆虫の生態と防除」「太平洋諸島の作物害虫と駆除」などがある。
昆虫関連の共著・監修には以下のようなものがある。

・『日本昆蟲圖鑑』石井悌,内田清之助,川村多実二,木下周太,桑山覚,素木得一,湯浅啓温共編 北隆館 1932
・『原色日本昆虫図説』堀浩、安松京三共著 三省堂 1939
・『原色少年昆虫図鑑』河田党共著 北隆館 1953
・『原色昆虫図鑑 学生版 第2 甲虫・半翅類篇』素木得一,高島春雄共著 北隆館 1955
・『原色幼年昆虫図鑑』共監修 北隆館 1956
・『原色図鑑ライブラリー 第22 蝶』監修 北隆館 1956
・『天然色昆虫図鑑』監修 学習研究社 天然色生物図鑑シリーズ 1956
・『原色日本蛾類図鑑』一色周知、六浦晃、井上寛、岡垣弘、緒方正美、黒子浩共著 保育社の原色図鑑 1957-58

また、翻訳も手掛けてられている。

・ビー・ピー・ウヴァロフ『昆虫の栄養と新陳代謝』国際書院 1931
・ヘンリー・ジェームズ・ストヴィン・プライヤー『日本蝶類図譜』白水隆校訂 科学書院 1982

ほかに雑文や著作を纏めたものもある。

・『江崎悌三随筆集』江崎シャルロッテ編 北隆館
・『江崎悌三著作集』全3巻 思索社 1984

著作集は、日本の蝶の学名の命名に関して興味深い記事もあり、蝶屋必見のようだが、読んだことはないです。
また、随筆集を編んだのは妻であるシャルロッテ。
ドイツ留学中に恋に落ち、博士は365日間毎日欠かさずに彼女にラブレターを送ったという。夫人は日本で、ドイツとの文化交流にも尽力し、名を残しているので、興味がある方は調べてみてもよろしかろう。
因みに本文の最後のエサキミスジが飛ぶ一節には、この夫人のイメージも重なっている。夫や子供たちを空から見守る姿であったりとか、2頭が江崎夫婦のように仲睦まじく飛んでいる姿であったりとかがリンクして、頭の中にはあった。それを文章化する事も考えたが、そうなると1から文章を組み直さなければならないので断念した。もしも、そうなってたらタイトルも『華麗なる一族』とかになっていたかもしれない(笑)
余談はまだまだあって、博士の母方は江戸時代の蘭学者として有名な杉田玄白の家系にも繋がっている。また、息子は「よど号ハイジャク事件」の時のパイロットである。その他、親戚縁者には名前がある人が多いようだ。